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家計問題と安倍首相の理解のために。-福島議員の質問(20170313)から-

 渡辺輝人弁護士が、家計問題の原点である福島瑞穂議員の国会での質問を、「加計学園問題の原点:安倍首相の3月13日の参院予算委での答弁を分析する」、と著してくれました。
 安倍晋三首相が頻繁に使用する「印象操作」という言葉も、この時も使っているのですね。また、「誹謗中傷」という言葉の使用も、論理的なものではなく、安倍首相本人のご都合主義であることがよくわかります。
結局、何度読み直しても、安倍首相の言ってることが理解できないことから、福島さんの「質問に対して、何で総理はそう恫喝するんですか。」、ということが安倍首相の発言の主旨でしかないことが、逆に説明されている気がします。
 どうやら、安倍首相の発言で残るのは、「しかしながら、や、これはあなたがですね、こういう問題で、疑惑があるかのごとくですね、疑惑のあるかのごとく、固有名詞や学園の名前を出せば、これは多くの人たちが傷つく訳であります。最初に申し上げましたように、これ、学校や何かにね、また、生徒や親の所にマスコミが殺到したらどうするんですか。責任とるんですかそれは。」、というものでしかありません。
 ですから、「もうすでに決まってしまったことを今更どうこう言うのは風評被害を生むから、こんなことを言うヤツには責任を取らせるぞ。」、と安倍首相は言いたかったということは理解できました。
 こうした安倍首相の手法について、渡辺弁護士は、「福島議員が、安倍首相に責任があるとも何とも言わず、事実を確認しようとしているのに、それには答えず、自分が働きかけて決めているのであれば責任を取る、と勝手に前のめりな発言をしています。これによって、今日に至るまで、あるはずの関与を認められず、国会が振り回されています。」、と指摘します。
 さて、この日の極めつけは、福島さんの「今治市で、え、そしてまた新たに獣医学部を作ると。で、これはやはり何故質問しているかと言えば、国家戦略特区の議長が総理であり、そしてその決定をしているからです。私は逆にですね、友達やいろんな近しい人が関与している可能性があるんだったら、むしろそれは、ま、注意深くやる。慎重にやる、あるいはやらない、そういう配慮も実は必要だと思いますよ。だって正に、正に、永年の友人。だって、総理が国家戦略特区で規制緩和をしたことで、総理の永年の友人はこれで利益を受けるわけじゃないですか。利益をこれで受けるんですよ。だから、そのことが大きいというふうに思います。」という質問に対しての安倍首相の次のような「答え」です。


「あのね、今、疑惑を掛けたまま終えられますから、ひと言付け加えたいと思いますけどもね、一校、そりゃ反対しますよ。医学部だって、成田の医学部だって、反対しましたよ。医師会は。当然なんですよ、それはね。それ、それを同じ理由であの、それを同じ理由で反対しましたからね、で、そこで、一校のみということを、が、で、一校のみというのが決まったのが成田における医科医大学でありましたね、医大でありますよ。で、同じ事がこっちでも起こっているわけで、そこで私が知っているんであればね、それを止めるべきだ、<指を指しながら>そこで私は、裁量、裁量行使していいんですか。裁量行使して良い訳ないじゃないですか。ということをはっきり申し上げて、えー、答弁を終えさせて頂きたいと思います。」


 このような安倍首相の「答え」は、全く以て意味不明のいうことに尽きます。
 これでは、国会のやり取りの意味が失われている様子が透けて見えます。ただ、残るのは、「勢い」「脅迫」だけです。
 こうした状況について、渡辺弁護士は、「福島議員が、安倍首相に責任があるとも何とも言わず、事実を確認しようとしているのに、それには答えず、自分が働きかけて決めているのであれば責任を取る、と勝手に前のめりな発言をしています。これによって、今日に至るまで、あるはずの関与を認められず、国会が振り回されています。」、と説明しています。
 さらに、渡辺弁護士は、福島議員と安倍首相のやり取り部分について、次のようにまとめています。


(1)国会質問では、質問した側が最後に自らのまとめをして質問時間を締めくくることはよくあるのですが、安倍首相は答弁を求められていないのに、これに答弁に立っています。聞かれたことに答えないのに、言いたいことは言うのも、やはり、行政府の長として、非常に行儀が悪いと考えます。
(2)まずは、国会審議から2ヶ月半も経つのに、議事録がホームページに掲載されていないこと自体、非常に不当でしょう。安倍政権がこの国会質問について、何かを隠したがっていると疑念を持たれても仕方ないのではないでしょうか。
(3)そして、3月13日の段階では、安倍首相は、確証もなしに国会質問をすべきでない、などと述べていました。しかし、その後、この件について「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」等と書かれた文部科学省の内部文書が流出しました。それが本物であり、また、2016年9月から11月にかけてその旨の報告があったことや、安倍政権の首相補佐官の和泉洋人氏や、内閣官房参で、同時に加計学園理事でもあった与木曽功氏から繰り返し働きかけがあった旨、前川喜平・前文部科学次官(1月18日に天下り問題で引責辞任)が何度も証言しています。前川氏は和泉氏が「総理は自分の口からは言えないから私が代わりに言う」と言ったとまで証言しています。自民党の元国会議員である佐藤静雄氏はツイッターで「前川前次官は私が党の文教部会長をやっていた時に多少の付き合いがあった方だが正直で真面目な人だ。出所の分からないペーパーをでっち上げるような人ではない。」と発言しました(5月29日)。自民党の元国会議員である北村直人氏も文科省の内部文書について「ほぼ正確なものだ」と証言しています(5月25日 FNN「北村氏「首相の意向」内容認める」)そして、先週末には文科省のパソコンにも文書が保管されている事実が判明しました。
(4)ところが、これだけ証拠が揃った今日、松野文部科学大臣は、今度は「入手経路が明らかにされておらず、改めて調査を行うことは考えていない」と答弁したようです。具体的な証拠があるのに、入手経路を明らかでなければ答えない、というのは、違法・不当な業務執行を内部者が曝露する、公益通報や、ジャーナリズムを全否定するものであり、また、国民の疑問に対して全く答えになっていないでしょう。安倍首相が「確証」に基づいて追及しろ、と散々言ったところ、これだけの証拠が出てきた以上、事態の核心を知る和泉洋人首相補佐官、木曽功内閣官房参与(加計学園理事)、前川喜平前文科事務次官、加計孝太郎(加計学園理事長)の証人喚問が必要な段階に至っていると思われます。
(5)そして、安倍首相自身、自ら「腹心の友」と呼ぶ友人が代表者を務める学校法人、すなわち利害関係者に対して利益誘導する政治を自らの名で行っており、最低でも深刻な利益相反を引き起こしているはずです。利益相反は、実際に不正が行われたか否かとは関係がありません。「李下に冠を正さず」の言葉の通り、客観的に政治家が利害関係者の利益になる政治を行うこと自体が大きな問題なのです。本来、安倍首相も、国会での証人喚問を免れない立場と思われます。


 渡辺弁護士は、ブログの最後を、「行政は、国民に対して、適法・適正な業務執行をしている旨説明する責任がどこまでもあります。行政府の長である安倍首相以下、質問に答えず、言いたいことだけ言い続けるモラルハザードの状態を、もういい加減、止めて頂きたいと思います。」、と締めています。
 確かに、この家計問題の根本が、「利害関係者に対して利益誘導する政治を自らの名で行っており、最低でも深刻な利益相反を引き起こしているはずです。利益相反は、実際に不正が行われたか否かとは関係がありません。『李下に冠を正さず』の言葉の通り、客観的に政治家が利害関係者の利益になる政治を行うこと自体が大きな問題なのです。」、ということにあることが、福島議員の国会質問で理解できます。




by asyagi-df-2014 | 2017-06-14 05:42 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

森ゆう子参議院議員の街頭演説。

2017年6月11日、渋谷ハチ公前での森ゆう子参議院議員の街頭演説を永田耕三さんがFBに載せています。
 これをじっくり読み込みましょう。



「参議院議員森ゆう子でございます。姉御じゃないですよ~。ただのバ~バなんです。皆さんの弛まぬ活動に心から敬意を表します。皆さんの熱意、市民の皆さんの運動、国民の声が、とうとう安倍政権を慌てさせました!あれだけやらないやらないと言っていた、文部科学省のメールや内部文書の再調査をやると言い出しました。皆さんの力です!国民の声です!市民の運動です!それが動かしたんです」


