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残業代ゼロ問題を考える


残業代ゼロ問題を考える

 朝日新聞は、2014年5月29日の朝刊で、残業代ゼロ問題について、「政府は28日開いた産業競争力会議で、働いた時間の長さと関係なく、成果に対して賃金を払う新たな制度を導入する方針を決めた。政府の成長戦略の柱に位置づけ、対象とする職種や年収など具体的な検討に入る。だが、労働時間と切り離された働き方は「残業代ゼロ」で長時間労働を強いられ、いったん導入されると「なし崩し」的に対象が広がる恐れもある。」と、報じた。
 また、安倍首相は「働き手の数が限られるなか、成果で評価される新しい労働時間制度の選択肢を示す必要がある」と表明するとともに、28日夕に官邸であった産業競争力会議で、新たな制度の検討を進めるように指示した」と、報じている。
 この日の会合は誰を対象とかが出ず平行線のまま終わっている。
さらに、この残業ゼロ問題の具体的な内容については、次のように報じた。

「4月に新制度を提案した民間議員の長谷川閑史(やすちか)・経済同友会代表幹事らが追加案を示した。(1)年収1千万円以上の高年収者(2)労使で合意した一般社員――を対象とする当初案を具体化させ、対象となる層について、中核・専門職種で働く「幹部候補」などとすると明示した。
 一方、労働規制を所管する厚生労働省は28日、「世界レベルの高度専門職」に対象者を限るとする対案を提示した。転職先を見つけやすい為替ディーラーなど高年収者を対象とする。長谷川氏らが適用を求める「幹部候補」には、労働時間を想定し賃金を支払う裁量労働制を拡充することで対応できると主張した。

 しかし、こうした対象者を限定することで矛先を躱そうとする遣り方は姑息である。
 対象者を限定し、慎重姿勢を崩さない厚労省に対しては、出席した民間議員や閣僚から、「一握りでは意味がない」「労働政策が変わるというメッセージを出すべきだ」といった再考を迫ったという記事が示しているように、隠されたその真意がやがては牙をむくことになることははっきりしているのではないか。

 実は、小泉政権を引き継いだ第一次安部政権において、「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入が画策された。当時、諸々の取り組みの中で、これは阻止された。
 この時の主な反対の論点を、日本労働弁護団(以下、弁護団とする)の決議表明等にみてみる。
 弁護団は、2006年11月11日の総会で、「新・適用除外制度(日本版エグゼンプション)はワーク・ライブ・バランスに逆行する。この制度は、オフのスイッチを労働者から奪う。この制度は、仕事が順調なときも仕事が苦しいとき、上手く行かないときも、労働者を成果がでるまで働き続けるロボットにする。自分のため、家族のために早く帰宅することなど望むべくもない」とまとめている、
 また、安倍首相の推進する成果主義については、「『成果も出さない奴に金が払えるか』と言い放つ成果主義。労働者を気持ちよく働かせて成果を出すのが経営者ではないか。成果主義は経営者の無能宣言だ。成果主義は、成果がでないリスクを厚顔にも労働者に押し付ける」と、成果主義の問題点を指摘している。
 そして、ホワイトカラー・エグゼンプションの構造的問題点を、「この制度導入の合唱団員は、経営者とその取り巻きばかり。当の労働者は、誰も参加していない。当の労働者はというと、過労とストレスで、そのようなことを考える時間もゆとりもない。」と、切り込んで見せた。

 今回の残業代ゼロ問題の動向について弁護団は、2014年4月30日付で、「それは、2007年に『残業代ゼロ法案』『過労死促進法案」として世論の批判を浴び葬り去られたホワイトカラーエグゼンプションの再来であるどころか、それよりもさらに労働者の長時間労働に対する保護を後退させる最悪の「残業代ゼロ」「過労死促進」提案にほかならない。」と、警告を出している。
 また、「労働基準法の定める労働時間規制は、長時間過重労働から労働者を守る最低基準であり、最後の砦である。同法のもとですら労働者は、産業、業種、職種、雇用形態を問わず、長時間かつ過重な労働にさらされているが、『新しい労働時間制度』は、労働時間の最低基準を画する労基法を無視し、長時間労働傾向をさらに悪化させる重大な危険を有するものである。それは、労働者の健康も破壊し、個人と企業の健全な成長も阻害して、ひいては日本の社会と経済に重大な害悪を生じさせるものである。」と、鋭く問題点を指摘している。

