2016年 05月 17日 ( 1 )

沖縄-沖縄復帰44年。各紙の新聞から考える。

 2016年5月15日、沖縄は日本復帰から44年目の朝を迎えた。
 日本本土に吹き荒れる憲法改悪の流れや戦争法の実態化の恐れが、沖縄が負わされてきた「歴史」を、少しは実像として結ぶことができているだろうか。
 1972年5月15日からの44年。
 この日の意味を、全国の新聞の社説から考える。
 各紙の社説の見出しは、次のものである。


(1)琉球新報社説-きょう復帰44年 「自治」県民の手に 沖縄の進路、自ら決める
(2)沖縄タイムス社説-[復帰44年 辺野古では]脅かされる自治と人権
(3)信濃毎日新聞社説-苦難の歩み知ることから 沖縄復帰の日に
(4)中日新聞社説-沖縄は憲法の埒外か 週のはじめに考える


 文字面だけを見た時、沖縄の二紙の主張が、「現状は克服すべき未来への糧として新しい時代を思考するもの」であるのに対して、他の二紙は、「現状認識の重要性を問う」ものに留まっているような気がする。それが、まずは、すぐれて始まりであるとしても。
 もしかしたら、このことが日本の現状なのかかもしれない。
 さて、各紙社説の要約である。

(1)各紙の主張
(琉球新報)
①44年という歳月は沖縄に何をもたらしのだろうか。1972年、県民が願ったのは平和憲法への復帰であり、自治の確立だった。
②44年間、沖縄への構造的差別を温存しただけとは思いたくない。44回目の「復帰の日」、改めて沖縄の進路は自ら決める「自立の日」として足元を見詰め直したい。
③安倍政権は地方創生を掲げ「多様な支援と切れ目のない施策」を打ち出すという。ならば沖縄の自治を尊重し、「平和を希求する」島づくりにこそ手を貸すべきではないか。国内外から多くの観光客が訪れ、アジアの玄関口として物流拠点としても期待される沖縄なら、日本経済のけん引役となり得る。いつまでも「基地の島」であることを県民は望んでいない。
④見せ掛けだけの「負担軽減」はもうやめてもらいたい。
⑤安倍政権は集団的自衛権の行使容認をはじめ、憲法を骨抜きにしている。民意を顧みない姿勢は沖縄への強権的態度と通じる。こうした時代だからこそ、屋良建議書が重視した「自治」を県民の手に取り戻すきっかけの日としたい。
(沖縄タイムス)
①施政権返還からきょうで44年。その現実は今も変わらない。その象徴が「辺野古」である。
②憲法が保障する人権や地方自治を本土並みに享受する。安保が必要だと言うなら全国で負担を分かち合う。沖縄の主張の最大公約数は、実に慎ましやかなものだ。米軍基地を沖縄に押しつけるだけでは、問題は何も解決しない。
③米軍を法的にコントロールするため米軍に国内法を適用し、政治的にコントロールするため日米合同委員会を国会が監視し統制する。その仕組みづくりがほんとうの「主権回復」に向けた第一歩だ。
(信濃毎日新聞)
①亀裂の原因ははっきりしている。沖縄の基地の負担が軽減されていないことだ。
②差し当たりは日米地位協定を、せめて欧州諸国並みの内容に改めたい。改定が実現するまでの間は運用の改善で対処したい。
③本土の私たちは何をすべきか。まずは沖縄の苦難の歩みを知ること。そして、辺野古は白紙に戻して沖縄の負担軽減に本気で取り組むよう、日本政府に求めていくことではないか。夏の参院選は政党、政治家の姿勢を見極め、主権者としての責任の一端を果たすときになる。
(中日新聞)
①安倍晋三首相は夏の参院選で勝利し、自民党結党以来の党是である憲法の自主的改正に道を開きたいとの意欲を隠そうとしません。
 国民から改正論が澎湃(ほうはい)と沸き上がる状況ならまだしも、世論調査で反対が半数を超す状況で改正に突き進むのなら強引です。憲法擁護義務を課せられた立場なら、憲法理念が実現されていない状況の解消が先決ではないのか。
②沖縄県民の民意や基本的人権が尊重され、米軍基地負担も劇的に軽減される。沖縄で憲法の理念が実現すれば、国民が憲法で権力を律する立憲主義が、日本でも揺るぎないものになるはずです。


