原発問題-川内原発再稼働を考える
2014年 11月 09日
県議会が再稼働を求める陳情を採択したことを受けて、鹿児島県の伊藤祐一郎知事は九州電力川内原発1、2号機の再稼働に同意した。
この再稼働について、2014年11月8日付の主立った新聞社の社説から、①指摘された問題点、②稼働判断の意義等、③各紙の主張に分けて考えてみる。
まず、再稼働の判断への各社の問題点については、次のようにまとめられる。
①指摘された問題点
・南日本新聞
「宮沢経産相が鹿児島県庁で『万一の事故の際は、国が関係法令に基づき責任をもって対処する』と語ったことも、知事や議会は大きく評価した。しかし、経産相の説明は、今年4月閣議決定した国のエネルギー基本計画の文言をなぞっただけである。再稼働を必要とする理由に挙げた中東の原油輸入の厳しさなどもそうだ。誠実さに欠ける説明で、重みも感じられない。」
「ひとたび過酷事故が起きれば、被災地になるというのに、国や関係機関の『お墨付き頼み』が過ぎはしないか。」
・東京新聞
「法的根拠はないものの、地元の同意が再稼働への最後の関門だとされている。第一に、地元とはどこなのか。伊藤知事は『県と(原発が立地する)薩摩川内市だけで十分』というのが、かねての持論である。『(原発による)苦労の度合いが違う』というのが理由である。気持ちはわからないでもない。」
「九州は、火山国日本を代表する火山地帯である。川内原発の近くには、カルデラ(陥没地帯)が五カ所ある。巨大噴火の痕跡だ。約四十キロ離れた姶良(あいら)カルデラの噴火では、原発の敷地内に火砕流が到達していた恐れがある。ところが規制委は、巨大噴火は予知できるという九州電力側の言い分を丸ごと受け入れてしまった。一方、「巨大噴火の予知は不可能」というのが、専門家である火山噴火予知連絡会の見解である。これほどの対立を残したままで、火山対策を含めて安全と言い切る規制委の判断は、本当に科学的だと言えるのか。適正な手続きと言えるのだろうか。三つ目は、避難計画の不備である。県の試算では、三十キロ圏内、九市町の住民が自動車で圏外へ出るだけで、三十時間近くかかってしまうという。入院患者や福祉施設の人々は、どうすればいいのだろうか。福島では、多くの要援護者が避難の際に命を落としているではないか。」
「知事の自信と現場の不安。ここにも深い溝を残したままである。」
「原発事故の被害は広い範囲にわたり、長期に及ぶというのも、福島の貴重な教訓である。」
・朝日新聞
「まず、避難計画だ。住民の安全に直結するものなのに、いまだに避難に必要なバスの確保や渋滞対策に見通しがつけられていない。いずれも、福島での事故の際に現場が最も混乱し、住民が危険にさらされた要因となった問題だ。」
「そもそも、原子力規制委員会の手続きが終わっていない。再稼働までには、審査書に基づく工事計画と保安規定の認可を受ける必要がある。それなのに、なぜ、これほど急いで同意を表明する必要があるのか。来春の県議選での争点化を避けようとしたとの見方もあり、十分な検討を尽くした結果なのか、疑問が残る。」
「私たちは再稼働を認めるにはいくつか条件があると主張してきた。特に、過酷事故が起きた時に住民の生命と健康を守ることは、地元の首長にとって絶対条件のはずだ。しかし、それに備えた避難計画は、要援護者への対応や、避難者の受け入れ体制などに不十分なところが残されている。計画を国が審査する体制もなく、実効性が担保されたとはいえない。このままでは事故時に混乱が避けられないのではないか。」
・毎日新聞
「そもそも、原子力規制委員会の手続きが終わっていない。再稼働までには、審査書に基づく工事計画と保安規定の認可を受ける必要がある。それなのに、なぜ、これほど急いで同意を表明する必要があるのか。来春の県議選での争点化を避けようとしたとの見方もあり、十分な検討を尽くした結果なのか、疑問が残る。」
「私たちは再稼働を認めるにはいくつか条件があると主張してきた。特に、過酷事故が起きた時に住民の生命と健康を守ることは、地元の首長にとって絶対条件のはずだ。しかし、それに備えた避難計画は、要援護者への対応や、避難者の受け入れ体制などに不十分なところが残されている。計画を国が審査する体制もなく、実効性が担保されたとはいえない。このままでは事故時に混乱が避けられないのではないか。」
・北海道新聞
「しかし、国も地元も手続きを急ぐあまり、重大事故が発生した際の対応については課題を置き去りにしたままである。住民の不安は脇に置いた同意は、拙速のそしりを免れまい。」
「最大の問題は住民の避難計画である。要援護者の避難や一斉に避難する際の渋滞対策などが依然として不十分だ。説明会でも住民から批判が相次いで出された。実効性ある避難計画は安全対策の肝だ。これを放置するというのは納得いかない。」
