カテゴリ:書くことから-憲法( 147 )

「安保法制違憲訴訟の会」は、全国で約1000人が違憲訴訟の原告になり、行政訴訟と、国家賠償訴訟の2件を東京地裁に起こし、続いて各地の地裁に提訴。

 標題について、毎日新聞は2016年3月29日、「全国の弁護士有志でつくる『安保法制違憲訴訟の会』が29日、東京都内で記者会見し、全国で約1000人が違憲訴訟の原告に加わる意向を示していることを明らかにした。4月下旬にも安全保障関連法に基づく自衛隊の出動差し止めを求める行政訴訟と、慰謝料を求める国家賠償訴訟の2件を東京地裁に起こし、続いて各地の地裁に提訴する。」、と報じた。
 東京地裁の訴訟について、「東京地裁の訴訟は、空襲・原爆の被害者や基地周辺住民らが原告となる。慰謝料は『安保関連法施行で平和的生存権や人格権が侵害された』などとして1人10万円を請求する方針。同会共同代表の福田護弁護士は『基地がテロや攻撃の対象となり、周辺住民は生命、身体の危険にさらされる。戦争ができる国になり、日本の社会や文化が変質することがあってはならない』と話した。」、と伝えた。


 以下、毎日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-04-01 17:19 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

安保法制施行に抗議しその適用・運用に反対する会長声明(日弁連)を考える。

 日弁連は、2016年3月29日、「安保法制施行に抗議しその適用・運用に反対する会長声明」を発表した。
 このことについて考える。
この会長声明の要約は次のものである。


(1)反対の理由

①安保法制は、「存立危機事態」なる要件の下に、歴代内閣が憲法上許されないとしてきた集団的自衛権の行使を容認し、外国軍隊の武力行使との一体化に当たるとして禁じてきた範囲にまで後方支援を拡大し、国連平和維持活動(PKO)に従事している自衛隊に駆け付け警護等の新たな任務と任務遂行のための武器使用権限を付与すること等を認めている。                                      ②これらにより我が国が武力紛争の当事者となる危険性が現実のものとなろうとしている。その意味で、この安保法制は、憲法前文及び同第9条に定める恒久平和主義に反し、平和的生存権を侵害するとともに、憲法改正手続を経ずに一内閣の閣議決定による憲法解釈の変更に基づき法案を作成し、国会で可決されたものであり、実質的に憲法を改変するものとして立憲主義に反している。
③このような憲法違反の安保法制が施行され、我が国が集団的自衛権の行使としての武力行使をした場合はもちろん、PKOや米軍等の武器等防護による武器使用や後方支援の拡大に踏み出せば、外国軍隊の武力行使と一体視され、我が国が相手国からの攻撃の対象になる可能性も高まる。
④海外にPKOとして派遣されている自衛隊に対し、駆け付け警護等の新たな任務と、任務遂行のための武器使用権限が付与されるならば、自衛隊員が任務遂行中に武装勢力などの攻撃を受け、それに反撃することで戦闘行為となり、自ら殺傷し、殺傷されるという極めて危険な事態に至るおそれがある。

(2)日弁連の姿勢
①これらは、恒久平和主義が破られ、平和的生存権の侵害が一層現実化することを意味し、立憲主義は危殆に瀕すると言わなければならない。
②よって、当連合会は、憲法違反の安保法制の施行に抗議するとともに、その適用・運用に強く反対し、改めて安保法制の廃止を求めるものである。


 この戦争法の施行は、「恒久平和主義が破られ、平和的生存権の侵害が一層現実化することを意味し、立憲主義は危殆に瀕すると言わなければならない。」、ことを深く肝に命じるものである。


 以下、日弁連会長声明の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2016-03-31 06:16 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

2016年3月29日0時。戦争法(安全保障関連法)が施行された。

 2016年3月29日0時、戦争法(安全補償関連法)-「歴代政権が憲法9条の下で禁じてきた集団的自衛権の行使を可能にし、他国軍の後方支援など自衛隊の活動を飛躍的に拡大させる安全保障関連法」(沖縄タイムス)-が、施行された。
 この問題を、各紙の社説・論説で考える。
 各紙の見出しは次のものである。


【3月28日】
(1)山陰中央新報論説-安保法施行へ/国民の理解が不可欠だ
(2)高知新聞社説-【安保法施行】「粛々と」では済まない
(3)西日本新聞社説-安保法施行 転換の是非問い続けよう
【3月29日】
(4)朝日新聞社説-安全保障法制の施行 「違憲」の法制、正す論戦を
(5)毎日新聞社説-安保法施行 思考停止せずに議論を
(6)東京新聞社説-安保関連法施行 「無言館」からの警鐘
(7)読売新聞-安保関連法施行 迅速な危機対処へ適切運用を
(8)北海道新聞社説- 安保関連法施行 重大な懸念は変わらない
(9)東奥日報社説-幅広い理解得られるか/安保法施行
(10)岩手日報論説-安保法施行 違憲の疑い晴れぬまま
(11)信濃毎日新聞社説-安保をただす 関連法施行 9条改憲の一里塚の懸念
(12)神戸新聞社説-安保法施行/「理解を得た」とは言い難い
(13)愛媛新聞社説-安保法施行 忘れず諦めず「ノー」を誓う日に
(14)宮崎日日新聞-安保法施行
(15)南日本新聞社説-[新安保政策・安保関連法施行] 「崇高な痩せ我慢」をやめていいのか
(16)沖縄タイムス社説-[安保法施行]違憲の疑い放置するな


