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本からのもの-日本人のための平和論

著書名;日本次のための平和論
著作者:ヨハン・ガルトゥング
出版社;ダイヤモンド社


 ガルトゥングの「日本次のための平和論」における主張のすべては、次のことに尽きる。


 日本を苦しめている問題の根本原因は何か。そうたずねられれば、まず米国への従属という事実を挙げなくてはならない。近隣諸国とのあいだで高まる緊張はその帰結である。


 つまり、日本の実態は国際的に見てもこう取られざるを得ないものであるということである。
 鳩山元首相の「県外移転」発言が、自分自身の一つのタブ-を破ったように、当たり前の主張なのだということをあらためて確認している。
ここで、この本で赤線を引いた箇所を引用する。


(1)アメリカ人は、報復は禁止されているが先制攻撃や予防的暴力は禁止されていない、と強弁する。・・・つまり、報復ではないということで暴力を正当化しているわけである。・・・これが米国が行っていることの実態、より正確にいえばアメリカ帝国が行っていることの実態である。帝国とは、中央と周辺のあいだに不公平な交換が行われるシステムのことだ。そこには、経済的には搾取と被搾取、軍事的には殺害と被殺害、政治的に支配と被支配、文化的にはモデルと模倣という関係が存在する。周辺諸国の仕事は、帝国の敵に先制攻撃を仕掛け、帝国の被害を予防するための殺害である。


(2)ととえば、だれかが「私たちは広島に原爆を落とさなくてはならない。それは神が私たちに与えた使命だ」と主張すれば、ほとんどの人がその正気を疑うだろう。しかし、その主張が隠されたかたち、あるいは無害な表現にかたちを変えられて発せられたら、気づかいないうちに心の底に根を下ろすおそれがある。いつの間にか意識化で同じ考えを持つ人々で部屋がいっぱいになったら、集団が一気にその方向で動き始めるかもしれない。その意味では、だれも疑いを差し挟まない、当然のことと思われる考えほど、一気に間違った行動を引き起こす危険性を秘めていると言える。そういうわけで私は、世界を旅し、各国の深層分化を探り、隠された筋書きの存在に警鐘を鳴らしている。アベノミクスEU種の文化人類学的アプローチで平和学に取り組んでいるところである。


(3)正当化できる暴力-武力介入-というものがあるのだろうか。私は以下の条件が満たされるなら、最後の手段として力の行使は否定できないと考える。
1.直接的または構造的な暴力による苦しみが耐えがたいレベルに達している。
2.考え得る平和的手段はすべて試したが効果がなく、外交交渉も役に立たない。
3.暴力の行使が必要最小限に抑えられること。
4.勝利や英雄的行為の追求ではなく、正しい動機に基づく行動であるか、慎重なじこぎんみがおこなわれること。
5.平和的で非暴力な手段の模索が並行して続けられること。


(4)(「暴力に関するセビリア声明」」)
 声明は最後にこう結ばれている。「戦争が人間の心の中で起こるように、平和もまた人間の心の中で起こる。戦争を生みだした人間は、平和を生みだすこともできる。戦争も平和も責任は私たち一人ひとりにある。


(5)テロリズムとは、政治的目標を達成するための暴力をともなう戦術である。政治的手段としての暴力には、テロリズムを含めて4つの形態がある。
1.戦争
2.ゲリラ戦
3.国家テロリズム
4.テロリズム


(6)戦争は、軍服を着た兵士が、別の軍服を着た兵士と闘うことである。軍服を着用することで兵士に敵を殺す資格が与えられる。ゲリラ戦は、軍服を着用しない兵士が軍服を着用した兵士と闘うことである。国家テロリズムは通常、軍服を着た高官が軍服を着ていない民間人の上に爆弾を落とすことである。そしてテロリズムは、民間人が民間人を攻撃することである。形は違うが、すべてに共通するのは、政治目的のために暴力を使うということだ。・・・戦争とは他の手段を持ってする政治の延長である。だとすれば、ゲリラ戦も、国家テロも、そして単純なテロも、すべて政治の延長ということになる。しかし、政治目的を達成するためであれば、はるかにすぐれた方法がある。対話。協調行動、共同プロジェクト、トラウマの解消、根底にある対立の解消などがそれである。


(7)残念なことだが世界のどの国でも、すべての外国人が潜在的なテロリストとなる。米国、イギリス、オーストリア、フランス、そして日本でも。っだから世界は新たな外国人嫌悪の時代に入った。恐怖と嫌悪の対象は時代とともに変わる。かってそれはロシア人であり東ヨ-ロッパ人であった。今日それはイスラム教徒となり、そこにふたたびロシア人が加えられつつある。・・・暴力の根底にはトラウマと対立がある。私たちは何がトラウマとなっているのかを見極め、対立の原因を知る努力を必要がある。そのためには、もしかしたら将来テロリストを輩出するかもしれない集団とも腹を割って対話し、彼らと敵対している自分たちの立場を自問することも必要である。100%成功する和解の方法があると考えるほど私は愚かではない。あらゆる戦争や対立に効く万能薬はない。だが確かに言えることは、何もしなければ日本は相次ぐテロの標的になるということである。誰もそんなことは望まないはずだ。


(8)私は、日本は労働力不足問題は移民に頼るのではなく、自国でできる解決策に着手すべきだと言いたい。移民に頼る方向に舵を切る前に、産業分野ではハイテク技術のさらなる活用や高齢者の活用、農業分野では、高齢者の活用による農業再建を考えるべきだ。 とくに農業再建は日本にとって重要なテーマで、安全保障の基本である食糧自給にも繋がる。そのためには衰退の一途を辿る農村の活性化が急務だ。方策としては、若者と高齢者をつなぎ、高等教育を受けた人々とそうでない人々をつなぎ、農業と小規模な製造業をつなぐための協同組合を推奨する。
 そこに教育的要素を加味することで、若者たちは農村での暮らしを体験し、農村の人々は若者たちを通して都市の文化に触れることができる。社会が、過疎化した時代遅れの農村集落と、さまざまな機会や創造性を謳歌する都市に二分化されたような時代はもう終わりにきている。両者をミックスすることでよりよい未来が開けるはずだ。
 日本農民は土地に感謝し、土地を慈しみ、土地とともに生きようとする志を持っている。しかし、だからといって昔ながらの手法に縛られる必要はなく、新しい方法でも農業を営むことはできるはずだ。高齢者だけになり、彼らが働けなくなったら農場が崩壊し、地域が過疎化してしまうような農業は、とても持続可能とは言えない。


(9)平和には「消極的平和」と「積極的平和」がある。ただ暴力や戦争がないだけの状態を積極的平和、共感に裏付けられた協調と調和がある状態を積極的平和という。
 平和運動の原点から言えば、消極的平和のための運動は、戦争反対を訴えたり、対立の解消やトラウマの緩和をめざすもので、意識は過去や現在に向けられていると言える。一方、積極的平和のための運動は、新しい仕組みや協力関係を築こうとするもので、意識は未来に向いていると言える。


(10)消極的平和のための運動の問題は、前向きなメッセージが伝わらないという点にある。伝わるのは、何かに対する拒絶だけである。反対の考え方を持つ人々を変えられないばかりか、より強い反感を抱かせることも少なくない。何かに反対しているということだけで、内容に関係なく抵抗感を抱く人もいる。ノルウェーではこれを「否定の平和」と言う。その反対派「肯定の平和」である。
 人々の考えを変え、賛同者を増やしたいのなら、何か前向きで肯定的なこと、すなわち積極的平和のメッセージを発することが必要である。政府を動かしたいのなら、避難や罵倒ではなく、彼らが積極的に取り組める提案や要求を肯定的なメッセージに乗せて伝えるのである。そのメッセージを掲げて、権力の中枢である国会や省庁に足を運び、議員や官僚と対話をするとよいだろう。この方法はいくつかの国で一定の成果を収めている。
「沖縄を平和の島に!」
「尖閣に日中友好の家を作ろう!」
「和解の少女像を大使館前に!」
「無限の自然エネルギーを活用しよう!」
 これが積極的なメッセージであり、そこに込められた政治的意志は聞く人の耳に届くだろう。「戦争反対」は正しいメッセージだが、それだけでは十分ではないのである。


(10)今の日本を見ると、今や想像力も勇気も見る影はなく、ワシントンから聞こえてくる主人の声に従うという態度が蔓延している。国の独立と外交政策における想像力は足並みを揃えて進。それこそが、日本が米国から独立しなくてはならない理由である。もし日本が米国の呪縛から自らを解き放つことができれば、持てる想像力と勇気を-今度は戦争のためではなく平和構築のために-解き放つことができる。そうすれば、対等な立場で米国と良好な関係を結ぶことができ、平和実現のために独自の外交を展開することもできる。


(11)ショ-ペンハウア-の4段階
1.沈黙-新しい考えに触れたとき、人々の最初の反応は沈黙である。
2.嘲笑-「現実がわかっていない」「バカじゃないのか」と否定される。
3.疑い-「本当に狙い何だ?」「だれかの回し者だろう」と疑いの目で見られる。
4.同意-「私も前からそう考えていた」と言われる(この反応は政治家に多い)。
 これに当てはめるなら、鳩山は「嘲笑」の段階にいる。日本で鳩山の評価が低いのは、米国の意に反してモスクワとの関係を改善しようとして罰せられたからだと私は考えている。彼が他国のエージェントだと疑われているとまでは思わないが、集団主義的な日本人は、鳩山由紀夫という名前に対する適切な反応は冷笑であると学んだようだ。日本全体がそう反応しているように思えてならない。


(12)以上の認識と危機感から、私は新しい憲法9条の制定に賛成する。しかしその内容は、憲法改正を望む大方の人々が考えている内容とは異なる。私は、新9条が、より前向きな意思の表明となることを願う。これまで通りの反戦憲法であるにとどまらず、積極的平和の構築を明確に打ち出す真の平和憲法であって欲しい。平和とかを何か明記し、公平と共感の精神を高く掲げるものであったほしい。



こうしたヨハン・ガルトゥングの指摘は、2017年6月23日の翁長雄志沖縄県知事の「平和宣言」を鮮やかに蘇させる。
 「平和の礎」の建立こそ、積極的平和主義の道筋であり、この「平和宣言」には、世界への平和のメッセージが鋭く盛り込まれたいた。
 最後に、「今の日本を見ると、今や想像力も勇気も見る影はなく、ワシントンから聞こえてくる主人の声に従うという態度が蔓延している。」、との言葉は、まさしく、 日本という国が、「米国の目下の政府として、対米従属政策を『国是』とする」、ことを言い当てたものである。




by asyagi-df-2014 | 2017-07-05 05:45 | 本等からのもの | Comments(0)

新垣勉弁護士の『最高裁判決後の辺野古問題』を読む。

著書名;最高裁判決後の辺野古問題(上)(下)
著作者;新垣 勉
掲載紙;沖縄タイムス(2017年1月9・10日) 


 沖縄タイムスに、新垣勉さん(以下、)新垣とする)の「最高裁判決後の辺野古問題」が掲載された。
 この新垣の論を基に、新基地建設反対の今後について、特に埋め立て承認の「撤回」処分について考える。
 なお、新垣のこの文章は、実は、「司法への信頼が揺らぐ中で、再度の司法判断を求めることはなかなか困難なことではあるが、展望を切り開くために苦しいながらも道を切り開くしかない。」、との言葉に集約されるものである。


 新垣は、まず最初に、最高裁判決の結果を、このように解釈する。


「名護市辺野古の新基地建設を巡る違憲確認訴訟で昨年12月20日、県敗訴の最高裁判決が出た。これを受けて同月26日、翁長雄志知事は埋め立て承認取消処分を取り消した。残念ではあるが、事態を冷静に受けとめなくてはならない。」


 この上で、新垣は、「判決を踏まえて県民がさらに前進するためには、最高裁判決の射程とその意味を正確に理解し位置づけ、今後の対抗策を議論することが必要である。」、と提起する。
そして、この最高裁判決の「積極的」な意味を次のように捉える。


「最高裁判決は1点を除いて、福岡高裁那覇支部判決の判断枠組みを踏襲した。最高裁判決が高裁判決の誤りを是正した点は、高裁判決が取消処分は原処分に『違法』がある場合に限られると判断したのに対し、原処分が『違法』な場合だけでなく『不当』の場合にも取り消すことができると明示した点である。この是正は、従来の最高裁判決の流れに沿うものであり正当である。」


 この場合の最高裁判決判断枠組みについての要約と特徴を次のように示す。


「①仲井間弘多前知事は埋立要件適合性判断を行う裁量権を有している②埋立承認は裁量判断の範囲内であり、『違法・不当』とが認められない③ゆえに、翁長知事は埋立承認に『違法・不当』があることを理由にこれを取り消すことができない。この判断枠組みの特徴は、いったん行われた行政処分を取り消す場合の法的要件を『原処分に違法・不法が認められるとき』と明確にし、前知事の『埋立承認』判断に『違法・不当』があるか否かに的を絞って判断した点にある。」


 この上で新垣は、「最高裁判決は、本件においては、翁長知事の判断が取消要件たる第1要件を充足しているか否かを判断するだけで足り、第2要件の有無まで判断する必要がないとの判断示したといえよう。」、とこの最高裁判決を結論づける。
 なお、この場合の第2要件について、新垣は、次のように定義する。


