2016年 11月 25日 ( 2 )

「土人」「シナ人」発言を考える。(33)

 大阪府警の機動隊員による「土人」「シナ人」発言を考える。
 「差別する側の意識が変わらないと問題は解決しない」、と識者は評する。
 つまり、差別する側の植民者の自覚がなされるのかどうかだ。
 人種差別撤廃条約に違反する問題なのだ。


 沖縄タイムスは2016年11月6日、渡辺 豪さんの「『土人』VS『土民軍』の背景にあるもの」、を掲載した。 
 渡辺 豪さん(以下、渡辺)は、次のように述べる。
 まずは、渡辺の「土人」という言葉との今回の出会いついて。


(1)沖縄の人々の心奥に刻印されたであろう、東村高江のヘリパッド建設に抗議活動する市民に向けた10月18日の大阪府警機動隊員の「土人発言」は、在京メディアでは既に過去のことにされつつある。本土社会は、この発言を単に「特異な事例」として受け流そうとしているのではない。事態はより深刻かつ醜悪だ。
(2)大阪府の松井一郎知事は発言翌日、自身のツイッターに「ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」 と労うようなニュアンスを含む感想を投稿。記者会見では「混乱を引き起こしているのはどちらか」と抗議する市民の側にも非があるような見方を示した。一部メディアやネットはこれに沿う形で、「どっちもどっち」の論を展開した。
(3)極め付けは、以下の広告見出しで記事を特集した主要週刊誌だ。
 「なぜ土人発言だけが報道されるのか?沖縄ヘリパッド『反対派』の『無法地帯』現場レポート」
正直に告白すれば、都内の地下鉄でこの中吊り広告を目にしたとき、筆者は腐った食べ物を無理矢理口に放り込まれたような吐き気をもよおした。刺激的でインパクトのある見出しを並べたこうした「報道」は、沖縄に興味や関心のない首都圏の人々の注意も引くだろう。中吊り広告だけを見て、「なるほど、そういうことなのか」と得心したような気になる人も少なくないのではないか。そんなことを考えながら、筆者も無意識のうちに「なぜ土人発言だけが報道されるのか」という見出しの文字を反すうしていた。そして、あるフレーズを思い出した。
(4)「土民軍」という言葉だ。


