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2017年1月2日の「TOKYO-MXTV」の番組「ニュース女子」。(2)

 この問題について、のりこえねっとは2017年1月5日付で、「辛淑玉を誹謗(ひぼう)中傷する虚偽報道に対する抗議声明」を公表した。
 その抗議は次のようにまとめられる。


Ⅰ.主張
(1)私たちは、この事実を深刻に受け止め、TOKYO-MXTVに対して、強い憤りをもって抗議します。そして、同番組によって傷つけられた人権と名誉の回復と補償を求めるため、必要なあらゆる手段を講じます。
(2)言うまでもなく、高江で起っている事実を取材し、その情報を提供することは、ヘリパッド建設に対する賛否とは別の問題であり、そのことを根拠に反対派が「金欲しさに運動している」などと報道するのは意図的な歪曲であるばかりでなく、この問題に対する人々の理解を間違った方向に誘導するものです。TOKYO-MXTVが予断を持たずに少しでも取材を行っていれば、反対運動に参加する多くの人々が手弁当で現地を訪れ、自主的に活動に参加していることが分かったはずです。しかし、私たち「のりこえねっと」関係者は同テレビ局から事前にまったく取材を受けておらず、意見の聴取はおろか単純な事実確認すらされていません。
(3)同テレビ局のこのような報道姿勢は、あきらかに放送法第4条がかかげる「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という基本的な報道規範を逸脱するものです。
(4)「のりこえねっと」共同代表辛淑玉に関する「ニュース女子」の報道内容は、昨年成立したヘイトスピーチ対策法(「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律」が規定する不当な差別的言動に当たるものと言わざるを得ません。
(5)私たちは、私たち「のりこえねっと」の名誉と社会的信用、そして、共同代表である辛淑玉の人権と名誉を傷つけた同テレビ局の行為に対して、厳しく指弾し、抗議します。
同時に、小なりといえども情報発信を行う市民メディアの一員として、このような同テレビ局の報道機関としての倫理的退廃と社会規範からの逸脱に対して、憤りをもって批判し、抗議するものです。


Ⅱ.抗議の根拠及び事実
(1)沖縄・高江のヘリパッド建設問題について、反対運動の參加者の多くに対して金銭による報酬が支払われているという虚偽報道を行い、さらに、「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉に対して人種差別にもとづく憎悪扇動表現をも行いました。
(2)高江におけるヘリパッド建設について、私たち「のりこえねっと」は、建設の背景に日本とアメリカによる沖縄差別が存在することを指摘し、反差別と人権擁護の視点から批判してきました。そして、現地で建設を強行する日本政府が重大な人権侵害を行っていることを、ネットを通じて広く内外に伝える活動を行ってきました。私たちは、私たちの活動が、日本の既存マスメディアが行っている報道とは異なる視点から情報を提供することで、この問題についての多様で多面的な認識を醸成し、健全な民主主義を構築することに寄与してきたと自負しています。
(3)しかし、そのような私たちの活動に対し、TOKYO-MXTVが1月2日に放送した「ニュース女子」は、「反対派は何らかの組織に雇われている」「反対運動を扇動する黒幕の正体は?」としたうえ、私たちが人々からの寄付で現地に市民特派員を派遣したことを、「5万円日当を出す」などと反対派が金銭目的で運動に参加している証拠であるかのように歪曲して報道しました。さらに、「のりこえねっと」共同代表の一人である在日三世の辛淑玉に対し、「韓国人がなぜ反対運動に参加するのか」などと、人種差別にもとづくヘイト発言を行いました。
(4)また、これも取材をすれば簡単に分かることですが、ヘリパッド建設を批判する人々の中には日本以外の国籍を持つ人も多数います。米軍基地をめぐる日米両政府の沖縄への強権的・差別的対応は、国籍にかかわらず、この国で生きるすべての人々、とりわけ在日を含むマイノリティにとって重大な問題だからです。にもかかわらず、辛淑玉が在日であるからという理由でその活動を否定的に報道することはヘイトスピーチそのものであることを、同テレビ局は深く認識すべきです。
(5)そもそも、同テレビ局が社会における有限の資源である地上波を独占的に利用できるのは、その放送が公共性に資するという前提があるからです。放送事業者はその公共性を自覚し、放送法の理念でもある正確で公正な報道の実践を自らに課す重大な倫理的使命を帯びています。にもかかわらず、今回のTOKYO-MXTVの報道は、この使命に反するものでした。


 確かに、「TOKYO-MXTV」の番組「ニュース女子」は、放送法第4条に違反し、あきらかに基本的な報道規範を逸脱する。




by asyagi-df-2014 | 2017-01-22 08:14 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

2017年1月2日の「TOKYO-MXTV」の番組「ニュース女子」。

沖縄の小口幸人弁護士のブログで見つけました。
 打越さく良(うちこしさくら)弁護士は、TOKYO-MXTVの問題について、次のようにまとめてくれています。
 実は、この問題については、2017年1月3日の三上智恵さんのブログで、こんな風に紹介されていました。


正月から性根の腐った番組を
紹介したくはないんですが

東京メトロポリタンテレビの
報道と標榜する
悪質な番組に
高江のことがとんでもない取り上げられ方をしてて
これを見た人たちの中に
信じてしまう人も
結構出て来ると思うと
頭がいたい

反対運動はテロで過激派で
中国と韓国人が多くて
日当の封筒が落ちてて
その黒幕は、、、

というネット上のデマから生まれて
そのままの内容を作りに
沖縄まで来て
真実を見ようともしないで
安易な興味本位な企画構成で
ジャーナリストと称する人が
ドヤ顔でそれを伝えている

この局の番組審議委員会が
まず不適切を指摘すべきだ

自浄作用がないなら
沖縄と沖縄県知事に対する
名誉毀損として
県から正式に抗議するべきだ

二見杉田トンネルの前に立って
この向こうは高江で
ここから先は危なくていけないからここで引き返した
なんてリポート取ってたけど

恥ずかしくない?
そこから高江は40分以上ありますよ
人食い部族に潜入する
かわぐちひろし探検隊だって
もっとそばまで行ってから
引き返すはずよ

質の悪いテレビ製作者と
質の悪い視聴者の結託を
解消させる特効薬はないものか?


 さて、打越さんの文章をそのまま掲載します。


「ニュース女子」ショック

 沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設に反対する人たちを「テロリスト」と表現し、「日当をもらっている」、「組織的に雇用されている」等と「報道」(?)した1月2日のTOKYO-MXTVの番組「ニュース女子」が私の周辺では激震というくらいに話題になった。動画自体はYouTubeにアップされては削除されている(現時点ではこちら)。
 ひどいという言葉で想像できるものを超えている。ここで逐一指摘するのも、きつい作業だ。と思っていたら、有り難いことに、どこがどのように問題があるか検証したツイートのまとめhttps://togetter.com/li/1066931https://togetter.com/li/1067201も既にある。以下に一部触れるが、詳細は動画やツイートのまとめを参考にしていただきたい。

「現場」にいかない「現場レポート」

 番組の前半、沖縄の基地問題の特集コーナーで、「軍事ジャーナリスト」の井上和彦氏が沖縄を訪れたVTRが流される。
 「反対運動の連中がカメラを向けるとみてます」などとぼやかした画面が出るが、その場所は高江でなく、名護署前であり、人々が抗議しているのは市民の不当逮捕についてであることも触れられていない。
 人々に井上氏が近づくシーンでいったん途切れ、次はロケ中止を説明するシーンになってしまう。テロップには「このままだと危険と判断 ロケ中止」とあるが、映像はどうみても穏やかに立っている人々だけの画像で、「盛り上げ」ているのは、「襲撃されないですか?」というナレーションや「近づいたら危ない」というスタッフの声ばかり。「近づくと一人ふたり立ち上がって敵意をむき出しにしてきてかなり興奮した感じ」と井上氏は解説するも、肝心の「一人ふたりが立ち上がり敵意を…」シーンはなく、視聴者には観られない。「危険」「敵意」も制作者側の「評価」であって事実ではない。

 続いて「過激派デモの武闘派集団「シルバー部隊」 逮捕されても生活の影響のない65歳〜75歳を集めた集団」のテロップ。予め反対派には「過激派」というレッテルを貼ってしまうのだ。「万が一逮捕されても影響が少ない六十五歳以上を過激デモ活動に従事させている」として、反対派に「シルバー部隊」がいると説明される。しかし、そんな「部隊」はない。どんな運動でも、平日日中空いた時間があるのは、退職者が多いものだろうに…。「過激派デモ」「武闘派集団」「シルバー部隊」、といった悪意ある評価のレッテルのオンパレード。「逮捕されても生活の影響もない」年齢層なんてない。誰にとっても拘束されるのは痛手であるし、高齢者ならばなおさら体にはこたえる。いったい何を言っているのか。さらに、「集まった」でなく「集めた」という言葉を選択することにより、自発的に集まったのではなく、「何者かに操作され集められた」印象を生じさせもする。

 「トンネルの先が高江のヘリパッドの建設現場」というトンネルの手前で「地元関係者から現場付近が緊迫してトラブルに巻き込む可能性」があるとしてロケ断念。視聴者としては当然このトンネルを通過したらその場が「緊迫した高江のヘリパッド建設現場」かと思う。ところが、このトンネルは二見トンネルで、トンネルを通過してもそこには高江のヘリパッド建設現場があるわけではない。約40㎞も離れているのだとか(「「沖縄の基地反対派は日当もらっている」MX報道 その根拠となる証拠とは」2017年1月7日11:01籏智広太記者)。それに、この記事が指摘するように、BuzzFeedその他報道機関、フリーランスのジャーナリストは現地で取材できているのに、車で1時間以上手前で取材を止めた上で「現場では何が起きているのか」をレポートすると銘打つのはいかがなものか。スタジオトークでは「他のメディアもカメラを向けると入れない」との発言までしているが、虚偽である。

