集団的自衛権を考える-04


集団的自衛権を考える-04

 「安部晋三首相は、15日の会見では、言いたいことを言えなかったかもしれないが、すでに決めていた『いいたいこと』については、強引に推し進めることにしている」と前に書いたが、6月12日の朝日新聞の次の記事は、まさしくこのことを説明するものになっている。
以下、引用。


 安倍晋三首相は11日、今国会初の党首討論で、他国を武力で守る集団的自衛権を使えるようにする憲法解釈の変更について「政府として立場を決定し閣議決定する」と明言した。ただ、なぜ憲法解釈の変更で使えるようにするかには正面から答えなかった。一方、公明党は閣議決定に応じない考えを崩していない。
 民主党の海江田万里代表は、憲法解釈の変更で行使を認めることは「許されない」と批判。憲法改正ではなく解釈変更で認める理由をただした。
 首相は朝鮮半島有事を念頭に日本人を乗せた米艦艇を自衛隊が守る事例を挙げ、「今までの解釈では守れない」と指摘。「憲法の前文、13条に平和生存権があり、国民の幸福追求権がある。いま挙げた事例で、憲法が国民の命を守る責任を果たさなくていいと言っているとは、私にはどうしても思えない」と反論した。しかし、憲法9条には一切触れず、なぜ9条の解釈変更が必要で、どのように変えるのかも説明しなかった。
 海江田氏はまた、中東のペルシャ湾・ホルムズ海峡での機雷除去を挙げ、「戦闘中で、自衛隊員の命が失われる可能性がある。そういう時も首相は命を捨てろというのか」と質問。首相は「確かに機雷の掃海は危険な任務だ」と認めた。一方で「ホルムズ海峡で機雷が敷設され、封鎖された際、経済パニックが起きる。日本は決定的にその被害を受ける」と指摘。日本が責任を果たす必要があるとの考えを示した。
 首相は「みんなの党や(日本)維新の会の諸君は、あえてしっかりと国民の皆様に(行使容認の)立場を表明している」とも述べた。(鶴岡正寛)
 ■公明難色「論点多く残っている」
 安倍首相が改めて閣議決定を明言したが、公明党は「まだ議論すべき点は多く残されている」と難色を示す。「22日の今国会会期末までの閣議決定」に向け、攻防が激しくなっている。
 自民党の高村正彦副総裁と公明党の北側一雄副代表は11日朝、東京都内で秘密裏に会談した。高村氏は閣議決定文案を示しつつ「13日の与党協議でこの原案を配り、検討に入ることを認めてほしい」と求めたが、北側氏は「集団的自衛権は、まだ党内議論にも入っておらず難しい」と拒否した。
 別の場所でも自公両党の幹事長・国会対策委員長が意見交換しており、自民党の石破茂幹事長は記者団に「公明党は(閣議決定について)『難しい』とは言うが『できない』とは言っていない」と合意への期待感を示した。政府関係者は「与党幹部には12日に閣議決定案を説明する。もう妥協の余地はない。あとは公明党が集団的自衛権を認めるか、認めないかだ」と語り、公明に合意へ決断を迫る構えだ。飯島勲内閣官房参与も10日、米国での講演で、公明党と支持母体・創価学会との「政教分離」の関係に触れ、公明党に揺さぶりをかけた。
 両党間で、こうした水面下の動きが先行する一方、最も立場の開きがあるとされる両党首の会談はまだ行われていない。
 党首討論では、公明の山口那津男代表は与党党首のため質問せず、首相の左後方席で議論を見守った。集団的自衛権の行使に極めて慎重な山口氏は硬い表情のまま首相の発言にペンを走らせ、周囲の自民党議員が首相に拍手しても同調しなかった。終了後、記者団に感想を聞かれると、「全体的な印象としてはかみ合っていない」と物足りなさすら口にした。首相も討論では公明との協議に触れず、両党首の溝の深さが際だった。(冨名腰隆、岡村夏樹)


