2017年 08月 06日 ( 3 )

沖縄-辺野古- 高江-から-2017年8月6日

「米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが現地時間の5日午後4時ごろ、オーストラリア東部クィーンズランド州沖合の海上に墜落した。」(琉球新報)。
 米軍が「墜落」と認めなくとも、これほどの危険性のあるものは、空を飛んではいけない。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2017年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。

 2017年8月6日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-普天間所属のオスプレイ墜落 オーストラリア沖-2017年8月6日 00:53


 琉球新報は、「米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが現地時間の5日午後4時ごろ、オーストラリア東部クィーンズランド州沖合の海上に墜落した。洋上展開中の艦船への着艦に失敗したとみられる。在沖海兵隊は乗員26人中23人を救出したが、3人が行方不明だと発表した。普天間飛行場所属のオスプレイの墜落事故は2016年12月の名護市安部の浅瀬への墜落に次ぎ2度目。」、と報じた。
 また、「開発段階から〝欠陥機〟と指摘され続けている同機の危険性が改めて示された格好で、日常的に同機が頭上を飛び交う県内では不安が広がっている。」、と伝えた。


(2)沖縄タイムス-オスプレイ墜落:小野寺防衛相「事故情報開示、米に要求」-2017年8月6日 11:36


 沖縄タイムスは、標題について次のように報じた。


①「小野寺五典防衛相は6日、オーストラリアで発生したMV22オスプレイの墜落事故について、『米側にはしっかりとした情報開示を要求している』と述べ、米側へ安全性の確保を求める考えを示した。NHKの報道番組で答えた。」
②「早期の沖縄訪問を検討している小野寺氏は番組終了後、『沖縄側もこの問題についてさまざまな不安があると思う。その声をしっかりと受け止めていきたい』と述べ、それまでに事故の内容が分かれば、県側に報告する考えを示した。防衛省関係者によると、14日にも来県する方向で調整している。」
③「小野寺氏はオスプレイの飛行停止の要求については、『事故原因(次第)での対応ということになる』と述べるにとどめた。」
④「菅義偉官房長官も同番組でオスプレイの事故について、『安全が最優先することは事実だ。原因究明をとにかく最優先で行っていただきたい』と述べた。」


(3)琉球新報-「地獄の光景」に戦後も足震え 新垣和子さん 平和のため広島へ きょう原爆の日-2017年8月6日 08:30


 琉球新報は、標題について次のように報じた。


①「『足がガクガク震え、広島駅に降りられなかった…』。16歳で被爆し、6日の平和記念式典に初参加する新垣和子さん(88)=那覇市=は、実は一度、被爆地の広島を再訪しようとしたことがある。その時、あの日の記憶がよみがえってきた。『今回は大丈夫だろうか』。真夏の長距離移動で体調の不安もある。それでも『行かないと後悔する』と決意は固い。」
②「太平洋戦争末期の1945年8月6日、岡山県に疎開していた新垣さんは前夜から広島市の旅館に泊まっていた。母親と一緒に、戦地で負傷した兄を見舞うためだった。警戒警報が解除され、身支度をしている時だった。旅館が激しく揺れ、天井が落ちてきた。地上約600メートルで原爆がさく裂したのだ。爆心地からわずか約1・5キロだったが、新垣さんも母親もかすり傷で済んだ。外は『地獄の光景』だった。やけどで皮がむけ、肉があらわになった人。『助けてー』『お母さーん』『痛い!』の叫び声。『川は血の海で人がぽこぽこ浮いていた』。新垣さんは死体を越えて歩き、何とか救護所にたどり着いた。」
③「戦後10年ほどたって、新垣さんは両親の出身地の沖縄に移った。ある日、親戚の前で母が『ピカドン(原爆)に遭った』と話した。返ってきた言葉は『「あんたたちは楽だったね。私たちは(沖縄戦で)何日も泥の中を移動したのよ』だった。米国統治の下、原爆の実態は県民に知らされていなかった。新垣さんはその一件以来、被爆体験を心の中に押し込んだ。結婚し、3人の子どもを授かった。孫も3人いる。6、7年前、友人と関西を旅行した際、誘われて広島へ向かった。広島駅で降車しようとすると、足が震えて動けなくなった。新垣さんは『目の前に救護所の光景が現れた』と言う。」
④「『全身の皮がめくれて【痛いよー、痛いよー】と言って走り回る5、6歳の少年がいた。夜、うめき声で眠れない。窓の外を見ると、その子が死体と一緒に船に乗せられていた。助からなかっただろう。この話は母にもしていない』」
⑤「今回、県原爆被爆者協議会の要請を受け、平和記念式典への参加を決めた。12年前に胃がんを患い、胃の3分の2を切除した。めまいもあり、毎食後、7~12種類の薬を服用している。それでも、72年ぶりに広島に向かう。【被爆時に泊まっていた旅館の経営者は即死だったと思う。私は生かされたけど、ずっと逃げているような気がしていた。被爆者一人一人の話を聞いて、平和のためにつながりたい」