中傷、ヘイト…

 また、のりこえねっとに触れながら、のりこえねっとが「ヘイトスピーチに対峙し決然と対決し民族や国境の壁を越えて人権の普遍的価値を擁護し、防衛する行動」(設立宣言)を続けようとしているのだが、スタジオトークではその活動を「隙間産業ですね。何でもいいんです盛り上がれば」と矮小化して中傷される。「何でもいいんです盛り上がれば」と呆れたいのはこっちだ…(嘆息)。

 「反対派は日当をもらっている」「何らかの組織に雇われている」とほのめかされる。市民たちの止むに止まれぬ自発的な運動ではない印象を生じさせる。東京新聞(1月7日付け朝刊「こちら特報部」)によれば、のりこえねっと共同代表の辛淑玉さんは、「昨秋、沖縄の現状を実際に見て、ネット上で発信する特派員を募集した時、交通費として5万円を出した。カンパで5万円が集まるたびに1人派遣し、合計16人。だが、格安航空券でも、那覇空港から電車もない現地へ行くには5万円では到底足りず、みんな自腹覚悟で行った」とのこと。こんなことは、取材すればすぐわかる。思わせぶりに「2万円」が配られたという茶封筒など、その出自は最後まで不明で、反対派との関係はわからずじまい(「「沖縄の基地反対派は日当もらっている」MX報道 その根拠となる証拠とは」2017年1月7日11:01籏智広太記者)。なんなんだ…。

 スタジオトークでは、井上氏が「韓国人はいるわ、中国人はいるわ。何でこんな奴らが反対運動やってるんだと地元の人は怒り心頭」と言ったり、経済ジャーナリストの須田慎一郎氏が、辛さんについて「在日韓国人の差別と戦ってきたカリスマでお金がガンガン集まる」と述べたりした。
 反対運動に関わっている外国人は、韓国人と中国人だけではないが、あえて韓国人と中国人をあげるところに、嫌中反韓の思惑を感じ取らざるを得ない。辛さんが在日であることを強調するところにもだ。
 のりこえねっとは1月5日付で、「辛淑玉を誹謗(ひぼう)中傷する虚偽報道に対する抗議声明」を公表している。辛さんは、「ニュース女子」の制作側がのりこえねっとに取材を申し込んできたことすらないとツイートしている。
 ううむ。現場にも行かないわ、のりこえねっとに取材もしないわ…。そもそも沖縄米軍ヘリパッド建設になぜ人々が反対しているのかの解説すらない。反対する人々は「過激派」と暴力をふるう異分子、「外国人」それもあえて「中国人、外国人」、「日当をもらっている」輩というわけか。異分子扱い、分断した上で排除する…。百歩譲って政治的偏りは目をつぶっても、いくらなんでも取材すらしないなんて、ニュースというに値しないだろう。いや政治的偏りに目をつぶってはいけないか。放送法第4条1項は、「政治的に公平であること」(2号)、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(4号)を放送事業者の編集等について規定しているのだから。

ニュースは事実を公平に伝えるもののはず

 この番組は、「「タテマエや綺麗ごとは一切なし!本音だらけのニュースショー!!今話題のニュースを女性とともに考え、面白くわかりやすく解説する、大人の社交界型ニューストーク番組」
 とのことだ。タテマエや綺麗ごとはなくていいが、ニューストーク番組という以上、放送事業者として倫理は守ってもらわなくてはならない。一般社団法人日本民間放送連盟の放送倫理基本綱領も確認しよう。

「放送は、民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る。
(略)
 放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。
(略)
 報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。」
 今回のニュース女子はこの倫理に沿っているとはいえない。ヘイトスピーチにより被害者が「多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている」害悪を認め、ヘイトスピーチを「あってはならず」「許されないことを宣言」したヘイトスピーチ解消法(前文)の理念にも逆行している。

できることはある

 番組では、スタジオに「識者」として男性がずらりと並び、「教えてもらう」側に美しい女性たちがずらりと並ぶ。「男が女に教えてやる」という構図自体がなんともグロテスク。合間合間にDHCの広告が入る。番組の制作は(株)DHCシアター。同社の株主は株式会社DHCは女性の消費により得た利潤を女性へのこうした「啓蒙」に還元しようとしているのか。
 私が震撼としたこの番組について、沖縄に住むある人は「もう驚かない」と言った。こんな沖縄ヘイト、もはやありふれていると。メディアやネットで蔓延する沖縄ヘイトに、どう対抗できるだろう。番組に抗議したり、細々とSNSでつぶやいても、たかがしれている。しかし、メディアやジャーナリストの矜恃に期待して何もしないのも…。どう対抗すればいいのかだろう。おお。「♯DHC不買運動」とハッシュタグしたツイートがあらわれている。なるほど。女性は「啓蒙される」側にとどまってはいられない。消費者なら消費者として主体的に行動で意思を示せる。一人ひとりの声は小さくても、集まれば。できることから、チャレンジしよう。沖縄や在日と亀裂をつくられることにはNO、差別のない社会に少しでも近づいていきたいから。





by asyagi-df-2014 | 2017-01-21 08:30 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

メリル・ストリープの「決意」。

 メリル・ストリープのスピーチをTVで見ました。。
2017年1月8日に開催された第74回ゴールデングローブ賞授与式で、セシル・B・デミル賞を受賞した際のものでした。
「決意」をそこに見ました。
 メリル・ストリープに共闘の拍手を。


 クーリエ・ジャポン-が緊急全訳を掲載してくれた。
メリル・ストリープは、こんなふうに話しています。


 役者の唯一の仕事は、自分たちと異なる人々の人生に入っていくことで、それはどんな感じなのかを見ている人に感じさせることです。まさにその役目を果たした力強い演技が、この1年もいっぱい、いっぱい、いっぱいありました。息をのむ、心のこもった仕事ばかりです。

 しかし、この1年の間に、仰天させられた一つの演技がありました。私の心にはその「釣り針」が深く刺さったままです。

 それがいい演技だったからではありません。いいところなど何ひとつありませんでした。なのに、それは効果的で、果たすべき役目を果たしました。想定された観衆を笑わせ、歯をむき出しにさせたのです。

 我が国で最も尊敬される座に就こうとするその人物が、障害をもつリポーターの真似をした瞬間のことです。

 特権、権力、抵抗する能力において彼がはるかに勝っている相手に対してです。心打ち砕かれる思いがしました。

 その光景がまだ頭から離れません。映画ではなくて、現実の話だからです。

 このような他者を侮辱する衝動が、公的な舞台に立つ者、権力者によって演じられるならば、人々の生活に浸透することになり、他の人も同じことをしていいということになってしまいます。

 軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。

 さあ、やりたければやればいいでしょう。


 メリル・ストリープは、このように続けます。


 さて、この話が記者につながります。私たちには信念をもった記者が必要です。ペンの力を保ち、どんな暴虐に対しても叱責を怠らない記者たちが──。建国の父祖たちが報道の自由を憲法に制定したゆえんです。

 そういうわけで、裕福で有名な「ハリウッド外国人映画記者協会」とわが映画界の皆さん、私と一緒に、「ジャーナリスト保護委員会(Committee to Protect Journalists)」の支援をお願いします。ジャーナリストたちが前進することが私たちにとって必要だし、彼らが真実を保護するために私たちが必要だからです。


 メリル・ストリープは、最後に、自らの「決意」をこのように表明します。


 最後に一言。あるとき、私はセットの周りで、何かについてグチをこぼしていました──ほら、私たちは夕飯も食べずに長時間働いたりなんだりするでしょう。そのときに、トミー・リー・ジョーンズが私に言ったんです。

 「役者でいられるって、すごい特権じゃない?」

 ええ、そうです。私たちはその特権と、共感する役目の責任をお互い確かめ合わなければなりません。私たちはみんな、ハリウッドが今夜ここで栄誉を授ける仕事に誇りをもつべきです。

 私の友人で、親愛なる去りしレイア姫が、かつて言ったように、砕かれたハートをもってアートにしましょう。


 以下、クーリエ・ジャポンの引用。






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by asyagi-df-2014 | 2017-01-18 08:18 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

安倍内閣総理大臣の2017年年頭所感を読んでみる。

 内閣総理大臣の年頭所感を批判するために、まとめたことは過去にはあった。
 最近は、安倍晋三の表現そのものを読むことがきつくなってしまったので、ずっと取りあげなかったのだが、沖縄タイムスが木村草太さん(以下、木村とする)、日刊ゲンダイが室井佑月さん(以下、室井とする)の文章を載せてくれたので、この両者の文章とあわせてこの年頭所感を読んでみた。
 まず、安倍晋三年頭所感で、気になったのは、次の文章表現のところである。


Ⅰ.「戦後、見渡す限りの焼け野原の中から、我が国は見事に復興を遂げました。」
Ⅱ.「如何にして『希望の光』を彼らに与えることができるか」
Ⅲ.「厳しさを増す安全保障環境」
Ⅳ.「一億総活躍社会を創り上げ、日本経済の新たな成長軌道」
Ⅴ.「積極的平和主義の旗をさらに高く掲げ」
Ⅵ.「日本を、世界の真ん中で輝かせる」


 恐らく、この六つの内容が表現するものについて、きちんと反論していくのが、2017に必要とされることになる。
 ここでは、気になる文章表現を並べてみてみて、大きな疑問符がつくものについて、少しだけ書くことにする。
ⅠとⅡについては、焼け野原の光景は本来侵略者の反省として語られなければならないはずなのに、全く安倍晋三の視野には侵略された側のことがはいっていない。もちろん、「希望の光」とは、自分たちのものだけではないはずなのにだ。
 だから、Ⅵは、独りよがりの姿勢が際立って見える。その結果は、誰からも信用されない事態を招くしかない。
 Ⅲについても、現在の環境をもたらしたのは、何が原因だったのかの検証が全くなされていないため、復古主義的な手法に頼るだけで、未来を築くことができない。これは、Ⅳについても同様である。
 Ⅴについては、意味不明、定義未定の言葉を使用するポピュリズムの典型である。