「処分を取り消すことによって生ずる不利益と取り消ししないことによる不利益とを比較考慮し、当該処分を放置することが公共の福祉に照らし著しく不当である要件」


 次に、新垣は、この最高裁判決について次のように示唆する。


「ところが、最古祭判決は第2要件については全く判断を行わなかった。この点は重要である。なぜなら、第2要件は『取消』の場合だけでなく、『撤回』を行う場合の要件を更正すると解されるからである。」


 
  ここで、新垣は、埋め立て承認の「撤回」処分について言及するのである。この場合の「撤回」権限もあわせて次のように説明する。


(1)「埋立承認をめぐる取消処分問題の最大の核心は、前知事が行った埋立承認が県民にとって今後も維持すべき「適切な判断」といえるか否かにある。」
(2)県民が埋立承認を『不適切な判断』と評価し、それが取り消されるべきものだと考えていることは明らかである。この状況は最高裁判決後も変わらないと思われる。翁長知事の真意も、地方自治体の長としてこの民意をどのように実現するかにあるといえる。
(3)不法は二つある。一つは、法的措置で埋め立て工事を阻止することでああり、二つは、政治的力で埋め立て工事を中止させることである。
(4)これまでの経過が示すように、法的対抗措置は極めて効果的であった。一昨年10月の『取消処分』以来、1年間も国の埋め立て工事を中断させたことの意義は大きい。国は最高裁判決を受けて埋め立て工事を再開したが、工事を進めるためには県知事との協議・許可等を要する事項がいくつも存在している。これらの権限は今後の有力な対抗策の法的根拠となる。
(5)これらの権限と同様に、もう一つ強力な権限が知事に残されている。それが埋め立て承認の『撤回』権限である。『撤回』処分は、埋立承認に『違法。不当』があることを理由とするもののではなく、埋立承認後に新知事が誕生し政策変更(民意)を行ったことを理由に『埋立承認を将来に向かって取り消す行政行為』である。これまでの一連の判決の影響を受けない『新しい処分』となる。


 新垣は、最後に、「撤回」処分の意味と今後の道筋について、あらためて次のようにまとめる。


(1)今回の名護市辺野古の埋め立て承認取消処分は、「法的対抗措置」であっtが、その基本的性格は民主主義の本質に立脚した「民意に根ざす対抗措置」であった。最高裁判決は、前知事が行った埋立承認には「裁量権の逸脱」はなく許される一つの政策判断であったと判断した。しかし、この司法判断は前知事が「適切な判断」を行ったことを意味するものではない。単にそれが「違法・不当」ではなかったと判断したにとどまる。「違法・不当」でないということとそれが「適切な判断」であったかどうかとは異なる。
(2)知事は地方自治体の長として、住民のために複数ある選択権の中から「最も適切な際策」を選択し実現する責務を負っている。そこに住民から託されている行政権の本質と特徴がある。埋立承認に「違法・不当がないと判断された現在、残された課題は埋立承認を「今後も維持するのか、撤回するのか」の判断である。
(3)この判断を決するのは、行き着くところ県民の「民意」である。埋立承認が「適切であったか否か」を問う最も直接的な法的対抗措置は、県民の民意を根拠とする「撤回」処分ある。この撤回処分は、埋立承認後の新知事誕生に伴う政策変更(民意)を理由とするものであり、法的に十分理由が存在するものである。
(4)最高裁判決の最大の弱点は、埋立承認に「違法・不当が存在するか否か」だけを判断し、取消処分が「民意」に基づく選択として「適切であったか否か」を判断していない点にある。そこで改めて、翁長知事の判断、すなわち「埋立承認は維持すべきでない」との判断の是非を司法の場で判断してもらうためには、「撤回」処分が効果的であり有用である。
(5)最高裁1988年判決(指定医指定撤回事件)は、撤回を行う法的要件として「撤回によって被る不利益を考慮しても、なおそれを撤回すべき公益上の必要性が高いと認められること」を挙げている。「撤回」の法理は、本件で「埋立承認を撤回することにより生じる国の不利益」と「撤回して新基地建設を行わないことにより生じる県民の公益性」を比較考慮し、公社の必要性が前者を上回ると評価できれば、法的に「撤回」を行うことができることを教える。
(6)「撤回」処分の正当性を明確に打ち出すためには、若干の期間と費用を要するものの、埋立処分の「撤回」の是非を問う県民投票を行うことが有用である。強大な国家権力に対抗する道は徹底して「民衆の力」に依拠することである。県民投票は、撤回の法的理由を明確にすると同時に、翁長知事の政治的決断を支える強固な基盤となる。今後の長い闘いを見据えたとき、その意義は大きい。
(7)そうは言っても、国は「国益」を理由に「民意」を押しつぶすために、今回と同様の訴訟を仕掛けてくることは間違いない。私たちはこの訴訟の中で、改めて「何が県民の公益に合致するのか」を問い掛け、公有水面埋立法が何ゆえに知事に判断権を付与したのかを求めて最高裁判所の判断を仰ぐことになる。司法への信頼が揺らぐ中で、再度の司法判断を求めることはなかなか困難なことではあるが、展望を切り開くために苦しいながらも道を切り開くしかない。


 さて、新垣の説明よって、「撤回」処分については、次のことが明確になった。


Ⅰ.最高裁判決は、前知事が行った埋立承認には「裁量権の逸脱」はなく許される一つの  政策判断であったと判断した。しかし、この司法判断は前知事が「適切な判断」を行  ったことを意味するものではない。単にそれが「違法・不当」ではなかったと判断し  たにとどまる。「違法・不当」でないということとそれが「適切な判断」であったか  どうかとは異なる。
Ⅱ.埋立承認に「違法・不当がないと判断された現在、残された課題は埋立承認を「今後  も維持するのか、撤回するのか」の判断である。
Ⅲ.埋立承認が「適切であったか否か」を問う最も直接的な法的対抗措置は、県民の民意  を根拠とする「撤回」処分ある。この撤回処分は、埋立承認後の新知事誕生に伴う政  策変更(民意)を理由とするものであり、法的に十分理由が存在するものである。
Ⅳ.この場合の「撤回」の法理は、「埋立承認を撤回することにより生じる国の不利益」  と「撤回して新基地建設を行わないことにより生じる県民の公益性」を比較考慮し、  公社の必要性が前者を上回ると評価できれば、法的に「撤回」を行うことができるこ  とを示す。また、「埋立承認は維持すべきでない」との判断の是非を司法の場で判断  してもらうためには、「撤回」処分が効果的であり有用である。
Ⅴ.知事の権限としての埋立承認の「撤回」権限に基づく「撤回」処分は、「埋立承認を  将来に向かって取り消す行政行為」である。また、この「撤回」処分は、「これまで  の一連の判決の影響を受けない「新しい処分」である。


 また、新垣は、「強大な国家権力に対抗する道は徹底して『民衆の力』に依拠することである。」、とその闘いの基底を見据える。その上で、「県民投票は、撤回の法的理由を明確にすると同時に、翁長知事の政治的決断を支える強固な基盤となる。今後の長い闘いを見据えたとき、その意義は大きい。」、と今後の道筋を提起する。
 もちろん、「司法への信頼が揺らぐ中で、再度の司法判断を求めることはなかなか困難なことではあるが、展望を切り開くために苦しいながらも道を切り開くしかない。」、とも。


 最後に、新垣は「最高裁判決は、本件においては、翁長知事の判断が取消要件たる第Ⅰ要件(それは、)「違法・不当」があるかどうか)を充足しているか否かを判断するだけで足り、第2要件の有無まで判断する必要がないとの判断を示した」、と記述しているが、現在の司法の姿を見たとき、これは、この国と司法の「決意」を表しているとも言える。
 つまり、「『撤回』処分については、判断の必要性は認められない。」との結論である。 ここで、新垣の「司法への信頼が揺らぐ中で、再度の司法判断を求めることはなかなか困難なことではあるが、展望を切り開くために苦しいながらも道を切り開くしかない。」、という言葉が蘇る。


 新垣の「強大な国家権力に対抗する道は徹底して『民衆の力』に依拠することである。」、とは、沖縄県民だけでなく、いやむしろ、日本人全体に向けられた投げかけなのである。 




by asyagi-df-2014 | 2017-01-24 08:29 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-沖縄・高江 いま、何が起きているのか

著書名;「週刊金曜日 9/30 1106号」-このでたらめさ、まるで無法地帯 緊急特集沖縄・高江
著作者:野中大樹・福元大輔・渡辺豪・黒島美奈子
出版社;週刊金曜日



 週刊金曜日は、「1106」号で、「このでたらめさ、まるで無法地帯」、と緊急特集沖縄・高江を組んだ。
この緊急特集を読む。
例えば、高江について、黒島美奈子は、このように描写する。


 こんもりと濃い緑は、上空から見ると上質の絨毯のようだ。常緑樹が枝を張り、その下に亜熱帯性の植物が幾重にも層をなす。沖縄本島北部に広がるその森は「やんばるの森」と呼ばれる。71年前、辛くも沖縄戦の戦禍を逃れ、今や日本随一の多様な生態系を有する。その一部は9月15日、33番目の国立公園に指定され、さらに今後同地域と奄美諸島を含む一帯の世界自然遺産登録を目指す。
 それが今、「高江問題」と言われ、数百人の機動隊と建設に反対する住民らの衝突が報じられる現場だ。米軍北部練習場の面積の約4割分を返還することを条件に、日本政府はこの森に、新に六つのヘリパッド建設を進めている。


 この「高江問題」について、野中大樹・福元大輔・渡辺豪・黒島美奈子の各記事で考える。


(1)野中大樹-「住民と暮らしの間で”国境”に遮られたふたつの沖縄」


 野中大樹〈週刊金曜日編集部〉は、まず、「住民の暮らしの間で”国境”に遮られたふたつの沖縄」、と高江が置かれている状況を紹介する。


 参院選直後から、沖縄県東高江の米軍ヘリパッド建設工事が、反対する市民を力で排除して強行されている。沖縄の負担軽減を名目とした日米合意に基づくが、辺野古新基地建設とともにさらなる痛みを強いるものだ。しかし地元首長がヘリパッド建設を容認していることもあり焦点になりにくい。政府はそこにつけこみ違法行為を繰り返している。


 そして、「まるで戦争状態」の現在の高江の様子を、「まるで戦争状態に入った二つの国の国境線のようだ。」、と伝える。


 7月10日の参議員選挙では名護市辺野古の新基地建設にも高江ヘリパッド建設に沖縄にも反対する伊波洋一氏が当選したが、国はその数時間後、高江の建設工事を強行しはじめた。抗議する市民も方々から集結する。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で状況を知り県外から来る人もしくなくない。市民らは抗議の拠点を数日のうちに構築。森の中に、ブルーシート製のテント村が忽然と現れた。その奥には、米軍の訓練場に通じる道がある。しかし金網が張られ、網の向こうには3人の警備員が仁王立ち。まるで戦争状態に入った二つの国の国境線のようだ。


 続いて野中は、「国の焦りと強行策」と、高江の今の報告を続ける。


 高江では、すでに完成したN-4地区のヘリパッド〈二つ〉以外に、3か所で建設工事が進んでいる。N-1地区〈二つ〉、H地区、G地区の3か所、計四つで、いずれもオスプレイパッドだ。米海兵隊は、海からゴムボートで海岸線に上陸し、森林へと攻め込み、森の中のヘリパッドからオスプレイで脱出-という複合訓練を計画している。訓練実施にはヘリパッド完成が不可欠だ。
 9月26日の安倍晋三首相による所信表明演説では高江の米軍基地返還を「本土復帰後、最大の返還」と強調した。しかし、内実は攻撃能力を高める訓練を可能たらしめるものであり、米海兵隊の資料においても、返還されるのは、「北部訓練場の使い道のない土地」(unusable Nortyern Training Area)とされている(「2025戦略展望」)。
 オスプレイを作戦に組み込んだ訓練がすでに日常化しているのだ。完成したN-4地区の
パッドから約400メートルの位置で生活している安次嶺雪音さんは話す。
 「この6月からの訓練はひどいものでした。以前は1回の訓練時間を短く、1日~2日で終わることが多かったのですが、6月以降は日中もちろん夜は11時頃まで、それも毎晩です。1回の訓練時間も長くて、子どもは夜目を覚まして眠れなくなります。すると朝も起きられない。私がイライラすると、そのイライラは子どもに伝わるんですね・・・もうここでは生活できないと、子どもが夏休みに入る前に国頭村に非難しました」
 安次嶺さんは東村に何度も訓練を控えるよう沖縄防衛局(嘉手納長)に伝えてほしいと訴えてきた。7月に国が故事を強行してきたのは、まさに安次嶺さんが
要請していた最中だ。
 「余計にショッックでした。村民の暮らしなど、どうでもいいということなんでしょう」 国はなりふりかまわぬ態度で作業を強行する。9月13日には重機の運搬に陸自ヘリ(CH-47)が使われた。24日、稲田朋美防衛省と県庁で会談した翁長雄志知事は、「抗議活動のために工事が進まず、自衛隊ヘリを使わざるをえなかった」と説明する防衛完了に対し、「それが上から目線なんだ」「沖縄の長い歴史を踏まえないといけない」と主張した(『沖縄タイムス』9月25日付)
 上から目線であるだけではない。警察によるテント撤去、道路の検問封鎖、先の陸自ヘリの使用など、法的根拠すら曖昧な行為に及んでいる。9月23日にはダンプ11台が3往復して砂利を運んだ。過去最多だ。9月中旬以降、市民が集会する中をダンプが突っ切たり、作業の遅れを鳥戻そうと国も必死だ。


