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東京都知事及び墨田区長の追悼文拒否の中で開かれた関東大震災追悼式。

 東京新聞は2017年9月2日、「墨田区の都立横網町(よこあみちょう)公園では同日午前、朝鮮人犠牲者の追悼式が開かれ、出席した約五百人が、不当に命を奪われた人たちを悼んだ。しかし、例年実施されてきた都知事と墨田区長の追悼文読み上げは行われなかった。」、と報じた。
 このことについて、2017年9月2日付けの東京新聞「小池氏、虐殺の認識語らず 『歴史家がひもとくもの』」及びハンギョレ「追悼文拒否の中で開かれた関東大震災追悼式『忘却は再び悪夢を生む』」の記事で考える。


 この追悼式の模様とその問題点を、ハンギョレは、次のように伝えた。


(1)今年の追悼式は、例年以上に憂鬱な雰囲気の中で開かれた。小池百合子東京都知事側は「(朝鮮人らに向けた)特別な形での追悼文は控えた」と宣言した。2000年代以後、すべての東京都知事が毎年送ってきた追悼文を今年は送らなかった。
(2)変化した日本社会の雰囲気を反映する場面は追悼式場の目の前でも見られた。日本人20人あまりが集まって、朝鮮人追悼式と同じ時刻にすぐそばで日本人地震被害者慰霊式を開いた。彼らは「朝鮮人6000人虐殺は事実か?」「日本人の名誉を守ろう」などと書かれた大型横断幕を日章旗とともに掲げた。彼らは「朝鮮人6000人以上が虐殺されたというのは嘘だ。犠牲者は20分の1程度ではないだろうか」として「反対に日本人がやられた場合もないだろうか」とまで主張した。以前にも駅頭で追悼式反対パンフレットを配った人はいたが、追悼式場の目の前で反対行事が開かれたのは今年が初めてだ。市民団体の日朝親善協会会員シマオカ・マリ氏は「日本社会の右傾化が激しくなり、右派の力が一層強まっている。向かい側の反対集会がその例」と話した。朝鮮総連東京本部副委員長のホ・ジョンス氏は「以前にも過去を否定する人々はいたが、最近はきわめて露骨になった」と話した。
(3)日本の保守派も、関東大震災当時に朝鮮人が日本人に殺害された事実自体を完全には否定できない。関東大震災の後、日本では朝鮮人が毒を井戸に撒いたというデマが出回り、自警団が警察のほう助の下で朝鮮人数千名を虐殺した。日本の内閣府が作成した報告書にも、殺された場合があると書かれている。彼らは大震災後の混乱した状況で正確な統計がありえないという点を悪用している。内閣府の報告書には殺された朝鮮人と中国人の数について「殺傷事件による死亡者は正確には分からないが、地震による死亡者10万5000人の1~数%」と書いた。今年3月、古賀俊昭・東京都議会議員は「犠牲者数の6000人には根拠がない」という質問で追悼文の送付拒否を要請し、小池知事はこれに応じる形で朝鮮人虐殺隠蔽に加勢している。これは朝鮮人虐殺追悼碑撤去要求の動きにつながっていて、朝鮮人虐殺の事実全体を否定する動きにまで膨らむ可能性がある。


実は、東京新聞は、二つの日本の今を描き出していた。
それは、関東大震災当時に朝鮮人が日本人に殺害された事実自体を完全には否定できないにもかかわらず「過去を否定する人々」の姿であり、これに対抗するもう一つの姿である。


(1)追悼式実行委員長の宮川泰彦さん(76)は「歴史家の判断として逃げているだけで、虐殺否定論の上に立っているとしか思えない」と批判。「人の命を大事にせず、歴史的事実を自らの歴史観から否定するのなら知事としてふさわしくない。追悼文をやめたのもこれが本意だったと思う。学校現場など他分野にも影響が広がるのでは」と危惧した。
(2)一方、東京都と同様に当時朝鮮人虐殺があった埼玉県熊谷市では、市主催の朝鮮人犠牲者追悼式があり、富岡清市長が百五十人の参列者を前に追悼のことばを読み上げた。