(2)沖縄の把握
(琉球新報)
①現状を振り返ると、米軍基地の重圧は変わらず、米軍関係者による事件・事故も絶えない。憲法が保障する「平和的生存権」が沖縄では軽んじられている。基地問題では、名護市辺野古での新基地建設といった沖縄の主体性を無視した政府の強権的な姿勢も目立つ。
②米統治27年間の課題を洗い出した「屋良建議書」は、Ⅰ政府の対策は県民福祉を第一義、Ⅱ明治以来、自治が否定された歴史から地方自治は特に尊重、Ⅲ何よりも戦争を否定し平和を希求する、Ⅳ平和憲法下の人権回復、Ⅴ県民主体の経済開発、を日本政府に求めた。屋良建議書の要求は現代にも共通する。逆に言えば「当然の願望」がいまだ実現していない。
③象徴的なのが辺野古の新基地建設を巡る県と国の対立だ。選挙で示された新基地建設に反対する民意を政府は平然と無視し、地方自治を侵害している。裁判所の和解に基づいて現在は工事が中断しているが、国は事あるごとに「辺野古は唯一の解決策」と繰り返す。沖縄の自治、民意、自己決定権といった当然の権利に対する敬意が全く見えない。
④平和的生存権を脅かす事件も相変わらずなくならない。3月にはキャンプ・シュワブ所属の米兵が那覇市内で女性暴行事件を起こした。深夜外出や飲酒を規制する米軍の対策に何ら実効性がないことも分かった。
⑤基地の過重負担も政府は放置したままだ。西普天間住宅地区(約51ヘクタール)の返還をもって政府は「沖縄の負担軽減」を強調するが、本土では2014年以降に345ヘクタールの米軍専用施設が返還されている。結果的に在日米軍専用施設に占める沖縄の負担は14年時点の73・8%から74・46%に微増した。
⑥高校教科書検定での事実誤認問題に象徴されるように、沖縄経済が「基地に依存する」という神話は県外になおはびこる。沖縄の基地関連収入が県経済に占める割合は1972年度は15・5%だったが、13年度現在5・1%だ。44年間の経験から明らかなのは、米軍基地は経済の阻害要因でしかなく、返還地利用によって沖縄は飛躍的に発展したことだ。軍用地料の収入や基地従業員の所得など返還前に得ていた経済取引額と、製造業の売上高といった返還後の経済取引額を比較した「直接経済効果」は北谷町の桑江・北前地区で108倍、那覇新都心地区で32倍と跳ね上がった。
(沖縄タイムス)
①憲法が適用されていなかった米軍政下の沖縄に初めて、「憲法記念日」が設けられたのは51年前の1965年5月3日のことである。「日本国憲法の沖縄への適用を期する」という沖縄住民の切実な願いが込められていた。
②72年の施政権返還によって憲法とともに、日米地位協定も本土並みに適用されるようになり、米軍基地が集中する沖縄は、「憲法体系」と「安保体系」が日常的に摩擦を起こすようになった。
③名護市辺野古沖で沖縄防衛局発注の海上警備を請け負う民間の警備会社が、新基地建設に反対し抗議行動を展開する市民の名前を特定し、行動を記録していることが分かった。 約60人分の顔写真や名前を記したリストが存在するというから驚きだ。警備員は船やカヌーに乗った市民をカメラに収め、画像をリストと照らし合わせ、行動を記録していたという。沖縄市にあるこの警備会社は、沖縄防衛局から警備業務を受注している会社(東京)の100%子会社。防衛局はそのようなことまで指示したのだろうか。この行為は表現の自由に重大な萎縮効果を及ぼすだけでなく、肖像権やプライバシーの侵害行為にあたる可能性も強い。「安保体系」が優先され、人権や地方自治を定めた「憲法体系」が脅かされている現実を浮き彫りにした事例だ。
 今回の辺野古のケースは、過去の各種判例から判断しても違法性が強い。
④沖縄で「憲法体系」と「安保体系」のきしみが耐え難いほどひどくなったのは、軍政下に米軍によって一方的に建設された普天間飛行場を、民意に反して強引に県内に移設しようとするからだ。
(信濃毎日新聞)
①昨年の5・15。翁長雄志沖縄県知事は記者会見し、厳しい表情で語った。「本土並みを合言葉に県民の努力で勝ち取った復帰だったが、県民の望んできた形になっていない」
 米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡る政府との対立が影を落とす会見になった。
②国土面積の0・6%しかない沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中している―。しばしば挙げられる数字である。かつてはそうでなかった。52年にサンフランシスコ講和条約が発効してから本土の基地は整理、統合が進んだのに対し、沖縄の基地は削減されなかった。その結果の集中である。本土で基地反対運動が高まる中、基地が本土から移ってくるケースも少なくなかった。例えば56年には岐阜、山梨から沖縄に海兵隊が移転している。53年に浅間山麓で燃え広がった米軍演習地計画の反対運動は、そんな歩みの一こまだ。浅間の計画は撤回されている。
 大きくとらえると、沖縄が本土の米軍基地削減の動きに取り残され、時にしわ寄せをされたのが復帰までの歩みだった。