 では、これからどうするか。
 ここでは、2014年6月11日の毎日新聞の社説を-集団的自衛権、理屈通らぬ閣議決定案-を引用する。


 政府・自民党は、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更の閣議決定の原案を、今月13日にも与党協議で示し、今国会中の閣議決定を目指す方針を明確にした。
 これまでに明らかになった原案の内容をみると、歴代政権が過去40年以上、積み重ねてきた憲法解釈の一部をつまみ食いして都合良く解釈し直しており、理屈が通っていない。
 原案は、1972年に田中内閣が参院決算委員会に示した政府見解を根拠にしている。
 政府見解は「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めたうえで、「その措置は必要最小限度の範囲にとどまるべき」だとして、「集団的自衛権の行使は憲法上、許されない」と結論づけた。
 原案は、この見解が認める「自衛のための必要最小限度」の武力行使の範囲に、限定的な集団的自衛権の行使が含まれると憲法解釈を変更するのが柱だ。政府見解を根拠にしながら、結論だけを全く逆のものにひっくり返している。
 これほどの安全保障政策の大転換をするなら、憲法改正を国民に問うしかないと私たちは主張してきた。だが政府・自民党は、憲法の解釈変更で突破する道を選択し、その根拠を探してきた。
 最初は、米軍駐留の合憲性などが争われた59年の砂川事件最高裁判決を根拠に「最高裁は個別的、集団的の区別をせずに必要最小限度の自衛権を認めている」と主張した。だが、公明党などから「判決は個別的自衛権を認めたものだ」と批判を受けて、代わりに持ってきたのが72年の政府見解だ。
 政府高官はこう解説する。
 政府見解が展開した基本論理は正しい。ただ「集団的自衛権の行使は許されない」という結論が間違っていた。だから「行使は許される」という結論を「当てはめる」−−。
 こんな説明に納得できる人が果たしてどれほどいるのだろうか。
 公明党は、閣議決定の原案の協議に入ることに難色を示している。政府・自民党は、公明党の理解を得るため、原案の表現を「集団的自衛権を行使するための法整備について今後検討する」などぼかすことも検討しているようだが、実質的には憲法解釈変更を閣議決定するのと変わらない。
 10日の与党協議では、政府が集団的自衛権の行使容認が必要とする8事例について、初めて本格的議論が行われた。個別的自衛権や警察権で対応できるという公明党と、集団的自衛権でなければ対応できないという自民党の主張は平行線だった。議論は始まったばかりだ。こんな生煮え状態で閣議決定すべきでない。


 どんなに考えても、閣議決定に正当性はない。
 では、どうすれば。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-13 18:00 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄から-「訓練水域」の変更


沖縄から-「訓練水域」の変更

 今回の辺野古埋立手続きの策動について、気になる記事があります。
 沖縄タイムスは、2014年5月28日、「シュワブ沖、立入禁止水域拡大へ」と報じています。
 その記事は、次のようなものです。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、防衛省が漁船操業制限法に基づき、キャンプ・シュワブ周辺の米軍提供水域内での漁業や航行について制限する手続きを始めたことが27日、分かった。埋め立て工事区域がすっぽり入る範囲で、移設に反対する住民らを締め出し、作業を円滑に進める狙いがあるとみられる。

 防衛相から農林水産相をへて、県水産課が27日、名護市と漁業権を持つ名護漁協、県漁連に意見照会の文書を出した。6月5日までの回答を求めている。

 地元の意向を踏まえ、農水相は防衛相に6月18日までに意見を提出する。関係者によると、防衛省は制限の設定について米軍とも調整しており、7月上旬をめどに官報での告示を目指しているという。

 移設予定地のキャンプ・シュワブ沖は、米軍の提供水域が5区域に分かれており、それぞれに制限がある。沿岸部に接する第1、2区域は米軍の排他的使用が認められ、漁業や立ち入りを常時禁止。その外側の第3区域は船舶の停泊、係留、投錨、潜水、その他のすべての継続的行為を禁止するが、航行や立ち入りに制限はない。

 2004年の海底ボーリング調査では、第3区域で反対派が作業員と衝突し、調査を中断に追い込んだ経緯がある。

 防衛省は第3区域の大半にかかる埋め立て予定水域で、漁業や航行を制限する。漁業経営上の損失がある場合、名護漁協に補償金が新たに支払われる見通しだ。

 名護市の担当者は「市内でこれまでに米軍への提供水域にからむ制限が変更されたことはない。詳しい内容を確認しながら、調整したい」と話した。


 「辺野古浜通信」は、このことについて、次のように述べています。

 
日米地位協定に基づく沖縄県内の米軍基地の使用についての合意(5.15メモ)の「訓練水域」の変更を行い「第1水域」(一般船の通行不可)を陸岸から50㍍を2000㍍に拡大することと日米安保に基づく「アメリカ合衆国軍の水面使用に伴う漁船の操業制限等に関する法律」の「第一種区域」(常時漁船の操業を禁止する)の拡大を同様に行い、県民を建設予定地から閉め出そうと画策しています。

