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報道の自由を尊重することを求める会長声明(日本弁護士連合会))を考える

 日本弁護士連合会は、2015年7月24日、報道の自由を尊重することを求める会長声明
を発表した。
 その内容は、以下のものである。

(国会議員や政党が、報道の自由を尊重せず、報道を萎縮させて自由な報道活動を阻害しかねない事案)
 事案1は、自由民主党(以下「自民党」という。)の情報通信戦略調査会が、本年4月17日、日本放送協会(NHK)の情報番組における「やらせ」疑惑報道、及びテレビ朝日の報道番組における元官僚による「官邸からバッシングを受けてきた」旨の発言について、両放送事業者の幹部を呼んで事情を聴取したことである。
 事案2は、本年6月25日、自民党の議員37名が参加する「文化芸術懇話会」の会合において、出席議員から、今国会に上程された安全保障法案を批判する報道に関して、「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」との発言があったことである。
(それぞれの事案の問題点)
 事案1は、今回のように、政党が、特定の放送内容を捉えて事情聴取を行うことは、政党が、国会・政府に対する影響力を行使して、その放送事業者の放送内容について恣意的干渉を行うのではないかとの危惧を生じさせるものであり、その放送事業者の報道内容についての萎縮を招きかねない。かかる事情聴取は、同法4条1項3号によっても正当化されるものではなく、放送事業者の報道の自由を尊重する放送法の趣旨に反しているというべきである。
 事案2は、この発言は、政権与党に批判的な報道内容を、経済的圧力によって封じ込めることを意図するものであり、冒頭で述べたとおり、憲法21条によって表現の自由を保障し、自由な言論の場を通じて民主政治を実現することを目指す日本国憲法の基本理念にもとるものである。有志の勉強会とはいえ、政府に対して直接・間接の影響力を持つ存在である政党の議員が多数集まる場での発言は、それ自体が報道機関の萎縮を招くおそれがあり、到底容認できない。
(報道の自由を尊重することを求める根拠)
 憲法21条は、市民の表現の自由を保障するが、これは、自由な言論の場を通じて主権者たる国民による民主政治を実現することを目指す日本国憲法の基本理念に基づくものである。
 このため、表現の自由には、市民が情報を自由に発信することだけでなく、情報を自由に受領すること、すなわち知る権利も含まれる。さらには、知る権利を確保するための前提である報道機関の報道の自由もまた厚く保障されている。
 国が不当に報道の自由を侵害してはならないことは勿論であるが、政府に対して直接・間接の影響力を持つ存在である政党や国会議員も、報道の自由を尊重すべきであり、自由な報道活動を抑圧したり萎縮させるような言動をすることは許されない。
(主張)
 国会議員及び政党に対して、報道機関の自律及び報道の自由を尊重し、今後、本件のような聴取や発言を行わないことを求めると共に、報道機関に対しては、これらの行為に萎縮することなく自らの放送の自由を全うすることを求めるものである。


 この事案に対する「声明」が、何故この時期なのかという思いはあるが、この問題についての整理にはなる。

 以下、日弁連会長声明の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-07-28 05:33 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

原発問題-川内原発再稼働に向けた動きについて

 九州電力は、川内原発の再稼働を強行に画策しています。
 南日本新聞は2015年7月25日、「九州電力は24日、川内原発1号機(薩摩川内市)の再稼働に向けた準備運転を、8月4日に始めると明らかにした。同10日ごろの原子炉起動、13日前後の発電・送電開始を目指す最終工程の操作に着手することになる。」と、九州電力の動向を伝えました。
この問題に関しては、しんぶん赤旗が2015年7月26日に、「九州電力が、規制基準『適合』を唯一の口実に8月にも川内(せんだい)原発1号機を再稼働させる動きを強めていることにたいし、昨年11月以降に限っても、鹿児島、熊本、宮崎の3県10市町の議会が『再稼働にあたって九電に公開の住民説明会を求める』決議や陳情を採択していることがわかりました。」と、報じています。しんぶん赤旗によると、「10市町の内訳は、原発立地県の鹿児島県で、出水(いずみ)市、伊佐市、日置(ひおき)市、肝付(きもつき)町、南種子(みなみたね)町、屋久島町の3市3町。熊本県では、荒尾市、水俣市、大津(おおづ)町の2市1町。宮崎県は高原(たかはる)町です。」と、なっています。

 規制委員会の「適合」というを根拠だけを頼みにして、多くの疑問には全く耳を傾けず、当然必要な説明責任を放棄し、再稼働を強行しようとする九州電力のあり方は、安倍晋三政権の手法を踏襲するもので、許されるものではありません。

 以下、南日本新聞及びしんぶん赤旗の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-07-27 09:55 | 書くことから-原発 | Comments(0)

