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労働者派遣法改正案が与党の賛成多数で衆議院本会後で採決された。

 朝日新聞は、2015年6月19日、「派遣社員の受け入れ期間の制限を事実上なくす労働者派遣法改正案が19日午後の衆院本会議で採決され、与党の賛成多数で可決された。今後は参議院で審議されることになる。与野党で激しく対立してきた同法案は成立に近づいた。」と、報じた。

 これまでも、2度廃案になった法案が成立したことにより、このままでは労働者側はより厳しい状況に追い込まれる。、

 以下、東京新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-19 17:03 | 書くことから-労働 | Comments(0)

「従来の憲法解釈に固執するのは責任放棄」とは、傲慢な立憲主義の否定。

 朝日新聞は、2015年6月18日、「安倍晋三首相は18日、衆院予算委員会の集中審議で、集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障関連法案について、『国際情勢にも目をつぶって従来の(憲法)解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄だ』と述べた。
 4日の衆院憲法審査会では、憲法学者3人が、憲法解釈の変更を『憲法違反』と指摘した。首相の発言は『責任の放棄』などの強い言葉を使って学者らの指摘を否定し、国際情勢の変化に応じた解釈変更を正当化したものだ。」と、報じた。
 また、「首相は1959年の砂川事件判決を挙げ、『憲法の番人の最高裁によって、国の存立を全うするために必要な措置を取り得ることは、国家固有の権能として当然との判断があった』と合憲との考えを強調。『その上で必要な自衛の措置とは何かを考えるのは、国民の命を守る内閣や国会に課せられた使命だ』と述べ、集団的自衛権の行使容認は、最高裁判決の範囲内との考えを示した。」とも、伝えた。

 「国家固有の権能として当然との判断」が暴走し、悲劇を作り出してきたのが、人類の歴史であった。これを防止するために、人類は「立憲主義」を作り上げてきた。
 安倍晋三政権は、この人類の知恵の構図を全く理解しようとしない。
 そこに見えるのは、独りよがりの傲慢さだけである。

 朝日新聞は、この日、一人の女性の真摯な姿を、「僧侶で作家の瀬戸内寂聴さん(93)が18日、東京・永田町の国会前であった安全保障関連法案に反対する集会に参加した。約2千人(主催者発表)の参加者を前に『「最近の状況は戦争にどんどん近づいている。本当に怖いことが起きているぞ、と申し上げたい』と語りかけ、廃案を訴えた。」と、伝えた。
 瀬戸内寂聴さんの「戦争にいい戦争は絶対にない。戦争はすべて人殺しです。人間の一番悪いところ。二度と起こしてはならない」という声が、「国家固有の権能として当然との判断」の暴走を、一人の人間としての存在をかけて否定している。
 
「若い人たちが幸せになるような方向にいってほしい」という声を、安倍晋三政権は、肝に命じるべきだ。

 以下、朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-19 09:31 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

3年ごとに蟻地獄へ突き落とされる派遣法改悪は国から死ねと言われるのと一緒

今回の安保関連法案を考える上でも、戦争の実態を、イラクの実態を、まずはきちっと把握する必要があるように、派遣法改悪についても、労働者の実態を知る必要がある。

 井上伸さんのブログに「3年ごとに蟻地獄へ突き落とされる派遣法改悪は国から死ねと言われるのと一緒」として、派遣労働者の声が掲載されている。

 まずは、知ることから。

 以下、井上伸さんのブログの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-19 06:15 | 書くことから-労働 | Comments(0)

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第24回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。

三上知恵の沖縄撮影日記。
 
 個人的理由で、ようやく今、三上さんの沖縄撮影日記を振り返っています。
 この第24回の報告にあらためて、大きく頷いています。
沖縄から見えるもの、いや見らされているものが、余りにももわかっていない本土に向けて、「どこから怒っていいのかわからないよ」と言わざるを得ないと。
「繰り返すが、集団的自衛権を行使するなら、この国を戦場にする覚悟が必要だ。そんな話には全く聞こえてこない安保法制の議論に、それこそどこから怒っていいのかわからない。」ということなんだよと。
 それは、1996年に「異論」を突きつけられたはずであったのにとも聞こえてくる。

