<   2016年 03月 ( 75 )   > この月の画像一覧

ヘイトクライム-「ヘイトスピーチは人権侵害」法務局に申告。

 標題について、毎日新聞は216年3月16日、「在日コリアンが多数住む川崎市川崎区の臨海地域でのヘイトスピーチで人権を侵害されたとして、地元の在日コリアンら3人が16日、被害救済や予防措置を講じるよう求める申告書を横浜地方法務局に提出した。特定地域でのヘイトスピーチを巡って地元住民が法務局に救済を求めるのは初とみられる。今後、同法務局が調査を進める。」、と報じた。
 この申告書について、「申告書によると、市内に住む男性らが1月31日、川崎区の公園で在日コリアンを攻撃する集会を開催。抗議のために公園を訪れた被害者らに対し、拡声機を使って『ゴキブリ朝鮮人は出て行け』『じわじわと真綿で首絞めてやる』などと差別的発言を繰り返した。集会後は在日コリアンが多数住む臨海地域を通って京急川崎駅までデモをした。この日を含め、川崎市内では同様のデモが2013年以降計12回行われているという。」、と伝えた。
 また、川崎市役所で記者会見について、「川崎市役所で記者会見し『いつか殺されるのでは』『夜眠れない』とヘイトスピーチ被害の深刻さを訴えた。『自分たちが悪いことをしているわけではない』として実名も公表した。
 会見で崔江以子さん(42)は『白昼堂々と成人男性から【朝鮮人は敵だ、敵はぶち殺せ】と言われた。いつか本当に殺されてしまうのではないかと思う』と不安な思いを口にした。『普通に仕事をして、休日には家族と余暇を過ごすなど平穏な日常を送りたい』と訴えた。
 趙良葉さん(78)は『あまりにもしんどくて心が傷ついた。夜になるとフッと思い出して眠れないことが続いている』と強調した。」、と報じた。


「普通に仕事をして、休日には家族と余暇を過ごすなど平穏な日常を送りたい」
「あまりにもしんどくて心が傷ついた。夜になるとフッと思い出して眠れないことが続いている」
 こんな声を出さざるを得ない状況が日本の状況であることをまずは、知らなければならない。


 以下、毎日新聞の引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-19 06:20 | 書くことから-ヘイトクライム | Comments(0)

沖縄-国連特別報告者が昨年6月に日本政府に対して行った沖縄の基地問題に関しての人権侵害が懸念される状況について説明を求める通報の内容を公開。

 標題について、琉球新報は2016年3月17日、「国連人権理事会は2月29日、開会した本会議に合わせ、国連特別報告者が昨年6月に日本政府に対して行った沖縄の基地問題に関しての人権侵害が懸念される状況について説明を求める通報の内容を公開した。名護市辺野古の新基地建設問題に関連し、平和運動センターの山城博治議長ら4件の逮捕、拘束事案について詳細な状況説明や法的根拠を求める内容。『沖縄【建白書】を実現し未来を拓く島ぐるみ会議】の国連部会が16日、発表した。」、と報じた。
 この通報の内容について、「通報は国連特別報告者が有する権限の一つ。第三者からの申し立てに基づき、懸念される人権侵害について当該国の政府に正式な情報提供を求める。今回の通報は、島ぐるみ会議国連部会が4件の事案について特別報告者に報告したことがきっかけとなった。日本政府は通報に対し昨年7月、『県警、海上保安庁は辺野古基地建設の抗議者に対して生命や身体、公共の秩序などを守る義務を全うするため法律に従って行動しており、国際法上の義務に反していない』と回答している。」、と伝えた。


 以下、琉球新報の引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-18 17:14 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄-沖縄タイムスから、米軍兵士暴行事件を考える。

 那覇市内で起きた観光客への米兵による暴行事件を沖縄タイムスの記事から考える。
 米兵による暴行事件について沖縄タイムスは2016年3月15日、「沖縄県や観光事業者にも衝撃が広がった。『米軍基地がある故のリスク』『観光は県の主幹産業。あってはならない事態だ』など観光への影響に対する懸念や憤りの声が上がった。県は必要に応じ、観光関連団体や企業との意見交換なども検討していく考えを示した。」、と報じた。
 また、このことについての沖縄からの声を次のように続けた。
①「このような事態が起きて非常に残念だ。観光における安心安全が脅かされることのないよう願う」(沖縄観光コンベンションビューロー平良朝敬会長)
②「基地というハンディを抱えている沖縄では、これまでに何度も指摘されてきた問題。今後の観光に影響する可能性は否定できない」(県ホテル旅館生活衛生同業組合宮里一郎理事長)
③「大変遺憾で憤りを感じる。『沖縄の観光地は安全ではない』とのイメージが広がることがあってはならない」(県文化観光スポーツ部前田光幸部長)