「でも皆さん!騙されてはいけません!文書なんて1分もあれば出て来るんですよ!何でまだ出ないんですか!?今、悪巧みしてるんです!どうやって安倍総理の責任を免れるか!?どうやったら、ここに書いてある文章の中身が、噓だというふうに、そういうふうに取り繕えるのか!?そして、私はとても心配しています!この間まで全くスキャンダルでもない情報を、読売新聞を使って書かせ、潰そうとした潰されようとした前川前文部科学事務次官。でも彼は正々堂々と戦い反撃を致しました!」


「でもね〜、抵抗出来ない官僚の方は殆どなんですよ、皆さん!義家文部科学副大臣は、こないだの私の質問に対して『マスコミに情報を提供しないで、自分の所に持って来て欲しい』と言ってましたけど、バカ言ってんじゃないですよ!*生殺与奪の権を握っている、政治家の所に内部文書持ってったらどうなりますか!?潰されてそして、将来への昇進の道、それを閉ざされるんですよ!誰が持ってく訳ないでしょう!」


*【生殺与奪の権を握る】生かすも殺すも、与える事も奪う事も自分の思うままになる事。絶対的な権力を握っている事をいう。


「でもそんな中、勇気ある若い文部科学省の職員達が、このままでは法治国家ではなくなる!このままでは民主主義国家ではなくなる!必死の思いで命懸けで、本当に命懸けですよ!皆さん!潰されるんですよ!力がなかったら!命懸けで訴えた!漸く動いて来たけどね、でもね、私が1番心配している人は、内閣府の藤原審議官です」


「あのメールに出て来る藤原審議官。彼1人責任を押し付けられて。虎の威を借る狐。藤原が勝手にそう言って文科省を脅したんだ!藤原が悪いんだ!こういう話に持っていかれるんじゃないかと、凄く心配しています!皆さん!騙されないで下さい!」


「今治市の情報公開請求により、その行政文書、7000ページ位ありましたよ。1つ1つ意思決定の時に、*稟議書を回し、判子を押す。これが行政です。でも私は3月9日から参議院農林水産委員会で、加計学園の問題、質問をして来ました。調査をして来ました。でもこの問題について内閣府も文部科学省も農林水産省も、稟議書や決済書は1枚もないって言うんですよ!こんなの行政じゃない!」


*【稟議】会社・官庁などの組織において、会議を開く手数を省く為、担当者が簡易案件を作成して関係者に回し、それぞれに同意の為の捺印と承認を求める事をいう。


「いよいよ文書が出て来るんですけど、偽物だって伏線張ってますけどね、そんな事ありません。そして今治市の情報公開してくれたのは、市民です!今治市民なんです!市民の力なんです。そしてそこには、こう書いてありました。一昨年2015年の4月2日、今治市の企画課の課長さんと課長補佐が、4月1日、前の日に突然呼びつけられて首相官邸に行きました。首相官邸からこの話が始まってるんですよ」


「国家戦略特区の関係者の中で、首相官邸にいる人は1人しかいません!それは誰か!?安倍内閣総理大臣です!自分が関わっていたら責任を取ると言っていた安倍総理!今こそ責任を取ってもらいましょう!」


「自分のお仲間には便宜供与!そして利益供与!でも、自分に異を唱える人間には、どんな手を使ってでも潰そうとする。私、森ゆう子も危ないと思ってます!そして共謀罪が成立したら、真っ先にやられる!そういう危機感でいっぱいです!後少しです!最後まで皆さん!力合わせてがんばりましょう!どうぞよろしくお願い致します。ありがとうございました!」

森ゆうこ「共謀罪が成立したら、真っ先にやられる!危機感で一杯です!」
                           
                            6/11@渋谷ハチ公前街宣


by asyagi-df-2014 | 2017-06-12 11:51 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

読売新聞の2017年5月22日の、「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」との記事掲載は、「新聞史上最悪の不祥

 郷原信郎さん(以下、郷原とする)は、「郷原信郎が斬る」のブログの中で、2017年6月5日、「読売新聞は死んだに等しい」と掲載した。
 読売新聞のこのところの論調の異常さに、やはりきちっと対応しなければならないと考えていただけにあらためて考えさせられた。
 郷原は、「読売新聞が、5月22日に、「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と題し、前川喜平前文部科学省事務次官(以下、「前川氏」)が、新宿の「出会い系バー」に頻繁に出入りし、代金交渉までして売春の客となっていたかのように報じる記事を大々的に報じた」、と記事の説明をする。
 そして、この「読売記事の掲載は、動機・目的が、時の政権を擁護する政治的目的としか考えられないこと、記事の内容が客観的事実に反していること、そのような不当な内容の記事の掲載が組織的に決定されたと考えられること、という3点から、過去に例のない『新聞史上最悪の不祥事』と言わざるを得ない。」、と指摘している。

 郷原は、この中で、「『読売新聞プレミアム』に掲載されていた読売記事は既に削除されているが、改めて、全文を引用する(下線と(ア)~(キ)は郷原)。」、としてくれている。 ここでもそのまま引用する。


文部科学省による再就職あっせん問題で引責辞任した同省の前川喜平・前次官(62)が在職中、売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バーに、頻繁に出入りしていたことが関係者への取材でわかった。

教育行政のトップとして不適切な行動に対し、批判が上がりそうだ(ア)。

関係者によると、同店では男性客が数千円の料金を払って入店。気に入った女性がいれば、店員を通じて声をかけ、同席する。

女性らは、「割り切り」と称して、売春や援助交際を男性客に持ちかけることが多い。報酬が折り合えば店を出て、ホテルやレンタルルームに向かうこともある(イ)。店は直接、こうした交渉には関与しないとされる(ウ)。

複数の店の関係者によると、前川前次官は、文部科学審議官だった約2年前からこの店に通っていた。平日の午後9時頃にスーツ姿で来店することが多く、店では偽名を使っていた(エ)という。同席した女性と交渉し、連れ立って店外に出たこともあった。店に出入りする女性の一人は「しょっちゅう来ていた時期もあった。値段の交渉をしていた女の子もいるし、私も誘われたことがある」と証言した(オ)。

昨年6月に次官に就いた後も来店していたといい、店の関係者は「2~3年前から週に1回は店に来る常連だったが、昨年末頃から急に来なくなった」と話している。

読売新聞は前川前次官に取材を申し込んだが、取材には応じなかった。

「出会い系バー」や「出会い系喫茶」は売春の温床とも指摘されるが、女性と店の間の雇用関係が不明確なため、摘発は難しいとされる(カ)。売春の客になる行為は売春防止法で禁じられているが、罰則はない(キ)。

前川前次官は1979年、東大法学部を卒業後、旧文部省に入省。小中学校や高校を所管する初等中等教育局長、文部科学審議官などを経て、昨年6月、次官に就任したが、天下りのあっせん問題で1月に引責辞任した。


 郷原は、今回の読売記事を次のように分析してみせる。


(1)この記事を読んだ多くの人が、「前川氏は、出会い系バーに頻繁に出入りし、値段の交渉をした上で女性を連れ出して売春や援助交際の相手になっていた」と思い、前川氏が「女性の貧困の調査の一環」と説明していることに対して、「見え透いた弁解で、そのような嘘をつく人間の話はすべて信用できない。」と感じたはずだ。
(2)読売記事では、前川氏の「出会い系バー」への出入りに対する「不適切な行動に対し、批判が上がる」という否定的評価(ア)が、その後の記述で根拠づけられるという構成になっているが、記事の中で、前川氏の行為そのものを報じているのは (エ)と(オ)だけであり、それ以外は、出会い系バーの実態等に関する一般論だ。
(3)前川氏は、読売新聞の取材に対してコメントしていないが、(エ)の出会い系バーに頻繁に出入りしていた事実は、否定する余地のない客観的事実であり、問題は、それがどう評価されるかであった。この点について、「読売記事」は、「出会い系バー」について、売春、援助交際の場となっているが、その交渉に店側は直接関与しないという一般的な実態(イ) (ウ)や、売春を目的とするもので、実質的には違法なのに摘発を免れている理由(カ)、売春の客となることの違法性などの法的評価 (キ)を書いている。それによって、「出会い系バー」の営業実態は「管理売春」であり、摘発は難しいが実質的には違法であり、そこへの男性の出入りは、一般的に売春、援助交際が目的だということを前提にして、前川氏がそのような出会い系バーに出入りしていたという客観的事実から、「売春、援助交際が目的」と“推認”させようとしている。
(4)一方、(オ)の記述は、独自の「関係者証言」によって前川氏の出会い系バーでの行動という“直接事実”を述べたものであり、まさに記事の核心部分と言える。ここでは、「複数の店の関係者」の証言に基づき、前川氏が「同席した女性と交渉し、連れ立って店外に出たこともあった」とされ、さらに、「店に出入りする女性の一人」の証言として、「値段の交渉をしていた女の子もいる」「私も誘われたことがある」と記載されている。
(5)読売記事は、上記のように、“推認”と“直接事実”の両面から、前川氏の出会い系バーへの出入りが売春、援助交際を目的としていることが二重に裏付けられ、それが「不適切な行動に対し、批判が上がる」という批判的評価(ア)の根拠とされるという構成になっている。


