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「教育勅語」を考える。(5)-沖縄タイムス20170416より-

 沖縄タイムスは2017年4月16日、「木村草太の憲法の新手(54)教育勅語『国体』重視の教えは違憲」、を掲載した。
 この記事から、「教育勅語」を考えます。


木村の指摘は、次の二点である。


Ⅰ.「大日本帝国の『臣民』が『天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼』するために遵守すべき規範とされていた。教育勅語を教材とすることは、『親孝行や学問の目的は、現人神たる天皇の位を護るためだ』と教えることを意味する。そのような教育は、明らかに憲法等に反する。」
Ⅱ.「声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。」


 また、木村はこの結論を導く根拠を次のように説明する。


(1)教育勅語は、明治23年10月30日付で示された、現人神たる明治天皇が教育に関する基本理念を述べた文書だ。その内容は、市民を「臣民」と位置づけ、大日本帝国の「国体」を「教育ノ淵源」と位置付ける。「国体」とは難解な言葉だが、明治40年の文部省の公式の英訳では「fundamental character of Our Empire」とされた。帝国の基本的な性格くらいの意味に訳されている。
(2)ポツダム宣言を受諾した日本政府は、憲法改正を決意し、1947年5月、日本国憲法が施行された。天皇は、現人神や大権の担い手ではなくなり、国家の象徴とされた。市民は、主権の担い手たる「国民」となった。こうして、神話的国家観に基づく大日本帝国は解体された。当然、大日本帝国の「国体」は「教育の淵源」となりえなくなる。1948年6月19日、衆議院は、「主権在君並びに神話的国体観に基いている」との理由で教育勅語の排除を求める決議をした。参議院も教育勅語の失効を確認する決議を行った。これを重く受け止めた政府は、決議当日の衆議院本会議で、森戸辰男文部大臣が、「教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたい」と断言した。
(3)今回の政府答弁書は、「我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としつつも、教材としての利用は必ずしも否定しないという。この点、歴史の授業で教育勅語を紹介することは問題ないとの指摘もある。
(4)しかし、歴史の授業だけを想定するなら、例えば「史料として用いることは否定しない」という言い方にすべきだった。答弁書の書き方では、歴史以外の授業での利用を促しかねない。また、菅義偉官房長官は、4月3日の記者会見で、教育勅語に書かれた「親を大切にする、兄弟姉妹は仲よくする、友達はお互いに信じ合うなど、ある意味で人類普遍のことまで否定はすべきではない」と述べた。これは、歴史資料ではなく、道徳などの教材として利用することを想定するかのような説明だ。


 この上で、木村は、「教育勅語」について、次のように結論つける。


Ⅰ.教育勅語には、親孝行や家族愛、学問を修めることなど、そこだけを切り取れば問題なく見える部分もある。しかし、それらは、大日本帝国の「臣民」が「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼」するために遵守すべき規範とされていた。教育勅語を教材とすることは、「親孝行や学問の目的は、現人神たる天皇の位を護るためだ」と教えることを意味する。そのような教育は、明らかに憲法等に反する。


 さらに、木村は、次のことを押さえる。


Ⅰ.前回論じた道徳教科書の検定問題にしても、今回の教育勅語答弁書にしても、道徳教育への不信を高めるものだ。本来、道徳とは、国民一人一人が自らの良心に従って探求すべきものだ。声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。


 木村教授の指摘は、そのとおりである。
 ただ、「声高に道徳を押し付けてくる者には、警戒せねばならない。」、との認識だけでは済まされない状況が、すでに、プログラム化されていることを強く認識しなければならないのではないだろうか。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-19 07:13 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

在沖米軍基地の県外移設を考える。(1)

 在沖米軍基地の県外移設を考える。
 いろんな意味で、このことを突き詰めるしかないのではないかという判断から。
 
 今回は、琉球新報の2017年4月3日に掲載された「なぜ「基地引き取り」か 写真家・初沢亜利さんに聞く」、との記事の基を考える。
 まずは、掲載記事から。


 ―東京の会の状況は。

 会は2月に発足し、5月にシンポジウム、6月には他の地域での運動と合同でのシンポジウムを計画している。沖縄問題について発言している識者から「引き取り」という言葉がちらほら出てくるようになっている。水面下でじわじわと広がっている。

 ―引き取り運動に対していろいろな批判がある。

 僕は批判されていると感じたことはない。ロジックの問題として説得できる話だから。反戦一本で活動している人たちからすると、自らの存在を脅かされるという不安を感じるのだろう。しかし、彼らを責めることを目的化することは何の意味もない。あくまでも無自覚な一般の日本人たちに対して、沖縄に基地の過重負担を背負わせるのはやめようと言いたい。われわれ日本人の在り方の問題だと。不公平、差別の問題だということから始めるしかない。引き取る場所は次の段階でいい。ただ、必ずどこに引き取るかが問題になる。そこが難しいところだが、自分の町に来てもいいと覚悟を決めて、議論していこうということだ。

(1)「沖縄のことを教えてください」に、長い後書きを書いた。写真集の狙いは?

