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「軍事的安全保障研究に関する声明」(日本学術会議)を読む。(2)-朝日と読売の社説を通して-

 日本学術会議は、2017年3月24日、「軍事的安全保障に関する声明」を発表した。
 このことに関して、朝日新聞と読売新聞が対称的な社説を掲載した。
 今回の「声明」の意味を、読売新聞の主張に朝日新聞の主張によって、がどれぐらい答えることができるか、という視点で考えてみた。
 

Ⅰ.読売新聞-研究者の自由な発想を縛り、日本の科学を一層低迷させかねない。


 このことに対しては、朝日新聞は、まず、「50年と67年の声明は、科学技術の牙を人類に向けてしまった歴史に対する痛切な反省に基づく。」、と結論づける。何故なら、「軍事が科学技術の発展を加速させた歴史は長い。一方で、国家に動員された科学者が積極的に軍事研究に携わった結果、毒ガスや生物兵器、核兵器が開発され、おびただしい人の命を奪ったことを忘れてはならない。」からだと。
 むしろ、これまでの日本の学術研究の経過そのものが、「学術会議や大学には、こうした問題の本質を若い世代に広く伝える責務がある。しかしその営みは極めて不十分だった。」、と指摘する。


 よって、朝日新聞は、今回の「声明」で、①「予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られるなか、科学者たちが集い、学問の原点を再確認したこと」及び②「 軍事研究が学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあることを確認したこと」を、評価する。


Ⅱ.読売新聞-学術会議が念頭に置いてきたのは、防衛省が2015年に開始した「安全保障技術研究推進制度」だ。声明は、「政府による研究者の活動への介入が強まる」との認識を示している。他省庁の研究資金を受ける場合と同様、年に1回、防衛装備庁の担当者が訪れて、研究の進捗しんちょく状況を確認するだけだ。「介入」には当たるまい。制度自体も、基礎研究が対象で、成果の公表、製品等への応用は制約されない。


 このことに対して、朝日新聞は、「学術会議が議論を進めているさなかに、米軍の資金が大学の研究者に渡っている実態が判明した。」と指摘し、すでに日本の学術研究の分野が、「50年と67年の声明」が宣言した領域をすでに踏み出してしまっている状況を指摘する。


 だから、日本学術会議に対して、「学術会議や大学には、こうした問題の本質を若い世代に広く伝える責務がある。しかしその営みは極めて不十分だった。」、と「50年と67年の声明」の徹底を逆に要求する。


Ⅲ.読売新聞-日本の研究界の現状は厳しい。論文数が伸び悩み、世界から取り残されている、と指摘される。新たな制約を設けることで、研究現場を萎い縮しゅくさせてはならない。


 このことに対して、朝日新聞は、日本の研究会の現状が「予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られる」、「筑波大での学生アンケートでは、軍事転用を見すえた技術研究に賛成する意見が、反対を上回った。「転用を恐れたら民生用の研究も自由にできない」との理由が多かったという。」、との認識を示す。
 また、「たしかに同じ技術が軍民両用に使われることは多い。研究開発した技術の使い道に、最後まで責任を負うよう科学者に求めるのは、現実的ではない。」、とも。
 しかし、「だが、民生用に開発した技術が軍事転用されることと、最初から軍事目的で研究することとの間には大きな違いがある。」、と押さえたうえで、「軍事が科学技術の発展を加速させた歴史は長い。一方で、国家に動員された科学者が積極的に軍事研究に携わった結果、毒ガスや生物兵器、核兵器が開発され、おびただしい人の命を奪ったことを忘れてはならない。」と、「声明」の意味を捉える。


 だから、読売新聞が問題点とする 「大学は、研究資金が軍事機関からかどうかをチェックする。軍事的と見なされる可能性があれば、技術的・倫理的に審査する。研究に新たな制約を課すことになる。」という「システム」こそが必要である、と朝日新聞は説く。


 さて、この「声明」を考えるうえで、「予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られる」という状況の背景をきちっと押さえる必要があるのではないか。
 安部晋三政権の「戦争する国づくり」が収奪構造の世界的新構築を意図する財界の意向をあからさまに反映させたものであることは言うまでもない。この「予算削減」も同じ目的を持って作られたものでしかない。
 例えば、それは、 一般社団法人日本経済団体連合会が2015年9月15日に、「防衛衛産業政策の実行に向けた提言」を発表し、安部晋三政権の戦争法を下支えしたことにも現れている。
 最後に、読売新聞は、「50年と67年の声明が日本の科学を低迷させた」とい主張をきちっと説明しなければならない。




(資料)朝日新聞、読売新聞の社説での主張等


Ⅰ.朝日新聞


(主張・評価)
(1)大学などの研究機関は軍事研究に携わるべきではないとする声明案を、日本学術会議の委員会がまとめた。あすの幹事会を経て4月の総会で採択される見通しで、その意義は大きい。
(2)今回の声明案は、軍事研究が学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあることを確認したうえで、過去の二つの声明を「継承する」としている。自衛のための研究を容認する声もあったため、いまの言葉で正面から宣言する方式でなく、「継承」という間接的な表現になった。物足りなさは残るが、予算削減などで総じて厳しい研究環境を迫られるなか、科学者たちが集い、学問の原点を再確認したことを評価したい。
(3)今回の声明案は、資金の出所がどこか慎重に判断するのとあわせ、軍事研究と見なされる可能性があるものについて、大学などには技術・倫理的な審査制度を、学会には指針を、それぞれ設けるべきだとしている。若手研究者もぜひこうした場に参加して、多角的な議論に触れ、科学者の責任とは何か、考えを深めていってもらいたい。
(検討課題・意見)
(1)もちろん、これで問題がすべて解決するという話ではない。筑波大での学生アンケートでは、軍事転用を見すえた技術研究に賛成する意見が、反対を上回った。「転用を恐れたら民生用の研究も自由にできない」との理由が多かったという。
(2)たしかに同じ技術が軍民両用に使われることは多い。研究開発した技術の使い道に、最後まで責任を負うよう科学者に求めるのは、現実的ではない。だが、民生用に開発した技術が軍事転用されることと、最初から軍事目的で研究することとの間には大きな違いがある。
(3)軍事が科学技術の発展を加速させた歴史は長い。一方で、国家に動員された科学者が積極的に軍事研究に携わった結果、毒ガスや生物兵器、核兵器が開発され、おびただしい人の命を奪ったことを忘れてはならない。
(4)50年と67年の声明は、科学技術の牙を人類に向けてしまった歴史に対する痛切な反省に基づく。学術会議や大学には、こうした問題の本質を若い世代に広く伝える責務がある。しかしその営みは極めて不十分だった。
(5)学術会議が議論を進めているさなかに、米軍の資金が大学の研究者に渡っている実態が判明した。これも「伝承」の弱さを裏づける証左の一つだろう。