(4)沖縄タイムス-原爆と沖縄戦、正しく伝えたい 広島のガイド・村上さん、語り継ぐ決意 あす原爆投下から72年-2017年8月5日 19:50


 沖縄タイムスは、標題について次のように報じた。


①「『平和記念公園は大きなお墓なんよ』。穏やかな口調で、原爆ドームを訪れた子どもたちに語り掛けるのは村上正晃さん(24)。胎内で被爆した三登浩成さん(71)を中心としたボランティアガイドグループの一員として原爆被害の実相を伝える。地上戦で多くの人々が犠牲になった沖縄にも思いを重ね『歴史を正しく伝えないと、悲劇が繰り返される』。6日で原爆投下から72年。被爆者が減る中、戦争の悲惨さを伝えるため、原爆ドーム前に立ち続ける。」
②「広島県瀬戸田町(現尾道市)出身。大学4年生だった3年前、語学力を身に付けたいと考え『平和記念公園には外国人がたくさんいるから』とガイドを始めた。最初は道案内をこなしていたが、観光客に原爆のことを聞かれ、何も知らない自分に気付いた。その後、原爆に関する資料を読み、被爆者から直接話を聞くうち、語り部が減る現状を目の当たりにした。卒業後も就職せず、ガイドを続けることを決意した。」
③「ガイドとして戦争を学ぶうち『沖縄戦を知りたい。知らなければならない』と思った。昨年の『慰霊の日』に来県。平和学習プログラムを開発した沖縄の企業『がちゆん』のメンバーとともに、糸満市の平和祈念公園などを訪ねた。沖縄戦は『極限状態』が長期間続いたことを実感。村上さんは『住民の恐怖は想像を絶するものだったと思う』。原爆とは異なる戦争の悲惨さを学び、各地で語り継ぐことの意味をかみしめた。」
④「ただ、ガイドはボランティア。村上さんはアルバイトで生計を立てる。午前10時半から午後4時までガイドをした後、午後5時から居酒屋で働き、帰りは午前2時を越えることもある。村上さんは『時間や金銭面を考えると、ボランティアでガイドを続けることは難しい』と話し、『若い世代が続けられるような仕組みがあれば、もっと広島の発信力が高まる』と真っ黒に日焼けした顔で語った。」


(5)沖縄タイムス-対話強調も「辺野古が唯一」は揺るがず 小野寺防衛相、早期の来県検討【深掘り】-2017年8月6日 12:45


 沖縄タイムスは、標題について次のように報じた。



①「小野寺五典防衛相が早期の沖縄訪問を検討している。政府は、名護市辺野古の新基地建設で県との対立を深めているが、『対話は重要』と強調し、沖縄に寄り添う姿勢を見せる。だが、官邸主導の『辺野古唯一』は揺るがず、柔らかな姿勢の裏に強行路線が見え隠れする。県は対話自体は歓迎し、政府の基地政策の見直しを求める考えだ。ただ、辺野古に関しては『建設ありき』の政府と議論を重ねても結論は同じと、冷めた見方が広がる。」(政経部・大野亨恭、東京報道部・大城大輔)
②「閣僚や国会議員は、休日は地元や担当分野の視察で地方を訪れることが多い。小野寺氏は2012年12月から約1年9カ月の前回の在任時、休日返上で150カ所の駐屯地を回り、省や自衛隊から信頼を得た。だが、このところは北朝鮮がミサイル発射を続け、防衛相は休日も容易に都内を離れることができない。そんな中で小野寺氏が早期の沖縄訪問を希望するのはなぜか。防衛省関係者はこう語る。『合意点を見いだせるかは分からないが、沖縄へ行き、知事の話を聞くのは変なことではない。厳しい意見をぶつけられるかもしれないが、大臣の性格なら耳を傾ける』」
③「一方、13年の埋め立て承認時に基地行政に携わった県関係者は、最近になり返還条件が取り沙汰されている統合計画や埋め立て承認を念頭に、『今につながる基地問題の重要な節目に立ち会ってきた小野寺氏ほど適任者はいない』と皮肉を込める。県幹部は『対話は否定しない』としつつ、『官邸主導の中、ねじを戻してゼロベースからスタート、とは絶対にならないだろう』と冷ややかだ。」
④「辺野古の工事は今後、サンゴの移植など、知事の許可を得なければいけない場面も想定され、小野寺氏も『協力が必要なものもたくさんある』と話す。だが『辺野古唯一』は変わる気配はない。背後には官邸主導の『強行路線』がある。県幹部は、工事着手前の事前協議に応じない防衛局の姿勢を挙げ、『ルールに従ってほしいという県の要請や、疑問への照会には一切答えず、一方的に協力要請をするのはフェアじゃない』と不快感を示す。
さらに、嘉手納基地でのパラシュート降下訓練や旧駐機場の継続使用問題など『一丁目一番地』(県幹部)の課題も山積する。幹部は、『問題が解決するのか、動かないのか。対話を重視し、沖縄に寄り添う姿勢の本気度が問われている』と指摘する。」


