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あしゃぎから-始まりを田植えとともに-

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    (あしゃぎ窓越しの田植え後のたんぼ)

あしゃぎから-始まりを田植えとともに-

 
実は2013年7月に、新築の離れを作りました。
  私にとって、冒険的な試みだったのですが、動き出した物が、行き着くところまで行った結果、木造建築の離れができあがりました。
 この離れを、あしゃぎと、名付けました。
 このあしゃぎのことやあしゃぎにまつわることがらを画像とともに少しずつ書き込んでみたいと思います。

 今日は、田植えでした。
 実際の米作りは、親戚にお願いしているので、夫婦二人で、手伝いをほぼ一日にかけて汗を流してきました。
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 この画像、わかりますか。田植え前の水を張った田んぼに侵入したイノシシの足跡です。

 最近は、イノシシよりも、鹿の被害のほうが大きいと聞きます。電柵を近日中に用意するとも聞きました。本当にこれからは、電柵に人間の生活が守られる日常が始まること
になります。
 私たちは、都市部に生活をし、母一人がいなかに住むということになっていますので、
いろいろなことを考えさせられます。








by asyagi-df-2014 | 2014-05-31 22:19 | あしゃぎ | Comments(0)

大飯原発差し止め判決を考える(2)


大飯原発差し止め判決を考える(2)-2014年5月29日


 もう一度、大飯原発差し止め判決を考えてみます。
 日弁連は会長説明(2014年5月21日)で、この判決を高く評価しました。
 これを参考に、今回の判決の持つ意味をまとめてみます。やはり、それだけの価値のある判決だと考えています。


 まず、判決は「このような原子力発電所に関する従来の司法判断の枠組みからではなく、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、その性質と大きさに応じた安全性が認められるべきとの理に基づき、裁判所の判断が及ぼされるべき」としています。そのうえで、「大飯原発に係る安全技術及び設備は万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立ちうる脆弱なものとし、運転差止めを認めた」と結論づけています。
 この結論は、人間の命の問題に深く関わって判断したものであると言えます。


 この差し止め判決の意義は、まずは、「福島第一原発事故の深い反省の下に、国民の生存を基礎とする人格権に基づき、国民を放射性物質の危険から守るという観点から、司法の果たすべき役割を果たした」ものであったことにあります。 また、この判決で示された判断の多くは、他の原子力発電所にも当然あてはまるものであることから、原発の再稼働の問題も含めて、これからの原発のあり方に広く影響していくことになります。このことの意味は、非常に大きいと言えます。


 「2011.3.11」で顕わになった日本という国の限界を克復するためには、これをもたらしたものを徹底的に分析するなかで批判尽くすしか無いという立脚点に立つことが求められたはずでした。しかし、にもかかわらず、すでにこのことが忘れられ、というよりも一瞬黙ったふりをしていた勢力は「成長戦略」という合言葉を、また再び振りかざしてきています。それも前よりも強い調子で。


 だとするならば、この判決は、毅然として、真の実践を私たちに見せてくれています。
 

資料【福井地裁大飯原発3、4号機差止訴訟判決に関する会長声明】

 福井地方裁判所は、2014年5月21日、関西電力株式会社に対し、大飯原子力発電所(以下「大飯原発」という。)から半径250km圏内の住民の人格権に基づき、同原子力発電所3号機及び4号機の原子炉について、運転の差止めを命じる判決を言い渡した。本判決は、仮処分決定を除くと、2011年3月の福島第一原発事故以降に言い渡された原発訴訟の判決としては初めてのものである。

 従来の原子力発電所をめぐる行政訴訟及び民事訴訟において、裁判所は、規制基準への適合性や適合性審査の適否の視点から、行政庁や事業者の提出する資料を慎重に評価せず、行政庁の科学技術的裁量を広く認めてきた。また、行政庁や事業者の原子力発電所の安全性についての主張・立証を緩やかに認めた上で、安全性の欠如について住民側に過度の立証責任を課したため、行政庁や事業者の主張を追認する結果となり、適切な判断がなされたとは言い難かった。

