集団的自衛権を考える02-戦争させない1000人委員会編「すぐにわかる集団的自衛権ってなに?」から受け取るもの


集団的自衛権を考える02-戦争させない1000人委員会編「すぐにわかる集団的自衛権ってなに?」から受け取るもの

 この本を読みながら痛切に感じること、それは、安倍政権の論理的整合性のなさである。
だとしたら、何故。
このことを考え続けなければならない。
 
この本から、読み取れるもの。以下のように収録された文章から抜粋してならべてみる。

大江健三郎
 私は生き直すことができない、しかし
 私らは生き直すことができる。

組坂繁之
 戦争は最大の差別、最大の人権侵害だ

左高信
 「集団的自衛権行使容認ということは、「自衛」から「他衛」、他の国、つまりアメリカの戦争に参加する義務を負うということになるんですね

辛淑玉
 国際社会は、不愉快なヤツと生きていくことです。国際化というのは、過剰適応して、あなたも私も言いたいことも言わずに、どちらか一方の色になることではありません。違いがあって、違う意見があって、違う立場があって、それでも一緒に生きていくんだということ、これが「のりこえねっと」の目標です。・・・いまここで政権と立ち向かうことが反日・非国民であるというのなら、むしろそれは誇りと思いたい。それは国際社会に対して、「私たちはいまここに生きている」というメッセージになります。

高橋哲哉
 いまでは欧米各紙は(靖国神社を)「戦争神社」"war shrine”と書きます。そして安倍首相は「歴史修正主義者」”revisionists”と書かれます。

山内敏広
 憲法は96条で改正手続きを定めています。この手続きを経ることなくして、その時々の内閣の憲法解釈によって、あるいは首相の一存によって、憲法の改正を実質的に行うということは、この96条に抵触するだけでなく、立憲主義そのものを破棄するものであると確信しています。・・・首相が憲法の最終的な解釈権者であるとは書いていません。

 ある論者は、憲法には集団的自衛権行使を禁止する規定がないと言っています。しかし、それは当たり前です。日本国憲法は戦争の放棄を規定し、武力の行使を禁止しています。そういう憲法の下で、集団的自衛権の行使をわざわざ禁止する規定を書く必要はないのです。

 ある論者は、国際法上許されている集団的自衛権の行使を憲法が禁止することはおかしい、という理論を説いています。これは国際法と国内法との違いについての無知の表明です。国連憲章は加盟国に集団的自衛権の行使を認めていますが、集団的自衛権というのは、国連の集団安全保障システムのなかにあっては例外的規定としてのみ認められているものに過ぎません。そのようなものの保持行使を日本国憲法が否認したからといって、国連憲章の趣旨になんら抵触するものではありません。

 このようにならべさせてもらうと、こうした意見がいかにまっとうであるかがわかる。 特に、この本で引用されている安倍首相の以下の発言を並べて比較してみると、このことは歴然としている。

安部晋三
 憲法について、考え方の一つとして、いわば国家権力を縛るものだという考え方はありますが、しかし、それはかって王権が絶対的権力を持っていた時代の考え方であって、今まさに憲法というのは、日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないか、このように思います。


 最高の責任者は、私です。私が責任者であって、政治の答弁に対しても私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではないんです。私なんですよ。だからこそ、私は今こうやって答弁をしているわけであります。


 軍事同盟というのは、”血の同盟”です。日本がもし外敵からの攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。・・・日米安保をより持続可能なものとし、双務制を高めるということは、具体的には集団的自衛権の問題だと思います。

 
こうしてみると、安倍政権が強行しようとしている政策がいかに矛盾だらけであるかがこれだけでもわかる。特に、安部晋三の論理性の無さは際立っている。

 また、このほかに、この本では以下のことが明快に分析されている。
 是非、読んでみては。


・集団的自衛権とは
・「武力行使の違法化」
・集団的自衛権は自然権?
・集団的自衛権は実際どのように行使されてきたのか
・ゲレーゾーンとは
・積極的平和主義とは
・限定的な集団的自衛権は認められる?
・アメリカの戦争と一体化した安保協力はさらに深化していくこと
・韓国、中国らの批判は、靖国参拝に対してなされるのであって、死者に対する追悼、慰霊が批判されているのではないこと


