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四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第1回口頭弁論を傍聴してきました。

 四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第1回口頭弁論が、2016年11月17日、大分地方裁判所の第1号法廷で開かれました。
傍聴席に座るのは、20数年ぶりになるのかと思いながら、竹田から参加してきました。
 あわせて、弁護士会館で開かれた「報告集会」にも参加しました。 
 最近、大分合同新聞は伊方原発のことは記事にしてきているので、報告記事を是非読んでみてください。
 私の方からは、いくつかの感想的なことを報告します。
 今回の口頭弁論では、原告団長の松本文六さんと徳田弁護士が意見陳述を行いました。
 松本さんは、次のような説得力のある意見陳述を行っています。


「原発は一体何のため誰のために作られたのでしょうか?福島で起きたような過酷な事故を二度と起こさせるべきではありません。
 自然災害を止めることはできまぜん。しかし人間の作った原発は人間の手によって止めることはできます。
 私どもは人間として、そして私は医者として、”No More Fukushima”の旗を高く掲げ、原発のない社会へ向けて行動することを表明し、この伊方原発を止める運動に関わりました。私どもは、私を含め周囲の多くの人々のいのちと暮らしと人権を守るために、伊方原発の稼働を止めたいのです。
 伊方原発を稼働させないことが、私どもの決意であり生きる希望なのです。」


 「報告集会」での6回書き換えたとの松本さんの話を含めて、あらためてこの松本さんの意見陳述の重みを感じています。
徳田弁護士は、意見陳述を通して、自らの課題として自らを見つめ直す中で、こうして意見陳述を行っていると、人としてあり方を提示してくれたような気がします。
 その陳述は、すぐれた決意表明でありました。
 それは、「自らと自らの家族、自らの地域を守るために、刻み込んで欲しい」、と。
 また、司法のあり方について、次のように三点について語り込みました。
一つには、原発に求められる安全性の程度については、福島原発事故のような過酷事故を二度と起こさないという意味での「限定的」絶対安全性、ないしは、絶対的安全性に準じる極めて高度な安全性と解すべきであること。
 二つ目には、当該原発が安全であるという高度の蓋然性が被告において立証されない限り、運転を許さないというのが、本件における立証責任の公平な分配というべきであること。
 三つ目には、原発訴訟は、一般の経験則あるいは基本的な科学技術的知識・知見に照らして、被告が原告らの指摘する科学的、合理的な疑問に対して、当該原発が過酷事故を起こす高度の蓋然性がないことを主張、立証し得ているのかどうかを判断すれば足りるというべきであること。
 この三点は、「3.11」が明確に示したことでした。
 あわせて、「報告集会」では、「彼(田中正造)の教えを出発点として差し止め判決を勝ち取りたい」と述べるとともに、田中正造を是非とも読んで欲しいと、参加者に投げかけました。
 田中正造の「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」との言葉が、確かに生きていました。

 最後に、今後の裁判の進み方については、「月に再稼働した四国電力伊方原発3号機(愛媛県)の運転差し止めを求め、大分県内の住民4人が大分地裁に申し立てた仮処分申請を巡る争点は、原発の耐震設計の目安となる揺れ「基準地震動」の評価などに絞られることになった。17日に地裁で開かれた第4回審尋(非公開)では、来年1月と3月の審尋で住民側、四国電側が基準地震動に関するそれぞれの主張を口頭説明(プレゼンテーション)することが決まった。差し止めを認めるかどうか、地裁の決定は3月以降になる。」(大分合同新聞2016年11月18日)、となっています。
 特に、このプレゼンテーションに関して、、河合弁護士の「『異例』のこと。焦点は、基準値震動。裁判所は、法律家の言葉で言ってくれと。また、大学院の講義では困るとも。」、との発言が印象に残りました。


by asyagi-df-2014 | 2016-11-19 05:05 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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