 これに対し本判決は、このような原子力発電所に関する従来の司法判断の枠組みからではなく、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、その性質と大きさに応じた安全性が認められるべきとの理に基づき、裁判所の判断が及ぼされるべきとしたものである。その上で、原子力発電所の特性、大飯原発の冷却機能の維持、閉じ込めるという構造の細部に検討を加え、大飯原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立ちうる脆弱なものとし、運転差止めを認めたものである。本判決は、福島第一原発事故の深い反省の下に、国民の生存を基礎とする人格権に基づき、国民を放射性物質の危険から守るという観点から、司法の果たすべき役割を見据えてなされた、画期的判決であり、ここで示された判断の多くは、他の原子力発電所にもあてはまるものである。

 当連合会は、昨年の人権擁護大会において、いまだに福島第一原発事故の原因が解明されておらず、同事故のような事態の再発を防止する目処が立っていないこと等から、原子力発電所の再稼働を認めず、速やかに廃止すること等を内容とする決議を採択したところである。本判決は、この当連合会の見解と基本的認識を共通にするものであり、高く評価する。

 政府に対しては、本判決を受けて、従来のエネルギー・原子力政策を改め、速やかに原子力発電所を廃止して、再生可能エネルギーを飛躍的に普及させるとともに、原子力発電所の立地地域が原子力発電所に依存することなく自律的発展ができるよう、必要な支援を行うことを強く求めるものである
                2014年(平成26年)5月21日
                  日本弁護士連合会
                        会長 村 越   進


by asyagi-df-2014 | 2014-05-29 19:05 | 書くことから-原発 | Comments(0)

「銀河オフィス」-ブログ星空珈琲館-ブログ銀河新報-を紹介します。

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「銀河オフィス」-ブログ星空珈琲館-ブログ銀河新報-を紹介します。



 市井のなんでも博士が贈る、星、鳥、花、微生物、の世界。
 なんでもありに興味のある人はブログ「銀河新報」で不思議空間を探してみたり、ブログ「星空珈琲館」で一つの提起を受けてみては。
 思いのほか豊かな世界が広がっています。

銀河オフィス ;  http://www.oct-net.ne.jp/~cluster/ 

例えば、星空珈琲館では、次のような文章があったりします。結構、明晰文章です。 


原発安全神話の崩壊  2011年3月29日


福島第一原子力発電所の事故を受けてドイツの首都ベルリンでは原発の停止を求める25万人規模のデモが行われている。メルケル首相は原発の運転延長を決定したことで窮地に立たされた。地球温暖化に有効でクリーンなエネルギーという唄い文句を掲げてきた原子力産業は大きな転換期を余儀なくされている。

 最近TVを見ていたら、あるニュース解説者が「理科音痴」の素人があまり騒がないほうがよいと風評被害を懸念していた。欧米の人々が騒ぐのは、はたして皆「理科音痴」なのであろうか。某解説者はドイツのことを直接言ったのではないが、それに対して日本人はかなり冷静な行動をとってきた気がする。ネットやテレビ・新聞と高度に情報化された社会であるから、自分の健康は自分で守るという消費者傾向は成熟した社会の理性的な行動でもあると思う。原子力の仕組みは複雑で素人には分かりにくい。今回の原発報道では、むしろ解説者や多くの専門家・東京電力・保安院等の情報発信側のほうが深刻な事実をひた隠しにしてきたように思ってしまうことが多かった。後になって悔やまれることのないよう事実をきちんと伝えていくことが、今だからこそ求められる。保安院の安全を強調することしか考えていない狼狽ぶりが、ますます多くの理科素人である国民を不安や憶測に駆らせると思うのである。