「宮沢洋一経済産業相は今月、伊藤知事に『万が一、事故が起きた場合、国が責任を持って対処する』と明言した。だが、具体的にどう責任を持つと言うのか。例えば火山対策だ。周辺に複数のカルデラ地形がある川内原発は噴火災害の危険性が心配される。規制委は九電の火山監視でも対応可能とする見解を示した。これに対し専門家から異論が出されている。御嶽山(おんたけさん)をみても、噴火の予知は極めて難しい。」
・河北新報
「安倍晋三首相や、原子力規制委員会の田中俊一委員長は過酷事故に対して「世界でもっとも厳しい」と評する新基準をクリアしたとするが、火山噴火の影響など原発の安全性や避難計画の不備といった防災への不安が解消されたわけではない。
先月あった審査結果についての住民説明会で、参加者から批判と反発の声が相次いだ。聞くにつけ、国、県、九電に不安を訴える住民に真摯(しんし)に向き合い、思いをくみ取る姿勢が十分だったとは言えそうにない。
事故の際、被害が及ぶ可能性がある原発の半径30キロ圏に位置し、避難計画の策定を求められながら、再稼働の地元同意をめぐり、蚊帳の外に置かれた近隣自治体の住民らの不満も強い。」
・秋田魁新報
「再稼働となれば、原子力規制委員会の新規制基準に適合した原発として初めてとなる。このまま再稼働させていいのか。ここは立ち止まってじっくり考えるべきだ。」
「策定済みの住民避難計画には不備が目立ち、避難用バスを十分に確保できるかどうか疑わしい。原発から半径10キロ圏外では、高齢者らの避難先が未定で弱者切り捨てとなりかねない。福島原発事故で住民らは放射性物質の脅威にさらされてパニックに陥った。川内原発で過酷事故が起きれば同じ状況になるのは目に見えている。にもかかわらず、避難計画は原子力規制委の審査対象になっておらず、実効性があるのか疑問だ。」
次に、②稼働判断の意義等についてであるが、ここでは、読売新聞だけである。
②稼働判断の意義等
・読売新聞
「川内原発の周辺自治体の一部は、自らの同意も必要だと主張している。伊藤知事が、九電と安全協定を結んでいる鹿児島県と薩摩川内市が同意すれば十分だ、と判断したのは妥当である。」
三点目の③各紙の主張は、次のものである。
③各紙の主張
・南日本新聞
「あれだけ過酷な原発事故の後である。知事も議会も難しい決断だっただろう。だが多くの疑問を残したままの見切り発車が、事故後の再稼働手続きにふさわしいモデルとなるかどうかは疑わしい。」
「福島原発事故での地域への被害拡大を思えば、少なくとも同意の範囲は、避難計画の作成を義務付けられた半径30キロ圏の自治体まで広げるべきである。」
「川内原発がこのまま再稼働したとしても、今後は廃炉に向けた備えこそ重要である。」
・東京新聞
「原発事故の被害は広い範囲にわたり、長期に及ぶというのも、福島の貴重な教訓である。」
「そもそも、新潟県の泉田裕彦知事が言うように、福島の事故原因は、まだ分かっていない。原因不明のまま動かすというのは、同じ事態が起き得るということであり、対策が取れないということだ。根拠のない自信によって立つ再稼働。3・11以前への回帰であり、安全神話の復活である。」
・朝日新聞
「全国では12原発18基が規制委の審査にかかっている。合格した原発はすべて再稼働するとしている安倍政権は、川内を今後のひな型と位置づける考えだ。しかし、川内原発の再稼働を巡る手続きを振り返ると、とてもこのままでいいとは考えられない。原発の過酷事故に対する備えが不十分なまま再稼働に進んでいるからだ。」
「むしろ国が立地地域に対して責任をもってやるべきことはほかにある。脱原発のための支援だ。安倍政権も原発依存の低減を掲げているではないか。立地自治体がおしなべて再稼働に前向きなのは、過疎化が進み、原発を受け入れて交付金や税収を得ることでしか『まち』を維持できないからだ。原発依存から脱していくためには、原発に頼らざるをえない現実を変えていく努力が欠かせない。当然、立地自治体だけでは解決できない難題であり、だからこそ今から取り組むことが必要であるはずだ。」
「原発政策には使用済み核燃料の貯蔵や放射性廃棄物の処分など、地域と全体が対立しかねない問題が山積している。」
「川内原発再稼働を巡る論議は、地域と国民全体の民意をどうすりあわせるのか、という問題を投げかけてもいる。」
・毎日新聞
「住民を危険にさらす過酷事故は起き得る。それが福島第1原発事故の教訓である。この教訓を軽視したまま、再稼働に向けた手続きが着々と進められていくことに大きな疑問を感じる。」
「もちろん、再稼働の責任は地元だけにあるわけではない。本来なら、政府が原発に頼らない社会をどう構築していくかの道筋をきちんと示した上で、個々の原発の再稼働の可否を判断すべきだ。こうした条件が整わないまま、なしくずしに再稼働の手続きを進めることは、拙速であり、見切り発車と言わざるを得ない。」
・読売新聞
「『原発ゼロ』にしっかり終止符を打ち、他の原発の再稼働を円滑に進めるモデルとしたい。九州電力川内原発1、2号機の再稼働に、鹿児島県の伊藤祐一郎知事が同意する考えを表明した。原発が立地する薩摩川内市長と市議会の同意に続いて、県議会も再稼働を求める陳情を、自民党などの賛成多数で採択した。伊藤知事の速やかな決断によって、年明けにも再稼働が実現する道筋がついた意義は大きい。」