 あわせて、野中は、「抗議活動の持続の難しさ」と高江の闘いを伝える。 


 一方で抗議活動に対する高江地区住民の反発もある。抗議する市民の車が道を塞ぎ畑に通えないという農業者、道路が封鎖されて通勤の時刻に遅れたという勤め人などからは煩雑に苦情が寄せられている。
 県の姿勢も煮え切らない。翁長知事は機動隊の強行姿勢に遺憾の意を述べているものの、ヘリパッド建設そのものに異を唱えていない。翁長知事を誕生させた「オール沖縄」は辺野古新基地建設反対では成立したが、高江では成立しにくい現実がある。高江の抗議活動をウオッチしている捜査関係者は「翁長知事は辺野古にしか反対できない。高江の抗議活動は必ずしも地元住民の理解が得られていない。抗議活動は孤立化する可能性もある」と語る。
 抗議を続けることには苦難がついてまわるのだ。高江住民の中には、抗議活動から一歩身を引きながらも、オスプレイノの訓練が日常化すればそれこそ日常生活への支障が大きいと、心の内では理解している人も多い。
 国は期限までの完成に向けて血眼だ。重要な局面にさしかかっている。
 


(2)福元大輔-「日本マネーで建設される最新鋭ヘリパッド」


 福元大輔は、「日本マネーで建設される最新鋭ヘリパッド」の記事で、高江の工事が、「負担軽減」どころか基地機能の強化であることについて、解き明かす。


 日本最大の面積を誇る米海兵隊の「北部訓練場」7543ヘクタールのうち、半分以上の3987ヘクタールの返還は、1996年12月の日米特別行動委員会(SACO)最終報告に盛り込まれた。返還部分の7ヶ所のヘリパッドを、日本政府の責任で残余部分に移設することが条件だった。訓練場内には、すでに22ヶ所のヘリパッドがある。7ヶ所が返還されても15ヶ所が残る。何故移設が必要なのか。
 ヘリパッドには、それぞれ特徴がある。そこでの訓練を米軍は「制限値着陸」よ呼ぶ。戦場や災害地への物資、人員の輸送を担う航空部隊のために、地形や風、形状など制限、
制約がある中での訓練を目的にしている。当然、新たなヘリパッドには、他とは違う役割、
機能が求められる。沖縄防衛局が実施した環境影響評価に殉ずる「自主アセス」では、新たなヘリパッドは、上陸訓練と連動する形で使用する狙いが明記されている。
 艦船から海に投下したゴムボートなどで歩兵部隊が上陸し、空からヘリコプターでの支援や逃げ遅れた兵士の救出作戦を展開する訓練に利用するとみられる。さらに、海兵隊の新型輸送機「MVオスプレイ」の高音排気熱に耐えうる構造になっている。つまり、「沖縄の負担軽減」を理由に、米軍はちゃっかり、日本政府の予算で時代に合った新施設を手に入れようとしている。そうなれば、土地は返還されても、使い勝手がよくなった沖縄の基地の重要性は増し、海兵隊の駐留が続くことになる。騒音被害や事件・事故の危険性も
除去されないというのが沖縄側の見方だ。
 高江の問題は全国的に注目されていないが、普天間飛行場の名護市辺野古移設と同じ、SACOの合意事項だ。95年の米兵による痛ましい事件をきっかけに、「沖縄の負担軽減」を目指し、日米両政府が協議した結果、逆に沖縄の基地機能が強化されるのではないか、という懸念や怒りが高まる。


(3)渡辺豪-「国の勝訴ありき」で進んだ「辺野古違法確認訴訟」


 渡辺豪は、この間の、沖縄と国の関係を、いや、国の沖縄への「構造的沖縄差別」をあらためて示すことになった「辺野古違法確認訴訟」について、このように記す。
まず、裁判結果について。


 「裁判所は政府の追認機関であることが明らかになった」
 翁長知事の言葉には、司法があからさまに政権側に立ち、「政治に口をはさんだ」ことへの驚きと不信、憤りがにじんでいる。
成蹊大学法科大学院の武田真一郎教授〈行政法〉も同じ認識だ。
 「本土を含めた国民全体で真剣に取り組めば代替案はあり得るのだから、そのような政治的課題について裁判所が断定する権限はない。本判決は司法権逸脱判決と指摘されるが、その通りだ。」


 渡辺は、この判決について、「今回の判決は政治判断を伴う国の基地政策を無批判かつ一方的に肯定し、『事実』として論旨に盛り込むことを厭わなかった、という点で極めて異例だ。」、と批判する。
 また、渡辺は、高裁判決に至る一連の流れについて、次のように指摘する。


 武田教授は、高裁判決に至る一連の流れをこう批判する。
 「当初の国の代執行と執行停止は、あまりに非常識だから取り下げさせたが、是正の指示をすれば国の主張を認めるという筋書きが和解勧告の段階でできていたのでしょう。そうでなければ、これだけ重大な問題がわずか2回の弁論で結審きるはずがない」
 多見谷裁判長は、沖縄県側が答弁書を提示する前に国側の訴状だけで「争点メモ」を作成していた。審理が始まると、県側が申請した8人の承認申請をすべて却下した。県の主張を入り口で切り捨てた結果、提訴から2カ月足らずの「スピード判決」となった。
 異様だったのが、口頭弁論での翁長知事への本人尋問だ。
「判決確定後はただちに従い、誠実に対応するか」(国側代理人)
 「県が負けて最高裁で確定したら取り消し処分を取り消すか」(多見谷裁判長)
 県敗訴を前提に国側代理人とともに知事に詰め寄る裁判長の態様は、司法の公正中立を疑わせるものだったが、実は同じ言葉が政府からも審理前に発せられている。
 菅義偉官房長官は、県を相手取って違法確認訴訟を起こすと表明した7月21日の会見でこう述べた。「確定判決には従うことを〈翁長〉知事に確認した」。
 三者の言葉の重なりは、一蓮托生ぶりを白日にさらすものだ。


 渡辺は、この判決の評価を、沖縄タイムスの社説を引用して、「高裁判決の翌日、『沖縄タイムス』は社説でこう指摘した。『一連の過程を振り返ると、国と司法が【あうんの呼吸】でことを進めてきたのではないか、という疑いを禁じ得ない」、とまとめた。
 結局、渡辺は、この問題についての「真の解決」を、次のように提示する。


 日本政府は、沖縄の海兵隊部隊を日本本土に移転することで反米軍基地運動が広がることを警戒し、圧倒的多数の本土の人々は自分の住む地域に米軍基地が来ることを忌み嫌っている。その意味で、本土の人と日本政府は、「共犯」の関係にある。沖縄県民の大半はこうした本土側の「差別とエゴ」も敏感に察知している。
 翁長知事は判決後の会見で「長い長い闘いになろうかと思う」と辺野古移設阻止を表明した。
 翁長知事個人を「敵」とみなし、「国の権威」で押さえつければ「解決できる」と、現政権が本気で考えているのであれば、「木を見て森を見ない」のと同じだ。知事を背後で支える沖縄世論に目を向け、多くの県民の理解を得るため政治的な知恵と努力を尽くす。真の解決はその先にしか見えてこない。


(4)黒島美奈子-他の場所に移すだけ「基地負担軽減」の嘘


 黒島美奈子は、安倍晋三政権の進めるヘリパッド着陸帯の建設の意味を、次のように指摘する。


 高江区の強い反対にもかかわらず、ヘリパッドは、すでに二つ完成し昨年運用開始した。以来、区ではかってない騒音と低周波が住民を苦しめている。そしてやんばるの森は、またも切り裂かれた。
 「高江問題」の経緯は、日米政府がアピールする沖縄の基地負担軽減策の実態を端的に示す。つまり基地負担軽減とは、老朽化した米軍基地〈施設〉の代わりに、沖縄の土地や海に新しい基地を建設し、住民に新たな被害と負担を負わせることにほかならない。


 黒島 美奈子は、基地問題の元凶を鋭く言い当てる。
 「負担軽減は嘘なのだ」、と。


 SACOでは、①普天間飛行場②安波訓練場③ギンバル訓練場④楚辺通信所⑤読谷補助飛行場⑥キャンプ桑江の一部⑦瀬名波通信所⑧那覇港湾-の返還なども合意したが、すべて沖縄県内のほかの地への移設が条件だ、高江をはじめ辺野古や浦添への軍港移設、伊江島補助飛行場問題など今沖縄が抱える基地問題の元凶が、ここにある。
 「負担軽減」は嘘なのだ。


 この国の首相が「本土復帰後、最大の返還」と言ってしまう実態。
 しかし、一方では、この返還の実態とは、「北部訓練場の使い道のない土地」(unusable Nortyern Training Area)とされている(「2025戦略展望」)の返還でしかない、ということを沖縄県民の多くがすでに認識してしまっている。
それは、もちろん、「米軍はちゃっかり、日本政府の予算で時代に合った新施設を手に入れようとしている。そうなれば、土地は返還されても、使い勝手がよくなった沖縄の基地の重要性は増し、海兵隊の駐留が続くことになる。騒音被害や事件・事故の危険性も除去されない」、ということをである。
 結局、「負担軽減は嘘なのだ」。
「辺野古違法確認訴訟」における今回の司法権逸脱判決も、こうした路線の中で行われたものであることに、沖縄県民は、当然、気づいている。


by asyagi-df-2014 | 2016-10-03 05:50 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか

著書名;「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」
著作者:安田浩一
出版社;朝日新聞出版


 安田浩一さん(以下、安田とする)は、「湧田は何の気負いもなく、『沖縄に寄り添い続ける』と話した。20年前に漠然と記者を目指した少女は、地域の鼓動を感じながら沖縄を書き続けている。その姿を、こころざしを、熱と足音を、私は伝えたい。湧田の話を聞きながら、あらためて、切実に、そう思った。”変更攻撃”の渦中にある記者たちを訪ねてまわるようになったのは、その時からである。」、とこの本を始める。
(注;ここでは、新聞記者等の名字を標記のままに使用している。〉

 私自身は、この本から、ジャーナリズムとは、新聞とは何のためにあるのかを真剣に考えさせられた。
 あらためて一つわかったことは、沖縄のこころと言われるものが、人の営みで形作られるものであるということである。だから、そのことに向き合うためには、「決意」、「使命」といった言葉が自然と出されてくることになるということを。
 今回は、安田の記述を追うことにする。私自身がこの本から受け取ろうとしたものを、見つめなおしてみるために。


(1)
 1945年4月、米軍が沖縄本島に上陸した。上江州が10歳の時である。戦火を逃れるため北部の今帰仁村に疎開した。終戦を迎え、その後数カ月は同地の米軍収容所で暮らした。冬になってようやく故郷の宜野湾に戻ってきたが、生家に近寄ることができなかった。米軍によって、張り巡らされた鉄条網が行く手を阻んだのである。
 地域一帯を米軍が接収し、飛行場が作られていた。仕方なく生家に近い鉄条網の外側で暮らすようになり、現在に至った。帰るべき故郷を米軍に奪われ、基地にへばりつくような生活を余儀なくされている。
 先祖代々の墓は、いまも基地の中にある。だが自由に墓参りすることもできない。
 「いちいち米軍の許可をもらわないとならないんですよ」
 そう言って上江州は一枚の書面を私に手渡した。
 「Request for permission to enter United State Forses facilities and areess」と題されたこの書面、米軍基地内への「入場許可申請書」である。

(2)
「辺野古の新基地建設も同じことです。要するに、強権的につくろうとしている点では70年前と変わりません。そりゃあ、土地を返してほしい。切実にそう思います。しかし、たとえば普天間の飛行場が辺野古に移設したところで気持ちが晴れるわけではない。沖縄の人間が鉄条網に囲まれて生きていくという状況が続くのですから」

(3)
 「本土」に存在する米軍基地は、そのほとんどが旧日本軍の基地だった。だが沖縄の米軍基地は民間地を強奪してできたものだ。もしも辺野古を埋め立て、そこに基地ができたならば、新たな国有地が生まれることになる。沖縄は国の持ち物に干渉することはできない。それは沖縄の主体的な意志が剥奪されると同時に、基地の固定化をも意味する。

(4)
 もうひとつの鉄条網が「本土」と沖縄を分断している。基地と隣り合わせで暮らしてきた上江州の視界には、それがしっかりと映り込んでいる。

(5)
 燦然と輝く太陽の下に、深くて暗いぬかるみがある。民主主義も国家主義も人権も、米軍基地の門前で立ち止まる。それが沖縄だ。

(6)
「米本土では安全基準に満たず、運用停止になってもおかしくない普天間基地が存在し、やはり本国ではできない訓練が沖縄で実施されている。しかもそれを日本政府も追認しているのですから、”命の二重基準”がまかり通っているわけですよ。つまり、沖縄県民の命は軽視されている。これが差別でなければなんというのか」

