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鹿児島地方裁判所川内原発第1号機、2号機再稼働差止仮処分決定に強く抗議する

2015年4月22日の脱原発弁護団全国連絡会の抗議声明を基に、この鹿児島地方裁判所の判断を考える。
 最も愁眉なのは、この抗議声明の中でも、指摘している次の事項である。


「本決定は、その結論において、不可解な判示を行っている。住民の訴えを却下する判断を示した後に、『地震や火山活動等の自然現象も十分に解明されているものではなく、債務者や原子力規制委員会が前提としている地震や火山活動に対する理解が実態とかい離している可能性が全くないとは言い切れないし、確率論的安全評価の手法にも不確定な要素が含まれていることは否定できないのであって、債権者らが主張するように更に厳しい基準で原子炉施設の安全性を審査すべきであるという考え方も成り立ち得ないものではない。したがって、今後、原子炉施設について更に厳しい安全性を求めるという社会的合意が形成されたと認められる場合においては、そうした安全性のレベルを基に周辺住民の人格的利益の侵害又はそのおそれの有無を判断すべきこととなるものと考えられる。』としているのである。
 自らの判断に対する自信のなさを、これほどあからさまに表現した決定があっただろうか。しかし、裁判所はこのような薄弱な根拠で川内原発の再稼働を認めてしまったのである。このような判示は裁判官の責任逃れのための言い訳と気休めというべきものであり、事故防止のためには何の役にも立たないだろう。川内原発の再稼働によって、次なる過酷事故が発生した場合には、電力会社や国だけでなく、裁判官もまた同罪であるといわなければならない。」


 確かに、この「今後、原子炉施設について更に厳しい安全性を求めるという社会的合意が形成されたと認められる場合においては、そうした安全性のレベルを基に周辺住民の人格的利益の侵害又はそのおそれの有無を判断すべきこととなるものと考えられる。」という裁判官の判断は、「3.11」を正当に理解した上でのものではないし、まさしく逃げでしかない。
 川内原発の再稼働によって過酷事故が発生した場合には、「電力会社や国だけでなく、裁判官もまた同罪であるといわなければならない。」という次元で許される問題ではない。

 やはり、川内原発をはじめとするすべての原発の再稼働をさせてはいけない。

 以下、 脱原発弁護団全国連絡会の抗議声明の引用。








司法機関の住民の安全を守る責務を放棄した鹿児島地方裁判所川内原発第1号機、2号機再稼働差止仮処分決定に強く抗議する

2015年4月22日

裁判所の権力迎合の態度に抗議する


4月14日の福井地裁の高浜原発差止決定に続き、川内原発の再稼働差止の決定が期待されていたが、4月22日、鹿児島地方裁判所は、川内原発1、2号機について再稼働の差止を求める仮処分申立てを却下した。私たちも、裁判所の審理の姿勢から良い決定が出されるのではないかと期待していたこともあり、却下決定は意外なものであった。

人権の砦として国民の人格権を守るという司法の責務を負いながら、数々の電力会社と国の説明の不合理をみとめながら、再稼働を認めないという当然の司法判断を示すことができなかった裁判官に対して、その行政への迎合と臆病な態度を、我々は強く非難しなければならない。

本決定は、まず立証責任の分配において、「まずは電力会社の側で、新規制基準の内容及び原子力規制委員会による新規制基準への適合性判断に不合理な点のないことを相当の根拠を示し、かつ、必要な資料を提出して主張疎明する必要があり、債務者が主張疎明を尽くした場合、住民側で、原子炉施設の安全性に欠ける点があり、その生命、身体等の人格的利益の侵害又はそのおそれがあることについて、主張疎明をしなければならない。」としている。そして、これは行政の適合性審査の判断がなされた場合、これを否定し、過酷事故発生の蓋然性についてまで高度の立証を住民側に求めるものであって、批判の強かった浜岡原発訴訟の静岡地裁決定と同様の立場である。

破綻している安全目標=確率論的安全評価に依拠した誤り

本決定は、原子力規制委員会が作成した安全目標(セシウム137の放出量が100Tbqを超えるような事故の発生頻度を10-6/年程度を超えないように抑制する)が達成される場合には、健康被害につながる程度の放射性物質の放出を伴うような重大事故発生の危険性を社会通念上無視しうる程度に小さなものに保つことができると解するのが相当であり、この安全目標に照らして新規制基準の内容及び新規制基準への適合性判断に不合理な点があるか否かという観点から仮処分の審理判断をするべきであるとしている。この論理が決定の骨格となっているものと評価できる。しかし、

