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沖縄-嘉手納騒音で「年4人死亡」と、算出。これは「大規模な公害病」だ。

 北海道大学工学研究院の松井利仁教授(環境衛生学)の「戦後70年が経過したことを考慮すれば、単純計算で約300人の命が失われたことになる。大規模な公害病だ」という指摘は、まさに驚愕の事実である。「沖縄の犠牲」ということの典型的な事実である。
 このことについて、沖縄タイムスは2016年2月26日、「騒音がもたらす健康被害の専門家で、北海道大学工学研究院の松井利仁教授(環境衛生学)は25日までに、米軍嘉手納基地の航空機騒音による心筋梗塞や脳卒中で、毎年4人が死亡しているとの推計結果をまとめた。沖縄県の騒音測定結果や国勢調査を基に、英国の疫学調査で得られた死亡率を応用して算出した。騒音で心筋梗塞か脳卒中に罹患(りかん)している患者も30人に上るとしている。さらに、世界保健機関(WHO)の夜間騒音ガイドラインに基づけば、夜間騒音が原因で、軽度以上の睡眠障害に罹患している嘉手納飛行場周辺の住民は約1万人いると算出。過去の県の疫学調査を踏まえ、騒音による高血圧の住民も千人いるとした。」、と報じた。
 こうした実態について、松井教授は、「『大規模な公害病だ』と訴えた。」、というのである。
 このことについて、沖縄タイムスは同日、松井利仁教授(環境衛生学、騒音による生理学的影響に関する国際委員会健康影響部会副部会長)の見解を次のように紹介している。


(1)騒音問題の日本の実態
①騒音による死亡を含む健康影響が国内で大気汚染に次いで高いにもかかわらず、日本の騒音に関する環境基準は健康を保護していない、多くの騒音の健康被害問題が放置され続けている。
②残念なことに、日本には環境騒音による健康影響を研究する科学者は少ない。
③加えて、これまで騒音が「感覚公害」に分類されてきたことも、騒音の影響が感覚的なものに限られるという誤解を生む原因になってきた。 
(2)騒音
 騒音は大気汚染や水質汚濁の有害物質と同様、「公害病の」の原因となりうる環境要因だ。
(3)WHOの見解
 世界保健機関(WHO)は1999年の時点で、騒音により高血圧や心疾患が増加することを「環境ガイドライン」に記載した。
(4)騒音問題は引き起こしていること
①騒音が人命にまで影響することを認識した上で騒音を出し続けることは、水俣公害事件で、原因を知りながら排水を流し続けたことと同じだ。 
②沖縄戦で日本軍が住民を守らなかったという事実はしばしば報道されているが、今も米軍と日本国による住民への「殺人行為」ともいえる状態が続いているのではないか。
(5)松井教授の見解
①行政には、公害病から国民の健康を守る義務がある。行政がWHO矢科学を無視し続けることは、その役割を放棄しているにひとしい。
②騒音から健康を保護するための環境基準を策定することはもちろん、騒音による影響をより正確に把握するために、欧州のように国家レベルの実態調査が行われるべきだ。


 この記事に、驚いているだけでは済まされない。
 しっかりとこの事実を受け止め、解決に向けて動かなければならない。
 まずは、「戦後70年が経過したことを考慮すれば、単純計算で約300人の命が失われたことになる。大規模な公害病だ」という事実を確認すること。
 そしてこの事実が、「騒音が人命にまで影響することを認識した上で騒音を出し続けることは、水俣公害事件で、原因を知りながら排水を流し続けたことと同じだ。」、ということを理解すること。
 また、これが、「沖縄戦で日本軍が住民を守らなかったという事実はしばしば報道されているが、今も米軍と日本国による住民への『殺人行為』ともいえる状態が続いている。」、ことをはっきりと日本国の国民レベルで明確に認識するということが必要である。


 以下、沖縄タイムスの引用。






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by asyagi-df-2014 | 2016-02-29 12:24 | 沖縄から | Comments(0)

安倍首相靖國参拝違憲訴訟での大阪地裁の不当判決を考える。

 2016年1月28日の大阪地裁の不当判決を、「アジアネットワーク通信第13号」で高橋靖さんは伝えています。


「一月二八日(木)判決前、九時二五分からマスコミによる原告団入廷シーンの撮影。一〇時、いよいよ判決の言渡し。佐藤裁判長は「主文、原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」と主文を読み上げた後、要旨を読み上げた。」


 その判決要旨を、高橋さんは、次のように報告します。


①靖国神社の特殊性もある程度認め、首相の参拝の影響力も一定認めながらも、結局のところ、「人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活に対して圧迫、干渉を加えるような性質ではなく」そのことは「内閣総理大臣の地位にある者が靖国神社を参拝した場合においても異なるものではない」とし、よって被侵害利益はないとした二〇〇六年の最高裁判決を援用し、憲法判断から逃げ、原告の訴えを棄却しました。
②さらにたちの悪いのが、小泉首相靖国参拝違憲訴訟で違憲判決を勝ち取った原告の期待権侵害の訴えに対しては、最高裁判決は「錦の御旗」として援用しておきながら、首相の靖国参拝違憲訴訟の福岡地裁・大阪高裁の違憲判断については、「裁判所の判断は、その後の社会・経済情勢の変動や国民の権利意識の変動等によって変わることもあり得る」から「期待権が法的に保護される利益ではない」などと述べ。                                 
③あげくの果ては、安倍首相の談話をそのまま鵜呑みし「安倍首相は平和を祈念するために靖国神社を参拝した」とし、「その布教や宣伝のために参拝したものではない」と安倍首相を全面的に擁護する始末。まさに「最初に結論ありき」丸出しで、それに無理やりこじつけるために論理の矛盾もおかまいなしです。


 また、判決後の原告団及び弁護団の記者会見での失望と怒りの様子を報告します。


①小泉靖国参拝違憲訴訟で福岡地裁で違憲判決を勝ち取った木村真昭さんは、「福岡地裁では、裁判所は、原告らはこういう形でしか訴えることができなかったんだと原告の訴えをくみ取ってくれた。ところが、今日の判決は安倍首相の代弁をしている。われわれが主張した(違憲判決に対する)期待権について、裁判所は、違憲判断も社会・経済情勢によって変わるなどと言っているが、憲法とはそんなものか。せめて、司法の意地をみせてほしかった」。
②松岡さんは、「裁判所は憲法を守るところとちがうのか、と落胆した。安倍首相も平和を祈念しているというのは承服できない」、○○さん(仮名)は若者として「憲法「改正」の時代への危機感からこの訴訟に加わったが、判決では、憲法判断は社会情勢によって変わるなどと言っているが、じゃ、戦争になったら裁判所は戦争も認めるのか。たいへん憤りを感じる」。
③中島弁護士は、「裁判所は憲法判断から逃げていた。今回の判決では首相の靖国参拝が合憲になりうることまでにおわせる極めて後退的な判決だ」。                   
④加島弁護士は、「今日の裁判所は憲法判断を回避した。それは我々が考える裁判所の良心からずいぶんかけ離れている」。そして、原告団事務局の菱木さんは「自分では、(首相の靖国参拝に対して)合憲判断はできないくせに、「裁判所の判断は社会・経済情勢の変化によって変わり得るなどといいいかげんなことを述べているのには腹が立つ」と怒りを表しました。