 さて、木村と室井の文章に触れる。
 最初に、 木村は、「木村草太の憲法の新手(47)首相年頭所感を考える」(沖縄タイムス:2017年1月8日)で、「この年頭所感は憲法改正に意欲を示したもの、と見る向きもある。そこで、憲法改正についてどのように考えるべきか、改めて検討したい。」、とこの年頭所感を憲法改正に係わって切り取っている。
 木村は、憲法について、「憲法は、国家権力によるさまざまな失敗の歴史を反省し、同じ過ちを繰り返さないようにするためのチェックリストだ。」、と規定したうえで。次のようにこの年頭所感を読んでいる。


「憲法を創るときには、現に生じた国家の失敗を分析した上で、『より良い解決を導くにはどうしたらいいか』と徹底的に考えられている。だからこそ私たちは、国家が何らかの失敗をしていると感じた時、憲法の条文を読み、先人たちが憲法に託した希望に学ぼうとする。そういう意味では、安倍首相が、希望というキーワードを示したことは正しい。ちなみに、私も昨年、『憲法という希望』という著作を出版した。憲法に高い関心を示す安倍首相が一読した可能性に期待したいところだ。しかし、ちまたにあふれる改憲論議の中身は、希望からは程遠く、あまりに軽々しい。」


 木村は、このことに続けて、巷に溢れている憲法改正論議の軽薄さについて、次のように指摘する。


(1)「自衛隊は今の憲法ではどう考えても違憲だ。国を守れないのは不合理だから改憲しよう」との議論をしばしば見かける。しかし、自衛隊合憲説は、頭ごなしに否定できるほど不合理な見解ではない。歴代政府はもちろん、ほとんどの政党も、合憲説を採っている。世論調査を見ても、自衛隊を違憲と評価する国民は少ない。だいたい、本気で自衛隊違憲説をとるなら、改憲が実現するまで、自衛隊は解散しなくてはならなくなるが、そこまで覚悟した提案なのだろうか。
(2)「憲法に新しい権利を書き込もう」と言う人もいる。しかし、環境権や犯罪被害者の権利、教育無償の権利を実現するには、通常の法律を作れば足りる。本気で実現したいなら、わざわざ手間のかかる改憲ではなく、法律を制定すべきだろう。


 木村は、最後にこう結論づける。日本国憲法に込められた「希望」について、まずは知るべきだ」、と。


(1)そもそも自民党も、改憲に本気なのか疑わしい。
(2)自民党改憲草案の特徴は、国民の義務を大きく増やす点にある。しかし、自分たちの義務を増やしてほしいと考える国民などそうそういないから、支持が集まるはずもない。本気で改憲を目指すなら、国民が何を求めているのか、もっと真剣に考えるべきだ。
(3)今必要なのは、もう一度、憲法を読み返し、そこに込められた「希望」を思い起こすことではないか。先人たちが、日本国憲法にどんな希望を託したのか。それを知り、それを超える理想像を描くことができたときにはじめて、私たちはより希望にあふれた憲法を手にできるだろう。


 次に、室井は、「新年から新聞を広げると、こればかり。まるでCMじゃ。安倍さんはこの国の首相だから、当たり前なのかもしれないけれど、もうマスコミは安倍政権のスローガンだけ取り上げるのを止めにしてくれないか? 言いっ放しにさせず、その後の後追い記事はもちろん、疑問や批判を挟まないなら、報道じゃなく広告だよ。安倍さんの年頭所感を載せるなら、アンダーラインを引いて、どの部分が嘘くさいか示すぐらいしろ。いっぱい突っ込みどころがあったじゃん。」、と「室井佑月の『嗚呼、仰ってますが。』突っ込みどころだらけだった安倍首相の年頭所感」(2017年1月5日)で切れ味鋭く斬ってみせる。
 また、次のように批判する。


(1)たとえば、冒頭の発言にアンダーラインを引いて、〈安倍氏のいう積極的平和主義とは、この国を守るための自衛隊が、この国とは関係ない国の争いに駆り出されることになること〉とか書かなきゃね。
(2)「女性も男性も、お年寄りも若者も、障害や難病のある方も、一度失敗を経験した人も、誰もが、その能力を発揮できる一億総活躍社会を創り上げ、日本経済の新たな成長軌道を描く」 「子どもたちの誰もが、家庭の事情に関わらず、未来に希望を持ち、それぞれの夢に向かって頑張ることができる。そういう日本を創り上げてまいります」ってとこにもアンダーライン入れなきゃだ。〈非正規労働者は増え、社会保障費は削られまくり、6人に1人の子供が貧困となった。でも、防衛費だけは奮発して、5兆円越え〉とかさ。
(3)「私たちの未来は、他人から与えられるものではありません。私たち日本人が、自らの手で、自らの未来を切り拓いていく。その気概が、今こそ、求められています」といっている。結局、最後は冷たく国民の自己責任論を持ち出すのですね。


 確かに、安倍晋三の年頭所感である。


 以下、安倍晋三内閣総理大臣年頭所感及び沖縄タイムス、日刊ゲンダイの引用。






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by asyagi-df-2014 | 2017-01-15 10:58 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「説明責任を果たさない外務省の『政治的な成長の段階』は、87年時点と変わらない」

 西日本新聞は2016年1月3日、標題について次のように報じた。


(1)日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日本新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて。

 「際限ない」米側不快感示す
(2)文書は87年4月、米公文書の機密解除審査部門責任者の一人、故ドワイト・アンバック氏が作成した「機密解除に関する日本の申し入れ書」。作成から30年たち機密解除の審査対象となる50年代の米公文書について、在米日本大使館は87年1、3月、機密を解除して国務省刊行の外交史料集に収録しないよう同省東アジア太平洋局に文書で申し入れており、同局とアンバック氏が対応を協議した3ページの記録だ。申し入れは米歴史学者の調査で判明していたが内容は不明だった。
(3)文書によると、日本側が非公開を求めたテーマは(1)「核兵器の持ち込み、貯蔵、配置ならびに在日米軍の配置と使用に関する事前協議についての秘密了解」(2)「刑事裁判権」(3)「ジラード事件」(57年、群馬県で在日米軍兵士が日本人主婦を射殺した事件)(4)「北方領土問題」(5)「安保改定を巡る全般的な討議」。(1)(2)については「引き続き(公開)禁止を行使する」との結論が明記されていた。
(4)日米外交史に詳しい菅英輝・京都外国語大教授は(1)について安保改定時の「米核搭載艦船の通過・寄港を事前協議の対象外とした核持ち込み容認の密約」だと指摘。今も関連文書の一部は非公開だ。(2)は53年の日米行政協定(現在の日米地位協定)の改定時に、米兵らの公務外犯罪のうち重要事件以外は日本政府は裁判権を放棄したとされる問題とみられるという。一方、(3)(4)(5)については事実上、要請を拒否する方針が記されていた。
(5)文書によると、アンバック氏は「われわれは広範囲にわたる際限のない非公開要請には同意できない」と強調。外交史料集刊行などに「深刻な問題を引き起こす」と警告し、全て受け入れれば関係する二つの巻のうち1巻は全体の約3分の1、残る1巻は60%以上の分量が影響を受けると懸念。「これは米政府による情報公開を外国政府が統制できるのかという根源的な問いを提起している。答えは明らかにノーだ」と強い不快感を示していた。


 また、松永勝利さんのFBでこのことが次のように紹介されています。


 西日本新聞が新年早々の1月3日、調査報道による特ダネ記事を掲載しました。
 日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非開示を要請していたことを西日本新聞が米情報自由法(FOIA)に基づいて入手した米公文書で明らかにしました。
 日本側の要請に対して、米側は核持ち込みの密約など一部については同意したものの、そのほかの公文書については要請を拒否する方針を示したようです。
 その理由について米公文書の機密解除審査部門責任者の一人故ドワイト・アンバック氏はこう説明しています。
「これは米政府による情報公開を外国政府が統制できるのかという根源的な問いを提起している。答えは明らかにノーだ」
 米海兵隊のオスプレイ沖縄配備についても日本側が情報隠しをしていたことが分かっています。米側は1996年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告の草案で、オスプレイの沖縄配備を明記していたにも関わらず、当時の防衛庁の高見沢将林運用課長が文言の削除を求めたため記述が消されました。沖縄県民に知らせないためです。
 その後、日本政府は沖縄側からオスプレイ配備の可能性を問われても、一貫して「知らぬ」としらを切り続け、配備を公に認めたのは、それから15年後の2011年12月のことでした。配備10カ月前のことです。
 西日本新聞が突き止めた事実は、日本政府が米国との交渉で、米国にとっては自国民に公表しても構わないと判断できる事柄についてさえ、日本国民に伝えてもらっては困ると考えるような外交を繰り返してきたことを白日の下にさらしました。
 この事実を突きつけられた外務省は西日本新聞の取材に対して
 「外交上のやりとりにつき、お答えは差し控えさせていただきます」と答えています。
 この姿勢について西日本新聞は関連記事でこう締めくくりました。「説明責任を果たさない外務省の『政治的な成長の段階』は、87年時点と変わらない」
 琉球新報としてもすぐに追いかけ取材するべきですが、公文書を入手する作業などが必要です。さらに報道まで日数を要するでしょう。
 3日夕のデスク会議で「すぐにでも沖縄の読者に伝える必要がある記事だ」と判断し、友好関係にある西日本新聞に記事の転載をお願いし、快諾していただきました。
 琉球新報の4日朝刊1面に本記、3面に関連記事を掲載させていただきました。記事冒頭に「西日本新聞提供」と断り書きを入れさせていただきました。感謝申し上げます。
 下記で西日本新聞の記事を読むことができます。
 今後も新聞連携を深めていきたいと思います。

