2016年 03月 28日 ( 3 )

沖縄-「いよいよ本格的な工事停止に向けて動きだしている」。ダンプカー8台ほどがシュワブ内から出て行った。

 標題について、沖縄タイムスは2016年3月28日、「名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前では28日、新基地建設に反対する市民ら約80人が座り込みを続けている。市民らによると同日午前8時半ごろ、パワーショベルやコンテナなどを積んだダンプカー8台ほどがシュワブ内から出て行ったという。沖縄平和運動センターの山城博治議長は『いよいよ本格的な工事停止に向けて動きだしている』と話した。」、と報じた。
 

 以下、沖縄タイムスの引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-28 17:47 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄-オスプレイ・19人死亡事故について、米国防総省は、人的要因との結論を修正。

標題について、沖縄タイムスは2016年3月26日、「米アリゾナ州で2000年4月に19人の死者を出した米海兵隊オスプレイMV22の墜落事故原因をめぐり、米国防総省は、操縦ミスなどの人的要因が事故を招いたなどと結論付けていた当初の見解を改め、複数の要因が事故につながったなどと修正していたことが24日までに分かった。」、と報じた。
 また、このことについて、「事故発生時に同機を操縦し死亡した海兵隊員2人の妻らが、夫の汚名をそそぎたいと訴え活動してきたのを受け、ウォルター・ジョーンズ米下院議員(ノース・カロライナ州選出)が国防総省に再調査を依頼。同省はロバート・ワーク副長官の主導で再調査を実施した。」、「ワーク氏がジョーンズ議員に送った2月11日付の書簡によると、事故当時、開発段階にあったオスプレイの操縦マニュアルには、回転翼機特有の失速現象であるVRS(ボルテックス・リング状態)を回避する対応などに関する記述が不十分で、操縦士の指導が不足していた点などを指摘。ワーク氏は『人的要因が事故を起こしたことは疑いようがない』と前置きした上で、『私は同事故の原因がたった一つの【致命的な要因】によるものと断定するのは不可能との結論に達した』と言明。『むしろ、一連の意思決定や(事故発生時の)事象や状況など複数の特別な要因が事故につながった』」と指摘した。」、と伝えた。


 以下、沖縄タイムスの引用。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-03-28 12:15 | 米軍再編 | Comments(0)

本からのもの-さらばアホノミクス 危機の真相-

著書名;さらばアホノムクス-危機の真相
著作者:浜 矩子
出版社;毎日新聞出版


 浜矩子さん(以下、浜とする)は、まず始めに、アベノミクスについて、「評価するどころか、アベノミクスを経済政策とすることにすら問題があると思います。およそまともな『政策』の体をなしていない」、と断定する。
 浜の著書として、前回は、「国民なき経済成長-脱・アホノミクスのすすめ-」を採り上げたが、アベノミクスへの分析は相変わらず容赦ない。
それは、次の主張に尽きる。


「経済活動は人間の営みなのに、その中で人間が主役になれない。労働者ではなくて労働力、技術者ではなくて技術力、国民ではなくて国力、関心の焦点が『人』から『力』」へのどんどん移っていってしまう。そのことが、『第二ステージ』と『新三本の矢』を語る浮ついた言葉の中ににじみ出ている。」


 浜は、アベノミクスの正体について、重要な指摘をします。


「彼は、2015年4月に米国に行き、29日に議会演説をしています。その同じ日の夕刻、米国の笹川財団でもスピーチをしていて、その中では、『アベノミクスと私の外交安全保障政策は表裏一体でございます』とはっきり言っています。これがアベノミクスの正体なのです。つまりアベノミクスは彼の外交安全保障政策のお先棒担ぎに過ぎないということなのです。そのようなものは、経済政策の名に値しません。」


 浜は続けて、「まさに『強いお国』を構築するために強い経済基盤をつくる。安倍首相の頭の中にあるアベノミクスとはそういうことなのです。これはもはや経済政策ではありません。」、と駄目を出します。 