③復帰により、沖縄は日米安保体制に組み入れられた。以後、日本政府は沖縄でも米軍に用地を提供する義務を負うことになった。そこで制定されたのが公用地暫定使用法(沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律)である。米施政下で「銃剣とブルドーザー」により囲い込まれた土地を、復帰後も提供し続けるための法律だ。施行は71年12月31日。復帰の5カ月前だった。「日本の平和憲法の下に、と願っていたが、本土復帰してみると日米安保条約の下に返されてしまったように感じる」
 90〜98年に県知事を務めた大田昌秀さんは以前、共同通信のインタビューで述べていた。
 一つの自治体にのみ適用される法律は住民投票で過半数の同意がなければ制定できない―。憲法95条である。沖縄県民の意思とお構いなしに決まった公用地法は憲法の精神にも反している。
④政府はいま辺野古に新しい基地を造ろうとしている。基地はますます固定化する。反対する地元の声に対しては、「移設が唯一の解決策」と繰り返すばかりで耳を傾けない。現地では機動隊が座り込みをごぼう抜きし、海上で抗議のボートを排除する。「銃剣とブルドーザー」を連想させる手荒さだ。
 沖縄の苦難の歴史を考えれば、新基地を押しつけるのは理不尽に過ぎる。政府は辺野古をあきらめ、普天間の県外、国外移設に向け米側と交渉すべきだ。
 沖縄の人々が「本土による沖縄差別」と指摘する出来事がある。▽琉球王国を日本に組み入れた「琉球処分」▽沖縄を捨て石に本土決戦の時間稼ぎをした沖縄戦▽沖縄を本土から切り離して米統治下に置くことを認めたサンフランシスコ講和条約―などだ。
⑤辺野古移設を強行すれば新たな差別として沖縄の歴史に刻まれるだろう。亀裂は決定的になる。
(中日新聞)
①敗戦から四カ月後の一九四五(昭和二十)年十二月、「改正衆議院議員選挙法」が成立し、女性の国政参加が認められました。翌四六(同二十一)年四月には戦後初の衆院選が行われ、日本初の女性議員三十九人が誕生します。
 今年は日本で女性が参政権を行使してから七十年の節目でもあります。日本の歴史に新たな一歩を記す一方、このとき国政参加の道が断たれた地域がありました。
 住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、米軍の支配下に置かれた沖縄県と、戦争末期に参戦した旧ソ連軍が不法に占拠した北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)です。
 改正法が付則で、沖縄県と北方四島については、勅令で定めるまでの間、選挙を行わないと決めていたからです。
②当然、沖縄県側は反発します。県選出の漢那憲和(かんなけんわ)衆院議員は改正法案を審議する委員会で、県民が先の大戦中、地上戦で多大な犠牲を強いられたことに言及して、こう指摘します。
 「沖縄県民といたしましても、帝国議会における県民の代表を失うことは、その福利擁護の上からも、また帝国臣民としての誇りと感情の上からも、まことに言語に絶する痛痕事であります」
 しかし、沖縄側の訴えもむなしく法律は成立し、一二(明治四十五)年から選出されていた県選出衆院議員は途絶えてしまいます。
③五二(昭和二十七)年四月二十八日に発効したサンフランシスコ平和条約により、沖縄県が正式に米国の施政権下に置かれる前に、沖縄県民は日本の国政から切り離されてしまったのです。
④戦後初の衆院選は、日本の未来を切り開く新憲法を審議する議員を選ぶ選挙でもありましたが、その「制憲議会」に沖縄県選出議員の姿はありませんでした。
⑤国民主権、平和主義、基本的人権の尊重。明治憲法に代わる新しい日本国憲法の理念、基本原理は軍国主義によって戦禍を強いられた当時の日本国民にとって輝かしいものだったに違いありません。
 ただ沖縄県は日本国憲法の枠外に置かれ、日本の独立回復後も、苛烈な米軍統治下に置かれます。
⑥米軍は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強権的手法で、民有地を強制収用し、軍事基地を次々と建設、拡張しました。県民は米軍の事故や米兵らの事件・事故の被害にも苦しめられます。
 県民の「自治」組織である琉球政府の上には、現地軍司令官の軍事権限に加えて行政、司法、立法の三権を有する琉球列島統治の最高責任者として高等弁務官が君臨しました。米陸軍軍人だったポール・キャラウェイ高等弁務官は「(沖縄の)自治は神話であり、存在しない」とまで言い放ちます。
 人権無視の米軍統治は憲法の理念には程遠い世界でした。沖縄県民にとって七二(同四十七)年五月十五日の本土復帰は「日本国憲法への復帰」でもあったのです。
⑦しかし、沖縄県では憲法の理念が完全に実現したとは、いまだに言えません。「憲法の埒(らち)外」「憲法番外地」とも指摘されます。
⑧ 沖縄県には在日米軍専用施設の約74%が集中し、さらに普天間飛行場(宜野湾市)の返還と引き換えに名護市辺野古沿岸部に新しい基地を造ろうとしています。有事には出撃拠点となる基地の過剰な存在は憲法の平和主義や法の下の平等と相いれません。
 県内に多くの米軍基地がある限り、爆音被害や事故、事件はなくならない。憲法よりも米兵らの法的特権を認めた日米地位協定が優先され、県民の基本的人権は軽んじられているのが現状です。
⑨県民が衆院選や県知事選、名護市長選など選挙を通じて、辺野古移設に反対する民意を繰り返し表明しても、日本政府は「唯一の解決策」との立場を変えようとしない。沖縄では国民主権さえ空洞化を余儀なくされているのです。


