本からのもの-十字架のある風景
2015年 12月 10日
著書名;十字架のある風景
著作者:崔 善愛
出版社;いのちのことば社
この本は、本の中で紹介されている方から頂いたものです。
こうして、実際にその名前を見ると、あらためて、その方の歴史を見る思いがします。
崔善愛(以下、崔とする)さんが掲示した小倉の十字架のある町と記された地図に、自分が小倉に住んでいた4年間と、それ以後のこれまでの時間のあり方に、懐かしさというよりは、自分の不甲斐なさを感じてしまいます。
地図にあって知らなかったもの、それは、小倉の入国管理局です。
実は、学生時代に父親の崔昌華さんには、指紋押捺拒否についての講演を一度だけ受けたことがあったのですが、本当の意味で、その歴史と苦悩を理解していなかったことを気づかされました。
私が見ていたものは、ひとりよがりが気ままな気分で作った小さな地図でした。
詩人・塔和子さんの墓標に本名が刻まれたことを、この本で知りました。
崔は、塔和子の詩「名前」とともに、こう記しています。
彼女、彼らは、ハンセン病にかかったことよりも、その病気によって差別され、隔離され、閉じ込められ、忘れ去られ、理解されないことを泣いたのだろう。そのような時間をくり返した彼女の言葉は、泣きやんだあとの脱力感のようなものを感じさせる。
泣いても、訴えても、なにも変わらない-それこそが悲しみなのだ。
この言葉を通して、崔の闘いに、崔の悲しみがあることを感じます。
崔は、今の日本姿をこのように描きます。
数年前、次女が中学生だったとき、朝、「すごく怖い夢を見た」というので、「どんな夢だったの?」と尋ねると-
「学校でね、」『この中に朝鮮人がいる。探し出せ』と言う先生がいたの。そんな放送が流れて、友だちも先生も血眼になって私を探すんだよ。ずっと逃げまわって・・・・・・大変だった」と言う。
私は驚いた。彼女の心の中に、在日であることの恐怖があると初めて気づいたのだ。ひとつ、思い当たる出来事があった。
最寄りの駅の階段下に、一週間ほど毛筆で書かれた看板があった。「在日韓国朝鮮人の参政権を許さない集会」。会場は自宅から歩いて行けるほど近所だった。「同じ町内でこんな集会を開いているなんて・・・・・。どんな人が集まるんだろう?」と思いながら、だまってその看板の横を通り過ぎた。
娘は毎日、学校に行くときその看板を見ていた。あの看板が彼女の潜在意識に入り、その夢を見たのではないか。
もし在日だということがわかれば、どんな目にあうか・・・・・。そんな恐怖を、全国で行われているヘイトスピーチを耳にした子どもたちは潜在的に覚えているに違いない。
息を殺し、周りの目におびえながら自分を隠す。それは百年前の日本を思わせる。
テレビの画面や新聞で聞く差別的な(他民族を攻撃する)発言は、遠い世界のことではなく、もう自分の家の近くまで来ている。
そして、もはや、ここまできているのではないかと。
ジャーナリストで日本人の友人までも、「崔さん、オーストラリアあたるに亡命の準備をした方がいい。この国は、思ったよりも早くに戦争状態になるだろうから。排外主義は激化すると思う」と心配する。
カナダへの移住を決意した友人は、大学時代からの付き合いで、合えば在日であることの悲哀を心おきなく語り合えた最初の人だった。つい先日も、お茶を飲みながら、「いよいよ(命の)危険を感じたら、カナダに一時避難しておいで」と言ってくれたが、切なくて何も言えず、なぜか中野重治の「雨の降る品川駅」の詩が浮かんでは消えた。
崔は、自らの心根を次のように示す。
私は演奏する音に、その人たちの声を刻もう。
朝露のように輝く良心のしずくを、すくい取れるような人間でありたい。
私は、崔がポ-ランドで聞いた、「人間として」という言葉を、崔の文章から、受け取っている。