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「70年内閣総理大臣談話」を考える(3)。

 2015年8月14日の内閣総理大臣談話について、各国の反応を次のように伝えた。

 韓国の反応を、朝日新聞は光復節の2015年8月15日、「『残念な部分が少なくない』と指摘しつつも、歴代内閣の歴史認識を継承するとした点に注目。今後は『誠意ある行動』が必要だとし、慰安婦問題の早期解決を求めた。」、「15日付の韓国各紙は安倍談話について詳細に分析し、「巧妙な言葉で『植民地支配への謝罪』を避けた」(朝鮮日報社説)などと批判が相次いだが、朴大統領は演説で具体的な問題点は取り上げず、不満を表明するだけにとどめた。今後の日本との関係改善を意識して、批判を抑えたとみられる。」と。

 北朝鮮の反応を、朝日新聞は2015年8月15日、「北朝鮮外務省の報道官は14日、戦後70年の『安倍談話』について、『日本の侵略の歴史についての誠実な認定と謝罪が込められていない』と批判する談話を発表した。朝鮮中央通信が伝えた。談話は『すべての過去の犯罪の清算を通じ、わが国をはじめとする周辺国の信頼をまず得なければならない』などとしている。」と。

中国の反応を、「中国外務省は14日深夜に談話へのコメントを発表し、『過去の歴史を正確に認識・対応し、正義を守ることは日本とアジアの隣国との関係改善の重要な基礎だ』と指摘。その上で『侵略の歴史に正面から向き合い、深く反省し、実際の行動でアジアの隣国と国際社会の信頼を得るよう求める』と、安倍首相の歴史認識を批判した。中国共産党関係者は『言葉は入っていても首相の誠意が感じられない』と、不信感を示した。
 ただ中国政府は、安倍首相が間接的でも『侵略』や『おわび』を明記したことで、日中関係改善を進めていくとの方針は今後も堅持していくとみられる。」と。

 台湾の反応を、「台湾の馬英九(マーインチウ)総統は『日本政府が今後も引き続き歴史を正視し、深く反省し、教訓を銘記することを期待する』と表明した。『建設的思考と責任ある態度で周辺国家との友好協力を発展させ、地域の平和と繁栄にともに努力すべきだ』とも呼びかけた。」と。

 米国の反応を、「米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官は14日、『第2次世界大戦中に日本がもたらした苦しみに対する痛切な反省を安倍首相が表明したことを歓迎する』との声明を発表した。」と。

 外国米メディアの反応は、「外国のメディアは、安倍首相の『おわび』が、過去の内閣の方針を引用する間接的な表現になったことや、次世代に『謝罪を続ける宿命を負わせてはならない』と述べた点に注目した。英BBCの東京特派員は、安倍首相が歴代首相の謝罪を踏襲したものの、『彼自身の新たなおわびではなく、過去の謝罪から距離をおいた』と紹介。『日露戦争がアジアやアフリカの人々を勇気づけた』という箇所については『修正主義的な歴史観で、安倍首相の支持基盤である右派の間で人気があるが、中国や韓国は受け入れないだろう』と解説した。英フィナンシャル・タイムズ紙は『首相は自ら明確な謝罪をすることを拒否した』とした。米ワシントン・ポスト紙も『過去の首相の謝罪を明確に繰り返すことを避けた』と報じた。またAFP通信は『深い反省を表明したが、将来の世代が謝罪し続けるべきではないとも強調した』とした。仏ルモンド紙も同様に『歴代内閣が表明した『痛切な反省』を『揺るぎない』としながらも、この悔恨を相殺するかのように、戦争を知らない世代にこの責任を背負わせてはならないと呼びかけた』と伝えた。ロシアのインタファクス通信も、『戦争に関係ない世代に、謝罪を続ける重荷を負わせるべきではない、と付け加えた』と伝えた。エジプトの政府系アハラム紙の電子版は『日本首相が深い悲しみを表明/新たなおわびなし』との見出しの英文記事を掲載した。」と。

 以下、朝日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-16 09:18 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「70年内閣総理大臣談話」を考える(2)。

