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沖縄から-慰霊の日、知事平和宣言を考える2

 何年か前まで、沖縄県の平和宣言、広島市の平和宣言、長崎市の平和宣言を比べてみていた時期がありました。
 ある時期から、二つの市に比べると、沖縄県の平和宣言の内容が物足りないものになっていました。何となくそれは、保守県政への批判のようなものになっていました。でも確かに、そこからは、悲惨な戦争を超えようとする人々の叡智と思いのすごみを感じ取ることはできなくなっていました。
 また、慰霊の日をどう受け取るのか。それは、沖縄が発信していることを、今の集団的自衛権論議の中心に据えることが大事なのではないかということに尽きる。
 小学生詩人の『空はつながっている』の朗読から受け取ることができる広がりは、追悼式での政府や県の代表者の声では到底届かない。

 以下、各社の社説引用。


(1)琉球新報社説2014年6月24日:平和宣言 「沖縄の心」を反映させよ

 これは県民が心から共有すべき不戦の誓いとは到底言い難い。沖縄全戦没者追悼式で仲井真弘多知事が発した平和宣言のことだ。
 平和宣言は例年(1)沖縄戦の悲惨さに触れ、不戦を誓う(2)米軍基地の集中による過重負担など沖縄の現状に言及(3)恒久平和の実現に向けた決意-を柱に構成されている。
 今年も従来の考え方を踏襲しているが、米軍普天間飛行場の返還問題では読み手によって解釈が異なってしまう曖昧さが際立った。
 知事は「普天間飛行場の機能を削減し、県外への移設をはじめとするあらゆる方策を講じて喫緊の課題を解決する」とし、そのために「普天間飛行場の5年以内の運用停止を求めている」と述べた。
 あたかも普天間そのものの県外移設を推進するかのように聞こえるが、疑問がある。「県外への移設」は基地自体ではなく「機能」にかかると読めるのだ。そうであれば、オスプレイの訓練の分散など機能の移転を意味する。
 その証拠に知事は当初、宣言から普天間の県外移設要求の文言を削除していた。与党から再考を促されて復活させたものの、昨年まで3年連続で盛り込んだ表現を避けようとしたことは隠しようのない事実だ。「県外移設」の意味が、単なる一部機能の移転であるなら、それは偽装、詐術に等しい。
 「5年内の運用停止」も米政府関係者は明確に否定しており、知事の説明には説得力がない。
 県民が沖縄戦から導き出した最大の教訓は「軍隊は住民を守らなかった」という事実である。
 教訓を直視しているのなら、知事の使命は戦争につながるあらゆる不穏な動きに反対することだと分かるはずだ。県民の命と人権、安全を守り、郷土の自然、文化を保全して沖縄の持続的発展に全身全霊を尽くすことであるはずだ。
 知事は民意が拒否する辺野古移設、解釈改憲による集団的自衛権行使容認などに異議を申し立てることこそが、戦没者の犠牲に報いる自らの責務だと銘記すべきだ。
 辺野古移設で協調する安倍政権の歓心を買うために、平和宣言を空疎なものにしてはならない。知事の個人的な政治信条によって宣言の内容が左右されてもならない。
 来年からは有識者による平和宣言起草委員会を設け、恒久平和を願う「沖縄の心」を名実ともに反映する内容に改めてほしい。

(2)沖縄タイムス社説2014年6月24日:[平和宣言]これほんとに平和宣言?