 こうした社説等の見出しから伺えるのは、第一に、「違憲の疑い晴れぬまま『粛々と』では済まないために、思考停止せずに議論を行い、国民の理解を不可欠とする」、ということになる。
 この上で、忘れず諦めず「ノー」と言い続ける。何故なら、戦争法は9条改憲の一里塚だからである。
 もちろん、相変わらず読売新聞の「『違憲』批判は的外れだ」との突出ぶりは際立っている。


 最後に、毎日新聞は、無言館から鳴らす警鐘として、無言館館主の窪島誠一郎さん(74)の声を伝えて、この問題への主張とした。


「日本は一センチでも戦争に近寄ってはいけない国だ。角を曲がって戦争の臭いがしたら、戻ってこなければいけない。このままほっておけば『無言館』がもう一つ増える時代がやってくる」。


 この言葉を深く自覚したい。


 以下、各紙の社説・論説等の引用。(また、長文です)





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by asyagi-df-2014 | 2016-03-30 06:18 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

ワシントン・ポストの社説で、「報道圧力 安倍政権はやめよ」、と。

 標題について、琉球新報は2016年3月9日、「米有力紙ワシントン・ポストは6日、政治的に公平でない放送を繰り返す放送局に電波停止を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の発言や安倍晋三首相に近い自民党議員による勉強会での沖縄2紙への圧力などを取り上げ、安倍政権はメディアに圧力をかけるべきではないと批判する社説を掲載した。」、「ワシントン・ポスト紙は高市氏の発言の背景には安保法制に関する報道など『メディアに対する安倍晋三首相のいら立ち』があると分析した。NGO『国境なき記者団』が調査した2015年のランキングで、日本の『報道の自由度』が180カ国中61位となっていることも紹介した。」と報じた。
 また、ワシントン・ポスツの社説の内容について、「『日本が戦後に成し遂げたことの中で最も誇るべきものは、経済の奇跡ではなく、独立したメディアを含む自由主義制度の確立だ』と指摘。『首相にいかなる目標があっても、それら(自由主義制度)を犠牲にして追求するべきではない』と強調した。」。と伝えた。


 日本のマスコミは、このワシントン・ポストの指摘をどのように受け止めることができるのだろうか。


 以下、琉球新報の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-03-15 06:20 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

「国立大学の卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱に関する文部科学大臣の発言の撤回を求める憲法研究者声明」を読む。

 「STOP!違憲の『安保法制』 憲法研究者共同ブログ」では、2016年3月8日、次のように述べています。


「2016年3月8日に、憲法研究者の有志89名が共同で声明を発表しました。本声明は、2月21日と23日に馳浩文部科学大臣が、卒業式などで国歌斉唱をしない方 針を示した岐阜大学の学長の判断を『恥ずかしい』と批判したことに対して、抗議の意思を表明し、当該発言の撤回を求めるものです。
 馳文部科学大臣の当該発言は、各国立大学の自律的な判断を事実上否定するものであり、憲法23条で保障された大学の自治の趣旨に反することは明らかです。学問研究・高等教育機関である大学が、その研究・教育の内容や方法について、政府の意向を過度に忖度して、学問的な専門的知見に基づく判断を歪めることになれば、それは大学だけでなく、社会全体にとって大きな損失をもたらすことになります。なぜなら、その社会では、ある物事の見方や考え方について、学問的知見よりも、時の政府の都合や利益が優先されることになり、果てには、その時に力を持つ者の恣意や専横がまかり通ることになってしまうからです。
 是非、声明本文をお読みください。」


