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本からのもの-「沖縄の自己決定権」


著書名;沖縄の自己決定権
著作者;琉球新報社 新垣 毅
出版社;高文研


 「Ⅰ章、Ⅱ章関連=略年表」の事実が、現在の沖縄の状況、日本の状況を如実に語っている、と新垣は指摘する。
 これを書き出してみる。

・1854   琉米修好条約締結
・1855   琉仏修好条約締結
・1859   琉欄修好条約締結
・1879   松田、武装警官160人余、鎮台兵400人を引き連れて3度目の来琉。「処分」を断行、首里城明け渡しを迫る。


 この米仏欄との修好条約が、また「琉球処分」が、どのような位置づけや意味づけを持っているのかについて理解することが、沖縄の自己決定権を捉える指標となる。
例えば、大城立裕の言葉を引く。

「『琉球処分』は日本政府からの言い分であり、客観的に見ると日本国による極めて暴力的な琉球王国の併合だ。半面、ウチナンチュ-は昔から日本への同化の機会が四度あった。(この同化の失敗について問われて)失敗の原因は、沖縄差別であり、今も続く日本の帝国主義だ。沖縄を国防の前線としてしか認めていない。ただ、沖縄にとって不幸なのは、沖縄の生活文化の中に、日本についていこうという習慣がある。この矛盾だ。潜在意識には同化思考がある。」

 確かに、大城のこの言葉は、沖縄と日本の関係を言い当てている。
 また、この同化ということについては、「民衆にまで浸透した同化思考は、『天皇陛下万歳』と叫び『立派な日本人』として死ぬ、沖縄戦の戦場動員へとつながっていく。」、と新垣は指摘する。
 こうした状況を踏まえて、「沖縄の自己決定権」を考える上で、「琉球処分」について正しく捉え直すことが重要であるとする。
 なぜなら、「『琉球処分』は『不正』という認識は、沖縄の自己決定権追及の重要な根拠となりうる。」から、と説明する、
 この「不正」の根拠を新垣は次のように上げる。

①「だが、政府は、一八七二年にでっち上げた、天皇による”抜き打ち疑似冊封の君臣関係”を根拠に琉球国の権限放棄を命じ、それに従わなかったことを理由に武力で威嚇し、琉球国をつぶしたのだった。」
②「『琉球処分』という言葉は、でっちあげた天皇との”君臣関係”を根拠にしている。中国との外交禁止や裁判権移譲などに従わず『天皇の命令に背いた』として、一方的に罪を琉球にかぶせ、王国を葬り去る政府の意図が、『処分』の二字に含まれている。」
③「明治政府はあえて、『処分』という言葉を使い続けた。琉球併合を国内問題に矮小化し覆い隠す姿勢がそこに表れていた。政府の姿勢は、琉球併合の国際法上の位置づけなどについて説明責任を果たさない今も変わらない。『琉球処分』『頑固党』『脱清人』などの言葉を『処分官』の目線で無批判に使うことへの検証が求められている。」
④「日本政府は、『廃藩置県』からまだ約1年しかたたないのに『琉球はわが所属』とする『廃藩置県』の前提をみずから覆し、中国市場からの利益と引き換えに琉球の一部である宮古・八重山を中国に引き渡す案を提起したのだ。」
⑤「沖縄県は一九二〇年代まで、政府の補助金よりも多くの税金を納めた。例えば、一九二一年(大正一〇年)は補助金191万円に対し、納めた税金は743万円だった。」
⑥「本土では、一八九〇年(明治23)に府県制が公布され、同時に第1回衆議院選挙が実施されたが、沖縄での府県制施行は一九〇九(明治42)年で、最初の衆議院選挙は一九一二年だった。」

 これに加えて、「琉球処分」の「不正」を国際法の観点から追及し、その結論を次のように展開する。

「一八七九年の『琉球処分』について、今日の国際法研究者は、琉球国が米国など三カ国と結んだ修好条約を根拠に『国際法に照らして不正だ』との見解を示している。研究者は三条約締結の事実から『琉球は国際法上の主体であり、日本の一部ではなかった』と指摘する。その琉球に対し、軍隊や警察が首里城を包囲し、『沖縄県設置』への同意尚泰王に迫った日本政府の行為は、当時の慣習国際法が禁じた『国の代表者への強制』に当たるという。しかも、慣習法を成文化したウィ-ン条約法条約51条を基に、現在からさかのぼって主権=自己決定権の保障を要求できるというものだ。」