 一方、沖縄タイムスは2016年3月17日、「『強い憤りと、やるせなさをもって抗議する』。翁長雄志知事はこの言葉を2度繰り返し、ローレンス・ニコルソン在沖米軍四軍調整官の目をにらむように見詰めた。」、と報じた。
 「強い憤りと、やるせなさをもって抗議する」という県知事の声が、「日本の面積のたった0・6%に73・8%の米軍施設がある。ずっと置かれていることに一番大きなことがある」ことのすべてを物語る。
 この日の様子について、沖縄タイムスは次のように伝えた。


「米兵暴行事件で謝罪するため16日、県庁を訪れた在沖米軍トップからは、被害女性への謝罪の言葉は最後までなく、沖縄と米軍の認識の落差の大きさだけを印象付けた。
 『着任して半年間、大きな事件もなく過ごしてきた』『われわれにとって非常に恥だ』。ニコルソン氏の言葉には、被害女性に対する言及はなく、人ごとのように『遺憾』という言葉を何度も使った。
 威圧感漂う軍服姿と口調。その端々からは、まるで『事件の被害者は米軍側』とでも言いたげな印象さえ受けた。
 『今回の事件は、県民に過去の不幸な事件を想起させる悪質なものであり、激しい怒りを禁じ得ず、強く抗議する』。知事が読み上げた抗議文。通訳を通して聞き取ったニコルソン氏は、口を真一文字に結び、軽く数回うなずいていた。
 約20分間の対談中、ニコルソン氏が強調したのは『良き隣人』という言葉だった。これに対し、知事は戦後70年間も米軍の事件事故が続いていることを挙げた上で『何十回、何百回もこういう形で抗議しているが、一向に良くならない。良き隣人と言う言葉が、実行された試しがないというのが、正直な気持ちだ』と強い口調で語った。」


 以下、沖縄タイムスの引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-18 06:20 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄-沖縄県が申し出た国地方係争処理委員会の審査で、翁長知事が意見陳述する方向で調整。6月13日までに結論。

 標題について、沖縄タイムスは2016年3月16日、「翁長雄志知事の新基地建設に伴う埋め立て承認取り消しに対する石井啓一国土交通相の是正指示が違法な国の関与に当たるとして、沖縄県が申し出た国地方係争処理委員会の審査で、翁長知事が意見陳述する方向で調整していることが15日、分かった。係争委から日程に関する打診を受けている。県の審査申し出書は15日、係争委に届いた。事務局の総務省によると、地方自治法の規定で6月13日までに結論を出すという。」、と報じた。
 また、「県が15日に公表した審査申し出書では、国の是正の指示に具体的な理由が明記されていないことが、地方自治法249条の定める方式に反すると指摘。係争委に対して、国の是正の指示の取り消しを勧告するよう求めている。」、と伝えた。


以下、沖縄タイムスの引用。



More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-17 16:54 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄-沖縄タイムス特集【誤解だらけの沖縄基地】を読む(20)。

 沖縄タイムスの特集、「誤解だらけの沖縄基地」(20)を考える。
 第20回目は、「日米地協定 騒音規制は形骸化」について。
 沖縄タイムスは、この問題について、「地位協定問題に取り組む新垣勉弁護士は『国内法が適用できるよう改定しなければ抜本的な解決はできない』と強調。米軍は自国では法を守って活動しても、支障はない。なぜ日本では平時でさえ自由に活動する権利を持つのか。『日本政府が対等な主権国家として基本的な要求すらしていないのが原因だ』」、と結論づける。
 つまり、現在の辺野古新基地建設の問題の一つには、「日本政府が対等な主権国家として基本的な要求すらしていないのが原因」ではないかと、指摘するのである。
 だから、沖縄の「事実」を次のように並べてみせる。