 県との交渉の中で明らかになったことは、日本政府が法律にも違反して、水域の制限を拡大をして、沖縄県民の抗議行動を弾圧しようとしていることです。このことによって、辺野古・大浦湾を活用している全ての県民に大きな被害を被らせることになります。常時操業が禁止される水域が沿岸から50㍍が2,000㍍に拡大することです。実質的にその分基地が拡大することになります。

 今回のことで一番問題なのは、沖縄県民の抗議行動を弾圧するために、法律の主旨を逸脱して、権力者が勝手に「改定」しようとしていることです。つまり、法律は「『米軍』が水面を使用する場合において、必要があるときは、農水大臣の意見を聞き、一定の区域及び期限を定めて、漁船の操業を制限し、又は禁止することができる」ことになっています。しかし、今回の「『告示』の一部改正」は「米軍が水面を使用する場合」での変更ではなくて、防衛省の工事のためでしかありません。このような法律違反の「改正」できないし、許されません。

 今回の「辺野古埋立」手続きで際だっていることは、名護市への対応を含めて、安倍政権が平気で法律を無視して手続きを進めていることです。これはまさに地方自治を破壊し民主主義を否定するファシズムの手法そのものです。


 また、沖縄タイムスは、2014年5月28日、「辺野古反対住民ら締め出す狙いか」、と次のように解説しています。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり、防衛省はキャンプ・シュワブ周辺の提供水域で漁業や立ち入りの制限を見直し、海上部分での排他的区域を広げることで、移設に反対する住民を作業現場に近寄らせない手法に出た。

 工期短縮を至上命令としており、2004年の海上ボーリング調査での失敗を教訓に「打てる手はすべて打つ」(同省幹部)という姿勢を鮮明にしている。

 シュワブ沿岸部にV字形滑走路を建設する計画では、米軍の管理する基地内の陸上部分に比べ、海上部分での対策が課題となっていた。埋め立て予定水域を網羅する形で立ち入りなどを制限することで、反対派のシーカヤックやボートを使った阻止行動を締め出す狙いがあるとみられる。

 シュワブ周辺の提供水域では陸上施設の保安や水陸両用訓練での使用を目的に、漁業や立ち入りを制限している。工事を目的に制限の範囲を拡大することには政府内で慎重論も出たが、警備を担当する省庁などからの要望が強かったという。

 防衛省は海底ボーリング調査を7月にも実施し、結果を踏まえ、設計、本体工事の発注へと移る。同調査は、その後の進捗(しんちょく)を占う試金石になるとみて、万全を期す構えだ。

 また、調査や工事の区域を明示するためのブイを海上に設置し、侵入行為を厳しく取り締まる方針を確認、全国から省職員を沖縄へ派遣し、人員を強化することも検討している。
 あの手この手を尽くし、反対派の対策を講じるほど、地元の頭越しに移設を強行する難しさが浮かび上がっている。(政経部・福元大輔)

 
この訓練水域の変更についての問題点は、「辺野古浜通信」の指摘する、「今回のことで一番問題なのは、沖縄県民の抗議行動を弾圧するために、法律の主旨を逸脱して、権力者が勝手に『「改定』しようとしていること」であることは確かです。この手法は、集団的自衛権の解釈変更を姑息な手段で図ろうとするやり方そのものです。
 ただ、一方では、「あの手この手を尽くし、反対派の対策を講じるほど、地元の頭越しに移設を強行する難しさが浮かび上がっている」との沖縄タイムスの見解についても、よくわからないところもありますが、冷静に視ておく必要があります。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-13 05:40 | 沖縄から | Comments(0)

集団的自衛権を考える03-安保法制懇報告と安倍首相記者会見について


集団的自衛権を考える03-安保法制懇報告と安倍首相記者会見について

 このことについては、立憲デモクラシーの会の「安保法制懇報告と安倍首相記者会見に関する見解」(2014年6月8日)にまとめられている。
 次の論点が、ことごとく論破している。


「これを一内閣のみの解釈によって変更することは、憲法尊重擁護義務を負う内閣による閣議決定の限界を超える。」


「安全のためには憲法など『二の次』といわんばかりの態度は、憲法を備えることで近代国家が成立するという、立憲主義の原則を無視するものである。」


「朝鮮半島有事の際に邦人を日本に運ぶ米国艦船を自衛隊が警護する場合などを挙げた。しかし、万一の際の邦人帰還の手段についてはすでに政府でシミュレーションが行われており、米国艦船がその任にあたるというのは現実的な想定ではない。法制懇の報告書が挙げるその他の事例も、わざわざ集団的自衛権を持ち出さなくても、従来の議論の範囲内で根拠づけできるものがほとんどである。」