 この「声明」を読む。
(1)事実経過
①馳浩文部科学大臣は、2016 年 2 月 21 日の金沢市での記者会見で、卒業式などで国歌斉唱を しない方針を示した岐阜大学学長に対し、「国立大として運営費交付金が投入されている中であ えてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と述べたと報道され、続い て 23 日にも文部科学省での定例記者会見で「日本人として、特に国立大学としてちょっと恥ずか しい」との批判を繰り返しました。
②この問題は、昨年 2015 年 6 月 16 日、下村博文前文部科学大臣が、全国 86 の国立大学の学 長に対し、卒業式や入学式での国旗掲揚と国歌斉唱を求めたことに始まりました。下村氏は、あく までも「お願い」であり、受け入れるかどうかは各国立大学の判断だと述べました。しかし、国立大 学の財政が、文部科学省の裁量に基づく資金配分に大きく委ねられている以上、「お願い」とは 言っても、その事実上の影響力は極めて大きなものです。将来的な資金配分での不利益の可能 性を恐れて、各国立大学の学長が、大臣の意向を過度に忖度し、「お願い」を受け入れざるをえ ないと判断してしまうかもしれない状況が作り出されました。したがって、下村氏の「お願い」自体、 大学の自治の観点からは大きな問題点を含むものでした。
③馳大臣は、下村氏の「お願い」を受け入れず、国歌の斉唱を行わないと決めた岐阜大学を名指 しで批判しました。馳大臣の批判は、下村氏の要請が決して「お願い」にとどまるものではなかっ たことを証明するものです。
④各国立大学がその「お願い」を受け入れない判断をすることがますます難しい状況 になっています。
(2)反論
①安倍内閣による国旗掲揚・国歌斉唱の要請は、事実上の強制力を有するものであると評価せざるをえません。こうした事実上の強制力を伴うものであることが明らかに なった以上は、この要請は、国立大学の自律的な判断を否定しようとするものであり、憲法 23 条 の大学の自治の趣旨に反するものと言わざるをえません。
②憲法 23 条が保障する学問の自由が大学の自治を要請するのは、真理を追究する学問研究が
政治権力から独立して自律的に行われることが、結果として、より善き社会を作っていくことに貢 献するからです。逆に言えば、戦前の滝川事件、天皇機関説事件を引くまでもなく、政治権力が 大学の自治的決定や研究者の学問内容に干渉しようとするとき、その社会は誤った道を進んでい る危険があるのです。だからこそ、この問題には敏感に反応しなければならないと私たちは考えま す。
③憲法学の通説的見解は、戦前の経験を踏まえ、政治権力は学問内容や大学の自治的決定に 絶対に介入してはならないと考えています。その理由は、一旦、政治権力の介入を受け入れてし まえば、それを限定するのは非常に難しくなるからです。
④馳大臣は、「恥ずかしい」という理由に関して、国立大学には国費が投入されているから ということを挙げていますが、この理由は成り立たないものです。なぜなら、そもそも国費を投入さ れていることを理由に、大学は、研究および教育の内容・方法に関する国のお願いを受け入れな ければならないのであれば、それは大学の自治がまったく保障されないのと同じだからです。学 問研究・高等教育機関であることを理由に国費が投入されている以上は、それに関する国民への 責任の果たし方は、大学自身が決めることができなくてはいけません。仮に文部科学大臣の「お 願い」を過度に忖度して、大学が、学問的・教育的な専門的判断を歪めるようなことをするならば、 それこそが学問研究・高等教育機関としての国民に対する責任の放棄です。
⑤国旗・国歌だけは例 外だ、という見解があるかもしれませんが、卒業式等での教育内容・方法の問題である以上は、そ こでの国旗・国歌の取り扱い方も大学の自治の例外ではありません。
 大学がこの要求を受け入れるならば、その他の要求にも従わざるをえません。萎縮した研究者 は、権力に都合の悪い研究はしなくなるかもしれません。それが、日本社会にとって本当によいこ とでしょうか。
(3)結論
 国立大学の入学式・卒業式で国旗を掲揚し、国歌を斉唱するかどうかを決定する 権限は、各国立大学にあります。大学が決定したことを、文部科学大臣は受け入れなければなり ません。馳大臣による批判は、憲法 23 条の趣旨に違反することは明らかです。私たちは、馳大臣 に対し、発言の撤回を求めます。


 この問題ではっきりしていることは、「安倍内閣による国旗掲揚・国歌斉唱の要請は、事実上の強制力を有するものであること」、そしてこれに基づく一連の策動は、「憲法23条で保障された大学の自治の趣旨に反することは明らかであること」、ということである。


以下、「声明」の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2016-03-12 06:10 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

緊急事態条項を考える(2)。

 「緊急事態条項」について、考えます。
今回は、水島朝穂さんの「直言」と「奥平康弘・愛敬浩二・青井未帆編『改憲の何が問題なのか』岩波書店」をもとに考えます。

 水島さんの「直言」の次の指摘は、このところのテレビ画面を覗いた時の「あれ。これは」という私自身の思いに繋がるものでした。


「安倍首相の様子がおかしい。自らを神格化し(天孫ニニギノミコトの生まれ変わり)、全能感いっぱいで、爆走している。国会での答弁風景も、誰もが『大丈夫か』と思う危険水域に入ってきた。ヤジを飛ばす、聞かれたことに答えない、はぐらかす、論点をすり替える、別の問題を延々としゃべり続ける・・・。とりわけ1月19日の参議院予算委員会の答弁には仰天した。」
「福島瑞穂議員(社民党)が自民党改憲草案の緊急事態条項について、『ナチスの授権法〔全権委任法〕とまったく一緒だ』と追及すると、『緊急事態条項は諸外国に多くの例があり、そ・う・し・た・批・判・は・慎・ん・で・も・ら・い・た・い・』と述べたのである。議員に向かって、質問をするなと言ったに等しい。批判に対しては反論できる機会があるのに、批判を封じようとする発想は危ない。また、国会の審議は討論会ではない。国民の代表である国会議員の質問に答えるのは、行政府の長である首相の義務である。」


 この日のテレビで見た安倍晋三首相の様子は、爆発寸前の「こわさ」を漂わせていました。それは、人間として壊れるのではないかという危惧さへも覚えさせる類の「こわさ」です。