本からのもの-「自己決定権 とはどういう権利か」

著書名;「自己決定権 とはどういう権利か」
著作者;島袋純
出版社;沖縄タイムス 2015年7月20日・21日・22日掲載 

 島袋純さんは、「沖縄には自己決定権などない。したがって沖縄の合意を事前に取り付ける必要などなく日米両国の政府による合意だけで基地について決定できる。それが戦後一貫した日米両政府の沖縄への取り扱いである」という現在の沖縄への状況認識を基に、これを打破するために必要なことは、「沖縄が国連を中心として国際立憲主義に基づく『人民の自己決定権』を持ちうる人民に該当すると自己規定するという共通認識を持つ」ことであると、結論づける。
 そのために、「沖縄が今なすべきことは少なくとも自己決定権を持つ集団として自己規定し、その権利宣言を行うことである」と、説く。
 また、その具体的な行動指標について、「まず、沖縄県議会は、国連植民地独立付与宣言を引用した1962年2.1決議を採択し世界に発信した琉球立法院の後継としての自負があるならば、決議としてのこの権利宣言を行うべきだろう。第2に、この宣言に基づいて、世界にそして日米両政府に基地についても沖縄に自己決定権あるとしてその権利を発信し発言していく必要がある。少なくとも自己決定権に基づく協議の場を設定しなければならない。」と、提起する。
 こうした結論を導くために、島袋は、「自己決定権とはどういう権利なのか」ということを理論的にこのなかで展開する。

 島袋は、まず最初に、その理論の目的を、「沖縄の基地問題を解決しうるあるいは辺野古の基地建設を阻止しうる自己決定権とは、いかなる法規範や考え方に基づくものなのか明らか」にし、その上で「国際人権法と国際立憲主義に基づいて沖縄の自己決定権を明らかにし、この権利回復の道筋を考える」ことに置く。

 島袋は、自己決定権の意味を、次の三つに定義する。
 第1の定義は、自己決定権を個人の権利(幸福追求権、人格権等)として見る捉え方。憲法13条をこの権利の憲法的裏付けとするすることもある。
 第2の定義は、自治体の権利、つまり「自治権」とほぼ同義として用いる場合もある。憲法では、92条から95条に裏付けられた権利ということができる。
 第3の定義は、「人民」という集団に与えられた集合的権利の意味で自己決定権(Right to Self-Determination)を用いる場合がある。ここでの自己決定権は、「主権」に近い概念で、権利の主体は「人民(people)」という集合体である。  
 島袋は、このように自己決定権の意義を整理した上で、「日本の法令によって認められた自治体および住民の自治の権利は、47都道府県および住民全てに等しく与えられている。沖縄にそのような一般的な自治権を上回る権利があってしかるべきではないか。」という問題提起を行う。
 島袋は、国際人権法等の国際的規範として確立している強固な自決の権利である上記の第3の定義を、この問題の解決のために取り入れる。
 なぜなら、この第3の定義は、「憲法および地方自治法上に保障された自治権よりもはるかに強い権利を意味する。国際人権規約第1条において、すべての人民が自己決定権を持つと規定される。『人民』は既存の主権国家の国民と同義ではなく、国家内ににおける特定集団(先住民族等)も『人民』とされ、自己決定権があるという国際的な規範が確立されている。」ものであるから、とする。

 島袋は、次の論理展開として、、「(1)『沖縄の人々は自己決定権を持つ人民に該当するか否か』、(2)「自己決定権の具体的な中身は何か」の二点について明らかにする。
 まず、(1)「沖縄の人々は自己決定権を持つ人民に該当するか否か」について、 二つの考え方を提示する。
 第1に、「既存の主権国家内において自己決定権を持つ『人民』であるとされる要件は、まず沖縄の人々を、『差別される少数派』ととらえることである」とする考え方である。しかし、この考え方には非常に難しい立証責任が生じるという問題点がある。また、この根拠規範は、国連友好関係原則宣言(1970年国連総会決議)であるが、完全に確立した国際規範とは言い切れない部分もある。
 第2に、「国連や国際法の疑念でいう『先住民族』に該当する場合である。」。この場合、沖縄の人々が国際法的に先住民族に該当するかどうかということである。
 もちろんこの場合の先住民族とは、通俗的にいう「未開の原住民」的なニュアンスではなく、「主権国家建設の際にその意思に背き強制的に併合された集団のことである。その集団が、多数集団と比べ未開であるかどうか、人種的民俗学的に同じか否かについては、全く関係がない。」ものであり、「主権国家建設の際の強制併合の歴史的実を確認すればよく歴史学的また政治学的な立証が可能である。」とされる。この場合の根拠規範は、先住民族権利国連宣言(2007年国連総会決議)やJLO169号条約による。
 実は、この第2に関連して、沖縄の人々が自己決定権を持つ『人民』に該当するか否かにについては、すでに、国際人権(自由権規約)委員会第5回日本政府報告書審査総括所見(2008年10月30日付)で、「委員会は、アイヌ民族及び琉球・沖縄の人々を特別な権利や保護を受ける視角がある先住民族として締結国(日本)が公式に認めていないことに、懸念を持って留意する(規約27条)、締結国は、アイネと琉球・沖縄の人々を国内法で先住民族と明確に認め、彼らの継承分化や伝統的生活様式を保護、保存及び促進する特別な措置を講じ、彼らの土地についての権利を認めるべきである」と、結論が出されている。 島袋は、沖縄の人々については、第2の観点で、「特別な権利、自己決定権を持つ先住民族である」という認識が、国際的にすでに成り立っているとする。