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-06-18 10:22 | 沖縄から | Comments(0)

学問の自由とは。

 朝日新聞は、2015年6月17日、「下村博文・文部科学相は16日、全86の国立大学長らに、卒業式や入学式で国旗掲揚と国歌斉唱をするように要請した。東京都内であった国立大学長会議で、『取り扱いについて、適切にご判断いただけるようお願いする』と述べた。」と、報じた。

 このことに関しては、、「学問の自由を考える会」が、次の視点を明確にするなかで、反対していた。

(1)大学が国家権力から距離を置き、独立を保つことは、学問が進展・開花する必要条件である。
(2)政府の権力、権威に基づいて国旗国歌を強制することは、知の自律性を否定し、大学の役割を根底から損なうことにつながる。

 また、文部科学省の要請の撤回を求める理由についても、その根拠を次のように明確にしている。

①そもそも大学は、ヨーロッパにおけるその発祥以来、民族や地域の違いを超えて、人類の普遍的な知識を追究する場として位置付けられてきた。それぞれの国民国家の独自性は尊重されるが、排他的な民族意識につながらないよう慎重さが求められる。
②そもそも大学は、ヨーロッパにおけるその発祥以来、民族や地域の違いを超えて、人類の普遍的な知識を追究する場として位置付けられてきた。それぞれの国民国家の独自性は尊重されるが、排他的な民族意識につながらないよう慎重さが求められる。
③文部科学省は今回のはたらきかけは要請にすぎないと説明しているが、国立大学法人が運営費交付金に依存する以上、「要請」が圧力となることは明白である。
④伝統と文化とは何かを考究すること自体、大学人の使命の一つであり、既存の伝統の問い直しが新しい伝統を生み、時の権力への抵抗が国家の暴走や国策の誤りを食い止めることも多い。
⑤教育基本法第七条が『大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない』とするゆえんである。

 こうした動きは、安倍晋三政権による現在の立憲主義を否定した安保関連法案成立への強行施策と非常に密接に結びついた策動である。
 大事なのは、一人ひとりの「否」の姿勢と、それをいかに組織していくかということになる。

 以下、学問の自由を考える会の声明及び朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-18 09:01 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄からーF16戦闘機の嘉手納基地への飛来

 沖縄タイムスは、2015年6月16日、F16戦闘機の米国からの飛来について、「16日午後2時ごろ、米軍嘉手納基地に米バーモント州の空軍州兵部隊所属のF16戦闘機4機が相次いで飛来した。米空軍第18航空団が10日、今月中旬にF16戦闘機10機と兵員150人を暫定配備すると発表していた。」と、報じた。
 また、このことについて、「周辺自治体などは外来機の飛来が新たな負担増につながると反発している。」とも報じた。
 あわせて、「軍事費削減やアジア重視を掲げるオバマ大統領の方針などで、州兵を海外の安全保障計画に組み込む可能性がある。」と、伝えた。

 米軍再編成が、いつのまにか、沖縄県側の一方的負担として強行されている。

 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-06-17 10:08 | 米軍再編 | Comments(0)

本からのもの-「日本なぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」

著書名;「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」
著作者;矢部宏治
出版社;集英社インターナショナル

 矢部の引用したヘルムート・シュミットの「日本は周囲に友人がいない。東アジアに仲のいい国がない。それが問題です。」との助言が、確かに、納得できる。
 矢部の言う「安保村」の解体は、「われわれも調査をつづけます。フィリピンの憲法改正と、ドイツ『「2プラス+4条約』と『独立』までの歴史、国連憲章『敵国条項』、子どもの被爆問題については、近い将来、『〈戦後再発見〉双書〉のなかで、それぞれ一冊の本にすることを最後にお約束しておきます。」という宣言によって、検討の価値を持つ。

