2017年 05月 15日 ( 2 )

沖縄-辺野古- 高江-から-2017年5月15日

 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2017年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。


 沖縄の日本復帰45年が、「沖縄への基地の集中が軍事的理由ではなく政治的理由であることがこの間に周知となった。」(琉球新報)、と評されるものであることは、いかにも日本の戦後の実像を言い表している。


 2017年5月15日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-きょう復帰45年 自立発展まだ遠く-2017年5月15日 10:36


 琉球新報は、標題について次のように報じた。


①「沖縄は15日で1972年の日本復帰から45年の節目を迎えた。政府は『核抜き本土並み』」を掲げたが、45年がたった今もなお国土面積の約0・6%の沖縄に全国の米軍専用施設面積の70%が集中する不条理な状況が続く。米軍普天間飛行場移設問題については、多くの県民の反対にもかかわらず、政府は名護市辺野古への建設工事を強行している。沖縄振興については、復帰当初、喫緊の課題だった道路やダムなどの社会基盤整備などは一定の水準に達した。その一方、公共事業を重視してきた影響を受ける格好で「子どもの貧困」対策が後回しになっていたことが、近年の調査などで浮き彫りになっている。復帰直後から目指し続けた『自立的発展』も今なお遠い状況にある。県は15日に後期5年度を迎える沖縄振興計画『沖縄21世紀ビジョン基本計画』を改定する。」
②「復帰以降、政府は10年間の期間で沖縄振興(開発)計画を立て、沖縄振興の指針としてきた。最初の30年は『本土との格差是正』に重きを、31~40年は『産業振興』に重きを置くなど沖縄社会の変容に合わせ重視する分野を移行させた。」
③「第1次沖縄振興開発計画(1972~81年度)は『本土との格差の急速な是正』を第一の目標に掲げ、製造業の企業誘致を図ろうとしたが、日本国内の高度経済成長が終わったあおりを受けて不発に終わった。計画期間中に若夏国体(73年)や沖縄国際海洋博覧会(75年)が開催された。」
④「2次振計(82~91年度)では製造業など第2次産業を振興するという狙いは後退したが、本島北部に五つのダムが整備されるなど社会基盤整備が進んだ。那覇空港が拡張され、87年には沖縄海邦国体が開催された。」
⑤「3次振計(92~2001年度)では『わが国の経済社会および文化の発展に寄与する特色ある地域として整備』という目標が新たに追記され、1992年に首里城公園が開園し、2000年には九州・沖縄サミットが開催された。制度的には情報通信産業振興地域や観光振興地域、特別自由貿易地域などが創設され、現在の県内基幹産業発展の下地が整備されていった。」
⑥「四次振計(02~11年度)は計画の名称から『開発』がなくなり、復帰直後から目標だった『本土との格差の是正』の言葉もなくなった。情報通信産業特別地区や金融業務特別地区、産業高度化地域が創設されるなど産業振興の色合いが濃くなった。」
⑦「県が主体的に策定した振興計画『沖縄21世紀ビジョン基本計画』(12~21年度)を含め5次にわたる振興計画全てに『自立的発展の基礎条件の整備』が目標として打ち出されている。一方、財政依存度は復帰直後より高くなっているという課題も、復帰45年の節目を迎えた沖縄社会に横たわっている。」


(2)琉球新報-「ヤマトの仕打ち、終わりに」 5・15県民大会-2017年5月15日 10:44


 琉球新報は、標題について次のように報じた。


①「『ヤマトの仕打ちは、琉球人として許せないよ』。米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設に反対する団体『沖縄意見広告運動』に在京委員として携わる読谷村出身の山内勝規さん(66)=東京都三鷹市=は、基地建設現場の対岸で開かれた集会の後方に立ち、政府への憤りを隠せずにいた。」
②「集団就職で東京に渡って50年近く、常に沖縄を思いながら生活し、意見広告運動には2010年の立ち上げから関わっている。全国紙や在米紙、県内の新聞などに意見広告を掲載し新基地建設反対を訴える。」
③「意見広告運動の賛同金は個人は1口千円。沖縄出身者の小学生の孫が『オジーの古里がかわいそう。許せない』とお年玉から賛同金を出してくれたこともあった。年金生活者が経済的に厳しい中『300円でも出したい』と申し出たこともあった。集会の現場で賛同者の気持ちを思い返し、山内さんの目に涙があふれた。今回めいと義理の姉と参加したが、山内さんにも孫がいる。『薩摩侵攻から続けられてきた沖縄への仕打ちを子どもたちの代に残してはいけない。誇り高く豊かで、自活できる沖縄にしていくためには基地はいらない』と語り、今後も普天間基地の閉鎖、辺野古新基地建設阻止に向けて活動を続ける構えだ。」