 2016年5月15日、日本復帰44年。
 各紙の社説から読み取れたことは次のことである。
まずは、「本土の私たちは何をすべきか。まずは沖縄の苦難の歩みを知ること。そして、辺野古は白紙に戻して沖縄の負担軽減に本気で取り組むよう、日本政府に求めていくことではないか。夏の参院選は政党、政治家の姿勢を見極め、主権者としての責任の一端を果たすときになる。」(信濃毎日新聞)、ということ。
 それは、「44年間、沖縄への構造的差別を温存しただけとは思いたくない。44回目の『復帰の日』、改めて沖縄の進路は自ら決める『自立の日』として足元を見詰め直したい。」(琉球新報)、のために。
 というのは、「沖縄県民の民意や基本的人権が尊重され、米軍基地負担も劇的に軽減される。沖縄で憲法の理念が実現すれば、国民が憲法で権力を律する立憲主義が、日本でも揺るぎないものになるはずです。」(中日新聞)、であるから。
 そのためには、現実的対応策として、「米軍を法的にコントロールするため米軍に国内法を適用し、政治的にコントロールするため日米合同委員会を国会が監視し統制する。その仕組みづくりがほんとうの「主権回復」に向けた第一歩だ。」(沖縄タイムス)、ということを確立させる。
 だからこそ、この日を、「44年という歳月は沖縄に何をもたらしのだろうか。1972年、県民が願ったのは平和憲法への復帰であり、自治の確立だった。」(琉球新報)、と刻みつけよう。


 以下、琉球新報、沖縄タイムス、の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-05-17 05:50 | 沖縄から | Comments(0)

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