(1)2013年11月29日、沖縄県環境生活部は新基地完成後の問題として、米軍に国内法が適用されず日本側が関与できない現状では適切な環境保全ができないことを明確に示した。
①沖縄防衛局は「米軍に周知する」と対策を説明していた。
②これに対し、基地被害を受けながら住民生活より米軍の運用優先の歴史を知る県が「米軍任せでは不確実」と強く反論した格好だ。
(2)背景にあるのは、日米地位協定3条で米軍の排他的管理権を認め、同16条で国内法の適用を実質的に免除している点だ。
①その不平等な状態を改善する一つとして、日米で合意したのが1996年の航空機騒音規制措置。嘉手納、普天間の両飛行場を対象に周辺の騒音被害を防ぐための規制措置を盛り込む。
②具体的には「学校や病院、住宅密集地の上空を避ける」「午後10時~午前6時の飛行は必要な場合を除き制限する」「日曜日や慰霊の日など特別に意義のある日の飛行を最小限にとどめる」といった内容だ。
③しかし、実際は夜間・早朝や住宅地上空の飛行は常態化している。県が昨年3月に高校入試期間の飛行自粛を米軍に求めた際も、飛行と騒音が確認された。
(3)県の測定によると2014年度の航空機騒音は、嘉手納周辺の北谷町砂辺で日平均64回と最多で、平均70デシベルと環境基準(62デシベル)を大幅に超えた。午後10時~午前6時の騒音は月平均で嘉手納町屋良B117回、同町屋良A105回、同町嘉手納99回の発生となっている。
(4)普天間や北部訓練場、キャンプ・ハンセン、伊江島補助飛行場の周辺でも夜間飛行は頻繁に確認される。
(5)住民らが損害賠償と飛行差し止めを求めた爆音訴訟で、裁判所が「騒音規制措置は形骸化している」と指摘したことがある。ただ、この種の裁判では「賠償は認めるが、差し止めは棄却」という判決が続く。
(6)被害は認めるが、米軍は国内法の及ばない「第三者」なので日本政府に飛行差し止めの権限はないという「第三者行為論」を持ち出し、日米地位協定の下での司法の限界を示している。


 沖縄タイムスは、琉球新報も含めて、確かに、地方紙ではある。
 しかし、沖縄が抱えさせられている課題からすると、ただ単に、一地方の問題としてではなく、日本のあり方までも見通して論を立てなければならないことがよく分かる。
 米軍基地被害という基本的人権の剥奪の状況は、それは本来「73.8%」もの集中させられている沖縄県だけの問題ではないはずだが、そうはなっていない。
「背景にあるのは、日米地位協定3条で米軍の排他的管理権を認め、同16条で国内法の適用を実質的に免除している」ことにより、日本の司法は、「被害は認めるが、米軍は国内法の及ばない『第三者』なので日本政府に飛行差し止めの権限はないという『第三者行為論』を持ち出すしかない」という日米地位協定の下での「司法の限界」を示すしかない。
 この「司法の限界」は、「日本国の主権の限界」を現すものでしかない。
 そうであるとすれば、沖縄タイムスと琉球新報は、「日本国の主権の限界」を問いただすのを自らの新聞の使命とするしかない。
 逆に、私たちは、そのことにより分かることが、残念だが多くある。


 以下、沖縄タイムスの引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-17 08:44 | 沖縄から | Comments(0)

本からのもの-植民地主義の暴力

著書名;植民地主義の暴力
著作者:徐 京植
出版社;高文研


 徐京植さん(以下、徐とする)は、「プリーム・レーヴィエへの旅」を行った。私も、「徐京植への旅を」を、今始めることになる。
 今回は、こちら側の力量から、「Ⅰ植民地主義の暴力」の章から「和解という名の暴力」のみを取りあげる。


 「他人の歯や眼を傷つけながら、報復に反対し、寛容を主張する、そういう人間には絶対に近づくな。」


 まず、魯迅の「死」からの引用で始まる。
 それは、植民地主義の暴力とどのように対峙するのか、という投げかけである。
 「和解という名の暴力」から、徐の重たい指摘をいくつかあげてみる。

(1)「国民主義」
①徐は、本稿の基底を次のように位置づけた上で、「国民主義」とは何か、と問い詰める。


 本稿では、いわゆる「先進国」のマジョリティが広く共有する「国民主義」が、いわば「国境を越えた共犯関係」を形成することによって、旧植民地宗主国の「植民地支配」を問題にしようとする全世界的な潮流に対する抵抗感を形成しているという状況について述べる。また、そのような抵抗が「和解」という美名を用いて行われている様相、すなわち「和解という名の暴力」を批判する。


②徐は、この「国民主義」について、次のように規定する。


 「国民主義』とは、「国家主義」と区別して暫定的に用いる用語である。両者はいずれも英語に訳せばナショナリズムとなるが、今から問題にしようとする「国民主義」は、いわゆる先進国(旧植民地宗主国)のマジョリティが無自覚のうちに持つ「自国民中心主義」を指す。「国民主義」は多くの場合、一般的な排他的ナショナリズムとは異なるように見え、当事者も自分自身をナショナリズムに反対する普遍主義者であると主張することが多い。彼らは自らを市民権の主体であると考えている。


