大飯原発差し止めを考える
2014年 05月 23日
大飯原発差し止め判決を考える-2014年5月23日
朝日新聞は、2014年5月22日の朝刊で、次のように報じた。
「関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)をめぐり、住民らが関電に運転の差し止めを求めた訴訟の判決が21日、福井地裁であった。樋口英明裁判長は「大飯原発の安全技術と設備は脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない」と地震対策の不備を認定し、運転差し止めを命じた。関電は22日にも控訴する方針。」
やはり、関電は、22日に早速控訴した。
この判決では、「原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。」と、結論づけた。
その理由として、「人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。」 と、まさしく命の侵害に対するあたりまえの権利の問題として原発の運転差し止めを位置づけた。
また、「原子力発電所に求められるべき安全性」については、「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。」と、明快に事の本質を整理して見せた。
さらに、原発を巡る現状を、「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」と、整理した。
この判決は、「2011年3月11日」がさらけ出した物を、どのように克復するのかについて、真摯に判決として受け止めたものであったと言える。
だとしたら、同様なことを、一人一人のあり方として、私たち自身が問われている。
この判決を受けて、気づかされることは、この判決は私たちの身近にすでにあるということである。
遠慮することも、怖がることもない。