 僕の中の沖縄への入り口は反戦平和ではない。もちろん辺野古新基地建設は反対だ。しかし、世界中に基地はいらないという考え方ではない。あくまでも本土日本人による沖縄人に対する差別問題があり、その責任をどう取るかという視点で、沖縄で暮らし、辺野古の現場にいた。写真家としての切り口は、今そこにある沖縄をいかに自分なりに探して撮ることができるかだった。写真集を見た日本人に戸惑ってもらいたいと思っていた。沖縄イメージを解体していく作業だ。権力があると自覚した上で、カメラという暴力的な装置で写すわけだから。そこに自覚的でないといけない。

(2)今回、辺野古を訪ねてどう思ったか。

 想像以上に現場がトーンダウンしており、ショックを受けた。しかし、今後も反対の声を上げていくだろう。何に対して彼らは戦っているのか、この権力を支えている日本人とは何者かと突きつける意味でも、伝えていく必要がある。次の知事選に関心を持っている。あくまでも辺野古反対という人と、勝ち目のない闘いから退いて経済的にもらう物をもらおうという人に分かれるのではないか。ただし、それも、あくまでも沖縄人の選択だ。それに対して「沖縄はもっと踏ん張ると思ったのに」とか、自分の願望を押し付けるのは大変傲慢(ごうまん)なことだ。沖縄の人々の心を見詰め理解することができるかが、本質的に大事なことだと思う。それを写真集を通じてやったし、今後は引き取り運動として継続していきたい。

(3)北朝鮮にも通っているが、沖縄と通じるものがあるのか。

 日本の戦後処理の問題として北朝鮮と沖縄を考えてきた。昨年12年に4年ぶりに北朝鮮に行った。市民の日々の暮らしを伝えていくことを今後も継続していきたい。平壌の交通量が一気に増えて衝撃を受けた。経済が発展していることについて北朝鮮の案内人が「わが国は核保有国になり、抑止力を維持できるようになった。通常兵器を増強する必要がなくなり、軍事費を削減できた」と言った。これが最近の公式見解だ。また、経済制裁が強まることを前提に内側で経済を回すようにしてきた。平壌郊外に広大な農場、加工工場があり、循環システムを造っている。中国に頼らない経済を造っていこうという意思が国家としてある。そして、自主独立が国民の意識としてもとても強い。案内人に、沖縄をどう思うかと聞いたら、シンプルに「沖縄が独立しない理由が分からない」と答えた。北朝鮮に日本の左翼の人たちが訪問してきたが、「自分の国に誇りを持っていない人と話しても面白くない」と言っていた。


 この記事を通して、言えることは、「在沖米軍基地の県外移設」と自分自身の位置関係を明確にするということである。
 つまりそれは、自分自身のあり方を問う中で、「在沖米軍基地の県外移設」を考えるということである。
 初沢亜利の「世界中に基地はいらないという考え方ではない。あくまでも本土日本人による沖縄人に対する差別問題があり、その責任をどう取るかという視点で、沖縄で暮らし、辺野古の現場にいた。写真家としての切り口は、今そこにある沖縄をいかに自分なりに探して撮ることができるかだった。」、という視点こそが、最初に、一人ひとりが取り組むことであると言えるのかもしれない。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-18 07:41 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

米国の正義を問う。(2)-「力行使をためらわない大統領と、拡大された権限を手にした軍 米国はどこへ向かうのか [平安名純代の想い風]」から-

 米国トランプ政権は2017年4月6日、「化学兵器による攻撃をしたシリアの航空施設に標的を定めた軍事攻撃を命じた」と明らかにした。」(朝日新聞2017年4月8日)、と他国(シリアのアサド政権)への単独の武力介入を行った。
果たして、米国にどんな正義があるというのか。
沖縄タイムスは2017年4月13日、「力行使をためらわない大統領と、拡大された権限を手にした軍 米国はどこへ向かうのか [平安名純代の想い風]」を掲載した。
 この記事から、この問題を考える。
平安名純代は、米国の政治状況を次のように分析する。


(1)テロとの闘いを掲げるトランプ新政権で、米国防総省の権限が拡大している。中東など戦地での作戦の迅速化を狙い、トランプ大統領は米軍幹部らの裁量を拡大。シリアでは、攻撃開始前に米軍幹部らの判断で上限を大幅に上回る派兵が実行された。軍事主導が鮮明化する現状に、専門家らは、政治指導者らが軍事作戦を制御できなくなる恐れがあるなどと警鐘を鳴らしている。
(2)当初、米国第一主義を掲げるトランプ氏の外交政策について、ディール(取引)重視で実利主義のビジネスマンだから、他国への軍事介入には興味ないだろうとの楽観的な見方が多かった。しかし、国防長官やCIA長官などの閣僚の座に「戦争屋」と呼ばれる人材を配したことから、こうした閣僚らの権限が拡大された場合、米国はブッシュ政権を上回る新たな戦争の時代に突入する可能性もあると予想する専門家もいた。


