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沖縄から-「言論の自由は住民と新聞が一緒に、一歩ずつ、勝ち取ってきた」

本日(6月30日)、一日遅れで沖縄タイムスが届いた。
 いつも思うのだが、確かに電子版は主要記事を把握するのには、早いかもしれないが、新聞そのものの面白さは、本紙を見ながら面白い探すことに尽きるような気がする。
 この29日付けの沖縄タイムスの「大弦小弦」は、読んで納得し、これは広める必要があるなと感じた記事でした。
 そこに書き込まれていたのは、「言論の自由は住民と新聞が一緒に、一歩ずつ、勝ち取ってきた」という新聞人としての矜恃でした。
 
 「大弦小弦」は、静かに始める。
「新聞は県民の声でできている。『2紙をつぶすというのは民意をつぶすのと同じだ』。こちらが圧倒されるくらい怒ってくれる人がいる。ライバルの2紙が異例の共同抗議声明を出したのも、個々の会社ではなく県民全体への侮辱だからだ」
 「大弦小弦」は、沖縄の新聞の成り立ちをこう説明する。
「沖縄本島では戦後、10以上の新聞が生まれた。支配者である米軍の側に立つ新聞もあって、今の2紙が残った。つぶすかどうかは、権力者ではなく住民が決める」
 「大弦小弦」は、今の新聞のあり方についても話す。
「2紙の創刊時は米軍が検閲し、紙の供給も握っていた。当初、論調は遠慮がちだった。だが、事件・事故に怒る住民に背中を押され、不条理を告発できるようになった。言論の自由が、憲法と共に天から降ってきた本土とは違う。住民と新聞が一緒に、一歩ずつ、勝ち取ってきた」
 「大弦小弦」は、だから、沖縄の新聞はこう考えているのだと。
 「事件・事故などの基地被害は、思想信条で我慢できるものではない。拒否するのは生活者として当たり前だ。『沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている』と中傷した自民党の長尾敬衆院議員は、県連や支持者にも唾したに等しい 」
 「大弦小弦」は、じっくり話しかける。
 「沖縄が思うままにならないからと、いら立ちをぶつけても逆効果でしかない。新聞も県民も変わらない。なぜ同じ愚を繰り返すのだろう。」

 以下、沖縄タイムスの引用。






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by asyagi-df-2014 | 2015-06-30 17:40 | 沖縄から | Comments(0)

「DHCスラップ訴訟」

澤藤統一郎弁護士が、スラップ訴訟の当事者になっていることを初めて知りました。
 これまでも、スラップ訴訟については、気がつけば取りあげたきた経過があります。
 この「DHCスラップ訴訟」について、「被告本人意見陳述」を澤藤統一郎の憲法日記ブログから抜粋します。

①「カネをもつ者が、そのカネにものを言わせて、自分への批判の言論を封じようという濫訴が『スラップ訴訟』です。はからずも、私が典型的なスラップ訴訟の被告とされたのです。

②2013年4月1日に自前のブログを開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新記録は821日となりました。公権力や社会的強者に対する批判の視点で貫かれています。そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。

③2014年3月に「週刊新潮」誌上での吉田嘉明手記が話題となる以前は、私はDHCや原告吉田への個人的関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的でのブログ記事であることに、一点の疑義もありません。

④「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、請求原因を追加し、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。

⑤原告吉田嘉明の週刊新潮手記が発表されると、渡辺喜美だけでなく原告吉田側をも批判する論評は私だけでなく数多くありました。原告吉田はその内の10件を選び、ほぼ同時期に、削除を求める事前折衝もしないまま、闇雲に訴訟を提起しました。明らかに、高額請求訴訟の提起という恫喝によって、批判の言論を委縮させ封じこめようという意図をもってのことというべきです。

⑥その判決において、仮にもし私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。
 
 この「DHCスラップ訴訟」に注視していきます。

 以下、澤藤統一郎の憲法日記の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-30 17:32 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