 最後に、北岡伸一安保法制懇座長代理の中日新聞・東京新聞の2014年4月21日のインタビュー記事を載せる。
 こうした類の能力を持った人たちが今を動かしている。


 「憲法は最高規範ではなく、上に道徳律や自然法がある。憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法、その意味で憲法学は不要だとの議論もある」


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-11 05:30 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄からの二つの投げかけ


沖縄からの二つの投げかけ

 沖縄タイムスの二本の気になる記事がありました。

 一つ目は、沖縄タイムスは2014年6月9日付けの「『辺野古反対』沖縄53%、福島9%両県首長アンケート」との次の記事。

 沖縄タイムス社と福島民報社は合同で、沖縄・福島両県の全市町村長を対象に、国の安全保障政策やエネルギー政策などに関するアンケートを実施した。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について、沖縄県内で過半数の21人(53%)が「進めるべきではない」と回答したのに対し、福島県内では5人(9%)にとどまった。一方、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けた国のエネルギー基本計画については、両県ともに「評価しない」が最も多く、沖縄で19人(48%)、福島で38人(66%)に上った。

 東京電力福島第1原発事故を受け、脱原発を求める傾向が沖縄、福島両県で広がる一方、普天間問題については両県で意識のギャップが浮き彫りになった。
 普天間飛行場の辺野古移設について、沖縄は「進めるべきではない」が最多。「どちらとも言えない」が12人(30%)、無回答5人(13%)、「進めるべき」が2人(5%)だった。
 「進めるべきではない」の回答理由は「地元の理解の得られない辺野古移設案の実現は事実上不可能。県外移設が合理的かつ早期に課題を解決できる方策である」(那覇市長)など。
 これに対し、福島県内では「どちらとも言えない」が最も多い42人(72%)、「進めるべき」が8人(14%)と続いた。
 「どちらとも言えない」とした理由は「複雑な経緯や沖縄県民、名護市民の民意もあり、どちらとも言えない」(矢吹町長)など。
 「進めるべきではない」の回答理由には「沖縄県民の悲願である県外移設を探るべきだ」(浪江町長)、「沖縄県民の気持ちや苦悩を考えると進めるべきでない。日本全体の問題と捉え、負担を少しでも少なくできないかを考える必要がある」(飯舘村長)との意見があった。

 一方、エネルギー基本計画については「評価する」が沖縄でゼロ、福島で2人にとどまった。
 評価しない理由として、沖縄では「国民の安全よりむしろ経済を優先したもの。(原発の)廃炉や(放射性廃棄物の)最終処分についても、福島の現状から分かる通り、次世代から後世までその責任を負わすことになる」(西原町長)など原発に否定的な見解が主だった。福島では、県民の苦境を訴え、全国の原発再稼働を警戒する意見が目立った。
 調査は、沖縄県内の全41市町村、福島県内の全59市町村の計100人の首長が対象。沖縄県の宮古島市長、福島県の相馬市長を除く、98人から6月初めまでに回答を得た。

 これまで沖縄タイムスの社説でも、原発事故と基地問題の抱えさせられてきた問題点の同一性が触れられてきたが、福島といえども基地問題でそこまで考えが至るには難しいということなのか。それとも、首長だから余計に難しいということなのか。

 
もう一つは、「国会本会議でかりゆし着用は駄目?」という2014年6月7日の次の記事。

 【東京】かりゆしウエアは正装ではない? 開会中の国会で、かりゆしウエアの着用をめぐって議論が起きている。
 発端は4日の参院本会議。厚生労働委員長の石井みどり議員(自民)が、かりゆしを着て登壇した。これに対し、6日午前の議院運営委員会の理事会で民主議員が「上着を着ないのは違反だ」と疑問を投げた。
 クールビズ期間の服装は衆参とも、議運の申し合わせで、上着なしのノーネクタイが認められている。しかし、本会議場に限っては上着を必要としている。かりゆしが上着に当たるかは「グレーゾーン」(参院議事部)だという。
 「上着ではない」と指摘する民主に対し、自民は普段から着用しているイメージがあるのか、「福島瑞穂君(社民)もいらっしゃる」と応酬。共産は「かりゆしは正装だ」と着用を認めるよう訴えるが、民主は「かりゆしだけ(特別)か」と頑として認めない。結局、各会派持ち帰り、再協議することになった。
 沖縄では夏の正装として定着しており、島尻安伊子参院議員(自民)らも普段から国会で着用している。本人不在の場で、期せずして“宿敵”自民から、かりゆしの象徴として挙げられた福島氏は「5年前からずっと着ているかりゆしは立派な上着。それよりもっと大事な議論があるはずなんだが」と困惑顔だ。(大野亨恭)