 確かに地震・津波は想定外であったかもしれないが、原発の安全管理にその言葉は使ってほしくない。原発事故の「想定外」とは予見できなかったという責任回避の言葉に利用される。予知出来なかったという善意を強調する「想定外」ではなく、今まで「未必の故意」に相当する安全不作為が無かったのか冷静に正直に総見直しをしてもらいたい。1980年代にチェルノブイリやスリーマイル事故が起きた頃「まだ間に合うのなら」という書物をNHKアナウンサーが翻訳したが、電力業界や経済界による原発安全神話プロパガンダのもとに原発の危険性はかき消されてきた。当時、30基あった原発は1基も減されることがなかったという。被災地の復興は何よりも第一義に行わなくてはならないと思う。しかし、原発被害には天災の中に人災の側面が入り込んでいることをしっかりと押さえておかねばならない。

 原発はクリーンで安全だという宣伝や思い込みのもとに本当にしなくてはならなかった二重三重の安全対策をすることなく、福島の原発事故という未曾有の不良債権を抱えてしまったのではないか。一企業では手に負えない債権は税金投入という今まで再三繰り返されてきた大手銀行や証券会社がとってきた政治的解決を歩むのであろう。国民は年金や国債とともに三重苦の重荷を背負うことになる。こうしたことは作家の広瀬隆さんがずいぶん前から指摘してきたが、政権が変わっても脱原発に着手することが出来ないでいる。今後のエネルギー政策は大きな転換期を求められるのであろうが、脱炭素社会に及び腰だった旧政治体制のもとで我が国の太陽光エネルギー政策はあまりに遅れてしまった。この難局をどう乗り越えていくか、復興と発想転換の正念場を迎え、脱原発への英断と思い切った施策が今こそ必要となっている。


by asyagi-df-2014 | 2014-05-28 17:41 | その他 | Comments(0)

沖縄タイムスの5月22日の1面紙面から見えること


沖縄タイムスの5月22日の1面紙面から見えること


 5月22日の新聞の朝刊は、5月21日に二つの大きな判決が出ましたので、各紙とも興味深いものになりました。
 縁あって、ここ数年地元紙ではない沖縄タイムスを購読しています。
 つくづく思うのですが、沖縄の置かれている状況が、それは背負わされている状況ということになるのですが、この1面からもずっしりと伝わってきます。
 その見出しの主なものを書き出すと次のようになります。

「自衛隊飛行機飛行認めず」
「大飯原発再稼働差し止め」

「県教委、竹富町分離を決定」(八重山教科書)
「基地スト訴訟全面勝訴」(基地問題)
「名護漁協に30億円補償」(辺野古埋立)


 日本という国の矛盾が、個別の課題のなかで、沖縄に集約的に攻撃としてあらわれています。それは、沖縄差別という表現にも繋がっています。
 改めて感じることは、ヤマトンチュウとして、「ちゃーすが」(どうするのか)ということ。
 極めて厳しい課題ではあるが、やれることはあるはずです。


by asyagi-df-2014 | 2014-05-25 06:30 | 沖縄から | Comments(0)

厚木基地騒音訴訟を考える


厚木基地騒音訴訟を考える-2014年5月24日

 
2014年5月21日、厚木基地騒音訴訟で、自衛隊機の飛行差し止め命令が、全国初めてあった。
 朝日新聞は、次のように報じた。

 「米海軍と海上自衛隊が使用する厚木基地の周辺住民らが、騒音による被害を国に訴えた訴訟の判決が21日、横浜地裁であった。佐村浩之裁判長は、過去最高額となる総額約70億円の損害賠償に加えて、自衛隊機の午後10時~午前6時の間の飛行差し止めを初めて命じた。米軍機の飛行差し止め請求は退けた。」

 このニュースの受け止め方は、ちょっと難しいものになった。
 テレビ画面では「自衛隊機の飛行差し止め命令」の字が踊ってはいたが、注意してみると、米軍機の飛行差し止めは退けられていた。
 複雑な思いが残ることとなった。