 さらに、判決報告集会での中島弁護士からの判決の要旨の解説を報告します。


①判決では、被侵害利益はないということで、いきなり憲法判断を避けてしまっている。そうしたものだから、小泉首相靖国参拝違憲訴訟での違憲判断に対する期待権については「首相の靖国参拝違憲判断もその後の社会・経済情勢の変動により裁判所の判断が変わることもあり得る」と無理をしてしまっている。
②平和的生存権については、イラク派兵違憲訴訟名古屋高裁ではっきり権利として認められているにもかかわらず、平和のうちに生存する権利の具体的な内容は曖昧不明確であり裁判所に対して損害賠償や差止めを求めることができるとまで解することはできないとした。
③判決は、最初から結論を決めつけた上で書かれており、靖国参拝も安倍が「過去の痛切な反省に立って、二度と戦争を起こしてはならないと考えている」と言っているので、靖国神社の布教、宣伝に利用したものとは解されないとし、これまでの裁判所の判断よりずっと後ろ向けに流れていってしまっている。


 この「アジアネットワーク通信第13号」で、高橋さんは、次のように締めくくっている。


「大川弁護士は、今までの首相の靖国参拝訴訟の判決では、原告の主張するのは単なる『怒り、不快感、憤り』にすぎないとしていたが、今回はその内、『不快』しか書いていない。満身の『憤り』をもって控訴審に臨みたいと決意表明。われわれ原告団も全く同感です。今回の『最悪』の判決に対する怒りをバネに控訴審にのぞみます。いっしょにしぶとくがんばりましょう。原告以外の方も今後ともよりいっそうの支援をよろしくお願いします。 」


 この「満身の『憤り』をもって控訴審に臨みたい」という決意表明は、「安倍晋三首相の靖国神社参拝(2013年12月)は憲法の政教分離原則に反すると訴え、国内外の765人が首相と国、神社に1人1万円の慰謝料と参拝差し止めを求めた訴訟で、うち388人が9日、憲法判断に踏み込まず請求を全面的に棄却した1月28日の大阪地裁判決を不服として大阪高裁に控訴した。」(朝日新聞2016年2月9日)、という記事となった。


by asyagi-df-2014 | 2016-02-29 06:16 | 安倍首相靖国参拝違憲訴訟 | Comments(0)

原発問題-原子力規制委員会の田中俊一委員長は、「(老朽原発も)費用をかければ技術的な点は克服できる」と発言。『六十年廃炉』になっていく恐れ。

 原発の運転期間を定めた「原則40年ルール」が形骸化する恐れについて、東京新聞は2016年2月24日、「原子力規制委員会の田中俊一委員長は24日の定例記者会見で、老朽原発の関西電力高浜1、2号機(福井県)が新規制基準に基づく審査に事実上合格したことに関し、『(老朽原発も)費用をかければ技術的な点は克服できる』と述べた。規制委トップが老朽原発の運転延長に寛容な姿勢を示した形で、東京電力福島第1原発事故を踏まえて原発の運転期間を定めた『原則40年ルール』が形骸化する恐れがある。田中委員長は今後の老朽原発の審査方針について『個々に判断していく』とした。」、と報じた。
 この委員長からの「(老朽原発も)費用をかければ技術的な点は克服できる」を受けて、、東京新聞は2016年2月25日、「東京電力福島第一原発事故後に改正された原子炉等規制法では、原発の運転期間は四十年に制限され、最大二十年間の運転延長は「例外」とされてきたが、早くも例外が認められる見通しとなった。今後、延長を目指す電力会社が相次ぎ、実質的に『六十年廃炉』になっていく恐れがある。」、「各社とも方針を明らかにしていないが、採算性を優先すれば、延長を狙ってくる可能性が高い。そうなれば、四十年廃炉の原則は失われることになる。」、と指摘した。


 以下、東京新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-28 17:43 | 書くことから-原発 | Comments(0)

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第42回

沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。

 
 今回の報告は、宮古島が危機に瀕している状況と自衛隊配備に反対する宮古島のお母さんたちについて。
まずは、こんな状況についてです。


「神と、祈りと、自然と人間の調和がまだまだ息づいている最後の楽園が、今、かつて無い危機に瀕している。外国の艦隊に撃ち込むミサイルと、外国の航空機を打ち落とすミサイル、それを800人の自衛隊部隊と共にこの島に置くことが規定方針になっているのだ。日本政府は南西諸島の防衛強化を打ち出し、宮古島・石垣島周辺が『空白地帯』になっているとして攻撃力を持った陸上自衛隊を配備する。それだけではない。なにかあれば攻撃対象になり島が吹っ飛ぶ可能性もある大規模な弾薬庫が置かれる。実弾射撃訓練場も新設される。敵の上陸を想定して地下に司令部が置かれる。水陸両用車が海から陸に乗り上げる訓練をする着上陸訓練場も、貴重な自然の海岸線が残る東側の浜に作られてしまう。」


 その筋書きは次のようになります。


「敵、とは誰か。一体どこの国が日本に宣戦布告をして来る想定なのか。日本人のほとんどは『あくまで攻撃されたときに備えての防御であって、今のところ日本が戦争当事者になることは100%あり得ない』と思っているだろうし、こちらが先に撃つことなど想像もしないだろう。しかし米軍が想定しているのは、軍事力をメキメキと高めてきた中国が台湾を手中に収めようと動き出したときに、それを初期で叩き潰すこと。そのために、中国の船隊が琉球弧を通過するときに宮古・八重山から撃つというストーリーだ。
『ついに、ならずもの国家・中国が西側諸国の我々の権益を、生存を脅かし始めた。最初が肝心だ、宮古島の部隊から撃て!』とアメリカが集団的自衛権を背景に自衛隊に命じた場合に、日本政府が断れるだろうか。日本がやむなく『初期攻撃で事態を終わらせるつもり』で中国の戦艦を攻撃したら、それは中国にしてみれば日本からの宣戦布告である。彼らの反撃は正当なものとなり攻撃の対象が南西諸島だけに絞られる保証はない。
 このシナリオで行くと肝心のアメリカは無傷のまま、いつの間にか日本の国土が戦争の舞台になりかねないのだ。それもこれも、南西諸島にミサイル基地を置くことから始まる。アメリカの対中国戦略の中で、日本は兵隊と戦場、両方を提供する都合の良い存在になってしまう。」