 
これは、何が問題なのかといったレベル。
もともと上着など必要のないところでのあたりまえの服装に、難癖をつける方がおかしい。着用する人にとって、正装にもなるし、遊び着にもなる、それでいいではないか。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-10 06:00 | 沖縄から | Comments(0)

集団的自衛権を考える-01



集団的自衛権を考える-01

 集団的自衛権の問題を書かずに来ました。
 そうしているうちに、事が進められています。
時事通信社は2014年6月8日に、「 集団自衛権、安倍首相が作業加速指示=高村氏「今国会中」決着へ意欲」と次のように報じています。


 安倍晋三首相は8日、首相公邸に谷内正太郎国家安全保障局長らを呼び、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更に関し、22日に会期末を迎える今国会中の閣議決定に向け検討を加速するよう指示した。政府は10日の安全保障法制整備に関する協議会で自民、公明両党に原案を提示し、速やかな合意形成を促す構えだ。
 与党協議会で座長を務める自民党の高村正彦副総裁は8日のNHKの番組で、「会期中にまとめたい。まとまるかどうかは公明党の了解を得なければならない」と述べ、早期の合意に意欲を表明。この後、記者団に「今ぎりぎり、不可能を可能にする努力をしているということだ」と語った。
 一方、公明党の北側一雄副代表は同じ番組で、年末の日米防衛協力の指針(ガイドライン)再改定を「当面の政治課題で一番大きい」と位置付けた上で、「ガイドラインに直結する話は、早く結論を出さなければならない」と語った。
 ただ、集団的自衛権をめぐるこれまでの与党協議に関し、「『国の存立を全うするため』とか、『わが国の安全保障に重大な影響を与える』とか、言い換えるとセルフディフェンスだ」と指摘。「他国防衛ではなく、自国防衛だ」と語り、行使容認のための憲法解釈変更には慎重な立場を重ねて示した。


 この動きに対して、朝日新聞は2014年6月8日付けの社説「集団的自衛権―乱暴極まる首相の指示」で批判を次のように展開しています。


 集団的自衛権の行使を認める閣議決定を今国会中にする。そのための公明党との協議を急ぐように――。安倍首相が自民党幹部にこう指示した。会期末は22日。首相は、延長は考えていないと言っている。
 政府の憲法解釈の変更によって集団的自衛権を認めることはそもそも、法治国家が当然踏むべき憲法上の手続きをないがしろにするものだ。
 それを、たった2週間のうちに行うのだという。認めるわけにはいかない。
 首相の指示を受けて自民党は、行使容認に難色を示す公明党との協議を強引に押し切ろうとしている。
 おとといの協議では、自民党側が終了間際になって、それまで議論されていなかった集団的自衛権にからむ「事例」をいきなり持ち出した。さらに、閣議決定の文案を用意するよう政府側に求めた。
 政府が示した15事例に、どれほどの必然性があるのか、判然としない。公明党を容認論議に誘い込むための「呼び水」という意味合いが強いのに、その検討ですら駆け足ですませようとしている。
 自民党と公明党は、党としての成り立ちも、支持基盤も、重視する政策も異なる。そこから生じる意見の違いを埋めてきたものは何か。
 選挙協力や政策決定への関与といった打算も互いにあるだろう。ただ、少なくとも表向きはていねいな政策協議があってこそだったのではないか。
 自民党は、10年以上にわたって培われてきた公党間の信義をかなぐり捨ててでも、強行するというのだろうか。
 公明党は、それでも与党であり続けることを優先し、渋面を浮かべながらも受け入れるのだろうか。
 安倍首相は、集団的自衛権容認に向けての検討を表明した先月の記者会見で語った。
 「私たちの命を守り、私たちの平和な暮らしを守るため、私たちは何をなすべきか」
 「今後のスケジュールは、期限ありきではない」
 その後、与党協議や首相の国会答弁で、ペルシャ湾での機雷掃海や、国連決議に基づく多国籍軍への後方支援の大幅拡大などが次々と示された。
 あげくの果てが、いまの国会中に閣議決定するという自民党への指示である。
 与党間の信義という内輪の問題にとどまらない。国民に対してもまた不誠実な態度だ。
 
