2016年 02月 11日 ( 3 )

米軍再編-オスプレイめぐり、防衛省・自衛隊は陸自木更津駐屯地(千葉県)を候補地として検討。

 標題について、朝日新聞は2016年2月9日、「陸上自衛隊が導入するオスプレイの佐賀空港(佐賀市)配備計画をめぐり、防衛省・自衛隊が佐賀配備を断念した場合に備えて陸自木更津駐屯地(千葉県)を候補地として検討していたことが分かった。具体的な行程を記した検討資料を作成していた。佐賀配備は地元との調整が難航しているが、防衛省関係者は佐賀配備の断念は考えていないとしている。代替地の検討が明らかになるのは初めて。」、と報じた。
 なお、佐賀空港へのオスプレイの配備計画については、「防衛省関係者は木更津配備の検討について、『(佐賀の受け入れ環境が整わない中、)新年度予算編成を考えた。佐賀配備の断念は考えていない』と説明。佐賀側に受け入れを促す材料だとしている。」、と伝えている。


 以下、朝日新聞の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2016-02-11 17:03 | 米軍再編 | Comments(0)

原発問題-「年間被ばく線量1ミリシーベルト科学的根拠なし」、「(除染が終わらないため)帰れるはずの所にいまだに帰れない人がいる」、と発言。

 信濃毎日新聞は、2016年2月8日、「丸川珠代環境相は7日、松本市内で講演し、東京電力福島第1原発事故を受けて国が原発周辺などで行っている除染で、基準となる年間被ばく量を1ミリシーベルトとしている点について、『【反放射能派】と言うと変ですが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で、何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた】などと述べた。丸川氏は、国が行う除染の基準は厳し過ぎるとし『(除染が終わらないため)帰れるはずの所にいまだに帰れない人がいる』とも主張した。」、と報じた。
 このことについて、東京新聞は2016年2月9日、「東京電力福島第1原発事故後、国が『年間被ばく線量1ミリシーベルト』と定めた除染の長期目標をめぐり、丸川珠代環境相が講演で『何の根拠もなく時の環境大臣が決めた』などと発言した問題で、放射線の専門家からは9日、『根拠はある。発言の真意がよく分からない』といぶかる声が上がった。」、と報じた。
 また、『年間被ばく線量1ミリシーベルト』の根拠について、「鈴木元国際医療福祉大教授(放射線疫学)は、1ミリシーベルトの目標は『事故で出た放射性物質と共存する状況にあって、年間1~20ミリシーベルトの幅で適切な防護をしながら長期的に1ミリシーベルトを目指すという国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方に基づく』と指摘。」、と伝えた。
 東京新聞は2016年2月9日に、「丸川珠代環境相は九日の衆院予算委員会で、東京電力福島第一原発事故後に国が年間被ばく線量の除染の長期目標を一ミリシーベルト以下に定めたのは『何の根拠もない』と発言したことについて『誤解を与えたなら、言葉足らずだったことはおわびする』と陳謝した。民主党は批判を強め、国会審議で追及する。」、と続けた。
 さらに、「丸川氏は『一ミリシーベルトというのを福島の皆さんが望んでおられる基準に合わせて考えていくことが非常に重要だ』と指摘。被災者が被ばく線量の緩和を希望しているとして、見直すべきだという考えを示した。」、と報じた。


 丸山環境大臣の国が行う除染の基準は厳し過ぎるとする「(除染が終わらないため)帰れるはずの所にいまだに帰れない人がいる」という発言は、「原子力緊急事態宣言」が解除できていないということを、どうやら理解できていないことを示したものではないか。 あまりにも、愚かである。


 以下、信濃毎日新聞及び東京新聞の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2016-02-11 14:33 | 書くことから-原発 | Comments(0)

沖縄-沖縄タイムス特集【誤解だらけの沖縄基地】を読む(12)。

 沖縄タイムスの特集、「誤解だらけの沖縄基地」(12)を考える。
 第12回目は、「普天間飛行場はいつから「世界一危険」に?」、ということについて。
 沖縄タイムスは、次のように報告する。


 
(1)普天間の経過
①普天間飛行場は1945年の沖縄戦で米軍が占領、接収し、陸軍工兵隊が本土決戦に備え、滑走路を建設したことに始まる。
②施設管理権は57年4月に陸軍から空軍、60年5月に空軍から海兵隊へ移った。59年7月には海兵隊のヘリコプター中隊が先行して、普天間に移駐されたという新聞記事が残る。
③61年から普天間飛行場で物資補給係として働いていた崎浜秀松さん(79)は、幾つかの部隊が混在し、4、5カ所の格納庫にヘリコプターや固定翼機が入っていたことを覚えている。一方、周辺の高校生が基地内で部活動の練習に励むなど「軍事施設とは思えない牧歌的な感じがあった」と懐かしむ。60年代は、今よりもはるかに飛行が少なかったと記憶する。
④当時の米国内での普天間の位置付けについて、近畿大学講師の川名晋史さん(36)が公文書を入手し、明らかにした。68年12月の段階で、米国防総省が閉鎖を検討していたというのだ。川名さんによると、69年の普天間所属機はヘリ4機、固定翼16機。海兵隊航空機は朝鮮半島有事の際、到着までに時間がかかり、同省は「決定的な役割を果たせない」と分析していた。
⑤ところが69年9月、首都圏の航空基地を整理縮小する目的で、神奈川県厚木基地のヘリを普天間に移設する計画に修正。普天間閉鎖は日の目を見ずに消えた。逆に69年11月から、第1海兵航空団第36海兵航空群の拠点施設となり、70年以降、ヘリ80機、固定翼26機に増強されたという。
⑥2003年11月に上空から視察した当時のラムズフェルド米国防長官が「世界一危険な米軍施設」と指摘した。
⑦その後、嘉手納の補助飛行場として滑走路が整備され、航空機誘導用レーダーや格納庫が新設されるなど機能強化が進んだ。
(2)普天間の位置づけ
①68年6月に福岡県板付所属のF4戦闘機が九州大学構内に墜落するなど、本土の反基地感情が高まっていたことが背景に重なる。川名さんは70年安保を前に「首都圏から基地を遠ざけるために沖縄の基地が収容場所になった」と考える。
②宜野湾市の基地政策部長を務めた山内繁雄さん(64)は、政治的な事情で普天間に機能を押し付け、重要性が増すうちに返還できず、固定化したと憤る。
 「海兵隊の一体運用は後付けの都合のいい解釈ではないか。辺野古新基地は普天間より機能が強化されるので、米軍は簡単に手放さず、固定化されかねない」


 普天間基地の課題・問題は、辺野古新基地建設がもたらす問題を、より大きくして浮かび上がらせる。


 以下、沖縄タイムスの引用。






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by asyagi-df-2014 | 2016-02-11 05:50 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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