 どうやら、平安名純代恐れるく米国の今後は、「政治指導者らが軍事作戦を制御できなくなる」なかでの「新たな戦争の時代に突入する」ことにある。


 平安名純代によると、すでに米国では、次の状況が生まれている。


(1)トランプ氏は、公約の柱に掲げていた医療保険制度改革や一部のイスラム教国からの入国禁止に失敗。支持率下降が止まらない中、ソマリアでのテロとの闘いを指揮する米軍司令官らの権限を拡大。オバマ政権時に決められた米軍の派兵数の上限は、シリアが503人、イラクが5262人だが、トランプ氏から意思決定の裁量を拡大された米軍幹部らは、「一時的な派遣」との名目で、シリアへの派兵を数百人単位で増やし、最終的に海兵隊員など数千人が投入された。
(2)こうした傾向について専門家らは、軍事現場での裁量の拡大は、民間人や兵士の犠牲を増やすことにつながりかねず、軍事的にも政治的にもリスクが高いと指摘。すでにその兆候は現れていると警鐘を鳴らす。これまでは、米メディアも議会もロシアを巡る疑惑でトランプ政権への追求を強めていたが、トランプ氏のシリアへのミサイル攻撃は「正しい判断」と圧倒的に支持され、状況は一変している。


 だから、平安名純代は、「他国への武力行使を躊躇(ちゅうちょ)しない大統領と拡大された権限を手にした米軍。そして事態を傍観する議会。果たして米国は今後、どう動いていくのだろう。軍事の現場にホワイトハウスが介入し、米軍幹部らにけむたがられていたオバマ政権と違い、大統領から権限を拡大された米軍はまさに活気づいている。」、とする。


 米国の「正義」は、米国に活気を与えるまでになってしまっている。
こうして、米国の「正義」は、「米国の正義」に拡大されてしまうのか。
米国のこうした状況に、いち早く乗ってしまった国の責任は、極めて重い。


 さて、平安名純代は、沖縄についても、このことに関連させてこのように触れる。
本当は、日本の政治力が問われているのだが。


(1)在日米軍も例外ではない。沖縄を、中国の軍事力拡大や北朝鮮情勢をにらみ、中東への出撃を後方支援する重要な拠点と位置付ける米国防総省は、オバマ政権の軸足の定まらなかったアジア政策を刷新しようと熱心に協議している。
(2)辺野古新基地建設は、オバマ政権下で「埋め立て承認」という大きな一歩を踏み出したが、軍事主導のトランプ政権下ではさらに加速し、埋め立て作業を一気に進めようとする可能性がある。軍事主導の日米両政府にどう対抗するか。沖縄の政治力が問われている。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-17 07:43 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「教育勅語」を考える。(4)-教育勅語 高橋源一郎 氏 現代訳より-

 松島泰勝さんのブログで、「教育勅語 高橋源一郎 氏 現代訳」、を見つけました。
 この高橋源一郎の教育勅語現代訳から、「教育勅語」を考えます。
まずは、全文掲載します。


教育勅語①「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」

教育勅語②「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」

教育勅語③「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

教育勅語④「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

教育勅語⑤「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

教育勅語⑥「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです」

教育勅語⑦「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

教育勅語⑧「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」


 これは、「教育勅語」を活かさなくてはならないという者たちの肉声です。
 前は、聞こえよがしにつぶやいていたものを、今は、目をつり上げてここぞと道を説いています。
 ほら、またがなり立て始めています。もっと激しく。

「はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕しなさい。」

 「というか、永遠に続くわれらの天皇家を護るために戦争に行かなくては。。それが正義であり『人としての正しい道』なんだ。そのことは、おまえたちが、ただ単に私の忠実な臣下であることを証明するだけでなく、おまえたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるのだ。」




by asyagi-df-2014 | 2017-04-16 08:06 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

米国の正義を問う。(1)

 米国トランプ政権は2017年4月6日、「化学兵器による攻撃をしたシリアの航空施設に標的を定めた軍事攻撃を命じた」と明らかにした。」(朝日新聞2017年4月8日)、と他国(シリアのアサド政権)への単独の武力介入を行った。
果たして、米国にどんな正義があるというのか。
朝日新聞は2017年4月11日、「(耕論)米国に正義はあるのか 最上敏樹さん、青山弘之さん」を掲載した。
 この記事から、この問題を考える。