 次に、(2)「自己決定権の具体的な中身は何か」について、島袋は明らかにする。
 その具体的な中身は主に三つあるとする。
それは、国際自由権規約及び社会権規約第1条から導き出されるもので、①「政治的地位の自由」の権利、②「経済的、社会的及び文化的発展の自由」の権利と、国連先住民族権利宣言およびILO169号条約等に明記された、③土地や資源等に関する集合的な権利、の三つの権利であるとする。
この自己決定権に関わっての具体的に権利についてのそれぞれについて、島袋は説明していく。
 最初に、①「政治的地位の自由」の権利とは、「主権国家、国家連合、連邦制、自治州、自治体等々のいずれの形であれ、自分たちで政治体制、つまりいかなる権限と構造を持つ政府をつくるか、自分たちで選択し決定できることである。」。ただし、この「選択肢には幅がある」、と。
 これを、沖縄の自己決定権に当てはめると、「主権国家として独立する権利もあり、連邦的な仕組みの中で高度な自治権を持つ自治州政府として基本法をつくっていくことも選択しにあり、また既存の県の仕組みのなかで自己決定権を持つ存在といて、基地を含む沖縄のすべての問題に対して、その代表が対等な立場で参加する公式的定期的な政府との協議および決定の場を設けることもできることになる。」ということになる。この場合、その選択は、「沖縄の人々の意志に基づく」ことになる。
 次に、②「経済的、社会的及び文化的発展の自由」の権利について、「経済的」・「社会的」・「文化的」の発展の3つに分けて、それぞれ説明を加える。
 「経済的発展」の権利とは、「単に特別な経済振興計画や経済振興策があればいいというのではない。独自の社会的および文化的な発展の自由を犠牲にすることなくより調和し、その発展の自由を助長する形で経済発展が達成されているかどうかがじゅうようである。」と、する。「社会的および文化的発展」の権利とは、「社会的な格差や亀裂を解消し、連帯を強化していく」と、される。特に、独自の文化の継承と発展については、「言語教育、歴史教育を含め世紀の教育課程の中に独自の文化的継承と発展が保障されていることなどが極めて重要となる。また歴史および自然遺産の保全と継承は自己決定権の最も重要な権利の一つである・」と、押さえる。 

 ③「土地や資源等に関する集合的な権利」とは、2007年の国連総会において議決された先住民の権利に関する国連宣言に明記されており、沖縄にとって大きな意味を持つものである。
 島袋は、沖縄の自己決定権を、この『「人民』という集団に与えられた集合的権利の意味で自己決定権」として位置づけている。
これに基づくと、「沖縄の土地、沿岸域と海洋資源の保全と活用については、沖縄の人々の集合的な権利であるということである。沖縄の人々が集合的に利用してきた土地について、個人や政府の権利に優先する重要性を与えられている。沖縄の人々の集合的な意志として利用に制限をかけることができるのである。それは、沖縄の人々が先祖伝来の保全と活用の対象としてきた沿岸域においても適用される。」ということになる。
 だから、当然、辺野古新基地建設は、「辺野古の海の埋め立ては、このような土地および沿岸域いよび海の資源に関する集合的な権利の侵害であり且つ明らかにFPIC(自由で事前の情報に基づいた同意)原則に違反する、一方的な軍事基地建設であり、沖縄の自己決定権を侵害しているとしか言いようがない。」と、いうことである。

 こうした問題を捉えるために、島袋は、沖縄の実態を突きつける。
「施政権返還後、沖縄振興計画に基づく沖縄振興予算により、沖縄の経済振興が推し進められてきたが、自由な予算編成権が沖縄になく、日本政府の予算編成による統制に従属せざるを得ない問題があった。結果は特定分野の過剰供給とまた必要分野への過小供給の構造的な問題があり、最貧困地域から現在に至るまで抜け出すことができないでいる。それにより、経済格差は拡大し、貧困率が特出して高い地域であり、社会的な発展と連帯の強化に極めて重大な障害をもたらしている。
 また、独自文化の継承については、正規の教育課程の中で、琉球史・琉球語などが必修化されておらず、文化継承の権利が侵害されている。さらに米軍基地の存在と立ち入りを拒否できる米軍の特権は、歴史的遺産自然遺産の保全と継承に極めて大きな障害となっており、沖縄の人々の権利を侵害している」