 さて、「改憲の何が問題なのか」から、緊急事態条項について、要約します。


(1)水島さんの立ち位置
 日本国憲法の徹底した平和主義の観点から、憲法9条の大幅改変と連動して(本書第4章・青井論文参照)、軍事装置に強大な権限を与えるような緊急事態条項には反対であり、「改正草案」はそれだけで検討に値しないのだが、本稿では、こうした外在的批判はひとまず措いて、仮にそれを条文化した場合、立憲主義の観点からどのような問題が生じうるかを内在的に明らかにすることに主眼を置いたことをお断りしておきたい。
(2)結論
 この緊急事態条項を含む自民党「改正草案」は、決して実現されることなく、そのまま歴史の博物館に寄贈することが、その最良の活(生)かし方ではないだろうか。
(3)反対の理由
①「改正草案」の緊急事態条項は、もし実現するようなことがあれば、内閣(総理大臣)が「何でもできるようになる」ことを授権するための条項として機能する可能性が高いことが分かった。内閣総理大臣への過度の権限集中など、先行する各種の「憲法改正試案」などと比べても、「改正草案」は突出した専断性を有しているからである。
②条文の設計が、既存の法律を無批判に、ときに大雑把、乱暴に転写したものになっている点も、憲法と法律の根本的な差異に無自覚な、「改正草案」の危うさを示している。それは、憲法は権力を制限する規範であるという近代の(そして近時では国際的な共通理解としての)立憲主義の大前提を無視したまま(あるいは、知らないまま!)、日本国憲法を、国民が「尊重」しなければならない規範、権力の発動要件を定めたルールへと変質させようとする、「改正草案」全体に通底する問題性とも重なってくる。
③憲法の緊急事態条項に、改めて人権の「最大限の尊重」を求める規定を挿入するという「愚挙」を目にしたとき、この一事をもってしても、「改正草案」において想定されている「憲法」が単なる重要な法律に類するものに過ぎないという壮大な勘違いに気づかない人々が権力を担い、憲法を改正しようとしていることに慄然たる思いがする。
(4)7つの問題点
①「緊急事態」の非限定性――「今そこにある危機」は何でも?
 「内乱等による社会秩序の混乱」は、「等」に何を含めるかによって、「社会秩序の混乱」を拡大解釈することが可能となる。「その他の法律で定める緊急事態」に至っては、90年代の国内金融危機や2000年以降の国際金融危機などの経済財政上の事態や、伝染病の流行、パンデミックなども想定され得るのか。3つの例示事態を含めて、それぞれ性質が異なっているにもかかわらず、98条1項では一律に取り扱われている。各国の緊急事態条項が、緊急事態の限定や慎重な列挙に熟慮のあとが見られるのと比べても、「改正草案」のおおらかさには驚くばかりである。
②法律への委任の多用――存在の耐えられない軽さ…
 「改正草案」で目立つのは、法律への委任が実に多いことである。わずか2カ条で「法律の定める(ところにより)」という文言が8カ所に出てくる。「改正草案」の発想は、緊急事態宣言の要件や効果に関わる事項を、各種緊急事態に関連する法律に委任するようあらかじめ宣言する結果になっている。これは、憲法上の重要事項について、単純過半数により制定可能な法律に委ねるものであり、大いに問題だろう。
③緊急事態宣言の要件・手続――閣議と国会承認
 「改正草案」では緊急事態宣言を内閣総理大臣が行う際、「閣議にかけて」が要件となる。
 だが、「閣議にかけて」という文言は、合議体としての内閣の決定の要請とは明らかに区別されており、行政権の主体としての内閣ではなく、内閣総理大臣の権限に依存することを示唆する。慣行として全会一致が原則の閣議決定を必要とせず、場合によっては国会の事前承認も不要なまま、内閣総理大臣の判断だけで宣言を認めることは、緊急事態の専断的認定になりかねない。
 宣言等に対する国会の事前・事後の承認についても、「法律の定めるところ」に丸投げされている。事前はもちろん、事後であっても何日(場合によっては何時間)前、あるいは後ということを定めていないのは、緊急事態条項全体に通底する、時間的限定に対する自覚のなさを象徴している。
④「特別政令」の制定権――立法権の簒奪?
 大日本帝国憲法8条は「法律ニ代ルヘキ勅令」を定めていた。緊急勅令である。「改正草案」は、戦前日本における緊急勅令の歴史的教訓を踏まえたものとは到底言えない。
 「Q&A」は、通常の政令以上の効力を持つ「緊急政令」が、災害緊急事態の布告に伴う緊急措置として認められていると書いている(災対基本法109条)。だが、これは国会が閉会中であるなど、立法府の判断が直ちに期待できない場合を想定したものである。また、必要な措置に限って制定されるもので、決して「法律と同一の効力」を持つものではない。対象事項も限定列挙の形をとり、厳しく制限されている。それゆえ、「改正草案」99条1項の「政令」に関しては、右の「緊急政令」と区別して、以下、「特別政令」と呼ぶことにしたい。
