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水島朝穂教授のSEALDsでのスピーチ

水島朝穂のこの声は、どうしても伝えたいと思いました。

 今、新しい民主主義が国会前で始まっている。それはなにか。今まで私が、45年前、高校生でここでデモをやった時、どっちかというと後ろからついていったデモだったんですけど、全然違うの。今日、先頭で、学生といわゆる学者が一緒に歩いたんですよ。
 そして、『民主主義って何だ』って彼らが問うたら、『これだ』と言ったんですよ。私、初めて、憲法やって33年、飯食って来ましたが、今日、初めて、憲法って何だって分かりました。

 IWJの「水島朝穂教授スピーチ書き起こし」の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-03 05:41 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

水島朝穂の「緊急直言」を考える。

 水島朝穂早稲田大学教授の「平和憲法のメッセージ」に2015年7月30日、「『先制攻撃』と『先に攻撃』を区別せよ――参議院でのかみ合った審議のために」との緊急直言が掲載されました。
 これを考えてみました。

 最初に、「不用意に先制攻撃と言ってはならない。」ということについて

 安保関連法案に関連して、現在の状況を次のように捉え、「明らかに一変した」状況の中での参議院での緻密な審議の重要性を説いている。
 それは、「安保関連法案については、9割の憲法・行政法研究者が『違憲・違憲の疑い』を指摘し、8割の国民が政府の説明に納得せず、6割近くが法案の今国会での成立に反対している(各社世論調査)。」という現状である。
 この参議院の審議の中でまず押さえておかねばならないのは、「法律論と事実論を厳密に区別しなければならないということである。結論から先にいうと、この岸田答弁は、法律論としては一応筋が通っている。だが、法律論としては、集団的自衛権の行使は『先制攻撃』(これは法律用語である。)ではないが、軍事の事実論、現実論としては、集団的自衛権の行使は日本が武力攻撃を受けていないのに『敵国』を日本が『先に攻撃する』ものである。法律用語としての『先制攻撃』と区別するために、『先に攻撃する』と表現すべきである。」と、指摘する。
 このことについては、従来から、「北朝鮮から攻撃を受けた米国を『助けるため』、自衛隊が集団的自衛権を行使して北朝鮮を攻撃すれば、北朝鮮から見れば攻撃していない日本から『先に攻撃を受けた』ことになりますから、日本は国土を含め、北朝鮮の報復攻撃を受けることを覚悟しなければなりません」と指摘してきたものであるとする。
 結局、「日本に対する武力攻撃をしていない『敵国』からみれば、日本がその武力行使を集団的自衛権の行使と呼ぼうが、『「先制攻撃』と呼ぼうが、日本が先に攻撃をしてくることには変わりがないわけである。安倍首相は、日本に対する武力攻撃がない以上、日本の武力行使を国際法上正当化するためには集団的自衛権と整理せざるをえないだろうと言っているのであるが、いずれにせよ、日本が先に攻撃をすることには変わらないわけであり、図らずも安倍首相は日本が先に攻撃することになることを認めたわけである。」と。
 あくまでも、「国際法上その合法性が疑われている『先制攻撃』と国際法上合法な『集団的自衛権』は異なるので、不用意に『先制攻撃』と言ってはならない。」と、指摘し、「かみ合った審議をするためには、『先に攻撃』と言えばよいのである。」、「安倍内閣を追い詰めるため、必ず『先に攻撃』という言葉を使って質問をすべきである。」と、まとめる。

 水島は、「集団的自衛権の行使である以上、『敵国』に日本攻撃の意図があることを要しないのは当然である。だからこそ、集団的自衛権行使を認めることは極めて危険なのである。」と、集団的自衛権の行使の危険性を明確に指摘する。
 また、「日本を攻撃する意図のない『敵国』からすれば、いきなり日本から武力攻撃を仕掛けられるわけである。『先に攻撃』以外の何物でもない。『敵国』にしてみればたまったものではない。これが果たして『専守防衛』なのか。」と、専守防衛の否定にもつながるとあわせて指摘する。