「今回のような憲法解釈の変更が許されるなら、そこで言う『法の支配』とは、行政府が恣意的に権力を行使する『人の支配』となる。」


「より大きな問題は、集団的自衛権を行使することが、全面的な戦争への参加につながり、かえって国民を危険にさらしかねない側面を、安倍首相らが無視している点である。」


「 必要最小限度の集団的自衛権の行使という言葉そのものが、『慈悲深い圧政』や『正直な嘘つき』のごとき語義矛盾と言わなければならない」


以下はその見解。

安保法制懇報告と安倍首相記者会見に関する見解
                             立憲デモクラシーの会
要点

1 内閣の憲法解釈の変更によって憲法9条の中身を実質的に改変する安倍政権の「方向性」は、憲法に基づく政治という近代国家の立憲主義を否定するものであり、「法の支配」から恣意的な「人の支配」への逆行である。

2 首相が示した集団的自衛権を必要とする事例等は、軍事常識上ありえない「机上の空論」である。また、抑止力論だけを強調し、日本の集団的自衛権行使が他国からの攻撃を誘発し、かえって国民の生命を危険にさらすことへの考慮が全く欠けている点でも、現実的ではない。

3 「必要最小限度」の集団的自衛権の行使という概念は、「正直な嘘つき」と同様の語義矛盾である。他国と共同の軍事行動に参加した後、「必要最小限度」を超えるという理由で日本だけ撤退することなど、ありえない。また、集団的自衛権行使を可能とした後、米国からの行使要請を「必要最小限度」を超えるという理由で日本が拒絶することなど、現実的に期待できない。

4 安全保障政策の立案にあたっては、潜在的な緊張関係を持つ他国の受け止め方を視野に入れ、自国の行動が緊張を高めることのないよう注意する必要がある。歴史認識等をめぐって隣国との緊張が高まっている今、日本政府は対話によって緊張を低減させていく姿勢をより鮮明にすべきである。

本文

1 立憲主義と法の支配の否定

 5月15日に安倍首相は、正式の審議会ではなく私的懇談会に過ぎないである安保法制懇の報告書を参考に、集団的自衛権の行使容認を含む憲法解釈変更の「方向性」を示したが、これは憲法解釈の枠を逸脱する「憲法破壊」、あるいは「憲法泥棒」ともいうべき暴挙である。

 自衛隊が憲法9条の下で自国の防衛に専念し、侵略への反撃以外に、自らの意志によっては他国を攻撃しないという枠組みは、戦後半世紀以上にわたって政府の憲法解釈において定着している。これを一内閣のみの解釈によって変更することは、憲法尊重擁護義務を負う内閣による閣議決定の限界を超える。

 安倍首相は、自由主義や基本的人権と並んで「法の支配」を、日本を含む民主主義陣営の基本的価値として称揚し、「人の支配」が残る一部の国を批判する。しかし、今回のような憲法解釈の変更が許されるなら、そこで言う「法の支配」とは、行政府が恣意的に権力を行使する「人の支配」となる。

 集団的自衛権の行使は、憲法の授権するところではないと考えられてきた。それが、これまで政治の従ってきた法であり、今般示された「方向性」は、かかる憲法上の大原則の変更を意味する。そのような重大な変更を行うのであれば、国民に対して真摯に訴えかけ、国民的な熟議を経て、正規の手続きで9条を改正することが必須の条件である。

2 国民の生命・安全を守るという強弁

 安倍首相は、国民の生命・安全を守るためには、今この時期に集団的自衛権の行使を解禁することが必要だと主張する。安全のためには憲法など「二の次」といわんばかりの態度は、憲法を備えることで近代国家が成立するという、立憲主義の原則を無視するものである。

安倍氏は、具体的な事例として、朝鮮半島有事の際に邦人を日本に運ぶ米国艦船を自衛隊が警護する場合などを挙げた。しかし、万一の際の邦人帰還の手段についてはすでに政府でシミュレーションが行われており、米国艦船がその任にあたるというのは現実的な想定ではない。法制懇の報告書が挙げるその他の事例も、わざわざ集団的自衛権を持ち出さなくても、従来の議論の範囲内で根拠づけできるものがほとんどである。

 より大きな問題は、集団的自衛権を行使することが、全面的な戦争への参加につながり、かえって国民を危険にさらしかねない側面を、安倍首相らが無視している点である。特に朝鮮半島有事を想定して集団的自衛権の必要性を説いたことは重大な危険をはらむ。軍事的な備えによって一定の「抑止力」がもたらされることは必ずしも否定できないが、軍事的な対策が新たな危険を生む側面もあるからである。