(6)沖縄タイムス-小野寺防衛相、オスプレイ飛行自粛を米に要求-2017年8月6日 15:14


 沖縄タイムスは、「オーストラリア沖で米軍普天間飛行場所属のMV22オスプレイが墜落したことを受け、小野寺五典防衛相は6日、国内で同機の飛行を自粛するよう米側に求めた。防衛省で記者団に明らかにした。10日から北海道で実施する日米共同訓練へのオスプレイの参加は、『飛行自粛を申し入れたことを踏まえ、米側と調整したい』と述べ、明言を避けた。同訓練には普天間所属のオスプレイ6機が参加する予定だった。」、と報じた。




by asyagi-df-2014 | 2017-08-06 18:10 | 沖縄から | Comments(0)

米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが墜落。(1)

 朝日新聞は2017年8月6日、標題について次のように報じた。


(1)沖縄を拠点とする米海兵隊の垂直離着陸機オスプレイMV22が5日午後4時(日本時間午後3時)ごろ、オーストラリア北東部沿岸で訓練中に墜落した。米海兵隊によると、搭乗していた26人のうち23人が救助されたが3人が行方不明で捜索が続けられている。事故機は、キャンプ・ハンセン(沖縄県金武町)に司令部がある第31海兵遠征部隊の所属。海兵隊が米本土以外で唯一、常時前方展開している沖縄の第3海兵遠征軍の機動部隊だ。米豪の合同演習「タリスマン・セーバー」に参加するため、現地を訪れていた。
(2)豪国防省の発表によると、墜落地点はクイーンズランド州ロックハンプトン近くのショールウォーター湾。世界最大のサンゴ礁で知られるグレートバリアリーフの一角だ。豪紙デイリー・テレグラフ(電子版)は豪国防省筋の話として、事故は米空母ロナルド・レーガンに着艦しようとした際に起きたと報じた。事故原因は不明で、第3海兵遠征軍はツイッターで「分かり次第、より詳細を提供したい」と伝えた。
(3)米海兵隊によると、強襲揚陸艦ボノム・リシャールから船や航空機を出して救助作業をしている。
(4)オスプレイは2012~13年にかけて米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に24機が配備され、陸上自衛隊も配備する計画だ。ただ開発段階から事故が相次いでおり、構造上の問題を指摘する意見もある。00年には米アリゾナ州で墜落し、19人が死亡。15年5月には米ハワイ州オアフ島で訓練中に着陸に失敗し、海兵隊員2人が死亡した。
国内では昨年12月、沖縄県名護市沿岸で大破する事故を起こした。沖縄県は事故から1週間足らずでの飛行再開に「拙速だ」と強く反発した。
(5)米海兵隊のオスプレイは10~28日、北海道で陸上自衛隊との日米合同訓練に参加する。道内の訓練に参加するのは初めてで、地元では安全性を懸念する声が強まりそうだ。訓練は北海道大演習場(恵庭市、千歳市など)、上富良野演習場(上富良野町など)、矢臼別(やうすべつ)演習場(別海〈べつかい〉町など)の3カ所で実施される。市民団体「北海道平和運動フォーラム」(札幌市)は1日までに、北海道防衛局と道、演習場に隣接する各市町村に対し、訓練の中止を求めて文書で申し入れている。また道と演習場の地元9市町は3日、安全管理の徹底などを求める要請書を北海道防衛局に提出した。
(6)陸上自衛隊が導入するオスプレイをめぐっても、佐賀空港への配備計画について地元漁協が事故などを懸念して反対している。
(シドニー=小暮哲夫、ワシントン=土佐茂生)