 この上で、郷原は、次の五点にわたって読売掲載記事について詳細に反論する。


Ⅰ.出会い系バーへの出入りだけでは、売春、援助交際の“推認”は働かない


(1)文春記事をはじめとするその後の報道で、読売記事の“推認”と“直接事実”は、いずれも事実に反することがほぼ明白になっている。そして、そのことを、記事掲載の段階で読売新聞側が知り得なかったのか、知った上で意図的に、誤った内容を報じたのかが問題となる。
(2)まず、上記の“推認”に関しては、調査のために全国の出会い系喫茶・バーを取材した評論家の荻上チキ氏の以下のような指摘がある。

【前川前文科次官「出会い系バーで貧困調査」報道に必要なのは、事実の検証であり人格評価ではない/『彼女たちの売春』著者・荻上チキさんに聞く】 で、萩上氏は、

出会い系バーは、業者が女性を囲って行われる「管理売春」ではありません。ですので、行っても交渉決裂になることもありますし、めぼしいマッチングに恵まれずただ帰ることもあります。店に行った=買売春した、とはなりません。「バー通い」だけだと、どの行為なのかを外形的に判断はできないですね。

と述べている。「出会い系バー」を「管理売春」営業のように決めつける上記(カ)の記述は事実と異なるのである。

また、萩上氏によると、出会い系バーが、多くの女性や男性が、性サービスを対価とした交渉を目的としてやってくる場所であることは間違いないが、売春をせず、ご飯に行ったりお茶をしたり、カラオケに行く、連れ出しが目当てで来る人もいるし、大学生の集団とか、会社員の集団とかで、「エピソードを聞きたい」「実態を知りたい」と調査や取材に来る人もいるとのことである。そもそも、出会い系は、「小遣い」を渡さないと外出できず、話を聞くためだけに店を出ていけないシステムになっており、「教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りして、小遣いを渡すようなことは到底考えられない」との菅官房長官の指摘も「正しくない」としている。

また、前川氏の「女性の貧困の調査のために出会い系バーに行った」との説明について、萩上氏が、そういった調査をやっている萩上氏は、


別にありえないとは思いませんでした。菅官房長官が「1回、2回で」とか「小遣い渡して」と批判するけれども、仮に調査だったらそんなことはざらにあります。前川氏を否定するあまり、誤った知識を拡散したりするのは違うなと。


と述べている。
(3)前川氏が頻繁に出会い系バーに出入りしていたことだけでは、売春、援助交際に関わっていたかのような“推認”は働かない。このようなことは、読売新聞の日頃からの取材で、十分に認識し得た事実のはずなのに、なぜ、そのような事実に反する“推認”を持ち出したのかが問題だ。


Ⅱ.前川氏が「値段の交渉」を行ったとの「関係者証言」


(1)読売記事で書かれている“直接事実”、 前川氏の行動に関する(オ)の記述(値段の交渉をしていた女の子もいる。私も誘われたことがある)に関して重要なことは、その直前の(イ)(ウ)で、「一般的に女性の側から売春、援助交際を持ち掛け、店は直接、こうした『交渉』には関与しない」とされ、そこでの「交渉」というのが、明らかに「売春、援助交際の価格交渉」の意味で使われているので、(オ)の「交渉」「値段の交渉」も、同様に「売春等の交渉」を指していると解されることだ。
(2)ところが、文春記事によれば、前川氏と3年間で3、40回会った「A子さん」だけでなく、「A子さんから前川氏を紹介された女性」、「前川氏とA子さんが通っていたダーツバーの当時の店員」も、前川氏と女性達との間に売春、援助交際など全くなく、生活や就職等の相談に乗り、小遣いを渡していただけであったことを証言している。
(3)しかも、前川氏が出入りしていた出会い系バー周辺者を取材して報じているのは、週刊文春だけではない。週刊FLASH6月13日号の記事でも、前川氏と「店外交際」した複数の女性を取材し、「お小遣いを渡されただけで、大人のおつき合いはなし」との証言が書かれている。同記事は、前川氏の独占インタビューを掲載し、その証言価値を維持しようとする動機がある週刊文春とは異なり、何の利害関係もない光文社が発行する週刊誌の記事である。
(4)読売新聞も、前川氏が出入りしていた出会い系バーの取材をして、「関係者証言」をとったのであれば、上記のような実態が把握できなかったとは考えられない。


(3)読売記事の問題に関する二つの可能性


(1)そこで、読売記事については、二つの可能性が考えられる。
(2)一つは、官邸サイドから前川氏が出会い系バーに出入りしていたことの情報を入手しただけで、何の取材も行わずに(「関係者証言」をでっち上げて)記事にした可能性である。
(3)そして、もう一つは、読売記事のとおり、関係者取材をして、前川氏と女性達の関係や売春、援助交際を目的とするものではなかったことを把握していたが、それでは、前川氏が「不適切」「社会的批判を受ける」とする理由がなくなるので、前川氏が「交渉」「値段の交渉」を行っていたという曖昧な表現で(必ずしも「売春、援助交際の交渉」を意味するものではなく、「お小遣いの金額についての話」も「交渉」だと弁解する余地を残して)、前川氏が売春や援助交際に関わっていたかのような「印象」や「事実認識」を与えようとした可能性である。
(4)前者であれば、「関係者証言のねつ造」という、新聞として絶対に許されない重大な問題となる。後者であっても、前川氏が、売春、援助交際の相手方になっていた事実がないことは把握していながら、「交渉」「値段の交渉」という言葉で、その事実があるかのような露骨に誤った印象を与えたものであり、それも、新聞報道として到底許されることではない。
(5)結局のところ、読売記事が読者に印象づけようとしている前川氏の「売春、援助交際への関わり」については、“推認”にも“直接事実”にも重大な問題があると言わざるを得ない。


(4)読売記事が、新聞社において組織的に決定された疑い


(1)今回の読売記事は、社会部が独自にネタをつかんで、裏付け取材して書いた記事が、たまたま大きく取り上げられたとは到底思えない。昨年秋、文科省次官在任中の前川氏が出会い系バーへの出入りに関して杉田官房副長官から厳重注意を受けた事実があることからしても、何らかの形で、官邸サイドからの情報提供が行われたことが契機となった可能性が高く、しかも、既に述べたように、社会部の通常の取材の結果に基づいた記事とは考えられない点が多々ある。政治的な意図によって記事が作成されたと考えられることからも、少なくとも、社会部と政治部の両方が関わって掲載された記事であるとの合理的な推測が可能である。
(2)しかも、読売記事の内容や、それによって読者に与える事実認識が誤ったものであったことは、結果的に文春記事等によって明らかになったものであるが、もともと、記事の内容自体にも明らかに不可解な点があった。記事では、前川氏が出会い系バーで会っていた女性の取材をして「証言」を得たとされており、もし、前川氏が、売春、援助交際の相手方になっていたのであれば、女性達からその旨の匿名証言が得ることは容易なはずだ。ところが、「核心の事実」である売春、援助交際が行われていたことを正面から書くのではなく、「交渉」「値段の交渉」などと、暗に「売春の交渉」をしていたと思わせる表現にとどめ、直接的な表現になっていない。
(3)記事に関わった記者、デスク等には、このような不可解な記事を紙面に載せることについて、新聞記者として相当大きな心理的抵抗があったはずである。しかも、読売新聞は、朝日新聞不祥事などを踏まえて、特ダネの危うさを事前に検証する機関も作っているとのことだ。文面上も問題がある今回の記事に対して、チェックが働かなかったということも考えにくい。
(4)今回の読売記事の問題は、担当者の取材不足や迂闊さ、チェック不足等の問題とは考えられない。記事に重大な問題があることを承知の上で、敢えて記事化され掲載された可能性が高い。組織内でこのようなことが起きるのは、通常、何らかの形で組織の上層部の意向が働いた場合である。読売新聞の上層部の方針として、通常であれば絶対に掲載されない記事を、しかも、5月22日という前川氏が政権に打撃を与える発言を行う直前のタイミングで、大々的に報じる決定がされたのではないか。