 矢部の重要な次の指摘は、この本を通したテーマである。

「すべての軍事力と交戦権を放棄した憲法9条2項」と、「人類史上最大の攻撃力を持つ米軍の駐留」が共存するという、きわめて大きな矛盾が生まれてしまった。そうした矛盾を内包したまま、『米軍が天皇制を守る』という非常に歪んだ形で、戦後日本(安保村)の国家権力構造が完成することになったのです。」

 それは、「あくまで日本側からの希望に、アメリカ側が応じる形で駐留するということになっていたのです。このことが、現在でも敵国条項(国連憲章第五三条・第一〇七条)が実質的に日本に適用されつづけている最大の原因だと私は思います。」となり、「より本質的な原因としては、『米軍駐留を日本側から、しかも昭和天皇が日本の支配層の総意として要請した』ところにあったといってよいでしょう。」と、まとめられる。

 また、矢部は、「日本国憲法の真実」として、次のように指摘する。

「『日本国憲法の真実』を極限まで簡略化すると、①占領軍が密室で書いて、受入を強要した、②その内容の多く(とくに人権条項)は、日本人にはとても書けない良いものっだった、ということになるからです。これが日本国憲法をめぐる『大きなねじれ』の正体です。」

 矢部は、この問題の解決には、「①の歴史的事実をきちんと認めた上で、②を越えるような内容の憲法を自分たちでつくるというのが、どこの国でも当たり前のあり方です。」と、提起する。

 矢部の多くの指摘は、検討に値するものである。
 今しなければならないことを整理しながら、考えていくことになる。

 最後に、長文になるが、今の日本の実像を見極めるために、引用して終わる。

「一九九〇年に結んだ『2プラス4条約』にもとづき、米英仏ソの駐留軍はすべて一九九四年までにドイツから完全撤退していきました、現在ドイツに残っている米軍は、基本的にNATO軍としての制約のもとに駐留しており、そのドイツの国内法が適用されています。こうして日本と同じく第二次大戦の敗戦国だったドイツは、長く苦しい、しかし戦略的な外交努力の末、戦後四九年目にして、ついに本当の意味での独立を回復することができたのです。
 それにひきかえ日本は、ドイツのように周辺諸国に真摯に謝罪し、「過去の克服」をおこなうのではなく、戦後まもなく成立した冷戦構造のなか、米軍基地の提供とひきかえに、外交と安全保障をすべてアメリカに任せっきりにして、国際社会への復帰をはたしました。講和条約に通常書かれるはずの敗戦国としての戦争責任も明記されず、賠償金の支払いも基本的に免除されました。そして過去に侵略をおこなった韓国や中国などの周辺諸国に対しては、贖罪意識よりも、経済先進国としての優越感を前面に押し出すようになり、戦後七〇年のあいだ、本当の意味での信頼関係を築くことが、ついにできませんでした。その結果、日本は世界でただ一国だけ、国連における『敵国』という国際法上最下層の地位にとどまっているのです。・・・。
 アメリカに従属していれば、その保護のもとで『世界第三位の経済大国』という夢を見ていられます。しかし、ひとたびアメリカから離れて自立しようとすれば、世界で一番下の法的ポジションから、周辺国に頭を下げてやり直さなければならない。それはまさに戦後の西ドイツが歩んだ苦難の道そのものです。
 今さらそんな大変なことはやりたくないし、そもそもどうやっていいかわからない。だから外務省が中心になって、米軍の中量継続をみずから希望し、ありもしない『アジアの冷戦構造』という虚構を無理やり維持しようとしている。それが現在の『戦後日本(安保村)の正体』なのです。」 


by asyagi-df-2014 | 2015-06-17 05:51 | 本等からのもの | Comments(0)