 こんな状況の中で、てぃだぬふぁの会のお母さんたちの行動を、「お母さんたちは軍事戦略上、宮古島が背負わされる危険についてもよく知っていて危機感を持っている。しかしまだまだ自衛隊問題に関心のない島民にいきなりそんな話をしても通じない。まずは親子で遊びながら参加できるイベントで何でも話せる場所造りをして、子育てのこと、環境のこと、水や食の安全のことなどから軍事的な話まで学びあいができるようなイベントを次々に計画している。」、と報告します。
 それは、「自衛隊配備を水の危機から考える方が、宮古島民にとって身近な危機だ。」ということや「軍事的なことには疎い島民でも絶対にやめて欲しいと思っているのは、神さまの場所に手を入れることだ。」ということから、学びあいを始めるということについてです。
 また、共同代表を務める楚南有香子さん、宮古生まれの宮古育ちで。4歳の娘を持つ母親を姿を次のように描きます。


「インタビューに対して自衛隊配備計画は必ず止められると言った。間もなく用地取得の国の予算が下りて、ゴルフ場と牧場の地主がハンコを押してしまえば事態は大きく動く。一度基地を引受けてしまえば、動画でも紹介した野原(のばる)の通信施設のように当初の計画にはなかった規模の新しい異様な器機をニョキニョキと次々に建てられても、もう手も足も出ない。しかし反対の機運はまだまだ盛り上がっておらず、用地取得を辞めさせる妙案もない。
 それでも楚南さんはひるまない。戦火を逃げ惑った先祖から受け継いだDNAで絶対に止めるという。石垣や与那国とも連帯して止めていく、という彼女の目に宿る信念の光は、翁長知事やヒロジさんの眼光に通じるものがある。これ以上、日米両政府にとって都合の良い島に、島民の生活よりも軍事利用優先の島になるのを座視しているわけにはいかない。そう思って立ち上がったママさんたち、そしてその背景には上の世代で平和を求めて闘って来た宮古女性がたくさんいる。彼女たちの姿は、福島で頑張っている女性立ちとも呼応して、日本中に勇気をくれる存在になっていくと思う。」


 最後に、三上さんは、次のように呼びかけます。


 先祖と島の未来を背負った闘いは辺野古だけではなく宮古島、石垣島で本格化していく。止めたいのは、日本の運命をも左右する、戦争の引き金になる自衛隊の配置だ。
 私は三つ目の映画を作ってその現状を全国に伝えていく決意をした。前回のドキュメンタリー映画「戦場ぬ止み」同様に、資金はみなさんからのカンパが頼りの自転車操業になる。でも辺野古・宮古・石垣の闘いは日本の平和を守る最前線の闘いであるから、このマガジン9のサイトに日々の取材・撮影の途中経過を報告させて頂きながら制作を続けていきます。みなさん、どうかご支援のほど宜しくお願い致します。


三上智恵監督新作製作のための製作協力金カンパのお願い

『戦場ぬ止み』のその後――沖縄の基地問題を伝え続ける三上智恵監督が、年内の公開を目標に新作製作取り組んでいます。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。

■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
・ 銀行名:ゆうちょ銀行
・ 金融機関コード:9900
・ 店番 :019
・ 預金種目:当座
・ 店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
・口座番号:0673027
・加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会


 以下、三上智恵の沖縄(辺野古・高江)撮影日記第42回の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-28 16:02 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄-沖縄タイムス特集【誤解だらけの沖縄基地】を読む(17)。

 沖縄タイムスの特集、「誤解だらけの沖縄基地」(17)を考える。
 第16回目は、「米軍訓練を制限できない日本」、ということについて。
 このことについて、沖縄タイムスは2016年2月23日、次のように指摘する。


 まずは、外務官僚の次のような発言を問題視する。


 「日米地位協定は、他国と比較すると恵まれている」
「『日-ジブチ』に比べたら『日-米』は、よっぽど平等だよね」


 この発言の背景を次のように指摘する。


「日本は09年、海賊対策でソマリア沖に自衛隊を派遣するのに伴い、アフリカのジブチ共和国と地位協定(交換公文)を結んだ。自衛隊員が現地で犯した罪の裁判権を、日本政府が『すべての要員について行使する』とするなど、日本側に極めて有利な内容だ。国力ではるかに差がある小国と比較してまで、日米地位協定の問題点を矮小(わいしょう)化しようとする“文化”が、政府内にある。」


 このことに対して、05年にイタリアで米軍基地を取材したジャーナリストの屋良朝博氏の発言を対置する。


「『現地で『リポーゾ』と呼ばれる昼寝の時間に、米軍機が一切、飛んでいない。飛行ルートも高度も離着陸回数も、伊空軍が同意しなければ決められない』。在伊米軍基地の管理権を、伊側が持っているからだ。
 一方、日米地位協定3条で基地の管理権を握る在沖米軍は、日米が決めた早朝・夜間の飛行禁止も『運用上の必要』と言えば守らなくていい。住民は早朝から深夜まで、騒音に悩まされることになる。」
 『地位協定の不平等性の核心は管理権だと痛感した』。」


 さらに、こう続ける。

「1998年に伊北部のスキー場で、米軍機によるゴンドラケーブル切断事故があり、落下した市民20人が死亡した。操縦士の超低空訓練が原因だった。伊政府は米軍の低空飛行訓練の割合を25%までと制限し、最低高度を2倍に引き上げ、伊側の安全講習を受けなければ米軍操縦士の飛行を許可しないと要求し、実現した。一方、日本では、米軍の訓練内容を制限する仕組みが存在しない。」

 沖縄タイムスは、この問題で、屋良朝博氏の「日伊で最も違うのは主権意識だ。基地の管理権とは主権そのもの。日本が主権を主張せねば、不平等な状況は変わらない」、との指摘を答えとした。


 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-28 12:24 | 沖縄から | Comments(0)