 慰霊の日の23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園をはじめ各地で、おごそかに慰霊祭が行われた。

 沖縄戦の体験者にとって「戦没者の追悼」と「平和への願い」は、切り離すことのできない一対のものである。

 33回忌が終わっても、戦争で亡くなった肉親への追慕の情は、何年たっても薄れることがない。孫を連れて平和の礎を訪れたお年寄りは、花やお茶をたむけ、石碑に刻まれた名前をさすって手を合わせ、「この子たちには戦争の悲惨な体験をさせたくない」と語った。

 戦争で亡くなった肉親への「追慕の情」と、二度とこの地に戦争をあらしめてはならないという「平和への願い」は、ウチナーンチュの根っこにあるもので、県民感情の核ともいえるものだ。

 沖縄戦から69年。体験者の高齢化が進み、戦場での経験を語れる人が急速に減っている。それと並行して、戦争を経験したことのない政治家による「戦争のできる国」への国家改造をめざす動きが後を絶たない。

 「いつか来た道を逆戻りしているのではないか」-平和祈念公園では、戦争への不安を訴える高齢者が例年にも増して多い、という印象を受けた。今年の慰霊の日の大きな特徴だ。

 だが、沖縄全戦没者追悼式での仲井真弘多知事の平和宣言は、戦争への不安や平和を求める切実な声を代弁し、世界に向かって沖縄ならではのメッセージを発信するものではなかった。平和が泣くような「平和宣言」だった。

    ■    ■

 昨年の平和宣言で仲井真知事は次のように指摘した。

 「沖縄は、今もなお、米軍基地の過重な負担を強いられています。日米両政府に対して、一日も早い普天間飛行場の県外移設、そして、日米地位協定の抜本的な見直しなどを強く求めます」

 知事は昨年までの3年間、県民世論を代弁する形で「県外移設」を訴えていた。ところが、今年の平和宣言は、名護市辺野古の埋め立てを承認した自らの一連の行為を弁解するような内容に変わった。

 「沖縄の基地負担を大幅に軽減し、県民の生命や財産を脅かすような事態を、早急に、確実に改善しなければなりません。普天間飛行場の機能を削減し、県外への移設をはじめとするあらゆる方策を講じて、喫緊の課題を解決するために、全力を注がなければなりません。そのために、私は普天間飛行場の5年以内の運用停止を求めているのです」

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 名護市の反対を押し切って辺野古で着々と進む新基地建設の動きと「県外への移設をはじめとするあらゆる方策」を講じることとは、一体、どのようにつながるのか。

 県外移設の公約を破棄したわけではないと主張してきた手前、無理に「県外」という言葉を挿入した印象である。

 外部に向けて発信するからには強いメッセージ性がなければならないが、平和宣言からは平和を希求する沖縄の切実な思いが伝わってこない。

 広島、長崎を含めこんな平和宣言、聞いたことがない。

(3)東京新聞社説2014年6月23日:沖縄慰霊の日に考える アーニーが見た戦場

 きょうは沖縄慰霊の日です。先の大戦では本土防衛の捨て石とされ、戦後も過重な米軍基地負担を強いられる。沖縄県民を犠牲にする変わらぬ構図です。

 日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の戦場となった沖縄県。激戦は一九四五年四月一日、米軍の沖縄本島上陸で始まり、日本軍が組織的戦闘を終える六月二十三日まで続きました。

 この戦闘に従軍して沖縄の地を踏んだ米国人ジャーナリストがいました。第二次世界大戦の戦場から新聞にコラムを送り続けたアーニー・パイルです。

◆仏から太平洋戦線へ
 この人の名を聞いて戦後の一時期、東京・有楽町にあった占領軍専用の「アーニー・パイル劇場」を思い出す方がいるかもしれません。まさにその人です。占領軍が接収した東京宝塚劇場をアーニーにちなんで改名したのです。

 アーニーは沖縄戦の前、欧州戦線にいました。四四年には、その戦争報道によって、米ジャーナリズム界で最も権威のあるピュリツァー賞を受賞しています。

 アーニーはこの年、ノルマンディー上陸作戦にも従軍します。今年七十周年の記念式典が行われ、ドイツ敗北の転機となった「史上最大の作戦」です。米軍とともに上陸し、激戦の舞台となったフランス大西洋岸の様子を、次のようなコラムに書きました。