③また、その特徴を、次のように説明する。特に、日本という国のあり方について。


 彼らは自ら享受している諸権利が、本来なら万人に保障される基本権であるにもかかわらず、近代国民国家においては、「国民」であることを条件に保障される一種の特権となっているという現実をなかなか認めようとはしない。国民主義者は、自らの特権には無自覚であり、その特権の歴史的由来には目をふさごうとする傾向を持つ。したがって国民主義者は「外国人」の無権利状態や自国による植民地支配の歴史的責任という問題については鈍感であるか、意図的に冷淡である。この点で、「国民主義」は、一定の条件のもとで排他的な「国家主義」とも共犯関係をむすぶことになる。
 このような「国家主義」的心性は、近代国家の国民であれば多かれ少なかれ共有しているだろうが、日本の場合は、旧植民地宗主国であり、かつ第二次世界大戦の敗戦国でありながら、ドイツの場合とは異なり、植民地支配や侵略戦争の歴史的責任を取ろうとしないまま現在に至ったという特徴がある。


④こうした特徴を持ってきた日本人は、植民地主義を問題にすることはほとんどないのではないか。日本人の「植民地支配責任論」に疎い状況を、徐は、このように説明する。


 日本国民の多くは、第二次世界大戦における敗戦を、中国をはじめとする被侵略諸民族に対する敗北としてでなく、強大な軍事力を持つ米国に対する敗北として意識している。彼らは「アメリカに敗北した」と思っているのであり、「中国をはじめとする被侵略民族の頑強な抵抗に敗北した」という認識はきわめて希薄である。したがって、戦後日本における「戦争責任」論議は、自国の行った戦争は不当かつ侵略戦争であったという認識と反省を深めることができず、むしろ戦争中に繰り広げられた個々の行為の違法性や責任の有無という範囲に(それすらも不充分にであるが)局限されてきた。
 このような傾向は、「戦争責任」論から植民地支配責任という視点が欠落している点によく現れている。


⑤徐は、現在の「慰安婦問題」についても、「国民主義」との関係として明確に示す。


 「慰安被問題」を、法が禁じている戦時の犯罪行為に違反しているかどうかという狭義の「戦争責任」論の枠内でのみ論じていては真の解決は望めない。なぜなら、「慰安婦」制度は植民地支配と深く結びついた性奴隷制度であり、その真相解明には、植民地支配そのものの責任を問う視点が不可欠であるからだ。しかし、日本では、一切の責任を否認する右派や極右派は別としても、国内の多数が、可能な限りこうした問題を戦時の犯罪行為という狭い枠内に閉じ込めておこうとする傾向を見せている。それは、意識的にであれ無意識的であれ、前記した「国民主義」に根ざした、植民地支配責任を回避しようとする欲求の現れでといえよう。


⑥徐は、「では、何故こうしたことが起きるのか」について、日本の構造問題として、次のように説明する。


 慰安婦問題や強制動員・強制労働など、国家や危機が行った個々の行為の土台に植民地支配が存在し、それ自体が違法であるとする主張は今日まで、「植民地支配が開始された当時の法はそれを禁じていなかった」等の理由でまともに採り上げられてこなかった。しかし、そうした「当時の法」そのものが、実は当時国際社会を形成していた帝国主義が被支配民族の主権をあらかじめ否認した上で定められたもものであり、植民地支配を受けた側はそうしたルール決定の過程そのものから排除されていたのである。


⑦こうして、徐は、日本という国が培ってきた国の有り様への認識について、その限界や問題点を指摘する。


 日本国民多数の認識は、「慰安婦」制度など個々の国家犯罪の反人権性は否定しないものの、戦争そのものや植民地支配そのものを根本的に否定するという水準には達していなかった。そして、そのことは、今日も大きな変化がない。むしろこの間、露骨な国家主義的主張が拡散すると同時に、そうした右派的国家主義とは一線を画すリベラルな多数派の間にも、「日本だけではない」とか「いつの時代にもある」といったシニカルな相対主義、あるいは弱肉強食を当然視する新自由主義的イデオロギーが蔓延したことによって日本国民の認識水準はさらに低下している。
 