①安全目標は意図的に基準ではなく目標と位置付けられている。従って、当該原発が、セシウム137の放出量が100Tbqを超えるような事故の発生頻度を10-6/年としているか否かは検討内容ではなく、それ以上の発生頻度であっても設置許可されることになる。

②安全目標は基準ではないのでパブリックコメントにかけられていない。実際にも、基準類がパブリックコメントにかけられたのちに安全目標の議論が規制委員会でなされている。その作成過程は公正ではない。

このように手続的にも内容的にも基準としての資格のない安全目標を、基準の合理性判断の上位概念に位置づけて仮処分の判断をすることは、論理的にも間違っている。そもそも、この安全目標は、格納容器破損による放射能の放出事故の発生頻度を10-6/年とするものであるが、福島第一原発事故以前になされた確率的安全評価の誤りに関する納得のいく反省と検証がなされない現状では、全く空疎な内容であるといわなければならない。平成16年10月原子力安全保安院は全国の原発について、確率的安全評価に関する報告書を作成したが、その中で、福島第一原発1号炉の炉心損傷頻度は3.1×10-7/炉年  格納容器損傷頻度は1.0×10-8/炉年とされ、それを妥当と評価していた。このいい加減な確率的安全評価が何故なされたかが明らかにされない限り、100Tbqを超えるような事故の発生頻度を10-6/年とする安全目標に何の現実的な意味もないことは明らかである。

そのような事実を知らずになされたと考えられる(この声明の最後に検討する、決定結論中の「確率論的安全評価の手法にも不確定な要素が含まれていることは否定できない」という判示を読むと、この事実を知りながらこじつけたようにもみえる)川内原発の仮処分決定の判断枠組みは、直ちに改められるべきである。

平均像で地震想定することを認めた裁判所

本決定の最大の欠陥は、福島第一原発事故のもたらした被害の現実を全く直視せず、耐震設計、とりわけ基準地震動の想定方法を改めなかった点である。

本決定は、争いのない事実として、福島第1原発において、「過酷事故によって大量の放射性物質の拡散と汚染水の海洋流出という未曾有の災害を引き起こした」としているが、多くの生命が失われ、国土が奪われた福島原発事故の被害をどこまで理解して書かれたのか疑問である。

そして、福島第一原発事故により、原発事故のもたらす甚大な人権侵害が明らかになったであるから、原発を再稼働するためには、極めて高い安全性が確保されなければならないことは自明のことであった。

にもかかわらず、本決定は、「地震発生のメカニズムについての知見(その地域ごとに発生する地震の様式、規模、頻度等に一定の傾向が認められる。)等に照らせば、このような地域的な傾向を考慮して平均像を用いた検討を行うことは相当であり、平均像の利用自体が新規制基準の不合理性を基礎付けることにはならない。」「平均像を導くための基礎データの中に平均像から大きくかい離した既往地震が含まれるとしても、その地域的な特性(震源特性、伝播経路特性、敷地地盤の特性)が本件敷地と大きく異なるのであれば、その既往地震を考慮しなくても不合理とはいえない。」としてしまった。

本決定は、この判示の前段では次のようにも述べていた。住民側「の主張するとおり、既往地震の観測記録を基礎とする平均像を用いて基準地震動を想定するに当たって、その基礎データ上、実際の地震動が平均像からどれだけかい離し、最大がどのような値となっているかを考慮した場合には、その考慮によってより安全側にたった基準地震動の想定が可能となるものと解される。・・・深刻な災害を引き起こすおそれがあることに鑑みれば、上記のような考え方を採用することは基本的に望ましいともいえる。」(129頁)。しかし、本決定は、地域特性の異なる既往地震は基準地震動策定の基礎とすべきことにはならないとしたのである。本決定が、大津と福井の決定と連動し、平均像からの最大のかい離はどれだけかを考慮すべきだという住民側の主張を基本的には認めたものといえる。