本からのもの-日本にとって沖縄とは何か

著書名;日本にとって沖縄とは何か
著作者:新崎 盛暉
出版社;岩波書店


 新崎盛暉さん(以下、新崎とする)は、まず最初に、「辺野古新基地建設は、単に米軍基地の建設をめぐる問題ではなく、戦後七〇年の日米沖関係史の到達点として存在する。」、と規定する。
 また、新崎は、この日米沖の枠組みを下支えするその構造を次のように指摘する。


 一九四五年、沖縄は地上戦を経て、米軍の軍事占領下で戦後史の第一歩を踏み出した。日本はポツダム宣言の受諾による連合国への降伏によって戦後史の第一歩を踏み出した。連合国、実質的には米国の占領政策は、天皇制の利用、日本の非武装化、沖縄の分離軍事支配という三点セットを基本として出発した。その後の国際情勢の変化の中で、「日本の非武装化」は、「目下の同盟国家」へと変化したが、基本的枠組みは変わらなかった。
 この基本的枠組みは、対日平和条約と日米安保条約によって、日本の主権回復後も引き継がれる。そしてこの枠組みは、「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み」として、日米政府によって利用されることになった。六〇年安保条約改定に至る本土米軍基地の沖縄へのしわ寄せは、その具体的一例といっていいだろう。この仕組みは、「構造的沖縄差別」と呼ぶことができる。

 沖縄問題への理解に向けて、現在の「オール沖縄」の動きについて、続ける。


 沖縄には、できるだけ中央政府とは事を荒立てたくないと考える保守的政治家や経済人も少なくなかったため、たとえば普天間代替施設については、一九九九年一二月、「一五年使用期限付き、軍民共用空港を辺野古沖に建設する」ということで、沖縄県知事、名護市長と政府の合意が成立し閣議決定が行われた。だが、この閣議決定は、在日米軍再編協議の過程で、沖縄の頭越しに一方的に破棄され、日米両政府によって現行案が押しつけられることになった。
 この時期から、「日本にとって沖縄とは何か」という問い返しが、保守的立場の政治家や経済人をも巻き込んで広がり始める。それは、自らが歩んできた戦後史、現代史を踏まえた、自治、民主主義、平和に関する根底的問い返しでもあった。「オール沖縄」とも呼ばれるようになるこうした動きに拍車を掛けたのが政権交代やオスプレイの強行配備であった。


 これまで、新崎の本は、現実ときちっと向き合う中で、緻密にかつ論理的に組み立てられてきた。私にとっては、常に、沖縄問題を理解する上での指標であった。
 ただ、この本は、いささかダイジェスト版的な趣が強いと思われる。それでも、その価値が薄められるわけではない。
 新崎は、この本で、「辺野古新基地建設の問題が、日米沖関係史の戦後七〇年の総括点であり、その今後を考える起点でもある」、と示すのである。


 さて、新崎の指摘する「今後を考える起点」の理解のために、一六点の項目を引用する。


(1)日本の戦後史のなかの三位一体の占領政策(象徴天皇制・非武装国家日本・沖縄の米軍支配)における、沖縄の分離軍事支配ということ。


 天皇制の存続(象徴天皇制)と戦争放棄(絶対平和主義)の不可分な関係については、当時から一定の認識はあったが、沖縄の分離軍事支配と非武装国家日本の関係については、ほとんど認識されていなかった。

 四七年六月のマッカーサー発言におもねるかたちで、この年九月にGHQに伝えられたのがいわゆる沖縄に関する天皇メッセージである。天皇は、側近の寺崎英成を通してGHQに、アメリカが日本に主権を残し租借する形式で、二五年ないしは五〇年、あるいはそれ以上、沖縄を軍事支配することは、アメリカの利益になるのみならず日本の利益にもなるというメッセージを伝えた。寺崎から天皇の考えを伝えられたGHQの政治顧問シーボルトは、このことを米国務省に伝達した報告文の中で、このメッセージは、疑いもなく天皇の私的利益に基づくものであると指摘している。・・・・。
 天皇は日本独立後の米軍駐留、すなわち安保条約の問題についても、その政治的意志をアメリカ側に伝えていたことが指摘されており、「内閣の助言と承認」によって限られた国事行為しか行えないはずの天皇の政治的発言は、主権在民を旨とする憲法上の重大な問題であった。
 いずれにせよ、マッカーサーを中心とする占領者にとって、天皇制の利用・軍事国家日本の非武装化・米軍による沖縄の分離軍事支配は、三位一体の関係にあった。

 沖縄を長期的に保持するという方針を、大統領の諮問期間として設置された国家安全保障会議が決定するのは、四九年初めのことである。すでに中国大陸における国共内戦は、共産党の圧倒的優位のもとに展開し、米ソの対立も深刻化しつつあった。
 アメリカ政府は、四九年七月に始まる一九五〇会計年度に、初めて本格的な沖縄基地建設予算を計上した。四九年七月四日の米独立記念日に際し、マッカーサーは、「日本は共産主義進出阻止の防壁」と声明した。「非武装国家日本」は、「アメリアの目下の同盟国」として位置づけ直されることになった。


(2)日本の戦後史のなかの非武装国家の再軍備ということ。


 GHQの占領政策は、中華人民共和国の成立が視野に入ってくる段階で、修正を余儀なくされた。「非武装国家」日本を、アメリカの「目下の同盟国」として保護育成するという政策への転換である。具体的には、日本を再武装・再軍備させるとともに、アメリカ市場の開放などによって、経済的にも一定の支援を行うことがそれである。
 非武装国家日本の再軍備は、五〇年八月、GHQの指示による警察予備隊令(いわゆるポツダム政令)の公布(即日施行)によって始まった。・・・。警察予備隊は、二年後、保安隊になり、さらに二年後、自衛隊になった。
 非武装国家日本を「反共の防壁」に転換するための次の政策は、米軍の恒久的な日本駐留であった。朝鮮戦争は、攻撃基地、後方支援基地としての日本の米戦略上の重要性を認識させることになった。一方、朝鮮戦争は、「朝鮮特需」とか「朝鮮ブーム」ということばにも象徴されているように日本経済に大きな利益をもたらした。疲弊しきっていた戦後日本経済は、アメリカの戦争に協力することによって、その後の発展の足がかりを掴むことになった。こうした日米の相互利用・相互依存関係を土台として、戦後の新たな日米関係がスタートすることになる。・・・。
 ところで、日本の再軍備が始まり、米軍が日本全土を基地化することが可能になった段階でも、沖縄の米軍事支配は強化されこそすれ、解消されることはなかった。主権国家となった日本に基地が置けるのは親米的政権が存続し続ける間だが、米軍の排他的支配下に置かれた沖縄の基地は、アメリ政府の意志一つで、維持・強化することができ、軍事行動も、なんらの制約も受けずに行うことが可能だからであった。


