沖縄-辺野古-高江から-2021年7月11日
2021年 07月 11日
はっきりしているのは、沖縄の負担軽減が真っ当に検討されていないということ。
「沖縄防衛局によると、昨年12月に米軍普天間飛行場へ飛来した外来の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ1機が、半年以上が過ぎた今年7月1日現在も同飛行場にとどまっている。防衛局が2017年度から実施している目視調査では、半年も外来オスプレイがとどまる前例はない。米軍は詳細を明らかにせず、宜野湾市はどのように対応すべきか戸惑っている。」、と琉球新報。
沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。
2021年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
(1)琉球新報-外来オスプレイ 滞在半年 普天間、異例の長期 宜野湾市 詳細情報なく戸惑い(金良孝矢)-2021年7月11日 06:15
琉球新報は、表題について次のように報じた。
1.【宜野湾】沖縄防衛局によると、昨年12月に米軍普天間飛行場へ飛来した外来の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ1機が、半年以上が過ぎた今年7月1日現在も同飛行場にとどまっている。防衛局が2017年度から実施している目視調査では、半年も外来オスプレイがとどまる前例はない。米軍は詳細を明らかにせず、宜野湾市はどのように対応すべきか戸惑っている。
2.防衛局によると、昨年12月2日と3日に外来オスプレイ5機が飛来し、うち4機は同3日に離陸した。本紙は同7日、残った1機は米ノースカロライナ州ニューリバー海兵隊航空基地所属と確認。とどまっているのは同機体とみられる。防衛局の目視調査で外来オスプレイは昨年12月から今年5月までに、月に12~68回ほどの離着陸をしている。
3.普天間所属オスプレイは12機が2012年に初配備、13年に12機が追加配備された。本紙は米軍に外来オスプレイについて複数回、質問したが回答はない。防衛局は「機体の所属と飛来理由は、米軍の運用にかかり承知していない」とした。外来機の飛来については「安全面に最大限の配慮を求め、地元に与える影響を最小限にとどめるよう申し入れる」と述べた。
4.松川正則市長は「半年もいるのは常駐と同じではないか」といぶかしむ。騒音の大きい戦闘機といった外来機の飛来禁止を求めているが、外来オスプレイに関しては対応方針が定まっていないため、頭を抱えている。
5.在日米軍を監視するリムピース編集長の頼和太郎氏は、普天間所属オスプレイを整備する、陸上自衛隊木更津駐屯地(千葉県)と関連する可能性を指摘する。関係者によると木更津で現在、普天間所属のオスプレイ複数機が整備に入っているという。頼氏は「木更津にある機体の整備がうまくいかず、その補充のため外来が(普天間に)飛来しているのかもしれない」と分析した。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1352996.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel 参照 2021年7月11日)
(2)沖縄タイムス-平和の大切さ伝え続けた元米兵のアレンさん 遺志を継いだ被爆2世が半生演じる(中部報道部・伊集竜太郎)-2021年7月11日 08:00
沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。
1.元米海兵隊のベトナム帰還兵で、憲法9条の大切さを訴えた故アレン・ネルソンさんを演じる一人芝居が6月、沖縄県内各地であり、右田隆さん(53)=東京都=がアレンさんの半生をすごみのある演技で伝え、観客の目をくぎ付けにした。6月24日は市の佐喜眞美術館で、丸木位里・俊夫妻が描いた「沖縄戦の図」の前で演じ「平和は私たち一人一人の心の中から始まる」と訴えた。アレンさんの遺志を継ぐ「アレン奨学会・沖縄」が主催した。