Ⅱ.読売新聞


(主張)
(1)研究者の自由な発想を縛り、日本の科学を一層低迷させかねない。
(2)学術会議が念頭に置いてきたのは、防衛省が2015年に開始した「安全保障技術研究推進制度」だ。声明は、「政府による研究者の活動への介入が強まる」との認識を示している。他省庁の研究資金を受ける場合と同様、年に1回、防衛装備庁の担当者が訪れて、研究の進捗しんちょく状況を確認するだけだ。「介入」には当たるまい。制度自体も、基礎研究が対象で、成果の公表、製品等への応用は制約されない。
(3)日本の研究界の現状は厳しい。論文数が伸び悩み、世界から取り残されている、と指摘される。新たな制約を設けることで、研究現場を萎い縮しゅくさせてはならない。
(問題点)
(1)大学は、研究資金が軍事機関からかどうかをチェックする。軍事的と見なされる可能性があれば、技術的・倫理的に審査する。研究に新たな制約を課すことになる。それがなぜ「自由な研究」につながるのか。かえって、学問の自由を阻害する。学術会議の総会で、「社会の声とかけ離れている」「判断の基準がない」などと疑問の声が上がったのも当然だ。
(2)声明・報告書の決定過程にも問題がある。異論があるのに、既に幹事会で決定済みとして、修正などは検討されなかった。多様な意見を踏まえて、丁寧に議論することは、
(3)研究現場で、制度の注目度は高い。今年度の公募説明会には、前年の4倍を超える200人以上が参加した。学術会議と現場の認識には、大きなずれがある。そもそも、声明・報告書が求める「技術的・倫理的な審査」には無理がある。科学技術は本来、軍事と民生の両面で応用し得る「デュアルユース」である。米軍の軍事技術の中核である全地球測位システム(GPS)は、カーナビに加え、地震火山の観測や自動運転にまで広範に用いられている。軍事に関連するとして、排除するのは、非現実的だ。



by asyagi-df-2014 | 2017-05-03 05:40 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「軍事的安全保障研究に関する声明」(日本学術会議)を読む。

 日本学術会議は、2017年3月24日、「軍事的安全保障に関する声明」を発表した。
この「声明」を要約して考える。
「声明」は、まず、日本学授与会議の歩みを次のように説明する。


 「日本学術会議が1949年に創設され、1950年に『戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない』旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む『軍事目的のための科学研究を行わない声明』を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。」


 この上で、次のことを提起した。


Ⅰ.近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。
Ⅱ.研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、まずは研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる。大学等の各研究機関は、施設・情報・知的財産等の管理責任を有し、国内外に開かれた自由な研究・教育環境を維持する責任を負うことから、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである。学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる。
Ⅲ.研究の適切性をめぐっては、学術的な蓄積にもとづいて、科学者コミュニティにおいて一定の共通認識が形成される必要があり、個々の科学者はもとより、各研究機関、各分野の学協会、そして科学者コミュニティが社会と共に真摯な議論を続けて行かなければならない。科学者を代表する機関としての日本学術会議は、そうした議論に資する視点と知見を提供すべく、今後も率先して検討を進めて行く。


 また、あわせて、次のことを指摘している。


(1)科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えることである。学術研究がとりわけ政治権力によって制約されたり動員されたりすることがあるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保されなければならない。しかるに、軍事的安全保障研究では、研究の期間内及び期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある。
(2)防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、問題が多い。学術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。


 日本学術会議のこの指摘は非常に重い。





by asyagi-df-2014 | 2017-05-02 07:37 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

2017年4月25日-日本という国の「暴挙」を視る。(2)

 「政府・沖縄防衛局は25日朝、新基地建設に向け、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる護岸工事に着手した。土砂の流出防止などのため、護岸で埋め立て予定地の周りを囲み、このあと、年度内にも大量の土砂を投入する計画だという。1996年の普天間飛行場返還合意から今年で21年。辺野古問題は文字通り、大きな節目を迎えた。」(沖縄タイムス)。
今回は、2017年4月26日付けの朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、北海道新聞、信濃毎日新聞、福井新聞、京都新聞、山陽新聞、高知新聞の9社の社説・論説で、このことを考える。
 まず、各紙の見出しは、次のようになっている。


(1)朝日新聞社説-辺野古埋め立て強行 「対話なき強権」の果てに
(2)毎日新聞社説-辺野古の埋め立て始まる 「対立の海」にしたいのか
(3)読売新聞社説-辺野古護岸工事 「普天間」返還へ重要な一歩だ
(4)北海道新聞社説- 辺野古護岸工事 なぜ沖縄と話し合わぬ
(5)信濃毎日新聞社説-辺野古の工事 民意を顧みない強行
(6)福井新聞論説-辺野古埋め立て着手 「抑止力」よりリスク拡大
(7)京都新聞社説-辺野古埋め立て  強行突破は亀裂深める
(8)山陽新聞社説-辺野古埋め立て 工事中断して対話に戻れ
(9)高知新聞社説-【辺野古護岸着工】強行の先に平和はない


 こうして見てみると、やはり、読売新聞の論調が異質である。他の8紙は、高知新聞の「【辺野古護岸着工】強行の先に平和はない」に代表されるように、安部晋三政権の民意を無視した強行策に「否」を突きつけているにも拘わらず、読売新聞は「重要な一歩」と言い放ってしまっている。
 ただ、こうした傾向はいつものことではあるが。
 ここで、各紙の主張等を紹介する。


Ⅰ.朝日新聞
(主張)
(1)この問題が問うているのは、日本の民主主義と地方自治そのものである。
(2)他国軍の基地がこんなにも集中する地域が世界のどこにあるだろう。政府はいつまで沖縄に過度の負担を押しつけ、差別的な歴史を強いるのか。
(3)沖縄の厳しい基地負担の歴史と現実に本土の国民の関心が薄いことが、政権への視線の違いに表れているように見える。
(4)翁長知事は今回の工事の差し止め訴訟などの対抗策を検討している。政府と県の対立は再び法廷に持ち込まれそうだ。現場の大浦湾はジュゴンやサンゴが生息し、世界でここでしか確認されていないカニなど新種も続々と報告されている。翁長知事は語る。「国防のためだったら十和田湖や松島湾、琵琶湖を埋め立てるのか」。
(5)その問いを政府は真剣に受け止め、姿勢を正す必要がある。沖縄の過重な基地負担に依存している本土の側もまた、同じ問いを突きつけられている。
(根拠)
(1)政府のいう公益と、地方の公益がぶつかった時、どう折り合いをつけるか。対話のなかで合意できる領域を探ることこそ政治の使命ではないか。ところが安倍政権は、県との話し合いには一貫して後ろ向きだ。国と地方の異なる視点のなかで歩み寄りを探る政治の責任を放棄した。その帰結が今回の埋め立て強行にほかならない。
(2)念願の本土復帰後も、基地があるがゆえの米軍による事故や犯罪は続く。積み重なった怒りのうえに1995年の米兵3人による女児暴行事件が起き、県民の憤りは頂点に達した。この事件を契機に、沖縄に偏した基地負担を少しでも軽減しようと日米両政府が合意したのが、普天間返還である。紆余(うよ)曲折を重ねるなかで政府と県は「使用期限は15年」「軍民共用」という条件で合意したはずだった。だがこれも県の意向を十分に踏まえぬまま、米国との関係を最優先する政府の手で覆されてしまう。
(3)しかも移設計画には大型船舶用の岸壁や弾薬の積み込み施設など、普天間にない機能が加わっている。だから多くの県民が「負担軽減どころか新基地建設だ」と反発しているのだ。
(4)最近も北朝鮮情勢の緊迫を受け、米軍は嘉手納基地にF15戦闘機などを並べ、戦闘態勢を誇示した。さらに「新基地」建設で軍事の島の色彩を強めることは、県民の負担増そのものだ。


Ⅱ.毎日新聞主張


(1)後戻りできない隘路(あいろ)に迷い込むことにならないか。
(2)菅義偉官房長官は「多くの人々が望んできた普天間飛行場の全面返還を実現する確かな一歩だ」と述べた。だが、普天間返還を望む人々が同時に県内移設を望んでいるわけではない。片面だけを強調するのは適当ではない。
(3)新たな基地建設が返還条件では、日米同盟に伴う基地負担を沖縄に押しつける構図は変わらない。政府は沖縄全体の負担軽減を進めることで理解を得ようとしてきた。だが、県側と対立したままの埋め立て着工は理解を遠ざけることになる。
(4)辺野古を「対立の海」として固定化させてはならない。