外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け 介入実態が判明したのは初(西日本新聞)


 松永勝利さんは、「西日本新聞が突き止めた事実は、日本政府が米国との交渉で、米国にとっては自国民に公表しても構わないと判断できる事柄についてさえ、日本国民に伝えてもらっては困ると考えるような外交を繰り返してきたことを白日の下にさらしました。」、と指摘します。
 確かに、「説明責任を果たさない外務省の『政治的な成長の段階』は、87年時点と変わらない」、との西日本新聞の結論は、まさに今を言い当てている。


 以下、西日本新聞の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2017-01-12 09:30 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

2017年1月1日、社説・論説を読む。(7)-日本国憲法から-

 2017年が明けた。
 さて、どのような事態にどのように立ち向かうことになるのか。
まずは、窮乏化する同じ大地に立つこと。
そして、反撃の術を見極めること。
各紙の2017年1月1日の社説及び論説を読む。


 神戸新聞、朝日新聞で、日本国憲法から2017を俯瞰する。
 神戸新聞は、「憲法が誕生して70年。その精神は戦後日本の繁栄と安定を支えてきた。だが、人間でいえば古希を迎え、新しい憲法を目指す動きは急だ。改正に賛同する勢力は衆参両院で国会発議に必要な3分の2を超え、機能停止状態だった両院の憲法審査会も再開された。議論が新しい段階に入った憲法について考えたい。」、とする。
 朝日新聞は、「世界は、日本は、どこへ向かうのか。トランプ氏の米国をはじめ、幾多の波乱が予感され、大いなる心もとなさとともに年が明けた。保守主義者として知られる20世紀英国の政治哲学者、マイケル・オークショットは、政治という営みを人々の航海に見立てている。海原は底知れず、果てしない。停泊できる港もなければ、出航地も目的地もない。その企ては、ただ船を水平に保って浮かび続けることである――。今年の世界情勢の寄る辺なさを、予見したかのような言葉として読むこともできるだろう。と同時にそれは本来、政治にできることはその程度なのだという、きわめて控えめな思想の表現でもある。」、と端緒を開く。
 二紙の主張を要約する。


Ⅰ.事実、問題点の指摘
(神戸新聞)
(1)兵庫過労死を考える家族の会共同代表の西垣迪世(みちよ)さん(72)は、11年前に亡くなった息子のことを思い浮かべながら、その死に胸を痛めた。
 広告大手電通の新入社員だった高橋まつりさん=当時(24)=が過労自殺していたことが昨秋に明らかになった。高橋さんは「もう体も心もズタズタだ」と会員制交流サイト(SNS)などに記していた。
 西垣さんの長男和哉(かずや)さん=当時(27)=は大手IT企業でシステムエンジニアとして働き、長時間労働からうつ病を発症、大量の薬を服用して死亡した。
 2人には、ネットでSOSを発信していた点、母子家庭で育った点など共通する部分が少なくない。高橋さんらに違法な残業をさせていたとして労働局は年末、労働基準法違反の疑いで電通と幹部を書類送検した。社長は辞任を表明した。和哉さんも37時間連続など過酷な勤務だった。「もっと楽しいことがしたい。もっと健康的に生きたい」。ブログの言葉が痛々しい。
(2)悲劇を繰り返さないため、西垣さんは全国の遺族らとともに署名集めなどの運動を続け、2014年に過労死等防止対策推進法が成立した。それから2年余り。法施行後も過労死は絶えない。「日本人って何でこんなに働くのでしょうかね」と和哉さんが書いていたのを思い出し、西垣さんはむなしさを募らせる。中学校で習った憲法には「国民の命は守られるべき」とうたわれていたはずだ。
(3)13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は公共の福祉に反しない限り「最大の尊重を必要とする」とある。25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、国に「生存権」の実現に努力する義務を課していた。人間らしく働く権利を保障する27条もある。
(4)こうした条文が守られていれば過労死など起こらないだろう。人間らしく生きることを国に求める権利は社会権と呼ばれる。中でも生存権を保障する25条は重要だ。
(5)憲法は空気のようなものだという。生きていく上で欠かせないのに、普段は存在を意識することは少ない。だが、個人の自由や権利、そして生命が危うくなる事態に陥ったときこそ、憲法の出番であろう。
 過労死で息子を亡くした西垣さんは2009年、労災認定を求めて国を相手に訴訟を起こした。死者の尊厳を求めた裁判で、立ちはだかったのは国だ。勝訴したが、西垣さんには納得しがたい気持ちが残った。「国民を守ってくれるはずの国がなぜ壁になるのか」
 命を守る国になってほしいとの思いで過労死根絶の活動を続ける。それは憲法が保障する権利を守るための運動ともいえる。


(朝日新聞)
(1)不穏な世界にあって、日本は今年5月、憲法施行70年を迎える。憲法もまた、政治の失調に対する防波堤として、大切な役割を担ってきた。その貢献の重みを改めて銘記したい。
(2)「立憲主義」という言葉の数年来の広がりぶりはめざましい。政治の世界で憲法が論じられる際の最大のキーワードだ。中学の公民の教科書でも近年、この言葉を取り上げるのが普通のことになった。公の権力を制限し、その乱用を防ぎ、国民の自由や基本的人権を守るという考え方――。教科書は、おおむねこのように立憲主義を説明する。それは人々の暮らしの中で具体的にどう働くのか。例えば、政党機関紙を配った国家公務員が政治的な中立を損なったとして起訴されたが、裁判で無罪になった例がある。判断の背景には、表現の自由を保障した憲法の存在があった。
(3)立憲主義は、時に民主主義ともぶつかる。民主主義は人類の生んだ知恵だが、危うさもある。独裁者が民主的に選ばれた例は、歴史上数多い。立憲主義は、その疑い深さによって民主主義の暴走への歯止めとなる。
(4)根っこにあるのは個人の尊重だ。公権力は、人々の「私」の領域、思想や良心に踏み込んではならないとする。それにより、多様な価値観、世界観を持つ人々の共存をはかる。ただ、こうした理念が、日本の政界にあまねく浸透しているとは到底いえない。自民党は立憲主義を否定しないとしつつ、その改憲草案で「天賦人権」の全面的な見直しを試みている。例えば、人権が永久不可侵であることを宣言し、憲法が最高法規であることの実質的な根拠を示すとされる現行の97条を、草案は丸ごと削った。立憲主義に対する真意を疑われても仕方あるまい。
(5)立憲主義にかかわる議論は、欧米諸国でも続く。一昨年のパリ同時多発テロを経験したフランスでは、非常事態宣言の規定を憲法に書き込むことが論じられたが、結果的に頓挫した。治安当局の権限拡大に対する懸念が強かった。同じくフランスの自治体が、イスラム教徒の女性向けの水着「ブルキニ」を禁止したことに対し、行政裁判の最高裁に当たる国務院は「信教と個人の自由を明確に侵害する」という判断を示した。


Ⅱ.主張
(神戸新聞)
(1)憲法の制定過程を振り返ってみたい。25条1項は当初の連合軍総司令部(GHQ)案にはなく、戦後、国会での修正協議で加えられた。1946年8月、衆議院の憲法改正の小委員会で社会党だった森戸辰男氏らが発案した。森戸氏は民間の憲法研究会のメンバーでもあった。戦前、ドイツ留学でワイマール憲法を学び、その生存権思想を採り入れたとされる。だが、何より森戸氏を動かしたのは、故郷の広島で原爆の災禍に苦しむ人々の姿、各地で生活に困窮する国民の姿だった。
(2)憲法は「米国の押しつけ」の側面が強調されがちだ。しかし、9条と並ぶ重要な支柱ともいわれる25条は、論議を重ねた末に日本が独自に加えたことを記憶しておきたい。
25条に基づき生活保護法などの法律があり、年金や医療などの社会保障制度が整備されている。
(3)憲法学者の故奥平康弘さんはこんなふうに述べていた。「憲法というものは世代を超えた国民が、絶えず未完成の部分を残しつつその実現を図っていくコンセプト(概念)である」。
(4)国民が自らの権利を保障するために国家という仕組みの運用のありようを定めたものが憲法だ。条文は抽象的な文言もあるが、国民が憲法に向き合い、活用していく中で、その精神が力を発揮する。今、憲法は暮らしにどう生かされているのだろうか。改憲の機運が高まる中、兵庫の現場から見つめ直してみたい。より幅広く、より深い議論につなげるために。


(朝日新聞)
(1)昨今、各国を席巻するポピュリズムは、人々をあおり、社会に分断や亀裂をもたらしている。民主主義における獅子身中の虫というべきか。オークショットのように抑制的で人気取りとは縁遠い政治観は、熱狂や激情に傾きがちな風潮に対する防波堤の役割を果たす。
(3)衆参両院の憲法審査会は昨年、立憲主義などをテーマに討議を再開したが、議論の土台の共有には遠い。どんな立場を取るにせよ、憲法を論じるのなら、立憲主義についての真っ当な理解をより一層深めることが前提でなければならない。
(4)個人、とりわけ少数者の権利を守るために、立憲主義を使いこなす。それは今、主要国共通の課題といっていい。環境は厳しい。反移民感情や排外主義が各地で吹き荒れ、本音むき出しの言説がまかり通る。建前が冷笑されがちな空気の中で、人権や自由といった普遍的な理念が揺らぐことはないか、懸念が募る。
(5)目をさらに広げると、世界は立憲主義を奉じる国家ばかりではない。むしろ少ないだろう。憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授は「立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖(ぎょうこう)である」と書いている。であればこそ、立憲主義の理念を、揺らぎのままに沈めてしまうようなことがあってはならない。
(6)世界という巨大な船が今後も、水平を保って浮かび続けられるように。