日本が紛争当事国に加われば、日本は攻撃対象となり、敵対国から原発に数発のミサイルを撃ち込まれただけで、壊滅的な被害を受ける。日本海側に多数の原発を置く日本にとって、通常兵器による攻撃は直ちに核戦争を意味するのである。そのような可能性にまったく考えが及ばないとすれば安倍首相はこの問題を論じる能力がないし、あえてその可能性を隠蔽しているなら、彼には民主政治の指導者としての資格がない。

 もっぱら軍事的な手段の強化で国民の生命・安全を守るという安倍首相の言葉は、あまりに一面的である。

3 必要最小限(いわゆる限定容認論)という詭弁

 安倍首相らは、「必要最小限度」の集団的自衛権行使は憲法上許されると主張するが、国際政治や軍事の常識を無視した空論である。集団的自衛権という概念は、さまざまな意味内容を含むあいまいなものであり、現実の歴史では、米ソなどが自らの覇権的な行動を正当化する際の口実となってきた。

 安倍氏らは、個別的自衛権と集団的自衛権が、切れ目のない連続的な概念であるかのように主張する。しかし、これまで政府は、個別的自衛権行使の要件として、

(1)我が国に対する急迫不正の侵害があること

(2)これを排除するために他に適当な手段がないこと

(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

を挙げてきた。そして、集団的自衛権が行使しえない理由を、一つ目の要件を充たしていないことに求めてきた。「わが国に対する急迫不正の侵害」というのはその意味内容がある程度明確であるのに対して、集団的自衛権の行使とは、日本が攻撃されていないのに、世界中で起こる紛争のすべてに参加することになりかねない、「歯止め」のない概念である。より具体的には、

(1)直接武力攻撃を受けていないのに、「放置すると我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある」かないかという不明確な基準によって、時の政府が実力行使の判断をすること

(2)「自国の安全への危害の可能性を未然に防ぐこと」と「緊密な関係を有する他国を防衛すること」という二つの異なる集団的自衛権行使の目的が存在するなかで、自衛隊の任務が何で、その達成のための必要最小限度の実力行使とは何かを政府がどのように判断するのか、明確な基準が存在しないこと

(3)さらには、攻撃を受けた密接な関係を有する他国からの要請を受けて集団的自衛権を行使し、自衛隊が他国軍と協力して敵国に対して実力行使をしている事態になって、必要最小限度を超えたという理由で日本政府が単独で戦争から「早期退出」を判断できると考えるのは、同盟国との関係と敵国との関係のいずれを考慮しても現実的ではないこと

などから、その運用は無制限なものとなりかねない。政府が判断基準を規定したところで、ひとたび憲法の制約さえ外れれば、その後いくらでも拡大的に運用することができる。安倍首相が言うような「武力行使を目的として他国との戦闘に参加するようなことはない」根拠などないのである。また、「密接な関係を有する国」である米国等から協力を依頼された際に、日本が自らの主体的な判断で断ることができるとは、これまでの日本政府の行動様式からして、とうてい信じることができない。合憲なのに断るとすれば、安倍首相らが最も憂慮する日米同盟の崩壊にもつながりうるからである。

 以上の理由から、必要最小限度の集団的自衛権の行使という言葉そのものが、「慈悲深い圧政」や「正直な嘘つき」のごとき語義矛盾と言わなければならない。

4 国際協調のあるべき方向性

 国際関係においては、いわゆる「安全保障のジレンマ」が存在する。こちらが攻撃する意思を持っていなくても、防衛力を強化すれば仮想敵国は攻撃を受ける危険が高まったと判断して防衛力の強化に走る。それに反応してこちら側も防衛力強化を進め、悪循環が続く。安全保障政策を考える際には、このような悪循環を考慮し、自国の行動が周辺国にどのように受け取られるかに注意を払う必要がある。

 安倍首相はアジア近隣諸国のみならず、アメリカの警告さえ無視して靖国神社への参拝を行い、各国の批判を招いた。また、首相や閣僚、政権幹部は戦争中の日本の行動を正当化する言動を繰り返し、日本が不戦の決意を本当にもっているのか疑われるような状況を自ら作り出している。無謀な戦争によって自国民とアジアの人びとの多大な犠牲を招いた歴史を否定することは許されない。

