広島地裁は、「国に裁量の逸脱はなく、適法だ」、と言い放つ。(2)

 広島地方裁判所は2017年7月19日、高校の授業料無償化の対象から朝鮮学校を除外した国の処分をめぐる裁判で、「国に裁量の逸脱はなく、適法だ」として、広島朝鮮高級学校側の訴えを退けた。
 「審査基準も合理的で、差別には該当しない。」、との地裁の判決は、歪んだ現状認識に寄り添い、日本国憲法による不断の努力を冷酷に切り捨てている。
 このことを、東京新聞(2017年7月21日)、朝日新聞(2017年7月21日)、毎日新聞(2017年7月20日)の社説で考える。
 この3社の社説の見出しは、順番に、「朝鮮学校訴訟 無償化の原点に戻れ」「朝鮮学校無償化 子の救済は大人の責任」「朝鮮学校の無償化で初判断 制度の理念に反しないか」、となる。
 3紙の主張の要約は次のようになる。


Ⅰ.主張


(朝日新聞)
(1)教育の機会を公平に保障するという制度の理念に立ち返って判断すべきなのに、あまりに粗雑な論理で導いた判決だ。
(2)問われているのは、子どもの学ぶ権利に関わる教育行政の公平性である。原告側は控訴する方針という。高裁は丁寧な審理を尽くしてほしい。


(東京新聞)
(1)いわば大人の都合で、子どもの学びの機会に格差が生じるのは残念でならない。広島地裁は、朝鮮学校を高校無償化の対象から外した国の処分を適法と判決した。大人の責任で実現せねばならない。
(2)高校に当たる高級部では、日本で生まれ育った千三百人余りが学んでいる。日本の大学の多くは、卒業生に受験資格を認めている。国側はこうした現実を踏まえ、就学支援金が確実に授業料に使われる仕組みを勘考できないものか。
(3)北朝鮮は核やミサイルを開発し、日本人拉致問題の解決には後ろ向きだ。朝鮮総連を含め、国民が注ぐまなざしは厳しい。本来、子どもの教育に政治的、外交的な問題を絡めるべきではない。だが、朝鮮学校の教育内容や財務、人事といった運営を巡る疑念が晴れない限り、税金投入に国民の理解は得られにくい。子どもの学ぶ権利の救済、機会の保障はもちろん、大人の責任である。


(毎日新聞)
(1)社会全体で子供の成長を支えようとする制度の理念に、例外が認められるかどうかが争われた。
(2)一方、学校側にも改善する点はあるだろう。判決は、無償化で生徒に支援金を支給しても授業料に充てられない恐れを指摘する国の主張を認めている。学校側も反論するのであれば、そうした懸念を拭う努力を重ねていくべきだ。肝心なのは、子供の学ぶ権利と機会を確保することである。教育内容や財務状況を広く社会に開示し、情報公開を進めていくことで、理解を深めていく必要がある。


Ⅱ.問題点
(朝日新聞)
(1)判決が焦点をあてたのは、学校と朝鮮総連との関係だ。国は、過去の新聞記事や公安調査庁の報告書をもとに、「朝鮮総連の『不当な支配』を受け、無償化のための支援金が授業料に使われない懸念がある」と主張。判決はこれを認めた。この先も資金流用がありうると、どんな証拠に基づいて判断できたのか。地裁が取りあげたのは、約10年前の別の民事訴訟の判決だ。「総連の指導で学園の名義や資産を流用した過去がある」と指摘し、「そのような事態は今後も起こりえると考えられた」と結論づけた。総連の支配の継続については「変更や見直しを示す報道が見当たらなかった」ことを理由にした。朝鮮学校が総連と関係があるとしても「不当な支配」とまでいえるのか。地裁が実態の把握に力を尽くしたとは言い難い。
(2)原告側は生徒や教員の証人尋問や学校での現場検証を求めた。だが、地裁は採用せず、代わりに授業内容などのビデオ映像が法廷で上映された。少なくとも朝鮮学校や総連の関係者を証人として法廷に呼び、財務資料を提出させるなどし、国の主張が正当かを具体的に確認すべきではなかったか。
(3)政治・外交問題に直接関係のない朝鮮学校の生徒に、まるで「制裁」を科すような施策には、国連の人種差別撤廃委員会も懸念を示している。中華学校やブラジル人学校など40余りの外国人学校が無償化の対象になっている。申請を国が認めなかったのは朝鮮学校だけ。制度の本来の目的に立ち返り、国は適用を検討すべきだ。多くの大学・短大が朝鮮高級学校生の受験資格を認めているのも、日本の高校に準じた教育水準とみなしているからだ。


(東京新聞)
(1)問題の根っこは、子どもに代わって学校側が就学支援金を受け取る代理受領の仕組みにあろう。朝鮮学校は、北朝鮮や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の影響下にあり、無償化の資金が授業料に充てられないことが懸念されると、国側は主張していた。
(2)とはいえ、無償化制度の理念は、学校運営そのものの支援ではない。すべての高校生が家庭の収入にかかわらず、学ぶ機会に等しくアクセスできるよう、社会全体で負担を分かち合うことである。
(3)その理念を重視し、責任のない卒業生らの救済に動こうとした形跡は、広島地裁の判断からは読み取れなかった。国側と学校側との相互不信の谷間に、個々の子どもが落ち込んでいるように見える。


(毎日新聞)
(1)今回の裁判所の判断は、無償化制度の趣旨に合っているのだろうか。無償化は、高校段階の個々の生徒に対し、国として学びの機会を経済的に支援するのが基本理念だ。学校自体への支援制度ではない。
(2)朝鮮学校は終戦直後、在日朝鮮人の子供に朝鮮語を教えるため、各地にできた「国語講習所」が前身だ。現在は66校(休校5校)ある。高校にあたる「高級部」は全国に10校あり、1300人余りが学んでいる。朝鮮語で授業し、朝鮮史など民族教育に特徴があるが、数学や化学などは日本の学習指導要領に沿った内容だ。日本の大学の大半は、卒業生に日本の高校生と同様、受験資格を認めている。インターナショナルスクールなどと同じ「各種学校」にあたるが、これらは無償化の対象になっている。
(3)生徒は日本で生まれ育ち、日本社会の中で生活している。子供に責任のない理由で、無償化の対象から外すのは制度の理念に整合しない。



 問われているのは、「社会全体で子供の成長を支えようとする制度の理念に、例外が認められるかどうかが争われた。」(毎日新聞)ということである。
 また、日本国憲法26条に規定された「子どもの学ぶ権利に関わる教育行政の公平性である。」(朝日新聞)、が試されたのである。
日本国憲法26条の教育の無償化とは、「高校段階の個々の生徒に対し、国として学びの機会を経済的に支援するのが基本理念だ。学校自体への支援制度ではない。」(毎日新聞)、ということの真実さへ、日本の司法は、手放さそうとしている。
 このままでは、日本の司法は、その意味を失ってしまう。




by asyagi-df-2014 | 2017-07-29 12:16 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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