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四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第4回口頭弁論を傍聴してきました。

 四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第4回口頭弁論・第7回審尋が、2017年5月11日14時30分より、大分地方裁判所で開催されました。今回も傍聴参加と報告集会に参加してきました。
これまでと同様に第1法廷で開催された裁判に、今回もまた、多くの参加者が集まりました。
 今回は、武内裁判長から、佐藤裁判長に変更になったことと114名が第2次追加訴訟に踏み切った中での大きな意味を持つ口頭弁論になりました。
  今回もまた、本訴訟は、20分のほどの時間で終了しました。
 しかし、原告の古手川美咲さんと訴訟代理人の岡村正淳弁護士の意見陳述は、熱のある
自らの想いを吐露する素晴らしいものになりました。


報告集会で、「今まで移住の理由を話したことはない。今日は勇気を出して話をした。原発で苦しんでいるすべての人たちを助けていただきたいとお願いした。」、と語った神奈川県から大分県別府市に3.11を受けて移住した古手川さんの意見陳述は次のものでした。


(1)私は、原発事故をきっかけに2013年1月に神奈川県から母と妹と猫の一家で移住してきた26歳の会社員です。
(2)関東に放射能が降り注いだ2011年3月15日と21日、大学2年生だった私は、屋外に居ました。マスクもせず、雨にも濡れました。事故後、海外ではすぐに公表された放射能の情報が、日本では隠され、私たちは、知っていたらできたはずの被ばくの対策を取ることができませんでした。今では、そのことに関する報道はほとんどなく、なかったことのようにされています。しかし、私は、一生忘れません。
(3)2011年8月、大学3年生の時、体中に赤い水ぶくれのような湿疹ができ、その一部は黒く変色し、ほくろとなって残るという症状が現れました。生まれて初めての症状に怖くなって、すぐに家族に見せました。病院で診察を受けると、お医者さんからは「原因不明」と言われました。もしこの症状が未来の自分への警告だったらとしたら、そう考えたら、とても怖くなりました。
(4)私は、これらの知識を得て、ただただ怖くなりました。そんな私に、母から「あなたたちの子どもに何かあったら、お母さんは死んでも死にきれない。」と涙ながらに言われました。その時、自分の命は将来の子どものための命でもあることに気づき、私は、移住を考えはじめました。
(5)原因不明の湿疹は増え続け、2012年7月、大学4年の時、ウイルスによる病気で2週間入院しました。その病気は、免疫力が高ければ入院しなくても自然に治る病気だったので、なぜそこまで悪くなったのか自分にもお医者さんにもわかりませんでした。もしこれが放射能によるものだったら、私は10年後健康でいられるのだろうかと怖くなりました。
(6)こうしている間にも、福島の原発からは、ずっと放射性物質が風向きによっては関東に流れているというスイス気象局の放射能拡散予測を見た時、私は、もう関東には住めないと思いました。こうして私は、移住を決意したのです。
(7)ですが昨年、伊方原発が動いた知らせを聞いた時、言葉では言い表せられないほどの恐怖を感じました。地震、テロ、ミサイルなど、事故が起きる可能性はゼロではありません。伊方原発が事故を起こし、大分県が汚染され、自分や自分の大切な人の健康がむしばまれていくことを想像すると目の前が真っ暗になります。次は私はどこに逃げればよいのでしょうか。もうどこにも逃げたくありません。


 古手川美咲さんは、「裁判官の皆さんにも、きっと私と同じように大切な人、守りたいものがあると思います。伊方原発が爆発した時、私たちは、その人を守れるのでしょうか。原発が停止して大切なものを守れるなら、安心して暮らせるなら、これ以上の幸せはないと思いませんか。・・・もし、願いが一つだけ叶うなら、放射能が降り注いだあの日以前に戻してほしいです。でもそれはできません。だから、もう二度と同じ悲劇が繰り返されされないように、原発を止めるしかないと思っています。」、と意見陳述を結んでいます。


 また、報告集会で「裁判官に謙虚になって欲しいということ。司法が何をすべきかということ。それは、矜恃と責任感ということでもある。・・・地元の弁護士が地元の弁護士が本気を示すことが大きな影響力になる。」、と今回の訴訟の意義を説明した岡村正淳弁護士の陳述内容は、次のものでした。