「反対する学者の会」が廃案求める声明

 「安全保障関連法案に反対する学者の会」が15日、法案は憲法9条に違反するとして廃案を求める声明(以下、「声明」とする)を発表した。
 このことについて、毎日新聞は2015年6月15日、「会は11日に発足。呼びかけ人には法学や政治学、歴史学、天文学などから60人以上が名を連ね、賛同する学者・研究者は2700人近くに上る。呼びかけ人で15日に記者会見した学習院大の佐藤学教授(教育学)は『再び若者を戦地に送り、殺し殺される状況にさらすことを認めることはできない』と強調。法政大の山口二郎教授(政治学)は『安倍政権の暴走に批判を加えなければ、学問の存在理由はない』と訴えた。」と、報じた。

 この「声明」は、「①日本が攻撃を受けていなくても他国が攻撃を受けて、政府が「存立危機事態」と判断すれば武力行使を可能にし、②米軍等が行う戦争に、世界のどこへでも日本の自衛隊が出て行き、戦闘現場近くで「協力支援活動」をする、③米軍等の「武器等防護」という理由で、平時から同盟軍として自衛隊が活動し、任務遂行のための武器使用を認めるものです。」と、問題点を明確にする。
 また、「声明」は、「安倍首相の言う『武力行使は限定的なもの』であるどころか、自衛隊の武力行使を際限なく広げ、『専守防衛』の建前に反することになります。武器を使用すれば、その場は交戦状態となり、憲法九条一項違反の『武力行使』となることは明らかです。60年以上にわたって積み重ねられてきた『集団的自衛権の行使は憲法違反』という政府解釈を安倍政権が覆したことで、米国の侵略戦争に日本の自衛隊が参戦する可能性さえ生じます。日本が戦争当事国となり、自衛隊が国際法違反の『侵略軍』となる危険性が現実のものとなります。」と、その侵略性を警告する。
 もちろん、この「学者の会」としての立ち位置を、「私たちは、かつて日本が行った侵略戦争に、多くの学徒を戦地へ送ったという、大学の戦争協力の痛恨の歴史を担っています。その歴史への深い反省から、憲法九条とともに歩み、世界平和の礎たらんと教育研究活動にたずさわり、再び戦争の惨禍を到来させないようにしてきました。二度と再び、若者を戦地に送り、殺し殺される状況にさらすことを認めることはできません。」に置いている。

 今、安倍晋三政権の安全保障関連法案への抵抗が大きくなっている。
 どうしても廃案に。

 以下、毎日新聞及び「声明」の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-06-16 12:52 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

本からのもの-「ライブ講座 徹底分析! 集団的自衛権」

著書名;「ライブ講座 徹底分析! 集団的自衛権」
著作者;水島朝穂
出版社;岩波書店


 水島は、現況を見据えた中で、「憲法9条2項を変えることなく、自衛隊を『専守防衛』のラインまで引き戻すこと、これが当面の課題となります。そのあとは、軍縮の方向に漸進的に向かう。だからこそ、憲法9条2項を決して変えないことが大切」と、この本の趣旨を明確にします。
 このことについては、「今、これ以上『病』を進行させないために、最低限、1954年の政府解釈のライン(「専守防衛」にまで引き戻すことは、立憲主義と平和主義の崩壊を阻止するという観点から重要な意味を持っています。」と、説明します。
 合わせて、「『積極的平和主義を』をおおらかに語りながら、この国の安全保障の枠組みを、時の政権の道具のように軽やかに改変していく安倍式『政局的平和主義』に対峙するためには、還暦を迎えた政府解釈を丁寧にさかのぼって論理的に精査する内在的検討が求められます。」と、加えます。
 つまり、水島のこの本は、1954年の専守防衛ラインという限定のなかではあるが、集団的自衛権についての「論理的に精査する内在的検討」の本だと言えます。
具体的には、水島は本書の中で次のように区分し、その問題点と目指すべき方向性について詳細に分析しています。
(1限目)憲法と平和を考える「モノ」語り
(2限目)集団的自衛権行使が憲法上認められない理由
(3限目)集団的自衛権の事例を徹底分析
(4限目)集団的自衛権行使以外の「武力の行使」に関わる問題
(5限目)いわゆる「グレーゾーン」の問題
(6限目)憲法政策としての「武力なき平和」
 このすべてに渡って、ここに書くことはしませんが、是非とも一読する必要があります。
例えば、集団的自衛権の詳細な事例や「グレーゾーン」などについてです。また、「憲法政策としての『武力なき平和』」をどのように進めていくかということについてです。
 ただ、私的にいくつかの押さえておきたい部分だけまとめることにします。