「川内原発の再稼働にめどがついたことで、今後の焦点は関西電力高浜原発などに移る。
最も早い川内原発でさえ、安全審査の申請から地元同意まで1年4か月を要した。活断層などの評価を巡り、審査が遅々として進まない原発も少なくない。規制委は安全を大前提に、迅速な審査に努めてもらいたい。」
・北海道新聞
「川内原発の場合、安全対策はまだまだ不十分だ。再稼働は、そうした問題点を一つずつ解決してからでも遅くない」
・河北新報
「原発のリスクをゼロにはできないし、これで絶対安心ということもない。だからこそ、リスク回避に向けての徹底した取り組みが欠かせない。万一の際の『責任の所在』をはっきりさせておく必要もある。説明会では九電や規制委の担当者が答弁に窮したといい、住民らの不安は消えない。宮沢洋一経済産業相は「国の責任」を約束したが、一連の対応を見れば、極めて心もとない。『事故』と『被害』発生の両面でゼロを目指す努力を積み重ね、住民らの理解を深めていくことなしに、安定稼働はあり得ないことを肝に銘じるべきだ。」
「『福島の原発事故の全容も解明されていないのに、なぜ動かすのか』 福島県双葉町から鹿児島市に避難している自営業者は前のめりの対応が納得できない。多くはそれに似た思いではないか。」
「地域経済の活性化は住民の安全確保が大前提だ。再稼働への同意を『やむを得ないと判断した』知事はもとより、強く働き掛け誘導した国も、決断の責任から逃れられない。福島の事故の検証も終わっておらず、教訓を生かす課題も残る。被害実態を踏まえれば、同意を得る範囲を広げるべきだ。」
「再稼働は年明け以降の見通しだが、万一に備えた対策の、より一層の充実を図っていかなければならない。まずは何より、住民避難の実効性を高めることが肝要だ。あらゆる事態を想定し、被害回避に万全の備えを講じるべきだ。」
「手続きの終了はゴールではない。安全審査中の他の原発についても拙速は許されない。」
・秋田魁新報
「 ただ、過酷事故が絶対に起こらないという保証はない。原子力規制委も基準に適合したと判断する一方で、安全性を担保したものではないとする。つまり、事故は起きるという前提に立った対策でなければ、いざというときに役に立たない。」
「だが、過酷事故が起きれば周辺自治体も被害を受けるのは明らかであり、これら自治体の同意も必要だ。安倍政権は再稼働方針を掲げているにもかかわらず県に判断を押し付け、九電に再稼働させようというのか。このまま再稼働させることは、同意は立地自治体と都道府県だけで足り、避難計画や火山対策に不備があっても何ら問題はないと認めるに等しい。それは福島原発事故につながった『安全神話』の復活でしかない。」
以上が、各社の社説から受け取れるものである。
多くの新聞社がこの再稼働については、多くの疑問等を提示していることになる。
実は、7日の報道番組を見ながら、どうしても不信感をぬぐえなかったのが、知事のあの笑顔の理由についてである。
これについては、「知事の自信と現場の不安。ここにも深い溝を残したままである。」ということを、引き続き突きつけていくしかない。
また、「川内原発がこのまま再稼働したとしても、今後は廃炉に向けた備えこそ重要である」とういう南日本新聞の指摘は、今後の原発問題を考えていく上で重要である。
この川内原発の再稼働に向けての動きについては、朝日新聞の「川内原発再稼働を巡る論議は、地域と国民全体の民意をどうすりあわせるのか、という問題を投げかけてもいる。」ということを噛みしめる必要がある。
やはり、南日本新聞の「原発事故の被害は広い範囲にわたり、長期に及ぶというのも、福島の貴重な教訓である。」という主張は、「3.11」をどのように捉え克復していくのかというという考え方と重なるものであり、このことをすべての始まりとしなければならない。
以下、各紙社説の引用。
南日本新聞-川内再稼働同意 疑問を残したままの「見切り発車」だ-2014年11月8日
鹿児島県の伊藤祐一郎知事は九州電力川内原発1、2号機の再稼働に同意した。県議会が、再稼働を求める陳情を採択したことを受けての判断である。
東京電力福島第1原発事故が起きて以降、新規制基準に適合した原発の立地県の知事と議会が、再稼働に同意するのは初めてだ。予定通りなら川内原発は、年明け以降に再稼働する。
知事は同意について、「やむを得ないと判断した」と述べた。原発の必要性や安全性などで「政府の考えが明確に示された」とも説明した。
あれだけ過酷な原発事故の後である。知事も議会も難しい決断だっただろう。だが多くの疑問を残したままの見切り発車が、事故後の再稼働手続きにふさわしいモデルとなるかどうかは疑わしい。
知事が、再稼働に必要な同意を得る「地元」とする立地自治体の薩摩川内市と議会が賛成したのは先月下旬のことだ。それから10日後に知事と県議会が同意した。
