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米国イラクへの軍事介入再開

 朝日新聞は、2014年8月8日、「米軍、イラク北部で空爆実施 イスラム過激派の拠点に」と、報じた。
 以下、朝日新聞引用。


 米国防総省は8日(日本時間同日夜)、米軍がイラク北部で、イスラム過激派のミサイル発射施設に対する空爆を開始した、と発表した。同国北部でイスラム過激派による少数派の住民への迫害が深刻化しているとして、オバマ大統領が米軍の限定的な空爆を承認していた。

 米国防総省のカービー報道官が8日朝、米軍機2機がイラク北部の過激派の移動式ミサイル発射施設を攻撃したとの声明を発表した。同施設は、北部の主要都市アルビルを治めるクルド人勢力への攻撃拠点とされ、近くにいる米要員への脅威になっているという。

 イラク北部シンジャル地区では、スンニ派の過激組織「イスラム国」に追われたクルド系少数派やキリスト教徒ら数万人が山間部に避難。子ども40人が脱水症状のために亡くなるなど、状況が急速に悪化していた。

 こうした状況を受け、オバマ氏は7日夜、ホワイトハウスで緊急声明を発表。「(起こりうる)大虐殺を防ぐ力が我々にある以上、目をつぶるわけにいかない」と述べ、最悪の事態を防ぐため、米軍の限定空爆を承認したことを明らかにした。イラク政府からも支援要請があったという。また、米軍は同日、大型輸送機が現地上空から非常食8千食、大量の飲料水などを投下した。

 オバマ氏はいったんは終結させたイラクへの軍事介入に慎重だったが、事態の悪化を避けるため、イスラム過激派の施設に標的を絞った限定的な軍事介入に踏み切ったとみられる。声明では「米国がイラクで新たな戦争に巻き込まれることは認めない」とも述べ、米軍の地上部隊をイラクに再派遣しない方針も強調した。

 米国は2011年12月にイラクから完全撤退した。一方、11年のリビア内戦の際は、国連安全保障理事会で地上軍の侵攻を除く軍事力行使を認められると、地中海上の米軍艦船からリビアの軍事施設などに巡航ミサイルを撃ち込むなど、軍事介入した。

 13年8月、内戦状態にあったシリアの首都ダマスカス郊外で化学兵器サリンが使用されたと報じられると、米議会の承認を得たうえでアサド政権に武力行使に踏み切る方針を表明。しかし、アサド政権が化学兵器を国際的な管理下で廃棄していく方針に合意すると、シリア介入は見送った。(ワシントン=小林哲、金成隆一)


by asyagi-df-2014 | 2014-08-08 23:45 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

被爆69年の夏。私たちは、何を受け取ることができるのか。

 広島平和宣言(2014年8月6日)は、尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いて下さいと、訴える。
 それは、こんな声。
 「被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は『若い人に将来二度と同じ経験をして欲しくない』との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた『若い人たちが世界に友人を作ること』『戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと』の大切さを。」
 こんな声達は、次のように重ねます。
 「子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた『絶対悪』をこの世からなくすためには、脅し脅かされ、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。」
 また、次のようにも続けます。
 「人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。『あの日』の凄惨を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみて下さい。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を二度と繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。」
 主体者である広島市もまた、「私たちも尽くします」と被爆者の声に続ける。
 それは、「唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受けとめる必要がある」と日本の現実の矛盾を暴くことにもなる。
 そして、「『絶対悪』である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くす」と結ぶ。

 では、この被爆69年の夏の声から、何を受け取ることができるのか。
 例えば、東京新聞の社説(2014年8月6日)では、「原爆の子の像」の寄せ書きに、「核兵器いらない。集団的自衛権の行使も認めないぞ!!」とあり、手書きの文字の端々に、不安と不信、危機感がにじんでいますと、伝えている。
 恐らく、多くの者が平和の危機を初めて肌身に感じている。このことは、被爆者にとっては、「ふたたび」の恐れとして、感じさせられているに違いない。
 被爆69年の夏に、このことの意味はあまりにも重すぎるし、高齢者にとっては、あまりにも無念である。
 オキナワ、ミナマタ、そしてフクシマの現実とこのヒロシマの無念さを並べて考えてみると、これまたあまりにも日本という国のあり方に、憤りしかない。
 しかし、これからをひたすらに生きようとしている人がいる。だとしたら、やはり、ひたすらに繋がっていくしかないではないか。