国連人権理事会でIMADRが「沖縄の自己決定権を尊重するよう」求める声明の発表

琉球新報は2015年6月29日、その社説で、「国連との特別協議資格を持つ国際人権非政府組織の反差別国際運動(IMADR)が国連人権理事会で『沖縄県民の人権が辺野古新基地建設計画によって脅威にさらされていることを懸念する』と訴え『沖縄の自己決定権を尊重するよう』求める声明を発表した。」と、報じた。
 このIMADRは、「声明を出したIMADRは世界中のあらゆる差別の撤廃を目指して活動しており、辺野古新基地建設阻止を目的に活動する『沖縄建白書を実現し未来を拓く島ぐるみ会議』が団体会員となっている。」と、説明されている。
 琉球新報は、「国連の国際人権規約の第1条にはこう書かれている。『全ての人民は自決の権利を有する』。日本も1979年に条約を批准している。沖縄の自己決定権を尊重するならば、辺野古移設を断念するしかない。それこそが国家として条約履行の義務を果たすことになるはずだ。」と、主張する。

 沖縄の不条理な状況を世界に届ける取り組みが必要である。

 このまっとうな沖縄の地元紙の記事は、確かに、安倍晋三政権にとっては、気にかかってしょうがないものであろう。
 昨年の7月1日の閣議決定についても、「憲法クーデター」と断定した社説を掲載した。
 琉球新報は、沖縄タイムスも含めて、極めて論理的な記事づくりを使命としている。
 むしろ、その存在価値を賭けた闘いをしているようでさへある。

 以下、琉球新報の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-30 09:05 | 沖縄から | Comments(0)

本からのもの-「慰安婦」問題と戦時性暴力

著書名;「慰安婦」問題と戦時性暴力
著作者;高良沙哉
出版社;法律文化社


 高良紗哉の力作である。
 全体をこのくくりで書くことは充分にはできない。
 ここでは、「第3章『慰安婦』訴訟」からだけを、少し抜粋する。

 高良は、「慰安婦」訴訟の意義について、「重要なことは、裁判における被害事実の認定から、第二次世界大戦中の日本軍による性暴力の様子が、明らかになったことである。」と、説く。
 高良は、訴訟によって確定された「慰安婦」制度について、「『慰安婦』制度は、日本の公娼制度を基礎として、現地女性の強姦防止や、軍人の性病罹患による兵力減退の防止、軍人のストレスや不満の解消などの目的の下に、日本軍によって計画され、管理され、遂行された組織的性暴力のシステムであった。」と、する。
 また、その特徴について、「『慰安所』の管理や設備等に違いがあったとしても、軍隊の方針として、軍人の『慰安』のために、女性を一定期間監禁し、繰り返し繰り返し、性行為を強制する、日本軍『慰安婦』制度の特徴があらわれている。」と、説明する。
さらに、「慰安所」の外における性暴力を「性的拷問」と位置づけ、「女性たちは、『女性である』という理由で、『性』に対する執拗な拷問を受け、名誉を毀損するような性的拷問やその羞恥心や自尊心を貶める精神的虐待や、家族や妊婦の虐殺を目撃させられて、精神的ショックを受けるなど、精神的、身体的、性的拷問を受けた。」と、押さえる。
 そして、日本軍に特徴的であったのは、「『慰安所』の存在が、『慰安所』外での大量強姦を誘発し、促進したことである。『慰安所』内で培われた、異民族女性に対する差別と、暴力的な性行為の容認は、『慰安所』の外での異民族女性に対する、残虐な大量強姦を許容し、促進することにつながった。」と、指摘する。
 高良は、この間の「慰安婦」訴訟の意義について、「日本軍『慰安婦』訴訟において明らかになった被害の実態は、『慰安所』内の性暴力と、それと密接に関係する『慰安所』外の性暴力、軍隊の組織的、構造的暴力の実態を明らかにする点で、意義あるものであったといえる。」と、まとめる。
 もちろん、この訴訟における課題、例えば「除斥期間」の問題点等についてもきちんと押さえ、「訴訟は、女性たちが敗訴したまま、一応の区切りを迎え、その後も日本政府による被害救済は進んでいない」と、きちっと結んでいる。