 さらに、人種差別撤廃委員会2013年3月の日本政府への「最終見解」での指摘を取りあげる。この委員会は、次のようにまで、指摘している。

「委員会は、沖縄の独自性について当然払うべき認識に関する締結国(=日本)の態度を遺憾に思うとともに、沖縄の人々が被っている根強い差別に懸念を表明する。沖縄における不均衡な軍事基地の集中が住民の経済的、社会的、文化的な権利の享受を妨げいるとする、人種主義・人種差別に関する特別報告者の分析をさらに繰り返し強調する。委員会は締結国に対し、沖縄の人々が被っている差別を監視し、彼らの権利を推進し、適切な保護措置・保護政策を確立することを目的に、沖縄の人々の代表と幅広い協議を行うよう奨励する。」(21パラグラフ)


 島袋は、最後に、このように結んでいる。

「国連人権諸機関では、沖縄の人々を『先住民族』に該当するとして、沖縄が独立するか否かを含めて政治的な地位決定の自由と、沖縄の経済振興と社会的文化的な発展に関して沖縄が自由に決定する権利があること、つまり国政の都合を優先させない。自らの意志を優先させる権利=自己決定権を持ちうる存在であること、そして集合的な権利としての土地や海、資源の権利を持ちうる存在であることが共通認識となっている。だからこそ、国際人権法と国連の解釈に基づく勧告から、辺野古建設を阻止する自己決定の権利を沖縄が持つ、ということが引き出せる。」
 「解決策として国連機関は最低限、日本政府が『沖縄の人々の代表との幅広い協議』の場を設けることを要求している。民主的に正当に選出され、選出の際の沖縄の人々との公約=民意に基づく代表制を備えた代表が、沖縄の人々に人民の自己決定権があるということを前提として、沖縄の政治行政に関する多方面にわたる日本政府と協議の場を設けよ、という意味である。」

 そして、島袋は、現代階、緊急に可能な道筋として、「協議」の場の設定を提起する。

 「その協議において事前に自由にアクセスでき開かれた情報の提供がなされることが前提であり、そのような情報に基づいた同意または拒否の権利を沖縄側が持つ会議体でなければならず、またその場の形成においては沖縄の人々の意志が適切に反映されなければならない。それが現代階、緊急に可能な沖縄の人々の自己決定権の保障の道筋である。」


 現在の状況を見つめたとき、「私たちは、島袋の指摘・提起から何を受け取ることができるのか」を、緊急な課題として問われている。



by asyagi-df-2014 | 2015-07-27 05:40 | 本等からのもの | Comments(0)

朝日新聞の「『一般に』って? 考えた」を考えた。

 朝日新聞は、2015年7月26日に記事で、「『一般に』って? 首相が安保審議で多用する背景は。」をこのように分析してみせた。

・5~7月の衆院での審議で、首相は「一般に」や「一般」といった語句を、この答弁と同じように80回以上使っている。
・どうやら、安倍の方法論は、「安倍首相も今国会で「一般に」を繰り返す。しかし、使い方は明らかに違い、「例外」とセットだ。たとえば、「一般というのは、完全に全部ではないわけで、ほとんどがそう、ほとんどがだいたい該当する。しかし例外を全く排除はしていない」(6月1日)という具合だ。」、らしい。
・このことは、「なぜ首相は、このように「一般」を使うのか。内閣法制局の関係者は、「霞が関用語で『一般』を使うのは、『例外』を想定している時」という。「鈴木内閣の答弁書も理論上は例外を想定している。しかし、実際には想定できないから『例外』について触れていなかった。一方、安倍首相は『例外』を具体的に想定している」。つまり、例外なき一般から、例外つき一般に変わったというのだ。」、らしい。
・このことを、専門家が分析すると、「『一般に』『例外』を多用すると、あいまいさが増す。例外の範囲が拡大解釈され、何でもありになってしまう可能性がある」、となるらしい。
・だから、こう言いたい、「法律に明示するのは「一般」だが、政策判断で「例外」が生まれてくる。だから、「一般」「例外」を多用すると、政策判断の度合いが増えていくというわけだ。」と。
・記者はう言う、「とはいえ法律の歯止めが弱く、政府の政策判断の余地が大きい仕組みは、何とも危うく見える。例外を前提にすれば、「海外派兵は一般に許されない」という言葉は何も言っていないのと同じではないだろうか。
 安倍首相は、今は控えめに映る。でも将来の首相はどうだろう。都合の良い「自分ルール」でどんどん例外を加える。そんなことができない仕組みが必要だと思う。」

 面白い記事ではあるが、なんとも危うく見えるどころでなないこの安保関連法案を止めるために、朝日新聞はどうするのだろうか。朝日新聞の決意を聞きたい。
 以下、朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-07-26 13:35 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