 このような状況で、新たに集団的自衛権の行使を可能にするという安全保障政策の変更は、東アジアにおける緊張を一層高める結果をもたらす。 平和を維持するためには、国際協調が不可欠である。安倍政権は、力の行使に関する協調の意義だけを強調する。しかし、何より共有すべきは、外交交渉や「人間の安全保障」によって紛争の原因を除去し、戦争を極力回避するという努力である。いたずらに近隣諸国を挑発するのではなく、対話の窓を開き、東アジアにおける緊張緩和を率先して進めることこそが、政権の責務である。自由と基本的人権を守り、政治権力を「法の支配」の下に置く立憲主義の価値観を共有するつもりが本当にあるのなら、国際協調の努力を通じてこそ、平和を着実に実現していくべきであろう。
 
 また、安倍首相の記者会見については、見る気がしなくて見ていない。まずは、このことを最初に深く反省しなければならないのかもしれない。
 従って、「世界7月号」の想田和弘さんの「喜劇のような演説が現実となるとき」からの引用になる。
 でもこれまでもほとんど引用でできあがっているが。


「まずは日本語の問題です。言葉の問題です。言葉の論理性があまりに破壊されているので、何度も読み直さないと意味がわかりにくのです。」

「言葉は、思考です。言葉が混濁しているということは思考が混濁しているということを意味しています。」

「首相は演説中『国民の(日本人の)命を守るという表現を三一回使っています。しかし、会見を二回聴いて、文字で読み直してみても、肝心要の『日本国民の命や平和が古部手的自衛権では守れず、集団的自衛権の行使を容認せざるを得ない』理由や根拠は全く示されておりません。その点こそ首相は明らかにすべきではないでしょか。」

「首相は『抑止力』という言葉を何度か使っていますが、『集団的自衛権を行使すると何故抑止力が高まるのか』については説明しません。いや、たぶん説明できないのでしょう」「この記者会見の一番の焦点は、『安倍政権が憲法解釈の変更に踏み出すかどうか』であったはずです。そこが肝心な点です。にもかかわらず、それが結局どちらなのか・・・・・混濁しています。要は、記者会見を何度観ようが首相の「いいたいこと」はわからないのです。」


 しかし、一方では、IWJの記事のように、「安倍総理は15日、安保法制懇の報告書を受け取った直後に記者会見し、集団的自衛権を行使すべき事例を挙げた。あるパネルには、不安げな表情を浮かべ、紛争国から米国艦で逃れようとする母子の絵が書かれていた。これを用いた安倍総理は、『お父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らが乗っている米国の船をいま、私たちは守ることができない』と述べ、集団的自衛権の行使の必要性を訴えた。『やられたな、と思った。国民の情に訴える絵を使った』「『メージ操作をし、国民世論を誘導していくというポピュリズム政治だ』『感情に訴えられると、打ち消していくのが難しい』といった報告もある。

 
 少なくとも、安部晋三首相は、15日の会見では、言いたいことを言えなかったかもしれないが、すでに決めていた「いいたいこと」については、強引に推し進めることにしている。
 だとしたら、想田さんの「民主義には、観客席はありません。私たちは、全員がステージの上にいる」ことを、やはり、一人ひとり肝に銘じなければならない。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-12 05:45 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の現実-20140611


沖縄の現実-20140611


 西原町で12日不発弾処理、自動車道通行止め。沖縄タイムス2014年6月10日付。
 こうした記事は、飛び抜けてまれというわけではない。
 沖縄戦の実相、沖縄の今を知る必要がある。


 【西原】西原町森川で12日午前11時から、米国製5インチ艦砲弾1発の不発弾処理作業がある。作業に伴い、沖縄自動車道で一時、西原IC(インターチェンジ)―北中城IC間の上下線が通行止め、喜舎場スマートICと中城バス停、中城サービスエリアが閉鎖される。不発弾処理による自動車道本線の通行止めは1999年以降7回目。

 避難半径は106メートルで、避難対象は9世帯18人と3事業所。午前10時45分に交通規制が始まり、正午に終了予定。現地対策本部は森川自治会事務所に置く。

 沖縄自動車道は、中城サービスエリアと中城バス停が午前10時15分から正午、西原IC―北中城IC間と喜舎場スマートICが午前10時45分から正午まで通行止めになる。喜舎場バス停は避難区域外だが、周辺ICが通行止めとなるため、各バス会社の判断で迂回する可能性があるという。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-11 18:00 | 沖縄から | Comments(0)