⑧続けて、徐は、こうした問題が、日本だけでなく世界で蔓延している原因を指摘する。


 世界的に見ても、かって植民地支配を受けた地域の人々からの謝罪や補償を要求する声は、長年にわたり黙殺されてきた。これは全世界的に帝国主義支配がまだ終わっていないことを意味する。植民地支配責任の否定という防御戦は、いわゆる先進国(旧植民地宗主国)が国際的に連携して張っている共同の防御戦であるといえる。


⑨徐は、こうした中だからこそ今、「慰安婦」問題をはじめとする朝鮮植民地支配の精算を日本に求めることは、「帝国主義支配と植民地支配の精算を求める全世界的な潮流に合致する普遍的な意義を持つのである。」、と位置づけるのである。


(2)「道義的責任」
①徐は、「道義的責任」というレトリックで、日本の有り様をを切ってみせる。
 まず、それは、「『植民地支配責任の回避』という先進国共通の防御戦を守るために煩雑に使用されたレトリックが『道義的責任』である。」と説明する。
 このことを日本の問題に当てはめて次のように説明する。


 日本政府が「植民地支配」の事実をしぶしぶ認めたのは敗戦から五〇年を経た一九九五年のことである。・・・。しかし、談話発表の記者会見で村山首相は、天皇の戦争責任があると思うかという質問に対して「それは、ない」と一言で否定した。また、いわゆる韓国「併合」条約は「道義的には不当であった」と認めつつ、法的に不当であったということは認めず従来の日本政府の見解を固守したのである。この線、すなわち「象徴天皇制」と呼ばれる戦後天皇制を守護し、植民地支配の「法的責任」を否定すること、相互に深く関連するこの二つの砦を死守するために防御戦を当時の日本政府は引いたのだといえる。


②続けて、徐はこの問題を世界に広げて検証する。


 二〇〇一年のダーバン会議において、初めて、奴隷制度と奴隷貿易に対する補償要求がカリブ海諸国とアフリカ諸国から提起された。しかし、欧米諸国はこれに激しく反発し、かろうじて「道義的責任」を認めたが、「法的責任」は断固として認めなかったのである。その結果、ダーバン会議の宣言には奴隷制度と奴隷貿易が「人道に対する罪」であることは明記されたが、これに対する「補償の義務」は盛り込まれなかった。欧米諸国が法的責任を否認する論拠は、「法律なければ犯罪なし」とする罪刑法定主義の原則であり、奴隷制は現代の尺度から見れば「人道に対する罪」に該当するかもしれないが、当時は合法だった、という論法である。
 

③徐は、こうした日本や世界の状況を、「道義的責任」というレトリックというくくりの中で、「道義」という概念の定義をめぐる反植民地闘争にあると、見抜く。


 どこまでも植民地支配責任を回避しようとし、そして、それができない場合でも、「法的責任」を否定して「道義的責任」の水準に止めようとという、先進国(旧植民地宗主国)の共同防御戦がはっきりと見て取れるのである。
 もちろん、このようなレトリックは「同義」という言葉の本来の意味を否定する、意図的な御用でしかない。「法」が未整備であった状況での犯罪、あるいは「法」の主体となることを歴史的に否定されてきた人々に対する犯罪、これら現存する「法」の範囲を超える犯罪の責任を問い、補償を行っていくためにこそ、「法」の上位概念としての「道義」が問題となるのである。そして、場合によっては、このような「道義」の認識にもとづいて新たな立法が行われ、「道義的責任論」が新たな「法的責任」を生みだすことにつながる。・・・。
 いうならば旧植民地宗主国とその国民の多数派は「道義的」という言葉を責任回避のレトリックとして用い、旧被支配民族はあらたな法的責任の源泉として用いようとしているのである。ここに、「道義」という概念の定義をめぐる反植民地闘争が繰り広げられているともいえる。

(3)「記憶のエスカレーション」
①徐は、「記憶のエスカレーション」を、次の文脈で説明する。


 私はかって日本人マジョリティの国民主義的心性の重要な特徴である「先の世代が侵した罪の責任を後の世代である自分たちに問われることへの反発」という心理について述べたことがある。
 何か迷惑をかけたことがあったとしても、それはすべて過ぎた昔のことであり、先の世代が行ったことである。自分対にその責任の帳尻をまわされるのは迷惑だ。アジアの被害民族がそれを執拗に問題にするのは過去に執着する民族性、豊かな日本人へのひがみ、あるいはナショナリズムにもとづく対抗意識などのせいだ。-このような言説に傾く心性を、必ずしも若者に限らず、日本国民の多くが共有している。