 高良は、女性国際戦犯法廷(以下、「民衆法廷」とする)についても詳細に触れる。ここではいくつかのことについて抜粋する。
 高良は、「慰安婦」の募集について、この「民衆法廷」で認定されたことについて、次のようにまとめた。
①「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(1938年3月4日)等の証拠に基づいて、「慰安婦」募集についての日本軍の責任を認定した。
②台湾軍司令官安藤利吉から陸軍大臣東条英機に宛てられた電報、「台電第602号」(1942年3月12日)によって、安藤利吉と東条英機が、直接ないし間接的に関与したこと、そして業者の選定に憲兵が関与していたことを認定した。
③連合国による報告書、アメリカ戦時情報局心理作戦班「日本人捕虜尋問報告第49号」(1944年11月30日)および、東南アジア翻訳尋問センター「心理戦尋問報告第2号」(1944年11月30日)に基づいて、日本軍が性奴隷制の設置と運営に直接、間接的に関与したことが裏づけられるとして、東京裁判当時、連合国側が「慰安婦」制度に関する証拠をすでに得ていたと認定した。また、連合国の報告書は、日本軍が「慰安所」の利用規則を詳細に定めていたことも報告しており、これに基づき日本軍が、性奴隷制度の設置と運営に直接的、間接的に関与したと認定した。
 高良は、「民主法廷」が、「『慰安所』が『政府の最高レベルの許可』に基づく、日本軍将兵が利用するための『性奴隷施設』であったと認定した。」と、する。
 また、その設置目標について、「民主法廷」は、「『慰安所』の設置の主要な目的の1つは、現地女性の強姦を抑止することだった、しかし、『慰安所』は、むしろ『性暴力が容認される軍事的文化を反映かつ強化し、外界からより見えにくい形で性奴隷制度を制度化』した。性奴隷制の制度化は、『秘密裏に行われるか、性病を避ける事前策がとられた場合の強姦は容認され、奨励すらされる』ことを軍人たちに知らせることになった。当時の日本軍の関心事は、部隊に『慰安婦』を『適切に』【供給】し、『慰安婦』の出身地域や国際社会の『敵対的な反応を避ける』ことにあった。」と、した。

 こうして高良の本を振り返ってみると、なぜこの本を今選んだのかが分かる。
 「民主法廷」(2001年12月4日)の判決から、すでに14年の月日が経過しているにもかかわらず、日本という国が、この判決内容を活かしてないことに改めて気づかされる。 むしろ、状況は、悪くなっている。

 こうした時期に、もう一度きちっとこの問題を振り返るためには、最良の本の一つである。


by asyagi-df-2014 | 2015-06-30 05:44 | 本等からのもの | Comments(0)

百田氏、再度の「今はもう本気でつぶれたらいいと思う」と発言。

沖縄タイムスは2015年6月28日、「作家の百田尚樹氏は28日、大阪府泉大津市で講演し、自民党勉強会での『沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない』との自らの発言に触れ、『その時は冗談口調だったが、今はもう本気でつぶれたらいいと思う』と話した。」と、百田尚樹氏の発言の続報を伝えた。

 このことに関連して、沖縄タイムスは、2015年6月29日、「県議会与党5会派は29日に代表者会議を開き、県内2紙の批判や米軍普天間飛行場の成り立ちについて発言した作家の百田尚樹氏と自民党若手国会議員に対する抗議決議を提案する方針を決定した。」と、沖縄の動きを報じた。

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-29 15:02 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

本からのもの-「沖縄の『岐路』」

著書名;「沖縄の『岐路』」
著作者;沖縄タイムス
出版社;沖縄タイムス


沖縄の今を考え、これからの沖縄を展望する時、そこには過去をどのように捉え、整理をするのか、何をくみ取るのかということが、問われることになる。
沖縄の「岐路」は、その意味で、未来書なのである。