 安倍晋三内閣の2015年8月14日の談話について、今回は、各紙の社説・論説の主張から考えてみる。
 
 各紙の主張は次のとおりである。

北海道新聞
・だが朝鮮半島などでの植民地支配は明言せず、西欧列強による植民地化の歴史に触れただけだった。先の大戦の「おわび」も「わが国は繰り返し表明してきた」と、間接的な表現にとどまった。
 中国や韓国とのこじれた関係を打開する和解のメッセージなのか―。国際社会も注視していた談話だが、これでは十分な説得力を持って伝わったとは言い難い。
 「子供たちに謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」とも述べた。ならば近隣諸国との間の問題の解決、和解を急ぐべきだ。
 中国や韓国が歴史問題を政治宣伝に利用するのであれば相互不信を招く。ただアジア諸国に計り知れない人的、物的被害を与えた日本の首相が率直に「おわび」を表明するのは当然だ。一般論にとどまったのは残念だ。
・自分で考え、声を上げる。その積み重ねが政治の方向を誤らせず、確かな未来を開くと信じる。」
河北新報
・似て非なる物。そんな印象を拭えず、多くの国民はもとより国際社会、わけても先の戦争で大きな被害を与えたアジア諸国の十分な理解と共感を得られるかどうか危ういと言わざるを得ない。安倍晋三首相がきのう、発表した「戦後70年談話(安倍談話)」である。」
避けてきた「侵略」「おわび」に触れ、先の談話のキーワードを全て盛ったものの、国際的原則や過去の談話に沿わせるなど、自らの真意を覆い隠すかのようだ。
 侵略やおわびの主体の不透明さも否めず、姑息(こそく)と受け取られかねない。説明は回りくどく、自身の認識を回避した格好で、歴史修正主義者との疑念を払拭(ふっしょく)できまい。
・避けてきた「侵略」「おわび」に触れ、先の談話のキーワードを全て盛ったものの、国際的原則や過去の談話に沿わせるなど、自らの真意を覆い隠すかのようだ。
 侵略やおわびの主体の不透明さも否めず、姑息(こそく)と受け取られかねない。説明は回りくどく、自身の認識を回避した格好で、歴史修正主義者との疑念を払拭(ふっしょく)できまい。
東奥日報
・安倍首相は会見で「不戦の誓いを堅持していくことが談話の最も重要なメッセージだ」と強調した。「侵略」「植民地支配」と認め、「おわび」すべきと考えているのであれば、その意思を明示していく必要がある。
岩手日報
・しかし、過去の談話に比べると、自身を主語にした明確な表現は消え、間接的な言い回しが目立つ。自身の歴史観に基づくぎりぎりの表現かもしれないが、首相の「本意」をめぐって今後の火種にならないか危惧もある。
・どうすれば、「宝物」をこれからも壊さないで守っていけるのか。「幾多の偶然や力学」ではなく、確かなものにしていく道を探りたい。
福島民報
・先の大戦への深い悔悟の念とともに、不戦の誓いの堅持を表明した。歴代内閣の立場を引き継ぐ形で、痛切な反省と心からのおわびも盛り込んだ。その上で未来志向の姿勢を打ち出し、これまで以上に世界の平和と繁栄に貢献する強い意志を示している。談話に込められた決意は、国民が支持する施策に反映されてこそ重みを持つ。首相には民意に寄り添い、平和国家の指導者にふさわしい丁寧な国政の運営を求めたい。
・日本が誤った方向に進まないよう、節目の年に平和への思いをさらに深め、国政を注視したい。
福島民友新聞
・過去の誤った戦争への反省に立ち、確かな未来をつくるための決意を国内外に発信したものと受け止めたい。
・ただ、この表現では「侵略」の地である中国、「植民地支配」の対象であった韓国などでは疑念を招きかねない。今後、国会答弁などで補足する必要があるだろう。
 首相が最後までこだわったとされる「おわび」については、「あの戦争に何ら関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べ、持論をにじませた。その上で、「世代を超えて、過去の歴史に真っ正面から向き合わなければならない」と述べ、過去を受け継ぎ、歴史を未来へと引き渡す責任を強調した。
茨城新聞
・しかし、村山談話や、それを踏襲して2005年に小泉純一郎首相が公表した戦後60年談話のように自らを主語としての明言ではない。その意味で、「侵略」「植民地支配」などの歴史認識や「反省」「おわび」を自ら断言しているものではない。
・ 安倍首相本人も「侵略」「植民地支配」と認め、「おわび」すべきと考えているのであれば、公の場で、そう明言すべきであろう。
中日新聞
・有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の報告書は「満州事変以後、大陸への侵略を拡大」と具体的に言及したが、安倍談話では「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」という部分だけだ。
・この表現だと、侵略の主体が日本なのか、国際社会一般のことなのか、明確にはなるまい。一九三一年の満州事変以降の日本の行為は明らかに侵略である。自衛以外の戦争を禁止した二八年の不戦条約にも違反する。アジア解放のための戦争だったという主張も受け入れがたい。
・「植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」との決意は当然としても、日本による植民地支配に対する反省とお詫びを表明したとは、受け取りがたい。
・将来にわたって、過去と同じ轍(てつ)を踏まないためには、侵略や植民地支配という「負の歴史」とも謙虚に向き合って反省し、詫びるべきは詫びる勇気である。
 戦争とは何ら関わりのない将来世代に謝罪を続ける宿命を負わせないためには、聞く者の心に響くような言葉で語る必要がある。それが戦後七十年を生きる私たち世代の責任ではないのか。
北國新聞
・村山談話などと比べて格段に長く、格調があり、よく練られている。抑制気味ながらも安倍政権が掲げる「積極的平和主義」の理念を押し出し、訴える力もあった。
・陛下のお言葉と、安倍談話にある「国内外に倒れた全ての人々の命の前に深くこうべを垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の哀悼の誠をささげる」とした文面には強い同調性が感じられる。
福井新聞
・平和は、よほど強い意志と行動力がなければ、それを実現し、維持することは困難であろう。70回目の終戦の日。戦争の加害と被害を体験しながら、苦しみ、廃虚から立ち直ってきた民の長い歴史である。真摯(しんし)に過去と向き合いたい。
・「政治は歴史に謙虚でなければならない」と強調したが、戦後50年の村山談話や60年の小泉談話に盛り込まれたキーワードの「植民地支配」「痛切な反省」「侵略」「心からのおわび」については両談話を引用した形にとどめ、「自らの言葉」では語らなかった。むしろ過去より国際平和へ向けた未来志向が強調された。
・「平和は力では保たれない。平和はただ分かりあうことで、達成できるのだ」-物理学者アインシュタインの警句をかみしめたい。
