2016年 02月 10日 ( 3 )

沖縄-20160210沖縄辺野古

 辺野古新基地建設反対について、沖縄タイムスは2016年2月10日、「沖縄県名護市辺野古の新基地建設に反対する市民らは10日午前、沖縄県議や市町村議員が参加する大規模な抗議集会を米軍キャンプ・シュワブのゲート前で開き、約250人が参加した。新基地の建設工事をするための車両は基地内に入らず、市民らは「県民の力の結集が工事を止めている」と喜んだ。シュワブ沿岸の海上でも抗議船3隻、カヌー9隻が新基地建設の監視に当たったが、午前10時の時点で目立った作業はない。」、と報じた。

 また、沖縄タイムスは2016年2月10日、「米主要紙ワシントン・ポストは8日、名護市辺野古の新基地建設に抵抗する沖縄の住民に視点を当てた記事を掲載した。1面下段での目玉記事を紹介する『ニュース』のセクションで紹介。『ワールド』面で3分の2以上のスペースを割くなど目立つ扱いをしている。」、と伝えた。
 この記事内容について、「記事は、同紙のアン・フィフィールド東京支局長が米軍キャンプ・シュワブのゲート前で抗議活動を展開する山城博治氏を軸に執筆。『日本では戦後、米国による占領は1952年に終わったが、沖縄では今も続いている』とし『論争となっている米軍普天間飛行場は(米ワシントン郊外にある)レーガン国際空港の約2倍の大きさで、ロサンゼルスとほぼ同じ大きさの島の中で土地価格が上昇傾向にある開発地区に位置している』と米市民に理解しやすい例えで説明。その上で『沖縄県民は、日本の1%の領土に米軍基地の73%があり、日米安全保障同盟の過剰負担を背負わされていると主張する。米軍は沖縄にある専用施設はわずか39%だと異議を唱えている』と伝えた。」、と報じた。
 さらに、「日米両政府が工事への強硬姿勢を維持する中、キャンプ・シュワブ前での抗議が続く理由として山城氏の『抗議に来る人々のほとんどは、この地域で再び戦争が起きた場合に巻き込まれることを懸念している』との見解を紹介。ヘルメットをかぶった米兵らを乗せた巨大な軍用車両が住宅街などを移動する様子を目にした記者は『戦争の影は実際に沖縄の日常を覆っている』と同調。山城氏の『東京の政府はわれわれに諦めさせようとしているが、われわれは70年も振り回され続けてきた。これ以上は我慢しない』との言葉で締めくくっている。」、と伝えた。


 『戦争の影は実際に沖縄の日常を覆っている』との米国記者の目を、私たち本土の側の者が、持ち得ているか。

 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-10 20:50 | 沖縄から | Comments(0)

自由権-国連・表現の自由特別報告者による日本調査の決定を歓迎するNGO共同声明

 国連の表現の自由特別報告者デビッド・ケイ氏の日本公式訪問が実施されることについて、関係NGOの共同声明が、2016年2月4日出された。
 この共同声明は次のように伝えた。


「同氏の公式訪問は昨年12月の日程で決定されていたが、日本政府の要請によって11月にこれが中止された。日本政府の中止決定に対し、私たち NGOは同25日に強い懸念を表明し、日本政府に対して、表現の自由の国連特別報告者の公式訪問を2016年前半中のできる限り早い時期に実現す べきことを求めた。」

「私たちは、いったん中止された公式訪問が、日本政府と特別報告者との協議によって早期に可能になったことを心から歓迎する。また、公式訪問の早期 実現のために日本政府機関と国連機関が行った努力に対して、敬意を表するものである。」


 また、この共同声明では、「ケイ氏が日本調査での関心事項として挙げていた特定秘密保護法の実施状況、メディアによる取材報道の自由、知る権利など、日本における表現の自由 に関する現状には懸念すべき点が多々ある。私たちは、このような表現の自由に関する状況の改善に確実につながる機会となるよう、日本政府が特別報告者の調査に誠実に協力するよう求める。ま た私たちも、政府機関とも協力し、公正かつ十分な調査が実現できるようにしたい。」、とまとめられている。


以下、の「国連・表現の自由特別報告者による日本調査の決定を歓迎するNGO共同声明」の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-02-10 17:33 | 人権・自由権 | Comments(0)

沖縄-沖縄タイムス特集【誤解だらけの沖縄基地】を読む(11)。

 沖縄タイムスの特集、「誤解だらけの沖縄基地」(11)を考える。
 第11回目は、「普天間飛行場は田んぼの中にできた?」、ということについて。
 沖縄タイムスは、次のように報告する。


(1)誤解というもの。(むしろ果たして誤解なのかとも。)
①「米軍普天間飛行場は、もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった」「商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」
②このような「基地は田んぼにできた」という発言は過去にもあった。10年、当時のケビン・メア在沖米国総領事だ。
(2)沖縄からの声。
①2015年6月25日に開かれた自民党若手議員らの勉強会。ベストセラー作家・百田尚樹氏の事実とかけ離れた発言は、宜野湾市民の猛反発を買った。米軍普天間飛行場がある場所には戦前、村役場や宜野湾国民学校もあり、南北には宜野湾並松(ジノーンナンマチ)と呼ばれた街道が走る生活の中心地だったからだ。
 「住民をばかにしている」「ネット情報をうのみにしたような幼稚な発言だ」
 3日後の28日。大部分の土地が接収された字宜野湾郷友会(宮城政一会長)の総会では、怒りの声が噴出した。字宜野湾の住民は、ほぼ現在の飛行場内に住んでいた。
②「またか、という思い。ちょっと調べればすぐ分かること」。宮城さんは悔しそうに語る。「私たちの古里がなかったことになる。先輩からは市場で買い物したこと、馬場にンマハラシーを見に行ったこと…。たくさん聞いた。生活の場であり、憩いの場でもあった場所だ」
(3)人々の生活拠点はどのようにして奪われたのか。
①宜野湾市史によると、沖縄戦前年の1944年、宜野湾村(当時)には22の字があり、人口は1万3635人。そのうち、普天間飛行場は14字にまたがる宜野湾の中心に建設された。その14字では8880人が生活していた。
②人々の古里が奪われたのは45年の沖縄戦。宜野湾へ侵攻した米軍が占領と同時に土地を接収し、滑走路の建設を始めた。住民は同年10月以降に順次、収容所や避難先から帰村が許されたが、多くが古里に戻れず、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされた。
(4)今強いられていること
①古里を奪われた住民の先祖が眠る墓や御願所は、今も基地の中だ。基地内に入るには米軍の許可が必要になる。宜野湾郷友会が年中行事で拝むウブガーはフェンスの奥わずか100メートルほどの場所にたたずむ。
②宮城さんは話す。「古里の土地に入るのに、許可を得なければならないというのは…。矛盾してますよね」


 「普天間飛行場は田んぼの中にできた?」という誤解は、「古里の土地に入るのに、許可を得なければならないというのは…。矛盾してますよね」という言葉の重みで霧散してしまう。もちろん、「百田氏が言う『商売目当て』では決してなく、基地の周りに住まわされたのが実情だ。」、ということになる。
また。百田は果たして自分の危うさにどのように向き合うのか。


 以下、沖縄タイムスの引用。






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by asyagi-df-2014 | 2016-02-10 06:32 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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