(3)琉球新報-変わらぬ基地集中 福祉、環境にひずみも 復帰45年-2017年5月15日 10:28


 沖縄タイムスは、標題について次のように解説した。


①「沖縄が日本に復帰して15日で45年がたった。社会基盤の整備は大幅に進んだが、住民が解消を望んだ米軍基地の集中度は復帰直後の75%から70%に減るにとどまり、整理・縮小は進んでいない。それどころか新たに自衛隊基地が面積で4倍に増え、さらにミサイル基地まで造られようとしている。政府が辺野古新基地建設を強行したり、米軍が日米合意に反して過去に例がない降下訓練を実施したりするなど、45年を経た現在は逆に沖縄への基地機能強化が際立って映る。」
②「一方で沖縄への基地の集中が軍事的理由ではなく政治的理由であることがこの間に周知となった。1996年のSACO(日米特別行動委員会)合意の基地の整理はほとんどが県内移設とされた。だが、そもそも沖縄に基地を押し込めようとする施策に『差別』だとしてノーを掲げる声も高まってきた。翁長雄志知事が基地は経済発展の「最大の阻害要因」と指摘するように価値観の転換も浸透してきている。
③「インフラ整備の推進とは裏腹に景観も大きく様変わりした。地域の経済を支えた共同売店が姿を消していく。マチヤグヮーもめっきり減った。全国共通の看板が通りにあふれる。『沖縄らしさ』が消えたとの指摘も少なくない。」
④「復帰時に策定された第1次沖縄振興開発計画には、その目標として「本土格差の是正」と「自律的発展の基礎条件の整備」が掲げられていた。そのため社会基盤整備のハード事業が重点的に施され、子どもや高齢者の福祉施策がなおざりにされてきた側面も否めない。
⑤「環境破壊などのひずみも重なった。沖縄の特性を生かした持続可能な県土利用ができてきたか、疑問は拭えない。復帰50年とそれ以後を見据えた今後の振興をどうしていくかを考える上で、今の振興の在り方を改めて見直す必要もある。」(滝本匠)


(4)-沖縄タイムス-復帰45年たっても沖縄は…」 辺野古沿岸部、石材投下続く-2017年5月15日 13:31


 沖縄タイムスは、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブの沿岸部では15日午前、沖縄防衛局が、波打ち際に石材を投下するなど、護岸工事作業を進めている。新基地建設に反対する市民らは抗議船4隻、カヌー11艇に乗って抗議。抗議船に乗った神奈川県の男性(66)は『基地負担軽減を求めて復帰したのにもかかわらず、新基地建設は行われている。おかしい』と疑問を投げかけた。」、と報じた。
 また、「シュワブのゲート前では、工事車両の進入を阻もうと、最大130人の市民が座り込んだ。沖縄が本土復帰して45年の同日、市民らは復帰後も続く基地負担を減らすよう求めた。」、と報じた。
 さらに、「県統一連の瀬長和男事務局長は『45年たっても沖縄はフェンスに囲まれたまま。粘り強く基地撤去に向けて頑張ろう』と呼び掛けた。機動隊が市民を強制排除。採石や砂利を積んだダンプカーなど工事車両計21台が基地内に入った。」、と伝えた。