 次に、「集団的自衛権を行使した結果である報復攻撃」ということについて。

 このことについて、次のように指摘している。

「日本が集団的自衛権を行使すると報復攻撃を受けるという展開は、1954年6月3日の衆議院外務委員会で下田外務省条約局長が次のように認めています。

『現憲法のもとにおいては、集団的自衛ということはなし得ない。国際法上、たとえば隣の国が攻撃された場合に自国が立つ、そうすると攻撃国側は、何だ、おれはお前の国を攻撃してわけじやない、なぜ立つて来るかといつて、これは国際法上、攻撃国側から抗議あるいは報復的の措置に出られてもいたし方のない問題でありまして・・・』

 しかし、安倍首相は集団的自衛権を行使した『後』のことについてまったく言及していません。彼はその『後』に起こる戦争について覚悟しているのでしょうか。日本が攻撃すれば、それこそ『子どもたち』が乗っている米艦もただではすみません。日本本土への報復攻撃も行われるでしょう。相手国の船にも被害が出る。いずれにしても、たくさんの人が死ぬのです。まっさきに攻撃の目標となり得るのは沖縄でしょう。北朝鮮の朝鮮労働党の新聞、『労働新聞』2013年3月31日は、『米帝侵略軍の前哨基地である横須賀、三沢、沖縄、グアム島はもちろん アメリカ本土もわが射程圏にある』として、米軍基地のある横須賀、三沢、沖縄を名指ししていました。」

 水島は、この問題について、次のように押さえます。
「政府は次のように答弁しました。『集団的自衛権とは、国際法上、一般に、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利として現在確立されている。国際法上、一般に、違法な武力攻撃を行っている主体が、適法な集団的自衛権を行使する主体に対し、集団的自衛権を行使されたことを理由として武力を行使することを正当化することはできない。』(2014年6月27日答弁271号 対辻元清美衆議院議員)とされていますが、政府は答弁をはぐらかしています。これは、国際法上『武力を行使することを正当化することはできない』という評価で答えているだけなのであって、それでも現実には国際法を無視、あるいは独自の主張を組み立てて、集団的自衛権を行使された相手方が反撃・報復攻撃をしてくるという問題は別問題です。日本国が攻撃される危険性が高まるのではと問うた質問に対して、『問題ない、安全』とは答えていません。・・・」

 結局、水島は、「『「万一日本が攻めてしまったら』のリアリティ」を持つことが、集団的自衛権を考える上で、大事なのだと、次のように提起します。

「北朝鮮や中国との関係では、『もし万一攻められたらどうする…』ということばかりが語られますが、いま重要なことは『もし万一日本が攻めてしまったら』ということのリアリティでしょう。安全保障の中心は、『攻められない』ようにする条件をどう作るかにあります。安倍首相は集団的自衛権の行使が限定的だといいますが、『日本が北朝鮮を攻めてしまった結果、日本が北朝鮮に攻められてしまう』のが集団的自衛権行使の帰結です。『我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合』」(新3要件、2限51頁)といっても、北朝鮮がアメリカに武力攻撃をしているのであって、北朝鮮が日本に武力攻撃をしているわけではありません。・・・」

 水島の「不用意に先制攻撃と言ってはならない」「集団的自衛権を行使した結果である報復攻撃」との緊急直言での重要な提起を、私たちは、次のように受け取ることができる。

 今、私たちが集団的自衛権として捉えなくてないらないのは、「安倍首相は集団的自衛権の行使が限定的だといいますが、『日本が北朝鮮を攻めてしまった結果、日本が北朝鮮に攻められてしまう』のが集団的自衛権行使の帰結」と、いうことである。

 以下、水島朝穂「平和憲法のメッセージ」の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-08-02 12:27 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第27回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。

