2016年 04月 15日 ( 2 )

沖縄-「唯一の選択肢」に異論 。元駐日米大使が「普天間は必要不可欠な基地ではない」と。

 辺野古新基地建設が「唯一の選択肢」への異論が、マイケル・アマコスト氏(元駐日米大使)から発せられた。
 沖縄タイムスは2016年4月12日、「元米国務次官でブッシュ政権時に駐日米国大使(1989~93年)を務めたマイケル・アマコスト氏が11日までに、米カリフォルニア州で沖縄タイムスとの単独インタビューに応じた。1996年の米軍普天間飛行場の返還合意から20年が経過した同移設計画について、『普天間は必要不可欠な基地ではない』と指摘、名護市辺野古への移設計画を実行する価値に疑問を呈した。日米両政府が同計画に伴う問題点を認識し、計画に反対する地元感情に配慮する重要性も強調した。」、と報じた。
 このマイケル・アマコスト氏のインタビュー の内容については、次のように伝えた。


①アジア太平洋地域における米軍再編や多国間共同訓練の増加、米比新軍事協定の締結などを挙げ、「返還合意から現在までの変化は実に大きなものだ」と指摘。中国の台頭や北朝鮮の核開発など不安要素もあるものの、普天間は「決して必要不可欠というものではない」と強調。主力ヘリがCH46中型ヘリの4倍以上の戦闘行動半径を持つオスプレイに交代した点なども指摘し、変化を踏まえた議論と検証の必要性を提起した。
②名護市長や県知事、県選出の国会議員らが辺野古移設反対を主張している情勢について「克服するにはかなり大きな勢力だ」との認識を示し、日米両政府は地元の意思を尊重する必要があるとの持論を展開した。
③2011年に米議会が辺野古移設の見直しと普天間の嘉手納統合を提言したのは「移設問題をめぐる不満の解決を目指したものだった」と評し、提言は「他の選択肢もありうることを示したものだった」と指摘。
④「任期が残りわずかとなったオバマ政権が計画の見直しに動く可能性は低いだろう」と分析した。


 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-04-15 11:16 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第47回

沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。

 今回の報告は、「20年間果たせない約束」、について。
 三上さんは、このように今回の報告を始めなければならなかった。


 人間、人生の中でコツコツと長い年月打ち込める仕事に出会うことは幸いである。失敗も成功も山あり谷あり。腐っている時期も、達成感を味わう時期もあるだろう。それこそ人生の醍醐味だ。しかし中には消せないシミのような「汚点」を抱える人もいるだろう。あのことさえなければ、と振り返ったときに、ズキッと傷むような出来事。私にとっては、それが1996年4月12日に伝えたこのニュースだ。
 20年前のこの日の夕方、当時の橋本総理がアメリカのモンデール駐日大使と共に発表した日米合意。前年に起きた少女暴行事件以降、沖縄全土が怒りで荒れ狂っていたさなか、ついに日米両政府は大幅に沖縄に譲歩した。と思った。動かなかった大きな山が動いた、と思った。朗報だと色めき立って、以下の発表をビッグニュースとして伝えてしまった。


橋本総理「普天間飛行場は、今後、5年ないし7年ぐらいに、 これから申し上げるような措置が取られた後に、全面返還されることになります」


 すぐに街頭インタビューに飛び出す記者たち。報道部全体も浮き足立っていた。感慨深げに受け止めるデスクの言葉を聞いて、歴史的な瞬間に立ち会っているようで胸が熱くなった。
 あの不幸な事件から半年、今度こそ本気で基地を無くすんだ、もしくは減らすんだという沖縄県民の本物の怒りと抗議の声が基地の重圧を跳ね返した。報道もかなり貢献できたのかも知れない、なんて思い上がりも手伝って、その夜はきっと久茂地あたりでおいしいお酒でも飲んだのではなかったか。


 だから、三上さんは、自問自答を繰り返すことになる。


「もしもあの日に、県内移設が条件ならこんな合意は無意味だ! 県民同士でいがみ合わせるつもりか? と地元局のキャスターの一人でも気炎を吐いていたら、世論を少しは変えられたのではないか。」

「もう少し早く、米軍がベトナム戦争当時に計画していた大浦湾の軍港と滑走路の複合基地について情報をつかみ、取材を進めていたら、サミットなんかで煙に巻かれる前に、政府の欺瞞を白日のもとにさらせたのではないか。」

「MV22オスプレイありきで、その正体は移設という名の新基地建設計画だったとずいぶん県内では報道したが、それをちゃんと全国ネットにできていたら、2013年に6機のオスプレイ飛来を中継するハメにならずに済んだのではないか。」


 三上さんにとって、「普天間返還合意20年」とは、「まるで沖縄県民の悲しみに応え、誠意を持って普天間基地を返してくれたかのように伝えてしまった20年前の自分と、そのあとの努力、成果の足りなさをこの20年何度呪ったかわからない。それを暴き、伝える最前線にいたのに何をやってきたのか。それを思うと自分に対しても奥歯がすり減るほど悔しいのだ。」、「そんな自分の報道生活の汚点のために、今私は放送局を抜けてまでこの問題に向き合うハメになっている。責任を感じているし、逃げてはいけないし、悔しいと思ってる人間にしかできないと思うことがあるからだ。」と。


 最後に、三上さんは、このように括った。


「20年前のあれは、まさに県民を愚弄する合意だった。繰り返すが、そのことに気づくのに、時間がかかってしまった自分が悔しい。しかし、この悔しさで20年経っても同じことに執念を燃やしている自分を滑稽にも不器用にも思える。
 消せないシミの上からカバーをして次のことに取り組むのも人生だったと思う。でも私は汚点さえ原動力にしたい。目をそらそう、逃げようとする自分にだけは勝ちたい。
 1996年の4月12日から20年目の今日、20年経ったことが受け入れられない自分と向き合いながら、そんな確認をした。」


三上智恵監督新作製作のための製作協力金カンパのお願い

『戦場ぬ止み』のその後――沖縄の基地問題を伝え続ける三上智恵監督が、年内の公開を目標に新作製作取り組んでいます。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。

■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
・ 銀行名:ゆうちょ銀行
・ 金融機関コード:9900
・ 店番 :019
・ 預金種目:当座
・ 店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
・口座番号:0673027
・加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会


 以下、三上智恵の沖縄(辺野古・高江)撮影日記第47回の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-04-15 05:55 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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