 このように謀略的政策が着ちゃくと進行させられている中なのですが、ここでは、日弁連の2014年5月30日の「重ねて集団的自衛権の行使容認に反対し、立憲主義の意義を確認する決議」を、まずは集団的自衛権に関する諸問題を捉えるために掲載します。

当連合会は、2013年5月31日の第64回定期総会における「集団的自衛権の行使容認に反対する決議」において、政府が、従来の確立した集団的自衛権の行使に関する政府解釈を閣議決定あるいは法律の制定によって変更しようとしていることに強く反対を表明した。
 これまで政府は、一貫して、憲法第9条の下における自衛権の行使は、我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)があり、これを排除するために他の適当な手段がない場合に、必要最小限度の範囲のものに限って許容されるものであって、我が国が直接武力攻撃を受けていない場合に問題になる集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるものとして憲法上許されないとしてきた。
 ところが、政府は集団的自衛権の行使容認等に向けて、2013年12月に国家安全保障会議(日本版NSC)を設置した上、自衛隊を質・量共に強化し、その活動範囲を広げる等、実力による国際紛争への対処の方向性を強く打ち出し、従来の政府解釈の自衛権行使要件の緩和につながりかねない「国家安全保障戦略」、「平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」及び「中期防衛力整備計画(平成26年度~平成30年度)」を閣議決定した。
 そして、自衛隊法や周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(周辺事態法)、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO協力法)等の個別法を改正しようとしている。また、政府は、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の変更を閣議決定等によって行う方針を示した。
 さらに現在、政府は、安倍晋三首相の私的懇談会である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告を受け、憲法解釈を変更する閣議決定を行おうとしている。
 このような憲法の基本原理に関わる変更を国民の意思を直接問う手続を経ることもなく、内閣の判断で行うことは、仮に集団的自衛権の行使に「限定」を付して認めるものだとしても、憲法を最高法規とし、国務大臣等の公務員に憲法尊重擁護義務を課して(憲法第98条第1項及び第99条)、権力に縛りをかけた立憲主義という近代憲法の存在理由を根本から否定するものである。立憲主義は、全ての人々が個人として尊重されるために憲法が国家権力を制限して人権を保障するというものであり、近代自由主義国家が共有するものであって、その趣旨は、個人尊重と人権保障にある。したがって、立憲主義の否定は、これらの価値を否定することにつながり、到底容認することができない。
 憲法前文は、全世界の人々の平和に生きる権利を実現するための具体的規範たる平和的生存権を定め、憲法第9条は一切の武力による威嚇・武力の行使を放棄し、他国に先駆けて戦力の不保持、交戦権の否認を規定して、軍事力によらない徹底した恒久平和主義を実現しようとするものであって、これらは世界に誇りうる先駆的意義を有する。
 憲法の徹底した恒久平和主義の下における外交・防衛政策は、軍事力によるのではなく、あくまでも平和的方法による国際的な安全保障の実現でなければならない。世界各国が相互に密接な経済的依存関係を有する今日、軍事力に頼るのではなく、平和的方法による地域的な共通の安全保障を追求することこそが現実的である。そのとき、世界に先駆けてあらゆる戦争を排した日本国憲法の先駆的意義こそが指針とされなければならない。
 当連合会はここに重ねて、政府が憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認しようとすることに対し、立憲主義及び徹底した恒久平和主義に反するものとして、強く反対する。
 以上のとおり決議する。
               2014年(平成26年)5月30日
                            日本弁護士連合会


現在の安倍政権による集団的自衛権を憲法解釈で合憲化しようとするやり方は、立憲主義を破壊するものであり、到底許されるものではありません。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-09 06:14 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