神戸新聞
・会見で首相は、大戦への反省とおわびを表明した「歴代内閣の立場は、今後も揺るぎない」とし、「不戦の誓いを堅持していく」と強調した。だが、談話発表までの複雑な経緯から、国民や周辺国の人々の心に響いたかは疑問と言うしかない。
・歴史認識をめぐる対立は、虐殺による犠牲者数、慰安婦募集時の強制性の有無、といった点に集中しがちだ。しかし、その違いをもって事実を否定する論理は国際社会では通用しない。事実を受け止め、なぜ溝が埋まらないのかを議論しなければ、国際社会の信頼も得られない。
 歴史認識とは、今を生きる私たちが過去の事実をどう受け止めるかであり、「今」が問われる。
紀伊民報
・戦争は多くの人命を奪い、あらゆる不条理を生み出す。そして歴史を振り返れば、いつの時代も政治が誤る可能性はある。そういう事実に私たちは、もっと謙虚になるべきではないのか。15日は終戦記念日。戦没者の冥福を祈り、あらためて平和を誓う日でもある。 しかし現実には、それに逆行する流れが強まっている。だからこそ戦争と戦後の混乱期の記憶、体験談を語り継ぐことの大切さをひときわ強く感じる。
山陽新聞社
・戦後70年の節目の「終戦記念日」を迎えた。今や国民の8割が戦後生まれとなった。「あの戦争は何だったのか」。私たちは折に触れて問い直し、あの戦争を知る努力をしなければならない。
・きのう安倍晋三首相は戦後70年の談話を発表した。開戦に至る世界情勢に触れ、「日本は外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みた」「国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」と述べた。従来の首相談話になかった部分である。国内の政治システムがなぜ歯止めにならなかったのか。「不戦の誓い」を堅持していくため、私たちはきちんと歯止めを持っているか。検証を続けなければならない
愛媛新聞
・先の大戦について「痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた歴代内閣の立場は、今後も揺るぎない」としたものの、首相自身がおわびの気持ちを有しているかどうか明言しなかった。近隣諸国が首相の歴史認識に対して抱いている不安を取り除くには遠く、失望を禁じ得ない
・とはいえ、山口代表が求めた「中国と韓国との関係改善に資するもの」には不十分だろう。残留孤児を育ててくれた中国人の「寛容の心」や、従軍慰安婦の存在に「忘れてはならない」と言及し韓国への配慮の姿勢は見せたが、これで両国の反発が和らぐとは思えない。中韓両国のマスコミも談話を批判的に伝えている。関係改善に向けて一層の努力が必要になったと肝に銘じるべきだ。
 「植民地支配から永遠に決別する」ことや、国際紛争を「力の行使ではなく、平和的・外交的に解決していく」のは当然のことだ。首相が成立させようとしている安保法案による「抑止力の向上」こそ、その平和を脅かすものとして多くの国民や周辺諸国から警戒されていることを認識しなければならない。
徳島新聞
・「反省」と「おわび」については「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」とし、「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」と強調している。これでは、安倍首相自身がどう考えているのか分かりにくい。首相は、自らの言葉で反省やおわびを率直に表明するべきだった。
・節目の安倍首相の談話は極めて重い。言行不一致とならないよう注視していく必要がある。
高知新聞
・安倍談話の侵略や植民地支配は一般論として否定されており、日本の先の大戦での行為だと明確にしていない。これらの曖昧さが、中韓を含む国際社会で議論になる可能性もある。
・首相の「抑止力が高まることで紛争を未然に防げる」という説明は、国民の理解を得るには至っていない。談話を出したことによって、さらなる説明を重ねる必要がある。強引に成立を図るのは言語道断だ。首相はもともと、歴代内閣の「おわび」などの表現を引き継ぐ必要はないというのが持論だった。それが曲折を経て、体裁だけは整えた感が否めない。談話にどう魂を入れていくか、首相が問われるのはこれからだ。
宮崎日日新聞
・一人一人に過酷な「戦後」を用意するのが戦争だ。前を向き歩んでいても、日常の中に逃れられない記憶を差し込み胸をえぐる。70年たっても自分だけ生き残ったと悔やみ続ける人の多さに、戦争の残酷さを思わずにはいられない。
・戦後70年のはずなのに、なぜ「戦前」を意識せざるを得ないのだろう。違憲の疑いが払拭(ふっしょく)されないまま法案成立へと突き進む政権の姿勢や、報道圧力問題、戦争はだめだと訴える若者団体への批判など、振り返ればさまざまある。国民を不安にさせてはならない。
佐賀新聞
・談話は歴史、外交研究者などの有識者による半年にわたる議論を踏まえている。それだけに総体としては国内外の評価に耐えるものだろう。歴史観は国民一人一人が持つもので多数決でも国が決めるものでもないが、国民的に共有できる部分も多いと思われる。
 また、英語に翻訳して世界に発信された。国際的な理解を得る努力として評価したい。私たちは戦後の日本の歩みに誇りと自信を持ち、国際的な評価を得ていることを確信している。それが中韓との関係を未来志向に切り替える力となるべきだ。
南日本新聞
・村山談話に否定的だった首相である。キーワードに言及したことは一定の評価ができる。
 ただ、首相談話は首相自ら述べたように「先の大戦に対する反省と戦後の歩み、これからの日本がどうなっていくか」を国内外に向けて発するメッセージだ。
 なのに、首相の本心が伝わってきたとは言い難い。「だれが、どんな行為を反省するのか」という具体性に欠けたからだろう。
 今後、国会答弁などで自らを主語に明言する必要がある。
・問われたのは、首相がどこまで主体的に過去の加害を直視できるか、ではなかったか。避けたような印象を与えたのでは、談話を出した意味が問われる。記者会見の質疑で「どのような行為が侵略にあたるのか、歴史家の議論に委ねたい」と答えたことも気掛かりだ。
琉球新報
・おわびは「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と歴代内閣による謝罪の経過を紹介する中で触れた。「歴代内閣の立場は、今後も揺るぎない」と付け加えたが、直接的な謝罪は避けた。
 侵略に関しては「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、二度と用いてはならない」「植民地支配から永遠に決別しなければならない」としたが、客観的表記にとどまる。「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」ことに触れたが、加害の立場に言及しなかった。
