2016年 01月 30日 ( 4 )

沖縄-代執行訴訟の第3回口頭弁論が2016年1月29日、開かれた。裁判長は、弁論の終盤で国と県側に和解を勧告した。

 標題について、沖縄タイムスは2016年1月29日、「名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立て承認の取り消しを違法として、国が翁長雄志知事を相手に起こした代執行訴訟の第3回口頭弁論が29日、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)で開かれた。県側が申請した尋問について、翁長知事と稲嶺進名護市長への尋問を決定。県と国に和解も勧告した。関係者によると、内容の一部は国が訴えを取り下げ、両者の対話を呼び掛けるもの。国に違法確認訴訟や是正の指示など代執行以外の法的手続きについて模索を促したとみられる。」、と報じた。
 この口頭弁論の様子について、沖縄タイムスは次のように伝えた。


 「多見谷裁判長は、県側が申請した環境や安全保障の専門家ら7人の証人尋問は却下したものの、事前に提出した陳述書は証拠として採用。国と県が18日までに提出した準備書面の一部については、陳述扱いにしないと決めた。翁長知事が尋問に臨むのは2月15日。稲嶺市長は29日で、裁判はこの日に結審する見通し。早ければ3月中にも判決が言い渡される。」

 「多見谷裁判長は、弁論の終盤で国と県側に和解を勧告し、終了後は両者とともに非公開で協議した。県によると、裁判所からは『根本的』と『暫定的』の2案が提示されたという。具体的な内容に関しては、裁判所の指示で公表できないとしている。」

 「和解案について、翁長知事は『新辺野古基地は造らせない』という姿勢は持ちつつ、『関係者の意見を聞きたい』と述べた。菅義偉官房長官は会見で『政府として対応可能か検討したい』とした。県側の加藤裕弁護士は『協議内容を全く明らかにしないということはない。裁判所と協議して、県民にオープンにできるよう模索したい』とした。」


 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-01-30 17:29 | 沖縄から | Comments(0)

ハンセン病-ハンセン病元患者の子どもら家族が、国に謝罪や損害賠償を求める集団訴訟を提訴へ。

国のハンセン病隔離政策によって、元患者の子どもら家族が被害を受けたとして、国に謝罪や損害賠償を求める集団訴訟について、朝日新聞は2016年1月24日、「国のハンセン病隔離政策によって、元患者の子どもら家族が被害を受けたとして、国に謝罪や損害賠償を求める集団訴訟の原告団と弁護団が24日、熊本市で記者会見した。熊本地裁への提訴は第1陣が2月に59人、第2陣は3月を予定。最終的に原告は70人を超える見込みという。」、と報じた。
 この日の会見について、「会見したのは原告2人と弁護士3人。弁護団によると、裁判では、家族の隔離によって家庭が崩壊したり、差別に苦しんだりした人たちに対する国の責任を問い、謝罪や1人当たり500万円の損害賠償、支援制度の設立を求める。原告は九州・沖縄や関西、東京、東北などの37~91歳で、元患者を親に持つ子どもが多いという。」、と伝えた。
 また、「隔離政策をめぐっては、違憲性を認めた2001年の熊本地裁判決後、国は元患者に謝罪や補償をしたが、家族には同様の対応をしていない。」ことから、弁護団の徳田靖之共同代表の「社会で家族が受けた偏見差別と隔離政策がどうつながっていたのかを明確にしたい」、との声を伝えた。
 さらに、「幼少期に両親と2人の姉が岡山県の長島愛生園に入所した原告副団長の男性(60)」の「自らの家族がハンセン病だったことを語れない苦しさは家族にしかわからない。一人でも多くの思いを伝える裁判にしたい」との声も伝えた。


 以下、朝日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-01-30 12:33 | ハンセン病 | Comments(0)

原発問題-高浜原発再稼働に、市民ら抗議の声。「事故が起きれば京都も住めなくなる。必ず事故は起きると考えて原発は廃炉にするしかない」。

 関西電力高浜原発(福井県高浜町)の3号機は、2016年1月29日の午後5時、再稼働した。
 このことについて、朝日新聞は2016年1月30日、「関西電力高浜原発(福井県高浜町)の3号機が29日午後5時、再び動き出した。原発に近い府内の首長は『今後も安全確保を訴えていく』と口をそろえた。原発の危険性を訴え続けてきた市民らは雨の中、この日も抗議の声を上げた。」、と報じた。
 また、朝日新聞は、抗議の声を次のように伝えた。