 「私は上陸第一日にぬれた砂浜を歩き回っていたところ、流木のような物が二本突き出しているのをよけた。だが流木ではなかった。それらは兵隊の両足だった。両足を除いて完全に砂をかぶっていたのだ。爪先が向いていた方向は、彼がはるばる見に来て、つかの間しか見なかった土地だった」(デービッド・ニコルズ編著、関元訳「アーニーの戦争」、JICC出版局)

◆戦争への冷徹な視点
 彼の文章からは戦争に対する冷徹な視点がうかがえます。戦争を称賛するわけでもなく、時には厭戦(えんせん)気分も書き記します。伝えようとしたのは戦争の現実、兵士の素顔でした。戦闘と向き合う一人の人間としての恐怖や苦悩。それが読者の共感を呼んだのです。

 欧州戦線から太平洋戦線に転じたアーニーは、沖縄の上陸作戦でも、ノルマンディーと同じような凄惨(せいさん)な戦闘が繰り返されると恐れていました。それは杞憂(きゆう)に終わります。兵力温存を図った日本軍が水際作戦を放棄したからです。

 しかし、その後の地上戦は激烈を極めました。生活の場で行われた戦闘で当時六十万県民の四分の一が亡くなったといわれます。

 ただ、アーニーは沖縄戦の様子を多く書き残すことはありませんでした。本島上陸から十七日後の四月十八日、転戦した本島近くの伊江島で狙撃され、亡くなったからです。四十四歳でした。

 アーニーなら、凄惨な地上戦をどのような記事にして送ったのでしょうか。苦難を強いられた沖縄県民の様子も米国本土に伝わっていたら、その後の米軍による沖縄統治も、違っていたかもしれません。アーニーの記事には、それほど影響力があったのです。

 亡くなったアーニーのポケットからはドイツ降伏に備えて事前に書いた原稿が見つかりました。

 「大量生産される死者-この国で、あの国で、毎月、毎年、冬にも夏にも。どこを向いても見慣れた死者だらけで、退屈になる。どこまで行っても、退屈な死者だらけで、いやになる。こんなことを故国の皆さんは理解しようと試みる必要すらない。彼らは故国の皆さんにとっては数字の羅列、ないしは近所のだれかが、遠くへ行ったまま帰って来ないだけ、にすぎない」(同)

 アーニーが感じていたのは、戦争という現実に向き合わざるを得ない戦場と、戦場から遠く離れ、戦争への想像力を欠く本国との落差かもしれません。

 ドイツ降伏はアーニー戦死のわずか二十日後、その一カ月半後には沖縄での戦闘も終わります。

 激戦地跡に造られた糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園ではきょう、沖縄全戦没者追悼式が行われ、安倍晋三首相らも参列します。

◆集団的自衛権に異議
 慰霊の日を前に、県都那覇市や米軍基地を抱える読谷(よみたん)、北中城(きたなかぐすく)両村の議会では「集団的自衛権の行使」容認に反対したり、慎重審議を求める意見書を可決しました。

 かつて戦場となり、いざ戦争になれば攻撃対象となる米軍基地を多く抱える沖縄だからこそ、集団的自衛権の行使がもたらす危うさにも敏感なのでしょう。

 戦場に対する想像力を欠いた安全保障論議は空疎です。現実離れした事例を持ち出して、一内閣の判断で憲法の平和理念を骨抜きにする愚を犯してはなりません。首相は、沖縄という現実からも目を背けてはならないのです。

(4)西日本新聞社説2014年06月23日:慰霊の日 今こそ聞きたい沖縄の声

 きょう23日は、沖縄の「慰霊の日」である。

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、組織的戦闘が終結したこの日にちなみ、糸満市の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われる。

 国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦が行われた沖縄では、「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の激しい攻撃により、おびただしい数の人々が犠牲になった。

 戦後は占領軍によって土地を奪われ、その上に基地が築かれた。現在でも国内の米軍専用施設の約74%が沖縄に集中したままだ。

 安倍晋三政権が集団的自衛権の行使容認を目指し、戦後の安全保障政策の大転換を図ろうとする今、沖縄の人々の戦中、戦後の体験は、ひときわ重い意味を持つ。

 国会で集団的自衛権の行使容認を主張する議員も、反対する議員も、ほとんど戦争体験がない。戦争を知るベテラン議員たちが引退し、安全保障論議はどこか現実感を欠く「軽さ」が付きまとう。