 一方で「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べた。これは「歴史に真正面から向き合う」姿勢と矛盾しないのか。それとも謝罪はもう十分ということなのか。
・首相は会見で「未来に向け世界で日本はどういう道を進むべきか」と問うたが、憲法の国民主権や平和主義に基づく戦後の歩みを続けることこそがその答えだ。市民よりも国家が優先された過ちを繰り返さないために、今こそ不戦の原点を見詰め直すべきだ。
沖縄タイムス
・たとえば「侵略」。「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と表現している。先の大戦における中国などに対する日本の行為を侵略とは言い切っていないのである。その後の記者の質問にも「具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては、歴史家の議論に委ねるべきだ」と答えているから、よけい疑念が募る。
・侵略や植民地支配とも主語がはっきりせず、加害者としての立場を意図的にぼかしていると言わざるを得ない。
・両立できないことをあえて両立させようとしたのが安倍談話である。それを象徴しているのが談話の「子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としながら、「それでもなお、日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」の下りである。両方に目配りするあまり意味を成さない文章となった。
東京新聞
・安倍談話は「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」として村山、小泉談話に言及し、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものだ」と受け継ぐことを言明した。
 この部分は評価するが、気になるのは個々の文言の使い方だ。
 首相が、七十年談話を出すに当たって参考となる意見を求めた有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の報告書は「満州事変以後、大陸への侵略を拡大」と具体的に言及したが、安倍談話では「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」という部分だけだ。
 この表現だと、侵略の主体が日本なのか、国際社会一般のことなのか、明確にはなるまい。
・「植民地」という文言も、談話には六カ所出てくるが、いずれも欧州列強による広大な植民地が広がっていたという歴史的事実を述べる文脈だ。
 「植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」との決意は当然としても、日本による植民地支配に対する反省とお詫びを表明したとは、受け取りがたい。
・将来にわたって、過去と同じ轍(てつ)を踏まないためには、侵略や植民地支配という「負の歴史」とも謙虚に向き合って反省し、詫びるべきは詫びる勇気である。
 戦争とは何ら関わりのない将来世代に謝罪を続ける宿命を負わせないためには、聞く者の心に響くような言葉で語る必要がある。それが戦後七十年を生きる私たち世代の責任ではないのか。
朝日新聞
・いったい何のための、誰のための談話なのか。
 安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。
 侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。
 しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。
 この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。
・「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」
 それ自体、もちろん間違いではない。しかし、首相自身が引き継ぐという村山談話の内容から明らかに後退している。
・出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。その責めは、首相自身が負わねばならない。
毎日新聞
・全体に村山談話の骨格をオブラートに包んだような表現になっているのは、首相が自らの支持基盤である右派勢力に配慮しつつ、米国や中国などの批判を招かないよう修辞に工夫を凝らしたためであろう。
 しかし、その結果として、安倍談話は、誰に向けて、何を目指して出されたのか、その性格が不明確になった。歴代内閣の取り組みを引用しての「半身の言葉」では、メッセージ力も乏しい。
・ただし、消極的ながらも安倍首相は村山談話の核心的なキーワードを自らの談話にちりばめた。「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を与えた」と加害性も認めた。その事実を戦後70年の日本はプラスに転化させる必要がある。すなわち、すでに定着した歴史の解釈に異を唱え、ストーリーを組み替えようとする歴史修正主義からきっぱりと決別することだ。
読売新聞
・先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう。
・首相が「侵略」を明確に認めたのは重要である。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話の見解を引き継いだものだ。
・「侵略」の客観的事実を認めることは、自虐史観ではないし、日本を貶おとしめることにもならない。むしろ国際社会の信頼を高め、「歴史修正主義」といった一部の疑念を晴らすことにもなろう。
・談話が表明したように、「21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードする」ことが、今、日本に求められている。談話は、戦争とは何の関わりのない世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とも強調している。
 この問題に一定の区切りをつけて、子々孫々にまで謝罪行為を強いられないようにすることが大切である。中国や韓国にも、理解と自制を求めたい。
・談話は、日本が今後進む方向性に関して、「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」を胸に刻みつつ、自由、民主主義、人権といった価値を揺るぎないものとして堅持する、と誓った。「積極的平和主義」を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献することが欠かせない。こうした日本の姿勢は、欧米や東南アジアの諸国から幅広く支持されている。