 「本土の人に分かってくれという時期ではなくなった。沖縄が変わるしかない。知的な行動か、実力行使か、その両方か、今だからできるような気がする」(オスプレイ強行配備より)という意思表示をするようになった沖縄がある。
 「結成アピールでは辺野古への基地建設強行が『民意と尊厳を踏みにじり、社会正義と民主主義の基本を否定するもの』と日本製を批判する」(建白書と新基地建設より)と、アピールでの訴えを確立させた沖縄がいる。
 「沖縄がこれだけ新しい基地を造らせないと団結したことは、これまでの時代を振り返ってもなかったこと」(深まる溝より)や「多くの人びとが戦争への不安を口にする。現在の閉塞状況が、命と暮らしを守るため、これまでかってなかった辺野古の大衆運動へと広がった」(深まる溝より)という状況を造り出した沖縄の毅然とした姿がある。

もちろん、この「沖縄の『岐路』」は、沖縄の未来を捉えながら、実は、日本のこれからを考えさせている。

 特にこの中では、「沖縄国際海洋博覧会」と「金武湾CTS阻止闘争」の章を考えてみる。

 沖縄国際海洋博覧会は、「沖縄の日本『復帰』から3年たった1975年、植樹祭(72年)、若夏国体(73年)とともに復帰記念事業」であった。
 その意味を、「全国的には、『オイルショック』による世界的な混乱の波が押し寄せ、戦後最大の不況、県内では、米軍雇用員の大量解雇が吹き荒れる中、『起爆剤』としての期待」を背負わされたもの」と、分析する。
 ただし、実際は、「問題は、デメリットをいかにメリットに切り替えうるかにかかっていた。だが、現実は“切り替え”が実を結ばず、デメットのレールを突っ走った感じ」ということでしかなかったと捉えるしかないもであった。
 結局、沖縄にもたらされたものは、「海洋博を見込んで本土企業による土地の買い占めが起こったが、投機的なものであり、日常の生産活動や雇用を生み出すものではなかった」し、「道路や水族館などのインフラは整備されたが『具体的なビジネスは育たず、成長のエンジンにはなり得なかった』」と見る。
 そして、沖縄国際海洋博覧会を次のようにまとめる。
「大きな工事は本土のゼネコンが受注し、県内企業はその下請、孫請けという構造は、沖縄の経済的自立を阻害する要因とも見られているが、その構造は海洋博に端を発し、深く根を張っているとも言える。富川教授は、『辺野古で新基地が着工すると、海洋博のような建設ラッシュになり、特需になるのは間違いない。しかし、一過性のもので決して沖縄の自立経済を支えるものではない』と指摘する。
 海洋博を利用して経済的自立への道を歩むには、復帰間もない沖縄の力は脆弱だった。そしてその力を鍛える構造や自然は、失ったままになっている。
 海洋博が残した課題は、これからの沖縄の『望ましい未来』を描くときの大きなカギになると言えるだろう。」

 金武湾CTS阻止闘争は、「73年9月に、地域住民により、『金武湾を守る会』が結成され、CTS建設に反対する大衆的な反対運動 」であった。
 当時は、「国家の成長戦略の一環として資源エネルギ-の長期備蓄の必要性が議論された時期と重なり、計画には原子力発電施設の整備も検討されていた」という背景があった。 この運動の結果、「建設反対を訴えた2度の提訴や関係機関への訴えの末、当初計画で1千万坪とされた金武湾の埋め立て面積は、約64万坪に留まり、沖縄には原発も建設されていない。」という状況を作り出した。
 結局、この闘争は、「金武湾闘争は単に建設反対ではなく地域自治の運動でもあった。同時期は復帰を境に各島で開発や土地の買い占めが起こり、Uターンで戻った青年たちを中心に各地がつながって、社会運動が起こった」(安里英子)と、評価されるものであった。
 さらに、この闘争は、「県内で辺野古以外にもさまざまな課題が存在する今日、あらためて金武湾闘争を学び直す意義がある」ものであると評価する。

 この二つの章には、「過去をどのように捉え、整理をするのか、何をくみ取るのかということ」から、「沖縄の今を考え、これからの沖縄を展望する」ことが書き込まれている。


by asyagi-df-2014 | 2015-06-29 05:55 | 本等からのもの | Comments(0)

論理・理屈でものを考える人達に政治を託したい。

 明日の自由を守る若手弁護士の会は、そのブログで、「論理・理屈でものを考える人達に政治を託したい。そんなことも叶わないこの国に未来はあるのでしょうか。」と、言います。 