同意にあたって、もっぱら強調されたのは「新規制基準に基づく原子力規制委員会の厳格な審査が行われた」「宮沢洋一経済産業相の文書で、エネルギー政策上の原発の必要性と川内原発の安全性の確保が明示された」などである。
ひとたび過酷事故が起きれば、被災地になるというのに、国や関係機関の「お墨付き頼み」が過ぎはしないか。
■不誠実な国の説明
宮沢経産相が鹿児島県庁で「万一の事故の際は、国が関係法令に基づき責任をもって対処する」と語ったことも、知事や議会は大きく評価した。
しかし、経産相の説明は、今年4月閣議決定した国のエネルギー基本計画の文言をなぞっただけである。再稼働を必要とする理由に挙げた中東の原油輸入の厳しさなどもそうだ。誠実さに欠ける説明で、重みも感じられない。
経産相はまた、再稼働で同意が必要な範囲について「それぞれの地域で事情が異なる」と述べた。だがその後、菅義偉官房長官が「(2番手以降も)川内原発の対応が基本的なことになる」との見解を示した。
時間がかかり、困難な同意を得る地元自治体はできるだけ少ない方がいい。これが国の本音なのだろう。伊藤知事がこだわった地元の範囲が、早くも利用された形だ。
福島原発事故での地域への被害拡大を思えば、少なくとも同意の範囲は、避難計画の作成を義務付けられた半径30キロ圏の自治体まで広げるべきである。
同意を得る範囲の問題は、自民党鹿児島県議団が党に「国が明確な基準を示すこと」を要請した。自民党は要請に従って、国民が納得できる範囲を定めるよう政府に迫ってほしい。
県が、原発の新規制基準の適合性審査の住民説明会に関して、「おおむね理解が進んだ」と評価したのも納得できない。
参加者は対象住民のわずか1.5%の2990人。「理解が進んだとは、とても思えない」と県議会で批判されたのはもっともだ。
■廃炉に備えよう
「次は川内原発が40年を経過して、廃炉問題が出てくる10年後くらいに、このようなことがあるのかなと思う」
再稼働のような決断をまた迫られることがあるのか、と記者会見で問われた薩摩川内市の岩切秀雄市長は廃炉に言及した。
脱原発は世論も望んでいる。本紙が5月に実施した電話世論調査で、「今後も原発を活用すべき」と答えた人は10.9%にすぎなかった。
国もエネルギー基本計画に「原発依存度の可能な限りの低減」を掲げ、運転開始から40年前後になる原発は廃炉にする方針だ。
岩切市長が言うように川内原発1、2号機は、2024年から相次いで運転40年を迎える。
川内原発がこのまま再稼働したとしても、今後は廃炉に向けた備えこそ重要である。
原発の建設時期から今まで、薩摩川内市は国の多額の交付金や九電の固定資産税、寄付金などで潤った。飲食業や建設業など原発絡みの仕事をする人も多い。
このため、廃炉は地域経済に与える影響が懸念される。廃炉を見据え、地元で「新エネルギーに取り組み、関連工場を誘致したい」(岩切市長)、「自立した経済を目指すべき」(建設業)などという声が出ているのは当然だ。
廃炉をスムーズに進めるためには、原発に代わる新しい産業の育成など国や県も知恵を絞る必要がある。
経産省の原子力関連の小委員会は、九電など事業者や廃炉後の立地地域に対する支援策の議論を始めた。ただ、原発の延命につながるような安易な策は慎みたい。
原発に依存しない経済や社会づくりは、福島の事故から学んだ最大の教訓のはずである。その方向性を国民に分かりやすく示すのは国の責務だ。
しかし、地方にもできることはある。先に述べた薩摩川内市でのさまざまな声を実現させることもその一つだ。
再稼働第1号になるのなら、原発に左右されない郷土づくりの先陣こそ目指すべきではないか。
東京新聞社説-3・11前に戻るのか 川内原発- 2014年11月8日
鹿児島県が同意して、手続き上、川内原発の再稼働を妨げるものはない。ゼロから3・11以前へ。多くの疑問を残したままで、回帰を許すべきではない。
何をそんなに急ぐのか。残された危険には目をつむり、不安の声には耳をふさいだままで、流れ作業のように淡々と、手続きが進んだようにも見える。
「安全性は確認された」と鹿児島県の伊藤祐一郎知事は言う。
原子力規制委員会の審査書は、規制基準に適合すると認めただけである。田中俊一委員長も「安全を保証するものではない」と話しているではないか。
◆責任など負いきれない
「世界最高レベルの安全対策」とはいうが、未完成や計画段階にすぎないものも少なくない。
知事は「住民には、公開の場で十分説明した」とも主張する。
しかし、鹿児島県が先月、原発三十キロ圏内の五市町を選んで主催した、規制委による住民説明会の会場では「本当に安全なのか」「審査が不十分ではないか」といった不信や不満が相次いだ。
再稼働への懸念を示す質問が司会者に遮られる場面もあった。なぜこんなに食い違うのか。
「万一事故が起きた場合、政府が責任を持って対処する」
鹿児島県の求めに応じ、政府が入れた一札である。
だが、どのように責任をとるのかは、明らかにしていない。
今年もあと二カ月足らず。何万という被災者が、放射能に故郷を追われて四度目の新年を迎えることになる。補償問題は一向に進展しない。