(5)沖縄タイムス-【沖縄復帰45年】自衛隊:南西諸島防衛にシフト 離島配備進む-2017年5月15日 14:37


 沖縄タイムスは、標題について次のように報じた。


①「1972年5月15日午前10時。那覇市の米軍ホイルエリア基地(現在の陸上自衛隊那覇駐屯地)に日の丸が掲げられた。復帰に合わせ、自衛隊が初めて沖縄に配備された瞬間だ。当時の防衛庁は、配備の理由を『各都道府県に一つの連隊との考え方で、平時の配備だ』と説明し、台風などの災害救助や不発弾処理などの『民生協力』を前面に出した。」
②「沖縄では、沖縄戦の体験から『軍隊』への嫌悪感や恐怖心が強く、強い反発が上がった。だが、復帰直後に陸自の第一陣が沖縄に入り、72年12月には陸海空合わせ3千人が駐留を開始。翌73年7月には計4920人まで膨れ上がった。」
③73年10月に空自は南西航空混成団、陸自は第一混成団に昇格、県によると82年には自衛官数は6千人を超え、施設数も31カ所まで増えた。一方、この頃から米陸軍八重岳通信基地や本島の北部、南部にあった米軍訓練空域などの共同使用を開始し、軍事的行動を拡大させた。復帰後、米軍基地の返還が進まない中、沖縄では自衛隊の増強が進み、軍事的負担は増していった。」
④「その後、防衛省は南西諸島防衛にシフトし、2010年に陸自第一混成団を15旅団に昇格。16年2月には那覇基地の第83航空隊を第9航空団に新編し、F15戦闘機を約40機へ倍増した。さらに、離島への配備も進む。16年3月には与那国島へ陸自沿岸監視隊を設置。宮古島、石垣島でも配備計画が進んでいる。県によると16年時点の県内の自衛官数は過去最多の約7100人にまで増えている。


(6)沖縄タイムス-【沖縄復帰45年】活気づく県経済 観光客数は20倍に-2017年5月15日 11:05


 沖縄タイムスは、標題について次のように報じた。


①「沖縄は15日で復帰45年を迎えた。この間、国から約12兆1千億円の関係予算が投じられた。2016年度、有効求人倍率は復帰後初めて1倍に達し、完全失業率も23年ぶりに4%台に改善。16年の観光客数は861万人で、復帰時の約20倍に増えるなど県経済は活気づいている。」
②「2016年の観光客数は前年比11%増の861万3100人で、3年連続の2桁増となり、4年連続で最高記録を更新した。観光客数は復帰した1972年の44万3692人から右肩上がりに増え、近年は外国人観光客の伸びが著しい。全体に占める割合も復帰当時の5・8%から、16年は24・2%と、4人に1人は外国客となっている。円安による訪日旅行数の増加や海外航空路線の拡充、クルーズ船の寄港回数の増加などから、12年ごろから台湾や韓国、中国、香港を中心に外国客は急増。」
③「今年2月にタイ・バンコク-那覇間に格安航空会社が就航し、東南アジアからの入域増が期待されることなどから、県は外国客は好調さを維持するとみる。景気は回復基調にあり、国内旅行市場も堅調に推移すると予測している。」
④「14年の観光収入は5342億円と、1972年(324億円)比で16倍に増えた。県は15年度の旅行・観光の経済波及効果を1兆143億円と推計。観光の好調さは関連産業の求人を増加させるなど、雇用環境も改善させている。」


(7)琉球新報-機動隊員、はさみで市民排除 辺野古新基地建設-2017年5月15日 12:54


 琉球新報は、標題について次のように報じた。


①「米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設工事で15日午前、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込む建設反対の市民らに対し、県警機動隊がはさみを取り出し、隣り合う市民同士が腰に巻き付けていたひもを切って排除した。大勢の市民と機動隊員がもみ合いとなっている混乱した現場で、警察側が刃物を使用したことに批判の声が上がりそうだ。」
②「ゲート前には市民ら約130人がゲート前に座り込んだ。午前8時40分ごろ、工事車両を基地内に入れるため、県警機動隊による市民の強制排除が始まった。複数の機動隊がはさみを持ち、強制排除されないようにと市民同士が腰に巻き付けて結んでいたひもを切った。その後機動隊員は一人一人を持ち上げるなどして排除した。」
③「排除が完了した午前9時10分から14分にかけて、砕石などを積んだトラック16台、クレーン1台、コンクリートミキサー車4台の計21台がシュワブ内に入った。この日の強制排除には県警の交通規制担当の警察官も加わった。市民らは『交通誘導を行うべき警察官が排除という実力行使をするのは初めてだ。権力の横暴だ』と批判の声を上げた。」
④「海上ではK9護岸区域にクレーンで砕石を投下し、重機で敷きならす作業が行われた。市民らは抗議船4隻、カヌー10艇で抗議した。午前9時半ごろ、カヌー10艇が浮具(フロート)を乗り越えたため、中城海上保安部によって一時拘束された。」




by asyagi-df-2014 | 2017-05-15 18:23 | 沖縄から | Comments(0)