2.アレンさんは18歳で入隊し、キャンプ・ハンセンで訓練を受けてベトナム戦争に出兵。戦場で浴びた枯れ葉剤の影響とみられる多発性骨髄腫を発症し、2009年に亡くなった。アレンさんは沖縄を含めて全国で1200回以上講演した。
3.母子家庭に育ったアレンさんは、貧困と人種差別から解放されるため入隊したが「軍隊では平和のことなど何も教わらず、毎日、人を殺す訓練を受けていた」。ベトナムでは地元住民を殺害した。しかし、地元の女性の出産に立ち会い、赤ちゃんを手にしたとき「ベトナム人も同じ人間なんだ」と受け止めた。
4.帰還後は、ホームレスになり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しんだ。ある日、同級生に誘われ小学校で講演。殺害の体験を語れずにいたが、子どもたちに「人を殺しましたか」と聞かれ「はい」と答えると「かわいそう」と抱きしめてくれた。「戦争の真実を語りたい。暴力に頼らない道があることを伝えたい」と決意した。来日して憲法9条を知った。
5.思いを受け継ぐ右田さんは「9条は地球に暮らす全ての人にとって大切なものだ」と訴え、アレンさんが生前に繰り返した言葉を投げ掛けた。「世界の平和が始まるのは、米国でも国連でも欧州でもない。この部屋、私たち一人一人の心の中から始まるのです」
(アレンさんの言葉に共感 被爆2世の右田さん)
6.右田隆さん(53)=東京都=は福岡県生まれで、現在は主に首相官邸前から会員制交流サイト(SNS)を通して、戦争体験者の体験談の朗読や歌を発信して非戦を訴えている。母が広島で被爆した2世。劇団を辞めた後、いじめを題材にした一人芝居を学校で披露していた。2015年の安保法制成立のころ、アレンさんの半生を描いた動画に偶然出合い「平和は一人一人の心の中で始まるもの」という言葉が胸に響き、演じようと決めた。
7.都内の公園で披露していたが、紹介を受けて国会前へ。それを見た人が舞台での公演を勧め、公演で集まったカンパ金で母の故郷である広島の原爆ドーム前で動画を撮影した。クラウドファンディングで資金を集め、01年9月の米同時テロで崩壊した世界貿易センタービル跡地でも演じた。石川県内の寺で行われたアレンさんの十回忌法要では、遺族の前で披露した。
8.沖縄には何度も足を運び、新基地建設の進む名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、抗議行動する市民らの座り込みに参加し、演じたこともある。「沖縄は9条から取り残されたような場所。沖縄の人がこれだけ声を上げても動かないのはおかしい。もっと全国が呼応しないといけない」と訴える。「戦争は自然現象と違い、人間が意図的に起こすもの。アレンさんが言うように、平和は一人一人の心から始まるものだ」。自身の芝居を見て、いろんな人が演じて広げてほしいと思っている。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/784013 参照 2021年7月11日)
(3)琉球新報-「無問題」香港の希望は幻か…祖国に戻り24年、裏切られた約束<沖縄発>(written by 松永 勝利)-2021年7月10日 19:06
琉球新報は、表題について次のように報じた。
1.24年前の1997年6月末から7月初旬まで、私は香港に滞在していた。英国植民地として世界的にもまれにみる繁栄を実現した香港がこの年の7月1日、1世紀半ぶりに英国から中国に主権が移譲された。「香港返還」と呼ばれる歴史的な転換期を迎える現地で、私はそこに暮らす沖縄出身者を訪ねる取材を重ねていた。
2.当時の中国は社会主義と資本主義の共存という「一国二制度」に基づき、香港の社会、経済制度を50年間は変えないと公約していた。このため香港の人々はおおむね、中国への主権移譲を冷静に受け止めているように見えた。街には「?好(ニイハオ)中国、再見(ツァイチェン)英国(こんにちは中国、また会おう英国)」という横断幕も見られ、歓迎する雰囲気すら漂っていた。