 結論的にいうと、次の沖縄からの声(例えば沖縄タイムスの社説)が、今回の判決を捉えている。


沖縄タイムス社説-2014年5月22日

厚木基地騒音訴訟 米軍機こそ差し止めよ


 果たして、基地周辺の住民を苦しめている航空機の騒音被害が、これで解消される判決といえるのであろうか。
 米軍と海上自衛隊が共同使用する厚木基地(神奈川県)の騒音被害をめぐり、周辺住民約7千人が国に夜間・早朝の飛行差し止めなどを求めた第4次厚木基地騒音訴訟で、横浜地裁の佐村浩之裁判長は、自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止めを命じる全国で初めての判決を言い渡した。
 一方で米軍機への飛行差し止め請求は退けた。
 損害賠償も基地騒音訴訟では過去最高となる約70億円の支払いを命じた。
 判決は、住民の睡眠妨害などが「健康被害に直接結びつく相当深刻な被害」と認定するとともに、自衛隊が夜間・早朝の飛行を既に自主規制していることから自衛隊機の差し止めで「基地の公共性、公営上の必要性が大きく損なわれることはない」とした。
 原告団は判決に対し「100パーセントではないが一歩踏み出した判決」と喜びの声を上げた。一定の前進ではあろう。
 しかし、騒音の最大の原因である米軍機の飛行差し止めが認められなかったことで、実質的な騒音軽減策は置き去りにされた。
 判決でも触れているように「午後10時から午前6時までの時間帯の騒音は大半が米軍機によると認められる」としているからだ。
 つまり、自衛隊機の差し止めによっても、夜間・早朝の騒音は何ら変わらないということである。
    ■    ■
 厚木基地は、横須賀に配備されている原子力空母ジョージ・ワシントンの艦載機部隊と海上自衛隊の哨戒機などが駐留する。
 米軍機の夜間離着陸訓練(NLP)が実施されるなど、基地がある大和市、綾瀬市などのほか広範囲にわたって騒音被害を及ぼしている。
 自衛隊機に比べ、はるかに住民への負担が大きい米軍機について判決は「支配の及ばない第三者の行為の差し止めを国に求めるもので、棄却を免れない」と、いわゆる「第三者行為論」によって請求を退けた。
 原告団はもとより米軍基地が集中する沖縄にとっても、納得できるものではない。判決によって、あらためて司法が判断を避ける米軍の“不可侵”性が浮かび上がった。
    ■    ■
 県内では夜間・早朝の飛行差し止めなどを求め、嘉手納で第3次、普天間で第2次の訴訟が、周辺住民らが原告となって進められている。
 これまでの判決では過去の被害に対する損害賠償のみを認めている。肝心の米軍機の飛行差し止めなどは、「第三者行為論」によって退けられている。
 だがこれは、最高法規の憲法よりも、日米安保体制を上位に置く思考停止した論理である。人権のとりでである司法の役割を自ら放棄した判決と言わざるを得ない。
 自衛隊機によって健康被害が生じれば飛行を差し止め、米軍機に対しては差し止めないというのであれば、日本は米国の「属国」というほかない。


by asyagi-df-2014 | 2014-05-24 05:44 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

大飯原発差し止めを考える


大飯原発差し止め判決を考える-2014年5月23日

 朝日新聞は、2014年5月22日の朝刊で、次のように報じた。

 「関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)をめぐり、住民らが関電に運転の差し止めを求めた訴訟の判決が21日、福井地裁であった。樋口英明裁判長は「大飯原発の安全技術と設備は脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない」と地震対策の不備を認定し、運転差し止めを命じた。関電は22日にも控訴する方針。」