(7)
「では、なにをすべきか。一方的に奪われた者たち、発言の回路を持たない者たちの側に立って、あるべき均衡を取り戻すことではないでしょうか」
 それは普段、ヘイトスピーチの取材をしている私が感じていることでもあった。差別は常に不均衡、不平等な状況のなかで起きる。そのとき、非対称な関係を無視したうえでの「公正・中立」などありえない。マイノリティーが人権や人格すら侵されているときに、まるで天井からジャッジを下すかのごとく「双方の意見を対等に」などと呑気な記事など書いていられないのだ。こうした際に両論併記などでお茶を濁すのは、何も考えていないことを示しているに過ぎない。竹富が言う「均衡を取り戻す」とは、公正さを守ろうとする新聞記者たちの矜恃なのだ。いや、竹富にとっては理念というよりも決意だ。新聞との約束である。

(8)
「どうしたって領土問題はナショナリズムを喚起してしまう。しかし我々がつくりたかったのは国家間の対立を煽ることではなく、国境近くに住む人々の視線を通して、ともに生きる道はないかと問いかけるものでした。特に沖縄は戦争の過酷な体験を有している。我々としては二度と戦火を見たくない、尖閣の海を火の海にしたくない、尖閣を戦争の発火点にしたくない、という思いがあります。国境は対立の場ではなく、人が生きて行く場所であり、相互理解の最前線だという認識で、とにかく取材しようと」

(9)
 領土問題は、この先、何百年もあり続けるかもしれない。だからこそ、敵と味方を安易につくり出す『思考停止』に陥らず、武力衝突を避ける努力を続ける-竹島と尖閣を『地元』として生きる私たちが踏み出す一歩ずつの積み重ねが、歴史をつくると信じて〉
 
(10)
 それこそ「新報」編集局次長の松本剛が話したように「沖縄で何か問題が発生し、それが政府の思惑通りに進まないと、必ずと言ってよいほど同じような言説が流布される。つまり、自らの危機感を沖縄の新聞批判にすり替えることで、民意を矮小化する」ということではないのか。 
 「偏向キャンペーン」の、どす黒い背景が見え隠れする。

(11)
「偏向していると指摘されることなど、なんとも思わない。新聞をつくっているのは血の通った人間ですし、紙面には軸足というものがあります。それをどこに置くべきか-当然ながら沖縄ですよ。偏っているのではなく、常にそこから発信していくことが地方紙の使命だと思うんです」
 沖縄への偏見に沈黙で応じたかっての明ではない、支えているのは自信というよりもある種の覚悟のようにも感じるのだ。

(12)
 繰り返す。米軍こそが沖縄に依存してきた。そして安全保障を名目に、日本もまた、沖縄に頼り切って、いや、無理強いを続けてきたのである。
 
(13)
 このように、”本土”が経済成長を謳歌した20年は、沖縄にとって屈辱の20年でもあった。主権も何もあったものではない。
 まさに「明暗」の歴史だ。正史と叛史の20年である。
 「この連載にかかわったからこそ、確信をもって言えるんです」
 宮城がそう前置きしたうえで口から飛び出したのが、「憲法や言論の自由が天から降ってきた本土とは決定的に違う」という言葉だった。
 「沖縄では、人々が虫けらのように扱われてきた時代がある。だから、一歩、一歩、権利を勝ち取ってきた。戦争で肉親を奪われた人々が、血の染み込んだ土地で、人権のための闘いを繰り返してきたんです」
 念仏のように唱えていれば何かが保障されているような気になる、甘ったれた民主主義とはわけが違うのだ。
それは新聞も同じだ。
 「沖縄の新聞も、その歴史に寄り添って、これまで続いてきたと思うんです。新聞がいつも正しかったなんて言うつもりはありません。権力との関係の中で揺れてきたし、翻弄されてきた。そのなかから論調を鍛えてきた。やっぱり読者です。沖縄の民意ですよ」
 戦争で捨て石にされ、主権を奪われて米軍に差し出されてきた沖縄に、そもそも「落としどころ」を求めるほうが間違っているのだ。
 だからこそ沖縄の新聞は簡単にはつぶされない。

(14)
〈いま日本政府は権力とカネで沖縄の世論をどうにでも操作できると勘違いしている。こんな手法は米軍統治下ですでに私たちは学んでいる。米軍はその政策を貫徹するために権力とカネを使って世論を分断させ、統治してきた。日本政府がいまやっていることはその二番煎じである。〉

(15)
 「沖縄は戦っていくんですよ。武器とするのは二つ。ひとつは、米国からもらった民主主義。もうひとつは、日本国憲法。この二つを高く掲げて沖縄は生きていく」
 米国に蹂躙され、日本に裏切られ、差別されてきた。それが沖縄だ。しかし、山根は民主主義と日本国憲法を信じている。それこそが沖縄の、そして新聞記者の教典じゃないかと、吠えるように訴えるのであった。

(16)
 「弾除け」の役割を強いる側と強いられる側、その不均衡で不平等な力関係は、脚の欠けた不安定な椅子と同じく理不尽そのものだ。

(17)     
 〈誤解を恐れずに言えば、沖縄の自己決定権回復の主張を『独立志向』などと揶揄するのではなく、自らの自己決定権やその政府との関係性を問い直し、この国と地域の来し方を行く末を、中央集権型か地方分権型かといった視点から、ともに考えられないだろうか〉 〈民主主義は万能ではない。だからこそ、未完の民主主義を沖縄で、全国で、再生・強化する意義は大きく、今を生きる私たちの責任も重たい。そのためにも自己決定権回復・獲得の声を各地から上げたい〉

(18)
 潮平が危惧するのは単純な沖縄攻撃というよりも、人間としての尊厳すら奪う排外主義的な言説の広がりである。差別と偏見で武装した排外主義は「敵」を必要とすることでようやく成り立つものだ。蔑むことで「敵」は生まれる。そして排外主義の向こう岸には殺戮と戦争が控えている。これは歴史の必然だ。 

(19)
 「排外主義は軍事的な膨張主義とリンクする。人間の営みを無視した差別や優越意識が、戦争への扉を開くような気がする。だからこそ、いや、排外的な気分に満ちているいまだからこそ、メディアは警戒感を働かせないといけないと思うのです」

(20)
 その風景を目にしながら、あらためて確信した。ヘイトスピーチと沖縄バッシングは地下茎で結ばれている。
 不均衡で不平等な本土との力関係のなかで「弾除け」の役割だけを強いられてきたのが沖縄だった。いまや一部の日本人からは「売国奴」扱いされるばかりか、「同胞」とさえ思われていない。

(21)
 政府の立ち位置というものが、嫌というほど伝わってきた。要するに、沖縄の置かれた不均衡で不平等な状態を、政府は「人権」の問題として捉えることができないのだ。これは温度差でも見解の相違でもなんでもない。沖縄を安全保障の観点でしか見ることのできない、まさに、「支配者」の視点ではないのか。私にはそれが、基地に反対する人々を「非国民」となじる差別者の視点と重なる。

(22)
 「東京の人は基地の存在を国防や安保の問題として語るんですよね」
 やや強張った表情のままに、さらに続ける。
 「沖縄にとって基地問題とは、生活と命の問題でもあるんですよ」
 意志の強うそうな目が、しっかりと私を見据えている。「そうやって沖縄は捨て石にされてきたんだ」と咎められているような気がした。
 その通りだ。私も含め、基地問題を「国防や安保」の文脈に載せようとする者は多いそこに、基地を強いられる側の苦痛や恐怖は無視されている。年頭にあるのは中国脅威論を背景とした沖縄の「地理的優位性」だけだ。

(23)
 「国の存立に関わる国防外交上の問題」という国側の言葉は、沖縄の苦渋も歴史も無効化させるものである。人の営みも人権も無視されている。」

(24)
 沖縄の基地の7割は海兵隊の専用施設だ。これら海兵隊の移動に必要な海軍艦船は、実は沖縄ではなく長崎県の佐世保にある。万が一の有事であっても、海兵隊は佐世保から来る艦船を、沖縄で待っているしかない。スピードに優れた空軍の大型輸送機も、沖縄ではなく米本土に配備されている。『中国に近い』ことだけをもって機動性を担保するものでないことは軍事専門家の多くも指摘している。
 「何がなんでも沖縄に海兵隊基地を置かなければならない理由など、実はそれほどないのだということは米側だって当然理解しているはずです」

(25)
 犯す前に、これから犯しますよと言いますか-要するに、大事なことを事前に伝えることはないという意味で用いたのだろうが、県内の反発が強い評価書提出を性的暴行に例えた、県民の尊厳を踏みにじる暴言であることは明らかだ。女性への陵辱を肯定するかのような、下品で下劣で、そして沖縄を見下したかのような差別発言でもあった。

(26)
 「地元の警察も消防も一切、現場に立ち入ることができなかった。そこがまぎれもなく日本の領土であるにもかかわらず、支配権は米軍にあった。いまだ沖縄は米国の植民地に置かれているのだという事実をあらためて突きつけられ、脳天に一撃を食らったようなきもちになった。これでリゾート気分は吹き飛びましたね」
 このとき敷地内に唯一入ることが許された日本人は、ピザ店のデリバリースタッフだけだったといわれている。

(27)
 それはつまり、いま、日本の新聞記者が「当たり前」を放棄し、輝きを失っているからではないか、と思わずにはいられない。
 常に何かを忖度し、公平性の呪縛を疑問視することもなく両論併記で仕事をしたつもりになり、志も主張もどこかに置き忘れた新聞記者に、あるいはそこに染まってしまいかねない自分自身にも、どこかで飽き飽きしていた。
 そんな私に、沖縄の記者たちは、むせかえるような熱さをともなって、「当たり前の記者」である生身の姿をさらしてくれたのだ。

(28)
 沖縄の記者は、沖縄で沖縄の苦渋を吸収しながら、沖縄をさらに知っていく。そして、その場所から沖縄を発信していく。
 それは「偏向」なんかじゃない。
 記者としての軸足だ。地方紙の果たすべき役割なのだ。

(29)
 何度でも繰り返す。凶悪事件がなくならない原因は、沖縄に米軍基地が集中しているからだ。米軍の持つ沖縄への「植民地感覚」はもちろんのこと、その状態を放置、容認してきた、わが「日本」の責任も問われている。

(30)
 沖縄をめぐって、日本社会全体が問われているのだ。どのような立場であれ、安保や国防にどのような考え方を抱いていようが、この社会で生きていく以上、和たちは沖縄と無縁でいられることはない。


さて、私が安田から受け取ったもの
「沖縄の新聞は本当に『偏向』しているのか」ということに関しては、はっきりしている。
 つまり、「『沖縄で何か問題が発生し、それが政府の思惑通りに進まないと、必ずと言ってよいほど同じような言説が流布される。つまり、自らの危機感を沖縄の新聞批判にすり替えることで、民意を矮小化する』ということではないのか。『偏向キャンペーン』」の、どす黒い背景が見え隠れする。」、ということである。
 そして、沖縄タイムスと琉球新報の二紙が、日本の状況の中で毅然としていられるのかも、はっきりしている。
 安田は、このように説いてみせる。


「『憲法や言論の自由が天から降ってきた本土とは決定的に違う』という言葉だった。『沖縄では、人々が虫けらのように扱われてきた時代がある。だから、一歩、一歩、権利を勝ち取ってきた。戦争で肉親を奪われた人々が、血の染み込んだ土地で、人権のための闘いを繰り返してきたんです』。念仏のように唱えていれば何かが保障されているような気になる、甘ったれた民主主義とはわけが違うのだ。それは新聞も同じだ。」


 安田は、こうもまとめる。
 そして、このことの意味を日本人全体に問いかけている。


「沖縄の記者は、沖縄で沖縄の苦渋を吸収しながら、沖縄をさらに知っていく。そして、その場所から沖縄を発信していく。それは『偏向』なんかじゃない。記者としての軸足だ。地方紙の果たすべき役割なのだ。」


by asyagi-df-2014 | 2016-10-02 06:02 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-戦争に負けないための二〇章

著書名;「戦争に負けないための二〇章」
著作者:池田浩士(文)髙谷光雄(絵)
出版社;共和国


 この本には、独特の思想が流れている。
 なぜなら、表紙の部分に、こう書かれています。


答えを示すことや、何が正しいかを伝えることは、この絵物語の目的ではありません。
状況が急激に動いていくからこそ、いま立ち止まって共に感じ、共に感じること、そして、正しいとされるものも疑い、私たち自身の感性を私たち自身が深め鋭敏にすること、これがますます大切になっています。隠された現実を発見するのは、私たち自身です。
そのための素材の一つでありたいというのが、この一冊に込められた希いです。