(3)日本の戦後史のなかの日米安保条約。


 対日平和条約が締結された同じ日の午後、日米両国の間で、日米安保条約が締結された。この安保条約は、軍隊を持たない日本の希望によって米軍が日本に駐留する権利を与えられた基地貸与協定ともいうべきもので、米軍には、日本防衛の義務はなかった。それぐんとでいて、日本における内乱鎮圧のため出動することができた。条約の期限も定められていなかった。
 米軍の恒久的な日本駐留は、この条約によって根拠を与えられることになった。対日平和条約の第六条によって、連合国軍(占領軍)は、条約を効力を発生して90日以内に日本を撤退することになったが、占領軍の大部分を占めていた米軍は、日米安保条約に基づく駐留米軍として日本に居座り続けることととなったのである。
 「目下の同盟国」日本と、沖縄の米軍支配という一体不可分の関係は、占領政策の延長線上に、サンフランシスコ二条約として国際関係の上でも定着することになったのである。


(4)日本の戦後史のなかの「忘れられた島」。


 五二年のサンフランシスコ体制の成立から六〇年安保改定交渉が始まるまでの期間は、戦後初めて、沖縄タイムス謹話の問題が日本全体の問題としてクローズアップされた時代であった。・・・。アメリカの「目下の同盟国」日本と、それを支える米軍事要塞として日本から分離され、米軍政下に置かれている沖縄の関係については、ついに可視化され得なかった時代でもあったともいえる。

 五二年四月二八日、日本にとっての「主権回復の日」を、沖縄は米軍政下に取り残された寂寥感と共に迎えた。一方、対日平和条約によって沖縄支配を正当化したと考える米軍は、軍事支配をより一層合憲的なものとした。
 まず、基地建設を本格化した米軍は、農民の必死の懇願や抵抗を「銃剣とブルドーザー」で排除して、軍用地として必要な土地を取りあげた。復帰運動やその組織的中心になった教職員会には国際的秩序を破壊する「共産主義」のレッテルを貼って、これを弾圧した。選挙では、劣勢な親米勢力を有利にするため、露骨な選挙干渉も行った。「主権回復の日」から数カ月もたたないうちに、沖縄には「暗黒時代」が訪れていた。

 実は、対日平和条約発効の時点で、日本(ヤマト)には、沖縄の約八倍の米軍基地が存在していた。したがって、全国各地で、反米版基地闘争が続発しており、五〇年代の日米関係、サンフランシスコ体制は、決して安定したものではなかった。
 では、沖縄の実情は、どの程度ヤマトに知られていただろうか。敗戦以来、沖縄はまったく「忘れられた島」であった。


(5)日本の戦後史のなかの「島ぐるみ闘争」の爆発とその終止符。


 島ぐるみ闘争の爆発は、ただちに全国紙の一面トップで伝えられることになった。朝日報道が人権問題としての視点から沖縄の現実に光を当てたのに対し、島ぐるみ闘争は日米関係の再検討を迫ることになりかねない政治問題として報じられた。
 島ぐるみ闘争は軍用地問題にとどまらず、過去一〇年の米軍支配に対する「島ぐるみ」の総反撃であった。もう一つ、この島ぐるみ闘争は日本復帰運動としての側面を持っていた。日本政府や本土関係団体に対する要請文だけでなく、あらゆる団体の内部的な意思確認のための決議や方針にも、「領土権の死守」「国土防衛」がうたわれていた。「日本人としての魂と誇りを堅持して戦い抜こう」などというスローガンもあった。

 しかし、ここに集まった数十団体の「沖縄問題解決」のイメージはまちまちであった。社会党や共産党も、サンフランシスコ体制における沖縄の位置づけを正確に認識して独自の闘い、たとえば沖縄返還闘争を組織するというよりは、沖縄の闘いも砂川闘争も同一次元でとらえがちであった。自民党などは、経済闘争の枠内に問題を閉じ込めるのに躍起になっていた。
 また、論壇におけるオピニオン・ローダーたちも、この問題を日本の戦後責任の問題として位置づけ、これに主体的にどう取り組み家については論じようとはしなかった。・・・・。
 島ぐるみ当闘争は二年余りの間、さまざまな紆余曲折を経て、結局、一括払いの撤回と、軍用地料の引き上げによって終止符を打つことになるのである。


(6)日本の戦後史のなかの「構造的沖縄差別」の積極的利用。


 島ぐるみ闘争は、沖縄問題を施政権返還問題として性格付け、岸首相も五七年六月の日米首脳会談では一応沖縄返還を要望したが、結局日本政府はアメリカの排他的沖縄支配を承認したうえで日米協力体制を前進させる道を選択したのである。
 沖縄の排他的軍事支配を前提とする「目下の同盟国」日本という仕組みは、象徴天皇制、非武装国家日本、沖縄の分離軍事支配を三点セットとする占領政策として出発し、サンフランシスコ体制として確立していた。それは、構造的沖縄差別のうえに築かれた日米関係といってもいいだろう。すでに、「はじめに」で述べてように、「構造的沖縄差別」とは、「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み」である。「基地のしわ寄せ」から六〇年安保改定の段階において、日本政府自体が、占領政策として出発した構造的沖縄差別を積極的に利用し始めたのである。

 アメリカがベトナム内線に直接介入して以来、横須賀、岩国、佐世保などの在日米軍もベトナムに出動した。明らかに、「日本国から行われる戦闘作戦行動」であった。しかし、沖縄を経由することによって、それは事前協議の対象にされなかった。「沖縄への移動は戦闘作戦行動ではなく、沖縄からベトナムへの出撃は、沖縄が安保条約の適用地域ではないから事前協議の対象にはならない」という国会答弁が、何回も、判を押したように繰り返された。
 安保適用地域の外におけれた沖縄が果たさせられたきた役割の一つは、在日米軍の自由な軍事行動を保障することであった。沖縄は、安保体制を外から強化する役割を担わされていたのである。


(7)日本の戦後史のなかの九五年までの国際情勢の変化。


 一九五〇年代後半の島ぐるみ闘争、七〇年前後の沖縄闘争に次いで、沖縄の民衆運動に転機を画したのは、戦後五〇年に当たる九五年である。
 沖縄を取り巻く返還前後の国際情勢の変化や民衆運動の特徴について整理しておきたい。
 国際情勢の変化の第一は、中国との国交正常化である。
 第二のニクソンショックは、訪中発表の翌月の七一年八月、ニクソン米大統領によって発表されたドル防衛非常事態宣言であった。