 「歴史の声」に耳を傾けつつ、日本の将来を切り拓ひらきたい。


 今回の社説等で際立った違いを見せたのは、朝日新聞と読売だった。
 朝日新聞は、「いったい何のための、誰のための談話なのか。・・・この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。」とまで言い放った。
 一方、読売新聞は、これは予想の範囲なのだが、「先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう。」とし、「『謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない』とも強調している。この問題に一定の区切りをつけて、子々孫々にまで謝罪行為を強いられないようにすることが大切である。中国や韓国にも、理解と自制を求めたい。」とまで言い切っている。
 果たして、読売新聞は、何を求めているのだろうか。


 さて、愛媛新聞の「先の大戦について『痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた歴代内閣の立場は、今後も揺るぎない』としたものの、首相自身がおわびの気持ちを有しているかどうか明言しなかった。近隣諸国が首相の歴史認識に対して抱いている不安を取り除くには遠く、失望を禁じ得ない。』との指摘が、今回の「70年」についての各新聞社の最大公約数的な感想ではないだろうか。
 だから、安倍晋三政権に対して、宮崎日日新聞のような「戦後70年のはずなのに、なぜ『戦前』を意識せざるを得ないのだろう。違憲の疑いが払拭(ふっしょく)されないまま法案成立へと突き進む政権の姿勢や、報道圧力問題、戦争はだめだと訴える若者団体への批判など、振り返ればさまざまある。国民を不安にさせてはならない。」という「声」が多く出されることにもなる。
 この意味を、この期において、安倍晋三政権は、じっくり噛み締める必要がある。
 最後に、安倍晋三政権には、中日新聞の「将来にわたって、過去と同じ轍(てつ)を踏まないためには、侵略や植民地支配という『負の歴史』とも謙虚に向き合って反省し、詫びるべきは詫びる勇気である。戦争とは何ら関わりのない将来世代に謝罪を続ける宿命を負わせないためには、聞く者の心に響くような言葉で語る必要がある。それが戦後七十年を生きる私たち世代の責任ではないのか。」と、福井新聞の「平和は、よほど強い意志と行動力がなければ、それを実現し、維持することは困難であろう。70回目の終戦の日。戦争の加害と被害を体験しながら、苦しみ、廃虚から立ち直ってきた民の長い歴史である。真摯(しんし)に過去と向き合いたい。」という言葉を贈る。

 以下、各新聞社の社説・論説等の引用。(非常に大量印刷になります)





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-15 17:59 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「70年内閣総理大臣談話」を考える。

 安倍晋三内閣は2015年8月14日、内閣総理大臣談話を閣議決定し、閣議終了後、首相官邸で記者会見を行い、この談話を発表した。
 内閣が、この談話を出すことについて、最も問題になった「植民地支配と侵略」と「お詫び」がどのように書き込まれているかについて、50年談話(以下、「50年」)、60年談話(以下、「60年」)、70年談話(以下、「70年」)のそれぞれを比べるなかで、この「内閣総理大臣談話」について考える。
 まず、「植民地支配と侵略」について。
 「50年」は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」と。
 「60年」は、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。」と。
 「70年」は、次の表現がそれに当たる。


 「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。」
 「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。」
 「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。」


 こうして並べてみると、すぐに気づかされるものがある。
 「50年」の「わが国は、・・・戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって」という表現及び「60年」の「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって」という表現における「植民地支配と侵略」を侵した者の主語は、明確にわが国(我が国)になっている。
 しかし、「70年」の「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」という表現では、その「計り知れない損害と苦痛」が「植民地支配と侵略」に当たるのかどうかが不明確であるし、同様に、「私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去」「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。」という表現では、その「過去」に日本の「植民地支配と侵略」の歴史の事実が含まれているかどうかが明確になっていない。
 また、「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。・・・先の大戦への深い悔悟の念と共に」という表現の中には、「植民地支配と侵略」を侵した者は誰なのかという「主語」が意図的に書き込まれていない。
 そこでは、ただ単に、「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」とされ、「事変、侵略、戦争」が自らの「植民地支配と侵略」の歴史の事実を謙虚に受け止めるものとして認識されるのではなく、単に、一般論として述べられているに過ぎない。
 実は、日本の「植民地支配と侵略」の歴史の事実が含まれているかどうかが、「70年」と「50年」及び「60年」との大きな違いになっている。
 それどころか、「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」と、自らを西洋諸国からの植民地支配からの解放者とさへ位置づけてしまっている。
 これでは、「インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史」を、日本が胸に刻みこむことで努力していくことを、この国々が理解することには繋がらない。