 そして、「戦争と向き合うすべての人に。」、と。


 そうでした、この本は、戦争に向き合わざるをえなくなった私たち自身に、「どうやっていくのか」を考えましょう、と呼びかけているのです。
あなた自身の頭で、と。


 まずは、最初に触発されたものがありました。
第三「武勇を尚ぶ」第一二章「それでも一国では国を守ることはできません」では、こう綴られています。


「遠交近攻」という言葉があります。遠くの国と親交を結んでおいて近い国を攻めるということで、戦争のための大原則です。欧州大戦(第一次世界大戦)に日本が参戦したのは、「日英同盟」を結んでいたからですが、はるか遠くの英国との同盟のおかげで、敗戦国となったドイツの植民地、太平洋の南洋群島を日本は獲得しました。この新領土がなければ、のちの大東亜戦争はそもそもありえなかったでしょう。
 現在の日米同盟も、「遠交近攻」のもっとも理想的な一例です。日本の近隣諸国は、いぜれもみな、古い歴史上の日本の行いをいつまでも口実にして、日本の発展を妨げようとしつづけています。日本一国ではとうてい国を守ることはできません。
 遠い同盟国の力を借りようとすれば、同盟国の軍事基地や資材、必要な人員などを日本が提供するのは当然のことですが、日本にとっても負担と損失が小さいように配慮することも当然必要です。日本に植民地があったころなら、この問題は容易に解決できたのですが、それがない現在、植民地に代わる地方の活用こそが唯一最善の道なのです。
 


 この記述に、沖縄の状況-辺野古・高江を始め、与那国・石垣・宮古が抱えさせられている現実-を、見つめることをあらためて始めています。
米軍再編という新たな「口実」は、「植民地に代わる地方の活用こそが唯一最善の道」を必要としている。それは、植民地主義という言葉で表現されるものかもしれない。
もちろんそれは、「日本にとっても負担と損失が小さいように配慮することも当然必要」 、という「本音」の中で。
日本という国は、日本人は、いつまでたっても「遠交近攻」を自らの思惑のなかで、ころがし続けようとしているのか。


 恐らく、この本は、側に置いて眺め、そして思い当たっては手に取ってみる、そんな本なのかもしれない。



by asyagi-df-2014 | 2016-09-21 07:23 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「日本会議の正体」

著書名;「日本会議の正体」
著作者:青木理
出版社;平凡社


 まず、青木理さん(以下、青木とする)は、「私たちは、おのれの顔をおのれの眼で直接見ることはできない」、とするなかで、日本のメディアが「日本会議」を正確には扱ってこなかったと、このように指摘する。


「メディアにも、似たようなことが言える面がある。足下で起きている出来事であっても、メディアが伝えようとしなければ、私たちは出来事を認識することすらできない。その出来事が驚愕すべきようなことであったり、きわめて異常なことであったり、あるいは早急な対処が必要なほど深刻な事態であっても、メディアがきちんと伝えてくれなければ、私たちは判断や対処の前段階となる出来事自体の発生を認知できず、漫然と事態をやりすごすしかなくなってしまう。仮に伝えてくれたとしても、全体像がきちんと正確に伝えられなければ、やはり同じような陥穽にに落ち込んでしまう危険性が高い。
 つまり、社会の写し鏡であるメディアが曇ったり歪んだりしてしまうと、私たちはおのれの顔を正確につかみとれず、適切な対処や冷静な思考のための第一次素材を手に入れられなくなる。」


 そして、「日本会議」のことについて、その重大性に気づかされたのは、外国のメディアによるものだった、とし青木は、次のように指摘する。


「第二次安倍改造内閣が発足した2014年頃からの外部の鏡-外国メディアは日本会議と安倍政権の密接な関係と危険性をさかんに伝えてきた。その内容をまとめれば次のようになる。
 日本会議とは、『日本の政治をつくりかえようとしている極右ロビ-団体』(豪ABC)である、『強力な超国家主義団体』(仏ル・モンド)であり、『安倍内閣を牛耳』(米CNN)っているにもかかわらず、『日本のメディアの注目をほとんど集めていない』(英エコノミスト)-。」


 こうした中で、青木はこの本の目的を、「日本会議とはいったいいかなる存在なのか。果たして、『日本の最も強力なロビ-団体』なのか、『極右』であり、『超国家主義団体』なのか。そして『安倍政権の中枢でますます影響力を強め』ていて、『内閣を牛耳』っているような組織なのか。」、について描き出すことだとする。
この青木の描き出した日本会議の実像は、次のものである。


(1)日本会議の実態
①「日本会議は市井の政治団体団ではなく、もちろん純粋な市民団体などでもなく、現実政治に影響力を持つロビ-団体であることを当初から宣言していたのである。」
②「日本会議の源流となったのが新興宗教・成長の家に出自を持つ右派の政治活動家だったとするならば、現在の日本会議を主体的に支えているのが、伊勢神宮を本宗と仰ぐ神社本庁を頂点とした神道の宗教集団である。いくら成長の家出身の活動家らが熱心かつ執拗だとはいっても、彼ら自身が巨大な動員力や資金力を持っているわけではない。
 この点において宗教団体としての神道と神社界には、けた外れの動員力と資金力と影響力がある。いまも日本全国には8万を超える神社があって各地に根づき、その大半を傘下におさめる神社本庁は、日本の宗教界でも比類のないほどのパワ-を持っている。」
③「明治の政治体制とイデオロギ-を復活させる-そう願っているとケネス・オルフが指摘する神社本庁は日本会議にも参加しており、繰り返すが、その巨大な主柱のひとつとなっている。また、神社神道の頂点に君臨する神社本庁は自らも神道政治連盟(神政連)を結成して保守政界を支援していて、神政連の訴えに呼応する国会議員懇談会も置かれている。」
④日本会議の"最も琴線に触れるテ-マ":「1.天皇、皇室、天皇制の護持とその崇敬、続いては、2.現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破、そして、これに付随するものとして3.『愛国的』な教育の推進、4.『伝統的』な家族観の固守、5.『自虐的』な歴史観の否定。ここから派生した別のテ-マに取り組むことはあっても、やはり核心的な運動対象は以上の5点に集約されるといっていいだろう。」


(2)日本会議の実態(宗教団体との関わり)


①「日本会議という存在の背後には」、神社本庁を軸とする神道宗教団体と成長の家の影が組織的にも、人脈的にも、そしておそらくは資金的にも、べったりと張り付いている。」
②「改憲を訴え、安倍政権のコアな支持層となっている日本会議。その中枢や周辺に漂う市長の家などの宗教団体の人脈と影。決してそれがすべてではないにせよ。現代日本で最大の右派団体と評される組織の、それもひとつの深層を映し出しているのは間違いない。」
③「成長の家と明治神宮の二本柱で支えられたと村上がいう『日本を守る会』の運営。この『守る会』が『日本を守る国民会議』と合流して日本会議が結成されたことを考えれば、日本会議は人脈的にも、組織運営面でも、成長の家という新興宗教団体と明治神宮をす軸とする神道会こそが源流であり、本質であると評して構わないだろ。」
④「戦後、日本国内の国家主義的団体がほとんど壊滅する中、神社本庁だとか成長の家といった宗教団体がその肩代わりみたいな役割を果たしたわけです。」
⑤【日本会議という右派組織の実相】-「まず、日本会議の源流が新興宗教団体・成長の家にあるのはもはや疑いない。いや、正確に言うなら、成長の家に出自を持つ者たちによる政治活動が日本会議へと連なる戦後日本の右派運動の源流になった、と記すべきだろう。あらためて強調しておかねばならないが、現在の宗教団体・成長の家は一切の政治活動を行っておらず、日本会議とは組織的な関係を全く有していない。ただ、日本会議という巨大な右派団体をつくり、育て上げた者たちの中枢や周辺に、全共闘運動華やかなりしころに右派の学生運動を組織した成長の家の信徒たちがいることは、消せない事実として厳然と存在する。
 そうした者たちは、成長の家を創唱した快人物・谷口雅春の教えを熱心に信奉し、成長の家が現実政治らの決別を宣言した後も谷口雅春の政治的な教え-それはごく普通に見れば極右的で超復古主義的としか言いようのない政治思想であり、時にエスノセントリズム=自民族中心主義に陥りかねない危険なものであるのだが、-を信奉しつづけ、右派の政治活動と右派の組織作りに全精力を傾けつづけてきた。」
⑥「何よりもそうした者たちの根っこには『宗教心』がある。一般の感覚ではなかなかはかりしれないが、幼いころから植え付けられた『宗教心』は容易に揺るがず、容易に変わることがない。変えることもできない。人からどう見られようと気にせず。あきらめず、信ずるところに向かってひたすらまっすぐ歩を進めていく。(略)同時にその運動の根底には抜きがたいほどのカルト性が内包されているようにも私には思えて仕方ないのである。」


(3)日本会議の実態(資金)
「日本会議はあくまでも任意団体の政治団体にすぎず、当の日本会議が自ら資金状況などを明かさない以上、内実はまったく不明である。ただ、こうした証言からすれば、資金豊富な神社本庁や明治神宮などの宗教団体がそれなりの形で日本会議を支えているという構図が浮かび上がってくる。」


(4)日本会議の実態(戦略)
①「日本会議が特に力を入れているのが、地方組織の充実化である。まるで毛沢東の「農村から都市を包囲する」という戦略のようであり、左派運動に倣って運動を構築したことがうかがわれるのだが、日本会議はあらゆる政策運動についても『地方から都市へ』といった戦略を重視しており、全国各地での支部づくりとその充実に力を注いでいる。その地方組織は、1016年1月18日現在で全国に243(海外ではブラジルに1)。」
②「左派は既存体制に対する自分たちの抗議と関連させて、民主主義を『異議もうしたて、ないし参加型の社会運動』ととらえる傾向があるのだが、右派グル-プもまた社会運動を通して現状に挑戦した。紀元節復活と元号法制化を目指して国会に圧力をかけるために、右派の団体はこれまで左翼運動につきものだったさまざまな草の根運動のテクニックを取り入れた。こした右派の組織は自体の多様な『世間』、つまり『市民社会』の一部を構成しており、政治的影響力は無視できない。」
③「日本会議につながる右派の大規模な運動形態は、この時期(注:元号法制化運動))までにできあがったといっていい。資金面や組織動員面などでは神社本庁や神社界、新興宗教などの手厚いバックアップを受け、『国民運動』と称して全国レベルで組織づくりや署名集めといった"草の根活動"を繰り広げる。同時に、中央では、運動に応じた『国民会議』のような組織を立ち上げ、大規模集会を開いては運動を運動を盛り上げていく。また、これに呼応する形で国会議員や地方議員の組織を結成し、意を通じた国会議員や地方議員を通じて政府や国会を突き上げ、そして突き動かしていく-。」
④「日本会議が安倍政権を牛耳っているとか支配しているというよりむしろ、両者が共鳴し、『戦後体制の打破』という共通目標へと突き進み、結果として日本会議の存在が巨大化したように見えていると考えた方が適切なように思える。つまり、『上から』の権力行使で『戦後体制を打破』しようと呼号する安倍政権と、『下から』の"草の根運動”で『戦後体制を打破』しようと執拗な運動を繰り広げてきた日本会議に集う人々が、戦後初めて両輪として揃い、互いに作用し合いながら悲願の実現へと突き進みはじめている-と。」
⑤「元号法制化運動などでの、"成功体験"に学んだ手法、それをひたすら反復し、深化・発展させてきたともいえる。大がかりなテーマになると、神社本庁や神社界、新興宗教団体といった動員力、資金力のある組織のバックアップを受けつつ、全国各地に”キャラバン隊”などと称するオルグ斑を次々に送り込み、”草の根の運動”で大量の署名集めや地方組織づくり、または地方議会での決議や意見書の採択を推し進めて、“世論”を醸成していく。
 と同時に、中央でも日本会議やその関連団体、宗教団体などが連携して『国民会議』といった名称の組織を立ち上げ、大規模な集会などを波状的に開催して耳目を集めつつ、全国でかき集めた署名や地方議会の決議、意見書を積み上げて中央政界を突き上げていく。
 一方、意を同じくする国会議員らもこれに呼応して議員連盟や議員の会を結成し、与党や政策決定者に働くかけて運動目標の実現を迫っていく。そのための土台として日本会議はこれまで国会議員懇談会や地方議員連盟の充実を目指し、加盟議員数を着実に増やし続けてきた。
 そうして日本会議とその前進の右派組織はこの数十年間、主に5のテーマに集約される『国民運動』を一貫して繰り広げ、時には執拗なほど反復し、彼らが目指す国家像、社会像を実現しようと試みてきた。結果、相当な成果をあげてきたといってもいい。」


 青木は、こうした分析を通じて、「日本会議」を次のようにまとめる。


「日本会議とは、表面的な"顔"としては右派系の著名文化人、財界人、学者らを押し立ててはいるものの、実態は『宗教右派団体』に近い政治集団だと断ずるべきなのだろう。そこに通奏低音のように流れているのは戦前体制-すなわち天皇中心の国家体制への回帰願望である。
 だとするなら、日本会議の活動伸張は、かってこの国を破滅に導いた復古体制のようなものを再来させかねないという危険性をと同時に『政教分離』といった近代民主主義社会の大原則を根本かつ侵す危険性まで孕んだ政治活動だともいえる。しかし、その『宗教集団』が扇動する政治活動は、確かにいま、勢いを増し、現実政治への影響力を高めている。」