朝日新聞は、青山弘之東京外国語大学教授(以下、青山教授とする)による、米国の中東への関わり方と今回のシリアへの武力介入の意味について、次のように指摘している。


(1)米国は1991年の湾岸戦争以降、自国の経済安全保障を保つため、中東に関わり続けてきました。石油を安定供給させるため、中東の政治的秩序を保つ必要があったからです。
(2)中東に関わる際に、米国は常に二つの基準をてんびんにかけてきました。一つは中東を混乱させないこと。もう一つは、米国に単独で対抗できるような国家や勢力をこの地域につくらないということでした。だからこそ、2003年のイラク戦争では強くなりすぎたフセイン政権を倒したのです。
(3)シリアのアサド大統領は、イラクでフセイン政権が崩壊したあと、米国に盾突くことのできる唯一の統治者になりました。米国にとっては目の上のコブです。それだけに、「アラブの春」以降にシリアで民主化を求めるデモが強まり、国内が混乱に陥ったことを、米国はアサド政権弱体化のいいチャンスだと考えていたはずです。ただ、米国は、仮にアサド政権が崩れる場合にその後のシリアを誰がどう統治するのか、青写真を描けずにいました。そんななかで政権が完全に崩壊すれば、中東に強い混乱を及ぼしかねない。だから、弱くも強くもないシリアが求められていたのです。
(4)この矛盾にはさまれ、オバマ前政権はシリアに対し、中途半端な対応しかとってこられませんでした。アサド政権への直接的な軍事行動はとらず、反体制派への支援を通じ、政権の弱体化を図ろうとしていたのはその表れです。ただこの手法は、アルカイダ系に近い反体制派組織を米国が支援するという結果を生みました。01年の米同時多発テロを起こしたアルカイダ系は、米国にとって本来は最大の敵です。その組織を支援していたオバマ政権時代のシリア政策は、完全に破綻(はたん)していました。それだけに、トランプ大統領はこうした反体制派組織への関わりを、嫌悪していました。だから、トランプ政権はシリア国内の反体制派支援から、「イスラム国」(IS)そのものに対する軍事作戦に軸足を移しつつあり、シリアでの米国の影響力は低下していました。またシリア国内のIS掃討作戦でも、主導権を握っていたのはシリアとロシアでした。このままいけば、仮にシリアでISを掃討できても、シリアとロシアに利益を握られてしまう。それはトランプ政権にとって対シリア政策の失敗を意味していました。
(5)米国は、ISとの戦いにおいて主導権を取り戻したいと考えていました。そのためには、シリアとロシアの両国を揺さぶる必要があった。アサド政権による化学兵器の使用は、米国にとって格好の口実になったのだと思います。起死回生の一打としての、ミサイル攻撃だったのではないでしょうか。


 青山教授は、こうした分析のうえで、今回のシリアへの武力介入の意味について、次のように指摘します。


Ⅰ.今回の米国のミサイル攻撃は、アサド政権の化学兵器使用に対する懲罰行動なのでしょうが、長期的には米国にとって失敗に終わる可能性が高いといえます。
Ⅱ.米国は今回のミサイル攻撃について、アサド政権が化学兵器を使用したことへの対抗措置だと説明しています。仮にこの通りだとしても、今回の攻撃は極めて意味がないと思います。対抗措置であれば本来、化学兵器が再び使われることがないよう、その能力を低下させなければなりません。今回、ミサイル攻撃したのは一つの航空基地のみです。塩素ガスなどの毒ガスを製造できる拠点が攻撃対象に含まれていなかったことには、首をかしげざるを得ません。
Ⅲ.今回の攻撃の結果、米国の思惑とは全く違う結果が生まれるのではないかと思います。アサド政権に実害はなく、一方でアサド政権やロシアは「テロとの戦いの強化」という形で、米国が支援してきた反体制派などに大規模に報復する口実を得た。シリアでのロシアの影響力を強める結果にもつながるのではないでしょうか。


 一方、最上敏樹早稲田大学教授(以下、最上教授とする)は、シリアへの武力介入について、「トランプ政権の攻撃は正義の武力行使とは、とてもいえません。人道的介入が許されるかどうかの議論の入り口にすら至ることがない」と評し、①「これ見よがしの誇示に近い」、②「シリアの人道的な危機が本当によくなるのかという効果の面でも非常に疑わしい」、と指摘している。
 特に、その問題点を次のように挙げている。


Ⅰ.武力行使は様々な方策が尽くされた後の最後の手段で、国連安全保障理事会の決議を踏まえるべきだとされています。今回の攻撃は十分な手続きがなされておらず、国際法上、違法な軍事行動といえます。
Ⅱ.国連安保理決議を通すといった努力を飛ばして、根拠のない武力行使をすることはどの国にも許されませんし、世界を不安定にします。大勢の子供たちが犠牲になったといったことを持ち出せば、武力行使をしても許されるといった緩い構造にはなっていないのです。


