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「教育勅語」を考える。(5)-沖縄タイムス20170416より-

 沖縄タイムスは2017年4月16日、「木村草太の憲法の新手(54)教育勅語『国体』重視の教えは違憲」、を掲載した。
 この記事から、「教育勅語」を考えます。


木村の指摘は、次の二点である。


Ⅰ.「大日本帝国の『臣民』が『天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼』するために遵守すべき規範とされていた。教育勅語を教材とすることは、『親孝行や学問の目的は、現人神たる天皇の位を護るためだ』と教えることを意味する。そのような教育は、明らかに憲法等に反する。」
Ⅱ.「声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。」


 また、木村はこの結論を導く根拠を次のように説明する。


(1)教育勅語は、明治23年10月30日付で示された、現人神たる明治天皇が教育に関する基本理念を述べた文書だ。その内容は、市民を「臣民」と位置づけ、大日本帝国の「国体」を「教育ノ淵源」と位置付ける。「国体」とは難解な言葉だが、明治40年の文部省の公式の英訳では「fundamental character of Our Empire」とされた。帝国の基本的な性格くらいの意味に訳されている。
(2)ポツダム宣言を受諾した日本政府は、憲法改正を決意し、1947年5月、日本国憲法が施行された。天皇は、現人神や大権の担い手ではなくなり、国家の象徴とされた。市民は、主権の担い手たる「国民」となった。こうして、神話的国家観に基づく大日本帝国は解体された。当然、大日本帝国の「国体」は「教育の淵源」となりえなくなる。1948年6月19日、衆議院は、「主権在君並びに神話的国体観に基いている」との理由で教育勅語の排除を求める決議をした。参議院も教育勅語の失効を確認する決議を行った。これを重く受け止めた政府は、決議当日の衆議院本会議で、森戸辰男文部大臣が、「教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたい」と断言した。
(3)今回の政府答弁書は、「我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としつつも、教材としての利用は必ずしも否定しないという。この点、歴史の授業で教育勅語を紹介することは問題ないとの指摘もある。
(4)しかし、歴史の授業だけを想定するなら、例えば「史料として用いることは否定しない」という言い方にすべきだった。答弁書の書き方では、歴史以外の授業での利用を促しかねない。また、菅義偉官房長官は、4月3日の記者会見で、教育勅語に書かれた「親を大切にする、兄弟姉妹は仲よくする、友達はお互いに信じ合うなど、ある意味で人類普遍のことまで否定はすべきではない」と述べた。これは、歴史資料ではなく、道徳などの教材として利用することを想定するかのような説明だ。


 この上で、木村は、「教育勅語」について、次のように結論つける。


Ⅰ.教育勅語には、親孝行や家族愛、学問を修めることなど、そこだけを切り取れば問題なく見える部分もある。しかし、それらは、大日本帝国の「臣民」が「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼」するために遵守すべき規範とされていた。教育勅語を教材とすることは、「親孝行や学問の目的は、現人神たる天皇の位を護るためだ」と教えることを意味する。そのような教育は、明らかに憲法等に反する。


 さらに、木村は、次のことを押さえる。


Ⅰ.前回論じた道徳教科書の検定問題にしても、今回の教育勅語答弁書にしても、道徳教育への不信を高めるものだ。本来、道徳とは、国民一人一人が自らの良心に従って探求すべきものだ。声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。


 木村教授の指摘は、そのとおりである。
 ただ、「声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。」、との認識だけでは済まされない状況が、すでに、プログラム化されていることを強く認識しなければならないのではないだろうか。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-19 07:13 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人