原子炉の中で溶け落ちた核燃料の取り出し作業は延期され、地下からわき出る汚染水さえ、いまだに止められない。繰り返す。原発事故の責任を負える人など、この世には存在しない。
◆はるか遠くに降る危険
議会と知事は、川内原発の再稼働に同意した。だが起動ボタンを押す前に、明確な答えを出すべき課題が、少なくとも三つある。
法的根拠はないものの、地元の同意が再稼働への最後の関門だとされている。
第一に、地元とはどこなのか。
伊藤知事は「県と(原発が立地する)薩摩川内市だけで十分」というのが、かねての持論である。「(原発による)苦労の度合いが違う」というのが理由である。気持ちはわからないでもない。
原発事故の被害は広い範囲にわたり、長期に及ぶというのも、福島の貴重な教訓である。
福島の事故を受け、避難計画の策定などを義務付けられる自治体が、原発の八~十キロ圏内から三十キロ圏内に拡大された。
福島の事故から二週間後、当時原子力委員長だった近藤駿介氏は、半径百七十キロ圏内でチェルノブイリ同様強制移住、二百五十キロ圏内で避難が必要になるという「最悪のシナリオ」を用意した。
原発事故の深刻な被害が及ぶ地域には、「地元」として再稼働を拒む権利があるはずだ。
次に、火山のリスクである。
九州は、火山国日本を代表する火山地帯である。川内原発の近くには、カルデラ(陥没地帯)が五カ所ある。巨大噴火の痕跡だ。
約四十キロ離れた姶良(あいら)カルデラの噴火では、原発の敷地内に火砕流が到達していた恐れがある。
ところが規制委は、巨大噴火は予知できるという九州電力側の言い分を丸ごと受け入れてしまった。
一方、「巨大噴火の予知は不可能」というのが、専門家である火山噴火予知連絡会の見解である。
これほどの対立を残したままで、火山対策を含めて安全と言い切る規制委の判断は、本当に科学的だと言えるのか。適正な手続きと言えるのだろうか。
三つ目は、避難計画の不備である。県の試算では、三十キロ圏内、九市町の住民が自動車で圏外へ出るだけで、三十時間近くかかってしまうという。
入院患者や福祉施設の人々は、どうすればいいのだろうか。福島では、多くの要援護者が避難の際に命を落としているではないか。
知事の自信と現場の不安。ここにも深い溝を残したままである。
◆代替エネルギーはある
そもそも、新潟県の泉田裕彦知事が言うように、福島の事故原因は、まだ分かっていない。
原因不明のまま動かすというのは、同じ事態が起き得るということであり、対策が取れないということだ。根拠のない自信によって立つ再稼働。3・11以前への回帰であり、安全神話の復活である。
川内をお手本に次は高浜、そして…。原発再稼働の扉をなし崩しで開いてしまうことに、多くの国民は不安を抱いている。再生可能エネルギーという“国産”の代替手段はあるのに、である。
朝日新聞社説-川内原発の再稼働―「ひな型」にはなり得ない-2014年11月8日
九州電力川内(せんだい)原発の再稼働を鹿児島県知事が受け入れた。県議会と立地自治体である薩摩川内市の市長、市議会の意見を踏まえての判断だという。周辺30キロ圏内にある8市町の首長も、最終的に異議を唱えることはしなかった。
原発再稼働の可否について立地地域に法的な権限はない。しかし、実務上は「地元の同意」が不可欠になっている。知事の判断で川内原発の再稼働はほぼ確実となった。新しい規制基準に基づいた原子力規制委員会の審査を経た再稼働は、川内原発が第一号となる。
全国では12原発18基が規制委の審査にかかっている。合格した原発はすべて再稼働するとしている安倍政権は、川内を今後のひな型と位置づける考えだ。
しかし、川内原発の再稼働を巡る手続きを振り返ると、とてもこのままでいいとは考えられない。原発の過酷事故に対する備えが不十分なまま再稼働に進んでいるからだ。
■住民の安全は不十分
まず、避難計画だ。
住民の安全に直結するものなのに、いまだに避難に必要なバスの確保や渋滞対策に見通しがつけられていない。いずれも、福島での事故の際に現場が最も混乱し、住民が危険にさらされた要因となった問題だ。
福島での事故で、原発には制御しようのない危険があり、100%の安全はないことが明らかになった。
それでも原発を動かすなら、被害を受ける立地地域の住民のリスクをできるだけ小さくする手立てを講じ、さらに十分なのか検証し、住民が納得するプロセスは欠かせない。
10月に入り、県内で住民説明会が計6回開かれたものの、5回までは規制委の専門的でむずかしい審査内容に関することに限定して開催された。住民の再稼働に対する素朴な不安や提案をすくいとり、対策に反映させる場にはならなかった。
参加者への事後アンケートでも「良くなかった」「あまり良くなかった」が47%に達し、6割の人が説明を受けても理解できなかった項目が一つ以上あったと答えている。
県知事をはじめ首長や議会が最後は「(安全対策や住民避難も)国の責任」とした。県や市町村など地元自治体が再稼働の手続きに絡むのは、住民の安全が関係しているからだ。