 特別政令は、国会の事後承認を待たずに効力を発揮し、承認も通常議案の可決のための手続を省略することを想定しているようにも見えるが、これは重大な問題をはらむ。
 特別政令が「法律と同一の効力」を持つということは、「改正草案」の緊急事態条項が多用する「法律の定めるところ」の法律もまた、この特別政令によって改正され得るのではないかという疑念を払拭しきれないからである。特別政令によって改正されうる事項の制限が規定されていないため、いったん緊急事態の宣言が発せられれば、内閣(総理大臣)による濫用的な法改正が、「法律と同一の効力を有する」特別政令によって可能となる。緊急事態の定義の曖昧さと相まって、政府による立法権の簒奪も起こり得る。
⑤「基本的人権の尊重」――武力攻撃事態法のコピペ?
 武力攻撃事態法における「配慮」規定を、憲法そのものに転写(コピペ)し、それで人権保障に配慮したかのような体裁を取り繕う「改正草案」のこの部分には、人権保障や立憲主義に対する無理解と無自覚が最も鮮明にあらわれていると言えよう。
⑥緊急事態宣言の効果――時間的限定と両院関係
 緊急事態宣言の効果の継続は、100日を超えるごとに国会による事前承認を要件としている(99条4項)。権力の抑制原理という点からは、時間的な効力の限定は重要な意味をもつ。緊急事態宣言が発せられる以前の「通常状態」と「緊急事態」との区別を明確化することに、どこの国の憲法も苦慮してきた。
 両院関係の齟齬や未調整も随所に見られる。「改正草案」第4章が現行憲法の二院制の枠組みをほぼそのまま維持しているのに、緊急事態の宣言と継続の承認において衆議院の優越を認めるとともに、解散の禁止と任期、それに選挙期日の特例を定めることによって(99条4項)、参議院の緊急集会を実質上、無意味化している。両院関係では、予算に関する衆議院の優越の規定を「準用」し、一院(衆議院)だけの決定(通常多数決)によって承認を可能にする一方、緊急事態の宣言の解除について両院の議決を必要としている。権利制限などを伴う緊急事態の宣言と継続が、その解除と要件が異なるのはなぜなのか。規制権限の授権が、その解除よりも「軽く」できるのは、迅速性を過度に重視する姿勢のあらわれだろうか。また、緊急事態の解除に関わる議決が、両院において異なった場合、具体的にどのような解決がはかられるのかも不明確である。
⑦司法的統制の不在――裁判所も機能停止?
 緊急事態における司法権のあり方について全く言及がないのも致命的である。各国の憲法では、緊急事態においても裁判所の機能が確保されている。
 もちろん、「改正草案」が実現した場合でも、特別政令に対する司法審査の可能性は一般に否定されてはいないが、具体的な事件を通じて特別政令を問題とすることは訴訟上難しく、司法的統制の実効性は低いものにならざるを得ない。
(5)「どこの国の憲法にもあるから日本にも、なのか?」への反論または憲法論における「国家緊急権」について
①日本国憲法はこの緊急権について「沈黙」を守っている。
②これを「あるべきものがない」という意味で「欠缺」ないし「欠陥」と見るか、それとも、戦前の大日本帝国憲法下の戒厳や天皇非常大権、緊急勅令などの教訓と反省から、緊急権の制度に対して距離をとり、あえてこれを憲法上採用しなかったと見るかという点で、議論が分かれる。憲法の前文と9条の徹底した平和主義との関連で見れば、執行権に権限を集中し、とりわけ軍事装置に特別の権限を与える緊急権に否定的な評価を与え、あえて緊急事態条項を置かなかったと理解するのが妥当だろう。
③ただ、多くの国の憲法には緊急権を制度化した条項があるのに、日本国憲法にないのはおかしい、あるいは「普通でない」という言い方がよくされる。自民党の「Q&A」39にも、「ほとんどの国で盛り込まれている」とある。だが、他国にあるから日本にも、という安易で粗雑な発想でこの問題を考えてはならない。緊急事態条項は、強大な例外的権能が執行権に与えられるため副作用や反作用が大きく、どこの国でもその誤用・濫用、悪用、逆用の悩ましい過去の一つや二つは持っている。だから、それぞれの国の憲法には、誤用・濫用などを防ぐための「安全装置」がさまざまセットされている。
④緊急事態条項の危うさや悩ましい経験を踏まえ、緊急事態条項を限定したり、制限したり、さらには廃止しようと試みる国すらあるのに、「どこの国にもあるから日本でも…」という形で憲法に導入しようとする態度は、いかに安易で乱暴なものかが分かるだろう。
⑤日本の場合、憲法に緊急事態条項はないが、法律レヴェルには「緊急事態」という文言が随所に存在することである。例えば、「警察緊急事態」(警察法71条)、「災害緊急事態」(災害対策基本法105条)、「重大緊急事態」(安全保障会議設置法2条9号)である。
⑥「改正草案」は右の各種の「緊急事態」との関係がすこぶる曖昧であり、具体的な中身を法律に丸投げしていることは後に見る通りである。「改正草案」が全体として、憲法を、権力担当者が違反してはならない権力制限規範としてよりも、国民が守るべき行為規範のように設計している節ふしがあり、それは緊急事態条項の規定振りにも色濃く投影されている。


