2017年 01月 28日 ( 1 )

2017年1月2日の「TOKYO-MXTV」の番組「ニュース女子」。(5)-沖縄タイムス「在京メディアの『沖縄ヘイト』が許容される背景」より-

 今回の問題について、沖縄タイムスは2017年1月21日、渡辺豪さん(以下、渡辺とする)の「在京メディアの『沖縄ヘイト』が許容される背景」、との記事を掲載した。
 渡辺は、「東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)の番組『ニュース女子』(1月2日放送分)に、在京メディアの危うい一面を見せつけられる思いがした。」、と始める。
 渡辺の指摘を要約する。


Ⅰ.『ニュース女子』(1月2日放送分)への思い。


(1)番組では、東村高江での市民の抗議行動を背景に、ナレーターが「反対派の過激デモを支えるのが彼らシルバー部隊。万一逮捕されても生活に影響の少ない65歳以上のお年寄りを集め過激デモ活動に従事させているという」と解説する。同時に、「過激派デモの武闘派集団『シルバー部隊』 逮捕されても生活の影響もない65歳~75歳を集めた集団」とテロップが映し出される。
(2)スタジオでは出演者たちの罵りと嘲笑が繰り返される。沖縄戦や戦後の基地被害を肌身で体験し、「子や孫のために」とやむにやまれぬ思いで反対運動に加わる沖縄の高齢者の思いを代弁する者は、スタジオには一人もいない。顔にモザイクをかけた画像を何度も流し、「テロリスト」呼ばわりしてはやし立てる構成は、「ニュースショー」というより集団リンチのように映った。禁止された玩具を幼児が弄ぶように、と表現すれば言葉がきついだろうか。政治的な立場や意見が違うにせよ、からだを張って路上で抵抗する人々を、娯楽として「消費」するかのような精神性は、正視に耐えなかった。


Ⅱ.ヤマトノ実態。または、客観報道とは。


(1)それでもネット上では、今回の番組とそれに対する批判をごちゃ混ぜにし、どっちもどっちとする「論」もあった。このように、日本(ヤマト)社会では、極端な思想をもつ「ネトウヨと左翼の喧嘩」といった程度の認識の人が多いのではないかと危惧している。
(2)1月18日付で『朝日新聞』が(Media Times)というワッペン記事でこの問題を取り上げた。電子版の見出しはこうだった。
 「『虚偽・ヘイト放送』沖縄で反発 MXテレビ『ニュース女子』」
 「客観的」な表現だと思った。
(3) 20日付『毎日新聞』は「MX『偏見報道』に波紋」の見出しで伝え、「政治的意見はあってもいいが、一方的な決めつけをしているなら問題だ」とする識者談話を掲載した。本文の記事で「一方的な決めつけ」をしているのかどうかについて独自、主体的に検証しているわけではないので、内実に詳しいわけではない識者の弁としてはこれが限界なのだろう。それが「客観報道だ」という判断もあったのかもしれない。
(4)沖縄の反対運動も、地元紙のトーンも、知事のスタンスも無論不変ではない。沖縄の多数世論とかい離すれば受け入れられなくなり、継続稼働は困難になる。これらは常にバランスを模索する、合わせ鏡のような関係にある。反対運動に参加する市民や沖縄の地元紙のトーンが「先鋭化している」との認識があるのであれば、何がそうさせているのかということに目を向けるのが、本来の「客観報道」ではないか。


Ⅲ.異質なMXテレビの問題からメディアのあり方。


 渡辺は、在京メディアに対して、「辺野古新基地建設が本格化する前、私はこう書いた。『物理的に米軍の基地運用に支障を及ぼせば、【違法行為】と判じられるかもしれない。このときもなお、大手メディアは【沖縄を追い詰めた当事者】という自覚を欠いたまま、【客観報道】に徹することだろう」(『Journalism』2013年4月号)。沖縄の米軍基地反対運動を見る在京メディアのまなざしは今、そうなっていないか。」、と問いかける。
 そして、メディアのあり方をこのように記す。