 しかし、沖縄では「戦場」を生き延びたお年寄りたちが、自らの悲惨な体験を語る。戦後生まれの住民たちも、基地に囲まれて暮らし、日米地位協定の不合理を肌で感じながら生活している。

 その沖縄の那覇市議会で20日、集団的自衛権行使容認を目指す安倍政権に抗議する意見書が可決された。意見書作りを主導したのは自民党系会派の市議たちだ。

 意見書は「基地と隣り合わせの生活を送っている現実から、多くの県民が、集団的自衛権が行使されることで、他国の戦争に巻き込まれる恐れはないのかとの不安を抱いている」と訴えている。同趣旨の意見書は、読谷村の議会でも可決された。

 また沖縄では、安倍政権が集団的自衛権の行使容認に向けて突き進む一方で、米軍基地負担の抜本的な軽減には消極的なことに対し、住民の不満は根強い。

 沖縄には安全保障の「リアリズム」がある。沖縄戦の犠牲者を悼むとともに、今こそ、沖縄の人々の声に耳を澄まし、「戦争と平和」について考える糧としたい。

 あえて以下掲載する。


・読売新聞社説2014年06月24日:首相沖縄訪問 米軍基地負担を着実に減らせ


 沖縄の米軍基地負担を着実に軽減するため、政府は全力で取り組まなければならない。

 太平洋戦争末期の沖縄戦の終結に合わせた「慰霊の日」の23日、安倍首相は、沖縄全戦没者追悼式に出席した。

 あいさつで、沖縄県内の基地負担軽減について「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、『できることは全て行う』との姿勢で全力を尽くす」と強調した。

 仲井真弘多知事は昨年末、米軍普天間飛行場の辺野古移設に伴う埋め立てを承認した。式典の平和宣言では、3年連続で「県外移設」を訴えてきたが、今年は県外に固執しない表現に変えた。

 沖縄県では依然、県外移設を求める声が根強い中、苦渋の判断をした仲井真知事を支えるためにも政府は、様々な基地負担軽減策をきちんと実行する必要がある。

 仲井真知事の任期満了に伴う11月の知事選では、普天間問題が大きな争点となろう。辺野古移設に反対する保守系市長が出馬の構えを見せる一方、知事は3選出馬に関して態度を保留している。

 知事選結果が辺野古移設に与える影響を最小限にするため、可能な手を打つことが重要である。

 政府は、埋め立て予定地のボーリング調査を7月にも開始し、代替施設の工事をできる限り前倒しする方針という。設計・工事期間の短縮を図り、「2022年度以降」とされる普天間飛行場の返還を早めるべきだ。

 日米両政府は先週、埋め立て予定地を含む周辺水域を常時立ち入り禁止とすることで合意した。

 反対派による妨害を排除し、不測の事態を避けるにはやむを得ない。作業を円滑に進めるため、防衛省だけでなく、警察、海上保安庁など関係機関が連携し、万全の体制をとることが求められる。

 政府は、「24~25年度以降」とされる牧港補給地区の返還の大幅繰り上げも検討している。

 返還予定の米軍基地内の環境調査を事前に行えるようにする新たな協定の締結に向けた日米交渉も行っている。事実上の日米地位協定の改定に当たるもので、実現すれば、その意義は大きい。

 普天間飛行場に配備されている米軍輸送機MV22オスプレイの訓練についても、県外への分散移転をさらに拡大したい。沖縄の過重な負担を日本全体で引き受けることが大切である。

 在沖縄米軍の抑止力を維持しつつ、地域振興とも連動した基地再編を進めることが、安倍政権と地元の信頼関係を強化しよう。


by asyagi-df-2014 | 2014-06-25 05:50 | 沖縄から | Comments(0)

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