第10回竜一忌 「松下竜一の文学」に参加して

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第10回竜一忌 「松下竜一の文学」に参加して

 
 2014年6月7日、中津市の市立図書館で、第10回竜一忌が、開催されました。
 主催者の草根の会は、「竜一忌を今回で最後にする」としていましたので、事前申込者が274名との報告があったように、一抹の寂しさはどこかに漂ってはいたのですが、会場は満員状態で、熱い集会となりました。
 この集会の雰囲気は、8日付の朝日新聞朝刊の次のような記事が、多くの人が実感として感じたものでした。


「梶原さんにご苦労様といいたい。一方で、日本が大事な時に,立ち上がるエネルギーを持っている集まりがなくなるのは寂しい。残念だ」


 また、竜一忌を10年間開催してきた梶原さんと草の根の会の皆さんに、感謝を顕したいという想いも、会場参加者が共有しているものでした。

 梶原さんは、松下竜一という人と同時代を、まさに一緒に闘ってきた人です。
 梶原さんは、自分自身の今ということについて、今回のプログラムとして上映された、『松下竜一・いのちきの思想~同時代を生きた証』(西山正啓監督製作)のなかで、次のようにインタビューに答えていました。

「松下さんが居なくなってからの人生は心許ないが、いつも見られていることを意識しながら、人として失っていけないものを失わないようにしている」(かなりの意訳です)

 竜一忌のこの10年間は、松下竜一の思想とその運動とともにあったことは確かです。
ただ、竜一忌のあったこの10年間は、私達にとっては、梶原さんとともに同時代を生きた期間でもあったとも思っています。

 
 この集会を通した松下さんからの強いメーセージは、『弱者からの視点』ということと『自分の立場をはっきり表明しなければいけない』ということだったと思います。
 現在の置かれている状況のなかで、改めて、このことを問うていかなければならないと受け止めています。
 この「弱者からの視点」ということにかかわって、山家悠紀夫(やんべきくお)さんのリレートークのなかでの「暗闇の思想とアベノミクス」の話は、実に心に響く物でした。        勝手に要約しますと、「安倍政権(アベノミクス)は、成長戦略として第3の矢を振りかざすが、『実態は、企業は天国、99%は地獄へ』という毒矢でしかない」、という明確な分析でした。「成長」よりも「分配」を。そして、松下さんが提唱した「暗闇の思想」に学ぶことだと。
 さらに、「自分の立場をはっきり表明しなければいけない」ということに関しては、渡辺ひろこさんの「『2の日』300回を超えて・・・」のなかの次のような文章がどすんと打ちました。


「87年2月です。4月に松下さんの講演会をしました。その講演の最後を松下さんは、『自分の中の絶望との闘いだと覚悟することです』という言葉で締めくくりました。その日以来、崩れそうな気持ちになるとこの言葉を思い出して、『覚悟はあるか?』と自分を叱咤します」

 どうやら、大切なことは「自分の中の絶望との闘いだと覚悟すること」にあるということのようです。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-08 23:00 | 連帯を通して-市民運動の場で | Comments(0)