①高浜原発が再稼働した午後5時すぎ、下京区の関電京都支社前で金曜日188回目の「キンカン行動」が始まり、再稼働の撤回を求めた。その後、約150人が支社周辺を2周デモ行進した。下京区の森野修一さん(69)は「事故が起きれば京都も住めなくなる。必ず事故は起きると考えて原発は廃炉にするしかない」と話した。

②「京都府が再稼働の同意プロセスから除かれているのはおかしい。法的にきちっとして初めて真に理解を得る再稼働ができる」。山田啓二知事は29日の記者会見で、ぶぜんとした表情で同意権がないことを、こう語った。「府民の安心・安全を守るために全力を尽くす」とするが、避難計画が実際に使えるのか不透明なままの再稼働に「実践的な訓練をすればいろいろ問題が出てくると思う。訓練を重ねて改善したい」。

③舞鶴市の多々見良三市長は談話で「絶対に事故が起こることがない運転をお願いする。情報は速やかに報告いただきたい。国には原子力防災対策で立地自治体と同等の整備をお願いする」と要望。綾部市、宮津市、福知山市、南丹市、伊根町の首長も談話を出した。

④与謝野町など30キロ圏外の自治体も反応。中山泰・京丹後市長は「(再稼働は)できる限り経過的で、慎重な運用となるよう努めてほしい」とし、「独自に避難計画を策定した自治体に、国は避難先自治体のあっせん、安定ヨウ素剤の配備など30キロ圏内と同様の支援を」と求めた。京都市の門川大作市長は「原発に依存しないエネルギー社会を目指して努力する」とした。


  再稼働という愚を、許すわけにはいけない。


 以下、朝日新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-01-30 09:16 | 書くことから-原発 | Comments(0)

緊急事態条項を考える(2)。

 「緊急事態条項」について、考えます。
今回は、水島朝穂さんの「直言」と「奥平康弘・愛敬浩二・青井未帆編『改憲の何が問題なのか』岩波書店」をもとに考えます。

 水島さんの「直言」の次の指摘は、このところのテレビ画面を覗いた時の「あれ。これは」という私自身の思いに繋がるものでした。


「安倍首相の様子がおかしい。自らを神格化し(天孫ニニギノミコトの生まれ変わり)、全能感いっぱいで、爆走している。国会での答弁風景も、誰もが『大丈夫か』と思う危険水域に入ってきた。ヤジを飛ばす、聞かれたことに答えない、はぐらかす、論点をすり替える、別の問題を延々としゃべり続ける・・・。とりわけ1月19日の参議院予算委員会の答弁には仰天した。」
「福島瑞穂議員(社民党)が自民党改憲草案の緊急事態条項について、『ナチスの授権法〔全権委任法〕とまったく一緒だ』と追及すると、『緊急事態条項は諸外国に多くの例があり、そ・う・し・た・批・判・は・慎・ん・で・も・ら・い・た・い・』と述べたのである。議員に向かって、質問をするなと言ったに等しい。批判に対しては反論できる機会があるのに、批判を封じようとする発想は危ない。また、国会の審議は討論会ではない。国民の代表である国会議員の質問に答えるのは、行政府の長である首相の義務である。」


 この日のテレビで見た安倍晋三首相の様子は、爆発寸前の「こわさ」を漂わせていました。それは、人間として壊れるのではないかという危惧さへも覚えさせる類の「こわさ」です。