 そして、青木は、「日本会議」の正体を次のように言い当てる。


「私なりの結論を一言で言えば、戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものではないかと思っている。悪性であっても少数のウィルスが身体の端っこで蠢いているだけなら、多少痛くても多様性の原則の下で許容することもできるが、その数が増えて身体全体に広がりはじめると重大な病を発症して死に至る。
 しかも、現在は日本社会全体に亜種のウィルスや類似のウィルス、あるいは低質なウィルスが拡散し、蔓延し、ついには脳髄=政権までが悪性ウィルスにむしばまれてしまった。このままいけば、近代民主主義の原則すら死滅してしまいかねない。警戒にあたるべきメディアもひどく鈍感で、ととえば2016年5月のG7サミットが伊勢志摩で開かれ、安倍が各国首脳を伊勢神宮へと誘ったことを批判的に捉える報道すら皆無だった。神社本庁が本宗と仰ぐ伊勢神宮にスポットライトが当てられたことは、日本会議と神社本庁にとっては悲願ともいうべき出来事であったにもかかわらず-。」


 最後に、青木は、このように締めくくる。


「当面は日本会議と安倍政権が総力を傾注する憲法改正に向けた動きの成否がすべての鍵を握っているのは間違いない。それはまた戦後民主主義を-いや、近代民主主義の根本原則そのものを守れるか否か、最後の砦をめぐるせめぎ合いでもある。」


また、こうも。


「天皇中心主義の賛美と国民主権の否定。祭政一致への限りない憧憬と政教分離の否定。日本は世界にも稀な伝統を持つ国家であり、国民主権や政教分離などという思想は国柄に合わない-そんな主張を、たとえば日本会議の実務を取り仕切る椛島は、平気の平左で口にしてきた。それは同時に、日本会議の運動と同質性、連関性を有する安倍政権の危うさも浮き彫りにする。」


by asyagi-df-2014 | 2016-07-27 05:52 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「日本会議と神社本庁」

著書名;「日本会議と神社本庁」-「日本会議と宗教右翼」
著作者:「週刊金曜日」成澤宗男編著-成澤宗男
出版社;金曜日




 成澤宗男さん(以下、成澤とする)は、「日本会議と宗教右翼」のなかで、日本会議の位置づけについて、「あたかもこの日本会議が安倍内閣を『完全支配する』とか、さらには、『日本を動かしている』かのような、明らかに過剰と思える評価も一部で生まれた。」、と指摘する。
 確かに、こうした現在の日本会議に対しての評価には、きちっとした検証、その光と影を捉える必要である。
 成澤は、日本会議を、「理念的には戦前の国家神道に求め、運動的には戦後になって国家神道が宗教法人として再編された神社本庁の政治活動の一つの帰結」として捉える。
 言はば、このことは、日本会議の現在の勢いそのものとその限界を示すものと言える。
 まず、成澤は、日本会議を次のように分析する。


(1)「日本会議は、1974年5月設立の日本を守る会と、1981年設立の日本を守る国民会議との合併によって1997年5月に結成された。日本会議は突然、今日の政治舞台に登場したのではなく、初期の組織実態は70年代半ばから80年代にかけて形成されている。だが社会的な注目度は現在よりもはるかに乏しかった。」
(2)「安倍の首相返り咲きによって一挙に政権の右傾化が進行し、このことによってあたかも日本会議自体が権力との近似性をかってなかったほど得たような印象が広がり、今日に見られるような高い関心を呼んだという点も、無視できないだろう。」
(3)「同時に、日本会議のイデオロギーの根源は根深く、戦前期までたどらねば見えてこない。したがってその分析にあたっては、戦前と戦後における、支配的価値観の断絶と継承という問題を避けて通ることはできない。」


 また、成澤は、この「日本会議と宗教右翼」における一つのテーマを「右派宗教勢力が戦後、政治性を研ぎ澄ましながら国政や社会に影響力を拡大してきた過程を検証する。」とし、日本会議結成の意味を次のように説明する。


(1)「そこでは、『日本人』「日本民族」は「かくあらねばならぬ」という一方的な価値観を、常に天皇の『権威』を振りかざしながら国民全体に同質化させ、均一化させようとする戦前からの衝動が、今日に至っても脈々と続いている事実が浮かび上がるだろう。」
(2)「そのような運動においては、大日本帝国の国民に対する精神的支配の根源が、初等教育における皇民化政策にあったという事実を熟知しているからか、常に政府の施設や公教育の面での制度的強制力を伴わせようとする傾向が強い。彼らが、教育行政に異様なまでの強い関心を示すのはそのためだ。」
(3)「こうした単一の価値観の強要、同質化とでも呼べるような志向が、神社本庁や右派の言説に、常時にじみ出ている。さらに神社勢力以外の、戦前の国家神道に迎合してきた宗教団体、及びそれをルーツとしたり、現在もイデオロギー的に戦前と決別しえていない勢力も加わることによって、今日の日本会議という団体が形成されるに至っている。」


 よって、成澤は、日本会議の姿を次のように描き出す。


(1)「日本会議は今日、明治憲法や国家神道の復活をストレートに掲げているわけではない。国家神道を『宗教法人』と変容させた戦後の制度をいったんは前提とし、その枠内で『伝統』であるからという名目で価値観の上からの同質化を進めながら、最終的には改憲とそれに伴う法的諸制度の整備(不敬罪の導入、宮中行事の公的行事化等)により、戦後の日本国憲法下の姿を変質させるのを意図している。」
(2)「それは、神権国家としての大日本帝国を過去に支え、導いてきた理念の核を、21世紀のこの国に形を変えて再導入しようとする試みとも言える。現状ではその狙いを即実現するのは困難だとしても、日本会議のように執拗に実現させようとする運動そのものが、確実にこの国の右傾化をいているのは疑いない。」


 さて、成澤は、日本会議を「理念的には戦前の国家神道に求め、運動的には戦後になって国家神道が宗教法人として再編された神社本庁の政治活動の一つの帰結」、として規定する以上、神社本庁について語らなけねばならない。
 何故なら、「戦前と戦後における、支配的価値観の断絶と継承という問題」とは、神社本庁の抱える問題であるからだ。
 成澤は、「国家神道の再編」という表現で、戦後の神社本庁を次のように押さえる。


(1)「全国の神社約7万9000社以上が加盟しているとされる神社本庁は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が『神道指令』を発布し、厳密な政教分離原則によって国家と神道を切り離し、軍国主義的・国家主義的イデオロギーを禁止して国家神道を解体したわずか二ヶ月後の1946年2月3日、宗教法人として誕生した。その前進は、国家神道における『敬神思想の普及』を担い、解体された内務省傘下の神祇院と不離一体の関係を有する皇典講究所、及び大日本神祇会と、神宮奉齋会の三団体であり、『(伊勢)神宮を本宗と仰ぎ、道統の護持に努める』ため、『神社関係者の総意によって、全国神社を結集する』を宗教法人の定款で謳っての設立となった。」
(2)「敗戦後、神社は国家から分離され、国庫から支出された財政も、官吏としての神官のの地位も失った。だが一宗教法人として再出発しながら、①天皇が『皇祖皇宗』の『神』によって授けられた国を継承してきたという『国体観』と、②『天皇絶対主義』という、神道の長い歴史では 異質な性格を有する国家神道を日本の『伝統』として固定観念化し、それを発露することが『道義国家建設』であるとする使命感については、いささかの揺らぎもなかった。」
(3)「無論、『現人神』としての天皇の名による軍事動員であったがゆえに、15年戦争も『聖戦』あるいは『自存自衛の闘い』以外のいかなる歴史解釈も受け入れる余地はない。したがって神社本庁の宗教法人としての活動が開始された瞬間から、彼らは日本国憲法とそこに込められた基本的理念(主権在民、厳密な政教分離、思想信条の自由、良心の自由、不戦の表明と恒久平和主義)に対して、根本的に相いれない政治性を伴うことを運命付けられていたといってよい。」


 この三点の指摘こそが、「戦前と戦後における、支配的価値観の断絶と継承という問題」なのである。
 だから、神社本庁の戦後について、「神社本庁の戦後とは、いくつかの政治団体(神道政治連盟、英霊に答える会等)を組織し、後述する靖國神社国営化(あるいは靖國神社への首相・閣僚の公式参拝実現)や元号法制化、改憲といった政治運動に邁進して、右派ネットワークの中心・結集軸としての性格を強めていく過程であった。」、と分析する。
 そして、「そこにおいて、他の宗教勢力あるいは宗教的な思想集団が加わることで、今日の日本会議とそれに至る一連の政治的潮流を生みだす」、と鋭く言い当てる。
 また、「その実質的な第一歩が、『紀元節復活運動』にほかならなかった」、とも指摘する。


 さて、現在の日本会議を理解するために、「日本会議と宗教右翼」での指摘をここで引用する。
 このことを押さえることがあらためて非常に重要になる。


(1)に本会議と日青協
①「日本会議との関連で注目すべきは、成長の家よりも、その関連団体で、1970年11月に結成された日本青年協議会(日青協)の方に思われる。彼らは70年代の神社本庁が主導した運動に積極的に関与することで、日本会議結成へと至る過程で重要な役割を果たした。」
②「現在の日本会議は最初、臨済宗僧侶・朝比奈宗源のイニシアチブによって、明治人宮内に事務局を置く右派宗教集団が集う前進の日本を守る会が結成。そして以降、従来の右派宗教団体集団では持ち得なかった、左翼との闘いを通じた大衆運動のノウハウと経験を有する一軍の思想集団がその事務局を担うことで、今日の地位を得たかのように考えられる。」
③「日青協という、成長の家の創始者に『真底傾倒していた』一軍の集団は、『保守化の流れ』に乗り、右派宗教勢力による広範な一世一元の復活を求める大衆運動に加わって、そこで多大な評価を得た。こうした『実績』によってこそ、彼らは日本会議が全盛の感がある今日まで、右派大衆運動の中枢を常に掌握することができたと考えられよう。」


(2)日本会議の運動スタイル
①「1979年6月6日に国会で元号法が成立することで、紀元節復活に次ぐ神社本庁や成長の家を始めとした右派宗教勢力の大きな勝利となった。その副産物として、右派の大衆運動の基本的スタイルが形成されたと考えられる。それは、以下の二点に集約できるだろう。1 『地方から中央へ』という運動の積み重ね。元号法成立に先立ち、各自治体議会で『元号法制化』を求める決議や意見書が採択された。都道府県にも『元号法制化実現国民会議』の地方組織が結成され、全国的な世論の広がりに結集させた。この手法は、現在も『日本会議』主導による改憲運動にも見られる。2 後半で幅広い勢力の結集。神社本庁を中心に成長の家等他の右派宗教団体を結成し、さらに加えて著名な財界人や文化人、学者の顔を揃えるという、一種の広範な『統一戦線』が形成された。」
②「その後の日本会議がやったことは、結成式前日の『国会議員懇談会』設立が象徴するように、より『自民党依存型』を顕著にしたに過ぎない。一方で、このことが地方議員も含め、日本会議の強みとなったのみ事実だ。しかも『国会議員懇談会』は現在、280名(2016年4月段階)というから、設立時よりも80名近く増大している。やはり、相対的に政界での日本会議の影響力が強まっていることは疑いない。」
③「20年近い歳月は日本会議の役員構成及び組織に影響を及ばさないはずがない。修養団系を含む宗教関係者の役員は、結成時の25人から23人と2人減ったに過ぎず、その分、組織としての宗教色が濃くなったと言えようが、実際の動員もさらに各宗教団体に依存する割合が高まるのではないか。」
④「日本会議がその運動パターンに関し特別な変化を示した形跡はない。結成後、初めて開かれた1998年4月18日の総会では、①天皇即位10年の『奉祝運動』実施②国民的憲法論議の巻き起こし③教科書の偏向記述の是正④首相の靖國神社参拝実現⑤夫婦別姓法案反対-等の『国民運動方針』が採択された。このうち特筆すべきは、教科書記述や学校の教育現場に介入する『教育の国民運動』だろう。よく知られているように日本会議と村上正邦や小山孝雄を先頭にした日本会議国会議員懇談会。そして系列の地方議員が教科書攻撃を上回るマッカーシズムを思わせる弾圧ぶりでまず広島県の教育に対し、難癖をつけ、さらにそれが小渕恵三内閣による『日の丸・君が代』法制化に結実していく。この意味では、日本会議は結成直後にして早くも地震の存在感を示したと言えるだろう。」
⑤「恐らく地域での日本会議の活動にとって、程度の差はあれ神社は欠かすことができない存在だろう。そして、日本を守る国民会議から日本会議に移行しても、彼らの『勝利』は続く。その最大の成果として彼らが自負するのは、何といっても『教育の憲法』・教育基本法の改悪であったろう。」


(3)日本会議の今後
①「上川協議会(2002年設立)では、『軍都旭川を活動の中心とする支部として、自衛隊や隊友会とも友好関係を築き、共同で防衛学習会等を行っております』とある。具体的内容は不明だが、自衛隊が集団的自衛権行使の「合憲」化によって新により能動的な性格を帯びていく可能性もあり、日本会議との地域での自衛隊及びその関連組織のこれらのようなムス引きについても、今後注意が必要だろう。」
②「ただ確かなのは、日本会議がいくらこれからも自身の政治目的を達成していこうが、『国体の回復』など永遠にできはしないという点だろう。なぜなら、彼らが意図的にか、あるいは無意識的にか沈黙している『対米従属』という現実が、決して変わりはしないからだ。」