 この「土民軍」という言葉について、渡辺はこう指摘する。


 防衛施設庁をある程度長く取材、リサーチしたことがある記者や研究者なら、一度は彼ら(防衛施設庁職員)が自分たちの組織をそう表現するのを聞いたことがあるはずだ。


 渡辺は、「土民軍」という言葉について、こう種明かしする。そして日本の現状を告発する。


(1)「防衛施設庁史」は、防衛施設庁が解体される直前の2007年に同庁職員によって編さんされた、施設庁の足跡をたどる記録・証言集だ。旧防衛施設庁職員が自分たちを「土民軍」と称するのは、自分たちが官僚組織の下層に位置しているという意識と、「現場」の仕事に携わっているという自負があるからだろう。
(2)ある防衛施設庁OBは筆者にこう語った。
 「要するに自分たちのやってきたのは外務省の尻ぬぐいですよ。防衛施設庁の仕事は日米安保の土台を支えるための、いわば汚れ仕事。でも、安保体制を縁の下で支えてきたという自負はありますよ」
 大臣の国会答弁やコメントを振り付けたり、各国との外交交渉や日米間のさまざまな取り決めを議論する非公開の日米合同委員会に出席したりと、大所高所から外交・防衛政策を検討するのは外務・防衛省のキャリア・エリートだ。一方、日米安保条約の履行のため外務省がレールを敷いた日米地位協定や、基地政策にまつわる日米合意の実施機関として、防衛施設庁の末端の職員はまさに「安保の現場」で住民と米軍の間に立ち、ときには住民の「嫌われ者」になることも承知でその役割に徹してきた。
(3)日本国内でさまざまな特権に守られた米軍人関係者が住民感情を逆なでする事件や事故を繰り返すたび、「抗議」や「要請」の窓口として対応し、平身低頭する姿を見せ、世論や住民をとりなすのも防衛施設庁職員の仕事だ。かつては「内灘闘争」や「砂川闘争」といった日本本土での熾烈な米軍基地反対運動の現場でも、防衛施設庁職員は機動隊員とともに前面に立ってきた。日本本土と沖縄の米軍専用施設の比率が逆転し、74%が沖縄に集中する現在、勢いのある根強い米軍基地反対運動は「沖縄限定」の様相を帯びるようになった。
(4)防衛施設庁の仕事はなくなったわけではなく、防衛省に吸収統合される形で温存されている。しかし沖縄では今や、高江や辺野古といった米軍基地の建設現場で、防衛省の沖縄の出先機関である沖縄防衛局職員の姿はあまり目に付かない。代わりに機動隊員や海上保安庁の海上保安官、民間の警備会社従業員らが組織の命を受け、反対派市民と対峙させられるようになった。この中には、沖縄以外の都府県警から派遣されている機動隊員も混じる。
(5)誤解を恐れずに言えば、彼らはみんな「土民軍」ということになる。その土民軍の1人が今回、対峙する市民を「土人」と言い放ったのだ。
(6)大阪府警から派遣された若い機動隊員はおそらく、沖縄が「本土」によって負わされてきた歴史的痛苦も安保政策の意味も基地問題の実情も十分把握していなかったのではないか。ただ上司に命じられた通り、任務を遂行していたはずだ。派遣を命じたのは、形式はともかく日本政府にほかならない。
(7)辺野古や高江の工事を強行せよ、との官邸の意向は関係省庁に浸透している。地元世論に配意し、反対派市民の排除命令を現場に徹底できず更迭される幹部官僚もいれば、弾圧姿勢を貫き官邸の覚えがめでたい幹部官僚もいる。後者はキャリア官僚として出世の道が約束される。ある政府関係者はこう打ち明けた。
 「反対する市民を弾圧できない官僚は容赦なく吹き飛ばすのが、今の官邸流人事です」
権力機関は絶対的なたて社会、階級社会で構築されている。14年5月の内閣人事局発足後、官僚人事は官邸が完全掌握するようになっている。
(8)われわれは末端の役人だけを見るのではなく、本質を見極めなければならない。
 すべての住民に歓迎される国策というのはないのかもしれない。しかし、権力の中枢に近い人たちが決めた国策が不条理なゆがんだものであればあるほど、現場の摩擦は大きくなり、その尻ぬぐいは地元の住民と末端の役人が負わされることになる。
(9)9月26日の所信表明演説で安倍晋三首相は、安全保障環境の変化や高江のヘリパッド移設にも言及した上で、こう訴えた。
 「現場では夜を徹し、今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている。今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
 安倍首相に促された自民党議員は一斉に立ち上がって手をたたき続け、約10秒間、演説が中断した。この異様さは、「起立」と「拍手」だけによるのではない。国家や為政者に忠誠を尽くす立場の特定の職業従事者に絞って首相自らが喝采を送り、周囲にも同調を促す、というのは「自己翼賛」ともいえる異様な構図だ。これは自画自賛ではないのか。にもかかわらず、演説内容に異論をはさむ余地はない、というのが日本本土社会の常識的受け止めになっているが、本当にそれでいいのか。
(10)国会での安倍首相の振る舞いも松井・大阪府知事の見解も、高江や辺野古で抗議活動する市民に対峙させる任務を機動隊員らに付与することへの躊躇や苦渋は微塵も感じられない。それは、彼らにとって国の政策に従わない者は、明確に「敵」と識別されているからではないか。
(11)その感覚は正常と言えるのか。
 「国民」を分断する政権の沖縄政策は「国益」や「安全保障政策」の観点から本当に有益といえるのか。日本本土の「国民」は今一度立ち止まって真剣に考えなければならない。
 しかし、沖縄で起きていることにあまりに鈍感な本土社会では、「土人発言」をきっかけに、沖縄の歴史に思いを馳(は)せ、現在も続く「過重な基地負担」という差別と不条理に向き合おうとする動きが活発化する期待はもてない。これが日本社会の現実だ。
 同じ時代に、同じ価値観を共有する社会に属しながら、大半の日本人は、沖縄を見放している、という自覚もないまま沖縄を追い込んでいる。日本人が沖縄を見放すことによって、実は日本人が沖縄の人々から見放されつつある。そんな気がしてならない。