本からのもの-「沖縄に内在する東アジア戦後史」


著書名;「アジアのなかで沖縄現代史を問い直す」-「沖縄に内在する東アジア戦後史」
著作者;孫歌(中国社会科学院文学研究所研究員)
出版社;沖縄大学地域研究所ブックレット11 

 この文章は、新崎盛暉「沖縄現代史」中国版の解説として書かれたものであり、2008年初夏に開催されたシンポジウム「来たるべき〈自己決定権〉のために、沖縄・アジア・憲法」に資料として出されたものである。
 
 著者は、すべての理解の始まりとしての象徴的な沖縄人との出会いを描写する。

「沖縄を離れる前、私はコーヒーショップである社会活動家の方と待ち合わせをしていた。彼女はいそいそとやって来て、コーヒーを一杯飲んだかと思うと、すぐに行ってしまった。この思い出のなかで、私は深い印象を持った。この短い会話のなかで、彼女は私にこのように語った。-沖縄の社会活動家は持続的に米軍基地に対抗する運動に力を注いでいるが、これはまさに消耗戦である。何故なら、どんな大衆運動もその始まりにおいて決起と組織化が必要になるのだが、その後どのようにその力を堅持するかということでは、その精神の消耗にもやはり限界がある。だから、米軍基地の沖縄での展開に抵抗すること、とくに米軍を沖縄から立ち退かせることはいつ終わるともしれない持久戦であり、社会運動家はときに応じて大衆運動に力を注ぎ、そして闘争の変質を食い止め、持続を保持しなければならないのだ、云々と。」

「その活動家はまた私にこう言った-米国は最終的には沖縄の基地を撤退させねばならないだろう、しかしそれは必ずしも沖縄人の勝利、米国の敗北を意味するわけではない。何故なら、沖縄を出た米軍基地は直ちに太平洋の別の島に再設置されることになるだろう。すべての島々が沖縄のように米軍基地に反対する力を有するものではない。米国は既にいくつか選択できる基地設置の方針を持っており、沖縄の抵抗によって在沖の米軍基地が追い出せても、米軍を本当に米国本土に引き揚げさせられるわけではない、云々と。」
 
 この上で、著者は、「私はこの活動家の析に感服した。彼女の眼差しのなかでは、沖縄人の闘争の目標は米国を自身の土地から追い出すことだけではなく、米国のその国土の外側の軍事基地をなくすこと、本当の意味で戦争の潜在的な脅威を消滅させることにあった。これはなんという政治的責任感だろう!」と。

 こうした出会い、気づきは、ヤマトの人間として私自身の沖縄との出会い、気づきの衝撃の度合に近いものでもある。

 著者は、この中で、沖縄の闘いの厳しさについて次のように言い当てる。

「沖縄の民衆と沖縄の思想家が日々継続している闘いは、いまだ東アジアの共有する精神的財産になっていない。この半世紀余りも続いた闘いの幾度もの紆余曲折は東アジアの国際的局面を動かし、また『島ぐるみ』の闘争行動は沖縄人の世界平和のために直接的に米軍の手足を縛りもした。膨大な力を費やしたが、しかし、沖縄人は孤独のなかで闘うしかなかった。彼らの孤独さは、日本政府によっていくたびも売り渡されたことにだけ起源があるわけではない。沖縄以外の地域での深い理解者と同盟軍が見出せなかったことにもその起源がある。」

 沖縄人と本土の、言わば「ねじ曲がった」関係について、その深刻なズレに触れる。

「実際に本土の進歩人士は沖縄に向き合うとき、常々問題の複雑さを感じ取り、為す術もなくなってしまう、ということである。本土日本人のなかの良識者は、沖縄の近代以降に遭遇したことに深刻な罪悪感を持つことで、沖縄と沖縄人と向き合うとき、彼らはいつも、『沖縄が独立すべきだ』、あるいは『沖縄は日本ではない』などと自身の心情を表現する。実際、彼らの感情はこのような表現よりもさらに複雑なものであるが。私の観察では、本土の進歩的知識人の現実離れした批判的態度は沖縄においてその立脚点の基礎を築けないし、本土の良心的知識人が沖縄に向かい合うときのまじめな『負い目』というものも沖縄社会が真に期待し要求するものとも言えない。この深刻なズレに、沖縄の人々も苦しめられ、また同様に本土の良心的知識人も苦しむのである。」

 この上で、著者は、初歩的(著者による)な一つの問題を取りあげる。
それは、「沖縄が米国に占領されて二十余年、まさに安保条約が不断に日本に浸透し、『不戦国家』から『戦争ができる国家』に変わりつつある時期、安保条約という極東の平和を守ると称する軍事条約によって、米国の東アジアにおける軍事担当者の地位が合法化され、また不断にそれが『日本化』されるなど、沖縄の基地がどうなるかは、まさに安保条約の最も核心的な問題となっている、ということである。」ということについてである。
 これに関して、次のように押さえる。なお、著者の情勢の把握は、2008年のものである。