 今回の残業代ゼロの問題は、日本労働弁護団の4月30日の「警告」を参考にして次のように整理できる

(1)新たな労働時間制度の適用を、労働者の同意にかからせているとするが、労使の交渉力格差がある中で、使用者から制度の適用を迫られた労働者がこれを拒否することは事実上不可能に近い。結局は、「この制度導入の合唱団員は、経営者とその取り巻きばかり。当の労働者は、誰も参加していない」状況は、労働方規制緩和の中でより強化されている。
(2)結局、提案は広範な労働者を対象に、労働基準法所定の1日8時間、1週40時間、週休1日の労働時間の上限を緩和ないし撤廃し、長時間労働に対する直接的規制をなくすとともに、「時間外労働」「深夜労働」「残業代」などという概念そのものをなくし、長時間労働に従事させた労働者に対する労基法で義務づけられている賃金の支払いを免除するものである。
(3)それは、2007年に「残業代ゼロ法案」「過労死促進法案」として世論の批判を浴び葬り去られたホワイトカラーエグゼンプションの再来であるどころか、それよりもさらに労働者の長時間労働に対する保護を後退させる最悪の「残業代ゼロ」「過労死促進」提案にほかならない。
(4)労働基準法の定める労働時間規制は、長時間過重労働から労働者を守る最低基準であり、最後の砦である。同法のもとですら労働者は、産業、業種、職種、雇用形態を問わず、長時間かつ過重な労働にさらされているが、「新しい労働時間制度」は、労働時間の最低基準を画する労基法を無視し、長時間労働傾向をさらに悪化させる重大な危険を有するものである。それは、労働者の健康も破壊し、個人と企業の健全な成長も阻害して、ひいては日本の社会と経済に重大な害悪を生じさせるものである。

 結局、この残業代ゼロは、現在の「成長戦略」を目標に据える諸々の政策は、この間の規制改革路線と同様な流れの中で、新自由主義敵政策の徹底化を念頭に置いた、一握りの享受者だけを豊かにすることを目指したものである。多くの労働者・市民にとっては多くの犠牲を強いられるものでしかない。
 現在において、残業代ゼロが達成されることは、新自由主義の政策の基に行われてきた規制緩和のあしき到達点になってしまう。

 一方、前回の「ホワイトカラー・エグゼンプション」の画策がつぶされたにもかかわらず、こうして再提案されてくるにはどのような理由があるのか。
 そのためには、現在の状況をまずは把握する必要がある。それは、「不平等社会」日本の実態を把握することである。
日弁連は、人権擁護大会の決議(2013年10月4日)- 貧困と格差が拡大する不平等社会の克服を目指す決議-のなかで、「不平等社会」日本の実態を、「我が国では、貧困と格差の拡大・所得の二極化が進行し続けている。」と描き出している。
 その日本の実態は、「労働者の賃金は1997年をピークに減少傾向にあり、全雇用労働者のうちに占める非正規労働者の割合も38%を超えるなど、不安定・低賃金労働が蔓延している。また、生活保護利用者は増加し続け、経済・生活問題を理由とする自殺は依然として年間5000人を超え、餓死・孤独死の報道も後を絶たない。このように拡大する貧困問題に対しては、税と社会保障による所得再分配機能の重要性が高まる。しかしながら、社会保障制度改革は、社会保障費を抑制する方向で行われており、国民の生活や老後に対する不安は高まっている」と。

 残念ながら、この決議で示されたように、前回の提示当時と比べても状況はより厳しさを増している。
 このことに加えて「20011年3月11日」の「経験」は、すでに、日本は持続可能な社会では無いことを晒してしまった。
 本来的には、「20011年3月11日」を招いた者としての深い問い直しをしなければならないはずであるににもかかわらず、「成長戦略」をあくまで追求するその姿勢は、自らの瑕疵を覆い隠すために、「成長戦略」の柱としての残業代ゼロのかけ声をより大きくしていると言える。繰り返すことになるが、残業代ゼロは、一握りの享受者だけを豊かにすることを目指したものであり、多くの労働者・市民にとっては多くの犠牲を強いられるものでしかない。

 最後に、「20011年3月11日」の克復は、「成長戦略」の真摯な反省の中でしか達成されないことを指摘する。


by asyagi-df-2014 | 2014-06-02 18:00 | 書くことから-労働 | Comments(0)

梁塵窯の門馬さんのたまごの一輪ざしを


梁塵窯の門馬さんのたまごの一輪ざしを


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 先日のJAZZ&珈琲いとうさんで開かれた梁塵釜の門馬さんの個展で購入した作品です。
 たまごの一輪ざし(10.5×8×8cm)です。
 わかってもらえると思いますが、これしか、いやこれを購入しました。
 どんなところに置くと映えるかなと、あしゃぎの大地の中に置いてみました。

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 これは、あしゃぎのテーブルの上に置いてみました。
 問題は、花を活けないで撮ってしまったということです。
 
 個展に行ったら気をつけること。それは、めぼしい物は早めに購入するということ。
 門馬さんからは、「欲しい物があったら早く購入しなけりゃ」と言われたました。
 話に夢中になっていると、私のような程度の者が気に入った作品は、恐らく誰が見てもよい作品のはずで、早めに買われてしまいます。
 今回も、たまごの一輪ざしは3点展示されていましたが、購入したのは、順番的には私が3番手だなと決めた物でした。


 

祖母の山里にたたずむ陶芸工房   梁塵窯  

是非訪れてみてください。
交流が狭い私ですが、門馬さんの作品は、私にも、「センスとは」ということを感じさせます。 



by asyagi-df-2014 | 2014-06-01 08:00 | 新たな経験 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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