その国の対応も同様だった。県の要請を受けて、政府職員や幹部を送り込み、議会の場などで繰り返し「国が責任をもつ」と表明した。今月3日には宮沢経産相も乗り込んで、再稼働の必要性を訴えた。
■「責任をもつ」とは
だが「責任をもつ」とはどういうことなのか。具体的には何も見えてこない。
事故が起きた福島のその後を見ても、被災者の生活再建、廃炉・汚染水対策、除染作業や放射性廃棄物の処理と、国が責任をとりきれているものはない。事故の直接的な責任を負っているのは東京電力であり、賠償や国費の投入も、結局は電気の利用者や国民の負担だ。
いったん過酷事故が起きてしまえば、立地地域は国の責任では対応しきれない打撃を受け、その影響は少なくとも数十年に及ぶ。そんな現実に目をつぶった責任論は空論だろう。
むしろ国が立地地域に対して責任をもってやるべきことはほかにある。脱原発のための支援だ。安倍政権も原発依存の低減を掲げているではないか。
■脱原発依存こそ急務
立地自治体がおしなべて再稼働に前向きなのは、過疎化が進み、原発を受け入れて交付金や税収を得ることでしか「まち」を維持できないからだ。
原発依存から脱していくためには、原発に頼らざるをえない現実を変えていく努力が欠かせない。当然、立地自治体だけでは解決できない難題であり、だからこそ今から取り組むことが必要であるはずだ。
地域の資源を活用した循環型の産業や人材の育成、あるいは原発推進に偏っていた予算の組み替え、電力システム改革や再生可能エネルギーの振興などと組み合わせたエネルギー政策――。電気の消費地も巻き込んでの議論を進めることこそ政府の責任だろう。
朝日新聞が10月25、26日に実施した世論調査では、原発の運転再開に55%が反対した。各紙の世論調査でも国民の過半は再稼働には慎重だ。
川内原発再稼働の手続きが規範となれば、原発の再稼働は立地地域が判断する問題となって、国民全体の民意と離れていく。果たしてそれでいいのだろうか。
原発政策には使用済み核燃料の貯蔵や放射性廃棄物の処分など、地域と全体が対立しかねない問題が山積している。
川内原発再稼働を巡る論議は、地域と国民全体の民意をどうすりあわせるのか、という問題を投げかけてもいる。
毎日新聞社説-川内再稼働同意 住民の安全守れるのか-2014年11月08日
住民を危険にさらす過酷事故は起き得る。それが福島第1原発事故の教訓である。この教訓を軽視したまま、再稼働に向けた手続きが着々と進められていくことに大きな疑問を感じる。
九州電力川内原発の再稼働について審議していた鹿児島県議会は再稼働を求める陳情を採択、伊藤祐一郎知事も同意した。川内原発が立地する薩摩川内市の市長と市議会はすでに同意しており、事実上、地元の同意手続きはこれで完了する。新規制基準ができて以来の大きな節目となるが、再稼働に向けた課題がこれで解決したとは言い難い。
そもそも、原子力規制委員会の手続きが終わっていない。再稼働までには、審査書に基づく工事計画と保安規定の認可を受ける必要がある。それなのに、なぜ、これほど急いで同意を表明する必要があるのか。来春の県議選での争点化を避けようとしたとの見方もあり、十分な検討を尽くした結果なのか、疑問が残る。
私たちは再稼働を認めるにはいくつか条件があると主張してきた。特に、過酷事故が起きた時に住民の生命と健康を守ることは、地元の首長にとって絶対条件のはずだ。しかし、それに備えた避難計画は、要援護者への対応や、避難者の受け入れ体制などに不十分なところが残されている。計画を国が審査する体制もなく、実効性が担保されたとはいえない。このままでは事故時に混乱が避けられないのではないか。
住民の納得が得られたかどうかも重要な要素だ。鹿児島県は周辺5市町で原子力規制庁の職員とともに住民説明会を開いたが、再稼働の必要性や、避難計画の実効性を問う声に、十分な説明はなく、補足説明会でも疑問の声は収まらなかった。
出席者へのアンケートも、説明会への全体的な感想や、理解できなかったテーマを問う表面的な内容にとどまった。本来なら、住民の意見をくみ取り、納得を得るための仕組みが必要だが、その努力も工夫も足りなかったと考えられる。
川内原発が過酷事故を起こせば、その影響をこうむるのは薩摩川内市にとどまらない。にもかかわらず、知事や九電が立地自治体と県の同意で十分としたことに納得していない住民も多いだろう。
もちろん、再稼働の責任は地元だけにあるわけではない。本来なら、政府が原発に頼らない社会をどう構築していくかの道筋をきちんと示した上で、個々の原発の再稼働の可否を判断すべきだ。
こうした条件が整わないまま、なしくずしに再稼働の手続きを進めることは、拙速であり、見切り発車と言わざるを得ない。
読売新聞-川内再稼働へ 地元同意得るモデルにしたい-2014年11月08日
「原発ゼロ」にしっかり終止符を打ち、他の原発の再稼働を円滑に進めるモデルとしたい。
九州電力川内原発1、2号機の再稼働に、鹿児島県の伊藤祐一郎知事が同意する考えを表明した。