沖縄で起こっていること-辺野古から2014.06.08


沖縄で起こっていること-辺野古から2014.06.08

 今、沖縄で起こっていること。
 私たちが知らなければならないこと。辺野古から。

 
琉球新報は、2014年6月5日、社説で「海保辺野古警備 民意の圧殺は許されない」と、次のように報じた。


 沖縄県民の民意と行動を何が何でも圧殺しようというのか。
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設計画で、防衛省が7月に実施する予定の海底ボーリング調査に向け、海上保安庁は全国から船舶や人員を沖縄に派遣し、周辺海域の警備に当たる方針という。
 普天間の辺野古移設には県民の7割以上が反対している。この民意を踏みにじるように、強権的に物事を進めるのは民主主義国家としてあるまじき姿だ。武断政治的な発想とやり方は断じて容認できない。
 ボーリング調査に向け、政府はキャンプ・シュワブ内にある海保拠点の機能強化に係る経費も2014年度予算の予備費から拠出するほか、刑事特別法も適用して抗議行動を封じ込める方針だ。
 辺野古移設を遮二無二進めようという政府の姿勢が一層鮮明になっている。憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認の動きに象徴される安倍政権の暴走の一端がここにも表れている。
 海保は見張りなどの哨戒活動を行う大型船舶の巡視船を派遣するほか、シュワブ内の拠点施設にゴムボートなどの小型船舶を増やして警備を強化するという。
 日米合意文書「5・15メモ」で米軍活動を妨げない限りは立ち入りを制限しないとしている水域内についても、立ち入りを制限する「継続的活動」に住民らの抗議行動が当たると拡大解釈し、抗議行動を取り締まる構えだ。
 しかし、調査強行は流血の事態に発展する恐れもある。県内外の移設反対の世論を背景に抗議行動する住民らに対し、海保職員らは大義を感じ、誇りを持って警備に当たれるのか。そうは思えない。
 民主的な民意を弾圧するような警備、取り締まりは多くの国民はもとより国際社会の理解も到底得られない。これでは中国の天安門事件も非難できないだろう。
 04~05年に実施されたボーリング調査は抗議行動で長期化し、防衛省は超過料金22億円を業者に支払わざるを得なくなり、会計検査院から経理の不適切さを指摘された。また同じ過ちを犯そうというのか。
 辺野古移設は環境破壊や人心の疲弊と対立、経費面など、あらゆる角度から見て無謀な計画だ。
 政府は辺野古移設の非実現性を悟り、これ以上時間と労力の無駄を重ねるべきではない。普天間県内移設を根本から見直すときだ。


 現在の辺野古の様子を、沖縄タイムスは、2014年6月6日付で「辺野古沿岸で作業『ボーリングとは無関係』」と次のように報じている。


 【名護】新基地建設が予定されている名護市辺野古の沿岸で連日、調査船や警戒船およそ10隻が作業を実施している。5日は11隻の船が確認された。本紙の取材に対し、沖縄防衛局は「測量調査と水域生物調査の船で、ボーリング調査とは関係ない」としている。
 同海域では、防衛局が7月にもボーリング調査を始めるほか、同調査を前にブイの設置も予定されており、今後、調査船や警戒船の数がさらに増える可能性がある。
 5日は埋め立て予定地の東側付近に当たる長島近くの海で、「調査船」や「警戒船」と書かれた横幕が張られた船が作業。一直線に浮かべたブイ3個の周囲などを、ダイバーが潜って調査したとみられる。これまでに少なくとも2日と4日にも、10隻ほどの船による作業が確認されている。
 防衛局によると、水域生物調査の履行期間は11月30日まで、測量調査の履行期間は来年3月31日までで、具体的な調査日は明確にできないという。


 当局は、「抗議行動を取り締まる構え」への強い意思を示している。しかし、このままでは「調査強行は流血の事態に発展する恐れ」も確かにある。
 まずは、状況を知ることから始めなければ。 


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-08 10:00 | 沖縄から | Comments(0)

ブラック企業を考える。


ブラック企業を考える。

 沖縄タイムスの6月3日の過労死にかかる社説の「中高年だけの問題ではない。若者を過酷な条件下で働かせ、使い捨てにする『ブラック企業』だ。県内でも沖縄労働局が昨年9月、27事業所を抜き打ち調査。過労死のリスクが極めて高い月80時間超の時間外労働は5事業所、100時間超も3事業所あった」という内容に、はたと気づかされた。
 過労死は、すでに、若者の問題であった。今、取りざたされているブラック企業問題の行き着く場所は、過労死問題でもあったのだ。
 そこで、「過労死」で検索をかけてみた。
 
気になるbusiness journalの次の記事を見つけた。

ブラック企業大賞2013」授賞式の模様
 労働問題に取り組む弁護士や大学教授、労働組合(労組)関係者らが主催し、日本におけるブラック企業の“頂点”を決める「ブラック企業大賞 2013」。昨年に続いて第2回の開催となった同賞の授賞式が8月11日に開催され、ワタミフードサービスが大賞と一般投票賞を受賞した。
 主催者発表によれば、投票総数はウェブ投票と会場投票を会わせて3万501票。ワタミフードサービスがこのうちの72%を占める2万1921票を獲得した。同社代表者は授賞式に姿を見せず、賞状とトロフィー、副賞の労働六法は、主催者の一人が“代理”で受け取った。