Ⅲ.読売新聞主張


(1)長年の課題である米軍普天間飛行場の返還の実現に向けて、重要な節目を迎えたと言えよう。
(2)辺野古移設は普天間問題の唯一の現実的な解決策だ。多くの地元住民も条件付きで容認している。着実に作業を進めるべきだ。
(3)政府は、3月末で期限が切れた県の岩礁破砕許可を更新せずに工事を続け、県は「無許可工事」と主張する。だが、破砕許可の前提となる漁業権を地元漁協が放棄した以上、許可の更新は不要だ、との政府の判断はうなずける。
(4)沖縄県の翁長雄志知事は、護岸工事を「サンゴ礁など環境保全の重要性を無視した暴挙」と批判した。「あらゆる手法を行使し、新基地を造らせない」とも語る。辺野古移設は、市街地の中心にある普天間飛行場の危険性や周辺住民の騒音被害を除去する意義を持つ。海兵隊の安定駐留を続ける安全保障面の重要性も大きい。政府は、これらの点について丁寧な説明を尽くすとともに、移設先の環境への影響を最小限に抑える努力を続けることが大切だ。
(5)疑問なのは、翁長氏が、新たな工事差し止め訴訟の提起や、仲井真弘多前知事による埋め立て承認の「撤回」に言及したことだ。埋め立てを巡っては、15年10月の翁長氏の一方的な承認「取り消し」が、昨年12月、最高裁で「違法」と認定されている。知事が埋め立て承認を撤回した前例はない。確たる法的根拠がないままの撤回は権限の乱用だ。政府と県は昨年3月の和解により、「確定判決に従い、互いに協力して誠実に対応する」と確約している。翁長氏の言動はこの条項にも反するのではないか。
(6)翁長氏の求心力低下を象徴するだけでなく、「オール沖縄が辺野古移設に反対している」との持論の破綻を意味しよう。


Ⅳ.北海道新聞


(1)翁長雄志(おながたけし)知事は記者団に対し、「事前協議を求めてきたが、応じずに工事を強行したことは許し難い」と政府を批判した。地元の反対の声を無視し、強権的に移設を推し進める政府の姿勢は地方自治を形骸化させるものであり、民主主義の在り方としても到底認められるものではない。
(2)県は工事差し止めを求める訴訟に踏み切る方針だ。翁長氏は辺野古の埋め立て承認を撤回する意向も明言している。いずれも政府の力ずくのやり方に対抗するには、やむを得ない手段だろう。
(3)保革の垣根を越えた辺野古移設反対で翁長県政を誕生させた民意が、市長選の結果によって否定されるものではなかろう。
(4)移設は新たな危険の押しつけだという沖縄の認識を政府は真剣に受け止めるべきだ。普天間は無条件返還が筋だろう。


Ⅴ.信濃毎日新聞


(主張)
(1)政府が名護市辺野古沿岸部で護岸工事を始めた。沖縄県は訴訟を含め、対抗策を準備している。民意を無視した政府の強権的なやり方は是認できない。
(2)対立が続く大きな要因は、反対意見を顧みることなく工事を強行してきた政府の対応にある。昨年成立した和解では、国と県が「円満解決」に向けて協議することになっていた。にもかかわらず、政府は「辺野古が唯一の解決策」との方針を一方的に押し付けるばかりだった。
(3)和解に沿った手続きで、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」は、国と県が真摯(しんし)に協議して納得できる結果を導く努力をすることが最善の道だと指摘していた。政府は工事を中止し、県と話し合うべきだ。
(問題点の指摘)
 沖縄県は今月上旬、防衛省沖縄防衛局に行政指導をしていた。前知事による「岩礁破砕許可」の期限が3月末で切れたため、許可が必要な工事を行う場合は手続きを取るよう求めるものだ。漁業権が設定された水域の海底の岩石を壊したりするのに必要な知事の許可である。県は工事を阻止するため、再申請を認めない方針だった。期限が切れても政府は構わずに工事を進めてきた。地元の名護漁協が漁業権放棄を決議したため許可は不要になったとしている。あまりにも強引ではないか。県は「現在も漁業権は残る」とし、主張が対立している。護岸工事の開始を受け、翁長雄志知事は差し止め訴訟を明言した。


Ⅵ.福井新聞


(1)沖縄は5月15日、本土復帰から45年を迎える。美しい海が広がる一層平和な島になっただろうか。返還時は在日米軍専用施設の53%が沖縄にあったが、現在は74%に上る。本土の基地縮小が進んでいるためだ。政府は米軍普天間飛行場の移設先となる名護市辺野古沿岸部で護岸工事に着手した。普天間は返還されても美(ちゅ)ら海が新たな「軍事要塞(ようさい)」になる。本土の盾となるべく沖縄をこれ以上犠牲にすべきではない。
(2)これに対し「辺野古移設が唯一の解決策」とする安倍政権の姿勢は「沖縄に寄り添う」政策には程遠い。菅義偉官房長官は護岸工事着手に「懸念材料は全くない」と述べ、稲田朋美防衛相は「多くの人が望んできた普天間飛行場の全面返還を実現する着実な一歩」とコメントした。あまりに一面的で県民感情への配慮を欠いた論理ではないか。
(3)そもそも、普天間返還計画は米兵による少女暴行事件がきっかけではなかったか。新型輸送機オスプレイの事故リスクも高まる。過度の米軍基地集中は北朝鮮による弾道ミサイル攻撃の目標にさえなっている。日米軍事専門家も沖縄の地理的優位性に疑問を投げかけ、代替案の検討を提案している。政府の「抑止力」論は既に説得力が薄れている。なぜもっと沖縄に向き合わないのか。


Ⅶ.京都新聞


(1)住宅地に囲まれた普天間の危険な状態が放置できないのは当然だが、それは問題の片面にすぎない。大規模に自然を破壊し、米軍基地を沖縄に固定してしまう「負の側面」に目をつむり、県民多数の反対の声を無視して工事を強行した政府の姿勢は、住民自治や民主主義の原理に反すると言わざるを得ない。
(2)ただ、司法の場で決着がついても、普天間移設を含む沖縄の基地問題が解決するわけではない。日米安保体制の下で、沖縄に過度に集中する在日米軍基地をどうすれば縮小あるいは分散できるのか。日米両政府は問題意識を持って議論する必要がある。
(3)工事を続ける限り、政府と沖縄県の悪化した関係は修復できないだろう。これは双方にとって不幸なことだ。いったん工事を止め、話し合いのテーブルにつくべきだ。
(4)終戦から72年。沖縄がいまなお「基地の島」である現実こそ、脱却すべき戦後レジーム(体制)ではないのだろうか。


Ⅷ.山陽新聞


(1)このままでは沖縄県と政府の溝が一層深まるばかりか、美しい辺野古の海の原状回復も困難になる。政府は工事を中断し、対話のテーブルにもう一度着くべきだ。
(2)しかし、沖縄の声を無視して埋め立てを強行しても、反基地感情がさらに燃え上がるのは目に見えている。日米安保体制の信頼に支障も出かねない。ここはいったん、政府が冷静になってほしい。
(3)なぜ、沖縄が移設に反対するのか。それは、国土の0・6%の土地に米軍専用施設の7割が集中する現状への不満や不安があるからだ。政府は辺野古移設について「基地負担の軽減を目に見える形で実現する」と胸を張るが、県民には「負担のたらい回しだ」との反発が根強くある。
(4)今年になって沖縄県内の市長選で安倍政権が推す候補が3連勝したことが、着工の追い風になっているとの見方もある。だが、市長選は辺野古移設問題ではなく地元の実情が争点だった。「民意が変わった」と判断するのは楽観が過ぎよう。
(5)沖縄の基地問題は地方と国の対立の構図であり、地方自治の理念からすれば、どこでも起こりうることだ。安全保障は国の専権事項だとしても、地方の意向がないがしろにされていいはずはない。そのことにわれわれも目を向けていく必要がある。