「日本本土の思想界は意識不足と言うことではない。しかし、厄介な問題は、沖縄問題の性格が完全にの国家という視角だけに回収できないということであり、日本の進歩的知識人は沖縄現代史の困難に対して有効な視角を打ち立てることができていない。これが本書(沖縄現代史)において批判しているところの、本土安保運動の致命的な弱点の要因である。本書の筆者からすれば、本土の安保条約反対の大衆運動と沖縄民衆の闘争はお互いにズレており、このズレが沖縄民衆の反基地闘争の孤立無援な困難に繋がっている、ということになる。」 

 著者は、また、こう続ける。

「沖縄は、今日の世界において、屈辱を嘗め、本当の意味で尊敬を受けて来なかった場所である。人々が今日においていまだに理解し難いのは、沖縄は同情を欲しているのではないということである。必要なのは、『沖縄の論理』への理解と尊重であり、理解と尊重に立脚した思想と行動への支援なのである。」

 この著者の理解は、本土の進歩的知識人に向けられたものでがあるが、昨今の「言論弾圧事件」の経緯は、作家百田を始め、本土の人間にそのまま適用されるものでもある。
 それは、沖縄の論理への理解と尊重が必要なのである。

 さらに、ここで著者は、「沖縄のような社会では、帰属という、主権ともまたアイデンティティとも関連する問題は相対的なものであらざるを得ない。沖縄の思想家は、無条件の日本復帰にも、また絶対化された沖縄独立にも同様に警戒感を持っている。それはまさに、朝貢期の古琉球、及び傷ついた現代沖縄がともに与えた貴重な思想資源であるかもしれない。沖縄人はなぜ闘うのか?彼らの抵抗の方向はどのようなものであるのか?彼らは世界にどのような貢献を為しているのか?」と、もう一つの問題を取りあげる。

 このことについて、著者は、このようにまとめてみせる。

「息つく暇もない日米軍事覇権に反対する第一戦で半世紀余り戦ってきた沖縄人は、まだ彼らの『世界に通じる言葉』を練り上げる十分な時間が与えられていない。しかし、差別された苦しみ、悲惨な代償を払った沖縄人は、単に被害者として見られることも拒否し、同時に彼らの『辺境』の位置を中心へと取り替えることも拒否するとき、彼らは我々のために人類の未来の理念を生産しているのである。外側からの想像力で言えば、あるいは米国、日本から離脱すること、歴史のなかの琉球に帰ること、新たに独立自治を勝ち取ること、そういったことが沖縄人の闘争の最終到達点であるように見える。ただ沖縄人からすれば、彼らの闘争目標はそれら想像されるものよりも高いものである。彼らの具体的な奮闘は、それらの目標が設定する内容よりも豊富でしかも屈折に富んでいるものである。こういったことから、沖縄人の奮闘は、自身の困難を解決手段にとどまらないもので、むしろそれによって原理を創り出すことなのだ。」

 豊富でしかも屈折に富んだ現在の辺野古新基地建設反対の運動を含んだ沖縄の闘いは、「世界に通じる言葉」の発信の領域に届きつつあるのではないか。

 著者は、このように記述して終わる。

「沖縄人が既に実践のなかで探し出した政治表現の方法は、必要な転化を通じてしか我々の実際の問題意識に繋げられないものであろう。我々は、直接的にそれらの貴重な思想経験を利用することはできない。しかし、たとえ、そのような意味で沖縄に学ぶことができないものであっても、少なくとも我々は手を胸に当てて自問してみたい。沖縄人の反戦平和における国際的な視野、沖縄人が覇権に反対する平等共生の理念、沖縄の思想家がアイデンティティの問題について表す覚めた判断力は、まさに中国に欠けているコンセンサスではないだろうか?ということである。」


by asyagi-df-2014 | 2015-07-26 05:45 | 本等からのもの | Comments(0)

沖縄から-沖縄県は、「辺野古埋め立て承認の取り消し」の場合、「ボーリング調査の続行できない」との認識を示す。

 沖縄タイムスは2015年7月25日、「基地の県内移設に反対する県民会議」の要請に答え、沖縄県の考え方について、「名護市辺野古の新基地建設で、沖縄県海岸防災課の赤崎勉課長は24日、翁長雄志知事が埋め立て承認を取り消した場合、沖縄防衛局は海上ボーリング調査を続行できなくなるとの認識を示した。県が同様の見解を示すのは初めて。続行するには公共用財産管理規則に基づく使用協議書を提出し、県知事の許可を得なければならないとみている。」と、報じた。
 また、このことによって、「公有水面埋立法に基づく埋め立て承認の取り消しで本体工事だけでなく、海底ボーリング調査の進捗(しんちょく)にも大きな影響を与えることになる。」と、伝えている。