四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第4回口頭弁論を傍聴してきました。

 四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第4回口頭弁論・第7回審尋が、2017年5月11日14時30分より、大分地方裁判所で開催されました。今回も傍聴参加と報告集会に参加してきました。
これまでと同様に第1法廷で開催された裁判に、今回もまた、多くの参加者が集まりました。
 今回は、武内裁判長から、佐藤裁判長に変更になったことと114名が第2次追加訴訟に踏み切った中での大きな意味を持つ口頭弁論になりました。
  今回もまた、本訴訟は、20分のほどの時間で終了しました。
 しかし、原告の古手川美咲さんと訴訟代理人の岡村正淳弁護士の意見陳述は、熱のある
自らの想いを吐露する素晴らしいものになりました。


報告集会で、「今まで移住の理由を話したことはない。今日は勇気を出して話をした。原発で苦しんでいるすべての人たちを助けていただきたいとお願いした。」、と語った神奈川県から大分県別府市に3.11を受けて移住した古手川さんの意見陳述は次のものでした。


(1)私は、原発事故をきっかけに2013年1月に神奈川県から母と妹と猫の一家で移住してきた26歳の会社員です。
(2)関東に放射能が降り注いだ2011年3月15日と21日、大学2年生だった私は、屋外に居ました。マスクもせず、雨にも濡れました。事故後、海外ではすぐに公表された放射能の情報が、日本では隠され、私たちは、知っていたらできたはずの被ばくの対策を取ることができませんでした。今では、そのことに関する報道はほとんどなく、なかったことのようにされています。しかし、私は、一生忘れません。
(3)2011年8月、大学3年生の時、体中に赤い水ぶくれのような湿疹ができ、その一部は黒く変色し、ほくろとなって残るという症状が現れました。生まれて初めての症状に怖くなって、すぐに家族に見せました。病院で診察を受けると、お医者さんからは「原因不明」と言われました。もしこの症状が未来の自分への警告だったらとしたら、そう考えたら、とても怖くなりました。
(4)私は、これらの知識を得て、ただただ怖くなりました。そんな私に、母から「あなたたちの子どもに何かあったら、お母さんは死んでも死にきれない。」と涙ながらに言われました。その時、自分の命は将来の子どものための命でもあることに気づき、私は、移住を考えはじめました。
(5)原因不明の湿疹は増え続け、2012年7月、大学4年の時、ウイルスによる病気で2週間入院しました。その病気は、免疫力が高ければ入院しなくても自然に治る病気だったので、なぜそこまで悪くなったのか自分にもお医者さんにもわかりませんでした。もしこれが放射能によるものだったら、私は10年後健康でいられるのだろうかと怖くなりました。
(6)こうしている間にも、福島の原発からは、ずっと放射性物質が風向きによっては関東に流れているというスイス気象局の放射能拡散予測を見た時、私は、もう関東には住めないと思いました。こうして私は、移住を決意したのです。
(7)ですが昨年、伊方原発が動いた知らせを聞いた時、言葉では言い表せられないほどの恐怖を感じました。地震、テロ、ミサイルなど、事故が起きる可能性はゼロではありません。伊方原発が事故を起こし、大分県が汚染され、自分や自分の大切な人の健康がむしばまれていくことを想像すると目の前が真っ暗になります。次は私はどこに逃げればよいのでしょうか。もうどこにも逃げたくありません。


 古手川美咲さんは、「裁判官の皆さんにも、きっと私と同じように大切な人、守りたいものがあると思います。伊方原発が爆発した時、私たちは、その人を守れるのでしょうか。原発が停止して大切なものを守れるなら、安心して暮らせるなら、これ以上の幸せはないと思いませんか。・・・もし、願いが一つだけ叶うなら、放射能が降り注いだあの日以前に戻してほしいです。でもそれはできません。だから、もう二度と同じ悲劇が繰り返されされないように、原発を止めるしかないと思っています。」、と意見陳述を結んでいます。


 また、報告集会で「裁判官に謙虚になって欲しいということ。司法が何をすべきかということ。それは、矜恃と責任感ということでもある。・・・地元の弁護士が地元の弁護士が本気を示すことが大きな影響力になる。」、と今回の訴訟の意義を説明した岡村正淳弁護士の陳述内容は、次のものでした。