Ⅸ.高知新聞


(1)沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移転先である名護市辺野古の沿岸部で、政府は護岸工事に着手した。移設施設の建設に向けた沿岸埋め立てへ、海を仕切る工事がいよいよ本格化する。現場近くで「阻止」を叫ぶ反対派の市民を無視するように、大型クレーンで石材が据えられていく。
(2)沖縄の人たちだけではなく、全ての国民がこの光景を目に焼き付けなければならない。これが民主主義を、平和をうたう国の行いなのか。振り返ると、政府は「沖縄の心に寄り添う」と言いながら「対話」の道を脇に置き、対立と敵対で沖縄の民意を踏みにじってきたのが実像だ。
(3)沖縄の人たちは国の安全保障を否定しているのではない。司法を軽んじているのでもない。戦争で傷つき、なお国内の米軍専用施設の7割以上が集中する島が、なぜ基地の過重な負担を強いられ続けなければならないのか。政府は答えも、説明も尽くせていない。沖縄基地問題のゆがみの源泉はそこにある。
(4)惑わされてはいけない。今、求められているのは平和への冷静な思考だ。戦後民主主義が試されているのである。


 各紙の見出しや主張を見て気になるのは、やはり、読売新聞の主張である。
 この中から、幾つかの問題点・疑問点を取りあげる。恐らく、巷に流布されている悪質なデマを解く鍵にもなる。
 第1に、読売新聞は「辺野古移設は普天間問題の唯一の現実的な解決策だ。多くの地元住民も条件付きで容認している。」という際立った主張をする。
 しかし、読売新聞は、この結論をどこから導くことができたのだろうか。やはり、読売は、このことを明確にすべきである。例えば、山陽新聞はこのことについて、「今年になって沖縄県内の市長選で安倍政権が推す候補が3連勝したことが、着工の追い風になっているとの見方もある。だが、市長選は辺野古移設問題ではなく地元の実情が争点だった。『民意が変わった』と判断するのは楽観が過ぎよう。」、と指摘している。
第2に、読売新聞は「知事が埋め立て承認を撤回した前例はない。確たる法的根拠がないままの撤回は権限の乱用だ。」、とあまりにも一方的な解釈を押し通す。しかし、最終的な裁判所の判断がどのような形になるのかは不明だが、県知事による「承認の撤回」は権利として存在する。
 ここでは、反論の意味を込めて、新垣勉弁護士の「撤回」に関する説明の要約を再掲する。


Ⅰ.最高裁判決は、前知事が行った埋立承認には「裁量権の逸脱」はなく許される一つの  政策判断であったと判断した。しかし、この司法判断は前知事が「適切な判断」を行  ったことを意味するものではない。単にそれが「違法・不当」ではなかったと判断し  たにとどまる。「違法・不当」でないということとそれが「適切な判断」であったか  どうかとは異なる。
Ⅱ.埋立承認に「違法・不当がないと判断された現在、残された課題は埋立承認を「今後  も維持するのか、撤回するのか」の判断である。
Ⅲ.埋立承認が「適切であったか否か」を問う最も直接的な法的対抗措置は、県民の民意  を根拠とする「撤回」処分ある。この撤回処分は、埋立承認後の新知事誕生に伴う政  策変更(民意)を理由とするものであり、法的に十分理由が存在するものである。
Ⅳ.この場合の「撤回」の法理は、「埋立承認を撤回することにより生じる国の不利益」  と「撤回して新基地建設を行わないことにより生じる県民の公益性」を比較考慮し、  公社の必要性が前者を上回ると評価できれば、法的に「撤回」を行うことができるこ  とを示す。また、「埋立承認は維持すべきでない」との判断の是非を司法の場で判断  してもらうためには、「撤回」処分が効果的であり有用である。
Ⅴ.知事の権限としての埋立承認の「撤回」権限に基づく「撤回」処分は、「埋立承認を  将来に向かって取り消す行政行為」である。また、この「撤回」処分は、「これまで  の一連の判決の影響を受けない「新しい処分」である。


 改めて、確認する。埋立承認の「撤回」は、沖縄県の固有の権利である。
 第3に、読売新聞は「市街地の中心にある普天間飛行場の危険性や周辺住民の騒音被害を除去する意義を持つ。海兵隊の安定駐留を続ける安全保障面の重要性も大きい。」、と主張する。
 しかし、こうした考え方は、普天間と辺野古は本来直接結びつけられるものではないことを忘れているふりをしているだけに過ぎない。例えばこれについては、高知新聞の「沖縄の人たちは国の安全保障を否定しているのではない。司法を軽んじているのでもない。戦争で傷つき、なお国内の米軍専用施設の7割以上が集中する島が、なぜ基地の過重な負担を強いられ続けなければならないのか。政府は答えも、説明も尽くせていない。沖縄基地問題のゆがみの源泉はそこにある。」、ということが考え方の基本に置かれなくてはならないことはいうまでもない。
 読売新聞のこうした一連の傾向は、突出しており、あまりにも政権寄りの一方的な解釈に陥ってしまっている。


 さて、今回のことをどのように考えなくてはならないのか。
例えばそれは、2017年4月25日を、「逃げ惑う無垢(むく)の島民たちの命が奪われ、無念の血が流れた海がまた、悲嘆の波にのまれてしまうのか。ジュゴンも泣いている。サンゴもうなだれている。」(高知新聞)、と感じ取ることができるかということでもある。
 つまり、2017年4月25日は、安部晋三政権の「暴挙」でしかないということだ。
 このことについては、朝日新聞の指摘する「この問題が問うているのは、日本の民主主義と地方自治そのものである。」が、今回の「暴挙」の意味をを言い当てている。
 また、高知新聞は、「現場近くで『阻止』を叫ぶ反対派の市民を無視するように、大型クレーンで石材が据えられていく。沖縄の人たちだけではなく、全ての国民がこの光景を目に焼き付けなければならない。これが民主主義を、平和をうたう国の行いなのか。振り返ると、政府は『沖縄の心に寄り添う』と言いながら『対話』の道を脇に置き、対立と敵対で沖縄の民意を踏みにじってきたのが実像だ。」、とする。
 であるなら、日本という国は、日本国民は、今回の朝日新聞の主張に明確に答える必要がある。
 そのために、再掲する。
(1)この問題が問うているのは、日本の民主主義と地方自治そのものである。
(2)他国軍の基地がこんなにも集中する地域が世界のどこにあるだろう。政府はいつまで沖縄に過度の負担を押しつけ、差別的な歴史を強いるのか。
(3)沖縄の厳しい基地負担の歴史と現実に本土の国民の関心が薄いことが、政権への視線の違いに表れているように見える。
(4)翁長知事は今回の工事の差し止め訴訟などの対抗策を検討している。政府と県の対立は再び法廷に持ち込まれそうだ。現場の大浦湾はジュゴンやサンゴが生息し、世界でここでしか確認されていないカニなど新種も続々と報告されている。翁長知事は語る。「国防のためだったら十和田湖や松島湾、琵琶湖を埋め立てるのか」。
(5)その問いを政府は真剣に受け止め、姿勢を正す必要がある。沖縄の過重な基地負担に依存している本土の側もまた、同じ問いを突きつけられている。





by asyagi-df-2014 | 2017-04-28 07:29 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

2017年4月25日-日本という国の「暴挙」を視る。(1)

 「政府・沖縄防衛局は25日朝、新基地建設に向け、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる護岸工事に着手した。土砂の流出防止などのため、護岸で埋め立て予定地の周りを囲み、このあと、年度内にも大量の土砂を投入する計画だという。1996年の普天間飛行場返還合意から今年で21年。辺野古問題は文字通り、大きな節目を迎えた。」(沖縄タイムス)。
 このことを考える。


