2016年 05月 25日 ( 2 )

沖縄-2015年3月末で返還された米軍キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区内で、法律の基準を超える鉛やヒ素などが検出されていた。

 標題について、沖縄タイムスは2016年5月24日、「昨年3月末で返還された米軍キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区内で、法律の基準を超える鉛やヒ素などが検出されていたことが23日、宜野湾市内であった同地区の跡地利用に関する協議会で報告された。汚染が外部に拡大する心配はないという。沖縄防衛局は今後汚染範囲などの詳細調査を行う。」、と報じた。
 その詳細について、「基準を超える鉛が検出されたのは調査563地点中5カ所で、溶出量は1リットル当たり最大0・26ミリグラムと基準の26倍。うち2カ所では土壌中の含有量も基準を超え、基準の20倍超の1キロ当たり最大3200ミリグラム検出された。燃料などに含まれていた鉛が土壌に残った可能性が高いという。ヒ素は同様に2カ所で基準の約5倍となる最大0・046ミリグラム、別の4地点ではジクロロメタンも検出された。」、と伝えた。


 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2016-05-25 13:59 | 沖縄から | Comments(0)

「沖縄の人々の『魂の飢餓感』を共有する」とは。

 元海兵隊員による女性遺体遺棄事件に関連して、沖縄タイムスは2016年5月23日、「日本はなぜ米軍をもてなすのか」(旬報社)の著者である渡辺豪(以下、渡辺)さんの「沖縄の人々の『魂の飢餓感』」を東京で共有する」、と題した記事を掲載した。


 この中で、渡辺はこう始める。


「被害者の女性がウオーキングしていたとみられる場所や、携帯電話の位置情報が最後に確認された辺りを、テレビのレポーターが歩いて伝えていた。その映像をぼんやりした頭で見ていると、沖縄タイムスの中部支社に勤務していたときに何度も行き来した場所であることに気づいた。記憶はどんどん鮮明になり、周囲の情景や風の匂いまで思い浮かべることができる。被害者の女性が赤の他人には思えない…。

「突き刺すような痛み、と言えばいいだろうか。それが頭に、腹に、心にずきずきとうずいてきた。お前は迂闊だと責められているようだった。」


渡辺は、「沖縄県民の魂の飢餓」について。


「在京のテレビやラジオでも、沖縄のことは話題に上る。が、ほとんどはリゾート、旅、食べ物にまつわる番組なので、重い気分になるどころか、浮き浮きした気分になる。快活で飾らないウチナーンチュたちが『癒やし』になるように作られている。
 だが、17年間、沖縄で暮らした私は、これが本当の沖縄の姿ではないことを知っている。テレビカメラの前で、サービス精神いっぱいにカチャーシーを舞うオバーやオジーたちも、壮絶な沖縄戦の悲劇と、戦後の基地被害を経験し、口にするかどうかはともかく『本土』に対して複雑な感情を抱えている。そう考えると、到底、『娯楽』として観ることなどできない。」


 また、渡辺の目に見えたものを伝える。


「テレビの画面に見覚えのある顔が映った。沖縄県警刑事部長の記者会見が始まったのだ。沖縄タイムスの社会部で警察担当をしていたとき、よく夜回りし、一緒に酒を飲んだこともある人だ。強面だが、普段は気さくな人である。私には分かった。この人は今、ウチナーンチュとしてすごく怒っている。辺野古で抗議している人たちを冷酷に排除する機動隊だけが沖縄県警の顔ではない。彼らも沖縄県民だ。」


 渡辺は、「日本はなぜ米軍をもてなすのか」から「魂の飢餓感」の物語-「祖国復帰までの二十七年間、沖縄県民は特殊な環境の下で、日本人としての魂を守り続けた……復帰後、日本政府も巨額の公共投資をして、街並みも、以前とは比較にならないほど近代化した……しかし、それとても沖縄県民の魂の飢餓を満たすものではない」-を再掲する。そして、「本当はこんなことを書くつもりではなかった。」としながら、絞り出すようにこう記す。


「『戦後71年。問われているのは、沖縄に在日米軍基地の大半を押しつけたまま、見て見ぬふりを続けてきた日本社会のありようではないか』といったことや、『沖縄では米軍絡みの事件事故が起きるたび、東京から大量の報道陣が詰めかけ、嵐のように取材して回り、波がひくように去っていくが、基地問題は何も解決されない』といったことをもっと冷静に論理的に書くつもりだった。しかし今はそれができない。
 それでも、政府の基地政策については書かなければいけないと思う。」


 渡辺は、その文章の最後をこうまとめた。


「政府内部からは今回の事件について、オバマ大統領の来日を控えた時期に『最悪のタイミングで起きた』という声が聞こえてくる。しかし、日米同盟の強化をアピールするよりもまず先に日本政府が取り組むべきことは、沖縄との紐帯(ちゅうたい)を取り戻すことではないのか。
 沖縄の人々は今、同じ『痛み』を胸に抱え、沖縄で生きていくことの意味をかみしめているはずだ。私は東京にいても、沖縄の人々の『魂の飢餓感』を共有する。」


 私は、渡辺の「魂の飢餓感」の示す地平に立つことにする。


 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2016-05-25 05:33 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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