 確かに、安倍晋三政権の本質は、「国の政策に従わない者は、明確に『敵』と識別されている」(渡辺)にある。
 この「土人」発言に向けた渡辺の次の杞憂、訴えは、肝に命じる必要がある。


 沖縄で起きていることにあまりに鈍感な本土社会では、「土人発言」をきっかけに、沖縄の歴史に思いを馳(は)せ、現在も続く「過重な基地負担」という差別と不条理に向き合おうとする動きが活発化する期待はもてない。これが日本社会の現実だ。
 同じ時代に、同じ価値観を共有する社会に属しながら、大半の日本人は、沖縄を見放している、という自覚もないまま沖縄を追い込んでいる。日本人が沖縄を見放すことによって、実は日本人が沖縄の人々から見放されつつある。そんな気がしてならない。


 以下、沖縄タイムスの引用。







More
by asyagi-df-2014 | 2016-11-25 17:39 | 沖縄から | Comments(0)

国鉄闘争の涯に、今知ること。

 JR北海道は、抜本的な鉄道事業見直しの対象として、「JR単独では維持が困難な路線」について、10路線13区間となることを表明していた。
 JR北海道は2016年11月18日、鉄道事業の抜本的な見直しを正式に表明した。
 北海道新聞は同日、このことについて、「鉄路が『頼れる足』ではなくなる恐れ」、と次のように報じた。


(1)これまで国鉄時代からの不採算路線の廃止や人員削減など効率化を進めてきたが、基金運用益の減少や地方路線の低迷が響き、本業で大なたを振るわざるを得なくなった。来春に発足30年の節目を迎えるが、道内では鉄路が「頼れる足」ではなくなる恐れもある。
(2)JR北海道は1987年4月、国鉄分割・民営化に伴い、3千キロを超える路線を継承して誕生した。88年3月に青函トンネルを通る海峡線(87・8キロ)の開通はあったが、国鉄時代に廃止が決まっていた天北線(南稚内―音威子府間、148・9キロ)などの長大路線や産炭地の路線を次々に廃線。95年に深川―名寄間の深名線(121・8キロ)を廃止し、現在は発足時に比べ、19%少ない2568・7キロで営業している。
(3)路線は減ったが、人口が集まる札幌圏での近距離利用の増加などから、2015年度の旅客輸送人員は発足時より4割多い約1億3400万人となるなど、むしろ増えているのが実態だ。ただ、鉄道運輸収入は96年度の800億円をピークに減少傾向にあり、昨年度は約685億円と発足時より1割多い程度でしかない。87年ごろに約170キロだった道内高速道路網が今は6・5倍に延び、航空路線の拡充も重なって、柱となる中長距離輸送で苦戦を強いられているからだ。
(4)こうした本業の不振を補うために、JRはJRタワーを核とした商業施設をはじめ、スーパーやホテルなど多角化を図ってきた。鉄道以外の「非鉄道事業」が全売上高に占める割合は6割と、先月に株式上場したJR九州と同水準に達する。ただ、11年の石勝線の特急脱線炎上事故を皮切りに、トラブルが相次ぎ、それまで怠ってきた安全投資に資金を重点配分せざるを得なくなった。老朽化した橋やトンネルの修繕費もかさみ、17年3月期のJR単独の経常赤字は過去最悪の235億円まで膨らむ見通しだ。赤字補填(ほてん)のため積まれた6822億円の経営安定基金も超低金利の影響で、運用益が当初想定の45%に当たる226億円(16年度見込み)まで減っている。