(1)その背景には、昨年4月の熊本大分大地震を契機に一段と高まった、佐賀関半島と目と鼻の先にある伊方原発が同じような地震に見舞われたらどうなるのか、福島と同じ状況になるのではないか、どんなことがあってもそのような事態は差し止めなければならないという切迫した危機感がありました。その危機感と、原告弁護団団長河合弘之弁護士をはじめとする脱原発弁護団全国連絡会の皆さんが切り開いてきた司法による原発差し止め、脱原発の可能性に関する展望とがあいまって、仮処分及び本訴が提訴されたものです。
(2)個人的にも、当時千葉県松戸市に住んでいて5月に出産予定だった長女が、放射能汚染のホットスポットにあたり、水道水も汚染され、コンビニエンスストアに水もないとして急遽大分に避難してきた大分で出産したということがありました。
(3)その後使用済み核燃料の保管施設オンカロに関するフィンランドの映画を見て、原発と人類は共存できないとの想いを深めました。
(4)大分における原発訴訟の胎動及び先進弁護団の献身的な姿勢に、怠惰な私も覚醒を余儀なくされました。福島原発事故まで厳しい判決が続いてきた原発訴訟で、仮処分により現実に原発の運転を差し止めることができたことを、そこには、原発の安全性に対する司法審査の在り方に関する論理の深化発展があり、判決文の中には、裁判官がまさに全身全霊を込めたと思われる彫心鏤骨の文言が刻まれていることを知りました。個人の尊厳、幸福追求権を保障している憲法の下、良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律のみに拘束される裁判官の矜持と張り詰めた責任感がここに凝縮されているように思います。
(5)裁判は、さまざまな主張が交錯する場であり、様々な見解があり得ることは当然です。しかし、原発の運転が許容される安全性の基準は、「福島原発のような過酷事故を二度と起こさないという意味での『限定的』絶対的安全性。ないしは絶対的安全性に準じる極めて高度な安全性(深刻な災害が万が一にも起こらない程度の安全性)」と解すべきです。


 岡村弁護士は、「私は昨年12月3日、熊本地震の震源地である益樹町の被災地を訪ねました。地震の発生する日時、場所、規模等に関する科学の予知能力の限界、地震という自然災害に対する人間の無力を思い知らされました。それでも、自然災害だけであれば、人や共同体はそれを乗り越えていくことができます。しかし、福島原発は、廃炉の行程も未だ明らかでなく、汚染水は海に垂れ流され、地元への全面帰還に至っては、果たしてそれが可能かすら明らかでなく、共同体は引き裂かれたままです。伊方原発には、南海トラフや中央構造線断層帯の脅威もあります。私は今、先進的な弁護団の豊富な蓄積に謙虚に学び、一人の人間として原発に真摯に立ち向かいたいと考えています。」、と意見陳述を終えています。


 さて、本訴訟の短さに比べて熱と勢いのある報告集会で、はっきりしたことは、次のことでした。
  河村弁護士は、次のことを説明しました。
(1)裁判長の交替があったが、新規まき直しの感じで、「早急に決定がでるという状況ではない。」、ということ。
(2)これまでは、基準値震動の問題に絞るということで進めてきたが、裁判長の「それでいいんですか」という質問があったので、変更したいと回答したということ。
(3) その内容は、①火山灰の規制基準の問題、②北朝鮮のミサイル-何故原発を止めないのか- の問題、③島崎前規制委員会委員長代理の基準値震動の指摘事項の問題、④避難の問題、⑤大阪高裁及び広島地裁判決への批判の展開、ということでした。なお、次回までに書面を提出する予定とのこと。
 また、この火山灰の問題については、中野弁護士より詳細な説明がありました。
特に、今回の報告集会では、松本共同代表から、裁判の在り方に関して、「裁判の中で、健康被害の問題を取りあげるべきではないのか」、という問いか掛けが出されました。
このことについて、河村弁護士は、「原発事故の最大のものは健康被害である。原発裁判の中核を成すものである。」、と答えました。ただ、「確かに、問題がある。今までのところ政府や福島県の対応で闘いにくくなっている」という状況の中で、それができていない状況があると答えていました。

 今後の日程については、第5回口頭弁論は7月20日(木曜)、第6回口頭弁論は10月11日(水曜)が決定したとの報告がありました。あわせて、今後どれぐらいの口頭弁論が開かれるのかについては、2~3回かなと、報告していました。
最後に、岡村弁護士は、「迷った時には裁判所は『世論』に従う」、との自らの風成闘争での経験を話してくれました。
 やはり、住民参加では「大分県最大規模になった」(岡村弁護士談)伊方原発訴訟の行く末は、原発を止めるという人の波で裁判所を覆い尽くし、私たちの熱い息づかいを裁判官に伝えることができるのかということに係っています。




by asyagi-df-2014 | 2017-05-15 05:54 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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