三上知恵の沖縄撮影日記。
 
 今回の報告は、7月11日の沖縄・那覇市の桜坂劇場でのアフタートークの様子。
ゲストは、全県民的人気の稲嶺進名護市長と、初代ネーネーズのメンバーで、ソロになってから世界を舞台に活躍する歌姫、古謝美佐子さんとのこと。会場は、300名の満員。 
この時の様子を、「上映が終わりトークで舞台に上がったとき、闘病中のゲート前のリーダー、ヒロジさんと、武清さん一家という主人公の皆さんから大きな花束を戴いて、私は幸せな気持ちで席についた。そしてまずは市長に感想を聞いた。ところが…。『ハイサイ! ぐすーよう(こんにちは、みなさん)』と言った後、絶句してしまわれた。『苦しくて、息ができなかった』とやっと話した後も、唇を振るわせている姿を間近に見て、私も喉が詰まってしまった。次に、古謝さんに感想を尋ねると、こちらも大きな目に涙を一杯ためて、一言も発することなくおもむろに三線を鳴らし始めた。
 そのときに歌って下さった内容に、会場ではすすり泣く人もいた。すべて破壊され、すべて奪われた、あの時代のこと。映画は1945年を基点に描かれているので、その時代を知る方々は、見終わってもまだ過去に魂を置いてきた感じがしていたのかも知れない。その歌というのは、「懐かしき故郷」である。本土で終戦を迎え、占領された故郷になかなか帰ることができなかった作者が沖縄を思って歌ったものだ。」
 実は、準備されたVTRを観る前に、報告文章を読む度に、いつもぐっときてしまう。

 三上さんはこう綴る。
 「観光客が700万人を突破し、人気俳優や歌手、プロゴルファーも輩出して、沖縄のイメージはかつてなく明るく、太陽のように輝いている。そんな中で『三上さんは〈標的〉とか〈戦場〉とか、どんな暗いイメージを沖縄に植え付けたいの?』と怒られることもある。でも、今沖縄に押しつけられようとしている出撃基地やミサイル部隊を許し、戦争をする国ニッポンの最前線になってしまえば、それから観光産業が壊滅したと嘆いても、もう元に戻ることはないのだ。
 あの沖縄戦から必死に離れようと、復興の道を70年ひた走ってきたはずの沖縄だけれど、民主主義は機能せず、平和的生存権も財産権も回復していない。日本と米国の軍事戦略の拠点としてあらゆる制約を課されたままのこの島は、復帰しても占領状態と変わらないという人も多い。果たして、沖縄県民は背中にPWと書かれたあの服を脱ぎ捨てきれたのだろうか。」

 「果たして、沖縄県民は背中にPWと書かれたあの服を脱ぎ捨てきれたのだろうか。」
 この問いを、自らのものにしようとうる沖縄。
 最後には自分の判断で、PWと書かれた服をきせるのも厭わないと広言する輩達。
 どちらかの道を選ばされる時が来ている以上、自分の道を選ぶ意志を自覚しなければならない。

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第27回の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-02 05:39 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄から-名護市辺野古の新基地建設の本体工事に向けた事前協議書の取り下げ要求に、菅氏は応じず。

 翁長雄志沖縄県知事と菅義偉官房長官と会談の様子を、沖縄タイムスは2015年8月1日、「翁長雄志知事は31日、首相官邸で菅義偉官房長官と会談し、沖縄防衛局が県に提出した名護市辺野古の新基地建設の本体工事に向けた事前協議書の取り下げを求めた。会談後に記者団の取材に応じた翁長氏によると、菅氏は取り下げに応じない姿勢を示したという。また、翁長氏が8月7日に国庫要請で上京する際に、安倍晋三首相も面談に応じるとの報告があったという。会談は約15分間で完全非公開だった。」と、報じた。
 会談の様子について、翁長雄志沖縄県知事側からの「 翁長氏は事前協議に関し、『ぜひ再考してもらいたいとの話をした。(菅氏も取り下げ要請を)承知していたが、これまでの経緯を踏まえながら話し合っていこうとのことだった。お互いの立場を確認して時間が過ぎた』と述べ、議論は平行線だったとした。また、翁長氏から辺野古海域の埋め立て承認手続きに法的瑕疵(かし)があったとする第三者委員会の報告を説明し、『それをベースにこれから議論していきたい』と伝えたが、菅氏はこれまでの政府の立場を説明するにとどまったという。」という内容を伝えた。