 また、最上峡中は、その背景とその影響について、このように触れている。


Ⅰ.唐突かつ拙速に米国が攻撃に踏み切った背景に何があるのか。現状では推測の域を出ませんが、米国の政権内のポストに空席が多いこともあって、本来ならば、国際法上の問題点を指摘するといった政権内からの歯止めが働かなかったのかも知れません。
Ⅱ.今回の攻撃で、トランプ政権が世界の安全保障の問題に武力をもって関与するということが示されました。北朝鮮のような国家が行動を自重するのではないかと期待する声が上がることも予想できますが、そうとは思えません。むしろ、米国が自ら国際法というルールを無視したことで、他国による違法な武力行使に拍車をかける危険性もあります。そもそも、現在、人びとの安全保障上の大きな脅威になっているのはテロリスト組織に代表されるような人間の集団、つまり主権国家ではない非国家主体です。どんなに強大な国が圧力をかけても、非国家主体が従わず、テロリズムが発生するという現象を私たちはここ十数年、ずっと見てきています。


 さらに、今後のシリア情勢についても、このようにまとめている。


Ⅰ.ニューヨークで国連加盟国による大きな会議を開くだけでなく、NPOやNGOという非国家主体も含めた当事者の話し合いが必要です。シリアの子供たち、一般の人びとがどれだけ苦しみ、厳しい状況に置かれているかを最も理解しているのが非国家主体でもあります。
Ⅱ.シリア政府の要請を受けて、安保理の常任理事国として、拒否権を行使できるロシアがシリア国内で様々な武力行使を行っています。両国の行動に問題は多く、国際社会は有効な手を打つことができません。現在の国際法や国連システムの限界は確かにあります。しかし、無力を嘆くだけでなく、現実的な改革を考えるべきです。
Ⅲ.例えば、スイスなどの国々が提唱しているように、人道問題に関しては、五つの常任理事国が拒否権を使うべきでないと国連総会で決議することは重要で現実的な提案です。拒否権発動ができないように国連憲章を改正するのは、拒否権の壁があって非現実的ですが、総会決議は全加盟国の多数決で採択できます。常任理事国に対する拘束力を持ちませんが、道徳的な力で将来の人道危機を防ぐことになります。


 青山教授、最上教授の指摘を受けて、確かに、他国への単独の武力介入には、なんら正義は見つけられない。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-15 06:47 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「教育勅語」を考える。(3)-朝日新聞社説170411より-

 「教育勅語」を考えます。
 朝日新聞は2017年4月11日、「教育勅語 憲法とは相いれない」、と社説を掲載した。
 まず、朝日新聞は、「義家弘介・文部科学副大臣が、教育勅語を幼稚園などの朝礼で朗読することについて、『教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思う』と国会で答弁した。」ことに対して、「教育行政に責任ある立場の発言として、不見識だ。」、と指摘する。
この上で、その理由を次のように挙げる。


(1)改めて確認したい。教育勅語は、憲法が定める主権在民とは相いれない。憲法施行の翌48年、国会は排除・失効の決議をした。それは国民主権の国として歩む宣言でもあった。
(2)歴史資料のひとつとして使うのなら理解はできる。だが、朗読は、教育勅語の暗唱を求めた戦前・戦中の「修身」に通じる。今後、道徳を含む幅広い科目での活用を黙認することにつながりかねない。
(3)安倍内閣は先月、教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定した。朝日新聞は社説で、なし崩し的な復権だと強く批判してきた。その後、松野博一文科相は道徳の教材として使うことを否定せず、「一義的には教員、学校長の権限」と説明。菅義偉官房長官も「それぞれの現場で判断すること」と述べた。
(3)解せないのは、では憲法や教育基本法に反しない形での活用法とは何なのか、政府が具体的な説明を避けていることだ。
(4)教育勅語は、「朕(ちん)(明治天皇)」が、「臣民(国民)」に守るべき徳目を示している。いざというときは「皇運」に尽くせと国民に迫る内容だ。同じ明治期にできた軍人勅諭と共に、戦時中は国民を総動員体制に駆り立てる支えともなった。そうである以上、「負の歴史」として教材にする以外に活用の仕方は考えにくい。それを明言したくないから、説明を避けているのではないか。これでは使ってもいいとの空気だけが教育現場に広がってしまう。


 さらに、朝日新聞は続ける。


 疑問の声は与党内にもある。私学教育にも携わる自民党の船田元・衆院議員は自身のブログで、政府答弁書について「戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない」とし、「『憲法や教育基本法に反しない形』で教育勅語を教材に使えるのだろうか」と疑問を呈した。


 結局、朝日新聞は、次のように結論づける。


 「来年度から義務教育で段階的に道徳の教科化が始まる。「修身」の復活につなげてはならない。」


ここでは、やはり、最後に、趙博の指摘を再掲する。


 国家意志として、「歴史規定的」な勅語の時代は終焉している。「歴史貫通的」なものは、人間が人間である限り、社会が社会であるかぎり、否定されることはない。
 教育勅語は「歴史規定的」な文言やったからこそ、否定されている。





by asyagi-df-2014 | 2017-04-14 07:45 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「教育勅語」を考える。(2)-澤藤統一郎の憲法日記より-