 つまり、「国際法の研究者は、米仏欄の三国と結んだ修好条約を根拠に、国際法に照らして不正との見解を出しており、ウィ-ン条約法条約51条を基に現在からさかのぼって主権=自己決定権の保障を要求できる」、と新垣は沖縄の自己決定権の根拠を明確にする。
 また、「国際法に違反した国家は、違反行為の停止、真相究明、謝罪、金銭賠償などの義務を負う。琉球併合の場合は『自己決定権の行使を沖縄に保障するなどの観点から、今日的議論につなげられる』」、とも評価している。
 琉球新報は2014年5月に、このことについて外務省に質問書を出している。
政府の回答は、「『琉球処分』の意味するところについては、さまざまな見解があり、確立した定義があるとは承知しておらず、外務省として確定的なことを述べるのは困難である。」、であった。琉球新報は、「曖昧模糊とした回答だったが、明確に否定もしなかった。」、と分析する。
 なお、この米仏欄の三国と結んだ修好条約の原本は日本政府は没収し、現在、外務省が保持している。これに関連して、2013年6月12日那覇市議会で平良識子市議は、「本来ならば沖縄が所有すべきだ」と那覇市に条約返還を国に求めるよう要求し、その後も返還を求める声を上げ続けている。
 元外務相勤務の佐藤勝は「琉球が国際法の主体だったのは間違いない。そうでないと条約を結べない。フランス、オランダとも条約を結んだ。琉球が国際法の主体と認められていたことが重要だ。ならば今、東京の外交史料館に原本があるのか。政府は説明責任がある。」、と指摘している。
この問題は、さらに、「アジア史研究では、『韓国併合』と『琉球併合』の様相は近似しいるとの指摘がある。どちらの『併合』も伊藤博文が主導した。」、と展開されていく。 このことの追及、植民地主義の克服が、今後、より一層重要になってくる。
これについては、上村英明の次の指摘が参考になる。


「韓国の研究者や政府も51条に照らして韓国併合条約は無効だと主張している。日本政府はそれを認めていない。琉球の場合、無効か有効化の議論よりも、併合の構造が米軍基地問題など、現在の権利侵害に直結していることが重要だ。米国は琉球を国際法の主体と認識し条約を締結し、批准した。日本の武力併合に『おかしい』と言うべきだった。琉球人が、『米国はなぜ不正義の上に権利を確保しているのか』と国際社会に訴えてもおかしくない。」


 Ⅳ章「自己決定家確立へ向かう世界の潮流」と、Ⅴ章「『自治』実現への構想」については、非常に参考になるものを、書き出してみた。

 まずは、「2 非核非武装の独立国・パラオ」から、パラオ自治政府が1981年に施行した憲法第13条について。

①「戦争に使用するための核兵器、化学兵器、ガズもしくは生物兵器、原子力発電所やそこから生じる核廃棄物のような有害物質は、国民投票数の4分の3以上の承認がなければ、パラオ領域内で使用し、実験し、処理してはならない。」
② 次に、非核憲法派の指導者のベラ・サクマさんの「太平洋で同じ船に乗っている」という言葉。
③「子どもや家族、生活を守るには自己決定権が必要だ。パラオは小さいが独立し、大国と同じ権利を持つ国連の一員だ。時代は変わり、、国は互いに自己決定権を尊重し合う時代だ。非武装でもやっていける。」
④「ジュゴンがいるのは太平洋では沖縄とパラオだけだ。海はつながっている。太平洋で同じ船に乗っている。一緒に闘いを続けよう。」

 また、パラオの闘いの歴史と現状について、次のように紹介する。

「島の苦しい経験があった。他国による占領。戦争、マーシャル諸島の核実験に、住民は傷ついた。さらに、『動物園政策』と呼ばれた米国の支配が続いた。太平洋戦争後、米国はミクロネシア地域への出入りを行政官などに限定し、経済活動を徹底管理したのである。この状況を脱しようと、パラオの人びとはを求めた。92%高支持率で憲法を承認し、米国による国連信託統治の下、一九八一年に自治政府を勝ち取る。サクマさんは、この歴史の教訓が刻印されている憲法は『パラオ人の精神的支柱だ』と強調する。パラオは非核・非武装憲法を維持したまま、独立を果たす。現在は、米軍の施設は事務所や住宅が数棟だけの小規模施設が1つあるだけだ。実戦部隊はいない。協定で演習場で合意した地域も使われていない。」 

 このパラオの実践は、沖縄の現実を、「パラオ人には、島は家(ホーム)だという精神がある。米軍基地や核はホームを破壊する。日本や米国は私らを『守ってあげる』という口実で勝手に島を使っただけで、多くの被害をもたらした」という言葉として、あたかも告発しているように読み取れる。

 一九八九年のスイスでの国の非武装化の賛否を問う国民投票の指導者であったクリストフ・バルビー弁護士のじっくり噛み締めたい次の言葉。

「軍隊を捨てるというのは、権利を諦めることではない。創造的、人道的な解決法があるのを示すことだ。暴力のない世界をつくることは可能だ。」 

 北海道大公共政策大学院院長の山崎幹根教授の日本の地域民主主義への提言。
 この言葉は、辺野古新基地建設や東村高江の米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設の問題点を端的に説明する。

「国策によるアメとムチで地方に自発的服従を強い、中央各省の裁量の範囲で部分的に分権や特区を認める手法はもう限界だ。」

 中国新華社の2014年11月の沖縄知事選挙の記事。「中国脅威論」へのもう一つの提示。

「知事選は本質的には県民が自己決定権を追求する闘いだった。県民は沖縄の発展の道を選択する権利があるか否か、あるいは東京の決定に従うしかないのか、沖縄の長期にわたる大衆運動には、こうした人権、自治権、自主権への要求に終始貫かれている」


 最後に、新垣は、「沖縄の民意が日本政府に無視され続けている中、日本の国民世論の喚起はもとより、国際世論の喚起が事態打開の鍵を握る。沖縄の自己決定権が保障されるよう粘り強く主張し続け、国連などに訴えていくことが課題となっている。」とまとめている。


by asyagi-df-2014 | 2015-10-20 05:30 | 本等からのもの | Comments(0)

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