 「立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖(ぎょうこう)である」(長谷部恭男・早稲田大教授)であるとするなら、それでもやはり、「立憲主義の社会に生きる」という高い理念に向けて、世界の人たちとともに進んで行く、こんな2017年にしなければならない。
また、「憲法12条の不断の努力」を常に自分の側に置いておかなけねばならない。
 神戸新聞は、「13条は『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』は公共の福祉に反しない限り『最大の尊重を必要とする』とある。25条1項は『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』とし、国に『生存権』の実現に努力する義務を課していた。人間らしく働く権利を保障する27条もある。こうした条文が守られていれば過労死など起こらないだろう。人間らしく生きることを国に求める権利は社会権と呼ばれる。中でも生存権を保障する25条は重要だ。憲法は空気のようなものだという。生きていく上で欠かせないのに、普段は存在を意識することは少ない。だが、個人の自由や権利、そして生命が危うくなる事態に陥ったときこそ、憲法の出番であろう。」、と説いている。


「個人の自由や権利、そして生命が危うくなる事態に陥ったときこそ、憲法の出番」。




by asyagi-df-2014 | 2017-01-11 08:05 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

2017年1月1日、社説・論説を読む。(6)-不戦の立場から-

 2017年が明けた。
 さて、どのような事態にどのように立ち向かうことになるのか。
まずは、窮乏化する同じ大地に立つこと。
そして、反撃の術を見極めること。
各紙の2017年1月1日の社説及び論説を読む。


 東京新聞は、私が確認した中では唯一、「新年早々ですが、平和について一緒に考えてください。人類はなぜ暴力を好み、戦争がやめられないのか。どうしたらやめる方向へと向かうのか」と明確な「不戦」の立場から、2017を問いかけていける。
東京新聞の主張の要約は次のとおり。


Ⅰ.問題点の指摘
(1)日本の平和主義を二つの観点から見てみましょう。
 一つは、だれもが思う先の大戦に対する痛切な反省です。
 振り返れば、日本は開国をもって徳川の平和から明治の富国強兵へと突入します。平和論より戦争論の方が強かった。「和を以(もっ)て貴しと為(な)す」の聖徳太子以来の仏教の平和論をおさえて、ヨーロッパの戦争論がやってきます。例えば「戦争は政治の延長である」という有名な言葉を記すプロイセンの将軍クラウゼヴィッツの「戦争論」。その一、二編はドイツ帰りの陸軍軍医森鴎外によって急ぎ翻訳され、続きは陸軍士官学校が訳します。海洋進出を説く米国の軍人で戦史家マハンの「海上権力史論」も軍人必読でした。欧米の戦争を学ぶ。いい悪いはともかくも追いつかねば、の一意専心。帝国主義、植民地主義。日清、日露の戦争。そういう戦争精神史をへて突入したのが、満州事変に始まって太平洋戦争に至るいわゆる十五年戦争です。
(2)最大の反省は人間が人間扱いされなかったことです。人間が非人間化されたといってもいいでしょう。そういう異常の中で敵側は人間以下であろうし、味方にもむやみな死を求める。クラウゼヴィッツのいう政治目的の戦争ではもはやなく、ただ進むしかない、戦争を自己目的化した戦いになっていたといっていいでしょう。
(3)その絶望の果てに戦後日本は不戦を尊び固守してきたのです。守ってきたのは元兵士と戦争体験者たちです。文字通り、命がけの訴えといってもいいでしょう。ただの厭戦(えんせん)、戦争嫌いというのでなく、国は過ちを犯すことがあるという実際的な反省でもあります。国民には冷静な目と分析がつねに必要だという未来への戒めです。
(4) 日本の平和主義についての二つめの観点とは、戦後憲法との関係です。
 戦争勝者の連合国は敗者の日本、イタリア、西ドイツに非軍事化条項を含む憲法を求めた。戦後冷戦の中で日本はアメリカの平和、いわゆるパックス・アメリカーナに組み込まれ、自衛隊をもちます。その一方で稀有(けう)な経済成長に恵まれ、その資力を主にアジアの発展途上国への援助に役立てます。
(5)ここで考えたいのは、平和主義とはただ戦争をしないだけでなく平和を築こうということです。前者を消極的平和、後者を積極的平和と呼んだりもします。例えば積極的平和を築こうと一九六〇年代、平和学という学問分野が生まれ、ノルウェーにはオスロ国際平和研究所ができた。政治や法律、経済、国際関係、歴史、哲学、教育など科学を総動員して平和を築こうというのです。実際にノルウェーは大国などではありませんが、イスラエルとパレスチナの間に和平をもたらそうというオスロ合意を成立させた。中東の国連平和維持活動に出ていて、両者の争いを終わらせるのは武力でなく対話しかないと考え至るのです。今は失敗かとまでいわれますがその熱意と意志を世界は忘れていません。


Ⅱ.主張
(1)だが残念ながら世界は不安定へと向かっているようです。
(2)日本国憲法の求める平和主義とは武力によらない平和の実現というものです。対象は戦争だけでなく、たとえば貧困や飢餓、自然災害の被害、インフラの未発達など多様なはずです。救援が暴力の原因を取り去るからです。
(3)NGО、非政府組織の活動が広がっている。ミリタリー、軍事から、シビリアン、民間への移行です。日常の支援が求められます。ミリタリーの非軍事支援も重要になっている。
(4)格差とテロとナショナリズム。それらが絡み合って国や民族が相互不信の度を高めつつある。しかし不信がつくられたものなら、解消することもできるはずです。そういう時だからこそ、私たちは平和主義、世界に貢献する日本の平和主義をあらためて考えたいのです。ただの理想論を言っているのではありません。武力によらない平和を求めずして安定した平和秩序は築けない。武力でにらみあう平和は軍拡をもたらすのみです。理想を高く掲げずして人類の前進はありえないのです。


 まがりなりにも日本の戦後の平和主義は、「絶望の果てに戦後日本は不戦を尊び固守してきたのです。守ってきたのは元兵士と戦争体験者たちです。」による「文字通り、命がけの訴え」に支えられてきたことは確かです。
 だとしたら、私たちは、「理想を高く掲げずして人類の前進はありえない」との想いで
「戦争をしないだけでなく平和を築く」ことを繋いでいく必要があります。
 そして、そこには、日本憲法の平和主義が基盤になっていなければなりません。
 東京新聞は、このことの意味を、「日本国憲法の求める平和主義とは武力によらない平和の実現というものです。対象は戦争だけでなく、たとえば貧困や飢餓、自然災害の被害、インフラの未発達など多様なはずです。救援が暴力の原因を取り去るからです。」、と説明します。


 あらためて、2017に、「不戦」の誓いを。



by asyagi-df-2014 | 2017-01-10 09:33 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

2017年1月1日、社説・論説を読む。(5)-地域社会から社会保障を問う-

 2017年が明けた。
 さて、どのような事態にどのように立ち向かうことになるのか。
まずは、窮乏化する同じ大地に立つこと。
そして、反撃の術を見極めること。
各紙の2017年1月1日の社説及び論説を読む。


 信濃毎日新聞は、「支え合う社会 世代間の信頼を土台に」、と地域社会から社会保障の問題を問う。
 地域社会の寄り添い、地域住民のいのちの問題に常に係わっていく、地方新聞のおもいをそこに見る。
 以下、その主張のまとめ。


Ⅰ.問題点の指摘-地域の姿
(1)師走の県庁ロビー。困窮家庭やこども食堂に届けるため、不要な食品を持ち寄る「フードドライブ」が行われた。県職員のほか市民が次々と訪れ、分類ケースに食品がたまっていく。クリスマス用のお菓子の詰め合わせ、正月に向けての切り餅も寄せられた。レトルト食品や缶詰を入れた袋を手にさげ、ストックで体を支えながらやってきた男性がいた。
 千曲市の59歳。ポリオで右足が不自由だ。長野市内の勤め先の昼休みに、左足でアクセルを踏めるようにした車を運転してきた。職場では重い物を同僚が持ってくれる。地域では常会の草取りや水路清掃を手伝ってもらう。支えられるだけでなく、自分のできることで支えたい。その思いが県庁へ足を運ばせた。
(2)全国民を健康保険や年金の対象とする「皆(かい)保険・皆年金」は、池田勇人首相が国民所得倍増計画を発表した翌年の1961年に始まった。高齢者が少なく、高度経済成長が進んだ時代。税収や社会保険料は増え、年金などの給付の水準は大幅に上がっていった。だが、少子高齢化に転じ、経済が低成長時代に入っても制度の骨格は大きく変わらなかった。給付水準を保つため国債という借金を雪だるま式に膨らませた。
 国と地方の借金は1千兆円を超え、なお増える。その負債は若い世代に引き継がれる。
政治が、投票率の高い高齢者を強く意識し、優遇策を続けてきた結果と指摘される。年金は、現役世代の保険料と公費で高齢者を支える賦課方式だ。「仕送り」と表現される。高齢者が増え、若い世代が減っていく人口構造では、仕送りする側の負担が増す。将来、受け取る年金の水準が下がることへの不公平感や不信も根強い。国民年金の保険料未納が多いのは、その裏返しともいえる。厚生労働省の調査では「経済的に支払うのが困難」に次いで「年金制度が信用できない」が多数だった。
(3)先月に成立した年金制度改革法で、年金の支給額は抑える方向に向かう。現役世代の賃金が下落すれば支給額も必ず減額する。少子高齢化の進展に合わせて自動的に支給額を減らす「マクロ経済スライド」という仕組みにより、デフレで実施しなかった分を景気回復時にまとめて抑制する。
 医療、介護も比較的所得の高い高齢者を中心に自己負担が新年度から上がっていく。制度の見直し自体は避けられないとはいえ、昨夏の参院選ではほとんど議論されなかった。しかも、低年金の人への給付や65歳以上の介護保険料の軽減拡充は先送りされた。
 今度は高齢者から不安や反発の声が上がっている。今回の見直しもほころびを繕ったにすぎない。次世代へのつけ回しをできるだけ減らし、本当に必要な人に支援が行き届くようにするにはどうしたらいいか。
(4)県庁のフードドライブから2週間後の祝日。長野市の教育会館で「信州こども食堂」が開かれた。豚汁やつきたての餅を使ったお汁粉、洋菓子店から提供されたクリスマスケーキなどが並んだ。県庁で集めた食品も一部使われた。子どもと若い親など約100人がテーブルを囲む。食材の提供者に感謝の気持ちを込めて手を合わせ、「いただきます」。腹話術の披露もあり、子どもたちの歓声が響いた。
 参加者の中に高齢者の姿もあった。1人暮らしの87歳の女性は「子どものにぎやかな声が聞こえるのがいい」と話した。食事を無料か低額で提供する「こども食堂」は、東京の下町で4年前に始まった。共感を得て全国に広がっている。長野県内でもNPO法人「ホットライン信州」が運営に関わっただけで昨年、116回を数えた。子どもからお年寄りまで延べ5千人近くが参加した。子どもたちが支えられていることを実感すれば、大人になって積極的に支える側に回るだろう。高齢者が子どもの笑顔を見れば、未来のために何とかしたいという思いを強くする。


