「桐谷夏子・森川万智子 朗読と講演の夕べ」で思いをあらたにしました。

 「慰安婦」がみた軍隊と戦場、そして戦場とは『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』と題された「桐谷夏子・森川万智子 朗読と講演の夕べ」が、2017年8月26日、大分県中津市の中津下毛教育会館で開かれました。
週刊金曜日大分読者会の四人で、参加してきました。
 60分ほどの桐谷さんの朗読の後の休憩時間に、会館のロビーで久しぶりにお会いしたAさんは、「初めてのいいものを聞かせてもらった」、と話しかけてくれました。そんな迫力に満ちた「一人芝居」を見ることができました。
実は、若い時から奈良岡朋子のファンであった私は、2017年に入って二度、演劇と井伏鱒二の朗読という形で奈良岡さんに出会うことができました。ただ、自分の中には、どこか燻っているものが残っていました。今回、初めて桐谷さんの朗読に出会って、はっきり気づいたことがありました。その燻りの元は、奈良岡さんには、今この時、例えば、辺野古の島袋文子さんやこのムン・オクチュを演じてほしかったという私自身の思いだったのだなということでした。これは、無理難題の押しつけですが。
 また、森川万智子さんは、60分ほどのムン・オクチュさんの話を通して、日本というものを見せてくれました。
 確かに、講演のテーマである「『慰安婦』の証明は必要か?」(性暴力被害者がなぜ証明をしなければならないか?)は、日本の現状を鋭く突く問い掛けです。
 この構図は、例えば、労働者問題でも、不当労働行為があったことの立証責任は不当労働行為の被害を受けた者にあるという構図と同じものなのです。
 森川さんは、日本軍慰安婦の問題は、こうした諸々の日本の差別構造に加えて、男女差別や「性」にかかわる問題が、より複雑にしていると説明してくれました。
森川さんは、ムン・オクチュさんについて、「戦争の中を生き延び、戦後を力強く生きた」と、愛情溢れる言葉で話してくれました。また、ムン・オクチュさんの証言は、彼女が見た世界は、「下級兵士の見た世界」であったとも。
 最後に、「語れなかった人、記憶を失った人の証明する」という森川さんの決意をひしひしと感じました。


by asyagi-df-2014 | 2017-09-03 07:33 | 新たな経験 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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