 また、あわせて、ハンギョレは、「この日の追悼式には昨年の2倍ほどの500人余りが参加した。12時から始まった献花行列は40数分にわたり続いた。小池都知事の追悼文送付拒否が大きく報道されたので、逆に関心が高まって起きた苦々しい現象だった。この日、同じ横網町公園では、関東大震災と東京空襲の犠牲者を慰霊する行事が日本の皇太子が参加した中で開かれた。小池知事はこの行事には追悼文を送ったが、朝鮮人虐殺に対する言及はなかった。」、と伝えていた。


 このような状況をもたらした東京都知事と墨田区長に対して、ハンギョレは、関係者からの疑問の声を、次のように投げかける。


(1)「日本社会で関東大震災での朝鮮人虐殺の事実は歳月と共に風化し忘れられようとしている」。1日、関東大震災94周年朝鮮人虐殺犠牲者追悼式が開かれた東京墨田区の横網町公園で会った追悼式実行委員長の宮川泰彦氏は苦々しく話した。
(2)宮川委員長は「(保守的なことで有名だった)石原元東京都知事も虐殺を否定する雰囲気ではなかったので追悼文を送った。だが、小池知事は追悼文さえ送らない」と嘆いた。彼は追悼式で「自然災害で亡くなった人(日本人)と、人の手で殺された人とは違う。都知事が追悼文を送らないということは容認できない」として「忘却は再び悪夢を生む危険がある」とも話した。
(3)「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」事務局長の田中正敬氏は、追悼式で「関東大震災当時、朝鮮人だけでなく中国人、そして(労働運動家などの)日本人も殺された」として「私たち皆が加害者であり被害者になりうる」と話した。


 東京新聞は「朝鮮人虐殺追悼碑撤去要求の動きにつながっていて、朝鮮人虐殺の事実全体を否定する動きにまで膨らむ可能性がある。」という中での、今回の都知事と区長の「拒否」に対して、「史実 戦前の公文書」として次のように説明する。
 都知事の「(朝鮮人らに向けた)特別な形での追悼文は控えた」との回答への反論でもある。


(1)一九二三(大正十二)年九月一日に関東大震災が発生すると、「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが広がった。あおられた民衆がつくった「自警団」などの手で、多数の朝鮮人や中国人らが虐殺された。
(2)政府中央防災会議の報告書によれば、朝鮮人虐殺は当時の行政などの公的記録から確認できる。司法省の「震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」では、二百三十三人が殺害されたことが分かる。起訴事件分だけで一部にとどまる。
(3)朝鮮総督府の東京出張員が調べたという文書「関東地方震災ノ朝鮮ニ及ホシタル影響」では、殺された「見込数」として、東京約三百、神奈川約百八十、埼玉百六十六など計約八百十三人を挙げている。
(4)東京都公文書館所蔵の「関東戒厳司令部詳報」中の「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル一覧表」は、軍の記録だ。軍隊の歩哨や護送兵の任務遂行上のやむをえない処置として十一件五十三人の殺害が記録されている。


 今、宮川委員長の追悼式での、「自然災害で亡くなった人(日本人)と、人の手で殺された人とは違う。都知事が追悼文を送らないということは容認できない」「忘却は再び悪夢を生む危険がある」、との訴えをどのように捉え直すことができるのかが問われている。
 結局、東京都知事と墨田区長の追悼文の拒否は、関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任に背を向けるものである。
 つまり、今回のことは、「国際社会の原則」-「人類の普遍的価値と国民的合意に基づく被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止の約束という国際社会の原則」-を踏みにじる行為でしかない。




by asyagi-df-2014 | 2017-09-13 06:15 | 人権・自由権 | Comments(0)

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