Ⅱ.主張
(1)一つ一つの取り組みは小さくても、支え合いの心は、持続に黄信号がともる社会保障制度を立て直す芽になるのではないか。高齢になって働けなくなったり、病気や要介護、貧困状態になったりした時、社会全体で助け合う仕組み。それが社会保障だ。
(2)政治が将来を見据えて改革に動くには、世代間の信頼が築かれることが前提になる。
(3)社会保障制度は支えている人たちの姿が見えない。こうした市民の活動によって顔の浮かぶ支え合いが広がっていけば、世代間の溝を埋め、制度改革への合意をつくる土台になる。


 この信濃毎日新聞の「一つ一つの取り組みは小さくても、支え合いの心は、持続に黄信号がともる社会保障制度を立て直す芽になるのではないか。」、との投げかけは重く響く。
 ともに、地域社会に生きていく一人として。


by asyagi-df-2014 | 2017-01-09 08:47 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

2017年1月1日、社説・論説を読む。(4)-世界情勢、日本の状況から-

 2017年が明けた。
 さて、どのような事態にどのように立ち向かうことになるのか。
まずは、窮乏化する同じ大地に立つこと。
そして、反撃の術を見極めること。
各紙の2017年1月1日の社説及び論説を読む。


 各紙の世界の情勢や日本の状況分析から、2017を考える。
 ここでは、高知新聞、京都新聞、河北新報、北海道新聞、毎日新聞、読売新聞の社説等を読む。
高知新聞は「【新年に・世界】協調し混迷抜け出せるか」、京都新聞は「新年を迎えて  分断克服し共存への対話を」、河北新報は「ポピュリズムの時代/格差と分断 克服へ一歩を」、北海道新聞は「あすへの指針 分断を修復する努力こそ」、毎日新聞は「歴史の転機 日本の針路は 世界とつながってこそ」、読売新聞は「反グローバリズムの拡大防げ」、と見出しを掲げてそれぞれが主張を展開した。
 実は、京都新聞は巻頭で、「『日本の没落』を意識するときがある。少子高齢化が進み、人口は減少に転じている。米国を追い上げた経済力は中国に抜かれ、低成長が続く。所得は伸び悩み、格差拡大で相対的貧困率は16%に達する。公的債務は1千兆円を超える一方、医療・福祉費は膨らみ続け、年金も目減りする。こうした現実は、旧式の言い方を借りれば『国力の衰退』を表している。それを痛感しているのは他ならぬ安倍晋三首相だろう。」、と指摘する。
 この表現は、2017を言いかなり当てているではないか。だが、むしろ、現状は、「国力の衰退」と言うよりも、人間の尊厳を奪う社会状況に陥っていると言い換えた方がより相応しい。
 各紙の論調は次のとおりである。


Ⅰ.問題点の指摘


(高知新聞)
(1)昨年、世界を驚かせたのは英米両国民の選択だ。英国では6月の国民投票で欧州連合(EU)からの離脱派が多数を占め、11月の米大統領選では予想を覆して政治、行政経験のない実業家の共和党トランプ氏が勝利した。
(2)「ショック」と形容してよい出来事の背景は、むろん単純ではないだろう。ただし、欧米などで頻発するテロ、シリア内戦などによる難民や移民の急増、グローバル化に伴う格差の拡大などに対する人々の不安や不満が噴き出たのは間違いない。
(3)その矛先は政治家をはじめとするエスタブリッシュメント(既存の支配層)に向けられた。「米国第一」が象徴する保護主義や排外主義的な政策を前面に出し、不安や怒りをすくい取ったトランプ氏の手法は、ポピュリズム(大衆迎合政治)というほかない。
(4)英国民の選択も反EUや反移民から生まれたが、その流れは欧州全体に広がっている。今春にフランス大統領選、秋にはドイツ連邦議会(下院)選と、欧州統合を率いてきた両国などで大型国政選挙が相次ぐ。ポピュリズム的手法の政党や政治家がさらに勢いを増せば、EUの結束は危機にひんしかねない。
(5)トランプ氏は1月20日に大統領に就任する。選挙中の過激な主張は一部で修正が始まっているとはいえ、政策としてどう具体化されるかはまだ不透明だ。内政、外交ともにオバマ政権時と様変わりするのは避けられないだろう。
(6)国際社会は数多くの難題に直面している。過激派組織「イスラム国」(IS)などによるテロ、その温床といえるシリアの内戦、膨れ上がる難民や移民への対応、北朝鮮の核開発など、どれもが国際協調なしには解決が難しい。
(7)要となる国連安全保障理事会は米国とロシア、中国の対立によって、長く機能不全に陥ってきた。内向きが強まるとみられるトランプ政権の外交次第で、米ロや米中の関係が悪化し、世界は混迷の度合いがより深まる恐れさえある。
(8)その国連では今月、グテレス事務総長(元ポルトガル首相)の下で新しい体制がスタートする。混迷から抜け出すために、国際協調を構築できるか否か、新総長のリーダーシップが問われることになる。


(京都新聞)
(1)「日本の没落」を意識するときがある。少子高齢化が進み、人口は減少に転じている。米国を追い上げた経済力は中国に抜かれ、低成長が続く。所得は伸び悩み、格差拡大で相対的貧困率は16%に達する。公的債務は1千兆円を超える一方、医療・福祉費は膨らみ続け、年金も目減りする。
 こうした現実は、旧式の言い方を借りれば「国力の衰退」を表している。それを痛感しているのは他ならぬ安倍晋三首相だろう。
 「日本を取り戻す」(2012年衆院選)、「私たちの自信と日本の誇りを取り戻そう」(13年参院選)、「強い経済を取り戻せ」(14年衆院選)、「誇りある日本を取り戻す」(16年参院選)。
 主な選挙のたびに繰り返される「~を取り戻そう」という首相のメッセージからは、日本の現状に対するいらだちと、過去の繁栄への郷愁が読み取れる。
(2)かつて欧州諸国も自信を失い、没落の不安に覆われた時代があった。人類史上未曽有の惨禍をもたらした第1次世界大戦が終わった後のことだ。
(3)当時、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは著書で、野蛮な大衆社会では「みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は排除される」とし、没落の不安を背景に反知性主義に陥った大衆の反逆(蜂起)が危険な急進主義を招くと論じた。警告どおり、欧州はやがて非人間的なファシズムに踏みにじられることになる。
(4)この両大戦間の欧州の空気はどこか現代に似ていないだろうか。


(河北新報)
(1)米国の経済学者ジョン・ガルブレイス氏(1908~2006年)が、著書『不確実性の時代』を世に問うたのは1977年のことだった。
 歴史的な視点から世界経済を分析しながら、もはや人々の判断力の支えとなるような「哲学」が存在し得ない時代に入ったことを解き明かした。
 「人類が現に直面している諸問題の驚くべき複雑さを考えるなら、前世紀の確実性が残っていると考える方が、かえっておかしいくらいである」
 出版から今年でちょうど40年。ガルブレイス氏が指摘した不確実性の流れは加速を続け、今や国際社会は「カオス」(混沌(こんとん))のまっただ中にあると言っても過言ではあるまい。
(2)その渦をかき回すのが「ポピュリズム」(大衆迎合主義)である。昨年起きた象徴的な出来事は世界に衝撃を与えた。
 英国は国民投票の結果、欧州連合(EU)からの離脱を決めた。米大統領選では当初、泡沫(ほうまつ)候補扱いされていたドナルド・トランプ氏が本命のヒラリー・クリントン氏を打ち破った。
 今年は欧州で重要な国政選挙が相次いで予定されており、台頭する排斥主義のポピュリスト政党から目が離せない。
 単純明快な論理を振りかざすリーダー、排他・排外主義の主張、群衆の情念に訴える政治手法…。いやが応でも、この手ごわい「怪物」と向き合わなければならない時代を迎えた。
 地殻変動を起こした要因は何なのか。経済のグローバル化の反動だろう。


(北海道新聞)
 英国のEU離脱とトランプ氏当選で目の当たりにしたのは、社会が分断されている現実だ。経済のグローバル化がもたらした格差が国民の間に深い溝を生んでいる。
 たとえば英国だ。欧州の金融センターとしてヒト、カネ、モノが国境を越えて自由に動くグローバル化の恩恵を享受していると見られていた。だが、実際は違った。
 「多文化主義」というEUの基本理念の下、流入する移民や難民に自分たちの仕事を奪われるとの危機感が足元で高まっていた。それを指導層が見誤り、国民投票が不満や怒りのはけ口になった。
 政治経験ゼロのトランプ氏を米大統領に押し上げたのも、工場が海外に移転し職や収入を失った白人層だ。グローバル化の「痛み」に手を打ってこなかった既存のワシントン政治への反乱と映る。