●起訴されていないノミネート企業経営者
 ジャーナリストでブラック企業大賞実行委員・竹信三恵子さんは、授賞式の後半で「何をもってブラック企業とするか?」という定義の問題について、「労働者の生存権を脅かす」ことが共通しているとして、次のように説明する。

「法律または法律の趣旨に反した労務管理によって、労働者の生存権を脅かすような人権侵害をしたり、労働者の使い捨てによって利益を上げることがビジネスモデルになっているような企業」

 また、人権をペスト菌にたとえて敵視する企業もあるという。

「基本的人権、人権尊重、人権蹂躙、人権擁護。これは、1度抜けば魔剣の切れ味で相手を黙らせることができる言葉である。この魔剣を振り回す人権教の狂信者が増えている。経営やビジネスといった最も遠い領域にまで、人権というペスト菌が蔓延しはじめている」


 実行委員の1人でルポライターの古川琢也さんの説明によると、これは王将の新人研修などを手がけている企業・アイウィルの社長が、同社の会報誌に書いた内容。古川さんは「(フランス人権宣言以降の)過去300年ほどの人類の歴史を否定している」と言う。

 ワタミも、会社の方針をまとめた「理念集」というタイトルの教典で、「365日24時間死ぬまで働け」という一節を収録している。娘を過労自殺で亡くした遺族は、これを「未必の故意」「殺意」と非難している。

●刑事事件に問えないか?
 だが、違法な労働条件などにより社員が過労死しても、その企業の経営者が刑事事件で起訴されたり、有罪になったという話は聞かない。

 授賞式のあと、今回ノミネートされた企業と同じようなケースで代表者が起訴されたという報道がないかどうか、筆者が新聞記事データベースを使って調べると、1つもヒットしなかった。

 従業員を過労死させたというだけでは、違法にならないからだ。

 労働時間には1日8時間、週40時間までという上限が労働基準法で定められているが、労使が協定を結ぶことで、これを超えて労働(残業)させることができる。ところが、残業時間には法的な上限がないため、過労死基準を超える協定を締結すれば、従業員を過労死させただけでは罪に問えない。

「ブラック企業大賞」実行委員会の佐々木亮弁護士は、会場から「過労死を出したノミネート企業の経営者を、業務上過失致死など刑事事件に問えないのか?」との質問に、次のように答えている。

「『刑事責任の問うほどの過失があったとするのは難しい』と検察官が判断することもあり得る。仮に告訴・告発しても、不起訴になる可能性は高いと思う。(起訴されても)無罪になり、(経営者は)悪くなかったと考えられてしまう懸念もある」

 ではブラック企業に入社してしまったら、どうすればよいのか?

 授賞式の最後で、実行委員の1人で東京東部労組の須田光照書記長は、「こうした企業経営者に対して、1ミリたりとも幻想を持ってはいけない」とした上で、とにかく横のつながりを持てと訴える。

「ブラック企業に入ってしまったらどうするかが問われている。ブラック企業の被害者は自分が悪いと思い込んでいる」

「ブラック企業で働いていても、『緩やかな紐帯』や『連帯』などいろいろな言い方があるが、団結する、つながっていくことだと思う」

「ひどい事例が先行するマスコミにはなかなか載らないが、労働条件を改善させている組合はあちこちにある。展望があると強調したい」

 もし自分がブラック企業の被害者になってしまったら、まずは社外の労働組合や支援組織などに相談することから、突破口が開けるかもしれない。
(文=佐藤裕一/回答する記者団)

 ブラック企業とは、「労働者の生存権を脅かす」ことが共通しており、「法律または法律の趣旨に反した労務管理によって、労働者の生存権を脅かすような人権侵害をしたり、労働者の使い捨てによって利益を上げることがビジネスモデルになっているような企業」であることがわかった。
 
 娘を過労自殺で亡くした遺族の「未必の故意」「殺意」という訴え(叫び)を、どのようにして活かしていくかということが問われている。 また、「自分がブラック企業の被害者になってしまったら、まずは社外の労働組合や支援組織などに相談することから、突破口が開けるかもしれない」ということを、当時者へ働きかける仕組みをどのようにして作っていくのかということでもある。
 


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-06 18:00 | 書くことから-労働 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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