 以下、水島朝穂のブログ「直言」及び「奥平康弘・愛敬浩二・青井未帆編『改憲の何が問題なのか』岩波書店、2013年、Ⅱ5[185-198頁]所収」の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-01-30 05:59 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

緊急事態条項を考える。

 「緊急事態条項」について、あまりにも知らなすぎると反省しています。
 「戦争をさせない1000人委員会」のブログにこのことに関する資料(「憲法改正による緊急事態条項の導入の是非について」飯島滋明名古屋学院大学准教授)がありましたので、これを基に「緊急事態条項」を考えます。
 まず、この資料を要約すると次のようになります。


(1)「緊急事態条項」の定義
 戦争・内乱・恐慌や大規模な自然災害などの緊急事態の際、通常は認められない非常措置を国家機関、とくに首相がとる権限が「緊急事態条項」と言われる。
(2)「緊急事態条項」の問題の提起
 阪神・淡路大震災や東日本大震災などの自然災害を例にあげ、今の憲法には「緊急事態条項」がないからこうした自然災害に迅速に対応できなかった、だから憲法を改正して緊急事態条項を導入すべきだと言われると、納得してしまう人も少なくないかもしれない。
(3)「緊急事態条項」にかかる歴史の検証
①ヴァイマール共和国時代
・19199年のドイツの憲法であるヴァイマール憲法。ヴァイマール憲法が14年で実質的なとどめを刺され、ヒトラーが台頭したのはなぜか。理由は複合的であり、さまざまな要因が挙げられているが、憲法上の原因としては、48条の緊急事態条項が理由とされている。
・1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に任命した。ヒトラーは政権の座につくと2月1日に国会を解散し、総選挙を3月5日と決定した。総選挙までの1ヶ月間、ナチスは反対党、特に共産党、社会民主党の党本部、印刷所、集会、行進に対して凄まじいテロ行為を縦横無尽に行った(いわゆる「下からの革命」( Revolution von unten ))。しかし、政敵の政治活動を妨害するためにテロ以上の役割を果たしたのは緊急事態条項であった。
・例えば表現の自由に関しては、ナチスが最初に言論の自由を蹂躙したときに法的根拠としたのはヴァイマール憲法48条であり、3月5日の投票日までに108紙が発禁処分を受けた。発行部数にして200万部が犠牲になった。2月27日には国会が炎上する事件が起こった。ナチスは国会炎上事件を政治的に利用した。
・合法的に政敵を排斥するために出されたのが翌28日の、通称「国会炎上命令」( Reichstagsbrandverordnung )であった。「共産主義的な、国家を危機に陥れる暴力行為から防御するため」(前文)に出されたこの命令では、基本権の制約は「それらについてその他の法律で規定された限度を越えても許される」(1条)とされた。1993年3月から4月までには約25000人が、そして秋までに約10万人が国会炎上命令に基づき「保護検束」された。国会選挙の1週間前、集会の禁止と出版禁止によって共産党と社会民主党の選挙戦は著しく麻痺させられるに至った。
・ヒトラーの独裁を可能にさせたことで名高い、「国民と国家の困難を除去するための法律」( Gesetz zur Behebung der Not von Volk und Reich )、いわゆる「授権法」( Ermächtigungsgesetz )の成立は、緊急事態条項を根拠とする大統領命令に大きく依存していた。
・ヴァイマール憲法の息の根を止めることになる「授権法」は441対94(反対は社会民主党だけ)という圧倒的多数で3月23日に国会で可決された。
②フランス第5共和制時代
・いまのフランス憲法である第5共和制憲法はアルジェリアを巡る危機の中で誕生した憲法であり、36条の「戒厳令」( l’état de siège )など緊急事態に備えた条文が幾つか存在する。その中でも中心的な役割を果たすのは第16条の「緊急権」である。
・1961年4月21日深夜、外人部隊の第一空挺連隊によりアルジェリアの主要官庁が占領され、「政府代表」モラン( Morin )、総司令官ガンビエ将軍などが逮捕された。翌朝、4人の将軍の名において「最高司令部」( haut commandement )の設立が宣言され、最高司令部はアルジェリアに「戒厳令」を布告した。ゼレルはラジオで「フランスのアルジェリア」以外に平和的解決はありえないと演説した。さらに反乱軍は本国の軍極右分子と連繋しパリ進撃の気配を見せた。こうした状況で、大統領ド・ゴールはラジオ放送を通じて憲法16条による緊急権の行使を発表し、反乱軍の粉砕を表明した。反乱は数日で終息したが、4月23日に発動された緊急権は9月30日まで適用された。
・この事件では、警察官によって「リンチ」、「水死」( noyades )、「略奪」といった「あらゆる種類の暴力行為」( L’année politique,1961,p.137. )、「銃撃や拷問」(渡邊 啓貴『フランス現代史 ――英雄の時代から保革共存へ ――』(中公新書、1998年)115頁)等が行われた。
(4)「緊急事態条項」の問題点
①憲法改正による「緊急事態条項」導入も、実は戦争遂行を容易にするための法整備であることを認識する必要がある。
②自民党が2012年に発表した自民党「憲法改正草案」99条では、「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」とされている。ナチスの独裁を可能にさせた、いわゆる「全権委任法」1条と同じような内容となっており、行政権が立法権を行使できる規定となっている。
③財政に関しては、「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い」との規定を根拠に、内閣総理大臣は戦争などの「緊急事態」の際に「財政国会中心主義」(憲法83条)を棚上げにして戦争遂行のための財政を執行したり、「租税法律主義」(憲法84条)を棚上げにして戦争のための税や物資などを国会の関与なしに市民から徴収することも可能になる。
(5)「緊急事態条項」に何故、反対するのか
①東日本大震災などを例にあげ、憲法を改正して緊急事態条項を導入すべきと言われると、納得する人も少なくないかもしれない。しかし、ヒトラーによる緊急事態条項の濫用や、アルジェリアをめぐるフランス第5共和政憲法16条の行使の状況をみれば、緊急事態条項が個人の権利・自由を守るどころか、「緊急事態」を名目に、基本的人権の侵害、とりわけ権力者にとって目障りな存在の権利を侵害し、政敵排除の手段として濫用されてきたことが分かるであろう。
②自民党憲法草案にあるように、戦争遂行のために「緊急事態条項」が利用され、戦争遂行のための財政を執行したり、税や物資などを国会の関与なしに市民から徴収することも可能になる。
③「国の緊急事態としては、大規模なテロ、騒乱、大きな自然災害や原発関連施設での重大、広範囲な事故の発生」などが挙げられるが、「大規模なテロ、騒乱」に関しては、刑法の傷害罪や殺人罪、騒擾罪、さらには警察法に基づき「緊急事態」の布告を発し(警察法71条)、「一時的に警察を統制」する権限(警察法72条)が認められ、国内の内乱・騒擾のために自衛隊法には治安出動(自衛隊法78条、81条)の規定がある。「自然災害」等も最終的には首相は緊急災害対策本部を設置して自ら指揮をとり(災害対策基本法107条)、自衛隊、警察等を指揮できる(自衛隊法83条、警察法71、2条)。阪神・淡路大震災に関しても、迅速な対応をとった市の被害が少ないことが指摘されているし、淡路島では消防団の活躍により、即死者以外ほとんど死者を出さなかったことが脚光を浴びた。こうした事実が示すのは、災害による被害の拡大の原因が法制度の不備というよりも、制度の運用の仕方にあることではないだろうか。
(5)結論
①憲法改正をしなくても、自然災害などには現行法で対応が可能である。にもかかわらず、緊急事態の際に首相に無制限の権限を与えて一気に事態に対処する可能性を認める緊急事態条項を憲法改正で導入すれば、緊急事態に対処する以前に日本社会そのものが危機に陥る危険性があろう。                               ②憲法改正には国民投票が必要だが(96条)、緊急事態条項の危険性が主権者である国民に十分に認識されないうちに、憲法改正国民投票が行われる可能性がある。「改憲手続法」(憲法改正国民投票法)では、憲法改正を発議した日から60日以降180日以内と、短い期間に憲法改正国民投票が行われることになっている(2条1項)。         ③憲法改正に賛成の意見が大々的に流布される一方、憲法改正に反対の見解がほとんど流布されないなど、不公平な国民投票のしくみになっている。   
          