(1)その背景には、昨年4月の熊本大分大地震を契機に一段と高まった、佐賀関半島と目と鼻の先にある伊方原発が同じような地震に見舞われたらどうなるのか、福島と同じ状況になるのではないか、どんなことがあってもそのような事態は差し止めなければならないという切迫した危機感がありました。その危機感と、原告弁護団団長河合弘之弁護士をはじめとする脱原発弁護団全国連絡会の皆さんが切り開いてきた司法による原発差し止め、脱原発の可能性に関する展望とがあいまって、仮処分及び本訴が提訴されたものです。
(2)個人的にも、当時千葉県松戸市に住んでいて5月に出産予定だった長女が、放射能汚染のホットスポットにあたり、水道水も汚染され、コンビニエンスストアに水もないとして急遽大分に避難してきた大分で出産したということがありました。
(3)その後使用済み核燃料の保管施設オンカロに関するフィンランドの映画を見て、原発と人類は共存できないとの想いを深めました。
(4)大分における原発訴訟の胎動及び先進弁護団の献身的な姿勢に、怠惰な私も覚醒を余儀なくされました。福島原発事故まで厳しい判決が続いてきた原発訴訟で、仮処分により現実に原発の運転を差し止めることができたことを、そこには、原発の安全性に対する司法審査の在り方に関する論理の深化発展があり、判決文の中には、裁判官がまさに全身全霊を込めたと思われる彫心鏤骨の文言が刻まれていることを知りました。個人の尊厳、幸福追求権を保障している憲法の下、良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律のみに拘束される裁判官の矜持と張り詰めた責任感がここに凝縮されているように思います。
(5)裁判は、さまざまな主張が交錯する場であり、様々な見解があり得ることは当然です。しかし、原発の運転が許容される安全性の基準は、「福島原発のような過酷事故を二度と起こさないという意味での『限定的』絶対的安全性。ないしは絶対的安全性に準じる極めて高度な安全性(深刻な災害が万が一にも起こらない程度の安全性)」と解すべきです。


 岡村弁護士は、「私は昨年12月3日、熊本地震の震源地である益樹町の被災地を訪ねました。地震の発生する日時、場所、規模等に関する科学の予知能力の限界、地震という自然災害に対する人間の無力を思い知らされました。それでも、自然災害だけであれば、人や共同体はそれを乗り越えていくことができます。しかし、福島原発は、廃炉の行程も未だ明らかでなく、汚染水は海に垂れ流され、地元への全面帰還に至っては、果たしてそれが可能かすら明らかでなく、共同体は引き裂かれたままです。伊方原発には、南海トラフや中央構造線断層帯の脅威もあります。私は今、先進的な弁護団の豊富な蓄積に謙虚に学び、一人の人間として原発に真摯に立ち向かいたいと考えています。」、と意見陳述を終えています。


 さて、本訴訟の短さに比べて熱と勢いのある報告集会で、はっきりしたことは、次のことでした。
  河村弁護士は、次のことを説明しました。
(1)裁判長の交替があったが、新規まき直しの感じで、「早急に決定がでるという状況ではない。」、ということ。
(2)これまでは、基準値震動の問題に絞るということで進めてきたが、裁判長の「それでいいんですか」という質問があったので、変更したいと回答したということ。
(3) その内容は、①火山灰の規制基準の問題、②北朝鮮のミサイル-何故原発を止めないのか- の問題、③島崎前規制委員会委員長代理の基準値震動の指摘事項の問題、④避難の問題、⑤大阪高裁及び広島地裁判決への批判の展開、ということでした。なお、次回までに書面を提出する予定とのこと。
 また、この火山灰の問題については、中野弁護士より詳細な説明がありました。
特に、今回の報告集会では、松本共同代表から、裁判の在り方に関して、「裁判の中で、健康被害の問題を取りあげるべきではないのか」、という問いか掛けが出されました。
このことについて、河村弁護士は、「原発事故の最大のものは健康被害である。原発裁判の中核を成すものである。」、と答えました。ただ、「確かに、問題がある。今までのところ政府や福島県の対応で闘いにくくなっている」という状況の中で、それができていない状況があると答えていました。

 今後の日程については、第5回口頭弁論は7月20日(木曜)、第6回口頭弁論は10月11日(水曜)が決定したとの報告がありました。あわせて、今後どれぐらいの口頭弁論が開かれるのかについては、2~3回かなと、報告していました。
最後に、岡村弁護士は、「迷った時には裁判所は『世論』に従う」、との自らの風成闘争での経験を話してくれました。
 やはり、住民参加では「大分県最大規模になった」(岡村弁護士談)伊方原発訴訟の行く末は、原発を止めるという人の波で裁判所を覆い尽くし、私たちの熱い息づかいを裁判官に伝えることができるのかということに係っています。




by asyagi-df-2014 | 2017-05-15 05:54 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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