3.浦添市出身で香港沖縄県人会名誉会長の福島秀世さん(当時53歳)は英国統治最後の日の6月30日夕、自身が経営する会社の社員と家族の十数人と共に、九龍で夕食会を開いていた。社員との食事会は毎月開催してきたが、この日はいつもの広東料理店ではなく、中国への返還を祝して北京料理店に集まっていた。
(笑顔の在住ウチナーンチュ)
4.食事前に料理店で福島さんと社員がマージャンをしていた午後4時半、テレビでは最後の香港総督パッテン氏が官邸を後にする模様が生中継で映し出されていた。その様子を眺めながら福島さんは「歴史の通過点の一つに過ぎない。香港はこれからも大きな変化はない。私がこうして香港にいられるのも地元の人々に支えられてきたおかげだ」と笑顔で話していた。
5.取材を終えて料理店を出ると、多くの人々が街に繰り出していた。主権が移譲される7月1日午前零時前、九龍で最もにぎわいをみせる商業地域・尖沙咀(ツィムサーツイ)の百貨店前の交差点は人々であふれかえっていた。午前零時への秒読みが始まり、時報が鳴ると、割れんばかりの拍手と歓声が上がった。宿泊していたホテルでは、赤地に香港を象徴する紫荊花(しけいか)の白い5弁の花を描いた香港特別行政区の新しい旗の模様と返還年月日をあしらった記念皿が宿泊者全員に贈られた。
6.香港滞在中、取材で会った沖縄出身者は約30人。福島さんのように滞在30年以上に及ぶ人から数年前に移り住んだ人までさまざまだ。20代から50代までの男女。日本語教師、カラオケ店経営者、貿易会社代表、日本法人の現地駐在員、梱包資材会社の営業担当、米国企業の香港支店勤務など職業も多岐にわたった。香港返還直後の7月4日から、日本の銀行の香港支店で働き始めるうるま市出身の20代の女性もいた。
7.取材した全員に、中国返還後の香港で暮らすことへの不安の有無を尋ねた。すると悲観的な見方をしている人は皆無だった。意外だった。逆に日本の報道が香港返還を後ろ向きに伝えていることに、違和感を抱いていた。与論町出身で沖縄の会社の香港支店に勤める県人会幹部の40代男性は「返還が近づくにつれて、日本人から『どうして日本に帰らないの?』とよく聞かれる。『どうして帰らないといけないの』と聞き返している」と話していた。プラスチック製造会社に勤務する那覇市出身の20代男性は「香港の人々はいつものように生活を楽しんでいて何の不安もない。これから何が起こるか分からないけれど、正面から向き合いたい」と前向きに捉えていた。
8.竹富町出身で日本語教師の40代女性は、返還当日の7月1日に香港で朝から激しい雨が降り続けたことに触れながら「新しい中国・香港として生まれ変わるため、雨がイギリスの匂いを洗い流したような気がする」と好意的な受け止め方をしていた。
(「モウマンタイ」不安より希望)
9.香港在住8年のうるま市出身の30代女性は「モウマンタイ。香港の人たちは皆、こう言っている」と教えてくれた。「モウマンタイ」の意味と漢字を尋ねると、女性は私のノートにボールペンでこう記した。
10.「?問題(無問題)」
11.そして「問題ない、心配ない、変わらないということ。香港の人はそう思っている。というか、そう願っている」と説明してくれた。「だから沖縄出身の私たちが不安を抱え、おびえながら香港で暮らしているというような記事を書いたら承知しないわよ」とくぎを刺された。
12.英国から中国に主権が移譲された初日の7月1日夜、20代の若者を中心に沖縄出身者十数人が尖沙咀の上海料理店に集まった。沖縄県香港事務所の初代所長として香港に駐在していた下地芳郎さん(当時39歳)=現・沖縄観光コンベンションビューロー会長=も同席していた。参加者は料理を味わいながら、時折ウチナーグチを交えて楽しい話題に花を咲かせていた。普段は香港経済や沖縄との今後の関係などについて熱く語る下地所長も、この日ばかりは後輩の話を優しいまなざしで聞く兄貴のようだった。
13.食事を終えた若者たちは料理店を出て海側に向かった。対岸の香港島では高層ビルを背景に、返還を祝う色鮮やかな花火が上がっていた。人だかりの中、闇夜と海面に浮かんでは消える光の輪を眺めながら、若者たちはこれからの香港での暮らしに思いをはせているようだった。その姿は「不安」よりも「希望」を見いだそうとしているように映った。