 さて、「改憲の何が問題なのか」から、緊急事態条項について、要約します。


(1)水島さんの立ち位置
 日本国憲法の徹底した平和主義の観点から、憲法9条の大幅改変と連動して(本書第4章・青井論文参照)、軍事装置に強大な権限を与えるような緊急事態条項には反対であり、「改正草案」はそれだけで検討に値しないのだが、本稿では、こうした外在的批判はひとまず措いて、仮にそれを条文化した場合、立憲主義の観点からどのような問題が生じうるかを内在的に明らかにすることに主眼を置いたことをお断りしておきたい。
(2)結論
 この緊急事態条項を含む自民党「改正草案」は、決して実現されることなく、そのまま歴史の博物館に寄贈することが、その最良の活(生)かし方ではないだろうか。
(3)反対の理由
①「改正草案」の緊急事態条項は、もし実現するようなことがあれば、内閣(総理大臣)が「何でもできるようになる」ことを授権するための条項として機能する可能性が高いことが分かった。内閣総理大臣への過度の権限集中など、先行する各種の「憲法改正試案」などと比べても、「改正草案」は突出した専断性を有しているからである。
②条文の設計が、既存の法律を無批判に、ときに大雑把、乱暴に転写したものになっている点も、憲法と法律の根本的な差異に無自覚な、「改正草案」の危うさを示している。それは、憲法は権力を制限する規範であるという近代の(そして近時では国際的な共通理解としての)立憲主義の大前提を無視したまま(あるいは、知らないまま!)、日本国憲法を、国民が「尊重」しなければならない規範、権力の発動要件を定めたルールへと変質させようとする、「改正草案」全体に通底する問題性とも重なってくる。
③憲法の緊急事態条項に、改めて人権の「最大限の尊重」を求める規定を挿入するという「愚挙」を目にしたとき、この一事をもってしても、「改正草案」において想定されている「憲法」が単なる重要な法律に類するものに過ぎないという壮大な勘違いに気づかない人々が権力を担い、憲法を改正しようとしていることに慄然たる思いがする。
(4)7つの問題点
①「緊急事態」の非限定性――「今そこにある危機」は何でも?
 「内乱等による社会秩序の混乱」は、「等」に何を含めるかによって、「社会秩序の混乱」を拡大解釈することが可能となる。「その他の法律で定める緊急事態」に至っては、90年代の国内金融危機や2000年以降の国際金融危機などの経済財政上の事態や、伝染病の流行、パンデミックなども想定され得るのか。3つの例示事態を含めて、それぞれ性質が異なっているにもかかわらず、98条1項では一律に取り扱われている。各国の緊急事態条項が、緊急事態の限定や慎重な列挙に熟慮のあとが見られるのと比べても、「改正草案」のおおらかさには驚くばかりである。
②法律への委任の多用――存在の耐えられない軽さ…
 「改正草案」で目立つのは、法律への委任が実に多いことである。わずか2カ条で「法律の定める(ところにより)」という文言が8カ所に出てくる。「改正草案」の発想は、緊急事態宣言の要件や効果に関わる事項を、各種緊急事態に関連する法律に委任するようあらかじめ宣言する結果になっている。これは、憲法上の重要事項について、単純過半数により制定可能な法律に委ねるものであり、大いに問題だろう。
③緊急事態宣言の要件・手続――閣議と国会承認
 「改正草案」では緊急事態宣言を内閣総理大臣が行う際、「閣議にかけて」が要件となる。
 だが、「閣議にかけて」という文言は、合議体としての内閣の決定の要請とは明らかに区別されており、行政権の主体としての内閣ではなく、内閣総理大臣の権限に依存することを示唆する。慣行として全会一致が原則の閣議決定を必要とせず、場合によっては国会の事前承認も不要なまま、内閣総理大臣の判断だけで宣言を認めることは、緊急事態の専断的認定になりかねない。
 宣言等に対する国会の事前・事後の承認についても、「法律の定めるところ」に丸投げされている。事前はもちろん、事後であっても何日(場合によっては何時間)前、あるいは後ということを定めていないのは、緊急事態条項全体に通底する、時間的限定に対する自覚のなさを象徴している。
④「特別政令」の制定権――立法権の簒奪?
 大日本帝国憲法8条は「法律ニ代ルヘキ勅令」を定めていた。緊急勅令である。「改正草案」は、戦前日本における緊急勅令の歴史的教訓を踏まえたものとは到底言えない。