 水島は、日本国憲法の安全保障のあり方について次のように説明します。
(1)憲法は、国際協調主義をとります(前文、98条)。対外政策、特に安全保障政策の基本は、国連の集団安全保障に置かれています。ただ、その手段として軍事力を用いた方向は遮断されています。(9条)。
(2)「平和を愛する諸国民(peoples)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(前文)という形で、全世界のpeoplesの連帯とネットワークのなかで、日本自身の安全も守る方向を選択した。
(3)「全世界の国民が、均しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」(前文)と宣言して日本国民だけでなく、世界中の貧困や人権侵害に苦しむ人びとに対して、積極的な援助・協力を行う姿勢を明確にしている。
 そして、日本国憲法の前文に示された平和主義は、「『自国のことのみに専念』する『一国平和主義』でもなければ、軍事力の即効性に傾斜する『一刻平和主義』でもない。ノルウェーの平和学者J・ガルトウングの言う『積極的平和』(構造的暴力からの解放)の実現を目指す非軍事の積極的平和主義そのものです。」と、指摘します。
 だから、「憲法は、国際協力の障害になるどころか、むしろ『積極的平和』の更なる実現を要請しているのです。」と。
 さらに、「憲法を『制約』と感じるのは、武力行使・威嚇を『普通』にできるような国を目指し、米国との軍事的協力関係を濃密化しかたいと考える人でしょう。」と、断罪する。

 また、安倍晋三政権の「積極的平和主義」について、水島は次のように捉えています。
 水島は、このことについて、「安倍首相の言う『積極的平和主義』は平和主義の一類型では断じてありません。国際協調主義(憲法98条)を悪用して、日本が『専守防衛』としてきた軍事機能の枠を一気に対外的に突破することを、憲法の『平和主義』の文言にかこつけ、美しい字面と耳障りの良さで正当化しようとする典型的なダブルスピークであり(ジョージ・オーウェル『1984)』の『戦争は平和である)』を彷彿させる)、真の平和主義に反する政治主義的利用、端的に言えば、『政治的平和主義』です。」と、断定しています。

 水島の説く安倍晋三政権の「政治的平和主義」というこの表現は、何ともすとんと収まります。
 そして、このことに続けて、「アメリカの地域紛争介入戦略に便乗して、世界のどこかの国・地域を『攻めてしまう』可能性が出てきました。その際の論理は『人道的介入』であったり、人道的救援活動であったりします。この動きは、集団的自衛権を容認する閣議決定により、さらに現実的になりました。それが安倍式『積極的平和主義』なのです。いま、自衛隊の装備・組織・運用思想は、『専守防衛』型とは異なる、外洋型、外征軍型へと転換しつつありますが、『積極的平和主義』はこの動きを加速させています。」と、強く警告します。

 水島は、当然ですが、当書で、集団的自衛権についての考え方を説明します。
(1)個別的自衛権と集団的自衛権は、自国に対し、発生した武力攻撃に対処するものであるかどうかという点において明確に区別されます。
(2)集団安全保障は、集団的自衛権とは別物です。集団安全保障は、主体が国家ではなく国連なので、敵国や仮想敵国という概念がありません。これに対して、集団的自衛権は仮想敵国を持ちます。自国が攻撃されなくとも、仮想敵国を反撃します。この「自国が攻撃されなくとも」というところがポイントです。
(3)「日本が他国の戦争に自ら巻き込まれにいく」のが集団的自衛権の本質です。集団的自衛権行使容認論では、他国から攻撃されたアメリカを日本が「助けるため」とよく言われますが、その他国から見れば、攻撃していない日本から先に攻撃を受けたことになり、現実として日本はそのまま武力衝突の当事国になるのです。「助けるだけ」では済まず、他人の喧嘩の矢面に立つことになります。他国から攻撃を受けていない日本が他国を攻めてしまう、これが集団的自衛権行使の本質です。
(4)集団的自衛権行使のためには、憲法改正が必要。

