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四国電力伊方原発の運転差し止め訴訟

 市民団体「伊方原発をとめる大分裁判の会」は、四国電力伊方原発の運転差し止め訴訟を大分地裁に起こす。
 このことについて、大分合同新聞は2016年9月28日、「伊方運転差し止め訴訟 三権分立の精神を守れ」と記事を掲載し、「大分県内の住民有志が今日、四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の運転差し止め訴訟を大分地裁に起こす。伊方原発は大分県から最短距離で45キロの対岸にあり、県民の不安の表れだ。」、「多くの大分県民が提訴に参加した。市民団体『伊方原発をとめる大分裁判の会』は当初、『原告100人以上』を目標に原告を募ったが、『県民の関心は高く』264人となった。背景は(1)4月の大地震で伊方原発に近く、国内最大級の中央構造線断層帯への波及が懸念された(2)伊方原発は国東半島の一部から見えるほど、大分県に近い(3)全国の原発が休止中でも、電力は事足りた―など。」、と報じた。


 特に、大分合同新聞は、「日本で初の原発裁判となった伊方原発1号機の設置許可取り消し訴訟」に関して、次のように伝えた。


(1)今回の提訴で脚光を浴びているのが、日本で初の原発裁判となった伊方原発1号機の設置許可取り消し訴訟。その後の原発訴訟に道を切り開いた。1973年の提訴に始まり、約20年後の92年に最高裁で上告棄却が言い渡され、敗訴が確定した。原告側裁判記録「原子力と安全性論争」を読むと、判決は国や電力業界の“安全神話”に沿った価値判断で、福島第1原発事故が必然の結果とさえ感じる。伊方原発で起きてもおかしくなかったと思う。判決は住民側の訴えをほとんど取り上げず、国(行政権)の裁量をかなり認めている。国の主張をうのみに近い状態で認めては、三権(立法、司法、行政)分立の意義を失う。
(2)桜井淳(きよし)氏(物理学者)は著書「原発裁判」で、「最高裁で判決が確定した原発訴訟のうち、原告が勝ったのは1件もない。三権分立だから国の政策を否定するような判断がときにはなされるべきだ。東京大学や日本原子力研究所など被告側専門家の知識と経験が尊重された。被告側の技術的裁量が正しいのか、国の原子力政策に寸分の誤りもないのか、踏み込む判断はなされていない」と指摘している。
(3)原告側は大事故時の被害を専門家により予測した。風下方向の住民が受ける被害について(1)10キロ以内(2)10キロから15キロ(3)15キロから20キロ(4)20キロから250キロ―に分けて予測している。(1)は「全て死亡する」。(4)は大分県が全域入り、「立ち退かなければ、全員が急性放射線障害を受ける。四国、九州、中国地方の大部分が入る。急性障害にがんなどの晩発性障害、遺伝的障害が加わる」と警告している。
(4)この訴訟で住民側弁護団長を務めた藤田一良氏(故人)側から裁判を見詰めた「されど真実は執拗(しつよう)なり」がこのほど出版された。「全ては、原発建設という結果ありきで仕組まれている。まともに仮想事故を評価して立地審査したら、日本で原発を建てるところはない」と裁判の感想を述べている。訴状には「地震国のわが国においてさえ、これ以上の悪条件を備えた地点は他にないと思われる。伊方に原発設置が認められた場合は、今後原発についての立地審査はすべて無意味になるだろう」としている。
 43年前の伊方原発提訴以降、福島第1原発事故など原発訴訟を巡る環境は大きく変化した。裁判所には三権分立に沿った判断を望みたい。多くの県民が裁判の行方を見守っている。


 以下、大分合同新聞の引用。







大分合同新聞-伊方運転差し止め訴訟 三権分立の精神を守れ-2016年9月28日

 大分県内の住民有志が今日、四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の運転差し止め訴訟を大分地裁に起こす。伊方原発は大分県から最短距離で45キロの対岸にあり、県民の不安の表れだ。
 多くの大分県民が提訴に参加した。市民団体「伊方原発をとめる大分裁判の会」は当初、「原告100人以上」を目標に原告を募ったが、「県民の関心は高く」264人となった。
 背景は(1)4月の大地震で伊方原発に近く、国内最大級の中央構造線断層帯への波及が懸念された(2)伊方原発は国東半島の一部から見えるほど、大分県に近い(3)全国の原発が休止中でも、電力は事足りた―など。
 今回の提訴で脚光を浴びているのが、日本で初の原発裁判となった伊方原発1号機の設置許可取り消し訴訟。その後の原発訴訟に道を切り開いた。1973年の提訴に始まり、約20年後の92年に最高裁で上告棄却が言い渡され、敗訴が確定した。
 原告側裁判記録「原子力と安全性論争」を読むと、判決は国や電力業界の“安全神話”に沿った価値判断で、福島第1原発事故が必然の結果とさえ感じる。伊方原発で起きてもおかしくなかったと思う。
 判決は住民側の訴えをほとんど取り上げず、国(行政権)の裁量をかなり認めている。国の主張をうのみに近い状態で認めては、三権(立法、司法、行政)分立の意義を失う。
 桜井淳(きよし)氏(物理学者)は著書「原発裁判」で、「最高裁で判決が確定した原発訴訟のうち、原告が勝ったのは1件もない。三権分立だから国の政策を否定するような判断がときにはなされるべきだ。東京大学や日本原子力研究所など被告側専門家の知識と経験が尊重された。被告側の技術的裁量が正しいのか、国の原子力政策に寸分の誤りもないのか、踏み込む判断はなされていない」と指摘している。
 原告側は大事故時の被害を専門家により予測した。風下方向の住民が受ける被害について(1)10キロ以内(2)10キロから15キロ(3)15キロから20キロ(4)20キロから250キロ―に分けて予測している。(1)は「全て死亡する」。
 (4)は大分県が全域入り、「立ち退かなければ、全員が急性放射線障害を受ける。四国、九州、中国地方の大部分が入る。急性障害にがんなどの晩発性障害、遺伝的障害が加わる」と警告している。
 この訴訟で住民側弁護団長を務めた藤田一良氏(故人)側から裁判を見詰めた「されど真実は執拗(しつよう)なり」がこのほど出版された。「全ては、原発建設という結果ありきで仕組まれている。まともに仮想事故を評価して立地審査したら、日本で原発を建てるところはない」と裁判の感想を述べている。
 訴状には「地震国のわが国においてさえ、これ以上の悪条件を備えた地点は他にないと思われる。伊方に原発設置が認められた場合は、今後原発についての立地審査はすべて無意味になるだろう」としている。
 43年前の伊方原発提訴以降、福島第1原発事故など原発訴訟を巡る環境は大きく変化した。裁判所には三権分立に沿った判断を望みたい。多くの県民が裁判の行方を見守っている。


by asyagi-df-2014 | 2016-09-28 12:18 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人