 「緊急事態条項」について、その危険性の割には、その危険性について知らなすぎることに、あらためて愕然とする。
 「憲法改正に賛成の意見が大々的に流布される一方、憲法改正に反対の見解がほとんど流布されないなど、不公平な国民投票のしくみになっている。」という事実のうえに、「緊急事態条項の危険性が主権者である国民に十分に認識されないうちに、憲法改正国民投票が行われる可能性がある。」という指摘は、「緊急事態に対処する以前に日本社会そのものが危機に陥る危険性」が目の前に来ているということでしかない。


「『緊急事態』を名目に、基本的人権の侵害、とりわけ権力者にとって目障りな存在の権利を侵害し、政敵排除の手段として濫用されてきた」という歴史を深く認識し、「緊急事態条項」について反対しなければならない。


 以下、戦争をさせない1000人委員会の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2016-01-26 06:30 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

「安全保障に関わることは国全体で決めることだ。一地域の選挙で決定するものではない」との答弁を考える。

 2016年1月12日の安倍晋三首相の衆院予算委員会での「安全保障に関わることは国全体で決めることだ。一地域の選挙で決定するものではない」という答弁は、驚きの発言である。いや、驚くこと自体がすでに間違っているのかもしれない。
 まさしく、この答弁は、日本国憲法でいうところの「地方自治の本旨」を否定するものである。
本来、、「地方分権」、「地方の自己決定権の確立」という流れのなかで、日本のあり方は追求されてきたはずであった。
 今回の安倍首相の答弁は、安倍晋三政権がこれまでとは異質のものであることをはっきりと証明するものである。
 当然、安倍晋三政権が画策する日本国憲法の「改憲」は、このためにあることを、きちっと受け止めなけねばならない。


 今回の安倍首相の答弁について、沖縄タイムスは2016年1月13日付けの社説で次のように反論している。
 沖縄タイムスの主張を要約すると次のようになる。


 沖縄では、「県内で行われた2014年の選挙は新基地に反対する候補がすべて勝利を収めた。名護市長選、衆院選の全4小選挙区、知事選である。翁長雄志知事が埋め立て承認した前知事に約10万票の大差をつけて民意がはっきり示された」。
 にもかかわらず、辺野古新基地建設をを強行しているのが安倍政権である。
 日本人の「日米安保条約を肯定する人は8割を超える。」、ことは確かである。にもかかわらず、「米軍専用施設が沖縄に集中するのは不条理この上ない」ものである。
 結局、「沖縄が求めているのは受益に見合う応分の負担だ。」、ということなのだ。
 つまり、沖縄の主張は、日米安保を肯定し受益する以上、日本全体で、「受益に見合う応分の負担」が必要であるということだ。日本人全員がその自覚を持つ必要がある、ということだ。
 今回の安倍首相の答弁の主旨は、「安全保障政策は国の専管事項で、沖縄が選挙を通じてどんな民意を出したとしても新基地をつくる。」、ということにある。
 しかし、この答弁は、「仮に安全保障政策が国の専管事項であったとしても地域の意思を無視して米軍基地の建設が許されるわけではない。自治体は住民の生命と財産、生活を守る任務がある。地元の理解を欠いた安全保障政策は『砂上の楼閣』である。首相発言は民主主義、地方自治にもとる考えだ。」。
 残念ながら、「選挙前に予防線を張り、新基地建設に反対する大多数の県民に『無力感』を与える狙いが感じられる。」、とさえ指摘せざるをえない。