 以下、沖縄タイムスの引用。






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by asyagi-df-2014 | 2015-07-25 10:17 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄から-早期に本体工事に着手を狙い防衛局が沖縄県に護岸の設計図提出

 沖縄タイムスは2015年7月25日、防衛局の新たな動きについて、「沖縄防衛局は24日、名護市辺野古の新基地建設の本体工事に着手するため、キャンプ・シュワブの海域に設置する護岸の設計図を県に提出した。埋め立ての前提となるボーリング調査は完了していないが、調査を終えた部分から先行して協議に入ることで、早期に本体工事に着手したい狙いがある。防衛省は県と丁寧な協議を行うとするが、不調に終わった場合でも工事を強行する構えだ。」と、報じた。
 このことについて、「県は出張で不在の翁長雄志知事らとの相談が必要だとして受理していない。」と。また、「防衛省は県との協議を経て12カ所の護岸工事に先行して着手する可能性を示唆している。全体の調査が終わらない段階で本体工事に向けた設計図を提出する防衛省の姿勢に批判が集まりそうだ。」と、伝えている。
 さらに、この動きについて、沖縄タイムスは次のように説明している。

「2013年に仲井真弘多知事(当時)が埋め立てを承認した際、『留意事項』として本体工事着手前に政府と県で実施設計に関する事前協議を行うことを盛り込んでいた。防衛省はこの日の書類提出をもって『協議を開始した』との認識を示している。8月14日を期限に県からの質問を受け付けるとしている。
 12カ所の護岸設計図は埋め立て承認申請時に防衛省が提出した設計図と同一のもので、同省幹部は『一度承認してもらった設計図であり、不許可や不承認となる要素はない』と県を強くけん制。残りの10カ所の護岸の設計図はボーリング調査を終え次第提出するとしている。
 中谷元・防衛相は防衛省で記者団に『ボーリング調査の結果を反映した実施設計がまとまった。代替施設の本体工事に速やかに着手したい』と述べ、従来から主張している『夏ごろ』の工事着手を目指す考えを重ねて強調した。防衛省によると、ボーリング調査は24カ所のうち19カ所で終えているが、台風などの影響で未着手3カ所を含む5カ所で未了。本体工事着手に向け、作業を加速する考えだ。」

 沖縄県と強硬姿勢を貫こうとする安倍晋三政権との攻防が、緊急性を持ってきている。

 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-07-25 08:28 | 沖縄から | Comments(0)

本からのもの-「遠い辺野古-『埋め立て土砂搬出反対』備忘録」

著書名;けーし風 〈季刊〉2015.7
著作者;原井 一郎
出版社;新沖縄フォーラム刊行会議
 

 けーし風(2015.7)が届いた。
 この中で、原井一郎さんの「遠い辺野古」が、特別に心に響いた。

原井は、奄美大島・邑都名瀬の現状をこのように描写する。

携帯の着信音。電話の向こうから雨音に混じって重苦しい声が。
 「また崩れたんです。土砂が道路を埋めて、赤土がどんどん海に流れています。」
・・・。
電話を受けた私は、雨中を飛び出した。・・・市集落で採石場被害を告発する、電話で知らせてくれた○○さん。「言葉もない・・」。途方に暮れる姿が胸に刺さった。
事故から一月遅れ、ようやく開かれた業者と行政の説明会。業者は平身低頭、県大島支庁は緊急業務停止命令がいかに厳しい措置かを繰り返す。だがその弁解を信じる者はいない。「二度と事故を起こしませんと前回も言った、何度繰り返すのか」。怒りの矢が放たれる。「漁ができない。もう私たちの海ではない」「ヘドロの海で子どもたちの遠泳大会もできない」。傍聴していた私には住民の怒りが、生活破壊と同じレベルで『海の喪失』に向けられ、語られていることに気づいた。海山はこの村では単なる景観を越え、村人のアイデンティティ、精神的支柱であるのだ。そして留めを刺すように、「この採石場の土砂は辺野古に運ばれると言われているが、本当だったら私たちは許しませんよ。ここの土砂が沖縄の人々を苦しめ、沖縄の海を汚すのはもってのほか」。重い声が会場に響いた。

 原井は、指摘する。
 採石業者の言う「百年に一度のチャンス」の背景には、「辺野古特需」がある。
 そして、「沖縄県・名護市辺野古に新基地を造る埋め立て工事に、東京ドーム17杯分の2100万立法メ-トルの土砂を必要とし、その8割が西日本から運ばれる」という計画には、ここでは触れないが、「そのとんでもない、無茶苦茶な計画が、辺鄙なぶん自然に富み、田舎臭い人間味溢れる、普段は見捨てられた離島、寒村の住民を苦しめていることだけは触れないわけにはいかない」、と。
このことは、奄美大島だけの問題だけでなく、例えば、熊本県天草市の御所浦町からは「対岸の水俣から眺むっと、島ん形の変わっとです」と、ふるさとの破壊と変貌を嘆く声が届くとする。
「辺野古特需」は、実際問題として再び暗い影を落とそうとしている。