(毎日新聞)
(1)私たちは歴史の曲がり角に立っている。明日の世界は、昨日までとは異なっているかもしれない。そんな思いにとらわれる新年だ。
(2)理念よりも損得というトランプ氏がいよいよ米大統領に就任する。時代の変化は周辺部で始まり、想像を超えて中心部に及ぶことがある。1989年11月にベルリンの壁が壊された時、どれだけの人が2年後のソ連崩壊を予測できたろう。今回は初めから国際秩序の中枢が舞台だ。冷戦の終結に匹敵する大波が生まれても不思議ではない。
(3)トランプ氏の勝利と、それに先立つ英国の欧州連合(EU)離脱決定は、ヒトやカネの自由な行き来に対する大衆の逆襲だ。グローバルな資本の論理と、民主主義の衝突と言い換えることもできるだろう。
(4)フランスの経済学者ジャック・アタリ氏は「21世紀の歴史」(2006年)で、歴史を動かしてきたのはマネーの威力だと指摘した。その法則を21世紀に当てはめると、地球規模で広がる資本主義の力は、国境で区切られた国家主権を上回るようになり、やがては米国ですら世界の管理から手を引く。その先に出現するのは市場中心で民主主義が不在の「超帝国」だと説いた。
(5)先進国を潤すはずのグローバル経済が、ある時点から先進国を脅かし始める。各国から政策の選択肢を奪い、国内の雇用を傷める。ここまではアタリ氏の見立て通りだが、私たちが昨年目撃したのは国家の「偉大なる復権」をあおり立てるポピュリズム政治家の台頭だ。しかも彼らの主張は、国際協調の放棄や排外的ナショナリズムといった「毒素」を含んでいた。欧州の極右勢力も勢いづいている。
(6)軍事力、経済力ともに抜きんでた米国がこうした潮流をけん引する影響は計り知れない。国際秩序は流動化し、国際経済は収縮に向かう。


(読売新聞)
(1)「反グローバリズム」の波が世界でうねりを増し、排他的な主張で大衆を扇動するポピュリズムが広がっている。国際社会は、結束を強め、分断の危機を乗り越えなければならない。
(2)保護主義を唱え、「米国第一」を掲げるドナルド・トランプ氏が20日に米大統領に就任する。力による独善的な行動を強めるロシアや中国に、トランプ氏はどう対応するのか。既存の国際秩序の維持よりも、自国の利益を追求する「取引」に重きをおくのであれば、心配だ。米国が、自由や民主主義といった普遍的な価値観で世界をリードする役を降りれば、その空白を埋める存在は見当たらない。
(3)市民のテロへの恐怖心をも利用して、難民や移民を拒否すれば安全や生活の安定が保てるかのように唱える。排外主義を煽あおるポピュリズムの拡大は、人や物の自由な移動を進めるグローバリズムの最大の障壁になりつつある。
(4)米欧で反グローバリズムやポピュリズムが伸長する背景には、リーマン・ショックを契機とした世界的な経済成長の停滞がある。自由貿易の拡大は、各国に産業構造の変化をもたらした。国際競争力の低い産業は衰え、生産や雇用が国外に流出する。高成長が確保されている間は、他の産業が雇用を吸収するなどしてしのげる。だが、成長が滞るとそれも難しくなる。自分たちはグローバル化の犠牲になったと感じる人々が増えた。移民や難民に職を奪われることへの危機感も相まって、排外主義や保護主義に同調している。


Ⅱ.主張


(高知新聞)
(1)重要な鍵の一つは、欧米で勢いを増す排外主義的な動きに歯止めをかけられるかどうか、ではないか。ポピュリズムが潜在的に持っている危険性を自覚しながら、他者に対する寛容さという普遍的な精神を取り戻す必要がある。
(2)ことしも激動の年になることは避けられそうにないが、世界が少しでもよい方向に進んでほしい、と誰もが願っているだろう。その歯車を回すのは国籍や人種、民族が異なっても地球市民の一人一人だ。


(京都新聞)
(1)いま私たちがとるべき態度は、自分にとって心地よい情報や意見を選び、信じることではない。ありのままの現実と向き合い、異論に謙虚に耳を傾け、自分の頭で考えることだ。今年は憲法施行70年、日中戦争80年、ロシア革命100年…と、歴史的な節目がいくつも控えている。こうした機会に過去を見つめ直し、「市民」の精神で日本の未来像を描いていきたい。
(2)そのために鍵となる課題が二つある。ひとつは憲法と戦後社会をどう評価するかである。「戦後レジームからの脱却」を目指す安倍首相はこれまで、愛国心を強調する教育改革を進める一方、表現の自由を制約しかねない特定秘密保護法を制定し、安全保障法制で違憲が疑われる集団的自衛権を解禁してきた。一連の流れが現行憲法の理念に必ずしもそぐわないのは明らかだろう。
(3)国会で改憲論議の本格化が見込まれるが、世論調査では国民の過半数が9条改正に反対している。日本らしい国際貢献のあり方とともに、戦後の平和と繁栄に果たした憲法の役割を改めて考えたい。
(4)もうひとつは、戦後70年余を経てなお関係国との和解を阻んでいる歴史認識ギャップである。北方領土を巡るロシアとの交渉や安倍首相の米ハワイ真珠湾訪問を振り返れば、先の戦争に対する日本の立ち位置の特殊性が際立つ。歴代政権は「痛切な反省と心からのおわび」を繰り返し表明してきたが、安倍首相ら多くの議員が「侵略戦争ではなかった」とする議員連盟に加わっていては不信を払拭できまい。戦没者追悼は当然としても、幅広い国々と和解を進めたいのなら相当の覚悟が要る。
(5)哲学者の内田樹・京都精華大客員教授によると、オルテガは対話を通じて「理解も共感も絶した他者と、それでもなお共存してゆく能力」が分断を克服する基礎だとした。まさに現代に生きる私たちに必要な力であり、「没落」への処方箋ではないだろうか。


(河北新報)
(1)一握りの人々に巨万の富がもたらされる一方、取り残された者との格差は広がっていく。雇用や生活の不安を背景に、移民や難民に対する排除が声高に叫ばれ、批判の矛先はエリートの支配層に向けられた。
 現代では国境を越えた経済活動は不可避であって、孤立主義は成り立たない。しかし、各国の指導者は的確な「羅針盤」を持たないまま、グローバル化の荒海で漂流を続けているのが実態ではないか。日本もまた例外ではなかろう。
(2)「アベノミクス」の恩恵は地方に滴り落ちておらず、富裕層と貧困層の二極分化に拍車がかかる。非正規労働者の増大、高齢者、子どもの貧困が社会問題化している。このままでは社会の土台が揺るぎかねない。
(3)ナショナリズムをてこに、排外主義が付け入る下地は十分にある。実際、特定の民族などへのヘイトスピーチ(憎悪表現)の対策法までつくられた。不確実性の中にあって、確かなものは何か。それは「自分」という存在だろう。自ら何をなすべきか、が問われる時だ。
(4)国家に自らの利益と自由を求めるだけでは、問題は解決しない。一人一人がそれぞれの立場で格差と分断を乗り越え、連帯、共存に向けた新たな一歩を踏み出すことが求められる。
(5)「ポピュリズムはデモクラシーの後を影のようについてくる」。こんな言葉がある。今年は総選挙があるやも知れぬ。ポピュリズムの「正体」を見破る目も養わなければならない。


(北海道新聞)
(1)新自由主義が色濃いグローバル経済は競争原理むき出しで、「勝ち組」「負け組」を生みやすい。放置すればさまざまな場面で摩擦を起こし、はざまで多様性を認める寛容さが失われていく。本来、二極化した層の接点を探るのは政治の役割だ。しかし不平や不満が強いと、それをあおって独り善がりな政策を推し進めようとするポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭する。厄介なのは、ポピュリズムが排外的なナショナリズムと容易に重なり合うことだ。英米両国の投票結果が実証している。
 押し寄せる難民へのいら立ちやテロへの恐怖から、欧州で極右勢力が伸長するのもそのためだ。米国と欧州に内向きのベクトルが働くと、不戦の誓いから出発した国際協調の流れを掘り崩しかねない。そうなれば、ロシアや中国が覇権主義の姿勢を強めるばかりか、中東情勢もより混迷しよう。
(2)格差と分断は日本でも深刻だ。
(3)安倍晋三政権は「1億総活躍社会」を掲げる。しかし、成長ばかり追求するアベノミクスで、待遇が不安定な非正規が増え続け、6人に1人が貧困に直面している。そうした格差を埋めるはずの社会保障は上向かない景気や少子高齢化によって劣化が著しい。雇用や所得再配分のあり方を含め、見直しを急がねばならない。にもかかわらず、安倍政権はグローバル化を加速させる環太平洋連携協定(TPP)に固執する。成長を生み出すためと、ごり押ししたカジノ解禁も拝金主義を助長しかねない。逆行してないか。
(4)先の見えない閉塞(へいそく)感の矛先は、身内の弱者へ向かう。
 「土人」。沖縄の米軍ヘリパッド予定地で、建設を阻止しようとした反対派に向かって、警官が耳を疑うような言葉を浴びせた。怒号飛び交う場面とはいえ、国民を守るはずの権力側の物言いに不穏な兆候を感じざるを得ない。
(5)仮に成長しても、亀裂ある社会は健全ではない。IT(情報技術)の進歩などでグローバル化は止められないにしろ、弱肉強食型の経済構造は改めねばならない。
(6)同時に考えたいのは、社会の分断を修復する手だてである。
(7)「グローカル」という言葉がある。グローバルとローカルを掛け合わせた造語である。世界規模の視点で考え、地域で活動することを意味する企業戦略だ。この用語に新たな発想を吹き込みたい。グローバル化で生まれた格差・分断をローカル的な包摂で是正する―。そんな努力である。顔の見える地域社会は「競争」よりも「共生」を優先する。身近で雇用環境を整え、福祉の拡充も目指したい。そのためには国の権限や財源、そして人材を地方に大幅に移すのが欠かせない。
(8)地方に力がつけば新たな試みが出てこよう。移民受け入れを検討してもいい。1次産業を核とした地産地消システムも構築したい。鉄路存続が危ぶまれ、疲弊する道内も活路が開けるはずだ。