集団的自衛権を考える02-戦争させない1000人委員会編「すぐにわかる集団的自衛権ってなに?」から受け取るもの


集団的自衛権を考える02-戦争させない1000人委員会編「すぐにわかる集団的自衛権ってなに?」から受け取るもの

 この本を読みながら痛切に感じること、それは、安倍政権の論理的整合性のなさである。
だとしたら、何故。
このことを考え続けなければならない。
 
この本から、読み取れるもの。以下のように収録された文章から抜粋してならべてみる。

大江健三郎
 私は生き直すことができない、しかし
 私らは生き直すことができる。

組坂繁之
 戦争は最大の差別、最大の人権侵害だ

左高信
 「集団的自衛権行使容認ということは、「自衛」から「他衛」、他の国、つまりアメリカの戦争に参加する義務を負うということになるんですね

辛淑玉
 国際社会は、不愉快なヤツと生きていくことです。国際化というのは、過剰適応して、あなたも私も言いたいことも言わずに、どちらか一方の色になることではありません。違いがあって、違う意見があって、違う立場があって、それでも一緒に生きていくんだということ、これが「のりこえねっと」の目標です。・・・いまここで政権と立ち向かうことが反日・非国民であるというのなら、むしろそれは誇りと思いたい。それは国際社会に対して、「私たちはいまここに生きている」というメッセージになります。

高橋哲哉
 いまでは欧米各紙は(靖国神社を)「戦争神社」"war shrine”と書きます。そして安倍首相は「歴史修正主義者」”revisionists”と書かれます。

山内敏広
 憲法は96条で改正手続きを定めています。この手続きを経ることなくして、その時々の内閣の憲法解釈によって、あるいは首相の一存によって、憲法の改正を実質的に行うということは、この96条に抵触するだけでなく、立憲主義そのものを破棄するものであると確信しています。・・・首相が憲法の最終的な解釈権者であるとは書いていません。

 ある論者は、憲法には集団的自衛権行使を禁止する規定がないと言っています。しかし、それは当たり前です。日本国憲法は戦争の放棄を規定し、武力の行使を禁止しています。そういう憲法の下で、集団的自衛権の行使をわざわざ禁止する規定を書く必要はないのです。

 ある論者は、国際法上許されている集団的自衛権の行使を憲法が禁止することはおかしい、という理論を説いています。これは国際法と国内法との違いについての無知の表明です。国連憲章は加盟国に集団的自衛権の行使を認めていますが、集団的自衛権というのは、国連の集団安全保障システムのなかにあっては例外的規定としてのみ認められているものに過ぎません。そのようなものの保持行使を日本国憲法が否認したからといって、国連憲章の趣旨になんら抵触するものではありません。

 このようにならべさせてもらうと、こうした意見がいかにまっとうであるかがわかる。 特に、この本で引用されている安倍首相の以下の発言を並べて比較してみると、このことは歴然としている。

安部晋三
 憲法について、考え方の一つとして、いわば国家権力を縛るものだという考え方はありますが、しかし、それはかって王権が絶対的権力を持っていた時代の考え方であって、今まさに憲法というのは、日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないか、このように思います。


 最高の責任者は、私です。私が責任者であって、政治の答弁に対しても私が責任を持って、その上において、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではないんです。私なんですよ。だからこそ、私は今こうやって答弁をしているわけであります。


 軍事同盟というのは、”血の同盟”です。日本がもし外敵からの攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。・・・日米安保をより持続可能なものとし、双務制を高めるということは、具体的には集団的自衛権の問題だと思います。

 
こうしてみると、安倍政権が強行しようとしている政策がいかに矛盾だらけであるかがこれだけでもわかる。特に、安部晋三の論理性の無さは際立っている。

 また、このほかに、この本では以下のことが明快に分析されている。
 是非、読んでみては。


・集団的自衛権とは
・「武力行使の違法化」
・集団的自衛権は自然権?
・集団的自衛権は実際どのように行使されてきたのか
・ゲレーゾーンとは
・積極的平和主義とは
・限定的な集団的自衛権は認められる?
・アメリカの戦争と一体化した安保協力はさらに深化していくこと
・韓国、中国らの批判は、靖国参拝に対してなされるのであって、死者に対する追悼、慰霊が批判されているのではないこと


 最後に、北岡伸一安保法制懇座長代理の中日新聞・東京新聞の2014年4月21日のインタビュー記事を載せる。
 こうした類の能力を持った人たちが今を動かしている。


 「憲法は最高規範ではなく、上に道徳律や自然法がある。憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法、その意味で憲法学は不要だとの議論もある」


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-11 05:30 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄からの二つの投げかけ