 オスプレイの墜落。
 これほど続くことは、もはや「欠陥」を言い逃れできない。
 日本政府は、きちんと対応しなければならない。




by asyagi-df-2014 | 2017-08-06 14:12 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第71回

沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。



 今回の報告は、「高江から宮古島へ~雪音さんと育子さんからのエール~(三上智恵)」です。
 三上さんの次の言葉が、今回の報告の核心を突きます。


①「変な言い方かもしれないが、私は自分の映画のファンだと思う。自分で散々編集した映像なのに、ただの観客のように心を躍らせて見入る場面がある。正確には作品のファンと言うより、登場人物のファンなのだ。」

②「しかし、高江のヘリパッド建設に反対して10年も頑張ってきた結果が、去年後半の工事強行であり、6つのヘリパッドがすべて完成という現実である。」

①「国が住民を裁判にかけ、地形や集落ごと訓練に取り込んでオスプレイを飛ばそうという人権無視の基地計画は、とてもじゃないが容認できない。絶対に止めなければならない。そう思って特集を連打し、放送用ドキュメンタリーの限界を超えようと映画にまでして突っ走ってきた私は、『結局は止められなかった』という現実に、正直に言ってまだ向き合えていない。」


 そして、報告は始まります。


(1)そう思って去年の秋、山里節子さんら石垣のおばあたちと、宮古島の石嶺香織さんや楚南有香子さんを辺野古と高江に案内して住民たちと出会うチャンスを作った。高江の人たちは特に、これから防衛局を相手する先島の人たちにどんな場面が待っているのか手に取るようにわかるだけに、彼らの不安を丁寧に受け止めて「一緒に頑張りましょう」と先島の女性たちの手を強く握ってくれた。
(2)そして7月15、16日、ついに雪音さんと育子さんが宮古島に行く機会がやってきた。私はとっても嬉しかった。何より、すでに航空自衛隊の基地と共存しながら、さらにミサイル基地ができたら挟み込まれてしまう運命の野原(のばる)集落の人々と直接ひざを交えて話す機会が作れたのが大きい。野原出身で、自衛隊配備に反対する上里樹宮古島市議の妻でもある上里清美さんが受け入れ態勢を作って下さったおかげで、雪音さんたちは不安の渦中にある野原の人々に、高江が通過してきた具体的な体験の数々を直に伝えることができた。
(3)夕方、野原公民館で始まった交流会。
「宮古島で今、どれだけの人たちが反対の声を上げているのかはわからないけど、その人たちに、一人じゃないんだよ、私たちもいるから一緒に頑張ろう、と伝えたかった」
 雪音さんは来島の動機をそう話した。
 そして高江の座り込み当初の映像を少し紹介した後で、育子さんはこう切り出した。
「これが10年前、私たちが始めて座り込みをしたとき、道路に座ったときの様子です。私たちははじめ、ガタガタ震えていました。普通にこれができたわけではありません」
「私たち区民は、高江区として反対決議をしているので工事はできないだろうと思っていた。でも村長が容認しているということで2007年の7月に着工されてしまいました」
(4)宮古島では、座り込んで反対する住民運動というのはあまり経験がない。自衛隊基地は反対でもそこまではやれない、という消極的な声も上がっている。そして野原は地区として反対の声を上げている。それも、かつての高江とよく似ているのだ。しかも、集落の規模も同じ。野原は自衛隊基地と、高江は米軍北部訓練場と戦後を生きてきたという歴史も共通している。地域の声を黙殺して市町村長が容認してしまっているという点まで全く同じなのだ。
(5)去年の夏からオスプレイの訓練が本格化し、ヘリパッドに最も近い雪音さんの家では昼夜を問わずとどろく轟音と低周波で子どもたちが体調を壊し、避難を余儀なくされた。その現状を繰り返し訴えても、容認している東村としては何も手を差し伸べてはくれない現実。防音工事も、引越しの費用も、何の補償もなく黙殺されたままの残酷な状況を説明しながら、雪音さんは「とにかく、作られてしまったら終わりです。その前に止めましょう」と呼びかけた。
(6)「胸が詰まる。高江は、宮古島の縮図なんですね。私たちは二の舞をしようとしている」
 話を聞いていた野原の女性は涙声になった。会場からは深いため息が漏れた。
(7)育子さんは言った。
「高江のヘリパッドはできてしまいました。でもこの壊された自然を元に戻すのが私たちの使命です。沖縄の闘いというのは、こんな4つのヘリパッドどころではありませんでした。戦後ずっと人権を勝ち取っていく闘いが沖縄にあったということを、この10年間で先輩たちに教わりました。どうしておじいおばあたちが、あの炎天下座り込むのか。私たちは学びました。そしてそれを次に伝えていく役割がある。ヘリパッドが4つできてしまったからもうやめよう、というような問題ではないということを沖縄の皆さんから習ったわけです。まだ始まったばかりなんです」
(8)なんて強くなったんだろう。育子さんは、私たちは学んだ、だから次の役割が見えているのだとさらりと言った。
 オスプレイが沖縄に飛来した2012年10月1日。普天間基地のゲートで肩を震わせていた育子さん。「日本はもう、平和ではないね。平和が崩れ落ちていく」そういって泣いていた育子さんが、同じ日、夕方になってもオスプレイ反対のプラカードを掲げて県道で手を振り続けていた姿を昨日のことのように思い出す。私は目の前に次々に着陸するオスプレイを見て、心が折れ、尻尾を巻いて帰りたい一心だったあの夕方、育子さんは「私はこれであきらめたりはしない」と自らを叱咤激励するように道に立っていた。ドライバーに向かって頭を下げ、一緒に反対しましょうと手を振ることで自分を保っているように見えた。あの時に、彼女の並外れた精神力を垣間見た気がしたのだが、あれからの5年で、育子さんはさらに揺らがない大きな存在に昇華していた。5年前と同じように現状にへこたれている私と、えらい差がついてしまった。
(9)雪音さんだってそうだ。自分のことのように宮古の人たちの不安を背負う覚悟で乗り込んできた。自然体で。笑顔で。だから、こういう魅力のある人たちだからこそ私は彼女たちのファンがやめられないし、その続きや変化を見たいし、それが私以外の多くの人たちの心を揺さぶる場面になるのだということがわかるから撮りたいのだ。もう撮影はいいでしょ? と苦笑されるのはつらいけど、私以外にも『標的の村』以降の住民たちがどうなっていったのか、自分のことのように気になっているファンがいっぱいいることを私は知っている。それが次の高江を止める力=辺野古や先島の自衛隊配備を止める力に直結すると思うからこそ、結局また同行取材を申し込んでしまうのだ。