地域特性については、九州地方は引っ張りの応力場であり、正断層が卓越する地域という特殊性があり、正断層は、傾向としては地震動が小さくなるが、この点は他の地域のサイトに影響する論理ではない。

また、本決定は、震源を特定せず策定する地震動について、九州電力が主張するように付加的・補完的なものと位置付けることはできず、新たな知見が得られた場合に、これらの観測記録に基づいて「震源を特定せず策定する地震動」の評価を実施すべきであると述べた(148-151頁)。この判示は、住民らの主張を一部容れたものであるが、最終的にはそれが最新の知見であるから合理的であるかのような結論を導いている。最新の知見であっても、現時点で安全上問題があることを認めながら、再稼働を許した決定は不当の極みである。

不十分な耐震設計を安全余裕やシビアアクシデント対策によって補完するのは間違い

また、決定は、耐震設計においては、評価基準値が実際に建物等が壊れる限界値との関係で十分な余裕が確保されている、設計段階でも評価基準値に対して上限とならないように工学的な判断に基づく余裕が確保されているなどとした(153-155頁)。

しかし、耐震設計に当たって、このような「余裕」に依拠することが誤っていることは、高浜原発差止決定が次のように述べているところからも明らかである。

「一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの.余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。」

また、本決定は、「新規制基準に従い、重大事故が発生し得ることを前提とする安全対策(シビアアクシデント対策)として、保安設備の追加配備等の対策を行っている。これらの安全対策によっても地震に起因する事故により放射性物質が外部環境に放出されることを相当程度防ぐことができるというべきである。」として、この点も、耐震設計が厳密なものでなくても良い理由の一つとして援用している(155-156頁)。これも、多重防護の考え方の自己否定である。この点についても、高浜原発差止決定が次のようにのべているのが正しい。「多重防護とは堅固な第1陣が突破されたとしてもなお第2陣、第3陣が控えているという備えの在り方を指すと解されるのであって、第1陣の備えが貧弱なため、いきなり背水の陣となるような備えの在り方は多重防護の意義からはずれるものと思われる。」

破局噴火のリスクを無視した決定

南九州地方は、破局噴火を起こしたカルデラが数多く存在する地域であり、原発を設置する立地としては極めて不適切な場所である。九州電力は①カルデラ噴火は定期的な周期で発生するが現在はその周期にないこと、②破局的噴火に先行して発生するプリニー式噴火ステージの兆候がみられないこと、③カルデラ火山の地下浅部には大規模なマグマ溜まりはないことから、破局噴火が起こる可能性は十分に小さいことから立地に問題はないと主張していた。

本決定は、「原子力規制委員会は、本件原子炉施設に係る火山事象の影響評価についても、火山学の専門家の関与・協力を得ながら厳格かつ詳細な調査審議を行ったものと評価できるから・・・不合理な点は認められない」とするが、完全な事実誤認である。川内原発の火山影響の審査過程で、火山学者は誰も招聘されていない。火山影響評価ガイドをつくる段階で、一度だけ、火山学者が招聘されただけである。

本決定は、住民側の主張を容れ、長岡の噴火ステージ論とドルイット論文が一般理論のように依拠していることには強い批判があることは認めた。しかし、この批判が妥当するとしてもマグマだまりの状況等の知見、調査結果と総合考慮されるので、不合理とはいえないとしてしまった。現時点では、マグマだまりの状況を的確に調査する手法は確立されておらず、決定は事実誤認である。

火山学会の大勢は破局的噴火の活動可能性を認めている

また、本決定は、破局的噴火の活動可能性が十分に小さいといえないと考える火山学者が、一定数存在することを認めつつ、火山学会提言の中で、この点が特に言及されていないことから、火山学会の多数を占めるものではないなどと判示し、石原火山学会原子力問題委員会委員長が、適合性審査の判断に疑問が残ると述べたことを無視している。本決定は、他の箇所では「火山学者50人にアンケートを実施したところ、そのうち29人がカルデラ火山の破局的噴火によって本件原子炉施設が被害を受けるリスクがあると回答したとの報道がある」と認定しており、学会の多数が規制委員会の決定に疑問を呈していることは明らかである。