 次に、焦点化されていた「お詫び」の問題については次のようになっている。
 「50年」は、「疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」とあり、疑うべくもないこの歴史の事実(植民地支配と侵略)を侵した者としての「お詫び」となっている。
 「60年」も、「こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する」とあり、こうした歴史の事実(植民地支配と侵略)を侵した者としての「お詫び」となっている。
 しかし、「70年」は、「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。」としか表現されてない。
 つまり、「植民地支配と侵略」を侵した者は誰なのかという「主語」が書き込まれていないことが、どういうことをしたことに対して「お詫び」するのかということを不明確にしてしまっている。誰に「お詫び」しているのかもわかりにくくなっている。
 「50年」の「疑うべくもないこの歴史」や「60年」の「こうした歴史の事実を」という場合の「歴史」という表現は、明確に「植民地支配と侵略」の「歴史」を指してきており、歴代内閣は、その歴史の事実を謙虚に受け止めようとしてきた。
 「70年」では、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、ゆるぎないものであります。」という表現はされているが、これまでの日本の「植民地支配と侵略」の歴史の事実を明確にはしていないため、安倍晋三内閣とこれまでの内閣との継続性が失われることになる。


 さて、内閣総理大臣の談話内容として気になることは、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」という文章が、全体として非常に矛盾したものになってしまっていることである。
 本音としての「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言いたいために、それでは歴史の事実を否定しかねないので、「しかし」以降を無理につけ加えた格好になり、文章として破綻している。
 結局、ここにこそ、この「70年」が、「植民地支配と侵略」の歴史の事実をまさしく否定する主張であったことに、気づかされる。


 最後に、「積極的平和主義」について、「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」と、触れられている。
 ただ、ここでも「積極的平和主義」についての具体的な肉付けはされておらず、イメージの植え付けだけに利用されていることは否めない。

 以下、「50年」、「60年」、「70年」の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-15 08:11 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「大きな誤解を与えて大変申し訳なく思う」と、発言を取り消して謝罪したことだけで、終わることが正しいことか。

 「法的安定性は関係ない」と発言した礒崎陽輔首相補佐官の参考人招致に関して、朝日新聞は2015年8月3日、「安全保障関連法案を審議する参院の特別委員会は3日午後、『法的安定性は関係ない』と発言した礒崎陽輔首相補佐官を参考人として招致した。礒崎氏は『私の軽率な発言により審議に多大な迷惑をかけたことをおわび申し上げる』と陳謝。自らの進退については『法案の審議に迷惑を与えることなく、首相補佐官としての職務に精励していく』と辞任を否定した。」と、報じた。
「冒頭、礒崎氏は『もとより法的安定性が重要であることを認識している。あくまでも合憲性、法的安定性を当然の前提とした上での発言だが、大きな誤解を与えて大変申し訳なく思う』と語り、発言を取り消して謝罪した。」と、磯崎氏側の対応が伝えられた。

 しかし、国会で法案が「違憲」であるかかどうかについて論議している中での発言である。どのように考えても、このまま、「許してください」発言だけで済まされる事例ではない。
 礒崎陽輔首相補佐官の辞任と安倍晋三首相の「任命責任」が追及されなくてはならない。

 以下、朝日新聞の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2015-08-03 17:45 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

水島朝穂教授のSEALDsでのスピーチ

水島朝穂のこの声は、どうしても伝えたいと思いました。

 今、新しい民主主義が国会前で始まっている。それはなにか。今まで私が、45年前、高校生でここでデモをやった時、どっちかというと後ろからついていったデモだったんですけど、全然違うの。今日、先頭で、学生といわゆる学者が一緒に歩いたんですよ。
 そして、『民主主義って何だ』って彼らが問うたら、『これだ』と言ったんですよ。私、初めて、憲法やって33年、飯食って来ましたが、今日、初めて、憲法って何だって分かりました。

 IWJの「水島朝穂教授スピーチ書き起こし」の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-03 05:41 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

原発再稼働に批判的な テレビ・コメンテーターには「各個撃破」を。

 朝日新聞は7月31日、こんな記事を掲載しました。

「自民党の大西英男衆院議員(東京16区)が、7月30日に党本部であった原子力政策の会合で、原発再稼働に批判的なテレビ・コメンテーターについて『エネルギー庁をはじめ役所の方が、個別にどんどん正確な知識を知らしめていくべきだ。各個撃破でいいから、ぜひ行って、みなさんの持っている知識を知らしめてください』と発言していたことが分かった。コメンテーターらに対し『やつらも一応インテリ』などとも語っていた。」

 大西英男衆院議員とは、6月25日の自民党の議員37名が参加する「文化芸術懇話会」の会合において、今国会に上程された安全保障法案を批判する「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」などの報道の自由の弾圧事件の当事者である。
 この一連のことに対しては、「政権与党に批判的な報道内容を、経済的圧力によって封じ込めることを意図するものであり、憲法21条によって表現の自由を保障し、自由な言論の場を通じて民主政治を実現することを目指す日本国憲法の基本理念にもとるものである。有志の勉強会とはいえ、政府に対して直接・間接の影響力を持つ存在である政党の議員が多数集まる場での発言は、それ自体が報道機関の萎縮を招くおそれがあり、到底容認できない。」(日本弁護士連合会は、2015年7月24日、「報道の自由を尊重することを求める会長声明」)と、押さえてきている。