 三上さんは、最後を、静かに、前を向いて、語りかけます。


「宮古島では関心は高くはない。みんな犠牲が出てはじめてびっくりするのではないか。そうならないうちに声を上げたいと思います」。参加した女性は最後にそう言って、「反対ののぼりを立てましょう!」と元気よく呼びかけた。

 集落に迫りくる運命がどんなに過酷であるのか、高江の経験を聞くと確かに戦慄する。でも、ヘリパッドがほぼ出来上がった今も、以前より堂々と前を向いて闘い、離島まで応援に駆けつけてくれた彼女たちの笑顔を見て、野原の人たちが受け取ったものは単なる絶望ではなかったはずだ。

 まだ、止められる。敵を知ること。連帯することで、私たちはまだ強くなれるし、頑張れる。これから始まる奮闘は、決して孤独な戦いにはならないことを確認できた夜になった。


三上智恵監督・継続した取材を行うために製作協力金カンパのお願い

 皆さまのご支援により『標的の島 風かたか』を製作することが出来ました。三上智恵監督をはじめ製作者一同、心より御礼申し上げます。
 『標的の島 風かたか』の完成につき、エンドロール及びHPへの掲載での製作協力金カンパの募集は終了させていただきます。ただ、今後も沖縄・先島諸島の継続した取材を行うために、製作協力金については、引き続きご協力をお願いします。取材費確保のため、皆様のお力を貸してください。
 次回作については、すでに撮影を継続しつつ準備に入っています。引き続きみなさまからの応援を得ながら制作にあたり、今回と同様に次回作のエンドロールへの掲載などを行うようにしていきたいと考えております。しかし完成時期の目処につきましても詳細はまだ決まっておりませんので、お名前掲載の確約は今の時点では出来ないことをあらかじめご了承下さい。


■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会




by asyagi-df-2014 | 2017-08-06 06:00 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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