(8)日本の戦後史のなかの沖縄返還。

 沖縄返還は、七二年沖縄返還政策反対闘争の、そして安保反対闘争としての沖縄闘争の敗北の結果としてあった。沖縄民衆の最低限の要求は、「本土並み」の米軍基地の整理縮小であったが、政府のいう「本土なみ」は、「本土なみ」の自衛隊配備であった。


(9)沖縄の基地の実態。


 普天間のみならず、沖縄中南部の基地の多くは、こうして住民が収容所に入れられている間に、まるで白地図に線を引くようにして米軍基地に追い込まれたのである。
 その後の基地建設過程で不要になった土地は返還され、逆に必要になった土地は、「銃剣とブルドーザー」によって接収された。翁長知事が、普天間問題の原点は、土地の強制接収にあると強調するのはこのことを指している。

 沖縄返還に伴う第二段階の基地のしわ寄せによって、普天間基地の機能は強化された。具体的にいえば、沖縄返還に際して、那覇空港にいた米海軍対潜哨戒機P3の移転先について福田赳夫外相(後の首相)が、「岩国や三沢に移転されれば、政治問題を惹き起こす」と述べ、「日本本土ではなく沖縄の別の基地に移転」するようロジャーズ米国務長官に要請した結果、嘉手納移転が決まったのである。こうした交渉経過を明らかにしたアメリカ側の公文書が明らかになるのは沖縄返還から二〇年以上も経過した九六年のことである。

 SACO合意が、まず普天間返還に言及せざるを得なかったのは土地利用の面から沖縄県などの返還要望が強かったからであり、危険性の除去を重視したからではない。同時にこの基地が半世紀も前に造られ、老朽化が著しかったからである。戦場における勝者の権利として作られた基地を閉鎖・返還せよ、という権利回復の声が抑えきれなくなったとき、返す代償として新基地を要求するなどというのは、まさに「盗っ人猛々しい」というほかはない。


(10)なぜ辺野古なのか。そして、次の動きへ。


 実は日本政府が辺野古にこだわるのは、米軍が、六〇年代に、大浦湾のキャアプ・シュワブ沖を埋め立てて、現在と同様な基地建設を計画していたからである。ベトナム戦争当時の沖縄の政治情勢やアメリカの財政事情もあって、この計画は実現しなかったが、普天間返還の代替施設として、この基地建設計画がよみがえったのである。しかも経費はすべて日本が負担する。
 「撤去可能な海上ヘリ基地」から、「辺野古沿岸沖二キロのリーフ上の一五年使用期限付き軍民共用空港」へ、そして「大浦湾から辺野古沿岸を埋め立てて、v字型に二本の滑走路を持ち、強襲揚陸艦接岸可能な港湾施設や弾薬搭載場も持つ」現在の案へ、計画は軍事的観点から見れば理想的な形に近づきつつある。
 米国防総省の報告によれば、この基地は、「運用年数四〇年、耐用年数二〇〇年」といわれている。「埋め立て」といっても、海面から10メートルもある、見上げるような基地がジュゴンの餌場の上にそびえたつ。沖縄の未来は闇に閉ざされる。このころになると、基地容認、安保容認の現実主義者たちも、安保が必要なら日本全体で考えてほしい、負担間基地の代替施設が必要なら県外へ、と主張せざるをえなくなったのである。


(11)世代を超えた沖縄の歴史的体験の共有。


 とくに、報道機関や教育現場には、直接の戦争体験者は、もはや一人もいない。にもかかわらず、教科書の記述が、修正・削除されようとしていることの意味を、もっとも敏感にとらえたのは、報道機関や教育現場にいる直接的な戦争体験を持たない世代であった。なぜいま教科書の記述が変えられようとしているのか。それは、今現在の政治的動向と固く結びついているはずである。教科書検定意見に直ちに反応できたか否かは、直接的戦争体験者の数の問題ではなく、現実感覚の差であった。歴史的体験は、現実の課題を通して、はじめて社会全体に共有化される。それが戦争体験の風化現象を押し戻す。
 沖縄社会が。改めて「沖縄戦とは何か」、「日本軍とは何か」を大衆的に問い返すきっかけになったのは、沖縄返還の際の自衛隊の強行配備である。ⅱ度目が二年の教科書検定、3度目が07年度だといえよう。そのつど、新しい証言者が口を開き、その証言が記録され、複雑で多面的な戦争の実相が明らかになっていく。証言者と記録者の共同作業を通じて戦争体験の共有化は進む。


(12)銀座羽パレードでの経験。


 集会参加者による銀座のパレードに対しては、「日の丸」や星条旗を掲げた在特会などの右翼団体が、「売国奴」、「日本から出て行け」などの罵声を浴びせた。一九五〇年代中期から現在に至るまで、さまざまな要請・要求を持った沖縄からの行動団が全国各地に出かけているが、ヘイト・スピーチを浴びたのは、初めての体験だったろう。日本は、こんな時代になっているのである。行動団に参加した県議の一人は、「日本から出て行け」という罵声に対して、「じゃ、そうしましょうか。と言いたくなるね」と漏らしていた。


(13)「オール沖縄」体制を形成するもの。


 歴史的に例を見ない幅広い「オール沖縄」体制は、保守の分裂と革新的党派の衰退と、さまざまな市民・住民運動の担い手たちの自立的活動を前提として形成されたとも言える。


(14)辺野古新基地建設の意味するもの。


 こうしてアメリカを後ろ盾にして強大化する中国に対抗しようとする安倍政権と、集団的自衛権容認という形での日本の軍事協力の拡大を歓迎するアメリカ側の利害が一致することになった。
 新しい軍事機能を持つ新基地の提供も、軍事協力強化の重要な一環であった。日本側は、将来的な共同利用、さらには、単独利用も視野に入れているかもしれない。いずれにせよ、安全関連法案の国会審議と辺野古新基地建設は、密接な関係を持ちながら、同時並行で進むことになる。というよりも、辺野古新基地建設は、新たな安保法制準備の核心的で具体的なテーマであることを浮き彫りにしつつあった。



(15)「構造的沖縄差別」の基で起こっていることの確認。


 戦後日本の政治、とりわけその根幹をなす対米従属的日米関係を支えてきたのは、構造的沖縄差別であった。その仕組みは、戦傷者=占領者でもあるアメリカによって創り出され、日本の独立後も引き継がれた。
 この仕組みを積極的に利用しながら、日米関係を安定させたのは、日米の、とりわけ日本の国家権力だった。60年安保改定に至る基地のしわ寄せは、その一つである。戦後日本最大の民衆運動といわれる60年安保闘争は、沖縄を全く視野に入れていなかった。沖縄もまた、本土と沖縄の溝は意識し始めたが、安保体制、あるいはサンフランシスコ体制全体における沖縄の位置について明確な認識があったとは必ずしもいえない。