(5)読売社会部長の「反論」


(1)文春記事によって、読売記事に対する疑問や批判が高まったことを受けて、6月3日の読売新聞の紙面に、原口隆則社会部長の「次官時代の不適切な行動 報道すべき公共の関心事」と題するコメントが掲載された。このコメントでは、記事に対する批判に対して、「こうした批判は全く当たらない」「売春を目的とするような客が集まる店に足しげく通っていたのである。我が国の教育行政のトップという公人中の公人の行為として見過ごすことが出来ない」と述べて、報道をすることが当然であるかのように言っている。
(2)文春記事等により、読売記事の内容に重大な疑念が生じている現時点においては、「次官が出会い系バーに出入りすること自体が問題で、それ自体で報道の価値あり」という原口氏のコメントは、反論というより、単なる開き直りであり、それどころか、前記のように、弁解を用意しつつ誤った印象を与えようとする意図的な印象操作だったことを自認するものと見ることもできる。


 郷原は、こうした論理構成から、最終的に「読売新聞は死んだに等しい」、と結論づけるのである。
その結論のための理由は、次のように実に明快である。


(1)今回、読売新聞が行ったことは、安倍政権を擁護する政治的目的で、政権に打撃を与える発言をすることが予想される個人の人格非難のため、証言をでっち上げたか、事実に反することを認識しつつ印象操作を行ったか、いずれにしても、政治権力と報道・言論機関の関係についての最低限のモラルを逸脱した到底許容できない行為である。しかも、そのような記事掲載は、上層部が関与して組織的に決定された疑いが強く、まさに、読売新聞社という組織の重大な不祥事である。
(2)かつて、TBSのスタッフがオウム真理教幹部に坂本弁護士のインタビュービデオを見せたことが同弁護士一家の殺害につながった問題で、TBSは、情報源の秘匿というジャーナリズムの原則に反し、報道倫理を大きく逸脱するものとして批判された。この問題に関して、当時、TBSの夜の看板報道番組『NEWS23』のキャスターを務めていた筑紫哲也氏が、同番組で「TBSは今日、死んだに等しいと思います。」と発言した。
(3)もはや「言論機関」とは到底言えない、単なる“政権の広報機関”になり下がってしまった読売新聞の今回の不祥事は、オウム真理教事件でのTBSの問題以上に、深刻かつ重大である。ところが、現時点では、今回の記事の問題に対する読売新聞の対応は、原口社会部長の前記コメントからも明らかなように、「不祥事」という認識すらなく、反省・謝罪の姿勢は全く見えない。このような事態は、心ある読売新聞の記者、ジャーナリストとしての矜持を持って取材・報道をしている記者にとって堪え難いもののはずだ。
(4)読売新聞のすべての記者は、今回の記事を、改めて熟読し、それがいかに新聞の報道の倫理を逸脱したものか、報道言論機関として許すべからざるものかを再認識し、時の政権という権力に露骨に政治的に利用され、そのような報道に及ぶ現状にある読売新聞をどのようにして変えていくのか、全社的な議論を行っていくべきだ。
(5)「テロ等準備罪」という名称の共謀罪の法案の国会審議が最終局面を迎え、捜査機関の運用によっては、国民に対する重大な権利侵害を伴う権力の暴走が懸念される中、国家権力に対する監視をするメディアの役割が一層重要になっている。そのような状況の中で、逆に、国家権力に加担する方向で、倫理を逸脱した報道を行うことを厭わない巨大新聞が存在することは、日本社会にとって極めて危険だ。それは、凶悪・重大な事件を引き起こして日本社会に脅威を与えたオウム真理教に「結果的に加担してしまった」かつてのTBSの比ではない。
(6)今回の問題に対して、真摯な反省・謝罪と再発防止の努力が行われない限り、“読売新聞は死んだに等しい”と言わざるを得ない。

 このところの読売新聞の論理展開の異常さに辟易していたところであったが、なかなかそれを追求するまでには至っていなかった。
 今回の読売掲載記事によって、読売の異常さが逆に証明された。
 確かに、今回の記事で次のことが明確になった。


Ⅰ.今回の掲載記事は、読売新聞社という組織の重大な不祥事であること。
Ⅱ.その不祥事は、読売新聞が、もはや「言論機関」とは到底言えない、単なる“政権の広報機関”になり下がってしまっていることを示すものであること。
Ⅲ.国家権力に対する監視をするメディアの役割が一層重要になっている状況の中で、逆に、国家権力に加担する方向で、倫理を逸脱した報道を行うことを厭わない巨大新聞が存在することは、日本社会にとって極めて危険であること。
Ⅳ.今回の問題に対して、読売新聞社として、真摯な反省・謝罪と再発防止がなされない限り、読売新聞の再生はないこと。




by asyagi-df-2014 | 2017-06-11 06:15 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

安倍晋三政権・文部科学省が、再調査を拒否するとは。

 朝日新聞は2017年6月5日、「松野博一文部科学相は5日午前の衆院決算行政監視委員会で、加計学園の獣医学部新設問題をめぐり、文科省内で『官邸の最高レベルが言っている』などと伝えられた文書を共有していたとされる問題について、『文書の出所や入手経緯が明らかにされず、改めて調査を行うことは考えていない』と述べ、再調査を拒否した。民進党の今井雅人氏に答えた。」、と伝えた。
 実に、不思議なことである。
このことについて、小口幸人弁護士は、そのFBで、このことについて明快に説明してみせる。
小口弁護士は次のように語る。


(1)出どころや入手経緯が明らかでないから答弁をしない、控えさせていただきます、調査しません、というのは、一体全体どういう理屈なのでしょうか。意味がわからないのですが。見苦しいの一言です。
(2)いかに見苦しいかは、妻が夫に、浮気写真を突きつけた場面や、昨日キャバクラに行ったこと詰問している場面を想像してみるとわかると思います。
(3)細かく説明しますと、
1 取材源の秘匿というのが認められています。取材源が明らかでないから答えない、というのは、取材源の秘匿の侵害です。
2 国会での質問も同じです。情報源の秘匿が認められなければ、国会質問は機能しません。この秘匿の侵害であり質問権の侵害でもあるでしょう。
3 国民の知る権利が思いっきり侵害されていることは言うまでもありません。答弁しません、控えさせていただきます、などというのは、国民への背信行為です。
4 裁判所に証拠を提出する際、証拠説明書や証拠等関係カードというものをだしますが、そこにも、出どころや入手経緯を記載する欄はありません。裁判でさえ、そんなことを示すことは求められていないということです。
5 唯一、証拠の入手方法に違法行為が含まれていたときだけ、入手方法がテーマになります。しかし、これとてそう簡単にはいきません。
(4)弁護士が法廷で「その証拠は違法収集証拠だ!」と叫んでも、冷たい目で見られるのがデフォルトです(涙)。実質的には、反対側に違法行為が含まれていることの立証を求められますし、仮に違法行為があったとしても、証拠自体は排除されないことがほとんどです。なんせ、そこに違法行為があったときでも、証拠は証拠ですからね。


 確かに、安倍晋三政権の異様さが際立つ。




by asyagi-df-2014 | 2017-06-10 07:34 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「私がもし働きかけて決めているとあれば、責任を取る」。傲慢な捨て台詞に本当の責任を取らせなくては。(1)