 この被爆69年の夏の声から受け取ったものは、私自身の次の誓いである。
 「絶対悪」である核兵器のの廃絶に、ともに、尽くそうではないか。
 日本国憲法の崇高な平和主義を、主体的に生き抜こうではないか。

 以下、広島平和宣言引用。





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by asyagi-df-2014 | 2014-08-06 17:15 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

琉球新報の決意を支持します。

 2014年6月19日の琉球新報の社説は、「基地問題だけでなく、個人の表現活動や住民運動なども抑え込み、人権や民主主義よりも国や大企業など強者の論理、施策を優先する風潮が強まりかねない。特定秘密保護法も年内施行の見込みだ。国民の言論や表現活動を萎縮させ民主主義を形骸化させる動きに、司法までもが追従、加担するならば、もはや暗黒社会というほかない。とはいえ、人権や民主主義を守る取り組みに終わりはない。敗訴が確定した住民らも『今まで通り』と運動継続を誓った。言論機関としてもあらためて肝に銘じたい。」と、自らの反省を基に、静かにしかし強くその決意・使命を示して見せた。

 マスコミのあり方が批判されて久しい。読売をはじめとする大マスコミの本来の立ち位置を失った報道ぶりは、もはや無残という領域にまで落ちてしまっている。
 マスコミの立ち位置については、「中立でいいのか」という批判が、追い込まれた側からは疑問としてマスコミ側に常に投げかけられてきた。しかし、現在の状況は、権力を縛ることを目的とする立憲主義の解体に実行部隊としての役割を果たすような、むしろ強者の鎧を身にまとい、弱者に向けて権力そのものを振りかざそうとしている。
 だとしたら、琉球新報は、「人権や民主主義を守る取り組みに終わりはない。敗訴が確定した住民らも『今まで通り』と運動継続を誓った。言論機関としてもあらためて肝に銘じたい」との表明を通して、マスコミとしての立ち位置を、あらためてはっきりさせた。
 被害者・弱者に寄り添うことの使命と、権力者に向けて「異」の論理を突きつけることで闘いを挑むという決意は、もしかしたら、沖縄タイムスや東京新聞とともに、日本では希有の存在になりつつあるのではないか。 


 この間、沖縄からの異論の投げかけを自分たちの問題として、「ちゃーすが」(どうするのか)と考えることを大事にしてきた。
 今また、被害者・弱者に寄り添うことの使命と、権力者に向けて「異」の論理を突きつけることで闘いを挑むその決意を、一人一人が「あらためて肝に銘じる」ことが求められている。
 少なくとも、自分自身にまず問う必要がある。


by asyagi-df-2014 | 2014-06-20 19:49 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

安部晋三総理大臣


安部晋三総理大臣

 安部晋三総理大臣を考える上で、東京新聞の2014年6月16日も「首相『業代ゼロ』に重ねて意欲、将来的に年収要件下げも」という記事が、安部晋三を象徴的に示している。


以下、東京新聞引用。
安倍晋三首相は16日の衆院決算行政監視委員会で、残業代支払いなどの労働時間規制の適用を除外する「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入に重ねて意欲を示すとともに、対象者の年収要件を、検討中の「少なくとも1千万円以上」から将来的に引き下げる可能性に含みを残した。

 民主党の山井和則氏が「残業代ゼロだ」と批判したのに対し、首相は「日本人の創造性を解き放って付加価値を高めるには、残業代の概念がないような時間で働く人々が成果を挙げることが大切だ」と導入の狙いを説明した。年収要件については「経済は生き物だ。将来の賃金や物価水準は分からない」と述べた。

 この「経済は生き物だ。将来の賃金や物価水準はわからない」という発言こそが、安倍本人の有り様を示している。

 例えば、ここで、大飯委原発の差し止め判決と比べてみる。


「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。」


 この二つの差は歴然としている。判決の言う「人格権」などについての基本手的概念ががあるかないかということに尽きる。
 安部晋三総理大臣には、根本的にこうした基本的概念が欠けている。
立憲主義が何かを知らない。
 働く権利が何かを知らない。
 貧困からの解放が人類の長い懸案であることを知らない。
 基本的人権が何かを知らない。
 
 だからこそ、「集団的自衛権」、「残業代ゼロ」、「原発の再稼働」等々でなのである。
「3.11」を受けた政策の結論が「成長戦略」であるとしたら、あまりにも救いがない。


by asyagi-df-2014 | 2014-06-16 21:18 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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