14.帰国した私は早速、香港在住の沖縄出身者の暮らしぶりを伝える連載の執筆に取り掛かった。連載の題名は「新生香港のウチナーンチュ」。前向きにたくましく生きる香港のウチナーンチュの姿を描いた。第1回目の連載の見出しは記事の内容を反映して「香港ドリームに挑戦」「県出身若人さっそうと」などと希望にあふれたものになった。
(一筋の暗雲)
15.昨年6月30日、反体制的な言動を取り締まる「香港国家安全維持法」が中国共産党政権の主導で施行された。この1年、同法に違反したとして逮捕された香港人は100人を超えている。政治活動や言論への締め付けは急速に強まっており、これまでの高度な自治が保障され、自由な国際都市だった香港の姿は一変してしまった。中国の統制強化が進み、返還時に掲げていた「一国二制度」の公約は反故にされてしまったというほかない。
16.自宅に保管していた香港取材の当時のノート2冊をめくってみた。現地では沖縄県人会の役員に集まってもらい、座談会を開いていた。前向きな議論だけに終始していたと記憶していた。しかし、久しぶりにやり取りを書きつづった文字を追うと、一人の参加者の発言に目が留まった。記事には盛り込まなかったが、現在の香港で起きている出来事を暗示する発言をしていた。
17.「中国は国家体制の転覆を恐れている。言論の自由を許したら統制ができなくなると思っている。中国は香港でも言論に目を光らせるはずだ」。 18.中国に批判的な論調を展開し、民主派系の新聞社として知られてきた香港紙「蘋果日報(リンゴ日報、アップルデイリー)」が中国政府の圧力によって、6月24日付の朝刊をもって廃刊に追い込まれた。言論の自由を脅かす事態が現実に起こっている。
(「ウチナーンチュと似ている」)
19.香港取材の際、多くの県出身者を紹介していただくなど、大変世話になった下地芳郎沖縄観光コンベンションビューロー会長に、現在の香港の状況についてどう思っているのかを聞いてみたくなった。メールを送ると、すぐに次のような返信が届いた。
20.「1997年香港返還当時、香港内では『香港返還』ではなく『回帰』という表現が多くみられた。中国に戻るという意味合いだった。一方、香港では『私たちは〝中国人〟であると同時に〝香港人〟である』というプライドも強く持っていた。このあたりはウチナーンチュと似ているところもある。一国二制度という挑戦は香港側から見たときと中国側から見た時では意味合いが違う。どの視点から見るかは極めて重要だ。ただ、当時の約束であった50年の一国二制度という『約束』がないがしろにされていることは極めて残念だ。国際的な信頼は得られないと思うが、中国本土に住んでいる人々にとっては、今の香港の現状は大きな問題ではないのだろう。今、アップルデイリー最終版を取り寄せている。私が赴任した年に発行された思い出の新聞だ」
21.香港返還から24年。現在の香港の状況はあの時、沖縄出身者たちが想像していた未来とどれだけ重なっているのだろうか。少なくとも香港の人々が思い願っていた「?問題(モウマンタイ)」という状況にあるとは思えない。31歳だった私が当時の香港に満ちあふれていた息吹を精一杯の思いで取材し、文字にしたことを悔いる気持ちはない。ただ連載の題名に「新生香港」と冠したことが果たしてふさわしかったのか。息苦しい空気が日増しに深まる現在の香港情勢に触れるたび、沖縄で自問自答している。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1350309.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel 参照 2021年7月11日)
(4)琉球新報-1992年に嘉手納でも...大雨で泡消火剤が海に流出 米軍の報告書で指摘-2021年7月11日 14:58
琉球新報は、表題について次のように報じた。
1.【中部】米空軍嘉手納基地が1992年8月に作成した報告書で、嘉手納町兼久の米軍嘉手納マリーナ近くの消火訓練施設から泡消火剤などが大雨で流出し、海に流れ出たと指摘していたことが10日までに分かった。報告書は過去の水質調査をきっかけに流出に関する調査をしたと説明し、施設や訓練手法の改善を求めており、流出は繰り返し起きていたとみられる。流出した汚染水には発がん性などのリスクが指摘され、泡消火剤などに使われてきた有機フッ素化合物PFOSやPFOAが含まれていた可能性がある。