 また、このことに対する各首長の声を北海道新聞は次のように伝えた。



(1)辻直孝北見市長はJRの発表内容について「地域にとっても北海道全体にとっても大きな問題。とうてい容認できるものではない」
(2)辻直孝北見市長はJRの発表内容について「地域にとっても北海道全体にとっても大きな問題。とうてい容認できるものではない」
(3)美幌町の土谷耕治町長は、鉄道設備を自治体に所有してもらう「上下分離方式」が提案されることを懸念。「石北線は路線が長いが、沿線自治体の数は少ない。個別自治体が負担するとなれば相当な額になるのは間違いない。町の財政事情を考えればとても応じられない」と、同方式導入には明確に反対する考えだ。
(4)大空町の山下英二町長は「JRによる路線維持を町の基本的な考えとして協議する」と述べ、あくまで鉄路の維持が前提との考えを強調。遠軽町の佐々木修一町長も「JRの考えを詳しく聞いた上で、沿線自治体や道と協議していきたい」
(5)小清水町の林直樹町長は「非常に難しい問題だ」と一言。上下分離方式について「果たして負担に耐えられる金額におさまるのか。町として公共交通は何としてでも維持しなければならず、(負担が大きいからと)なくなってもいいです、とも言うこともできない。どうすればいいのか」と困惑。清里町の櫛引政明町長も「地域をポンと見捨てるようなことはしないでほしい。今の形で維持してもらいたい」
(6)JR石北線と釧網線の両方を抱える網走市の水谷洋一市長は、維持困難路線が道内の複数に及んでいることを踏まえ、「北海道全体の交通体系のあり方の検討が必要で、鉄路維持を前提に道が論点整理を行い、政策横断的な対応を図るべきだと考える」と道の関与を求めた。櫛引政明・清里町長も「沿線自治体だけで済む話ではなくなっている。国鉄の分割民営化に関わってきた経緯から、国も全く知らんぷりというわけにはいかないはず」と、道や国を含めた協議の必要性を訴えた。



 北海道新聞は、「北海道の鉄道網 もはやJRに任せられぬ」、との社説で今回のことを批判した。
 その主張は次のものである。



(1)北海道の公共交通機関としての役割を果たすことができない―。そう吐露したと受け止められても、仕方がなかろう。
(2)今後、線路や駅舎など鉄道施設を自治体が所有する上下分離方式を軸に地元協議に入るという。自治体の財政事情は厳しい。議論が平行線をたどれば、鉄路半減が現実味を帯びる。もはや、JRだけに解決策を求めても事態の打開は難しい。JRの経営努力が不可欠なのは当然だが、鉄道の維持を北海道の地域政策としてとらえるべきだ。そのためにも、国や道には主体的な関与を求めたい。
(3)鉄道事業の赤字を穴埋めするはずの経営安定基金も、金利低下で運用益が大きく目減りしている。経営が厳しいのは分かる。だからといって、今日の状況につながった問題からも目をそらすわけにはいかない。JRがこれまで十分な安全投資を行ってこなかったことである。2011年に石勝線で起きた特急脱線炎上事故は記憶に新しい。貨物列車の脱線、レールの検査データ改ざんなど不祥事も続いた。これも、利用を低迷させた要因だろう。公共交通機関としての当然の対応を怠り、つけを道民に回すやり方は理解を得られるのか。きのうの記者会見で島田修社長は「民間企業の事業として担えるレベルを超えている。地域の人と相談させてほしい」と今後の交渉に期待を込めた。だが、路線維持に自治体の協力を求める以上、JR自身が資産売却など身を削る努力が必要だ。
(4)こうした状況を打開するには、まちづくりの視点で鉄道をとらえ直すしかない。
 鉄路は生活を支えるばかりでなく、貨物輸送、観光客を呼び寄せる重要な道具である。しかも駅の多くは、商店街の核にもなっている。こうした価値を再認識し、支援策を検討する必要がある。中心的な役割を担うべきは全道を見渡す立場にある道だ。まず、道内の交通体系の全体像の中で鉄道のあるべき姿を描き出す。その上で、住民の不安を解消するような具体策を考えるべきだ。
(5)国の責任も重い。87年の国鉄分割民営化時から、北海道で1社が単独で営むことに無理があるとの指摘はあったからだ。石井啓一国土交通相は記者会見で、これから始まる協議に国も参加するとの姿勢を明らかにした。ならば、道路に偏っている現在の交通政策を、鉄路を含めた枠組みに練り直すべきではないか。国費投入の検討も急務だ。




 この北海道新聞の記事に、思いは複雑になる。
 旭川や音威子府、稚内等の国鉄闘争闘争団を訪れたことが蘇る。
 北海道新聞は「北海道の鉄道網 もはやJRに任せられぬ」と書いたが、実は、「この国にもはや国民を任せられぬ」、という気持ちだ。しかし、その国に対応を求めざるを得ないのも事実だ。
 だとしたら、確かに、きちっとした未来構想が必要である。


 以下、北海道新聞の引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-11-25 05:27 | 書くことから-労働 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