原発が立地する薩摩川内市長と市議会の同意に続いて、県議会も再稼働を求める陳情を、自民党などの賛成多数で採択した。
伊藤知事の速やかな決断によって、年明けにも再稼働が実現する道筋がついた意義は大きい。
今後、原子力規制委員会による最終的な安全審査の手続きが進められる。全原発が停止した昨年9月から1年以上が経過している。さらなる遅れを招かぬよう、九電は安全性を高める設備改修などに、万全を期さねばならない。
川内原発の周辺自治体の一部は、自らの同意も必要だと主張している。伊藤知事が、九電と安全協定を結んでいる鹿児島県と薩摩川内市が同意すれば十分だ、と判断したのは妥当である。
宮沢経済産業相が現地を訪れ、万が一、原発事故が発生した場合には、国が責任を持って対処すると表明したことも適切だった。
一方で、残された懸案も少なくない。川内原発の30キロ圏内にある9市町はすでに、原発事故に備えた避難計画を策定済みだ。
しかし、交通渋滞や避難車両の不足などで計画通り逃げられるのか、心配する見方もある。
避難計画に基づいた訓練を繰り返し、問題点を洗い出す。改善策を講じて、それを地域住民に周知徹底する。そうした地道な努力を積み重ねることが欠かせない。
内閣府には、自治体の避難計画作りを支援する専門部署がある。避難体制の充実についても、積極的な取り組みが求められる。
規制委は、川内原発の運転期間中に想定される最大級の巨大噴火でも、火砕流は原発の敷地に到達しないと判断した。さらに大きな破局的な噴火が発生する可能性は「十分小さい」と指摘した。
九電は引き続き、火山の監視体制を強化し、噴火の予兆をつかんだ場合には、速やかに対応することが重要だ。
川内原発の再稼働にめどがついたことで、今後の焦点は関西電力高浜原発などに移る。
最も早い川内原発でさえ、安全審査の申請から地元同意まで1年4か月を要した。活断層などの評価を巡り、審査が遅々として進まない原発も少なくない。
規制委は安全を大前提に、迅速な審査に努めてもらいたい。
北海道新聞-川内原発再稼働 納得いかぬ拙速な同意-2014年11月8日
鹿児島県の伊藤祐一郎知事がきのう、九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)の再稼働に同意すると表明した。
これで再稼働に向け大きく動きだした。原子力規制委員会の残された審査が終われば、新規制基準に適合した初の原発として年明けにも運転を始めるとみられる。
しかし、国も地元も手続きを急ぐあまり、重大事故が発生した際の対応については課題を置き去りにしたままである。
住民の不安は脇に置いた同意は、拙速のそしりを免れまい。
川内原発については規制委が9月に安全審査の合格を認める許可書を出した。
これを受け住民説明会が県内で開かれ、薩摩川内市議会が先月、再稼働に同意。県議会もきのう再稼働を求める陳情を採択した。
最大の問題は住民の避難計画である。要援護者の避難や一斉に避難する際の渋滞対策などが依然として不十分だ。説明会でも住民から批判が相次いで出された。
実効性ある避難計画は安全対策の肝だ。これを放置するというのは納得いかない。
伊藤知事はかねて再稼働の同意について薩摩川内市と県だけで十分だと繰り返してきた。
しかし、30キロ圏の自治体は避難計画を策定する必要がある。川内原発の場合、全域が入るいちき串木野市や北半分が入る日置市などがその対象だ。
こうした自治体は義務を負いながら、自らの声を届けられないというのは明らかに矛盾している。
泊原発は安全協定を結ぶ後志管内泊、共和、岩内、神恵内の4町村の同意が必要とされるが、再稼働が現実味を帯びれば範囲の拡大を求める動きが高まるだろう。
福島第1原発事故の教訓からいっても、立地自治体以外の住民の声を生かすことが重要だ。
宮沢洋一経済産業相は今月、伊藤知事に「万が一、事故が起きた場合、国が責任を持って対処する」と明言した。だが、具体的にどう責任を持つと言うのか。
例えば火山対策だ。周辺に複数のカルデラ地形がある川内原発は噴火災害の危険性が心配される。
規制委は九電の火山監視でも対応可能とする見解を示した。これに対し専門家から異論が出されている。御嶽山(おんたけさん)をみても、噴火の予知は極めて難しい。
川内原発の場合、安全対策はまだまだ不十分だ。再稼働は、そうした問題点を一つずつ解決してからでも遅くない。
河北新報-川内原発再稼働へ/地元同意も不安解消されず-2014年11月8日
九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働が決まった。同県議会がきのう、再稼働を求める陳情を採択し、伊藤祐一郎知事も同意を表明。再稼働を認める地元の手続きが事実上完了したためだ。
2011年3月の東京電力福島第1原発事故を受けた新たな規制基準に基づく再稼働は、川内原発が初めてとなる。