 沖縄タイムスは、この様子をこう伝える。


 袋に詰めた石材がクレーンにつるされ、大浦湾の海に、一つまた一つと、投じられていく。
 汚濁防止膜を固定するためのコンクリートブロックが228個投入されたとき、自分の体が傷つけられるような思いを抱いた市民が少なくなかった。今また、県との事前協議も県による立ち入り調査もないまま、石材が容赦なく海底に投じられていく…。


 沖縄タイムスは、この「暴挙」をこのように結論づける。


Ⅰ.埋め立て工事を急ぎ、県民の中に「もう後戻りができない」という現実追認のあきらめの感情をつくり出す。それが政府の狙いであることは明らかである。だが、県を敵視し、話し合いを一切拒否して強引に工事を進めようとする姿勢は、沖縄の現状を無視した「安倍1強体制」のおごりの表れ、というしかない。
Ⅱ.改めて強調したい。新基地建設のため大浦湾を埋め立てるのは愚行である。
Ⅲ.憲法・地方自治法に基づく国と地方の関係を破壊し、沖縄の現役世代だけでなく子や孫の世代にも過重な基地負担を負わせる。かけがえのないサンゴ生態系を脅かし、絶滅危惧種のジュゴンに致命的な影響を与えるおそれがある。
Ⅳ.海兵隊は沖縄でなければならない、という議論も根拠がない。新基地建設は、沖縄の犠牲を前提にした公平・公正さを欠いた差別政策というほかない。政府が工事を強行すれば、この先、沖縄と本土の住民同士の対立が深まり、日米安保体制そのものを不安定にすることになるだろう。


 沖縄タイムスは、この結論を次のように説明する。


(1)米軍は普天間返還合意の4年前、92年には早くも、MV22オスプレイの配備を前提に、代替施設の必要性を認識していたことが、内部文書で明らかになっている。
(2)日本側からの「普天間返還要請=県内移設」は、米軍にとって渡りに船、だった。普天間のど真ん中にある制約の多い老朽化した基地を、日本政府の予算で、望む場所に移設できるからだ。
(3)日本側は県内移設によって海兵隊を沖縄に引き留めることを追求し続けた。歴代の政権の中でも安倍政権は特に、米国のご機嫌取りに終始し、沖縄には目が向かない。
(4)埋め立て工事に5年、全体工期に9・5年。MV22オスプレイの墜落大破事故があったにもかかわらず、その間、普天間飛行場を使い続けるというのか。
(5)政府自民党の中には「辺野古問題は終わった」という空気が支配的である。だが、こうした主張はあまりにも一面的である。
(6)沖縄タイムス社・朝日新聞社・琉球朝日放送が22、23の両日、共同で実施した電話による県民意識調査によると、辺野古移設については「反対」が61%だったのに対し、「賛成」は23%だった。埋め立て工事を始めようとしている安倍政権の姿勢については65%が「妥当でない」と答えた。「妥当だ」は23%にとどまった。
(7)県知事選、名護市長選、衆院選、参院選で示された辺野古反対の民意は、一点の曇りもなく明白だ。


 沖縄タイムスは、最後に、「有権者の過半が辺野古反対だという民意の基調は今も変わっていない。」、との結論の基に、次のように、「20170425」以降を提起する。


 「辺野古問題に関しては、埋め立ての法的な正当性と政治的正当性が対立し、ねじれたままになっているのである。この問題は司法の判決ではなく政治でしか解決できない。
 政府が話し合いを拒否し、強硬姿勢を示し続けるのであれば、県は重大な覚悟をもって、工事差し止めの仮処分や埋め立て承認の撤回など、法的な対抗措置を早急に打ち出すべきである。沖縄側から基地政策の全面的な見直しを具体的に提起するときがきた。」


 次に、琉球新報は、まず、次のように押さえる。


 「翁長雄志知事は『環境保全の重要性を無視した暴挙だ』と厳しく批判した。しかも政府の岩礁破壊許可の期限は切れている。政府は無許可で工事を強行したのだ。
 法治主義を放棄する政府の行為は許されない。翁長知事が『護岸工事は始まったばかりだ。二度と後戻りができない事態に至ったものではない』」と述べたように、県民は政府の専横に屈するわけにはいかない。私たちは諦めない。」


 また、琉球新報はこの「暴挙」を「県民の諦めを狙う着工」と指摘し、次のように分析する。


(1)護岸工事は25日午前に始まり、5個の石材を海中に投下した。うるま市長選で政府与党が支援した現職の3選勝利を踏まえた工事着工は、新基地建設に反対する県民の諦念を引き出すことを狙ったのは間違いない。
(2)稲田朋美防衛相は会見で「護岸工事の開始は普天間飛行場の全面返還を実現する着実な一歩となると確信している」と述べた。稲田防衛相の「確信」は県民意思と隔絶しているばかりではなく、民主国家が取るべき手続きを足蹴(あしげ)にしているのだ。
(3)漁業権に関する知事権限や岩礁破砕の更新手続きに関する政府と県の対立は残されたままだ。仲井真弘多前知事の埋め立て承認書の規定を踏まえ、県は本体工事前の事前協議を求めたが、政府は協議打ち切りを県に通告した。法的に護岸工事着手の環境が整っていないのは客観的に見ても明らかなのだ。それを無視し、工事を強行する政府に法治国家を掲げる資格は全くない。
(4)菅義偉官房長官は24日の会見で、最高裁判決に触れながら「主文の趣旨に従って県と国が努力することが大事だ。法治国家であり決着はついた」と語った。しかし、政府は法治国家が取るべき手続きを放棄しているのだ。これで決着したとは到底言えない。
(5)新基地の完成までには約10年を要する。政府はその間、普天間飛行場の危険性を放置するのか。仲井真前知事の埋め立て承認時に「5年以内の運用停止」を政府と約束した。ところが翁長県政になり政府は「(運用停止は)辺野古移設への県の協力が前提」と突然言いだし、約束をほごにした。
(6)新基地建設という米国との合意に固執し工事を強行する一方で、普天間飛行場の周辺に住む宜野湾市民の負担軽減に向けた具体策を講じようとしないのだ。政府の不作為を許すわけにはいかない。


 さらに、琉球新報は「今も続く分断と収奪」と、次のように続ける。


(1)今年は日本国憲法の施行70年、サンフランシスコ講和条約の発効から65年、沖縄の施政権返還から45年の節目の年である。
(2)沖縄の民意に反する護岸工事着手に直面し、私たちは「分断と収奪」に象徴される米統治に続く、今日の「不公正」の横行に強い憤りを抱かざるを得ない。
(3)施政権を切り離され、人権と財産を奪われ続けた米統治から脱するため、県民は施政権返還を希求した。ところが、米軍基地は存続し、相次ぐ事件・事故による人権侵害が続いている。米国との同盟関係の維持を追求する政府は、県民を公正に扱おうとはしない。
(4)軍用地強制使用や訓練による環境悪化、航空機騒音に対する県民の異議申し立てに政府は正面から向き合おうとせず、むしろ法的に抑え込むか権限を奪い取るという行為を繰り返してきた。
(5)同じような態度を沖縄以外の国民に対してもできるのか。米統治の「分断と収奪」は今も続いていると言わざるを得ない。それが復帰45年を迎える沖縄の現実だ。


 この上で、琉球新報もまた、このようにまとめる。


 「私たちは政府の不誠実な態度にいま一度明確な態度を示さなければならない。翁長知事は自身の公約を具現化するために、直ちに埋め立て承認撤回に踏み切るべきだ。県民は知事の決断を待ち望んでいる。」


 この2017045に日本という国がしでかしたことは、あらためて、沖縄の「同じような態度を沖縄以外の国民に対してもできるのか。米統治の『分断と収奪』は今も続いていると言わざるを得ない。それが復帰45年を迎える沖縄の現実だ。」(琉球新報)という実態を焦点化した。
 その意味で、今回の新基地建設のため大浦湾を埋め立てるのは愚行であり、許されない「暴挙」である。





by asyagi-df-2014 | 2017-04-27 07:39 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