 「教育勅語」を考えます。
 今回は、澤藤統一郎さんが「澤藤統一郎の憲法日記」で、明快に説明しています。
まず、最初に、「誰の執筆かを考えることなく、次のブログ記事を虚心にお読みいただきたい。4月6日に、アップされたものだ。」と、自民党の船田元の次のブログを紹介する。


 4月に入り各学校では新入生が期待と不安を胸に抱き、登校する姿が目立ちはじめた。しかし未だに一連の森友問題は迷路に彷徨ったままである。異常とも言える速さの小学校許認可手続きや、大幅値引きの国有地払い下げ問題を、早期に解明することは言うまでもないが、塚本幼稚園の教育方法の異常さは、さらに深刻である。
 園児たちに教育勅語を集団で暗誦させた動画は、とても衝撃的だった。私は以前の投稿で「洗脳」ではないかと述べたが、他の識者からも同様な指摘があった。善悪や価値判断の乏しい幼児に一方的な価値観を植え付けることは、明らかに洗脳である。
 その後、ある閣僚からは教育勅語の内容を肯定する発言があり、また、先週末民進党議員の質問主意書に対する政府答弁書でも、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しない」と述べているが、私はいささか違和感を覚える。
 教育勅語に掲げた徳目として、例えば「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」などは、いつの時代にも通用する普遍的な価値であろう。しかし勅語は天皇が臣民に与えた性格を持ち、なおかつ「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」などの部分を捉えて、戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない。
 だからこそ昭和23年に衆参両院において「排除」「失効確認」したのである。「憲法や教育基本法に反しない形」で教育勅語を教材に使えるのだろうか。またここに述べられている徳目は、数多くの逸話や昔話などの教材によって、既に道徳教育の中に生かされている。ことさら勅語を教材とする理由が見当たらない。
 百歩譲って教材に使うとしても、解説なしで使うことは慎むべきである。戦前の軍国主義教育の象徴のように使われてしまったことや、戦後はこの反省によって失効していることをきちんと教えることは、最低限求められる。


 確かに、真っ当な理論展開である。
 澤藤さんは、続いて、この船田代議士のブログを次のように解説する。


(1)「ある閣僚からは教育勅語の内容を肯定する発言があり」
  名前を出せば、イナダ朋美防衛相、松野博一文科相、そして菅官房長官。その他は、アベの心中を忖度して沈黙することで、勅語肯定発言に同意を与えた。
(2)「先週末民進党議員の質問主意書に対する政府答弁書でも、『憲法や教育基本法に反しない形で教材として使用することは否定しない』と述べているが、私はいささか違和感を覚える」
 これが、「自分は自民党議員だが、アベ一統とは、見解を異にする」という見識。
(3)「勅語は天皇が臣民に与えた性格を持ち、なおかつ『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』などの部分を捉えて、戦前の軍部や官憲による思想統制の道具とされてしまったことは言うまでもない」「だからこそ昭和23年に衆参両院において『排除』『失効確認』したのである」」
 おっしゃるとおりだ。
(4)「『憲法や教育基本法に反しない形』で教育勅語を教材に使えるのだろうか」
 この一文が、このブログ記事の白眉だ。痛烈な勅語活用肯定派への批判となっている。もちろん、アベ政権の批判にも。
(5)「百歩譲って教材に使うとしても、解説なしで使うことは慎むべきである。戦前の軍国主義教育の象徴のように使われてしまったことや、戦後はこの反省によって失効していることをきちんと教えることは、最低限求められる」
 この人は、慶應の教育学専攻修士課程修了とのこと。作新学院の学院長でもある。教育に携わる者としての矜持が滲み出ている。


 澤藤さんは、きちんと、1948年に衆参両院における教育勅語についての『排除』『失効確認』決議を載せてくれている。


○教育勅語等排除に関する決議(1948年6月19日衆議院決議)

 民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の改新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すものとなる。よって憲法第98条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
 右決議する。


○教育勅語等の失効確認に関する決議 (1948年6月19日参議院本会議)

 われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。
 右決議する。






by asyagi-df-2014 | 2017-04-13 09:49 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

趙博さんが、吠えます。「どあほ」。

 黄土(ファントム)で、趙博さんが、「どあほ」と、一喝してくれました。
 教育勅語の問題を取りあげなくてはと考えていたのですが、できないでいました。
 まあ、読んでみてください。


どあほ!