 加計学園問題に関して、朝日新聞は、2017年5月25日、次のように報じた。


(1)安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計(かけ)学園」が、国家戦略特区で獣医学部新設を認められた経緯をめぐり、前川喜平・前文部科学事務次官が「総理のご意向」などと書かれた一連の文書の存在を認める証言をし、野党は追及を強める構えをみせている。政府は学部新設を「岩盤規制の改革」と強調するが、その手続きの公平性が改めて問われそうだ。
(2)約半世紀ぶりの獣医学部の新設について、政府は「規制緩和の成果だ」と強調する。菅義偉官房長官は18日の会見で「(国家戦略特区は)何年も手がつけられなかった規制の岩盤にドリルで風穴を開ける制度。総理の指示のもと、スピーディーに(規制改革を)実現をすべく関係省庁が議論を深めるのは当然のこと」と強調した。
(3)獣医学部の新設は「岩盤規制の改革」なのか。
 特区での規制緩和にはもともと「お試し」の意味合いがある。特区で成功すればそれが「風穴」となり、全国に広がるきっかけになるからだ。
 その成功例とされるのが保育士不足対策だ。保育士の国家試験は従来、年1回だった。そこで、3年間は試験を受けた自治体だけで働く「地域限定保育士」という資格をつくり、2015年度から特区内の4自治体に限定して導入された。そこでは保育士試験が実質年2回となり、保育士増に効果があったため、16年度から全国的に保育士試験が年2回行われるようになった。公園内に保育所をつくれるようにする規制緩和も、特区から全国に広がった。
(4)獣医学部はどうか。獣医師が増えすぎないよう、文部科学省は告示を出して新設を認めてこなかった。今回、特区で認めることになったが、あくまで獣医学部のない「空白地域」に「1校限り」で認めるというもの。条件を絞った理由について、安倍首相は今月8日の国会で「(日本)獣医師会からの強い要望だった」と答弁。学部新設に反対してきた「抵抗勢力」に配慮した結果、限定的な規制緩和になったと説明した。その結果、同じように獣医学部をつくりたかった京都産業大学(京都市)には門戸が開かれなかった。「参入の壁」となっている文科省告示もそのまま残っているため、規制で守られた獣医学部の側に加計学園が加わる構図になる。
(5)郭洋春・立教大教授(アジア経済論)は「規制緩和することが問題なわけではないが、今回の手続きは透明性や中立性、公平性を欠いている。規制緩和は口実で、安倍首相に近い人に便宜を図ったという構図に見えてしまう」と指摘する。

■手続きの「公平性」再び争点に
(6)前川氏の証言で再び争点になりそうなのが、加計学園を特区の事業者に選んだ手続きの「公平性」だ。安倍政権が2015年、成長戦略「日本再興戦略」で学部新設を検討すると表明し、昨年11月、首相が議長を務める「国家戦略特区諮問会議」で新設方針を正式決定。今年1月、事業者に加計学園が応募した。この手順自体は、特区の事業者を選ぶ通常のやり方だ。
 野党が問題視するのは、安倍首相と、加計学園の加計孝太郎理事長の親密な関係だ。二人は長年の友人で、朝日新聞の首相動静によると、13年11月以降、ゴルフ4回、会食11回をともにしている。首相の妻昭恵氏が同席することも多く、家族ぐるみの付き合いだ。
 昭恵氏は15年、加計学園が運営する認可外保育施設の名誉園長に就任。また、首相側近の萩生田光一官房副長官は学園が経営する千葉科学大学(千葉県銚子市)の客員教授、昨年9月まで内閣官房参与だった元文科官僚の木曽功氏は同大学の学長だ。
 野党は、友人関係を背景に「加計学園ありき」の不公平な制度運用がなかったのか、首相側から何らかの働きかけがなかったのかを国会で追及してきたが、政府は一切否定している。選定過程を改めて検証して明らかにする姿勢は見せていない。
(7)選定過程で文科省の官僚トップにいた前川氏は、加計学園が事業者になることを想定して「行政がゆがめられた」と語った。こうした証言を踏まえ、野党は追及を強める構えだ。
(8)3月の参院予算委。「政策がゆがめられているのではないか」とただした社民党の福島瑞穂氏に対し、安倍首相は言い切った。「私がもし働きかけて決めているとあれば、責任を取る」
(岡崎明子、星野典久)


 さて、次に、前川喜平前事務次官の発言に触れて。


(1)安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計(かけ)学園」が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画について、今年1月まで文部科学事務次官だった前川喜平氏(62)が23日、東京都内で朝日新聞の取材に応じた。内閣府から文科省に「総理のご意向」などと伝えられたと記された文書について、前川氏は自らが担当課から説明を受けた際に示されたと証言。獣医学部の新設については、加計学園を前提に検討が進んだとして、「行政がゆがめられた」と語った。
(2)前川氏が証言した文書は民進党が国会で示し、文科省に調査を求めたA4判の8枚。この中には、文科省が最短のスケジュールで獣医学部新設を実現するよう、内閣府から「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」などと言われたと記された部分がある。朝日新聞も同じ文書を入手している。
(3)前川氏はこの文書について「獣医学部の新設について、自分が昨年秋に、担当の専門教育課から説明を受けた際、示された」と証言した。同氏によると、昨年9月9日~10月31日に計6回、専門教育課の課長や課長補佐らと事務次官室で獣医学部の新設について打ち合わせをした。9月28日の打ち合わせでは、「『獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項』との文書を示されたと記憶している」という。
(4)また「総理のご意向」「官邸の最高レベル」などの文言について「誰だって気にする。(文科省側が)圧力を感じなかったといえば、うそになる」と述べた。
(5)獣医学部の新設予定地の愛媛県今治市や同県は加計学園とともに、小泉政権が始めた「構造改革特区」での獣医学部新設を15回提案したが、文科省がすべて却下。安倍政権が設けた国家戦略特区で、2015年に県と市が獣医学部新設を提案した。獣医学部新設を認める際は、獣医師の需要見通しなどを検討することが前提となる。しかし今回は、需給をつかさどる農林水産省や公衆衛生を担当する厚生労働省から、獣医師が足りないとの需給見通しや、新分野での必要な人材ニーズなどが示されない中で、内閣府から新設を認めるよう求められていたとして、「内閣府の言い分は『トップダウンで決めるから文科省は心配するな』ということだと受け止めた」と振り返った。さらに「踏むべきステップを踏めず、筋を通せなかった。『こんなことは認められない』と私が内閣府に対して強く主張して筋を通すべきだった。反省している」と語った。
(6)一方、8枚の文書について、菅義偉官房長官は17日の記者会見で「怪文書みたいな文書じゃないか」と述べ、松野博一文科相も19日、「該当する文書の存在は確認できなかった」とする調査結果を発表した。前川氏は「あるものが、ないことにされてはならないと思った」と語った。
(7)朝日新聞は24日、文科省に対し、文書について①専門教育課が当時の事務次官への説明で示したのか②同課で作成したのか――などについて書面で質問したが、同省は「行政内部のことで、回答すべきものではないので、お答えできません」と書面で答えた。
(8)前川氏は事務次官だった今年1月、文科省の違法な「天下り」問題に自ら関与していたとして減給処分を受け、引責辞任した。


 こうして、朝日新聞が明らかにしたことは、次のことである。


Ⅰ.前川氏はこの文書について「獣医学部の新設について、自分が昨年秋に、担当の専門教育課から説明を受けた際、示された」と証言したこと。
Ⅱ.「『総理のご意向』『官邸の最高レベル』などの文言について『誰だって気にする。(文科省側が)圧力を感じなかったといえば、うそになる』と述べたこと。
Ⅲ.8枚の文書について、前川氏は「あるものが、ないことにされてはならないと思った」と語ったこと。


 確かに、加計学園問題は「行政がゆがめられた」問題である。
 だとしたら、その頂点に立つ責任ある者は、自らを厳しく律するしかない。
 一つには、前川氏の「あるものが、ないことにされてはならないと思った」ということに答えるためにも。





by asyagi-df-2014 | 2017-05-26 07:11 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「共謀罪は幾千万の『母』を産み出すだろう。」、と趙博さん。