安倍晋三首相や、原子力規制委員会の田中俊一委員長は過酷事故に対して「世界でもっとも厳しい」と評する新基準をクリアしたとするが、火山噴火の影響など原発の安全性や避難計画の不備といった防災への不安が解消されたわけではない。
先月あった審査結果についての住民説明会で、参加者から批判と反発の声が相次いだ。聞くにつけ、国、県、九電に不安を訴える住民に真摯(しんし)に向き合い、思いをくみ取る姿勢が十分だったとは言えそうにない。
事故の際、被害が及ぶ可能性がある原発の半径30キロ圏に位置し、避難計画の策定を求められながら、再稼働の地元同意をめぐり、蚊帳の外に置かれた近隣自治体の住民らの不満も強い。
原発のリスクをゼロにはできないし、これで絶対安心ということもない。だからこそ、リスク回避に向けての徹底した取り組みが欠かせない。
万一の際の「責任の所在」をはっきりさせておく必要もある。説明会では九電や規制委の担当者が答弁に窮したといい、住民らの不安は消えない。宮沢洋一経済産業相は「国の責任」を約束したが、一連の対応を見れば、極めて心もとない。
「事故」と「被害」発生の両面でゼロを目指す努力を積み重ね、住民らの理解を深めていくことなしに、安定稼働はあり得ないことを肝に銘じるべきだ。
安全神話が崩壊する様を見せつけられた被災地、東北の住民、とりわけ、いつ終わるとも知れない過酷な生活を強いられている福島の避難住民は再稼働を認める地元の判断を、どのように受け止めただろうか。
「福島の原発事故の全容も解明されていないのに、なぜ動かすのか」
福島県双葉町から鹿児島市に避難している自営業者は前のめりの対応が納得できない。多くはそれに似た思いではないか。
地域経済の活性化は住民の安全確保が大前提だ。再稼働への同意を「やむを得ないと判断した」知事はもとより、強く働き掛け誘導した国も、決断の責任から逃れられない。
福島の事故の検証も終わっておらず、教訓を生かす課題も残る。被害実態を踏まえれば、同意を得る範囲を広げるべきだ。
再稼働は年明け以降の見通しだが、万一に備えた対策の、より一層の充実を図っていかなければならない。
まずは何より、住民避難の実効性を高めることが肝要だ。あらゆる事態を想定し、被害回避に万全の備えを講じるべきだ。
手続きの終了はゴールではない。安全審査中の他の原発についても拙速は許されない。
秋田魁新報社説-川内原発再稼働 同意はあまりに拙速だ-2014年11月8日
鹿児島県の九州電力川内(せんだい)原発の再稼働について伊藤祐一郎知事と県議会が同意した。原発が立地する薩摩川内市も既に同意しており、再稼働に向けて大きく動きだした。
再稼働となれば、原子力規制委員会の新規制基準に適合した原発として初めてとなる。このまま再稼働させていいのか。ここは立ち止まってじっくり考えるべきだ。
東京電力福島第1原発事故を受けて作られた新規制基準は、核燃料が溶けるなどの過酷事故や地震・津波への対策を強化した。川内原発の安全性が以前より高まったのは間違いない。
ただ、過酷事故が絶対に起こらないという保証はない。原子力規制委も基準に適合したと判断する一方で、安全性を担保したものではないとする。つまり、事故は起きるという前提に立った対策でなければ、いざというときに役に立たない。
策定済みの住民避難計画には不備が目立ち、避難用バスを十分に確保できるかどうか疑わしい。原発から半径10キロ圏外では、高齢者らの避難先が未定で弱者切り捨てとなりかねない。
福島原発事故で住民らは放射性物質の脅威にさらされてパニックに陥った。川内原発で過酷事故が起きれば同じ状況になるのは目に見えている。にもかかわらず、避難計画は原子力規制委の審査対象になっておらず、実効性があるのか疑問だ。
原子力規制委の審査が終了していないのに、同意手続きを進めるのも理解し難い。原発の運転規則を定めた保安規定など書類審査は遅れており、現地での使用前検査も進んでいない。
周辺に火山が多いことも懸念材料だ。九電は監視により火山の異常を捉え、事前に核燃料を搬出するという。だが搬出先も輸送方法も未定だ。「その段階に至るまで決められない」という九電の説明は無責任だ。
巨大噴火の予測について日本火山学会は「限界、曖昧さの理解が不可欠」とする提言をまとめた。学会として科学の限界を認めたものであり、この警告を謙虚に受け止めるべきだ。
同意手続きから除外されている周辺自治体の声が、再稼働の際に考慮されるのかどうかも重要な問題だ。同意が必要な地元の範囲について宮沢洋一経済産業相は「鹿児島県などの判断だ」と述べ、県に一任した。伊藤知事も、立地自治体の薩摩川内市と県で十分との考えだ。
だが、過酷事故が起きれば周辺自治体も被害を受けるのは明らかであり、これら自治体の同意も必要だ。安倍政権は再稼働方針を掲げているにもかかわらず県に判断を押し付け、九電に再稼働させようというのか。
このまま再稼働させることは、同意は立地自治体と都道府県だけで足り、避難計画や火山対策に不備があっても何ら問題はないと認めるに等しい。それは福島原発事故につながった「安全神話」の復活でしかない。