内閣府は、HPから、「朝鮮人虐殺」含む災害教訓報告書を削除。

 朝日新聞は2017年4月19日、標題について次のように報じた。


(1)江戸時代以降の災害の教訓を将来に伝えるため、政府の中央防災会議の専門調査会がまとめた報告書を、内閣府がホームページから削除していることがわかった。一部に関東大震災時の『朝鮮人虐殺』についての記述が含まれており、担当者は「内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした」と説明している。
(2)削除されているのは、同会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」(2003~10年度)が作った報告書。過去の大災害について、被害や政府の対応、国民生活への影響などを整理し、教訓をまとめている。
(3)09年に作成した関東大震災についての報告書の第2編では、「殺傷事件の発生」(計15ページ)として朝鮮人虐殺を扱っている。内閣府によると、この内容について「なぜこんな内容が載っているんだ」との苦情が多く、4月以降のホームページの改修に合わせ、安政の大地震や雲仙普賢岳噴火などを含め、すべての報告書の掲載を取りやめることにしたという。
(4)「担当部局内での判断」だとし、順次削除を進めている。掲載していた資料は今後も保管され、希望者にはメールでの配布を検討するとしている。「殺傷事件の発生」では震災全体の死者・行方不明者が10万5千人を超え、このうち殺害による死者数を1~数%と推計。収集した史料などをもとに「官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。虐殺という表現が妥当する例が多かった。対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった」などと指摘。「大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」と記している。」(山本孝興)


 問題は、「なぜこんな内容が載っているんだ」と「内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした」との間で、どのような審議がなされたかということだ。
 「なぜこんな内容が載っているんだ」に対して、何故必要かについて、きちんと説明できるだけのものが育てられていない現実が横たわる。





by asyagi-df-2014 | 2017-04-22 06:42 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「教育勅語」を考える。(5)-沖縄タイムス20170416より-

 沖縄タイムスは2017年4月16日、「木村草太の憲法の新手(54)教育勅語『国体』重視の教えは違憲」、を掲載した。
 この記事から、「教育勅語」を考えます。


木村の指摘は、次の二点である。


Ⅰ.「大日本帝国の『臣民』が『天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼』するために遵守すべき規範とされていた。教育勅語を教材とすることは、『親孝行や学問の目的は、現人神たる天皇の位を護るためだ』と教えることを意味する。そのような教育は、明らかに憲法等に反する。」
Ⅱ.「声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。」


 また、木村はこの結論を導く根拠を次のように説明する。


(1)教育勅語は、明治23年10月30日付で示された、現人神たる明治天皇が教育に関する基本理念を述べた文書だ。その内容は、市民を「臣民」と位置づけ、大日本帝国の「国体」を「教育ノ淵源」と位置付ける。「国体」とは難解な言葉だが、明治40年の文部省の公式の英訳では「fundamental character of Our Empire」とされた。帝国の基本的な性格くらいの意味に訳されている。
(2)ポツダム宣言を受諾した日本政府は、憲法改正を決意し、1947年5月、日本国憲法が施行された。天皇は、現人神や大権の担い手ではなくなり、国家の象徴とされた。市民は、主権の担い手たる「国民」となった。こうして、神話的国家観に基づく大日本帝国は解体された。当然、大日本帝国の「国体」は「教育の淵源」となりえなくなる。1948年6月19日、衆議院は、「主権在君並びに神話的国体観に基いている」との理由で教育勅語の排除を求める決議をした。参議院も教育勅語の失効を確認する決議を行った。これを重く受け止めた政府は、決議当日の衆議院本会議で、森戸辰男文部大臣が、「教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたい」と断言した。
(3)今回の政府答弁書は、「我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としつつも、教材としての利用は必ずしも否定しないという。この点、歴史の授業で教育勅語を紹介することは問題ないとの指摘もある。
(4)しかし、歴史の授業だけを想定するなら、例えば「史料として用いることは否定しない」という言い方にすべきだった。答弁書の書き方では、歴史以外の授業での利用を促しかねない。また、菅義偉官房長官は、4月3日の記者会見で、教育勅語に書かれた「親を大切にする、兄弟姉妹は仲よくする、友達はお互いに信じ合うなど、ある意味で人類普遍のことまで否定はすべきではない」と述べた。これは、歴史資料ではなく、道徳などの教材として利用することを想定するかのような説明だ。


 この上で、木村は、「教育勅語」について、次のように結論つける。


Ⅰ.教育勅語には、親孝行や家族愛、学問を修めることなど、そこだけを切り取れば問題なく見える部分もある。しかし、それらは、大日本帝国の「臣民」が「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼」するために遵守すべき規範とされていた。教育勅語を教材とすることは、「親孝行や学問の目的は、現人神たる天皇の位を護るためだ」と教えることを意味する。そのような教育は、明らかに憲法等に反する。


 さらに、木村は、次のことを押さえる。


Ⅰ.前回論じた道徳教科書の検定問題にしても、今回の教育勅語答弁書にしても、道徳教育への不信を高めるものだ。本来、道徳とは、国民一人一人が自らの良心に従って探求すべきものだ。声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。


 木村教授の指摘は、そのとおりである。
 ただ、「声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。」、との認識だけでは済まされない状況が、すでに、プログラム化されていることを強く認識しなければならないのではないだろうか。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-19 07:13 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

在沖米軍基地の県外移設を考える。(1)

 在沖米軍基地の県外移設を考える。
 いろんな意味で、このことを突き詰めるしかないのではないかという判断から。
 
 今回は、琉球新報の2017年4月3日に掲載された「なぜ「基地引き取り」か 写真家・初沢亜利さんに聞く」、との記事の基を考える。
 まずは、掲載記事から。


 ―東京の会の状況は。

 会は2月に発足し、5月にシンポジウム、6月には他の地域での運動と合同でのシンポジウムを計画している。沖縄問題について発言している識者から「引き取り」という言葉がちらほら出てくるようになっている。水面下でじわじわと広がっている。

 ―引き取り運動に対していろいろな批判がある。

 僕は批判されていると感じたことはない。ロジックの問題として説得できる話だから。反戦一本で活動している人たちからすると、自らの存在を脅かされるという不安を感じるのだろう。しかし、彼らを責めることを目的化することは何の意味もない。あくまでも無自覚な一般の日本人たちに対して、沖縄に基地の過重負担を背負わせるのはやめようと言いたい。われわれ日本人の在り方の問題だと。不公平、差別の問題だということから始めるしかない。引き取る場所は次の段階でいい。ただ、必ずどこに引き取るかが問題になる。そこが難しいところだが、自分の町に来てもいいと覚悟を決めて、議論していこうということだ。

(1)「沖縄のことを教えてください」に、長い後書きを書いた。写真集の狙いは?