 大事なものを見つけることができた気がしています。
 趙博さんのFBで。「母の日に・・・」。

 ゴーリキーは『母』を書いた。ロシア革命前夜、金属工のヴラーソフは過酷な労働と貧困に打ちのめされ、酒に溺れ妻子に暴力を振るう暮らしをしていたが、息子のパーベルは地下活動に参加していた。ある日、工場でスト破りに包囲されて乱闘となり、暴力団に雇われていたヴラーソフが射殺される。母は「危険なことは止めて」と懇願するも、息子は逮捕され、裁判で懲役刑が言い渡される。「真実はどこ!」母の悲痛な叫びが法廷に響いた。母は変わった。メーデーの日、街の隅々から次々とデモの隊列に加わってくる労働者達の中に、母もいた。赤旗が翻り、それに呼応した多くの囚人達が射殺されたが、脱出に成功したパーベルは母と抱き合う…その瞬間、騎兵隊の銃弾が襲った。赤旗を持って隊の前に立ちはだかった母も、剣の一閃を浴びた
 ▲三浦綾子も『母』を書いた。特高に虐殺された小林多喜二の母・セキは、何も悪い事をしていないのに殺された我が子とイエスの姿を重ね合わせて、信仰を得る。神に「白黒つけてくれ」とセキは祈った
 ▲「生きるに値しない命」を是とするこの国家が殺すのは、アカ・ヤクザ・カゲキハ・ショウガイシャ・フテイセンジン、如何様にもなる。そして、共謀罪は幾千万の「母」を産み出すだろう。


確かに、「共謀罪は幾千万の『母』を産み出すだろう。」。




by asyagi-df-2014 | 2017-05-17 07:57 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「沖縄でよかった。」から「声なんて届かなくていい。」までを痛切に考えます。

 安部晋三首相による5月3日のメッセ-ジをどのように真摯に対峙できたのか。
 実は、このところ、安部晋三が引き起こすことから、煽られるだけでどこか正面から向き合うことをら避けている気がします。安部晋三の顔の画像が流れるだけで嫌なおもいをするからという理屈をつけて。このままではそれだけでは済まされない状況になるとわかっているのにです。
 どうやら、トランプや「北朝鮮」問題についても、同じように処しがちです。

 今回、「沖縄でよかった。」と「声なんて届かなくていい。」の記事に、心を揺すぶられました。
 あらためて、「これから」を考えます。安部晋三政権に真摯に対峙していくために。


Ⅰ.沖縄タイムスは2017年5月4日、【金平茂紀の新・ワジワジー通信(25)】として、「辺野古唯一=『沖縄でよかった』 持続する差別の構造」を掲載しました。
 金平は、次のように今を描き出しています。


(1)よりによって東日本大震災と福島第1原発過酷事故からの復旧・復興を担当する今村雅弘復興大臣兼福島原発事故再生総括担当が、東日本大震災の被害に関して「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」などと発言したことが引き金となって、発言当日の4月25日に大臣辞任の意向を表明した。翌日付で辞表は受理されたが、辞任と言うよりは事実上の更迭だった。政権の反応はすばやかった。これ以上は守りきれないとでも言うかのように。今村大臣の場合、この失言に先立つ「前科」があった。今回の失言の3週間前にも記者会見で、原発事故の自主避難者への住宅無償支援打ち切りをめぐって、記者との間で激しいやりとりがあり「(自主避難者)本人の責任でしょう」「裁判でも何でもやればいいじゃない」「(記者に対して)二度と来ないでください」などと発言し批判を浴びていた。
(2)〈東北で良かった〉はいくら何でもひどい。メディアは今村復興大臣の辞任に至る言動を大々的に報じた。

(3)まさにその4月25日のことだった。午前9時20分、沖縄防衛局が名護市辺野古で、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる護岸工事に着手した。埋め立て工事は環境を激変させる決定的な動きだ。大量のコンクリートブロックや土砂などが大量に海に投下されれば、原状回復はほとんど絶望的となる。本紙は〈1996年の普天間飛行場返還合意から21年、重大な局面を迎えた〉と報じていた。
(4)翁長雄志知事は「暴挙」という言葉を5回も使ってこの護岸工事着工を強く批判していた。一方、菅義偉官房長官は記者会見で「埋め立て本体の工事開始は、多くの人々が望んできた普天間飛行場の全面返還を実現する確かな一歩だ」と普段よりも語気を強めて用意されたステートメントを読み上げていた。冷徹な事実がある。4月26日付の東京の新聞各紙の1面トップ記事は、横並びで〈今村復興相、辞任〉だった。沖縄の県紙2紙は当然ながら〈辺野古の護岸工事着工〉がトップ記事だった。
(5)東京と沖縄の新聞を並べて読みながら、僕には心の中に抑えがたい憤りが湧いてくるのを感じた。「この政権はこれまでずっと〈辺野古が唯一の選択肢〉と言い続けてきた。これは結局、今村前復興相ふうに言えば、〈辺野古でよかった〉と言っているのと同じじゃないのか」と。その根元には、米軍基地は、本土ではなく沖縄でよかった、という本音があるのではないか、と。
(6)やがて沖縄慰霊の日が今年もやって来る。歴史家たちの詳細な研究が述べるところによれば、太平洋戦争全体の中で沖縄戦の占める位置づけは、はるかにむごい。沖縄は本土をまもるための「捨て石」にされたのではなかったか。〈沖縄でよかった。本土ではなくて〉。あまりにもむごい。仮に、その考え方が今現在に至るまで脈々と生き続けているとしたら、僕らは誰に向かって何を言えばいいのだろうか。すでに沖縄県民は国政選挙や知事選挙を通じて、これ以上の基地建設はノーだと意思表示してきているのだから。
(7)司法に救済を求めたいわゆる辺野古訴訟は最高裁で沖縄県側の敗訴が確定した。政府は「決着がついたと思っている」との姿勢だ。つまりもはや聴く耳を持たないと言っているのだ。1月の宮古島市長選、2月の浦添市長選、4月のうるま市長選と、このところ政府与党の推す候補が連勝してきている。翁長知事を支える「オール沖縄」が苦境に陥っていることは否定できない。沖縄は一体どこへ向かっていくのだろうか。


金平は、日本という国の、「本土」と言われる日本人の心象風景を、「『この政権はこれまでずっと〈辺野古が唯一の選択肢〉と言い続けてきた。これは結局、今村前復興相ふうに言えば、〈辺野古でよかった〉と言っているのと同じじゃないのか』と。その根元には、米軍基地は、本土ではなく沖縄でよかった、という本音があるのではないか、と。」、と言い当てます。
 だから、金平は、こんな寓話を示して見せます。


 (以降の記述はフィクションです。念のため-金平)
 20××年×月×日午前9時23分。沖縄の在日米軍××××基地に、巡航ミサイル59発が撃ち込まれた。寝耳に水のことだった。一体なぜなんだ? 被害は基地のみならず、近隣の住宅地も甚大な被害を受けた。基地内の死傷者に加え、沖縄県民に多数の死傷者が出てしまった。政府はただちに非常事態宣言を発令し、国家安全保障会議が緊急招集された。

 参加者の間で冒頭から激しい口論となった。「だから言わんこっちゃないんだ。沖縄に基地が集中しすぎていることに何の手も打たなかったことの報いだ」「何を言っとる。貴君だって基地反対運動を潰(つぶ)してきた張本人じゃないか」「そうだ、そうだ、あんたは共謀罪を適用して沖縄基地反対運動を壊滅させたことを忘れたようだな」「いや、少なくとも同盟国内からこんな攻撃が起きてしまうなんて想像もできなかった」「現場の軍人は常に極度の緊張にさらされているんだ。何があってもおかしくはないさ」「それにしてもどうする。国民に対してどう説明するんだ」「沖縄勤務経験のある米軍兵士が錯乱してミサイルを誤射したなんて何の説明にもならんぞ」「でも事実だ」。

 その時、普段から寡黙でほとんど会議でも発言したことがない閣僚の一人がこうつぶやいた。「ミサイルが沖縄でよかった。本土や原発立地県ならもっと甚大な被害になっていたな。本土でなくてよかった」。すると突然、部屋中に鋭い金属質の警報音が鳴りだした。ピピピピピピピピ。閣議決定で導入が決まった「失言探知アラート・システム」が作動したのだ。


 この寓話をじっくり考えてみると、なんと真実実のある話であるかに気づかされます。
 金平は、この話の最後に後にこう綴っています。


 「以上は、もちろん架空のフィクションである。けれども、『「本土でなくてよかった』という台詞は何だか異様なリアリティーを帯びていないか? 悲しみと憤りがミックスされたカクテルをこれ以上飲み続けるのは、僕はもうごめんこうむりたい。」