安倍晋三政権の非論理性は、際立っている。

 以下、明日の自由を守る若手弁護士の会のブログの引用。


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by asyagi-df-2014 | 2015-06-28 11:48 | 書くことから-憲法

表現の自由、報道の自由を否定する暴挙むしろ私たちが愚弄されているのだ。

 「ハッキリ言ってしまえば、傲慢、以外の何物でもないかと思います。」
 この言葉が、すべてを説明する。
 明日の自由を守る上糧弁護士会ブログは、このように続ける。
 「このような勉強会が開かれ、あからさまな発言があるのは、 裏を返せば、それだけ国民がナメられている、ということでは ないでしょうか。そういうこと言っちゃっても人気は落ちないしー、と思っているから、 言えるのですよね。国民を愚弄するのも、たいがいにしてほしいと思います。」

 今回のこの動きを論理的に判断するために、琉球新報と沖縄タイムスの共同抗議声明を引く。
 両社は、その問題点を次のように挙げる
①百田尚樹氏の「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという”言論弾圧”の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。
②むしろ出席した議員側が沖縄の地元紙への批判を展開し、百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め、看過できるものではない。
③「(米軍普天間飛行場は)もともと田んぼの中にあった。基地の周りに行けば商売になるということで人が住みだした」とも述べた。戦前の宜野湾村役場は現在の滑走路近くにあり、琉球王国以来、地域の中心地だった。沖縄の基地問題をめぐる最たる誤解が自民党内で振りまかれたことは重大だ。その訂正も求めたい。
 この暴挙に対して両者は次のように主張する。
①戦後、沖縄の新聞は戦争に加担した新聞人の反省から出発した。戦争につながるような報道は二度としないという考えが、報道姿勢のベースにある。
②政府に批判的な報道は、権力監視の役割を担うメディアにとって当然であり、批判的な報道ができる社会こそが健全だと考える。にもかかわらず、批判的だからつぶすべきだ―という短絡的な発想は極めて危険である。
③沖縄の2つの新聞に限らず、いずれ全国のマスコミに向けられる恐れのある危険きわまりないものだと思う
 この上で、両社は、「沖縄タイムス・琉球新報は、今後も言論の自由、表現の自由を弾圧するかのような動きには断固として反対する。」と抗議した。

 また、新聞労連もその声明の中で、次のように指摘する
 「安全保障関連法案(戦争法案)を批判する報道に関し、出席した議員から『マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい』」との発言もあったとされる。報道の自由を侵害しているという自覚がないとすれば、憲法軽視も甚だしく、立憲主義国家の国会議員としての識見が問われかねない。」

 この問題は、安倍晋三政権の政治的手法がもたらしたものである。
 まさしく強圧的で国民を愚弄するものでしかない。

 以下、共同抗議声明、新聞労連声明及び若手弁護士の会ブログの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-28 09:38 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第26回

 沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
 そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。

三上知恵の沖縄撮影日記。
 
  今回の報告は、「戦没者の祭壇に向かい、あれ程おざなりに頭を下げた人物が歴代総理の中にいただろうか。1秒も留まらずにフイっと振り返り、席に戻った安倍総理。」で、始まる。
 また、「沖縄の慰霊の集いは何もここだけではない。県が把握しているだけでなんと全島で440もの慰霊碑があり、その数だけ手を合わせる場所がある。島々全体でどれだけ多くの地獄があったのかを物語る数である。」とも。
 さらに、沖縄本島北部に住む14歳から18歳の少年たちを山岳地帯に潜ませてゲリラ戦を闘わせた秘密部隊「護郷隊」のことを語る。

「故郷の山々に潜んで米軍と戦っていた兄。山を下りれば母や弟がいるという状況で闘った少年兵がこの国にいたことを、どれだけの国民が知っているだろうか。14、15歳でも、家族や故郷を守りたい必死の気持ちで、背丈より長い銃を背負って野山を這いずり回り、死んでいったのだ。護郷の名のもとに、故郷を守りたいという少年の気持ちを利用したこの秘密作戦は明らかに人権に反する行為であり、日本の戦史に類例はないと思う。闇に葬り去ることは絶対に許さないし、その戦争責任は追及するとしても、私はこの歌にあるように、地上戦だったからこそ味わうことになる『70年の悲劇』をここで全国の人に問いたい。」と。

