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本からのもの-植民地主義の暴力

著書名;植民地主義の暴力
著作者:徐 京植
出版社;高文研


 徐京植さん(以下、徐とする)は、「プリーム・レーヴィエへの旅」を行った。私も、「徐京植への旅を」を、今始めることになる。
 今回は、こちら側の力量から、「Ⅰ植民地主義の暴力」の章から「和解という名の暴力」のみを取りあげる。


 「他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。」


 まず、魯迅の「死」からの引用で始まる。
 それは、植民地主義の暴力とどのように対峙するのか、という投げかけである。
 「和解という名の暴力」から、徐の重たい指摘をいくつかあげてみる。

(1)「国民主義」
①徐は、本稿の基底を次のように位置づけた上で、「国民主義」とは何か、と問い詰める。


 本稿では、いわゆる「先進国」のマジョリティが広く共有する「国民主義」が、いわば「国境を越えた共犯関係」を形成することによって、旧植民地宗主国の「植民地支配」を問題にしようとする全世界的な潮流に対する抵抗感を形成しているという状況について述べる。また、そのような抵抗が「和解」という美名を用いて行われている様相、すなわち「和解という名の暴力」を批判する。


②徐は、この「国民主義」について、次のように規定する。


 「国民主義』とは、「国家主義」と区別して暫定的に用いる用語である。両者はいずれも英語に訳せばナショナリズムとなるが、今から問題にしようとする「国民主義」は、いわゆる先進国(旧植民地宗主国)のマジョリティが無自覚のうちに持つ「自国民中心主義」を指す。「国民主義」は多くの場合、一般的な排他的ナショナリズムとは異なるように見え、当事者も自分自身をナショナリズムに反対する普遍主義者であると主張することが多い。彼らは自らを市民権の主体であると考えている。


③また、その特徴を、次のように説明する。特に、日本という国のあり方について。


 彼らは自ら享受している諸権利が、本来なら万人に保障される基本権であるにもかかわらず、近代国民国家においては、「国民」であることを条件に保障される一種の特権となっているという現実をなかなか認めようとはしない。国民主義者は、自らの特権には無自覚であり、その特権の歴史的由来には目をふさごうとする傾向を持つ。したがって国民主義者は「外国人」の無権利状態や自国による植民地支配の歴史的責任という問題については鈍感であるか、意図的に冷淡である。この点で、「国民主義」は、一定の条件のもとで排他的な「国家主義」とも共犯関係をむすぶことになる。
 このような「国家主義」的心性は、近代国家の国民であれば多かれ少なかれ共有しているだろうが、日本の場合は、旧植民地宗主国であり、かつ第二次世界大戦の敗戦国でありながら、ドイツの場合とは異なり、植民地支配や侵略戦争の歴史的責任を取ろうとしないまま現在に至ったという特徴がある。


④こうした特徴を持ってきた日本人は、植民地主義を問題にすることはほとんどないのではないか。日本人の「植民地支配責任論」に疎い状況を、徐は、このように説明する。


 日本国民の多くは、第二次世界大戦における敗戦を、中国をはじめとする被侵略諸民族に対する敗北としてでなく、強大な軍事力を持つ米国に対する敗北として意識している。彼らは「アメリカに敗北した」と思っているのであり、「中国をはじめとする被侵略民族の頑強な抵抗に敗北した」という認識はきわめて希薄である。したがって、戦後日本における「戦争責任」論議は、自国の行った戦争は不当かつ侵略戦争であったという認識と反省を深めることができず、むしろ戦争中に繰り広げられた個々の行為の違法性や責任の有無という範囲に(それすらも不充分にであるが)局限されてきた。
 このような傾向は、「戦争責任」論から植民地支配責任という視点が欠落している点によく現れている。


⑤徐は、現在の「慰安婦問題」についても、「国民主義」との関係として明確に示す。


 「慰安被問題」を、法が禁じている戦時の犯罪行為に違反しているかどうかという狭義の「戦争責任」論の枠内でのみ論じていては真の解決は望めない。なぜなら、「慰安婦」制度は植民地支配と深く結びついた性奴隷制度であり、その真相解明には、植民地支配そのものの責任を問う視点が不可欠であるからだ。しかし、日本では、一切の責任を否認する右派や極右派は別としても、国内の多数が、可能な限りこうした問題を戦時の犯罪行為という狭い枠内に閉じ込めておこうとする傾向を見せている。それは、意識的にであれ無意識的であれ、前記した「国民主義」に根ざした、植民地支配責任を回避しようとする欲求の現れでといえよう。