 沖縄返還によって、米軍の直接支配は解消したが、対米従属的日米関係を支える構造的沖縄差別は、基地問題の沖縄への集中という形で維持された。国土面積の0.6%の沖縄に在日米軍基地の75%が集中することになる沖縄返還によって生みだされた現実が、そのことを象徴的に示している。米兵の凶悪犯罪を契機に爆発した民衆の怒りを逸らすために、老朽化した普天間基地を返還する代わりに新基地を提供するのみならず、安保再定義によって日米同盟を強化するという政策は、沖縄返還を利用して、沖縄への基地政策の強化・集中と日米関係の強化を実現したやり方とあまりにも類似する。



(16)「イデオロギーよりアイデンティティー」ということ。



 アイディンティティーという言葉が、民族的アイディンティティーに狭く限定的に使われると、危うささえ持ちかねない。
 だがこの言葉は、より広い意味に使われている。田中優子法政大総長は、翁長知事の「慰霊の日」における平和宣言の中の「私たち沖縄県民がその目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶している」という言葉に言及し、「その身体的な体験が世代を超えて伝えられ、アイディンティティーとして醸成され、それで闘おうとしている。これは民族や地域を超えて非戦につながるアイディンティティーです」(『世界』一五年九月号)と受け止めている。確かにこの言葉は、政治党派的立場の違いを乗り越えながら、米軍政下から現在に至る、「平和」、「自治」、「民主主義」を求める闘いの積み重ねを多様なひとびとのの紐帯にしようという意図が込められていた。



(17)辺野古新基地建設阻止の闘いがもたらすもの。



 辺野古新基地建設阻止の闘いは、戦後七〇年、軍事的意味での「太平洋の要石」としての役割を押しつけられてきた沖縄が、構造的沖縄差別を打ち破り、自らを、平和な文化的経済的交流の要石に転換させるための「自己決定権」の行使にほかならない。

 安保法制(戦争法制)反対の運動は、六〇年安保闘争、七〇年安保闘争を超えられるだろうか。それは、次期国政選挙に至る過程での辺野古新基地建設阻止闘争の広がりにかかっているように思われる。辺野古新基地が建設された場合、そして阻止された場合の二つをイメージしてみれば明らかなように、辺野古新基地建設が阻止できるか否かは、沖縄のみならず、日本の、そして世界の、少なくとも東アジアの将来を左右する。

 辺野古新基地阻止を、集団的自衛権容認や新しい軍事基地建設による抑止力強化(軍拡競争)に抗う日本国民に突きつけられた眼前の実践的課題として捉えることが、必要なのではあるまいか。そしてそれこそが、構造的沖縄差別克服の第一歩になるだろう。



 最後に、新崎は、このようにまとめる。


 構造的沖縄差別は、日本の対米従属が生みだした結果でもある。日本の論者は、日本が惰性的対米従属の仕組みから離脱することに主体的責任を感じ、行動すべきではないのか。まさに、「日本にとって沖縄とは何か」が問われているのである。


 辺野古新基地建設阻止こそ、構造的沖縄差別の第一歩であることを、深く自覚するときが、今なのである。


by asyagi-df-2014 | 2016-02-28 06:30 | 本等からのもの | Comments(0)

沖縄-米軍嘉手納基地周辺の汚染物質、普天間飛行場に隣接する森川公園(宜野湾市)の湧き水から、1リットル当たり約80ナノグラム確認された。

 標題について、沖縄タイムスは2016年2月26日、「米軍嘉手納基地周辺の河川や北谷浄水場から高濃度で検出された残留性有機汚染物質のフッ素化合物PFOS(ピーホス)が、普天間飛行場に隣接する森川公園(宜野湾市)の湧き水から、1リットル当たり約80ナノグラム確認されたことが25日、沖縄県企業局の調査で明らかになった。県環境部は基地周辺からピーホス検出が相次いでいることを問題視し、米軍基地周辺を含め県内各地の公共用水や地下水の調査に乗り出す検討に入った。森川公園で検出されたピーホスは、嘉手納基地内の井戸群で検出された平均濃度を上回る。ただ、この湧き水は水道水として家庭に供給される水源ではない。」、と報じた。
 また、このことに関連して、「調査日と1リットル当たりの検出値は1月28日(78ナノグラム)、2月10日(89ナノグラム)、17日(77ナノグラム)の3回。平良局長は『(詳細を照会していた)嘉手納基地からの回答が遅かったため、念のため補足調査が必要と判断した』と述べ、参考値を得るためだったと説明した。
 企業局は調査回数が少なく、調査地が1カ所であることから、普天間飛行場との因果関係は判断できないとしている。平良局長は答弁で『住民の不安を払拭(ふっしょく)するには県として継続的、全体的な調査が必要と考える』との見解を示した。」、と伝えた。
 さらに、規制値の問題については、「ピーホスは国内で規制値の設定がない。米国では水道水の要報告濃度が1リットル当たり40ナノグラム、ドイツでは健康関連指針値として300ナノグラムが定められている。」、と報じた。


 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-27 10:02 | 沖縄から | Comments(0)

安倍首相靖國参拝訴訟、原告388人が大阪高裁に控訴。

 安倍首相靖國参拝総称で訴えを棄却された原告は、2016年2月9日、大阪高裁に控訴した。
 このことについて、朝日新聞は2016年2月9日、「安倍晋三首相の靖国神社参拝(2013年12月)は憲法の政教分離原則に反すると訴え、国内外の765人が首相と国、神社に1人1万円の慰謝料と参拝差し止めを求めた訴訟で、うち388人が9日、憲法判断に踏み込まず請求を全面的に棄却した1月28日の大阪地裁判決を不服として大阪高裁に控訴した。」、と報じた。

 実は、朝日新聞は2016年1月28日、このことに関連して次のような声と記事を伝えていた。


「靖国参拝が平和を祈念するものと評価した判決。怒りを覚える」

「冗談じゃない」。父の命は国に奪われたに等しい。だれかの幸せも奪ったかもしれない。「何が神だ」

「国民の命を預かる一国の代表者が、周辺国との摩擦を承知で参拝するなんて」

「歴史学は実生活に還元させないと意味がない」

ただ、自分の思いを口にすることも、最近はためらうようになった。実名で提訴後の会見に出た同世代の友人は、ネットに「こういうことするのは朝鮮人」と書かれた。法廷には「朝鮮人」と叫ぶ集団も現れたと弁護団から聞いた。非難が激しくなると他の若者も口をつぐむと恐れ、法廷での意見陳述は控えた。