 「国の安全のために、真っ先に捨て石になってしまったこの島で、再び『国防上の重要拠点だ』として軍港と弾薬庫と滑走路が一体になった出撃基地が造られようとしている。集団的自衛権を行使する国になるのなら、間違いなくここは標的だ。それが国の言うように『普天間基地の代替施設』などではなかったことは、もう沖縄県民にはとっくにバレてしまっているのだ。例年、この日は慰霊碑に手を合わせて『戦争のない平和』を漠然と祈る人が多かったが、今年は各地で『基地を押し返して平和な島にしますから、力を下さい』『沖縄の闘いを見ていて下さい』という生き残ったものとその子孫の覚悟が語られていた。戦後70年目の慰霊の日は、かつてない決意に満ちた日になったようだ。」

 この三上の言葉を、どう受け取ることができるか。

 以下、三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-28 06:15 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄から-「慰霊の日」を感じ取るために(4)

 沖縄の「慰霊の日」を、県知事の「平和宣言」として捉えてきた感があるが、もしかしたら、それ以上に気にしていたのは、「平和の詩」だったのかもしれない。
 これまでも、多くのものを受け取ってきた。
 今年もまた、凛とした詩が会場を包みこんだ。
その様子を、沖縄新聞は、「追悼式で、自作の平和の詩『みるく世がやゆら』を朗読した与勝高校3年の知念捷君(17)。第1連の琉歌は、『つらね』と呼ばれる独特の節をつけて歌い上げた。凜(りん)とした響きに会場は一気に引き込まれ、呼応するように指笛や拍手も起きた。」と、伝えた。
 「戦争が終わってから70年たっても、悲しみを背負っている人がこんなにいると感じた。少しでも寄り添いたい」という思いは、充分に伝わった。
 「今は平和でしょうか」と問うた摩文仁の風は、この地の大地を芯から揺さぶる風として繋がる。

「みるく世(ゆ)がやゆら」知念 捷

みるく世がやゆら
平和を願った 古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌(りゅうか)が 私へ訴える
「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下(しんか) 命(ぬち)ど宝」
七〇年前のあの日と同じように
今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終りを告げる
七〇年目の慰霊の日
大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を
夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける
せみの声は微かに 風の中へと消えてゆく
クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます
みるく世がやゆら
「今は平和でしょうか」と 私は風に問う
花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉
戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉
九十才を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥する
一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った
一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死
南部の戦跡へと 礎(いしじ)へと
夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった
彼女のもとには 戦死を報せる紙一枚
亀甲墓に納められた骨壺には 彼女が拾った小さな石
戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った
愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を
すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う
愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように
あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと
軍人節の歌に込め 何十回 何百回と
次第に途切れ途切れになる 彼女の歌声
無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく
七〇年の時を経て 彼女の哀しみが 刻まれた頬を涙がつたう
蒼天に飛び立つ鳩を 平和の象徴というのなら
彼女が戦争の惨めさと 戦争の風化の現状を 私へ物語る
みるく世がやゆら
彼女の夫の名が 二十四万もの犠牲者の名が
刻まれた礎に 私は問う
みるく世がやゆら
頭上を飛び交う戦闘機 クワディーサーの葉のたゆたい
六月二十三日の世界に 私は問う
みるく世がやゆら
戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う
気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい
しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを
伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを
みるく世がやゆら
せみよ 大きく鳴け 思うがままに
クワディーサーよ 大きく育て 燦燦(さんさん)と注ぐ光を浴びて
古のあの琉歌(うた)よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ
今が平和で これからも平和であり続けるために
みるく世がやゆら
潮風に吹かれ 私は彼女の記憶を心に留める
みるく世の素晴らしさを 未来へと繋ぐ

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-06-27 06:09 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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