 沖縄県側からの働きかけは続けられている。

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-08-01 15:49 | 沖縄から | Comments(0)

原発再稼働に批判的な テレビ・コメンテーターには「各個撃破」を。

 朝日新聞は7月31日、こんな記事を掲載しました。

「自民党の大西英男衆院議員(東京16区)が、7月30日に党本部であった原子力政策の会合で、原発再稼働に批判的なテレビ・コメンテーターについて『エネルギー庁をはじめ役所の方が、個別にどんどん正確な知識を知らしめていくべきだ。各個撃破でいいから、ぜひ行って、みなさんの持っている知識を知らしめてください』と発言していたことが分かった。コメンテーターらに対し『やつらも一応インテリ』などとも語っていた。」

 大西英男衆院議員とは、6月25日の自民党の議員37名が参加する「文化芸術懇話会」の会合において、今国会に上程された安全保障法案を批判する「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」などの報道の自由の弾圧事件の当事者である。
 この一連のことに対しては、「政権与党に批判的な報道内容を、経済的圧力によって封じ込めることを意図するものであり、憲法21条によって表現の自由を保障し、自由な言論の場を通じて民主政治を実現することを目指す日本国憲法の基本理念にもとるものである。有志の勉強会とはいえ、政府に対して直接・間接の影響力を持つ存在である政党の議員が多数集まる場での発言は、それ自体が報道機関の萎縮を招くおそれがあり、到底容認できない。」(日本弁護士連合会は、2015年7月24日、「報道の自由を尊重することを求める会長声明」)と、押さえてきている。

 こうした大西議員の行為は、意図的に報道機関の萎縮を招くために行った、許されないものである。
 
 以下、朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-08-01 11:24 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

原発問題-東京第五検察審査会、東電の元会長ら3人について、強制的に起訴の2度目の議決の公表。

 東京電力福島第1原発の事故に関して、朝日新聞は2015年7月31日、「東京第五検察審査会は31日、東電の勝俣恒久元会長(75)ら3人について、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴すべきだとする2度目の議決を公表した。今後、裁判所が指定する検察官役の弁護士が3人を起訴し、裁判が始まる。同事故の責任が、刑事裁判で問われるのは初めて。」と、報じた。
 また、この議決の内容について、「議決は『原発事故は取り返しがつかない。勝俣元会長らは『万が一』にも備えておかなければならない高度な注意義務を負っていた』と指摘。東電が事故前に15・7メートルの津波を試算していたことを『絶対に無視できないもの』とし、事故は予測できたとした。そのうえで、試算をもとに『原発の運転停止を含めた対策を講じていれば、事故は回避できた』と結論づけた。
 また議決は『安全より経済合理性を優先させ、発生する可能性のある災害に目をつぶって、何ら対策を講じようとしなかった東電元幹部らの姿勢について、適正な法的評価を下すべきではないか』とも言及した。」と、伝えた。

 「安全より経済合理性を優先させ、発生する可能性のある災害に目をつぶって、何ら対策を講じようとしなかった東電元幹部らの姿勢について、適正な法的評価を下すべきではないか」という考え方は、あたりまえのあるべき姿ではないか。

 以下、朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-08-01 09:49 | 書くことから-原発 | Comments(0)

ちょっと、新聞の記事を読み返してみて。安倍語。

 私たちの情報源は、ネット社会とは言え、限定的なものになる。
 その情報源を種々選択して、判断することになる。
毎日新聞の特集の特集に面白いものを見つけた。「安倍語」の研究である。