決定後のNHKの報道もこのことを裏付けている。火山噴火予知連絡会の会長で、東京大学の藤井敏嗣名誉教授は、「今回の決定では、火山による影響について、『国の新しい規制基準の内容に不合理な点は認められない』としている。しかし、現在の知見では破局的な噴火の発生は事前に把握することが難しいのに、新しい規制基準ではモニタリングを行うことでカルデラの破局的な噴火を予知できることを暗示するなど、不合理な点があることは火山学会の委員会でもすでに指摘しているとおりだ。また、火山活動による原発への影響の評価について、火山の専門家が詳細な検証や評価に関わったという話は聞いたことがない。」「カルデラ火山の破局的な噴火については、いつ発生するかは分からないものの、火山学者の多くは、間違いなく発生すると考えており、『可能性が十分に小さいとは言えないと考える火山学者が火山学会の多数を占めるものとまでは認められない』とする決定の内容は実態とは逆で、決定では破局的噴火の可能性が十分低いと認定する基準も提示されていない。火山による影響については、今回の判断は、九州電力側の主張をそのまま受け止めた内容で、しっかりとした検討がされていないのではないか。」と述べたという。決定内容は、明らかな事実誤認であり、抗告審でこの誤りは必ず正さなければならない。

実効性のない避難計画を一応の合理性があるとした決定

さらには、避難計画の不備についても、要支援者の避難計画は立てられておらず、鹿児島県知事自身も10㎞以遠の地域に関しては実効性のある避難計画を定めることは不可能であると自認しているレベルの避難計画であるにも拘わらず、避難計画に問題はないとしたのである。住民の生命身体の安全という、人格権の根幹部分を軽視した極めて不当な判断というほかない。

決定は事故のリスクを認めつつ、行政に追随している

このように、本決定は極めて不当なものである。福島原発事故後、昨年5月の大飯原発に関する福井地裁判決、11月の大飯・高浜原発に関する大津地裁仮処分(結論は却下であったが、実質的には新規制基準の不合理性を指摘している)、そして、今月14日に福井地裁で出された高浜原発3、4号機に関する福井地裁仮処分と、原発の危険性を指摘する良識的な司法判断の流れにも反する。

本決定は、その結論において、不可解な判示を行っている。住民の訴えを却下する判断を示した後に、「地震や火山活動等の自然現象も十分に解明されているものではなく、債務者や原子力規制委員会が前提としている地震や火山活動に対する理解が実態とかい離している可能性が全くないとは言い切れないし、確率論的安全評価の手法にも不確定な要素が含まれていることは否定できないのであって、債権者らが主張するように更に厳しい基準で原子炉施設の安全性を審査すべきであるという考え方も成り立ち得ないものではない。したがって、今後、原子炉施設について更に厳しい安全性を求めるという社会的合意が形成されたと認められる場合においては、そうした安全性のレベルを基に周辺住民の人格的利益の侵害又はそのおそれの有無を判断すべきこととなるものと考えられる。」としているのである。

自らの判断に対する自信のなさを、これほどあからさまに表現した決定があっただろうか。しかし、裁判所はこのような薄弱な根拠で川内原発の再稼働を認めてしまったのである。このような判示は裁判官の責任逃れのための言い訳と気休めというべきものであり、事故防止のためには何の役にも立たないだろう。川内原発の再稼働によって、次なる過酷事故が発生した場合には、電力会社や国だけでなく、裁判官もまた同罪であるといわなければならない。

今月14日に発せられた高浜原発差止決定に対しては、報道によれば、支持する人が65.7%と、支持しない人の22.5%を大きく上回っている。してみれば、高浜原発差止決定こそが、あらたな「社会的合意」となっており、国民世論に反する本件決定は、既に自らの論理によって無効なものとなっているといわなければならない。

すべての原発を止めるまで私たちの闘いは続く

脱原発弁護団全国連絡会は、今年7月にも迫っている川内原発の再稼働を阻止するため、本決定に対する即時抗告審の審理を全面的に支援するとともに、川内原発をはじめとするすべての原発の再稼働をさせないため、あらゆる法的手段を駆使して闘い続けることを宣言する。


脱原発弁護団全国連絡会
 共同代表 河合 弘之
 同    海渡 雄一


by asyagi-df-2014 | 2015-04-25 06:20 | 書くことから-原発 | Comments(0)

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