 最後に、成澤は、日本会議や宗教右翼に向けて、次のように突きつける。


「戦後70年間、『日本の伝統的国家理念を護持する』などと唱え続けている神社本庁やその同伴宗教団体にも当てはまる。とっくに冷戦が終結しながら、主権の及ばない異国軍隊の基地が首都圏や全国各地に居座り続けるというのは、いつから『日本の伝統』になったのか。こうした問いかけにどう見ても会等を用意してはいないような日本会議とそれを構成する右派宗教団体は、おそらく『占領スタッフ』が反共政策の結果生みだした、一つの意義ある成果なのだろう。一見『ナショナリズム』のような雰囲気を煽りながら、米国が命令すれば疑わずに何でも従うような自民党や日本会議といった集団がこの国の右傾化を推進すれば、米国にとっては許容範囲どころか、真の支配者が誰なのかを国民に見えにくくしてくれる機能も期待できるからだ。日本会議が諸悪の根源のように宣伝している現行憲法が、もし彼らの路線通り変えられても、異様な対米従属は微動だにすまい。その結果もし変わるものがあるとしたら、彼らが『美しい』よ呼んでいるこの国の、民主主義と国民主権、市民的自由、平和主義のさらなる後退ではないのか。」


by asyagi-df-2014 | 2016-07-11 06:12 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「日本会議の研究」

著書名;日本会議の研究
著作者:菅野完
出版社;扶桑社新書


菅野完さん(以下、菅野とする)は、日本会議のイメージをまず示す。


「日本会議とは、民間の保守団体であり、同団体のサイトによれば『全国に草の根のネットワークを持つ国民運動団体』だ。
 私が集めたサンプルは、保守論壇人の一部が、これまで『右翼』あるいは『保守』と呼ばれてきた人々と、住む世界も違えば主張内容さえ大幅に違うということを示していた。サンプルから読み取れる彼らの主張内容は、『右翼であり保守だ』と自任する私の目から見ても奇異そのものであり、『保守』や『右翼』の基本的要素に欠けるものと思わざるをえないものばかりであった。
 そうした傾向は70年代から徐々に高まり、90年代中頃を境にピークに達し、その後現在に至るまで、そのピークを維持し続けていることを示した。
  そしてそうした保守論壇人の共通項が、民間保守団体『日本会議』なのだ。」


「日本会議周辺の保守論壇人は異質だ」
「日本会議周辺は、これまでの保守や右翼とは、明らかに違う」
集めたサンプルを虚心坦懐に読み解くと、そう結論づける他なかった。


 次に、日本会議について、具体的に次のように整理する。


①閣僚の参加議連等をみていると、現在の安倍政権は、日本会議の影響を色濃く受けている様子がうかがえること。
②「緊急事態条項の創設」「憲法24条を改変し家族条項を追加すること」「憲法9条2項を改廃すること」という、最近にわかに活発化した改憲論議は、その内容と優先順位ともに、日本会議周辺、とりわけ「日本政策研究センター」の年来の主張と全く同じであること。
③日本会議が展開する広範な「国民運動」の推進役を担っているのは、神社本庁でも神道政治連盟でも、また、その他の日本会議に参加する宗教団体でもなく、「日本青年協議会」であること。
④「日本青年協議会」の会長であり日本会議事務総長である椛島有三も、”安倍総理の筆頭ブレーン”と呼ばれる「日本政策研究センター」を率いる伊藤哲夫も、「生長の家学生運動」の出身であること。
⑤現在の「生長の家」は、3代目総裁・谷口雅宣のもと過去の「愛国宗教路線」を放棄し「エコロジー左翼」のような方向転換をしており、目下、この路線変更に異を唱える人々が「成長の家原理主義」ともいうべき分派活動を行っていること。
⑥「谷口雅春先生を学ぶ会」(以下、「学ぶ会」)が「成長の家原理主義」の中心団体であり「学ぶ会」には、稲田朋美や衛藤晟一などの首相周辺の政治家をはじめ、百道章、高橋史明など「保守論壇人」「保守派言論人」が参加していること。
⑦「学ぶ会」周辺の人々は、主に関西において、"軍歌を歌う幼稚園”として有名な「塚本幼稚園」の運営や、いわゆる「行動する保守」界隈との繋がりが深いこと。


 その上で、菅野は、日本介護の特徴とその謎を明確にする。


①「これまで本書が追いかけてきた『日本会議』界隈は安倍政権への支援・協力という『上への工作』のみならず、言論界での行動や幼稚園経営などを通した市民社会への浸透という『下への工作』まで、実に手広くやっていることが浮き彫りになる。        ②「この『右傾化路線』が全て『70年代の成長の家学生運動』に行き着くこともわかる。と同時に、実に多数の人々が多種多様なチャンネルを通じて、数十年の長きにわたり、彼らの『悲願』ともいうべき『憲法改正』に向かって運動を続けてこられたことが、不思議に思えてくる。」
③「彼らの運動がスタートしたのは、70年安保の時代。あの頃からすでに50年近くの歳月が流れた。にもかかわらず彼らはいまだに当時の渋滞を維持し、党派としてはおろか人間活動がその後、内ゲバや離合集散を繰り返し、党派としてはおろか人間関係としても元の姿をとどめていないとの好対照だ。なぜそんなことが可能なのか?彼らの一体感はどこから生まれるのか?なぜ彼らは同氏の紐滞を維持し続けられるのか?」」


 このことについて、「むすびにかえて」の中で、菅野は、日本会議をこう説明する。


「常に『なぜメディアはこれまで日本会議のことを書かなかったのだ』という憤りが取材や執筆のモチベ-ションだった。とりわけ、2015年度夏は、安保法制の審議を横目に見つつの作業であったため、その憤りは高まる一方だった。しかし、今ならわかる。これはメディアには書けない。何も、メディアに能力がないというのではない。速報性と正確性が何よりも必要とされる大手メディアの仕事の範疇ではないのだ。調査・報告はやはり新聞やテレビ以外の仕事だ。また、学問の範疇でもないだろう。学問の対象にするには生々しすぎる。テレビ・新聞の報道がカバーするには歴史が長すぎ、学問の対象にするには歴史が短すぎる。そういう狭間に、『日本会議』は存在している。」


 また、菅野は、日本会議についてこう続ける。


①「『巨大組織・日本会議』というイメージを私も抱いていた。しかし、事実を積み重ねていけば、自ずと、日本会議の小ささ・弱さが目につくようになった。活動資金が潤沢なわけでも、財界に強力なスポンサーがいるわけでもない。ほんの一握りの人々が有象無象の集団を束ね上げているに過ぎない。」
②「この程度の団体は、80年代以前であれば、単なる『圧力団体の一つ』として扱われていただろう。往事の、農協・土建業組合・医師会・各種業界団体と比べると、今の日本会議は、その規模も少なく、統一性にも欠ける。」
③「だが、そうした諸団体は、高齢化と長引く不況のせいで、その力を失った。不況に影響されず、世代交代も自然と進む宗教団体だけが、その数は減少傾向だとはいうものの、かろうじて圧力団体としての規模を維持し得たのだ。日本会議が大きいわけでも強いわけでもない。他が小さく弱くなっただけのことだ。」


 このように菅野は日本会議を指摘しながら、「その規模と影響力を維持してきた人々の長年の熱意は、特筆に値するだろう。」とし、その特徴を次のように示す。


①「70年安保の時代に淵源を持つ、安藤巌。椛島有三、衛藤晟一、百地章、高橋史朗、伊藤哲夫といった、『一群の人々』は、あの時代から休むことなく運動を続け、さまざまな挫折や失敗を乗り越え、今、安倍政権を支えながら、悲願達成に王手をかけた。」
②「この間、彼らは、どんな左翼・リベラル陣営よりも煩雑にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名集めをしてきた。彼らこそ、市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに、愚直に、市民運動の王道を歩んできた人々だ。」
③「その地道な市民活動が今、『改憲』という結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは、『緊急事態条項』しかり『家族保護条項』しかり、おおよそ民主的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には、『明治憲法復元』を隠した、古色蒼然たるものだ。」


 その上で、菅野は、日本会議の運動手法について、「しかし、彼らの手法は間違いなく、民主的だ。」と評価する。
 菅野は、このことに関して日本会議をこのように描写する。


①「やったって意味がない。そんなのは子どものやることだ。学生じゃあるまいし・・・と、日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった『民主的な市民運動』をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。」
②「そして大方の『民主的な市民運動』に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国権を改変するまでの勢力となった。このままいけば、『民主的な市民運動』は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか!」


 なお、菅野がこの日本会議の分析を通して、この本で言いたかったことは、次のことである。


「だが、もし、民主主義を殺すものが『民主的な市民運動』であるならば、民主主義を生かすものも『民主的な市民運動』であるはずだ。そこに希望を見いだすしかない賢明な市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。」


 この指摘に異論はない。


 最後に、私は、どこか北欧の推理小説のように、この本を大変面白く一気に読ませてもらった。
 淵源に立つ男を追及する様は、まさしく謎解きものの装いであった気がする。


by asyagi-df-2014 | 2016-07-09 05:43 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「原発プロパガンダ」

著書名;原発プロパガンダ
著作者:本間龍
出版社;岩波新書


 本間龍さん(以下、本間とする)は、本の最後に、原発プロパガンダについてこう断定する。それは、日本という国への警告でもある。


「広告とは、見る人に夢を与え、企業と生活者の架け橋となって、豊かな文明社会を創る役立つ存在だったはずだ。それがいつの間にか、権力や巨大資本が人々をだます方策に成り下がり、さらには報道おも捻じ曲げるような、巨大な権力補完装置とになっていた。そしてその最も醜悪な例が、原発広告(プロパガンダ)であった。」


 そして、日本の原発プロパガンダの姿ををこのように描写する。


「原発プロパガンダは、国民に対しては原発政策支持者を増やすための『欺瞞』であり、メディアに対しては真実を報道させないための『恫喝』という極端な二面性を持っていた。そしてこの仕組みこそが、メディアによる批判と検証を封殺し、福島第一原発の悲劇の要因となったのである。」


 私がこのの本の読了後に、真っ先にしたことは「日本原子力産業協会」の会員名簿の確認であった。巨大な権力補完装置としての役割の一環として位置づけられている人なり組織を知るために。
 何故なら、本間は、一方的プロパガンダに、原発プロパガンダに抗する方法を次のように提起しているから。

①「第一に重要なのは、日々目の前に流れているニュースを軽々に信用せず、一人一人がきちんと自分の頭で考えることだ。先述したように、現在の社会で私たちが触れるニュースは、プロパガンダ・モデルにおけるチョムスキーの「五のフィルター」によって濾過させたものだと認識することが非常に重要だ。もっと簡単に言えば、大手メディアも単なる利益追求集団(企業)であり、最終的には国家権力に逆らえない構造を持っている、という現実を知ることである。そうした意識を持つことによって、多くのニュースの「目的」を見破ることができるだろう。そのためにもっとも手軽な方法は、やはりネットを活用することだ。」
②「二つ目に重要なのは、それらツイッターなどのネットワークを活用して、プロパガンダ・メディアに属さない独立系メディアの情報に耳を傾け、支えることだ。」


 さらに、メディアの情報に接する際の留意事項を次のようにまとめる。


①メディアは決して潔癖ではなく、間違う、嘘をつく、利益誘導する存在だということを認識する。
②ニュースを見る際、漫然と見るのではなく、その発信者、ニュースソースが誰なのか、何のために発信しているかを考える癖をつける。
③大手メディアが同じ論調の場合、なぜそうなのかを疑う。異なる意見がないか意識を持って探し、それぞれを比較して考える。
④各メディアの企業特性、親会社、株主などを知っておくと、利害関係が理解できる。五)そのニュースによって得をするのは誰か、逆に損をするのは誰かを考える。


 その上で、本間は、私たちのあり方について、こう指摘する。


「いずれも、自分の目と耳で聞き、確かめ、考えることが重要であることに変わりはない。繰り返すが、テレビやPCの前でただ座っていたのでは、正しい情報は得られない。原発プロパガンダがそうであったように、資金を持っている政府や大企業は凄まじい量のPRで国民の意識を麻痺させようとする。それに抗う第一歩は、ありきたりではあるが個人の意識をしっかり持つことにかかっている。そしてそれが、3.11以後の時代に生きなければならない、私たちに課せられた義務なのではないだろうか。」