 だから、ここで、浜は、本来の経済政策の二つの目的について次のように指摘する。


「第一は崩れた均衡の回復です、経済活動がバランスを失った時、再びバランスの取れた状態に向かって経済活動を引き戻していくということです。第二の目的が弱者救済です。そして、経済政策の二つの目的の間にこそ、言葉の正確な意味での表裏一体性があります。なぜなら、経済活動が均衡を失った時、それによって最も直ちに、そして最も深く傷つくのが弱者だからです。経済活動の均衡が崩れるというのは、例えば、猛烈なインフレになるとか、ひどいうデフレ状態に陥るというようなことです。そのような環境の中で、弱者がどんなに傷つくかは、いうまでもありません。」


 この視点から、浜は、アベノミクスを、次のように「アベノミクスは経済政策の名に値しない」とするのです。浜は、次のように説明します。


「ところが、アベノミクスは均衡回復にも弱者救済にも頓着しない。外交安全保障政策と表裏一体なのだとご本人が言っている。ですから、これを経済政策と呼ぶわけにはいかないのです。私はアベノミクスのことを『アホノミクス』だと言ってきましたが、これさえも、過大評価だったのだと考えざるを得ません。『何とかノミクス』と呼んであげるわけにはいかない。これが総括評価ということになるでしょう。
 実際、社会保障に関しては生活保護費などは減らしています。一方で防衛費は、2003年以降、ずっと減らしてきたものを、2013年以降3年連続で増やし、15年度は過去最高の4兆9800億円と急速に冷やしています。決して、国民をデフレの淵から救い出し、不均衡経済がもたらす痛みから解放しようと考えているわけではありません。」


 浜は、「アベノミクスは経済政策の名に値しない」ことのもう一つの理由を、「明確なアナクロニズム」 にあると位置づけます。


「国々の経済政策は、その国の経済構造や発展段階にマッチしたものでなければなりませんが、今や日本経済は輸出主導型成長の経済ではありません。日本は輸出大国ではなく、実は輸入大国です。これは国際収支構造を見れば明らかです。
 原油などのエネルギーに始まり、多くの生産財や資本財はもちろん、人々の生活に密着している消費財も、地球上のあらゆる国からの輸入に頼って、日本という大きな国の経済を回しているのです。そのような中で円安を追求する政策はまったく理にかないません。・・・今の円安政策は、このあたりを完全にはき違えています。頭の中が過去で一杯、実に"浦島太郎的”であり、"アナクロニズム"なのです。」


 こうした理由により、浜は、「アベノミクスは経済政策と呼べないことはもちろん、もはや完全に行き詰まりつつある。『第二ステージ』が、希望だの夢だのと、むやみに上滑るする言葉に頼ろうとしているのも、この行き詰まり状態の現れでしょう。」、と明快に断定します。


 浜は、安倍晋三政権で「活用」する「経済学者」が多用する「トリクルダウン」政策ということについても、このように説明します。なお、「国見なき経済成長-脱・アベノミクスのすすめ-」では、このことについて、ジョン・ケネス・ガルブレイスの「昔の人々は現代人ほどお上品ではなかった。だから、トリクルダウン政策ではなくて馬とスズメの政策」、と引用して説明していました。


「外交安全保障と表裏一体のアベノミクスにおいては、実をいえば恩恵がしたたり落ちようが落ちまいが、そんなことはどうでもいいのだと思います。まさか、その本音を前面に出すわけにはいかないから、いずれ温かさが全体に及ぶことを期待していると口では言っています。しかしながら、実際には、そこを狙っているわけではない。あくまでも強い者がより強くなり、大きな音がより大きくなり、豊かな者がより豊かになりさえすれば、それでいいのです。そのことが、『強い日本を取り戻す』ことにつながれば、弱者がどうなろうと知ったことではない。」