②徐は、このことについて、「実はこうした現象も、日本人に限ったことではなく、むしろ九〇年代以降の文脈の中で世界的な広がりを持っている。」、と指摘する。
 また、次のように続ける。


 二〇〇一年のダーバン会議は、ナチズムによるジェノサイドを経験して「人道に対する罪」という概念を生みだした欧米諸国が、同じ基準を自らが行った奴隷制、植民地支配に当てはめる可能性を初めて公的に論じた場所だった。しかし、イスラエルと米国は退席し、欧米諸国はすでに述べたように「道義的責任」という防御戦に立てこもった。
 この会議の閉会から三日後、いわゆる「9.11」事件が起きた。それはまるで、ダーバン会議を見て、植民地支配責任と補償の問題を平和的な対話を通じて解決してゆく可能性に絶望したものによる、欧米諸国への応答のようにも見える出来事だった。
 しかし、その後の世界では、和解を妨げているのは責任を回避しようとする加害者の側ではなく、むしろ被害者の側であるかのような本末転倒した言説が拡散した。「和解」というレトリックを用いて被害者側に既成事実への屈服を強いる圧力が強まり、これを批判したり、これに抵抗する者たちには「原理主義者」「倫理主義者」「過激派」「ナショナリスト」「テロリスト」といったレッテルが貼り付けられるのが常である。
 

③さらに、徐は、「和解という名の暴力」の実態を暴く。


 九〇年代の前半、それまで口を閉ざされていた植民地支配の被害者証人たちが次々と現れ、それの呼応して日本国内にも戦争責任を問う人々の運動が起こってきたとき、私はそれを「証言の時代」と呼んだ。それは日本社会において、国民の多数が課外の責任と向き合い、被害者たちとの対話を通じて過去を克服していく好機であるはずであった。もちろん右派からの強硬な巻き返しはあったものの、それとの闘いを通じて被害者たちと真に和解する未来へと進んで行くことのできる好機を日本国民は迎えたのである。しかし、実際には、社会全般の右傾化とともに、歴史問題においても実際に教科書の慰安婦問題関連記述が激減するなど、九〇何代半ば以降、日本社会は反動の時代に突入した。そのような状況のなかで、日本植民地支配の被害者たちは右派や歴史修正主義からの暴力だけでなく、中間派マジョリティからの「和解という名の暴力」にまでさらされている。


④徐は、日本の現状を、次のように言い当てる。


 私はかって、日本において戦争責任および植民地支配責任問題がほとんど解決しないのは、「『他者』に対する『日本人としての責任』を自覚的に担おうとする人々と、『他者』を黙殺して自己愛に終始しようとする人々との対立のせいであり、日本では前者が極端に少数かつ脆弱であり、後者が依然として社会の中枢を占め続けているという単純な事実」のせいであると論じた。それがすでに一二年前のことだが、今日なお問題はほとんど解決していない。


⑤さて、徐は、天皇訪韓問題について、ここでこのようにまとめるている。現在の日韓両国の政府の現状をつぶさに見たとき、やはりきちんと押さえておく必要がある。、


 かっての植民地支配は日本の天皇制という制度によって行われたのであり、朝鮮総督は天皇に「直隷」していた。朝鮮植民地支配の最高責任者は天皇であった。朝鮮植民地支配を根本的に克服するということは、天皇制そのものを克服することと同義である。にも関わらず日本敗戦後、天皇の「威光」を利用して戦後日本を間接支配しようとする連合国の意向もあって天皇制は生き延びた。戦後天皇制は植民地支配との絶縁の上に成立しているのではなく、戦前の天皇制の延長として存在するのである。一九三〇年代後半に朝鮮総督府は、朝鮮人への徴兵制実施と天皇の朝鮮行幸実現を目標に「皇民化政策」を推進した。しかし、ついに天皇行幸は実現できなかったのである。それは植民地支配への朝鮮人民の抵抗がそれだけ粘り強いものであったことの証左であろう。
 私は現行憲法の第一条(象徴天皇制)に反対である。日本国民自身が自らの手で天皇制を廃止すべきであり、それが、侵略戦争に終始した日本の近代と決別し日本人自身を解放するためにも必要なプロセスだと考えるからだ。しかし、そのことを措いて現行憲法に照らして見た場合でも、それは天皇の政治的利用の最悪のケースといえるだろう。現行憲法上でも天皇は元首ではない。日本国家と国民を代表し得ないはずの存在なのである。国家としての謝罪の意は国会決議を経て、内閣総理大臣によって公式に表明されるべきものだ。 日本の天皇を「和解と平和の使徒」に仕立て上げて植民地支配の責任を曖昧にし、旧植民地人民を「慰撫」する役割を演じさせることは、過去の克服ではなく、克服されるべき過去をまたしても延命させることでしかない。そのことを韓国政府が推進しようとするのは天皇を利用して自らの威信を高め国民統合をはかるためである。日本と韓国のいずれの国民も、そんなことに手を貸してはならない。 