 僕の中の沖縄への入り口は反戦平和ではない。もちろん辺野古新基地建設は反対だ。しかし、世界中に基地はいらないという考え方ではない。あくまでも本土日本人による沖縄人に対する差別問題があり、その責任をどう取るかという視点で、沖縄で暮らし、辺野古の現場にいた。写真家としての切り口は、今そこにある沖縄をいかに自分なりに探して撮ることができるかだった。写真集を見た日本人に戸惑ってもらいたいと思っていた。沖縄イメージを解体していく作業だ。権力があると自覚した上で、カメラという暴力的な装置で写すわけだから。そこに自覚的でないといけない。

(2)今回、辺野古を訪ねてどう思ったか。

 想像以上に現場がトーンダウンしており、ショックを受けた。しかし、今後も反対の声を上げていくだろう。何に対して彼らは戦っているのか、この権力を支えている日本人とは何者かと突きつける意味でも、伝えていく必要がある。次の知事選に関心を持っている。あくまでも辺野古反対という人と、勝ち目のない闘いから退いて経済的にもらう物をもらおうという人に分かれるのではないか。ただし、それも、あくまでも沖縄人の選択だ。それに対して「沖縄はもっと踏ん張ると思ったのに」とか、自分の願望を押し付けるのは大変傲慢(ごうまん)なことだ。沖縄の人々の心を見詰め理解することができるかが、本質的に大事なことだと思う。それを写真集を通じてやったし、今後は引き取り運動として継続していきたい。

(3)北朝鮮にも通っているが、沖縄と通じるものがあるのか。

 日本の戦後処理の問題として北朝鮮と沖縄を考えてきた。昨年12年に4年ぶりに北朝鮮に行った。市民の日々の暮らしを伝えていくことを今後も継続していきたい。平壌の交通量が一気に増えて衝撃を受けた。経済が発展していることについて北朝鮮の案内人が「わが国は核保有国になり、抑止力を維持できるようになった。通常兵器を増強する必要がなくなり、軍事費を削減できた」と言った。これが最近の公式見解だ。また、経済制裁が強まることを前提に内側で経済を回すようにしてきた。平壌郊外に広大な農場、加工工場があり、循環システムを造っている。中国に頼らない経済を造っていこうという意思が国家としてある。そして、自主独立が国民の意識としてもとても強い。案内人に、沖縄をどう思うかと聞いたら、シンプルに「沖縄が独立しない理由が分からない」と答えた。北朝鮮に日本の左翼の人たちが訪問してきたが、「自分の国に誇りを持っていない人と話しても面白くない」と言っていた。


 この記事を通して、言えることは、「在沖米軍基地の県外移設」と自分自身の位置関係を明確にするということである。
 つまりそれは、自分自身のあり方を問う中で、「在沖米軍基地の県外移設」を考えるということである。
 初沢亜利の「世界中に基地はいらないという考え方ではない。あくまでも本土日本人による沖縄人に対する差別問題があり、その責任をどう取るかという視点で、沖縄で暮らし、辺野古の現場にいた。写真家としての切り口は、今そこにある沖縄をいかに自分なりに探して撮ることができるかだった。」、という視点こそが、最初に、一人ひとりが取り組むことであると言えるのかもしれない。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-18 07:41 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

米国の正義を問う。(2)-「力行使をためらわない大統領と、拡大された権限を手にした軍 米国はどこへ向かうのか [平安名純代の想い風]」から-

 米国トランプ政権は2017年4月6日、「化学兵器による攻撃をしたシリアの航空施設に標的を定めた軍事攻撃を命じた」と明らかにした。」(朝日新聞2017年4月8日)、と他国(シリアのアサド政権)への単独の武力介入を行った。
果たして、米国にどんな正義があるというのか。
沖縄タイムスは2017年4月13日、「力行使をためらわない大統領と、拡大された権限を手にした軍 米国はどこへ向かうのか [平安名純代の想い風]」を掲載した。
 この記事から、この問題を考える。
平安名純代は、米国の政治状況を次のように分析する。


(1)テロとの闘いを掲げるトランプ新政権で、米国防総省の権限が拡大している。中東など戦地での作戦の迅速化を狙い、トランプ大統領は米軍幹部らの裁量を拡大。シリアでは、攻撃開始前に米軍幹部らの判断で上限を大幅に上回る派兵が実行された。軍事主導が鮮明化する現状に、専門家らは、政治指導者らが軍事作戦を制御できなくなる恐れがあるなどと警鐘を鳴らしている。
(2)当初、米国第一主義を掲げるトランプ氏の外交政策について、ディール(取引)重視で実利主義のビジネスマンだから、他国への軍事介入には興味ないだろうとの楽観的な見方が多かった。しかし、国防長官やCIA長官などの閣僚の座に「戦争屋」と呼ばれる人材を配したことから、こうした閣僚らの権限が拡大された場合、米国はブッシュ政権を上回る新たな戦争の時代に突入する可能性もあると予想する専門家もいた。


 どうやら、平安名純代恐れるく米国の今後は、「政治指導者らが軍事作戦を制御できなくなる」なかでの「新たな戦争の時代に突入する」ことにある。


 平安名純代によると、すでに米国では、次の状況が生まれている。


(1)トランプ氏は、公約の柱に掲げていた医療保険制度改革や一部のイスラム教国からの入国禁止に失敗。支持率下降が止まらない中、ソマリアでのテロとの闘いを指揮する米軍司令官らの権限を拡大。オバマ政権時に決められた米軍の派兵数の上限は、シリアが503人、イラクが5262人だが、トランプ氏から意思決定の裁量を拡大された米軍幹部らは、「一時的な派遣」との名目で、シリアへの派兵を数百人単位で増やし、最終的に海兵隊員など数千人が投入された。
(2)こうした傾向について専門家らは、軍事現場での裁量の拡大は、民間人や兵士の犠牲を増やすことにつながりかねず、軍事的にも政治的にもリスクが高いと指摘。すでにその兆候は現れていると警鐘を鳴らす。これまでは、米メディアも議会もロシアを巡る疑惑でトランプ政権への追求を強めていたが、トランプ氏のシリアへのミサイル攻撃は「正しい判断」と圧倒的に支持され、状況は一変している。


 だから、平安名純代は、「他国への武力行使を躊躇(ちゅうちょ)しない大統領と拡大された権限を手にした米軍。そして事態を傍観する議会。果たして米国は今後、どう動いていくのだろう。軍事の現場にホワイトハウスが介入し、米軍幹部らにけむたがられていたオバマ政権と違い、大統領から権限を拡大された米軍はまさに活気づいている。」、とする。


 米国の「正義」は、米国に活気を与えるまでになってしまっている。
こうして、米国の「正義」は、「米国の正義」に拡大されてしまうのか。
米国のこうした状況に、いち早く乗ってしまった国の責任は、極めて重い。


 さて、平安名純代は、沖縄についても、このことに関連させてこのように触れる。
本当は、日本の政治力が問われているのだが。


(1)在日米軍も例外ではない。沖縄を、中国の軍事力拡大や北朝鮮情勢をにらみ、中東への出撃を後方支援する重要な拠点と位置付ける米国防総省は、オバマ政権の軸足の定まらなかったアジア政策を刷新しようと熱心に協議している。
(2)辺野古新基地建設は、オバマ政権下で「埋め立て承認」という大きな一歩を踏み出したが、軍事主導のトランプ政権下ではさらに加速し、埋め立て作業を一気に進めようとする可能性がある。軍事主導の日米両政府にどう対抗するか。沖縄の政治力が問われている。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-17 07:43 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「教育勅語」を考える。(4)-教育勅語 高橋源一郎 氏 現代訳より-

 松島泰勝さんのブログで、「教育勅語 高橋源一郎 氏 現代訳」、を見つけました。
 この高橋源一郎の教育勅語現代訳から、「教育勅語」を考えます。
まずは、全文掲載します。


教育勅語①「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」

教育勅語②「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」

教育勅語③「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

教育勅語④「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

教育勅語⑤「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

教育勅語⑥「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです」

教育勅語⑦「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

教育勅語⑧「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」


 これは、「教育勅語」を活かさなくてはならないという者たちの肉声です。
 前は、聞こえよがしにつぶやいていたものを、今は、目をつり上げてここぞと道を説いています。
 ほら、またがなり立て始めています。もっと激しく。

「はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕しなさい。」

 「というか、永遠に続くわれらの天皇家を護るために戦争に行かなくては。。それが正義であり『人としての正しい道』なんだ。そのことは、おまえたちが、ただ単に私の忠実な臣下であることを証明するだけでなく、おまえたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるのだ。」




by asyagi-df-2014 | 2017-04-16 08:06 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