 こうした大西議員の行為は、意図的に報道機関の萎縮を招くために行った、許されないものである。
 
 以下、朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-08-01 11:24 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

ちょっと、新聞の記事を読み返してみて。安倍語。

 私たちの情報源は、ネット社会とは言え、限定的なものになる。
 その情報源を種々選択して、判断することになる。
毎日新聞の特集の特集に面白いものを見つけた。「安倍語」の研究である。

「アソウくんとアベくんが一緒に歩いている。不良がアソウくんに殴りかかる。私もこれを守る。これが今度の法制でできる」(7日、自民党のネット番組)から「アメリカの家が燃えて、離れに火が燃え移っても日本は何もしない。でも風向きで、離れの火が日本家まで来そうなら日本の消防士は道の上から離れの消火活動ができる」(20日のフジテレビ)まで。
 こんなことを言っていたのだな。
 この安倍語に、「噴飯ものです。火事と、集団的自衛権や武力の行使を同列に語ることが、信じられません」と首を振った内閣官房副長官補を務めた元防衛庁官房長柳沢協二。「この法案は海外で武力を行使し、あるいは敵の標的となって撃たれ、テロ攻撃の対象になり得ることを自衛隊にさせる内容で、火事にたとえられるはずがありません。火は時に消防士を危険にさらしますが、日本そのものを燃やそうとの意図は持ちません。でも戦争は違う。武力行使された相手は、必ず自衛隊と日本に反撃するし、それは同時に国民に危害が及ぶ恐れがあることを意味する。なぜそんなリスクを国民や自衛隊が冒さなければならないのか、安倍さんの説明はそこがすっぽり抜け落ちているんです」と、切って捨てさせている。
 確かに、そうだなと思っていたら、次にもっと進む。
 「そもそも比喩の成立条件を満たしていない。採点する以前の問題です」と比喩表現の専門家である佛教大の瀬戸賢一教授に両断させる。
 「比喩の本質は抽象的な言葉を具体化することなんです。『受験戦争』という言葉から分かるように、戦争は具体的な現象・行為なので『たとえられる側』なんです。ですから、集団的自衛権の行使を火事にたとえるのはレトリックとして本末転倒で、実態を矮小(わいしょう)化して危険です」と。
 そういうことだな。

 安倍語もさらに進む。
 孟子の言葉「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾(われ)ゆかん」を引用し、「しっかり議論をしながら、これはもう間違っていないという確信を得たら実行していこうということ」(21日日テレ)について、「この孟子の言葉は千人万人の反対があってもひるまずに進むという意味だが、『正しければ』を示す『縮くんば』は、ひとりよがりの正義ではないと、中国思想史が専門の小島毅・東大教授は指摘し、『持論を押し通すのではなく、自分の意見が道理にかなっているかどうかを見つめるという意味です。君主は人徳を磨くべきだという話を、議会で選ばれた首相が自分と異なる意見を無視する論理として引用するのは、本来の趣旨から外れています』と首をかしげる。」と、異論を際立たせる。
 さらに、安倍語として使用頻度の高い、孟子の一節「至誠にして動かざる者 未(いま)だ之(こ)れ有らざるなり」についても、次のように、駄目を出す。

「『誠』は、中国の儒学では宇宙の真理・法則に基づく正しい行為と解釈される。だから誰もが納得するという意味です」。しかし、安倍首相が尊敬する長州(現山口県)出身の思想家、吉田松陰らは「誠意を尽くせば必ず相手に通じる」と説き、さらに「政敵に誠意が通じない場合は無視してかまわない、という思想に変えてしまった」(小島教授)。

 結局、「安倍首相の政治手法も、孟子の教えより松陰流の解釈にのっとっていると見る。」と、以外と深い批判。

 次に、国民の「反対」の声について「日米安保の改定の時も、PKO(国連平和維持活動)の時も批判があった」(20日、フジテレビ)という発言について、柳沢協二の反論で、次のようにバッサリ。

「国民が安保改定やPKOに反対したのは、日本が海外で武力行使することに不安を覚えたからです。でも自衛隊は誰も殺さず、あるいは殺されないという実績を重ね、国民の理解を得てきた。安保法案はこれを180度転換し、長年の実績を壊す内容です。次元が違う」。普段は温和な声を、この時ばかりは荒らげるのだ。」

 最後に、毎日の視点は、安倍語録だけでなく、TBSの金平茂紀の「たとえが稚拙とかよりも、安倍さんにそういう舞台を提供することのほうが僕は深刻だと思う」という言葉に集約させる。

 毎日は、「『安倍語』の正体をえぐり出せるかどうか。追及する野党だけでなく、メディアも注視されている。」と、少なくともその決意をにじませている。

 以下、毎日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-01 05:37 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「慰安婦問題で反論」との自民提言に安倍首相「誤りは正す」と。