 あのな、何度でも言うたるけどな、『教育勅語にもええこと書いてある』と言うてるボケども、よう読めよ。

 そう、『教育勅語』にもええこと書いてあるねん。その通り!親孝行せぇとか、みな仲良うせぇ、義務を果たせ、とかね。ほんでな、そいういう「ええこと」は、古今東西、人間の歴史あるところ、そこかしこに(どこでも・いつでも)書いてあるし、言われてきてん。お前らアホやから知らんやろうけど、ハムラビ法典にも、旧約聖書にも、コーランにも、阿弥陀経にも、皇国臣民の誓詞にも、毛沢東語録にも、法華経にも、女大学にも、歎異抄にも、軍人勅諭にも、アメリカ合衆国憲法にも、マグナカルタにも、共産党宣言にも、山口組綱領にも、モルモン教信仰箇条にも、大本教の教えにも、蓮如の御文にも、文部科学省の指導要録にも、町内の掲示板にも、JRのポスターにも、公共広告機構のCMにも…等々、∞∞∞、「ええこと」は書かれてある、あるいは言われてんねん。これを「道徳律」あるいは「徳目」と言うの。因みに「道徳の黄金律」って知ってるか?「盗むな・殺すな・嘘つくな」やねんけどね。こういうことを「歴史貫通的」と言うの。

 さて、『教育勅語にもええこと書いてある』として、明治天皇が臣民に下し賜えた勅語を肯定・賞賛・礼賛するのは、その御稜威(お前ら、読めるか?)を称えてるわけや。せやろ、ちゃうか?勅語の持つ教育力は絶大やった。その国家主義的強制力を、お前らは褒め称えているわけや。やんな。明治23年から昭和20年にいたる半世紀以上の期間、教育勅語は大日本帝国臣民の教育的支柱であり、精神的模範やってん。解りやすく言うたら「大和魂」の素は、お前らが大好きな『教育勅語』や。日本の軍国主義の基礎であった勅語が絶大な威力を発揮した時代があった。これを「歴史規定的」と言うの。ほんでな「歴史規定的」やからこそ、戦争に負けて勅語は廃止・破棄されてん。衆参両院で、その謄本すら回収すると決議されたの。国家意志として、「歴史規定的」な勅語の時代は終焉してん。わかるか?「歴史貫通的」なものは、人間が人間である限り、社会が社会であるかぎり、否定されることはないねん。せやろ?教育勅語は「歴史規定的」な文言やったからこそ、否定され得てん。

 ほんで、こっからがオッチャンの説教や。ええか、『教育勅語にもええこと書いてある』と言うてるボケどもよ。お前らな、教育勅語の「歴史貫通性」を証明してみぃ。ほんだら、オッチャンも『教育勅語にもええこと書いてある』と認めたるわ。できもせんくせ(実はできない、絶対に)に、真理を体現したようなツラさらすなよ。その前にな、お前らもっと勉強せぇ~よ。中一程度の学習内容でええから、ドタマをもうちょっと鍛えてからモノ言いや。それが「大人」や。
You should know better.
☆御名御璽☆
p.s. ネトリベ諸君も、ね(笑)。
[ウンチク]
                          2017年04月05日13時21分

 わお。
 何か一緒に怒られてる気がします。
 これぐらい、きちんと反論せんかと。
 立派な大人になれと。
 


確かに、学び直しました。次のこと。


 「『ええこと』は書かれてある、あるいは言われてんねん。これを『道徳律』あるいは『徳目』と言うの。因みに『道徳の黄金律』って知ってるか?『盗むな・殺すな・嘘つくな』やねんけどね。こういうことを『歴史貫通的』と言うの。」


 それから、このことを。

 
「日本の軍国主義の基礎であった勅語が絶大な威力を発揮した時代があった。これを「歴史規定的」と言うの。ほんでな「歴史規定的」やからこそ、戦争に負けて勅語は廃止・破棄されてん。衆参両院で、その謄本すら回収すると決議されたの。国家意志として、「歴史規定的」な勅語の時代は終焉してん。わかるか?「歴史貫通的」なものは、人間が人間である限り、社会が社会であるかぎり、否定されることはないねん。せやろ?教育勅語は「歴史規定的」な文言やったからこそ、否定され得てん。」


そうだよな。
問題は、「歴史貫通的」なことと「歴史規定的」の違いをきちんとわからないといけないということだったのだ。




by asyagi-df-2014 | 2017-04-10 06:12 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