 結論を先にまとめすぎた。
 本間は、日本のプロパガンダ、特に原発プロパガンダについて次のように指摘している。


「プロパガンダ=広告宣伝は、時代の要請により、世界各地で手を変え品を変え、最先端で強力なテクニックを駆使して展開されてきた。その技術を磨いてきたのが、世界各国の広告会社、PR会社、日本においては電通と博報堂の二大広告代理店である。そしてその結実の一つが、日本における原発推進広告、つまり『原発プロパガンダ』であったのだ。
 これは、一九五〇年代に原発推進を国策と定めた時点で当然の帰結であった。国策と決めたからには、万難を排して原発を推進しなければならない。しかし戦後の日本は民主主義国家であり、いくら国策といえども成田国際空港のように反対派を強行排除してばかりでは、全国で原発建設を円滑に進めることはできない。そこで、かりそめでも良いから、国民の多数における合意の形成(チョムスキーはそれを『合意の捏造=マニュファクチャリング・コンセント』と名づけた)が必要とされた。つまり、多数の国民が原発を容認している、という世論の形成を目指したのである。
 そしてそれを可能たらしめるためには、全国を覆う巨大メディアと地方に根ざしたローカルメディアの両方をフル活用して国策を宣伝し、国民に『原発は安全で必要不可欠なシステムである』という意識を浸透させる必要があった。だから国と電力会社は、原発建設が始まった一九六〇年代後半から3.11まで、その基本スタンスに忠実に、巨費を投じてプロパガンダを推進してきたのである。」


 あわせて、本間は、原発プロパガンダがなぜなり立ったのかということについて、その宣伝広告費の巨大さについて、次のように指摘する。


「多くの人びとの意識に原発推進を訴えかけ、無意識のうちに同調させる。これこそまさに『プロパガンダ=宣伝行為』であり、原子力ムラは戦後四〇年以上、原発礼賛の宣伝広告活動を延々と展開してきた。そのために費やした金額が最低でも約二兆四〇〇〇億円に上っていたことは先述した通りである。
 これは、二つの意味で驚愕すべき数字だ。第一には、その金額の巨大さである。(省略)二つ目の驚くべき点は、これらの広告費の原資がすべて、利用者から集めた電気料金だったということだ。」


 つまり、原発プロパガンダとは、自分たちの金で自分たちの首を絞めていた、ということなのだ。
 次に、本間は、「ではなぜこんな仕組みが長年露見しなかったのか」ということについて、種明かしをする。


「最大の理由は、本来は警鐘を鳴らすべき報道メディア(新聞やテレビ、雑誌等)が完全に抱き込まれ、原発推進側(原子力ムラ)の共同体となってしまっていたことだ。メディアは長期間にわたり巨額の『広告費』をもらうことによって原子力ムラを批判できなくなり、逆にそのプロパガンダの一翼を担うようになってしまった。
 特に二〇〇三年以降、新聞でもテレビでも、原発に関するネガティブな情報発信は自粛され、ほとんど国民の目に触れなかったのだから、大半の国民は問題の存在にも気がつかなかった。たまに事故報道はあっても、保安院(当時)や御用学者らによって『すべては軽微な事象(彼らは絶対に『事故』とは言わなかった)』とされ、批判するものを総攻撃していた。そんな状況が福島第一原発の事故発生まで延々と続いていたのだ。」


 本間は、原発プロパガンダというものが、なぜ必要とされたかについて、次のように説明する。


「二つの大きな問題があった。それは原発というシステムがきわめて不完全であり、この四〇年間で度々事故が発生したことと、日本は世界有数の地震大国で、原発を設置するには全く不向きな地域であったことだ。この原発推進には致命的な欠陥を、徹底的に隠さなければならなかった。そこで、単純な『原発は安全ですよ』という生やさしい『宣伝広告』レベルではなく、何が起きても絶対安全、事故など起きるはずがないという、神懸かりとも言うべき『安全神話』を流布する、徹底的な『プロパガンダ』の必要性が生じたのである。」


 さらに、本間は、この本を通して、憂うべく日本の現状を、次のように告発する。


「事故から五年たった今、多くのメディアは原子力ムラの巻き返しによって再びその軍門に下ろうとしている。大多数のメディアにとって、プロパガンダに従ったなどという体裁の悪い事実は存在せず、そもそも原発プロパガンダがあったことも認めたくないのだ。」


 本間のこの本は、現状警告の書なのである。


by asyagi-df-2014 | 2016-07-03 06:07 | 本等からのもの

沖縄-屋良朝博さんの「米海兵隊が内部資料に書いた『沖縄にいる理由』」を読む。

AERA2016年6月27日号は、特集「[大特集]沖縄を他人事だと思っていませんか」を組んだ。
 この号に掲載された屋良朝博さん(以下、屋良とする)の「米海兵隊が内部資料に書いた『沖縄にいる理由』」を読む。 
 


 屋良は、「米海兵隊はなぜ、沖縄にいなければならないのか。」について、このように書き始める。
 米海兵隊員へのオリエンテーションで使う資料である「沖縄の歴史と政治状況」(以下、内部資料とする)には、「沖縄への米軍駐留をめぐる日本政府の『ウソ』がはっきりと書かれていた。」、と。


「米海兵隊はなぜ、沖縄にいなければならないのか。日本政府は表向き、沖縄の地理的優位性などを挙げるが、本当の理由はほかにあった。
 日本政府が沖縄駐留を望んでいる。なぜなら、本土で代替地を探せないからだ──。」



 次に、屋良は、GHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー最高司令官の「琉球の住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。日本人は彼らを軽蔑している。彼らは単純でお人よしで、米国の基地開発でかなりの金額を得て比較的幸せな生活を送ることになる」との物言いと、この内部資料の次の言葉を紹介する。
この内部資料は、「こうした特性が、根強い住民の反対運動の裏側にある」と分析しているとする。

「沖縄県や自治体は基地問題をテコに、中央政府から補助金や振興策を引き出している」
「沖縄の新聞は偏向している」
「沖縄の人は一般的に情報に疎く、彼らは限られた視界で物事を見ている」



屋良は、「米軍の沖縄駐留については、『沖縄と本土の関係』の中で触れられているところが注目点だ。」、と説明する。それは次のものである。


 
①「『沖縄県民は日本人である前に沖縄人であることを意識する』と独自性=異質性を指摘し、『1879年に強制的に日本帝国に引き入れられて以来、劣った民族として本土からの差別を経験してきた』と述べた上で、こう続ける。
②「過去20年以上にわたり、(日本)政府と沖縄県は立場が異なり、多くの場合、対立しあっている。日本政府は部隊と基地が(沖縄に)とどまることを希望している(なぜなら、本土で代替地を探せないからだ)」


 つまり、日本政府はこれまで、「沖縄が海兵隊にとって『唯一』の駐留適地だと何度も繰り返してきた。」ことや「様々な緊急事態への対処を担当する米海兵隊をはじめとする米軍が(沖縄に)駐留していることは、日米同盟の実効性をより確かなものにし、抑止力を高める」(防衛白書)という主張してきた。
 しかし、「米海兵隊側はそんなことはみじんも考えていないことを、この文章は浮き彫りにする。」、と屋良は言い当てるのである。
 だから、屋良は、「真実はかくも単純だ。日本と沖縄の関係性の中に、沖縄の苦悩が組み込まれていた。古今東西、独立国に外国軍を存在させようとすると、常に政治的圧力にさらされる。だから、国内で圧力が最も弱くなるところ、つまりマイノリティーのいるところに置くのが好都合なのだ。」、と鋭く問題の本質を指摘する。
 結局、「米海兵隊はなぜ、沖縄にいなければならないのか。」ということの答えは、「日本政府は部隊と基地が(沖縄に)とどまることを希望している(なぜなら、本土で代替地を探せないからだ)」、ということに過ぎないことがわかる。

 さらに、屋良は、「沖縄戦の前年、1944年に米海軍省は、沖縄についての『ハンドブック』を策定した。この中にも、『日本と琉球の間には(米国が)政治的に利用しうる軋轢(あつれき)の潜在的な根拠がある』と書いてある(かっこ内は筆者が補足)。」、と続ける。
 このことの意味は、「日本と沖縄の関係性を巧みに利用し、沖縄に基地を置くように日本側に仕向ければ、そのことに日本人は良心の呵責を感じないため、永続的な基地使用が可能になる、と見ていたと解釈できる。そんな米国の分析と洞察が正しかったことは、戦後70年の歴史で証明し尽くされている。」、とし、「そして、この『占領者の目』はいまも変わらないことを示しているのが、米海兵隊の資料なのだ。」、とする。



 この「占領者の目」に加えて、もう一つの「傲岸な目」(作者作成)について、屋良は、次のように示す。それは、日本政府の「傲岸な目」である。



①「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の問題もそうだ。6月5日投開票の沖縄県議選で、辺野古移設反対派で翁長雄志県知事を支持する候補者が48議席中27議席を占めた。中立の公明党4人を含めると、辺野古反対は31議席と圧倒的多数になった。しかし、この民意を日本政府は無視しつづける。」
②「辺野古埋め立てをめぐり、政府は昨年11月、翁長知事を提訴した。訴状の中で政府は、外交、防衛にかかわる事柄について沖縄県ごときの出る幕はない、と言わんばかりに高圧的だ。司法が判断できない高度な政治問題だ、と裁判所さえ牽制している。
③「沖縄県は裁判で海兵隊の機能、運用など実態論を展開した。海兵隊を運ぶ海軍艦船が長崎県佐世保市に配備されているのだから、沖縄の海兵隊基地は船が隊員と物資を詰め込む「船着き場」でしかない。それは九州のどこでも代替可能である、と指摘した。
④「これに対し日本政府は、船に乗らない任務もある、と言い張った。いやはや、支離滅裂だ。海兵隊は1775年、海軍の一部として発足。今も実際に、米海軍の艦艇で世界の海を駆け巡り、沖縄の海兵隊も一年の半分以上は沖縄以外で訓練を行っている。しかも、米軍再編によって在沖海兵隊は戦闘兵力の主軸である第4海兵連隊(歩兵)を米グアムへ撤退させる。沖縄残留兵力では小規模紛争でさえも対応できなくなる。再編後の海兵隊はもはや戦う兵力とはいえなくなる。」



 屋良は、「日本の政治家はだれもが、『沖縄の負担軽減』と口をそろえる。しかし、基地を引き受ける気はない。しかも、その結果として再編が進まない責任は沖縄に押し付け、果実だけを得ようとする姿勢は、破廉恥としか言いようがない。そんな安全保障政策の軽薄さは言うまでもなく、米国側に見透かされている。」、と指摘する。
 これは、日本の安全保障政策はこれぐらいのレベルなのだと。そして、だからこそ沖縄が必要とされているのだと。



「米大統領選で共和党候補の指名を確実にしたドナルド・トランプ氏は、在日米軍の駐留経費を日本側が100%負担しなければ撤退する、と主張している。これに対し、民進党の長妻昭代表代行は5月7日の民放番組で、『日本も駐留経費を出していることや、沖縄が極東の重要な拠点であることを外務省が早急に説明しなければいけない』と発言した。安保に知恵のない日本が差し出せるのは、カネと沖縄ぐらい、ということなのだろうか。」



 また、屋良は、最近の安全保障の変化を次のように指摘する。



①「オバマ政権は今、アジアで『スマートパワー』を推進する。軍事という『ハードパワー』と、経済・文化・技術などの国際協力という『ソフトパワー』を統合した対外政策だ。海兵隊もアジアの同盟国、友好国との合同演習は従来の戦闘訓練に加えて、人道支援や災害救援をテーマにした訓練を重視するようになった。」
②「海兵隊は毎年2月にタイで『コブラゴールド』、4月にフィリピンで『バリカタン』という名称の国際共同訓練を実施している。遠くはラテンアメリカや欧州からも参加があり、オブザーバーを含め20~30カ国の軍隊が一堂に会する。
 各国軍の兵士は協力して山奥の小学校で校舎など公共施設を修繕、整備する。軍医らは仮設の診療所で地域住民を診療、治療する。こうした無償の人道支援活動を米軍は『テロとの戦い』と呼んでいる。テロリストが拠点とする山奥の寒村に展開し、テロへの抑止効果を期待しているのだ。加えて、共同訓練にはもう一つ大きな意味がある。中国軍の参加だ。」
③「13年のバリカタンの災害救援訓練に、中国軍はオブザーバー参加。翌年のコブラゴールドには陸上部隊17人を派遣し、人道支援活動などに初参加している。中国軍は『米中両軍の協力がアジアの安全保障に貢献している』と自賛した。しかし、この動きは日本であまり報じられていない。」



 最後に、屋良は、こうした状況を分析する中で次のように主張する。



①「日本にとっての安全保障は、米軍と協力して仮想敵の中国を警戒すること、と理解しているなら、時代遅れだ。仮想敵に軍事で対抗するのは『国防』であり、安倍晋三首相が言う『安全保障』は、言葉の使い方として間違っている。憲法改正を巡る論議をしたいなら、まずこの区別を明確にする必要がある。」
②「日米中のトライアングルは、見る角度によって全く違う風景になる。沖縄の米軍基地がなければ日米安保体制が維持できない、という思考から抜け出せない日本は、アジアの安保環境を読み違えている。」
③「女性の殺人・強姦致死容疑事件を受け、沖縄県議会は5月26日、全会一致で在沖海兵隊の撤退決議を初めて可決した(自民会派は退席)。米海兵隊の任務や運用の実態を知れば、この決議の正当性がわかるはずだ。」
④「アジアの安全保障環境は明らかに冷戦後の変化のただ中にある。日本人が、安保への賛否や保守対革新、右か左かといった冷戦時代の思考形式から抜け出さない限り、沖縄の差別的な基地負担は終わらない。」


by asyagi-df-2014 | 2016-07-01 05:49 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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