(4)「和解という名の暴力」-その流通と消費のなかで、徐の日本知識人への次の指摘が、重要となる。
 なお、その他の事項は、今回は省略する。


 彼らは右派の露骨な国家主義には反対であり、自らを非合理的で狂信的な右派からは区別される理性的な民主主義者であると自任している。しかし、それと同時に、北海道、沖縄、台湾、朝鮮、そして満州国と植民地支配を拡大することによって近代史の全課程を通じて書くとされた日本国民の国民的特権を脅かされることに不安を感じているのである。 植民地支配による資源の略取や労働力の搾取を通じて蓄積された巨大な富が日本国民の経済生活や文化生活を潤してきた。日本敗戦(朝鮮開放)後、在日朝鮮人の日本国籍を一方的に剥奪したことだけをみても、植民地支配によって蓄積した冨を日本国民が排他的に占有してきたことは明らかだ。まして、被害者側からの補償要求にも誠実に応えてこなかったのである。



 最後に、「和解という名の暴力」に対して、徐の「あらゆる意味で、被害者が《傷を受ける前の平和な状態》に戻ることはもはや不可能である。」との指摘が、対抗軸となる。 
 このことが、すべての出発点になるはずである。
 この本の徐の論点を見ながら、一方では、沖縄問題に通ずるものを深く自覚している。


by asyagi-df-2014 | 2016-03-16 06:02 | 本等からのもの | Comments(0)

原発問題-九州電力川内原発周辺に設置されたモニタリングポストのうち、ほぼ半数が事故時の住民避難の判断に必要な放射線量を測れない、と。

 驚くべき事実である。こうしたことが許される社会という存在そのものへの強い危惧感がある。
 標題について、朝日新聞は2016年3月14日、「運転中の九州電力川内原発(鹿児島県)周辺に設置されたモニタリングポストのうち、ほぼ半数が事故時の住民避難の判断に必要な放射線量を測れないことがわかった。9日の大津地裁の仮処分決定で運転が止まった関西電力高浜原発(福井県)の周辺でも、計画する数が設置できていなかった。事故時の住民避難の態勢が十分に整わないまま、原発が再稼働した。」、と報じた。
また、このことについて、「東京電力福島第一原発事故後、国は原子力災害対策指針を改定。原発から5キロ圏は大事故が起きたら即時に避難し、5~30キロ圏はまず屋内退避したうえで、ポストで測った放射線量の値をみて避難させるかを国が判断することにした。毎時20マイクロシーベルトが1日続いたら1週間以内に、毎時500マイクロに達したらすぐに避難する。
 指針などでは、原発から30キロ圏の市町村に避難計画の策定を、道府県にはポスト設置と、地区ごとに避難の判断基準とするポストを定めることを求めた。鹿児島県は昨年8月の川内原発1号機の再稼働までに、5~30キロ圏に判断の基準となる48台のポストを設置。うち22台は毎時80マイクロまでしか測れず、すぐに避難する判断には使えない。」、「県原子力安全対策課は『緊急時には近い別のポストで測ったり、(持ち運んで据え付ける)可搬型ポストを配備したりするので問題ない』と説明。だが、県が配備した可搬型ポスト44台のうち30台は毎時100マイクロまでしか測れない。」、と伝えた。

 朝日新聞は、記者の視点として「避難計画も客観的に審査する態勢を」と、次のように指摘した。


「放射線量測定に万全さを欠いたまま原発の再稼働が先行していた。事故時の住民避難に責任を負う自治体がもう大事故は起きないと高をくくっているなら、『安全神話』が続いていると批判されても仕方ない。
 住民避難の計画作りは、原発30キロ圏の全国の自治体で進むが、渋滞や複合災害の想定が不十分で、実効性に疑問の声が出ている。こうした指摘に、鹿児島県の伊藤祐一郎知事は会見で『マイナーな話』『計画が実際にワークするケースもほとんどないだろう』と語っている。
 原発事故が起きた時に国が避難指示を出すには、状況を正確に把握する必要がある。福島第一原発事故ではそれがなされず、情報も伝わらずに大混乱した。まずは屋内退避を求められ、線量次第で逃げる5~30キロの住民の不安を解消するためにも、測定が漏れなく行われることは大前提だ。
 避難を円滑に行うには綿密な避難計画が欠かせない。だが、その計画づくりは自治体の責任とされ、規制基準による国の審査の対象外だ。避難対策は原発の規制基準と並ぶ『安全の両輪』。国が責任を持ち、計画の実効性を客観的に審査する態勢を整えるべきだ。」