「アソウくんとアベくんが一緒に歩いている。不良がアソウくんに殴りかかる。私もこれを守る。これが今度の法制でできる」(7日、自民党のネット番組)から「アメリカの家が燃えて、離れに火が燃え移っても日本は何もしない。でも風向きで、離れの火が日本家まで来そうなら日本の消防士は道の上から離れの消火活動ができる」(20日のフジテレビ)まで。
 こんなことを言っていたのだな。
 この安倍語に、「噴飯ものです。火事と、集団的自衛権や武力の行使を同列に語ることが、信じられません」と首を振った内閣官房副長官補を務めた元防衛庁官房長柳沢協二。「この法案は海外で武力を行使し、あるいは敵の標的となって撃たれ、テロ攻撃の対象になり得ることを自衛隊にさせる内容で、火事にたとえられるはずがありません。火は時に消防士を危険にさらしますが、日本そのものを燃やそうとの意図は持ちません。でも戦争は違う。武力行使された相手は、必ず自衛隊と日本に反撃するし、それは同時に国民に危害が及ぶ恐れがあることを意味する。なぜそんなリスクを国民や自衛隊が冒さなければならないのか、安倍さんの説明はそこがすっぽり抜け落ちているんです」と、切って捨てさせている。
 確かに、そうだなと思っていたら、次にもっと進む。
 「そもそも比喩の成立条件を満たしていない。採点する以前の問題です」と比喩表現の専門家である佛教大の瀬戸賢一教授に両断させる。
 「比喩の本質は抽象的な言葉を具体化することなんです。『受験戦争』という言葉から分かるように、戦争は具体的な現象・行為なので『たとえられる側』なんです。ですから、集団的自衛権の行使を火事にたとえるのはレトリックとして本末転倒で、実態を矮小(わいしょう)化して危険です」と。
 そういうことだな。

 安倍語もさらに進む。
 孟子の言葉「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾(われ)ゆかん」を引用し、「しっかり議論をしながら、これはもう間違っていないという確信を得たら実行していこうということ」(21日日テレ)について、「この孟子の言葉は千人万人の反対があってもひるまずに進むという意味だが、『正しければ』を示す『縮くんば』は、ひとりよがりの正義ではないと、中国思想史が専門の小島毅・東大教授は指摘し、『持論を押し通すのではなく、自分の意見が道理にかなっているかどうかを見つめるという意味です。君主は人徳を磨くべきだという話を、議会で選ばれた首相が自分と異なる意見を無視する論理として引用するのは、本来の趣旨から外れています』と首をかしげる。」と、異論を際立たせる。
 さらに、安倍語として使用頻度の高い、孟子の一節「至誠にして動かざる者 未(いま)だ之(こ)れ有らざるなり」についても、次のように、駄目を出す。

「『誠』は、中国の儒学では宇宙の真理・法則に基づく正しい行為と解釈される。だから誰もが納得するという意味です」。しかし、安倍首相が尊敬する長州(現山口県)出身の思想家、吉田松陰らは「誠意を尽くせば必ず相手に通じる」と説き、さらに「政敵に誠意が通じない場合は無視してかまわない、という思想に変えてしまった」(小島教授)。

 結局、「安倍首相の政治手法も、孟子の教えより松陰流の解釈にのっとっていると見る。」と、以外と深い批判。

 次に、国民の「反対」の声について「日米安保の改定の時も、PKO(国連平和維持活動)の時も批判があった」(20日、フジテレビ)という発言について、柳沢協二の反論で、次のようにバッサリ。

「国民が安保改定やPKOに反対したのは、日本が海外で武力行使することに不安を覚えたからです。でも自衛隊は誰も殺さず、あるいは殺されないという実績を重ね、国民の理解を得てきた。安保法案はこれを180度転換し、長年の実績を壊す内容です。次元が違う」。普段は温和な声を、この時ばかりは荒らげるのだ。」

 最後に、毎日の視点は、安倍語録だけでなく、TBSの金平茂紀の「たとえが稚拙とかよりも、安倍さんにそういう舞台を提供することのほうが僕は深刻だと思う」という言葉に集約させる。

 毎日は、「『安倍語』の正体をえぐり出せるかどうか。追及する野党だけでなく、メディアも注視されている。」と、少なくともその決意をにじませている。

 以下、毎日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-01 05:37 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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