(1)沖縄の民意を踏みにじり、基地政策を無理やり強行すれば反対運動が激化するのは目に見えていた。「沖縄を追い詰める当事者」は政府というより、そうした政府の姿勢を支え、肯定し続ける日本(ヤマト)社会である。大手メディアの「沖縄に寄り添う報道」が、あくまでこうした日本(ヤマト)社会の価値判断や利害と一致する範囲内においてである限り、本当の意味で「沖縄に寄り添う報道」は成立し得ないことを指摘したつもりだ。
(2)これは、基地問題をめぐって沖縄と日本(ヤマト)の利害が一致しない、という前提に基づいた場合の見解である。ただ、今回のMXテレビの問題は「日本(ヤマト)VS沖縄」の次元で語られるべき事案ではないように思う。無論、「保守VSリベラル」の構図でもない。
(3)中国の軍事的脅威を踏まえ、日本の国益を第一に考えれば、沖縄は今後も軍事の要衝地として、あるいは日米同盟の要としての役割を担ってもらわなければならない。そうした立場から見た場合にも、反対運動に参加する人たちを一括りに「過激派」あるいは「テロリスト」扱いし、日本社会に偏見や差別を植え付け、排除していくような「報道」はマイナスにしか作用しない。
(4)反対運動の消長は沖縄世論の動向とシンクロしている。抗議行動に参加していない沖縄の多数の人たちの支持や共感が得られなければ、反対運動はたちまち衰潮するだろう。運動を取り締まる側も、沖縄世論を「敵」に回さないよう留意しているのが実情だ。そうした中、反対運動が「先鋭化」しているのだとすれば、それは沖縄社会の何を反映し、意味しているのか。そのことをより慎重に検討、分析し、日本(ヤマト)社会で共有しなければならないときに、ネット上のデマや偏見と変わらない「情報」を裏付けもなく報じるのは、国家統合や国民統合を毀損しかねない危うさもはらむのではないか。
(5)ローカル局とはいえ、東京都も出資するテレビ局が、事実に基づかない「沖縄ヘイト」ともとれる番組を放送したとの報道は、地元紙で丁寧かつ詳細に報じられている。番組はネットにアップされており、誰でも視聴できる。これが沖縄世論にどのような作用を及ぼすのかは自明だろう。
(6)リアル政治に携わる政治家や官僚はそうした点に特に敏感だ。と言いたいのだが、近年は怪しいのが実情だ。私の実感では沖縄を懐柔する「老獪さ」すら影を潜め、永田町周辺の政治家、官僚、大手メディア関係者からも、オフレコの場であればなおさら露骨に沖縄の地元紙を小馬鹿にしたり、翁長雄志知事を罵倒したりする「本音」を聞くのが常態化している。とはいえ、個別にじっくり話すと、露骨なゴリ押ししかできない政権の沖縄政策の脆さや、それを黙認する全国世論の危うさに気付いている有識者や大手メディア関係者も少なくない。だがそれに気付きながらも、組織内あるいは公の場では沈黙を保つ人が多いのが現状のように思う。そうしたエスタブリッシュメント内部の「空気」こそ、「ヘイト番組」の供給を支えているのではないか。


Ⅳ.渡辺の主張。


(1)MXテレビは1月16日の番組終了後、こんなメッセージを流した。「1月2日に放送しました沖縄リポートは、様々なメディアの沖縄基地問題をめぐる議論の一環として放送致しました。今後とも、様々な立場の方のご意見を公平・公正にとりあげてまいります。」。今後ともこうした内容の番組放送を続けるという意味である。これを看過するのであれば、日本社会の分断と劣化は歯止めが利かなくなるだろう。
(2)19日、MXテレビ前に集まった市民有志はこう訴えた。
 「噓は『意見』ではないし、誹謗中傷は『議論』ではありません。貴社自身の番組放送の基準にたち返り、良心が残っていることを示してほしい」
 このとき、向かいの歩道で警戒中の警察関係者にガードされた中年女性が「MXガンバレー」「活動家だらけだ、沖縄は」などと叫んだ。
(3)どちらの「声援」に耳を傾けるのがメディア機関としての本務なのかは明白だろう。


 渡辺は次の投げかけを残した。


(1)「政治的な立場や意見が違うにせよ、からだを張って路上で抵抗する人々を、娯楽として『消費』するかのような精神性」の問題点。
(2)「反対運動に参加する市民や沖縄の地元紙のトーンが『先鋭化している』との認識があるのであれば、何がそうさせているのかということに目を向けるのが、本来の『客観報道』ではないか。」との視点の重要性。
(3)「個別にじっくり話すと、露骨なゴリ押ししかできない政権の沖縄政策の脆さや、それを黙認する全国世論の危うさに気付いている有識者や大手メディア関係者も少なくない。だがそれに気付きながらも、組織内あるいは公の場では沈黙を保つ人が多いのが現状のように思う。そうしたエスタブリッシュメント内部の『空気』こそ、『ヘイト番組』の供給を支えているのではないか。」、とのメディアのあり方の指摘。


 また、渡辺は、「どちらの『声援』に耳を傾けるのがメディア機関としての本務なのかは明白だろう。」、と決意を表明する。


 この渡辺の投げかけと決意に深く共感する。




by asyagi-df-2014 | 2017-01-28 08:26 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