⑥徐は、「では、何故こうしたことが起きるのか」について、日本の構造問題として、次のように説明する。


 慰安婦問題や強制動員・強制労働など、国家や危機が行った個々の行為の土台に植民地支配が存在し、それ自体が違法であるとする主張は今日まで、「植民地支配が開始された当時の法はそれを禁じていなかった」等の理由でまともに採り上げられてこなかった。しかし、そうした「当時の法」そのものが、実は当時国際社会を形成していた帝国主義が被支配民族の主権をあらかじめ否認した上で定められたもものであり、植民地支配を受けた側はそうしたルール決定の過程そのものから排除されていたのである。


⑦こうして、徐は、日本という国が培ってきた国の有り様への認識について、その限界や問題点を指摘する。


 日本国民多数の認識は、「慰安婦」制度など個々の国家犯罪の反人権性は否定しないものの、戦争そのものや植民地支配そのものを根本的に否定するという水準には達していなかった。そして、そのことは、今日も大きな変化がない。むしろこの間、露骨な国家主義的主張が拡散すると同時に、そうした右派的国家主義とは一線を画すリベラルな多数派の間にも、「日本だけではない」とか「いつの時代にもある」といったシニカルな相対主義、あるいは弱肉強食を当然視する新自由主義的イデオロギーが蔓延したことによって日本国民の認識水準はさらに低下している。
 
⑧続けて、徐は、こうした問題が、日本だけでなく世界で蔓延している原因を指摘する。


 世界的に見ても、かって植民地支配を受けた地域の人々からの謝罪や補償を要求する声は、長年にわたり黙殺されてきた。これは全世界的に帝国主義支配がまだ終わっていないことを意味する。植民地支配責任の否定という防御戦は、いわゆる先進国(旧植民地宗主国)が国際的に連携して張っている共同の防御戦であるといえる。


⑨徐は、こうした中だからこそ今、「慰安婦」問題をはじめとする朝鮮植民地支配の精算を日本に求めることは、「帝国主義支配と植民地支配の精算を求める全世界的な潮流に合致する普遍的な意義を持つのである。」、と位置づけるのである。


(2)「道義的責任」
①徐は、「道義的責任」というレトリックで、日本の有り様をを切ってみせる。
 まず、それは、「『植民地支配責任の回避』という先進国共通の防御戦を守るために煩雑に使用されたレトリックが『道義的責任』である。」と説明する。
 このことを日本の問題に当てはめて次のように説明する。


 日本政府が「植民地支配」の事実をしぶしぶ認めたのは敗戦から五〇年を経た一九九五年のことである。・・・。しかし、談話発表の記者会見で村山首相は、天皇の戦争責任があると思うかという質問に対して「それは、ない」と一言で否定した。また、いわゆる韓国「併合」条約は「道義的には不当であった」と認めつつ、法的に不当であったということは認めず従来の日本政府の見解を固守したのである。この線、すなわち「象徴天皇制」と呼ばれる戦後天皇制を守護し、植民地支配の「法的責任」を否定すること、相互に深く関連するこの二つの砦を死守するために防御戦を当時の日本政府は引いたのだといえる。


②続けて、徐はこの問題を世界に広げて検証する。


 二〇〇一年のダーバン会議において、初めて、奴隷制度と奴隷貿易に対する補償要求がカリブ海諸国とアフリカ諸国から提起された。しかし、欧米諸国はこれに激しく反発し、かろうじて「道義的責任」を認めたが、「法的責任」は断固として認めなかったのである。その結果、ダーバン会議の宣言には奴隷制度と奴隷貿易が「人道に対する罪」であることは明記されたが、これに対する「補償の義務」は盛り込まれなかった。欧米諸国が法的責任を否認する論拠は、「法律なければ犯罪なし」とする罪刑法定主義の原則であり、奴隷制は現代の尺度から見れば「人道に対する罪」に該当するかもしれないが、当時は合法だった、という論法である。
 