(毎日新聞)
(1)日本はこの転換期にどう立ち向かえばいいのだろうか。
(2)後72年、米国の動向を最大の指標としてきた日本である。その土台が揺さぶられるのは間違いない。特に外交・安全保障政策は試練に直面する。トランプ政権が日米同盟をその都度の取引と考えた場合、中国の海洋進出や北朝鮮の脅威に対抗していくのは難しくなる。
(3)しかし、ここでうろたえずに自らの立ち位置を再認識することが肝要だ。それは、他国との平和的な結びつきこそが日本の生命線であるという大原則にほかならない。米国が揺らぐなら、開かれた国際秩序のもたらす利益の大きさを、日本自身の行動で説くべきだろう。自由貿易を軸とした通商政策やグローバル企業への課税のあり方、地球温暖化の防止対策なども、多国間の協調なしには進められない。グローバル化がもたらす負の課題は、グローバルな取り組みでしか解決し得なくなっているのだ。日本は率先してその認識を広めたい。ただし、戦略的に国際協調の路線を歩むには、足元の安定が欠かせない。日本の弱点がここにある。
(4)日本の少子化、その下での社会保障政策、借金頼みの財政、日銀の異次元緩和というサイクルが長続きしないのは明らかだ。破綻すれば国際協調どころではなくなる。さらに日本がグローバリズムと共存していくには、国民の中間的な所得層をこれ以上細らせないことが最低限の条件になる。民主主義の質に深くかかわるからだ。
(5)民主主義は社会の意思を決めるためにある。多様な意見を持つ個々人が多数決の結論を受け入れるには、社会の構成員として何らかの一体感を持っていなければならない。ところが、所得分布が貧富の両極に分かれていくと、この一体感が損なわれる。トランプ現象で見られたように、選挙が一時の鬱憤(うっぷん)晴らしになれば、民主主義そのものの持続可能性が怪しくなっていく。
 人類は豊かさへの渇望とテクノロジーの開発によってグローバル化を進めてきた。その最先端にいた米国と英国が逆回転を始めたのは歴史の大いなる皮肉だ。この先に何が待っているのか、まだ誰も知らない。
(6)日本にとっては手探りの船出になるだろう。ただ、ささくれだった欧米の政情と比べれば、日本社会はまだ穏健さを保っている。持続が可能な国内システムの再構築に努めながら、臆することなく、世界とのつながりを求めよう。何かが見えてくるのはそれからだ。


(読売新聞)
(1)各国が内向き志向を強め、利害対立が激しさを増す。そんな潮流に歯止めをかける必要がある。激変する国際環境の中で、日本は、地域の安定と自国の安全を確保していかねばならない。日米同盟の重要性をトランプ氏と再確認し、さらに強化する道筋をつけるべきだ。
(2)日本は、尖閣諸島周辺などで中国の膨張圧力に直面している。ロシアとの間では北方領土交渉を抱える。トランプ外交の行方にとりわけ目を凝らさざるを得ない。オバマ米大統領は、尖閣諸島が、米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象であると明言していた。トランプ氏がその立場の継承を確認するかどうかは、日本の安全確保に大きな意味を持つ。
 トランプ氏は、在日米軍経費の負担増に言及したが、日本は同経費の75%を負担している。負担額は米同盟国の中で突出して多い。集団的自衛権の限定行使を可能にした安全保障関連法で、米軍への協力体制も強化された。
 日米同盟による抑止力の強化が、東アジア地域の安定に不可欠で、米国の国益にも適かなうことを、粘り強く説明していくべきだ。
(3)保護主義を強めれば、雇用や生産が復活し、自国民の生活が楽になると考えるのは、短絡的だ。自国市場を高関税で守れば、消費者は割高な商品の購入を強いられる。他国が対抗策をとれば、輸出産業も打撃を受ける。
 経済資源を、国境を越えて効率的に活用するのが自由貿易だ。多国間での取り組みをさらに進め、新興国の活力や技術革新の成果を世界に広げることで、成長の復活を目指すしかない。それが国際政治の安定の基盤ともなろう。


 世界の2017を考える時、大きな問題点の一つは、「ポピュリズムはデモクラシーの後を影のようについてくる」と言われるポピュリズム(大衆迎合政治)に、世界がどのように対応していくのかということだ。
また、「格差」の問題をどのように克服するか、ということが問われる。
 いずれにしろ、「ここでうろたえずに自らの立ち位置を再認識することが肝要だ。それは、他国との平和的な結びつきこそが日本の生命線であるという大原則にほかならない。」(毎日新聞)、との立ち位置の指摘は重い。
また、 河北新報の「一握りの人々に巨万の富がもたらされる一方、取り残された者との格差は広がっていく。雇用や生活の不安を背景に、移民や難民に対する排除が声高に叫ばれ、批判の矛先はエリートの支配層に向けられた。現代では国境を越えた経済活動は不可避であって、孤立主義は成り立たない。しかし、各国の指導者は的確な『羅針盤』を持たないまま、グローバル化の荒海で漂流を続けているのが実態ではないか。日本もまた例外ではなかろう。」、との提起は、重要な問題の指摘である。
 さて、河北新報はジョン・ガルブレイスを取りあげ、読売新聞は「反グローバリズムの拡大防げ」と掲げた。これまた、新自由主義政策やグローバリゼーションについて、2017の大きな検証課題である。
 最後に、読売は「日米同盟による抑止力の強化が、東アジア地域の安定に不可欠で、米国の国益にも適かなうことを、粘り強く説明していくべきだ。」、と説く。この問題については、構造的沖縄差別の解消を含め、大きな克服課題となる。


by asyagi-df-2014 | 2017-01-08 08:43 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

2017年1月1日、社説・論説を読む。(3)-愛媛新聞から-

 2017年が明けた。
 さて、どのような事態にどのように立ち向かうことになるのか。
まずは、窮乏化する同じ大地に立つこと。
そして、反撃の術を見極めること。
各紙の2017年1月1日の社説及び論説を読む。


 愛媛新聞は、「混沌の年 孤立主義を打破し平和への道を」、と2017の道筋を次のように示します。


Ⅰ.問題点のの指摘
(1)これまでにも増して「混沌(こんとん)」の予感が濃厚な一年がスタートした。米国や欧州で、自国の利益を優先しようとする保護主義や孤立主義が台頭し、先の見えない不安が世界を覆っている。
(2)混沌の最大の原因は、間もなく米大統領に就任するトランプ氏。「米国第一」を掲げる次期大統領が、具体的にどんな政策を打ち出すのか、世界中が固唾(かたず)をのんで見守っている。危惧されるのは、これまでの言動の多くが、世界に新たな混乱をもたらす危険性を秘めている点だ。「一つの中国」原則に「縛られる必要があるのか」と発言し、中国からの猛反発を招いたほか、融和策を取るとみられていたロシアに対しては、核軍拡競争の再現を示唆した。ともに歴代米政権の政策を覆す大きな方針転換。対立の種をまいているようにも映る。選挙戦で成功したポピュリズム(大衆迎合主義)や体制批判は権力側に回れば通用しないことを、トランプ氏は早く自覚しなければなるまい。


Ⅱ.主張
(1)流動化する国際社会の中で、日本は自らの立ち位置を明確にしなければならない局面を迎えそうだ。その際の政治判断はあくまで、戦後70年余りの平和を築いてきた現憲法に基づくものでなければならない。ともすれば「立憲主義」を軽視する傾向がある安倍政権に、しかとくぎを刺しておきたい。
(2)「米国第一」が世界の紛争解決への関与を極力避けようとする「不干渉主義」となる可能性もある。日本に対する要求も、米軍駐留経費の負担増にとどまらず、南シナ海での中国警戒監視活動の肩代わりなどにも広がりかねない。「自衛」の範囲を超えた過度な要求に対して、日本は憲法9条を盾に毅然(きぜん)と断らなければならない。
(3)集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法により、日本が無用な戦争に巻き込まれる危険性が高まっている。やはり安保法の廃止を強く求めたい。極端な孤立主義は、各国間の対立を招くだけ。そして武力では何も解決できないことを、世界は十分に学んだはずだ。混沌の時代だからこそ、国同士の話し合いが極めて重要になる。
(4)日本がそれを率先したい。先人が築き上げてきた平和の尊さを世界に発信していく必要がある。トランプ大統領就任は「対米追従」とやゆされてきた日本外交を大きく転換させる好機でもある。中国や韓国との関係改善や北朝鮮の拉致問題など、課題は山積しているが、平和国家の歩みを貫き、その地位を確たるものにするべきだ。


 愛媛新聞は、日本国憲法を通して、、明確に日本のあり方について、安倍晋三政権へ向けて主張する。


「日本は自らの立ち位置を明確にしなければならない局面を迎えそうだ。その際の政治判断はあくまで、戦後70年余りの平和を築いてきた現憲法に基づくものでなければならない。ともすれば『立憲主義』を軽視する傾向がある安倍政権に、しかとくぎを刺しておきたい。」


 これからの流動化する世界の情勢のなかでの日本の立ち位置についても、「集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法により、日本が無用な戦争に巻き込まれる危険性が高まっている。やはり安保法の廃止を強く求めたい。極端な孤立主義は、各国間の対立を招くだけ。そして武力では何も解決できないことを、世界は十分に学んだはずだ。混沌の時代だからこそ、国同士の話し合いが極めて重要になる。日本がそれを率先したい。先人が築き上げてきた平和の尊さを世界に発信していく必要がある。」、と示す。


by asyagi-df-2014 | 2017-01-07 08:49 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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