判決は憲法判断を避けた。「司法は空っぽだと言っているに等しい」と失望した。「でも訴訟は通過点。これからも考え、しゃべることはやめない」(

「憲法判断から逃げている姿勢が見られる」と批判。そのうえで「靖国参拝が合憲にもなり得ると含みを入れている。(過去に違憲と判断した判決から)後退している」

「今回の判決は後退どころか裁判所の存在理由を終わらせるでたらめなもの。せめて司法の意地はしめしてほしい。落胆している」


 判決で、「時代で判断が変わる」、と裁判所が言ってしまった。
 だが、あたりまえに、諦めるわけにはいかない闘いは続く。


 以下、朝日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-27 06:00 | 安倍首相靖国参拝違憲訴訟 | Comments(0)

原発問題-改めて、丸川珠代環境相の「除染の目標、何の根拠もなく決めた」発言を、毎日新聞から考える。

 丸川珠代環境相の発言について、毎日新聞は2016年2月24日、「言葉は時に人を傷つける刃物になると表し、「丸川珠代環境相が、東京電力福島第1原発事故後に定めた除染などの長期目標を『【わーわーわーわー】騒いだ中で、何の科学的根拠もなく決めた』などと述べた時、その言葉が頭に浮かんだ。5年前の原発事故で約10万人が今もなお古里に帰れない現実が、この人の目には映らないのか。」、と伝えた。
 毎日新聞は、その発言要旨の問題点を次のようにとらえる。


①除染の目標数値を「何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた」との部分。この「1ミリシーベルト以下」という基準の根拠とは何か。国際放射線防護委員会(ICRP)は、放射性物質の影響が残る状況下での年間被ばく線量の目標について「1〜20ミリシーベルトを許容範囲」と勧告している。この範囲のうち最も低い値を民主党政権は除染の基準としたのだ。現在の自民党政権も変えていない。つまり荒唐無稽(むけい)な数値ではない。
②「被ばくはどんなに微量でも危険が伴うというのが現在の学問の定説で、できる限り低い方がいい。ICRPの勧告に従い、放射性物質汚染対処特措法に定めたわけです。日本が法治国家ならばその被ばくの限度を守ることは当たり前です」。環境相の発言だったことについては「環境省は被ばくを低減させることに全力を傾ける責任がある役所。それなのに困った人です」(小出裕章さん)
③「その『1ミリシーベルト』という基準のために我々はこの5年間、どれだけ振り回されてきたか分からないのに……」という言葉に徒労感がにじむ。「文部科学省が2011年5月、学校の敷地についても『年間1ミリシーベルト以下を目指す』という方針を突然打ち出したことで、我々現場は大混乱しました。それでも地元は国が決めた基準を信じて、除染を進め、それを達成してきたんです。それなのに不適切な発言で住民同士の不要な感情的対立をあおるようなことはしないでほしい」(南相馬市の桜井勝延市長)
④「同じことを福島で言えますか? 現場に来て、現場で見て、現場で発言してほしい。そうすれば軽率な発言はできなかったろう」(南相馬市の桜井勝延市長)
⑤「除染でも、食品の安全検査でも数字を基に『大丈夫だ』と確認しながら進めているのに、その数字に根拠がないとされたら信頼性がなくなってしまう。うかつな発言では済まされません。県民は怒っている」(小熊慎司衆院議員(改革結集の会))
⑥「撤回が遅かったことで福島のネガティブな情報が発信され続けた。福島県民を傷つけたのに発言のおわびだけで、時間がかかったことには謝っていない」(小熊慎司衆院議員(改革結集の会))
⑦とりわけ許せないのは「反放射能派」というレッテル貼り。「この呼称の中に、揶揄(やゆ)する響きはないでしょうか。うるさいやつらが『わーわー』やっている、というような。でも市民の一人一人が意見を表明する権利を持っています。自分と意見が違う人がいたとしても。いいえ、違う意見だからこそ、立ち止まり、真摯(しんし)に人々の声に耳を傾けることこそが、政治家の基本的な使命ではありませんか」(落合恵子さん)


 毎日新聞は、最後に、「丸川氏は『福島をはじめ、被災者に心からおわびしたい』などと述べ、発言は撤回した。だが、これによって自らの言葉で傷つけた被災者の心が癒え、怒りが収まるとは思えない。環境相として本当にふさわしい人物なのかは、これからも問われ続ける。」、とまとめた。


 以下、毎日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-26 17:39 | 書くことから-原発 | Comments(0)

沖縄-ハリス米太平洋軍司令官は、米上院軍事委員会の公聴会で、「辺野古移設が完了するまで普天間の使用も継続する」と明示。

 表題について、沖縄タイムスは2016年2月25日、「日本が米軍普天間飛行場の移設を望み、われわれはそれを承諾した。日本を防衛するのが米側の義務であるように、基地を提供するのは日本の義務だ-。米上院軍事委員会が23日に開いた公聴会で、ハリス米太平洋軍司令官は、普天間返還の遅れは辺野古移設を進められない日本に責任があり、辺野古移設が完了するまで普天間の使用も継続するとの見解を明示した。」、と報じた。
 また、この公聴会での様子について、「われわれの課題は、日本の責任である普天間代替施設の建設を成し遂げることだ」として、「サリバン上院議員(共和、アラスカ州選出)に、日本との課題を問われたハリス氏は、普天間の代替施設建設のさらなる遅れは『日本の責任』と繰り返し、辺野古移設が完了するまで『(普天間所属機は)普天間での運用を継続する』と明言した。予算の承認権を握る米議会の批判の矛先が米軍に向かぬようハリス氏が弁明に終始したのは、公聴会前のマケイン委員長との面談が影響していた。ハリス氏と面談したマケイン委員長は、埋め立て承認をめぐる訴訟で移設計画が再び停滞する可能性を懸念。日本政府が普天間の5年以内の運用停止要請を明確に否定しない点にも率直に不満を表明し、『2025年が限度だ』と率直に伝えた。」、と伝えた。


 米軍幹部として初めて新たな移設完了時期について、「25年(まで)に終えるとみなしている」、と公式の場で表明した。
 「辺野古移設が完了するまで普天間の使用も継続する」という占領体質むき出しの米国の姿勢は、日本の主体性そのものが問われていることでしかない。
 「2025年が限度だ」とする脅迫は、人の命を軽んじる米国の驕りでしかない。


 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-26 12:03 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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