 やはり、関電は、22日に早速控訴した。


 この判決では、「原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。」と、結論づけた。
その理由として、「人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。」 と、まさしく命の侵害に対するあたりまえの権利の問題として原発の運転差し止めを位置づけた。
 また、「原子力発電所に求められるべき安全性」については、「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。」と、明快に事の本質を整理して見せた。
 さらに、原発を巡る現状を、「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」と、整理した。


 この判決は、「2011年3月11日」がさらけ出した物を、どのように克復するのかについて、真摯に判決として受け止めたものであったと言える。
 だとしたら、同様なことを、一人一人のあり方として、私たち自身が問われている。
 この判決を受けて、気づかされることは、この判決は私たちの身近にすでにあるということである。
 遠慮することも、怖がることもない。


by asyagi-df-2014 | 2014-05-23 21:39 | 書くことから-原発 | Comments(0)

「器と5月の野の花と・・・」 個展をたずねて

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  JAZZ&珈琲いとう    5月の野の花のたたずまい











f0345938_22442058.jpg雑木林の中にたたずむJAZZ&珈琲いとう















「器と5月の野の花と・・・」 個展をたずねて

 梁塵釜の門馬進さんから「眼下に広がる雑木林と心地よいジャズの響き。九州山地の只中に静かに佇む不思議な空間で、季節の野の花と陶の器をお愉しみ下さい。」とのお誘いの葉書が届きました。
 これまでも何回かはその個展にお邪魔してきたのですが、今回は佐伯市宇目町の「JAZZ&珈琲いとう」さんで開かれるとのこと。
 このところの珈琲屋さん巡りにもつながり、早速尋ねることにしました。
 大分市からは、ほぼ50分ぐらいの距離であり、一人で行くよりは仲間が必要と友人のMさんに声をかけ、気持ちよく一緒に出かけました。


 「JAZZ&珈琲いとう」は、1コインでどんぐり珈琲とクッキーをゆっくり堪能できる店でした。5月の野の花を見事に活けた店の奥さんから、優しい笑顔とともに、「いつでもどうぞ」と声をもらいました。また、奥さんは、2月の早朝の冬の模様がことのほか素晴らしいとも語ってくれました。
 新緑のクヌギ林のなかの「いとう」のそのたたずまいは、紅葉、冬の各時期の美しさを充分想像させるものでした。


 実は、Mさんには、素晴らしいオーディオが見れてJAZZも聞けるからと、誘ったのでした。その効果があったのか、「いとう」のご主人と、真空管の自作アンプとJBLのスピーカーのことで、個展の器達とはあまり触れあうこともなく、個展に訪れた人には目もくれず、長い時間話し込んでいました。
 長くなりすぎた話の続きを、奥さんからの「こちらの部屋でゆっくりどうぞ」と、木製の大きなダイニングテーブルでどんぐり珈琲をいただきながら再開しました。
 ただし、ここで始まったのは、ご主人の見事なまでの山仕事のこと、鹿、イノシシのことについてでした。
 本等に久しぶりに豊かな時間を持つことができました。


 そうでした肝心の「器と花」についは、これまた心に充分響くものがありました。ちなみに、門馬さん制作の丸の一輪挿しを購入しました。後日、紹介します。

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JAZZ&珈琲いとう さんは、大分県宇目町にあります。
いとうさんの近くには、ちょっと有名な「トトロの森」があります


by asyagi-df-2014 | 2014-05-22 18:00 | 新たな経験 | Comments(0)

始まり


再出発として。

 「交流地帯」という自前のホームページを運営していた時がありました。
 今、再出発の想いの基に、このブログを始めようと思います。

 ここ最近、壊されているという実感があります。
 もちろん、「壊されるに値する物を作り上げてきたのか」という反省もないわけではないのですが、壊される物がこれほどはっきりと視覚に捉えられてきた現実が、このブログに繋がっています。

 だから、新しい地平へ、新交流地帯をと。

 始まりました。
 よろしくお願いします。

 2014年5月21日


by asyagi-df-2014 | 2014-05-21 17:09 | その他 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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