2.今年6月10日にうるま市の米陸軍貯油施設で発生した泡消火剤を含む汚染水の流出事故でも、汚染水を保管していた貯水槽が大雨であふれて基地の外に流出した。汚染物質が大雨で流出する問題は90年代から指摘されていたが、ずさんな管理が今も続いていることが明らかになった。
3.報告書は92年8月14日付で、琉球新報の情報公開請求に米軍が開示した。米空軍の調査・開発部局の職員が92年5月13日の大雨の日に消火訓練炉の周辺を調べたところ、白い泡と燃料があふれ出ていたと説明している。泡は排水溝に流れた後、コンクリートパイプを通って海に流出していたとしている。「炉をあふれ出た水は明らかに海に流出していた」と記載している。
4.また92年7月9日の雨が降っていない時に確認した際には、たまり水に厚さ約60センチの泡が確認されたことも記している。
5.報告書によると、この消火訓練施設は86年に整備された。米軍の内部規定によると、泡消火剤は管理された状態で処理される必要があり、雨水排水設備には合流させてはならないと指摘している。一方、日本や沖縄の環境基準については、資料が古く、明確でないとして評価を避けている。その上で再発防止策として、排水システムや訓練手順の改善などを求めている。
(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1353062.html 参照 2021年7月11日)
(5)琉球新報-排水路に高濃度の有害物質PFAS 指針の3.7倍、専門家「過去から汚染の可能性」(金良孝矢、新垣若菜)-2021年7月11日 05:50
琉球新報は、表題について次のように報じた。
1.うるま市昆布の米陸軍貯油施設から有害性が指摘される有機フッ素化合物(PFAS)を含む汚染水の流出が発覚し、10日で1カ月が過ぎた。琉球新報は6月10日の発覚から4~5日後、現場周辺の排水路や湧き水から、水と土壌を採取し、京都大学の原田浩二准教授(環境衛生学)に分析を依頼した。10日までにまとめた結果によると、排水路の水からPFOSとPFOAの合計値が1リットル当たり185・8ナノグラム検出された。国の暫定指針値(同50ナノグラム)の3・7倍となっている。
2.琉球新報は6月14日、流出現場から数十メートル下流の排水路で、たまった水と土砂を採取した。通常、排水路に水はないが、同13~14日の雨で水たまりがあった。また同15日、現場から約2・5キロ下流にある市宇堅の湧き水シリガーから水を、同ウキンガーから土壌を採取した。
3.排水路の水は、市や県がさらに下流の昆布集落内や天願川から採取した水より高い値を示している。市が採取した水は、PFOSとPFOAの合計値が1リットル当たり9・7~130ナノグラムで、県が採取した水は同2・5~44ナノグラムだった。
4.排水路の土壌は、1キログラム当たり3594・4ナノグラムとなっている。土壌は国の指針値はないが、環境省が2019年度に全国で実施した底質調査では、PFOSの最大値が同460ナノグラム、PFOAの最大値は同190ナノグラムだった。排水路の土壌はその合計より高い。また、2020年4月に普天間飛行場であったPFASを含む泡消火剤流出事故後の米軍の土壌調査の最大値は、同38・2ナノグラムだった。
5.原田准教授は、排水路の水と土壌の値が高かったことに「流出のあった汚染水そのものではないにしても、この濃度は簡単には出ない。施設周辺で過去からの汚染があることを示している」と指摘した。
(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1353054.html 参照 2021年7月11日)
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by asyagi-df-2014
| 2021-07-11 16:51
| 沖縄から
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