 どうやら、「日米安保を肯定し受益する以上、日本全体で、『受益に見合う応分の負担』が必要であるということだ。日本人全員がその自覚を持つ必要がある、ということだ。」、ということを真剣に考える時が来ている。


 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-01-14 17:22 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

世界平和アピール七人委員会のアピ-ルを考える。

 世界平和アピール七人委員会は、2015年12月20日、「武力によらない平和の実現を目指して ―世界平和アピール七人委員会創立60年に際して―」と題するアピールを発表しました。
このアピ-ルを考える。


(世界及び日本の状況分析)
①今日、世界は安定を欠き、中東では、ヨーロッパ諸国による植民地支配の残渣が解消されることなく、長年の被圧迫者の不満が噴出し、関係者の利害が錯綜している。その中で大国による紛争地域への利己的な武器供与を含む行動が続き、国家と非国家によるもつれあいの破壊活動が相次いで、世界各地に恐怖と憎悪が広がっている。
②報復の連鎖は、恐怖と無関係に生きることができる安全・平和な世界につながる道ではない。
③一方、東アジアでは、日本の戦争責任について、いまなお共通の歴史認識をもつに至らず、冷戦の終結は遅れたままで、国家間の真摯な対話が成り立っていない。
④第二次世界大戦から70年経過した今日、日本では、国民に誠実に説明して納得を求めることなく、日本国憲法も国会も無視し、主権者の国民の意向と無関係に、まず外国への約束を重ねて既成事実をつくる政治が強行されるという異常事態が続いている。
(主張)
①世界は時代と共に次々に変革を重ねてきたのであって、現在の不安定な状況が、いつまでも継続することはありえないと考える。変化の兆しを見逃すことなくとらえるためには、歴史を踏まえて、未来を見通していかなければならない。
②世界の中で、日本と日本人は、日本国憲法、そして国連憲章の基本理念である“国際紛争を平和的手段によって解決する”姿勢を堅持すべきであって、特定国への過度の依存と癒着を解消し、自立することが必要である。日本は“武力による威嚇または武力行使”を放棄し、交戦権を認めていないのだから、全世界から信頼される道を歩み、恐怖のない安全な世界の樹立に向けて主導的に貢献するために有利な立場に立っているはずである。そのためにも日本は、人口激減が進行する中で本来実現不可能な軍備増強、外交軽視路線を続けることを速やかに転換すべきである。
③日本は、近隣諸国との間で、科学技術、教育、文化、スポーツ、経済などの協力・交流を強め、相互理解を増進することを積極的に進めて、政治の世界における不信関係、敵対関係を速やかに解消させるために貢献することが必要である。国民の多数が自ら考え続け、発言し、行動していけば、アジアの平和は実現できると私たちは信じている。
(結論)
戦争は最大の環境破壊であり、いかなる戦争も非人道的である。安心して平和の中で生きていける世界は現実の目標であるが、願望だけでは実現できない。私たち一人ひとりが具体的に一歩ずつ歩みを進め、できるところから基盤を拡大していくべきである。
 我々七人委員会は、創立60年の機会に、武力に依存しない平和な世界の実現を目指してこれからも努力を続けていくことをあらためて宣言する。


 このアピ-ルを通して、やはり、今、私たちが確認しなければならないのは、次のことである。


 「戦争は最大の環境破壊であり、いかなる戦争も非人道的である。」ということをまずは客死する。
 そして、「日本国憲法、そして国連憲章の基本理念である“国際紛争を平和的手段によって解決する”姿勢を堅持」するなかで、「安心して平和の中で生きていける世界」を目指すこと。
 そのために、「私たち一人ひとりが具体的に一歩ずつ歩みを進め、できるところから基盤を拡大していく」ことである。


 以下、世界平和アピール七人委員会アピ-ルの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-12-25 06:10 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

毎日新聞と埼玉大学との共同の郵送世論調査「日本の世論2015」で、「戦後の日本の繁栄に今の憲法が果たしてきた役割」の評価について、「役立った」との回答が86%。

 標題について、毎日新聞は2015年12月23日、「毎日新聞は10〜12月、埼玉大学社会調査研究センターと共同で郵送世論調査『日本の世論2015』を実施した。『戦後の日本の繁栄に今の憲法が果たしてきた役割』の評価を尋ねたところ『役立った』との回答が86%(『かなり』34%、『ある程度』52%)に上った。『あまり役立っていない』は9%、『全く役立っていない』は2%だった。」、と報じた。
 また、「『戦後レジームからの脱却』を掲げる安倍晋三首相は来夏の参院選後を視野に、政権として憲法改正に取り組む構えを見せている。調査では、憲法が『役立った』との回答は内閣支持層でも86%と回答者全体の傾向と変わらず、憲法の評価は浸透している。」、と伝えた。


 安倍晋三政権は、「改憲」路線を鮮明にしてきている。
 しかし、世論は、「憲法の評価は浸透している」というのが実態ではないか。


 以下、毎日新聞の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2015-12-24 16:02 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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