原井は、「問題は、辺野古を止め得るかである。そのためにも土砂問題は今後、採石地の個々の奮闘と運動拡大による、国内世論を喚起できるか、真価が問われる。」と、「埋め立て土砂搬出反対」運動を理論づける。
 しかし、自分たちの現状も含めた運動そのものについて、こう続ける。

 「だが本音を言えば、私たちは地元でさえ少数派で無力である。圧倒的な無関心市民と、『ふるさとの山や海を壊されるのは反対だけど、中国の海洋進出を思えば辺野古ノ-とまでは言えない』という人々にどう理解を求めるか。中央での革新勢力の退潮によって住民運動さえ活力を削がれた現状から新規一転、普通の人々が自主的に住民運動を出発させえるか。図らずも辺野古問題は、そうした今日の社会運動の現状をも浮かび上がらせる。」

 また、原井はこう続ける。

 「私たちは美しい辺野古の海に立つことができた。その帰路、『本土の皆さんが辺野古に反対する理由は何でしょうかねえ』という、中村さんの問わず語りが耳朶に残った。」

 だから、原井は、この問いに答えなけねばならない。
 原井は、自問の繰り返しの中で、見つけたものが、次の言葉である。

「何百年も守り育ててきた山林が二束三文で売り払われ、緑の山はたちまち丸裸にされ、削り取られた山肌が雨で血のような赤土を流し、美しいサンゴ礁の海を『死の海』に変容させられ、強固だった共同幻想さえもはや消滅寸前の村人たちの苦闘と詠嘆。あの深い哀しみの心奥にこそ、山と海によって生かされてきた民族の末裔としての痛覚の、無意識の表出があるように思えてならない。その嘘偽りのない痛み、煮えたぎる思いこそ、私たちが辺野古問題で拠って立つ岐立点でなければならない。」

 原井の真摯な吐露は、厳しくも美しく、同じく少数派である私を奮い立たせてくれる。「その嘘偽りのない痛み、煮えたぎる思い」に繋がる一人になるために。

 さらに、原井は続ける。

「『辺野古』を守る運動は今後、沖縄だけでなく、県外採石地を含め、より困難な情勢に直面するだろう。だが嘆く必要はない。『沖縄に平和を』の叫びはすでに普遍化し、対極にある人々にも届きつつある。『ミルク(弥勒)世』 とは全てが手を携え辿りつくゴールでなければならぬ。そうした先に、あの豊かな『辺野古』との隔たりが消え、私たちの中に汐が満ち溢れるであろう。」

原井一郎さんのこの文章に、悲嘆と切望感を感じ取る。
そして、「私たちの中に汐が満ち溢れるであろう」時を、ともに作り上げることを念う。


by asyagi-df-2014 | 2015-07-25 05:30 | 本等からのもの | Comments(0)

三菱マテリアルと中国側被害者の交渉団が包括和解に合意

 三菱マテリアルと中国側被害者の交渉団が包括和解について、共同通信は2015年7月23日、「第2次大戦中の中国人強制連行をめぐり、三菱マテリアルと中国側被害者の交渉団が包括和解に合意する方針を固めたことが23日、分かった。三菱側による「謝罪」表明と被害者1人当たり10万元(約200万円)を基金方式で支払うことが柱で、対象者は計3765人と日本企業による戦後補償として過去最多。双方は近く北京で和解合意書に調印する準備をしている。関係者が明らかにした。」と、報じた。
 また.共同通信は、「日本の最高裁が賠償請求を認めなかった中国人被害者に対して、日本企業側が自主的に謝罪し、対象が3千人を超える大規模かつ包括的な金銭補償に踏み切るのは初めて。」と、伝えた。
 日本の戦後補償の問題等で大きな影響を持つものであり、今後、注視していく必要がある。

以下、共同通信の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-07-24 11:21 | 侵略戦争・戦後処理 | Comments(0)

原発問題-フランスは、エネルギー転換法案を国民議会で可決し、原発依存率を50%へ引き下げ。

 東京新聞は2015年7月23日、「発電量に占める原子力発電への依存率が世界最高とされるフランスの国民議会(下院)が二十二日、現在の依存率75%を二〇二五年までに50%へ引き下げるエネルギー転換法案を可決した。既に上院で可決しており、法案は国会を通過した。」と、報じた。
 この法案について、「法案は原発依存率引き下げや、化石燃料消費量を三〇年までに一二年比で30%削減することなど六つの数値目標を掲げている。原子力発電量の増加を認めず、再生可能エネルギーの比率を一二年の二・五倍に相当する約32%に拡大するとしている。」と、伝えた。

 以下、東京新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-07-24 09:39 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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