 あわせて、水島は、「比較衡量」の考え方の問題について次のように触れます。
 高村正彦自民党副総裁の「血が流れる可能性」「戦争に巻き込まれる可能性」について、あるテレビ番組(2014年6月13日)での「心配な点もあります。一方で、それによって守られる日本国民の幸福追求の権利、まあ、経済的なものも含めてあるわけですね。そういうものの比較衡量というのは、ギリギリになれば、それは政治の責任者が判断すべきこと」との発言に対して、「ドイツ基本法1条(憲法上の「人間の尊厳」の不可侵)は、尊厳と尊厳との比較衡量、命と命の比較衡量を許しません。人間は、常に目的それ自体であって、決して手段として扱われてはならないからです。ドイツの例を挙げずとも、ましてや命と「経済」(お金)は比較衡量されてはならず、生命が当然優先します。安易に比較衡量という言葉を持ち出し、「どっちを選ぶかという判断は国民から選ばれた政治家以外ない」と言い切り、それが「歯止めだ」と居直る。もしもその判断が間違っていたら(戦争の悲惨な結果になったら)、そんな政治家を選んだ国民が悪い、ということになる。」と、こうした『比較衡量』そのものの考え方を一蹴しています。
 この水島の説明は、改めて、憲法の立憲主義の意味を痛切にわからせるものです。

 最後に、水島は、「戦争を起こす人間」について次のように書いています。
 「戦争の犠牲者はいつでも、どこでも民衆です。ですが、民衆もまた、熱狂的に戦争指導者を支持する瞬間があります。戦争に向かう前、人びとは理性を失います。」と。
 また、「権力者は、戦争遂行のための国内世論の『熱狂』と『統合』を効果的に創出するための新たな『サプライズ』を必要とするでしょう。これは歴史を眺めれば、無数の事例が確認できます。」と。
そして、次の水島の次の指摘は、最も肝に命じなければならないことかもしれません。

 「『私は戦争を全くするつもりはない』と言う安倍首相は、集団的自衛権行使という憲法違反を平然とやってのけ、いま、この国の『国力を消耗』させ、『国を滅ぼす』方向に、強引に舵を切っています。そして、この最高権力者は、論理も条理も法理も、道理も事理も通用しない最強の人物であることを忘れてはいけません。」


by asyagi-df-2014 | 2015-06-16 05:30 | 本等からのもの | Comments(0)

「憲法を法律に適応させる」とは。

現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのかという議論を踏まえまして閣議決定を行ったわけでございます」

 これは、中谷防衛大臣の6月4日の国会での発言とのこと。
 私がベッドの上で静かにしている間に、信じられないことが起こっているのですね。
 明日の自由を守る若手弁護士の会は、早速、当たり前ですが、「言うまでもないことですが、日本国内での法規の強さの序列としては、憲法、法律、政令の順番になっています。
そして、憲法に反する『法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為』は無効なわけですよね(憲法98条)。 法律で憲法を変えようなどということはあり得ないわけですが、安保関連法案で憲法を実質的に変えてしまおうという本音が透けて見えたということですよね。」と、押さえます。
 さらに、「大事なことなので、もう一度繰り返しますが、憲法に反する「法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為」は無効です。そして、国務大臣には憲法尊重擁護義務があるわけですよ(憲法99条)。『行政府の裁量』などというものは、法律以下の存在で、国務に関するその他の行為として、憲法に反することはできないわけですよ。」と。

 うーん。こんな輩がひねり出してきた集団的自衛権行使なのか。

 以下、明日の自由を守る若手弁護士の会のブログの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-06-15 11:32 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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