米国の正義を問う。(1)

 米国トランプ政権は2017年4月6日、「化学兵器による攻撃をしたシリアの航空施設に標的を定めた軍事攻撃を命じた」と明らかにした。」(朝日新聞2017年4月8日)、と他国(シリアのアサド政権)への単独の武力介入を行った。
果たして、米国にどんな正義があるというのか。
朝日新聞は2017年4月11日、「(耕論)米国に正義はあるのか 最上敏樹さん、青山弘之さん」を掲載した。
 この記事から、この問題を考える。


朝日新聞は、青山弘之東京外国語大学教授(以下、青山教授とする)による、米国の中東への関わり方と今回のシリアへの武力介入の意味について、次のように指摘している。


(1)米国は1991年の湾岸戦争以降、自国の経済安全保障を保つため、中東に関わり続けてきました。石油を安定供給させるため、中東の政治的秩序を保つ必要があったからです。
(2)中東に関わる際に、米国は常に二つの基準をてんびんにかけてきました。一つは中東を混乱させないこと。もう一つは、米国に単独で対抗できるような国家や勢力をこの地域につくらないということでした。だからこそ、2003年のイラク戦争では強くなりすぎたフセイン政権を倒したのです。
(3)シリアのアサド大統領は、イラクでフセイン政権が崩壊したあと、米国に盾突くことのできる唯一の統治者になりました。米国にとっては目の上のコブです。それだけに、「アラブの春」以降にシリアで民主化を求めるデモが強まり、国内が混乱に陥ったことを、米国はアサド政権弱体化のいいチャンスだと考えていたはずです。ただ、米国は、仮にアサド政権が崩れる場合にその後のシリアを誰がどう統治するのか、青写真を描けずにいました。そんななかで政権が完全に崩壊すれば、中東に強い混乱を及ぼしかねない。だから、弱くも強くもないシリアが求められていたのです。
(4)この矛盾にはさまれ、オバマ前政権はシリアに対し、中途半端な対応しかとってこられませんでした。アサド政権への直接的な軍事行動はとらず、反体制派への支援を通じ、政権の弱体化を図ろうとしていたのはその表れです。ただこの手法は、アルカイダ系に近い反体制派組織を米国が支援するという結果を生みました。01年の米同時多発テロを起こしたアルカイダ系は、米国にとって本来は最大の敵です。その組織を支援していたオバマ政権時代のシリア政策は、完全に破綻(はたん)していました。それだけに、トランプ大統領はこうした反体制派組織への関わりを、嫌悪していました。だから、トランプ政権はシリア国内の反体制派支援から、「イスラム国」(IS)そのものに対する軍事作戦に軸足を移しつつあり、シリアでの米国の影響力は低下していました。またシリア国内のIS掃討作戦でも、主導権を握っていたのはシリアとロシアでした。このままいけば、仮にシリアでISを掃討できても、シリアとロシアに利益を握られてしまう。それはトランプ政権にとって対シリア政策の失敗を意味していました。
(5)米国は、ISとの戦いにおいて主導権を取り戻したいと考えていました。そのためには、シリアとロシアの両国を揺さぶる必要があった。アサド政権による化学兵器の使用は、米国にとって格好の口実になったのだと思います。起死回生の一打としての、ミサイル攻撃だったのではないでしょうか。


 青山教授は、こうした分析のうえで、今回のシリアへの武力介入の意味について、次のように指摘します。


Ⅰ.今回の米国のミサイル攻撃は、アサド政権の化学兵器使用に対する懲罰行動なのでしょうが、長期的には米国にとって失敗に終わる可能性が高いといえます。
Ⅱ.米国は今回のミサイル攻撃について、アサド政権が化学兵器を使用したことへの対抗措置だと説明しています。仮にこの通りだとしても、今回の攻撃は極めて意味がないと思います。対抗措置であれば本来、化学兵器が再び使われることがないよう、その能力を低下させなければなりません。今回、ミサイル攻撃したのは一つの航空基地のみです。塩素ガスなどの毒ガスを製造できる拠点が攻撃対象に含まれていなかったことには、首をかしげざるを得ません。
Ⅲ.今回の攻撃の結果、米国の思惑とは全く違う結果が生まれるのではないかと思います。アサド政権に実害はなく、一方でアサド政権やロシアは「テロとの戦いの強化」という形で、米国が支援してきた反体制派などに大規模に報復する口実を得た。シリアでのロシアの影響力を強める結果にもつながるのではないでしょうか。


 一方、最上敏樹早稲田大学教授(以下、最上教授とする)は、シリアへの武力介入について、「トランプ政権の攻撃は正義の武力行使とは、とてもいえません。人道的介入が許されるかどうかの議論の入り口にすら至ることがない」と評し、①「これ見よがしの誇示に近い」、②「シリアの人道的な危機が本当によくなるのかという効果の面でも非常に疑わしい」、と指摘している。
 特に、その問題点を次のように挙げている。


Ⅰ.武力行使は様々な方策が尽くされた後の最後の手段で、国連安全保障理事会の決議を踏まえるべきだとされています。今回の攻撃は十分な手続きがなされておらず、国際法上、違法な軍事行動といえます。
Ⅱ.国連安保理決議を通すといった努力を飛ばして、根拠のない武力行使をすることはどの国にも許されませんし、世界を不安定にします。大勢の子供たちが犠牲になったといったことを持ち出せば、武力行使をしても許されるといった緩い構造にはなっていないのです。


 また、最上峡中は、その背景とその影響について、このように触れている。


Ⅰ.唐突かつ拙速に米国が攻撃に踏み切った背景に何があるのか。現状では推測の域を出ませんが、米国の政権内のポストに空席が多いこともあって、本来ならば、国際法上の問題点を指摘するといった政権内からの歯止めが働かなかったのかも知れません。
Ⅱ.今回の攻撃で、トランプ政権が世界の安全保障の問題に武力をもって関与するということが示されました。北朝鮮のような国家が行動を自重するのではないかと期待する声が上がることも予想できますが、そうとは思えません。むしろ、米国が自ら国際法というルールを無視したことで、他国による違法な武力行使に拍車をかける危険性もあります。そもそも、現在、人びとの安全保障上の大きな脅威になっているのはテロリスト組織に代表されるような人間の集団、つまり主権国家ではない非国家主体です。どんなに強大な国が圧力をかけても、非国家主体が従わず、テロリズムが発生するという現象を私たちはここ十数年、ずっと見てきています。


 さらに、今後のシリア情勢についても、このようにまとめている。


Ⅰ.ニューヨークで国連加盟国による大きな会議を開くだけでなく、NPOやNGOという非国家主体も含めた当事者の話し合いが必要です。シリアの子供たち、一般の人びとがどれだけ苦しみ、厳しい状況に置かれているかを最も理解しているのが非国家主体でもあります。
Ⅱ.シリア政府の要請を受けて、安保理の常任理事国として、拒否権を行使できるロシアがシリア国内で様々な武力行使を行っています。両国の行動に問題は多く、国際社会は有効な手を打つことができません。現在の国際法や国連システムの限界は確かにあります。しかし、無力を嘆くだけでなく、現実的な改革を考えるべきです。
Ⅲ.例えば、スイスなどの国々が提唱しているように、人道問題に関しては、五つの常任理事国が拒否権を使うべきでないと国連総会で決議することは重要で現実的な提案です。拒否権発動ができないように国連憲章を改正するのは、拒否権の壁があって非現実的ですが、総会決議は全加盟国の多数決で採択できます。常任理事国に対する拘束力を持ちませんが、道徳的な力で将来の人道危機を防ぐことになります。


 青山教授、最上教授の指摘を受けて、確かに、他国への単独の武力介入には、なんら正義は見つけられない。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-15 06:47 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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