 確かに、「辺野古が唯一」の背景には、「沖縄でよかった」という構造的沖縄差別が横たわっています。
 だとしたら、やはり、「辺野古が唯一」には「否」しかありません。
さらに、それは、日米両政府及び本土の日本人の「植民地主義」に対して、「否」を突きつけることにも。


Ⅱ.琉球新報は2017年5月5日、白充弁護士による「<南風>声は届かない」との記事を掲載しました。
 白充弁護士からの「声なんて届かなくていい。」との「声」は、「朝鮮半島はいつまで、『中心』に消費されなければならないのでしょうか。」という「声」として、沖縄から日本本土への「声」と重なります。
 だから、白充弁護士の「どうせ殺し合うのは半島人」は、「沖縄でよかった。」と聞こえてきます。
 この白充弁護士の「声」を琉球新報は次のように伝えています。


(1)朝鮮半島はいつまで、「中心」に消費されなければならないのでしょうか。
(2)日本では毎日のように「北朝鮮危機」が報道されていますが、韓国は、大統領選挙が近いくらいで、全くもって平穏とのことです。
(3)そもそも、広島や長崎に原爆を投下し、今なお何千発もの核兵器を持つ米国は危険ではないのに、なぜ「北朝鮮は危険」なのでしょうか。なぜ、韓国では地下鉄が止まることは無いのに、日本では止まるのでしょうか。なぜ、米国からわざわざ空母が来るのでしょうか。朝鮮半島から離れている国ほど、意気揚々と戦争の準備をしているように見えます。
(4)しかし、それもそのはずかもしれません。もし戦争が始まっても、「どうせ殺し合うのは半島人」です。自分さえ死ななければ、必死に止める必要はありません。最近70歳になった日本国憲法が、どのように定めているかなんて、考えない方が楽です。
(5)沖縄に来て分かったんです。「朝鮮人の声なんて届かない」ということ。同じ日本人、しかも選挙権がある沖縄の声ですら届かない。若い女性が殺されても、心ともいうべき海が潰(つぶ)されても、その苦しみは届かない。中心にとって都合の良いことだけを「真実」と呼び、周辺の歴史や心になんて、向き合おうともしない。
(6)「問題は本土の無関心だ」。そうだとも思います。でもこのままで、「本土」が関心を持ってくれる日は来ますか? このままで、日本の世論が「朝鮮半島での戦争は終わらせるべきだ」と盛り上がる日は来ますか?
(7)もう待てないんです。誰一人として、殺されたくないんです。人としての誇りを、踏みにじられたくないんです。
 だから、声なんて届かなくていい。私は、夢に向かって進もうと思います。悲しくても、悔しくても。


 白充弁護士の次の言葉の向こう側にあるももを感じ取ることが、重要になってくると言えます。


・「朝鮮半島から離れている国ほど、意気揚々と戦争の準備をしているように見えます。」
・「どうせ殺し合うのは半島人」
・「中心にとって都合の良いことだけを『真実』と呼び、周辺の歴史や心になんて、向き合おうともしない。」


 それは、こんな姿なのかもしれません。


 本土防衛のための、また、天皇制維持のためのしずめ石としての役割が、再び米国のエア-シ-バトル構想に寄り添う日本政府の防衛政策として強行される島。そこで強いられるのは、日本国の大義のためには、日本政府の寄り添うということが、実は、一方的に我慢するということであることの理解。それを支えるのは、暴力と恫喝。


 でも、こんな状況の中でも、白充弁護士は、「だから、声なんて届かなくていい。私は、夢に向かって進もうと思います。悲しくても、悔しくても。」、と結びます。
 白充弁護士からの「だから、声なんて届かなくていい。」は、良心「宣言」とも聞こえてきます。


 私たちが、「沖縄でよかった。」と「声なんて届かなくていい。」を真摯に受け取るということは、ひとり一人が 良心「宣言」を発信するということなのかもしれません。




by asyagi-df-2014 | 2017-05-11 07:13 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の教材使用に関する声明」を日本教育史学会が表明。

 日本教育史学会は2017年5月8日、HP上に、「教育勅語を道徳の教材とすることを可能とする政府の見解が示されたことについて、理事会は、教育史学会として学術的な立場から専門的な見解を社会に発信することが必要であることを一致して認め、以下の声明文を作成し、文部科学大臣、内閣官房長官および各都道府県・政令指定都市教育委員会教育庁宛に送付しました。」、と代表理事米田俊彦明名で、「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の教材使用に関する声明を発表した。
 まずは、この「声明」を要約する。


Ⅰ.事実経過と問題認識


(1)2017年3月31日の閣議決定による答弁書において、憲法・教育基本法に「反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」、(2)4月14日と18日の答弁書において教育勅語の「教育現場における使用」について、「国民主権等の憲法の基本理念や教育基本法の定める教育の目的等に反しないような適切な配慮がなされているか等の様々な事情を総合的に考慮して判断されるべきものである」との見解を表明した。
(3)1890(明治23)年10月30日に明治天皇の名をもって出された「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の暗唱やそこに記される徳目の教材活用が学校で行われるようになるのではないかとの懸念が高まっている。
(4)1948年6月19日、衆議院は「これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである」、参議院は「教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる」ことを決議した。この決議に従って同月25日、文部次官が都道府県知事・高等教育機関の学校長宛に「本省から交付した「教育ニ関スル勅語」等の謄本で貴管下学校等において保管中のものを貴職において取りまとめのうえ〔中略〕至急本省へ返還方処置されたい」と指示した。教育勅語謄本は焼却処分され、公的には存在しないことになったはずである。
(5)政府は、今年4月18日、教育勅語の使い方について、憲法や教育基本法に反するかどうかという判断を、教育委員会や学校の設置者に委ねるとする見解を答弁書において表明したが、教育委員会や学校の設置者がそれぞれに「判断」するまでもなく、憲法、教育基本法および国会決議に反することは上記の経緯の内に明らかである。
(6)教育史学会では、多くの会員が教育勅語の内容、儀式及び社会的影響等を長年にわたって研究し、その成果を蓄積してきた。上記の状況に対し、学術研究の成果の要点を明確に提供する責務から、この声明を発するものである。


Ⅱ.問題点


(1)教育勅語に記述された徳目が一体性を有して「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂することは、その文面を読めば明らかである。
(2)公式的な性格の強い解釈書である井上哲次郎『勅語衍義』(1891年)、国定(文部省著作)の小学校(国民学校)修身科教科書、文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告』(1940年)などにおいて、個々の徳目を切り離さずに皇運扶翼を眼目として解釈することが正しい解釈として示されている。
(3)教育勅語を歴史的資料として用いることは、歴史の事実を批判的に認識する限りにおいて必要であるが、児童生徒に教育勅語を暗唱させたり、道徳の教材として使用したりすることは、主権在民を理念とする日本国憲法や教育基本法に反する。


Ⅲ.根拠


ⅰ.第一に、教育勅語が戦前日本の教育を天皇による国民(臣民)支配の主たる手段とされた事実である。
ⅱ.第二に、学校現場での教育勅語の取り扱われ方に関する事実である。教育勅語は、単に道徳にかかわるテキストであったに止まらず、教育勅語謄本というモノ(道具)が神聖化されることにより、学校現場に不合理や悲劇をももたらした。
ⅲ.第三に、教育勅語が民族的優越感の「根拠」とされるとともに、異民族支配の道具としても用いられた事実である。


Ⅳ.根拠の詳細


ⅰ.(第一に、教育勅語が戦前日本の教育を天皇による国民(臣民)支配の主たる手段とされた事実である。)


(1)その目的は、1889年公布の大日本帝国憲法施行にあたっての「告文」で「皇祖皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ」と記したことを前提とし、主権者たる天皇から臣民へ教育勅語という形式を通じて「遺訓」の内容を説明することにあった。
(2)教育勅語は、「朕」と自称する明治天皇が「臣民」に道徳の規準を下す形をとっていること自体が、今日の主権在民の日本国憲法と相容れないものである。
(3)教育勅語は、この道徳的な一体性という仮想を「国体」という言葉で表現し、そこに教育の淵源を求めた。そしてこの一体的な構造の中に、中国儒教起源の「忠」と「孝」を位置づけて、さらに西洋近代思想起源の「博愛」などに至る多くの徳目を列記し、これらの徳目を、天照大神が天皇の祖先に下したと『日本書紀』に記されている「天壤無窮の神勅」を前提にして、「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という文言で集約している。
文部省は、この皇運扶翼に集約された道徳をあらわす「斯ノ道」を「皇国ノ道」という言葉に置き換えて1941年の国民学校令をはじめ各学校の教育目的として明示し、さらに「皇国民錬成」という理念と結びつけることによって教育勅語の「皇運扶翼」の趣旨を徹底した。
(4)教育勅語がこのようにして学校教育をまるごと戦時動員体制に組み込んでいく手立てとなったことは、忘れてはならない事実である。