③徐は、こうした日本や世界の状況を、「道義的責任」というレトリックというくくりの中で、「道義」という概念の定義をめぐる反植民地闘争にあると、見抜く。


 どこまでも植民地支配責任を回避しようとし、そして、それができない場合でも、「法的責任」を否定して「道義的責任」の水準に止めようとという、先進国(旧植民地宗主国)の共同防御戦がはっきりと見て取れるのである。
 もちろん、このようなレトリックは「同義」という言葉の本来の意味を否定する、意図的な御用でしかない。「法」が未整備であった状況での犯罪、あるいは「法」の主体となることを歴史的に否定されてきた人々に対する犯罪、これら現存する「法」の範囲を超える犯罪の責任を問い、補償を行っていくためにこそ、「法」の上位概念としての「道義」が問題となるのである。そして、場合によっては、このような「道義」の認識にもとづいて新たな立法が行われ、「道義的責任論」が新たな「法的責任」を生みだすことにつながる。・・・。
 いうならば旧植民地宗主国とその国民の多数派は「道義的」という言葉を責任回避のレトリックとして用い、旧被支配民族はあらたな法的責任の源泉として用いようとしているのである。ここに、「道義」という概念の定義をめぐる反植民地闘争が繰り広げられているともいえる。

(3)「記憶のエスカレーション」
①徐は、「記憶のエスカレーション」を、次の文脈で説明する。


 私はかって日本人マジョリティの国民主義的心性の重要な特徴である「先の世代が侵した罪の責任を後の世代である自分たちに問われることへの反発」という心理について述べたことがある。
 何か迷惑をかけたことがあったとしても、それはすべて過ぎた昔のことであり、先の世代が行ったことである。自分対にその責任の帳尻をまわされるのは迷惑だ。アジアの被害民族がそれを執拗に問題にするのは過去に執着する民族性、豊かな日本人へのひがみ、あるいはナショナリズムにもとづく対抗意識などのせいだ。-このような言説に傾く心性を、必ずしも若者に限らず、日本国民の多くが共有している。


②徐は、このことについて、「実はこうした現象も、日本人に限ったことではなく、むしろ九〇年代以降の文脈の中で世界的な広がりを持っている。」、と指摘する。
 また、次のように続ける。


 二〇〇一年のダーバン会議は、ナチズムによるジェノサイドを経験して「人道に対する罪」という概念を生みだした欧米諸国が、同じ基準を自らが行った奴隷制、植民地支配に当てはめる可能性を初めて公的に論じた場所だった。しかし、イスラエルと米国は退席し、欧米諸国はすでに述べたように「道義的責任」という防御戦に立てこもった。
 この会議の閉会から三日後、いわゆる「9.11」事件が起きた。それはまるで、ダーバン会議を見て、植民地支配責任と補償の問題を平和的な対話を通じて解決してゆく可能性に絶望したものによる、欧米諸国への応答のようにも見える出来事だった。
 しかし、その後の世界では、和解を妨げているのは責任を回避しようとする加害者の側ではなく、むしろ被害者の側であるかのような本末転倒した言説が拡散した。「和解」というレトリックを用いて被害者側に既成事実への屈服を強いる圧力が強まり、これを批判したり、これに抵抗する者たちには「原理主義者」「倫理主義者」「過激派」「ナショナリスト」「テロリスト」といったレッテルが貼り付けられるのが常である。
 

③さらに、徐は、「和解という名の暴力」の実態を暴く。


 九〇年代の前半、それまで口を閉ざされていた植民地支配の被害者証人たちが次々と現れ、それの呼応して日本国内にも戦争責任を問う人々の運動が起こってきたとき、私はそれを「証言の時代」と呼んだ。それは日本社会において、国民の多数が課外の責任と向き合い、被害者たちとの対話を通じて過去を克服していく好機であるはずであった。もちろん右派からの強硬な巻き返しはあったものの、それとの闘いを通じて被害者たちと真に和解する未来へと進んで行くことのできる好機を日本国民は迎えたのである。しかし、実際には、社会全般の右傾化とともに、歴史問題においても実際に教科書の慰安婦問題関連記述が激減するなど、九〇何代半ば以降、日本社会は反動の時代に突入した。そのような状況のなかで、日本植民地支配の被害者たちは右派や歴史修正主義からの暴力だけでなく、中間派マジョリティからの「和解という名の暴力」にまでさらされている。