 以下、朝日新聞の引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-15 17:16 | 書くことから-原発 | Comments(0)

ワシントン・ポストの社説で、「報道圧力 安倍政権はやめよ」、と。

 標題について、琉球新報は2016年3月9日、「米有力紙ワシントン・ポストは6日、政治的に公平でない放送を繰り返す放送局に電波停止を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の発言や安倍晋三首相に近い自民党議員による勉強会での沖縄2紙への圧力などを取り上げ、安倍政権はメディアに圧力をかけるべきではないと批判する社説を掲載した。」、「ワシントン・ポスト紙は高市氏の発言の背景には安保法制に関する報道など『メディアに対する安倍晋三首相のいら立ち』があると分析した。NGO『国境なき記者団』が調査した2015年のランキングで、日本の『報道の自由度』が180カ国中61位となっていることも紹介した。」と報じた。
 また、ワシントン・ポスツの社説の内容について、「『日本が戦後に成し遂げたことの中で最も誇るべきものは、経済の奇跡ではなく、独立したメディアを含む自由主義制度の確立だ』と指摘。『首相にいかなる目標があっても、それら(自由主義制度)を犠牲にして追求するべきではない』と強調した。」。と伝えた。


 日本のマスコミは、このワシントン・ポストの指摘をどのように受け止めることができるのだろうか。


 以下、琉球新報の引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-15 06:20 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄-米海軍一等水兵の男を準強姦(ごうかん)容疑で緊急逮捕。

 標題について、沖縄タイムスは2016年3月13日、「那覇署は13日、那覇市内のホテルで福岡県の40代女性会社員に暴行を加えたとして、米軍キャンプ・シュワブ所属で米海軍一等水兵の男(24)を準強姦(ごうかん)容疑で緊急逮捕した。調べに対し『自分はやっていない』と容疑を否認しているという。逮捕容疑は13日午前1時15分~同4時5分ごろ、友人と観光で来県していた女性を同容疑者の宿泊先のビジネスホテルに連れ込み、暴行を加えた疑い。被害女性と面識はなかったという」、と報じた。


 以下、沖縄タイムスの引用。



More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-14 17:16 | 沖縄から | Comments(0)

原発問題- 伊方原発の再稼働についての愛媛新聞のアンケートで、再稼働に否定的な意見は65.5%だった。

 標題について、愛媛新聞は2016年3月12日、「愛媛新聞が2~3月に実施した四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)などに関する県民世論調査で、再稼働に否定的な意見は65.5%だったことが10日、分かった。肯定的な意見は34.5%。ただ中村時広知事が昨年10月に同意した伊方3号機の再稼働の理由に対しては51.7%が一定の理解を示している。2011年の東京電力福島第1原発事故以降、愛媛新聞社が実施した6回の世論調査で再稼働に否定的な回答は69.3~61.9%で推移。今回は2番目に高く、再稼働を望まない考えが根強く残っている実態が浮き彫りになった。」、と報じた。
 また、このアンケート結果の内容について、「再稼働の是非に関する内訳は「再稼働すべきではない」が29.8%、『どちらかというと再稼働に反対』が35.7%。対して『再稼働すべきだ』は7.8%、『どちらかというと再稼働に賛成』は26.7%。原発の安全性については『不安』52.1%、『やや不安』33.6%で計85.7%。一方『安全』は1.5%、『ほぼ安全』は12.9%で計14.4%だった。
 再稼働に否定的な理由は『原発はもともと危険だ』が34.7%で最多。『使用済み核燃料処理策が決まっていない』24.9%、『安全対策が不十分だ』17.1%が続いた。再稼働に肯定的な理由は『電力不足が心配だ』25.8%、『安全対策が十分取られている』25.0%でほぼ同程度。」、と伝えた。
 特に、避難計画と伊方1号機の「40年問題」について、「県などが策定した避難計画には計50.2%が『実効性はない』『どちらかというと実効性はない』」。「運転開始から38年となった伊方1号機は計83.5%が『廃炉にすべきだ』『どちらかというと廃炉にすべきだ』と主張した。」、と伝えた。


 以下、愛媛新聞の引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-14 12:09 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