ⅱ.(第二に、学校現場での教育勅語の取り扱われ方に関する事実である。教育勅語は、単に道徳にかかわるテキストであったに止まらず、教育勅語謄本というモノ(道具)が神聖化されることにより、学校現場に不合理や悲劇をももたらした。)


(1)教育勅語は、発布と同時に謄本が全国の学校に一律に下付され、天皇制国家の臣民教育において大きな役割を果たした。とりわけ教育勅語の理念普及に果たした学校儀式の役割を見逃すことはできない。
(2)各学校に一律下付された教育勅語は、①修身科教育、②学校儀式、そして③日常の「奉護」という学校生活の全体で、「国体」の理解徹底の道具立てとなった。道徳にかかわる批判的な思考の深まりは軽んぜられ、条件反射のように教育勅語を暗誦するという次元で道徳内容の身体化に寄与した。この点で、教育勅語は道徳教育の充実というよりも、その形骸化と人命軽視をもたらしたというべきである。


ⅲ.(第三に、教育勅語が民族的優越感の「根拠」とされるとともに、異民族支配の道具としても用いられた事実である。)


(1)朝鮮総督府は朝鮮教育令(1911年)において教育は教育勅語の趣旨に基づいておこなうと定め、台湾総督府も台湾教育令(1919年)において同様の規定を設けた。こうした措置は、天皇のもとで独自の「国体」を築いてきた日本人は、その独自な「国体」ゆえに道徳的にも優れているのだという教義を異民族に対しても無理矢理に承服させようとするものであった。
(2)教育勅語が普遍性からはほど遠く、自民族中心主義、排他主義をその本質的な要素として組み込んでいることを示している。


Ⅴ.結論


 教育史学会理事会は学術研究を担う者としての立場から、歴史的資料として批判的に取り扱うこと以外の目的で教育勅語を学校教育で使用することについて、教育史研究が明らかにしてきた戦前日本の教育の制度や実際にかかわる諸事実に照らして許されるべきではないとの見解をここに表明するものである。


 日本教育史学会の「声明」は、余すところなく教育勅語の歴史的資料として批判的に取り扱うこと以外の目的での使用を否定した。
 特に、「教育勅語が普遍性からはほど遠く、自民族中心主義、排他主義をその本質的な要素として組み込んでいることを示している。」、との指摘は、安部晋三政権の急所を突いている。





by asyagi-df-2014 | 2017-05-10 07:13 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「声なんて届かなくていい。」

 白充弁護士の「朝鮮半島はいつまで、『中心』に消費されなければならないのでしょうか。」、との声は、沖縄からの声と重なる。白充弁護士の「どうせ殺し合うのは半島人」は、「沖縄でよかった。」と聞こえてくる。

 琉球新報は、2017年5月5日、白充弁護士の「<南風>声は届かない」との記事を掲載した。
白充弁護士は、次のように綴る。


(1)朝鮮半島はいつまで、「中心」に消費されなければならないのでしょうか。
(2)日本では毎日のように「北朝鮮危機」が報道されていますが、韓国は、大統領選挙が近いくらいで、全くもって平穏とのことです。
(3)そもそも、広島や長崎に原爆を投下し、今なお何千発もの核兵器を持つ米国は危険ではないのに、なぜ「北朝鮮は危険」なのでしょうか。なぜ、韓国では地下鉄が止まることは無いのに、日本では止まるのでしょうか。なぜ、米国からわざわざ空母が来るのでしょうか。朝鮮半島から離れている国ほど、意気揚々と戦争の準備をしているように見えます。
(4)しかし、それもそのはずかもしれません。もし戦争が始まっても、「どうせ殺し合うのは半島人」です。自分さえ死ななければ、必死に止める必要はありません。最近70歳になった日本国憲法が、どのように定めているかなんて、考えない方が楽です。
(5)沖縄に来て分かったんです。「朝鮮人の声なんて届かない」ということ。同じ日本人、しかも選挙権がある沖縄の声ですら届かない。若い女性が殺されても、心ともいうべき海が潰(つぶ)されても、その苦しみは届かない。中心にとって都合の良いことだけを「真実」と呼び、周辺の歴史や心になんて、向き合おうともしない。
(6)「問題は本土の無関心だ」。そうだとも思います。でもこのままで、「本土」が関心を持ってくれる日は来ますか? このままで、日本の世論が「朝鮮半島での戦争は終わらせるべきだ」と盛り上がる日は来ますか?
(7)もう待てないんです。誰一人として、殺されたくないんです。人としての誇りを、踏みにじられたくないんです。
 だから、声なんて届かなくていい。私は、夢に向かって進もうと思います。悲しくても、悔しくても。


 白充弁護士の次の言葉の向こう側に。


「朝鮮半島から離れている国ほど、意気揚々と戦争の準備をしているように見えます。」
「どうせ殺し合うのは半島人」
「中心にとって都合の良いことだけを『真実』と呼び、周辺の歴史や心になんて、向き合おうともしない。」


 やはり、「だから、声なんて届かなくていい。私は、夢に向かって進もうと思います。悲しくても、悔しくても。」、との言葉を重ねていきたい。





by asyagi-df-2014 | 2017-05-08 08:20 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

初沢亜利からの投げかけ

 初沢亜利は、2017年5月3日のFBで、次のように投げかけた。


自分は悪くない。
という前提で世界と関わる人たちはあまりに多い。
世界平和のために沖縄も連帯しよう!
沖縄の人たちのために基地反対運動をする、、、誰のための善意なのか?
北朝鮮は絶対悪の国だ。だからアメリカが叩くのも無理はない。長いものに巻かれた上での正義を振りかざした小国批判。
自分が間違っているかも知れない、と考えたこともない善意は暴力的になりがちだ。
沖縄を苦しめているのは米政府、日本政府であると同時に日本国民、すなわち私だ、となぜ認めることができないのか?
北朝鮮への戦争責任をいまだに果たしていないのは日本国民である私だ、となぜ疑わないのか?アメリカの帝国主義的政策を一貫して支持しイラク戦争に加担したのも日本国民である私だ、となぜ反省できないのか?
自分に都合の良いよい情報だけを集め世界を解釈する風潮は加速している。
人間は傲慢な生き物だ。私は間違ってない、と思いたがる。そして必ず持ち出すフレーズがある。
「家族を守るために、、、」
植民地政策も戦争も、大抵家族を守る愛と正義のために行われてきた。
せめて「家族を守るために私は他人を犠牲にし人権までも踏みにじります」と、一度大声で叫んでみるとよい。

僕がなぜ、沖縄の米軍基地を本土に引き取るべきだ、と主張するのか?北朝鮮との対話とその先の国交正常化を主張するのか?彼ら(沖縄や北朝鮮)自体について語る前に「私」の善悪を吟味し、果たし得ていない責任について共に議論することを提案したいからだ。

そして僕がなぜフォトジャーナリストではなく写真家だ、と自己定義するのか?ジャーナリストは基本的に「私」に触れず、写真家は「私」の問題として、つまり実存から表現が立ち上がるからだ。

沖縄がどうだ、、北がどうだ、、はその後の話だ。

まずは、悪いのは私かも知れない。から出発してみませんか?


 この時期だから、沖縄と北朝鮮について考えさせられる。
 初沢からの提起。
「まずは、悪いのは私かも知れない。から出発してみませんか?」、と。


「沖縄を苦しめているのは米政府、日本政府であると同時に日本国民、すなわち私だ、となぜ認めることができないのか?」
「北朝鮮への戦争責任をいまだに果たしていないのは日本国民である私だ、となぜ疑わないのか?アメリカの帝国主義的政策を一貫して支持しイラク戦争に加担したのも日本国民である私だ、となぜ反省できないのか?」


 確かに、ここに真実がある。





by asyagi-df-2014 | 2017-05-07 09:25 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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