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原発問題-関電、歴代首相7人に年2千万円献金

 朝日新聞は、2014年7月28日、「関電、歴代首相7人に年2千万円献金」と、報じる。
 いささか予想されていたとはいえ、「死を意識するほど自分の歩んで来た道を思い出した。今まで口を割らなかったことを話す気持ちになった時に記者が来た。後世に役立つと思った」という発言には、「3.11」が浮き彫りにした日本の現実を改めて痛感させられた。
 もちろん、この状況での再稼働はあり得ない。
 以下、朝日新聞引用。






関電、歴代首相7人に年2千万円献金 元副社長が証言-2014年7月28日

 関西電力で政界工作を長年担った内藤千百里(ちもり)・元副社長(91)が朝日新聞の取材に応じ、少なくとも1972年から18年間、在任中の歴代首相7人に「盆暮れに1千万円ずつ献金してきた」と証言した。政界全体に配った資金は年間数億円に上ったという。原発政策の推進や電力会社の発展が目的で、「原資はすべて電気料金だった」と語った。多額の電力マネーを政権中枢に流し込んできた歴史を当事者が実名で明らかにした。

金を渡すと角さんは「頂いたよ」関電からの2千万円 元首相側「初耳」「わからない」
 内藤氏が献金したと証言した7人は、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登の各元首相(中曽根氏以外は故人)。

 内藤氏は47年に京大経済学部を卒業し、関電前身の関西配電に入社。62年に芦原(あしはら)義重社長(故人)の秘書になり、政財界とのパイプ役を約30年間務めた。関電の原発依存度は震災前は5割を超え業界でも高く、原発導入を円滑に進めるには政界工作が重要だったという。

 内藤氏は2013年12月から今年7月にかけて69時間取材に応じ、11年3月の東京電力福島第一原発の事故について「政府の対応はけしからん」「長年築いてきた政・官・電力の関係に問題があった」と指摘した上、多額の政治献金を電気料金で賄ってきた関電の歴史を詳細に語った。

 《関西電力社長・会長を歴任した芦原義重の政治担当秘書を務めた内藤千百里は、田中角栄秘書だった佐藤昭子と長い友人だ。田中の首相在任中の1972~74年に政治献金を持参した場面から、内藤の告白は始まる》

 芦原さんが角さんの事務所で1千万円を渡すと、角さんは「おーい。頂いたよ」と昭さんに伝える。昭さんは「そうですかー」と受け取りに来る。1千万円は紙袋や風呂敷で持っていく。大した重さではなかったね。私が昭さんに電話で「行きますよー」と言えば、「いらっしゃーい」と面会を入れてくれた。

 芦原さんが直接、総理や党の実力者に渡す資金がありますねん。会社のトップクラスのみ知っている。総理には盆暮れに各1千万円ずつ計2千万円。総理を辞めた後にも同額を渡した人はいた。辞めたからといって800万円に下げるわけにはいかんでしょ。

 《盆暮れに政治家に現金を届けるのが芦原と内藤の「務め」だった。電力各社は74年に政治家への献金をやめると宣言したが、関電はひそかに続けたという》

 官房長官、自民党幹事長、政調会長ら実力者と野党幹部には1回200万~700万円。年間総額は数億円になると思う。私が政治家の実績を伝えると、芦原さんが金額をパパッと決めた。芦原さんと一緒に運んだのは年間14、15人はおるでしょうな。他の役員が運んだ分もあった。

 芦原さんと新幹線で大阪から行き、東京駅に専用車が迎えに来た。私が秘書に面会の約束をとり、政治家の事務所や自宅へ向かう。総理の場合、人目につかない早朝に自宅を訪ねることが多かった。前の晩に芦原さんと東京へ入り、皇居近くの定宿に泊まる。現金は私が枕元に置いて寝た。

 《内藤はいま91歳。政界とのかかわりは62年に社長秘書になってからだ。以来25年間、電力業界を代表する政治担当と呼ばれた。福島原発事故とその後の混迷を見て、自らの歩みを実名で語る決心をした。69時間にわたる独白は、戦後電力史の裏側を浮き彫りにするものだ》
(敬称略)
■原発事故機に心境変化、後世へ証言
 関電元副社長の内藤千百里氏は、政治献金について「関電のみならず関西財界を東京と同じ地位までレベルアップする」ことを目的とし、芦原義重元会長はその結果、「総理大臣と一対一でいつでも話し合える関係になった」と証言した。

 これまで政界工作を明かすことはなかった。政界、官界、電力業界のつきあいは「天下国家のため」と思い、原発に疑いを抱いたこともなかった。今でも芦原氏と自分が果たした役割への自負はあるという。

 芦原・内藤両氏は1987年に経営を私物化していると批判され、取締役を解任された。内藤氏は東京電力福島第一原発の事故を機に心境が変化したという。「なぜ今も汚染水をコントロールできないのか。地質調査をしたはずなのになぜ地下水の影響が大きい場所に原発を建てたのか」

 「政府の監督の甘さがあった。長年築いてきた三者の関係に問題があった」とも感じ、自らの足跡をたどって戦後の政官電の関係を再考したいと思った。13年に90歳になったことも「実名告白」の背中を押したという。「死を意識するほど自分の歩んで来た道を思い出した。今まで口を割らなかったことを話す気持ちになった時に記者が来た。後世に役立つと思った」

関電の内藤元副社長の証言に対し、中曽根康弘元首相の事務所は取材に「秘書官は故人で当時をわかる者が事務所にいない。そういうことはなかったと思う。元首相本人は高齢のため確認していない」。本人への確認を再度求めたが、27日までに回答はなかった。

 田中角栄元首相の長女真紀子氏の事務所は「関係者に確認したが初耳との答えだった」。三木武夫元首相の長男啓史氏は「そのような事実はなかったと思う。当時の秘書官は故人となり確認は難しい」。福田赳夫元首相の長男康夫元首相は「わかりかねる」とした。

 大平正芳元首相の秘書官だった森田一氏は「盆暮れに私邸に来たことはある。1千万円の授受は初めて聞いた」。会計担当だった小国宏氏は「私邸で受け渡しはなかったと思う。関電東京支社で内藤さんから金を受けた記憶はある。関電宛ての数団体の領収書を送った。政治資金ルールを守っていた」。鈴木善幸元首相の秘書官だった材津昭吾氏は「面談を依頼された記憶もない」。竹下登元首相の弟亘氏は「そういう話は聞いたことがない」とした。


by asyagi-df-2014 | 2014-07-28 18:36 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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