中学校の新学習指導要領で、「銃剣道」が新たに乗り込まれた。

 朝日新聞は、標題について次のように報じた。


(1)31日に告示された中学校の新学習指導要領で、中学校の保健体育の「武道」に新たに盛り込まれた「銃剣道(じゅうけんどう)」。松野博一文部科学相は同日の会見で「競技人口や国体種目であることなども判断材料としてほしいとの意見を踏まえた」と述べたが、旧日本軍の戦闘訓練に使われていた「銃剣術」の流れをくむだけに、波紋が広がっている。
(2)公益社団法人・全日本銃剣道連盟によると、競技では、面や胴など剣道に似た防具を身につけ、銃の形をした木製の「木銃(もくじゅう)」でのどや小手、肩などのポイントを突き、「一本」を狙う。
(3)「旧日本軍の戦闘訓練のイメージがあるので様々な意見が寄せられるが、今は目的も性格もまったく違う」と連盟副会長の鈴木健さん(68)は話す。鈴木さんによると、銃剣道の歴史は明治初期、フランスから伝わった西洋式銃剣術にさかのぼる。その後、日本古来のやりの技を土台として研究が進み、戦前は旧日本軍の訓練に用いられていた。
(4)1956(昭和31)年、連盟が創設され、現在会員数は全国に約3万人。自衛官が多いという。毎年8月には日本武道館で選手権大会を開催し、国体の正式競技にもなっている。
(5)2月に公表された新学習指導要領改訂案には銃剣道が盛り込まれていなかった。連盟は3月、明記するよう求める要望書をスポーツ庁に提出。文科省によると、改訂案に対するパブリックコメントで「加えるべきだ」との意見が数百件あったという。元自衛官で「ひげの隊長」として知られる自民党の佐藤正久参院議員は、自身のブログで「銃剣道を学習指導要領に」と題し、「入隊時、陸上自衛官や航空自衛官のほとんどが習う」などとし「パブリックコメントに意見を投稿する努力を続けて来た」とつづった。
(6)一方、ネット上では「銃剣道って日本軍以外に使われる物なの?」「なぜ中学校で教える必要があるの? 誰が教えるの?」などと戸惑いの声が上がる。
(7)文科省によると銃剣道を授業で実施している公立中学は全国で1校。この中学校の体育教諭によると授業では相手を突かずに型を教えているといい、「けがも少なく、安全に武道を実践できている」と話す。


 「う-ん。」
 思わず唸ってしまう。
 安倍晋三政権のやりたい放題を許してしまったつけが、今現実となっている。





by asyagi-df-2014 | 2017-04-01 14:04 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

沖縄県知事への「スラップ訴訟」は、地方自治の本旨を歪めるものでしかない。

 沖縄タイムスは2017年3月28日、「菅義偉官房長官は27日の会見で、翁長雄志沖縄県知事が辺野古新基地建設に関する前知事の埋め立て承認の撤回に踏み切れば、翁長知事に対し損害賠償請求を行う可能性を示唆した。工事の継続に加え、心理的な対抗措置も取る構えだ。」、と報じた。
 このことについて、琉球新報は2017年3月29日、「知事に賠償請求検討 国家権力で抑え込むのか」、と社説で批判した。
 沖縄県知事への「スラップ訴訟」とも言える問題について、考える。
琉球新報は、まず、この安倍晋三政権の恫喝的手法について、「自治体の長が認められた権限を行使することに対し、『権限乱用』と言い募って国が知事個人に損害賠償を求める。国と対等であるはずの自治体の長の判断を、損害賠償という脅しで抑圧することが法治国家で許されるだろうか。もはや乱訴の趣である。」、と断じる。
また、沖縄県が行う「撤回」そのものについては、「国が根拠とする違法確認訴訟はあくまで前知事が出した埋め立て承認を取り消した翁長知事の判断を対象としたものだった。今回、翁長知事が表明した『撤回』は、前知事の承認後に生じた瑕疵(かし)を問うものだ。県側は撤回の理由として埋め立て承認時に付した留意事項違反や環境への負荷、県民の民意などを挙げるはずで、前回の違法確認訴訟とは問われる内容が違う。」、と説明する。
 さらに、今回の「菅氏は、知事が撤回して工事が中断する間、国家賠償法などに基づき人件費や機材リース代、警備費用などの損害賠償を求める考え」に対しては、次のように反論する。


(1)そもそも菅氏の発言は、政策に反対する市民運動などを萎縮させる目的で国や企業などが個人を訴えるスラップ訴訟の性格も帯びる。
(2)国家賠償法では公務員個人に対して損害賠償を求める求償権があるが、専門家は県知事に対して求償権があるのは県であり、国ではないと指摘する。政権与党内に慎重論があるにもかかわらず、金田勝年法相は「所要の措置を検討している」と述べ、進める考えを示した。法解釈も都合よく自らに引き寄せ、新基地建設を拒否する民意も無視し、なりふり構わぬ姿勢が見える。
(3)国は過去に、米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯建設に反対する市民を通行妨害で訴え、スラップ訴訟だと批判された。次は県民を代表する知事を相手取りスラップ訴訟をするつもりか。


 琉球新報は、「国家権力で根強い反対の声を抑え込むのは法治国家ではない。」、と結ぶ。


 さて、こうした安倍晋三政権の強硬姿勢に、気づかされることがある。
 実は、琉球新報は、2017年3月26日に、次のように報じていた。


「自民党の沖縄県連(照屋守之会長)は25日までに、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題に対する県連の政策について、現状の『辺野古移設を含むあらゆる可能性を追求』するとの内容から『辺野古移設を容認し、(普天間の)早期返還の実現を図る』とする内容へと変更する方針を固めた。4月8日の県連大会で正式に決定する。」


 こうした自民党の意向は、官房長官等の発言ときちんと重なる。
 沖縄自民党は、安倍晋三政権の恫喝政治の前座の位置を喜んで果たすというのか。




by asyagi-df-2014 | 2017-03-30 07:37 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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