④徐は、日本の現状を、次のように言い当てる。


 私はかって、日本において戦争責任および植民地支配責任問題がほとんど解決しないのは、「『他者』に対する『日本人としての責任』を自覚的に担おうとする人々と、『他者』を黙殺して自己愛に終始しようとする人々との対立のせいであり、日本では前者が極端に少数かつ脆弱であり、後者が依然として社会の中枢を占め続けているという単純な事実」のせいであると論じた。それがすでに一二年前のことだが、今日なお問題はほとんど解決していない。


⑤さて、徐は、天皇訪韓問題について、ここでこのようにまとめるている。現在の日韓両国の政府の現状をつぶさに見たとき、やはりきちんと押さえておく必要がある。、


 かっての植民地支配は日本の天皇制という制度によって行われたのであり、朝鮮総督は天皇に「直隷」していた。朝鮮植民地支配の最高責任者は天皇であった。朝鮮植民地支配を根本的に克服するということは、天皇制そのものを克服することと同義である。にも関わらず日本敗戦後、天皇の「威光」を利用して戦後日本を間接支配しようとする連合国の意向もあって天皇制は生き延びた。戦後天皇制は植民地支配との絶縁の上に成立しているのではなく、戦前の天皇制の延長として存在するのである。一九三〇年代後半に朝鮮総督府は、朝鮮人への徴兵制実施と天皇の朝鮮行幸実現を目標に「皇民化政策」を推進した。しかし、ついに天皇行幸は実現できなかったのである。それは植民地支配への朝鮮人民の抵抗がそれだけ粘り強いものであったことの証左であろう。
 私は現行憲法の第一条(象徴天皇制)に反対である。日本国民自身が自らの手で天皇制を廃止すべきであり、それが、侵略戦争に終始した日本の近代と決別し日本人自身を解放するためにも必要なプロセスだと考えるからだ。しかし、そのことを措いて現行憲法に照らして見た場合でも、それは天皇の政治的利用の最悪のケースといえるだろう。現行憲法上でも天皇は元首ではない。日本国家と国民を代表し得ないはずの存在なのである。国家としての謝罪の意は国会決議を経て、内閣総理大臣によって公式に表明されるべきものだ。 日本の天皇を「和解と平和の使徒」に仕立て上げて植民地支配の責任を曖昧にし、旧植民地人民を「慰撫」する役割を演じさせることは、過去の克服ではなく、克服されるべき過去をまたしても延命させることでしかない。そのことを韓国政府が推進しようとするのは天皇を利用して自らの威信を高め国民統合をはかるためである。日本と韓国のいずれの国民も、そんなことに手を貸してはならない。 


(4)「和解という名の暴力」-その流通と消費のなかで、徐の日本知識人への次の指摘が、重要となる。
 なお、その他の事項は、今回は省略する。


 彼らは右派の露骨な国家主義には反対であり、自らを非合理的で狂信的な右派からは区別される理性的な民主主義者であると自任している。しかし、それと同時に、北海道、沖縄、台湾、朝鮮、そして満州国と植民地支配を拡大することによって近代史の全課程を通じて書くとされた日本国民の国民的特権を脅かされることに不安を感じているのである。 植民地支配による資源の略取や労働力の搾取を通じて蓄積された巨大な富が日本国民の経済生活や文化生活を潤してきた。日本敗戦(朝鮮開放)後、在日朝鮮人の日本国籍を一方的に剥奪したことだけをみても、植民地支配によって蓄積した冨を日本国民が排他的に占有してきたことは明らかだ。まして、被害者側からの補償要求にも誠実に応えてこなかったのである。



 最後に、「和解という名の暴力」に対して、徐の「あらゆる意味で、被害者が《傷を受ける前の平和な状態》に戻ることはもはや不可能である。」との指摘が、対抗軸となる。 
 このことが、すべての出発点になるはずである。
 この本の徐の論点を見ながら、一方では、沖縄問題に通ずるものを深く自覚している。


by asyagi-df-2014 | 2016-03-16 06:02 | 本等からのもの | Comments(0)

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