 時事通信は2015年7月28日、「自民党は28日、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、国際社会に事実誤認があるとして、積極的に反論するよう政府に求める提言を了承した。この後、稲田朋美政調会長らが首相官邸に安倍晋三首相を訪ね、提言書を手渡した。首相は「しっかりと受け止める。誤った点は直していかなければならない」と応じた。」と、報じた。
 また、この提言について、「提言は『日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会』(委員長・中曽根弘文元外相)がまとめた。河野洋平元官房長官が1993年に、旧日本軍の関与を認めて謝罪する内容の談話を発表した後の発言や、朝日新聞が誤報と認めて取り消した故吉田清治氏の証言に基づく記事を取り上げ、『強制連行があったかのような事実に反する認識を国際社会に広めた大きな原因になったと言わざるを得ず、重大な問題だ』と指摘した。
 具体的な対応として、慰安婦問題に関する諸外国の報道や出版物について、事実誤認と判断した場合は、政府が率先してウェブサイトや新聞に投稿し、日本の立場を説明するよう要請。また、『性奴隷』との表現を含む慰安婦の碑や像を設置する動きのある各国の地域への働き掛けも求めた。
 一方で、提言は『戦時中に慰安所が設置され、女性を民間業者が募集し、働かせたことは事実であり、根本的に女性の人権と尊厳を著しく傷つけたという点に議論の余地はない』と認めた。」とも、伝えた。
 この自民党の提言に対しての反応について、時事通信は28日、「韓国外務省は28日、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、自民党が国際社会に積極的に反論するよう求める提言書を安倍晋三首相に手渡したことについて、『「深刻な憂慮を表明せざるを得ない』と批判するコメントを出した。」と、韓国の反応を伝えた。
 さらに、従軍慰安婦問題をめぐる米下院の対日非難決議から8年が経過したことを記念する集会に韓国から駆け付けた元慰安婦の李容洙さんの「いつになれば正しい歴史を直視できるのか。がっかりした」、「私は悲劇を生き抜いた証人だ。(自民党は)うそをついている」、「正しい歴史を受け入れ、公式の謝罪と補償に踏み出してほしい。子どもたちのために平和に問題を解決することを望んでいる」、との痛切な声を報じている。

 自民党はじめこうした主張をする人たちは、いつまでこのような人権侵害を続けるつもりなのか。
 どうして、李容洙さん達に、「私は悲劇を生き抜いた証人だ。(自民党は)うそをついている」と言わせ続けるのか。
 すでに、「慰安婦に対する募集、移送、管理などの強制性は国際社会が明白な判定を下した歴史的真実だ」ということは、証明されている。

 以下、時事通信社の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2015-07-31 05:30 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

安保関連法案-ある良心のいくへについて

 安保関連法案をめぐる創価学会の動向について、毎日新聞は2014年7月27日、「安全保障関連法案審議の舞台が参院に移った。日を追って国民の批判が高まる中、自民と足並みをそろえる公明党の足元で、地方議員や支持母体の創価学会員たちの反発や離反が起きている。平和を訴え、与党の「ブレーキ役」を自任する党はどこへ向かうのか。」と、報じた。

 ある良心の行くへについて、感心はあります。


 以下、毎日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-07-30 06:00 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

朝日新聞の「『一般に』って? 考えた」を考えた。

 朝日新聞は、2015年7月26日に記事で、「『一般に』って? 首相が安保審議で多用する背景は。」をこのように分析してみせた。

・5~7月の衆院での審議で、首相は「一般に」や「一般」といった語句を、この答弁と同じように80回以上使っている。
・どうやら、安倍の方法論は、「安倍首相も今国会で「一般に」を繰り返す。しかし、使い方は明らかに違い、「例外」とセットだ。たとえば、「一般というのは、完全に全部ではないわけで、ほとんどがそう、ほとんどがだいたい該当する。しかし例外を全く排除はしていない」(6月1日)という具合だ。」、らしい。
・このことは、「なぜ首相は、このように「一般」を使うのか。内閣法制局の関係者は、「霞が関用語で『一般』を使うのは、『例外』を想定している時」という。「鈴木内閣の答弁書も理論上は例外を想定している。しかし、実際には想定できないから『例外』について触れていなかった。一方、安倍首相は『例外』を具体的に想定している」。つまり、例外なき一般から、例外つき一般に変わったというのだ。」、らしい。
・このことを、専門家が分析すると、「『一般に』『例外』を多用すると、あいまいさが増す。例外の範囲が拡大解釈され、何でもありになってしまう可能性がある」、となるらしい。
・だから、こう言いたい、「法律に明示するのは「一般」だが、政策判断で「例外」が生まれてくる。だから、「一般」「例外」を多用すると、政策判断の度合いが増えていくというわけだ。」と。
・記者はう言う、「とはいえ法律の歯止めが弱く、政府の政策判断の余地が大きい仕組みは、何とも危うく見える。例外を前提にすれば、「海外派兵は一般に許されない」という言葉は何も言っていないのと同じではないだろうか。
 安倍首相は、今は控えめに映る。でも将来の首相はどうだろう。都合の良い「自分ルール」でどんどん例外を加える。そんなことができない仕組みが必要だと思う。」

 面白い記事ではあるが、なんとも危うく見えるどころでなないこの安保関連法案を止めるために、朝日新聞はどうするのだろうか。朝日新聞の決意を聞きたい。
 以下、朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-07-26 13:35 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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