 浜は、さらに、こう続けます。


「日本に先行してトリクルダウン的な政策が行われたのは1980年代のイギリスのサッチャー政権下(サッチャリズム)、アメリカのレーガン政権下(レーガノミクス)においてです。・・・この両者のやり方は、経済全体に恩恵をもたらすことなく、もっぱら格差拡大という形で経済の不均衡を深化させてしまったのです。考えてみれば当たり前で、したたり落ちるといっても、どこに落ちるかなんて分からないわけです。例えば、金持ちに対して減税して、そこで浮いたおカネで彼らが高級車を買ったとしても、そのおかげで生活に困っている貧困世帯が多少とも薬になるなどということは、およそ保証の限りではないわけです。貧乏人を救うためには金持ちをよりお金持ちにすることが必要だというのは、何ともおかしな考え方です。」


 また、浜は、続けてアベノミクスへの決定打を繰り出す。


「レーガノミクスが金融政策への便乗商法なら、アベノミクスは、金融政策に対する恫喝商法だ。法改正をちらつかせながら、言いなりになることを強要している。いずれ劣らず、悪徳商法だ。だが、やはり、恫喝の方がタチは悪いだろう。」


 後は、浜の幾つかの気になる指摘を挙げます。


(1)マイナンバーは経済統制への布石?


「マイナンバーもまさに経済統制への布石かと思えてしまいますよね。・・・利便性の隠れ蓑の影で監視社会をつくろうとする意図がありはしないか。どうしてもこういう疑問が湧いてくる。これは制度の問題ではなくて、制度の運営管理者たちの体質と信頼性の問題です。どんなに立派な制度でも、その運営主体によこしまな魂胆があれば、とんでもない結果になる。」


(2)「女性の活躍」の魂胆は有効利用宣言の果てに


「2014年6月末に公表された政府の『【日本再興戦略】改訂2014~未来への挑戦~』には、次のように書かれている。『・・・・人口減少社会への突入を前に、女性や高齢者が働きやすく、また、意欲と能力のある若者が将来に希望を持てるような環境を作ることで、いかにして労働力人口を維持し、また労働生産性を上げていけるかどうかが、日本が成長を持続していけるかどうかの鍵を握っている。』
 ご覧の通りだ。何のために女性が活躍することを期待されているのか。それは『我が国の経済社会の特徴的な発展』のためだ。なぜ、女性が輝く社会が必要なのか。要するに『労働力人口を維持し、労働生産性を上げていけるかどうかが、日本が成長を持続していけるかどうかの鍵を握っている』からなのである。
 端的にいって、これは女性という『財』の有効利用活用宣言だ。女性たちに大動員をかけることことで『強い日本を取り戻す』という安倍政権の野望達成に役立てようというわけである。」


 浜は、この問題の本質を次のように指す。


「そこには、やはり人権問題がある。そう受け止める発想がどこにも見受けられない。女性を巡っては、女性の貧困問題という実に大きな人権上の課題もある。先進国と呼ばれながら、その名に恥ずべき状態がある。それは資源の過小活用問題ではない。人間の尊厳や生存権に関わる問題だ。」


(3)柔軟な雇用ガレー船、蛸部屋の復活か


「成果主義とゼロ時間、この両者が、いずれも多様な就労とか、柔軟な雇用という言い方の下で正当化されていく。こんなことで本当にいいのか。・・・。
 柔軟な雇用という言い方は、一体、誰のための柔軟性を指しているのか。成果主義にせよ、ゼロ時間契約にせよ、これらは、いずれも、労使関係において、リスクを一方的に使用者側から労働者側に転嫁する突破口となりかねない。
 労働価値説という言葉がある。この概念は、経済学の生みの親であるアダム・スミスの『国富論』に出発点がある。モノの価値は、そこに投入されたヒトの労働によって決まる。そういうことだ。初めにヒトありきだ。成果や便利さから、ヒトの価値を逆規定されてはたまらない。」 


 最後に、浜は、本来の経済政策の役割について、次のように示します。


「今の日本経済は成熟経済だ。成熟経済に必要なのは、分かち合いの論理だ。奪い合いの論理ではない。一握りの強者が栄えることで、全体が元気になれるという発想は幻想だ。政策は強きものをより強くするためにあるわけではない。弱気者の生きる権利を守ることが、その本来的役割だ。」


 浜の提起することが、本来の経済政策であるならば、いやそうならなければいけないのだ。


by asyagi-df-2014 | 2016-03-28 06:30 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