沖縄からの二つの投げかけ

 沖縄タイムスの二本の気になる記事がありました。

 一つ目は、沖縄タイムスは2014年6月9日付けの「『辺野古反対』沖縄53%、福島9%両県首長アンケート」との次の記事。

 沖縄タイムス社と福島民報社は合同で、沖縄・福島両県の全市町村長を対象に、国の安全保障政策やエネルギー政策などに関するアンケートを実施した。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について、沖縄県内で過半数の21人(53%)が「進めるべきではない」と回答したのに対し、福島県内では5人(9%)にとどまった。一方、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けた国のエネルギー基本計画については、両県ともに「評価しない」が最も多く、沖縄で19人(48%)、福島で38人(66%)に上った。

 東京電力福島第1原発事故を受け、脱原発を求める傾向が沖縄、福島両県で広がる一方、普天間問題については両県で意識のギャップが浮き彫りになった。
 普天間飛行場の辺野古移設について、沖縄は「進めるべきではない」が最多。「どちらとも言えない」が12人(30%)、無回答5人(13%)、「進めるべき」が2人(5%)だった。
 「進めるべきではない」の回答理由は「地元の理解の得られない辺野古移設案の実現は事実上不可能。県外移設が合理的かつ早期に課題を解決できる方策である」(那覇市長)など。
 これに対し、福島県内では「どちらとも言えない」が最も多い42人(72%)、「進めるべき」が8人(14%)と続いた。
 「どちらとも言えない」とした理由は「複雑な経緯や沖縄県民、名護市民の民意もあり、どちらとも言えない」(矢吹町長)など。
 「進めるべきではない」の回答理由には「沖縄県民の悲願である県外移設を探るべきだ」(浪江町長)、「沖縄県民の気持ちや苦悩を考えると進めるべきでない。日本全体の問題と捉え、負担を少しでも少なくできないかを考える必要がある」(飯舘村長)との意見があった。

 一方、エネルギー基本計画については「評価する」が沖縄でゼロ、福島で2人にとどまった。
 評価しない理由として、沖縄では「国民の安全よりむしろ経済を優先したもの。(原発の)廃炉や(放射性廃棄物の)最終処分についても、福島の現状から分かる通り、次世代から後世までその責任を負わすことになる」(西原町長)など原発に否定的な見解が主だった。福島では、県民の苦境を訴え、全国の原発再稼働を警戒する意見が目立った。
 調査は、沖縄県内の全41市町村、福島県内の全59市町村の計100人の首長が対象。沖縄県の宮古島市長、福島県の相馬市長を除く、98人から6月初めまでに回答を得た。

 これまで沖縄タイムスの社説でも、原発事故と基地問題の抱えさせられてきた問題点の同一性が触れられてきたが、福島といえども基地問題でそこまで考えが至るには難しいということなのか。それとも、首長だから余計に難しいということなのか。

 
もう一つは、「国会本会議でかりゆし着用は駄目?」という2014年6月7日の次の記事。

 【東京】かりゆしウエアは正装ではない? 開会中の国会で、かりゆしウエアの着用をめぐって議論が起きている。
 発端は4日の参院本会議。厚生労働委員長の石井みどり議員(自民)が、かりゆしを着て登壇した。これに対し、6日午前の議院運営委員会の理事会で民主議員が「上着を着ないのは違反だ」と疑問を投げた。
 クールビズ期間の服装は衆参とも、議運の申し合わせで、上着なしのノーネクタイが認められている。しかし、本会議場に限っては上着を必要としている。かりゆしが上着に当たるかは「グレーゾーン」(参院議事部)だという。
 「上着ではない」と指摘する民主に対し、自民は普段から着用しているイメージがあるのか、「福島瑞穂君(社民)もいらっしゃる」と応酬。共産は「かりゆしは正装だ」と着用を認めるよう訴えるが、民主は「かりゆしだけ(特別)か」と頑として認めない。結局、各会派持ち帰り、再協議することになった。
 沖縄では夏の正装として定着しており、島尻安伊子参院議員(自民)らも普段から国会で着用している。本人不在の場で、期せずして“宿敵”自民から、かりゆしの象徴として挙げられた福島氏は「5年前からずっと着ているかりゆしは立派な上着。それよりもっと大事な議論があるはずなんだが」と困惑顔だ。(大野亨恭)

 
これは、何が問題なのかといったレベル。
もともと上着など必要のないところでのあたりまえの服装に、難癖をつける方がおかしい。着用する人にとって、正装にもなるし、遊び着にもなる、それでいいではないか。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-10 06:00 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