 「Q&A」は、通常の政令以上の効力を持つ「緊急政令」が、災害緊急事態の布告に伴う緊急措置として認められていると書いている(災対基本法109条)。だが、これは国会が閉会中であるなど、立法府の判断が直ちに期待できない場合を想定したものである。また、必要な措置に限って制定されるもので、決して「法律と同一の効力」を持つものではない。対象事項も限定列挙の形をとり、厳しく制限されている。それゆえ、「改正草案」99条1項の「政令」に関しては、右の「緊急政令」と区別して、以下、「特別政令」と呼ぶことにしたい。
 特別政令は、国会の事後承認を待たずに効力を発揮し、承認も通常議案の可決のための手続を省略することを想定しているようにも見えるが、これは重大な問題をはらむ。
 特別政令が「法律と同一の効力」を持つということは、「改正草案」の緊急事態条項が多用する「法律の定めるところ」の法律もまた、この特別政令によって改正され得るのではないかという疑念を払拭しきれないからである。特別政令によって改正されうる事項の制限が規定されていないため、いったん緊急事態の宣言が発せられれば、内閣(総理大臣)による濫用的な法改正が、「法律と同一の効力を有する」特別政令によって可能となる。緊急事態の定義の曖昧さと相まって、政府による立法権の簒奪も起こり得る。
⑤「基本的人権の尊重」――武力攻撃事態法のコピペ?
 武力攻撃事態法における「配慮」規定を、憲法そのものに転写(コピペ)し、それで人権保障に配慮したかのような体裁を取り繕う「改正草案」のこの部分には、人権保障や立憲主義に対する無理解と無自覚が最も鮮明にあらわれていると言えよう。
⑥緊急事態宣言の効果――時間的限定と両院関係
 緊急事態宣言の効果の継続は、100日を超えるごとに国会による事前承認を要件としている(99条4項)。権力の抑制原理という点からは、時間的な効力の限定は重要な意味をもつ。緊急事態宣言が発せられる以前の「通常状態」と「緊急事態」との区別を明確化することに、どこの国の憲法も苦慮してきた。
 両院関係の齟齬や未調整も随所に見られる。「改正草案」第4章が現行憲法の二院制の枠組みをほぼそのまま維持しているのに、緊急事態の宣言と継続の承認において衆議院の優越を認めるとともに、解散の禁止と任期、それに選挙期日の特例を定めることによって(99条4項)、参議院の緊急集会を実質上、無意味化している。両院関係では、予算に関する衆議院の優越の規定を「準用」し、一院(衆議院)だけの決定(通常多数決)によって承認を可能にする一方、緊急事態の宣言の解除について両院の議決を必要としている。権利制限などを伴う緊急事態の宣言と継続が、その解除と要件が異なるのはなぜなのか。規制権限の授権が、その解除よりも「軽く」できるのは、迅速性を過度に重視する姿勢のあらわれだろうか。また、緊急事態の解除に関わる議決が、両院において異なった場合、具体的にどのような解決がはかられるのかも不明確である。
⑦司法的統制の不在――裁判所も機能停止?
 緊急事態における司法権のあり方について全く言及がないのも致命的である。各国の憲法では、緊急事態においても裁判所の機能が確保されている。
 もちろん、「改正草案」が実現した場合でも、特別政令に対する司法審査の可能性は一般に否定されてはいないが、具体的な事件を通じて特別政令を問題とすることは訴訟上難しく、司法的統制の実効性は低いものにならざるを得ない。
(5)「どこの国の憲法にもあるから日本にも、なのか?」への反論または憲法論における「国家緊急権」について
①日本国憲法はこの緊急権について「沈黙」を守っている。
②これを「あるべきものがない」という意味で「欠缺」ないし「欠陥」と見るか、それとも、戦前の大日本帝国憲法下の戒厳や天皇非常大権、緊急勅令などの教訓と反省から、緊急権の制度に対して距離をとり、あえてこれを憲法上採用しなかったと見るかという点で、議論が分かれる。憲法の前文と9条の徹底した平和主義との関連で見れば、執行権に権限を集中し、とりわけ軍事装置に特別の権限を与える緊急権に否定的な評価を与え、あえて緊急事態条項を置かなかったと理解するのが妥当だろう。
③ただ、多くの国の憲法には緊急権を制度化した条項があるのに、日本国憲法にないのはおかしい、あるいは「普通でない」という言い方がよくされる。自民党の「Q&A」39にも、「ほとんどの国で盛り込まれている」とある。だが、他国にあるから日本にも、という安易で粗雑な発想でこの問題を考えてはならない。緊急事態条項は、強大な例外的権能が執行権に与えられるため副作用や反作用が大きく、どこの国でもその誤用・濫用、悪用、逆用の悩ましい過去の一つや二つは持っている。だから、それぞれの国の憲法には、誤用・濫用などを防ぐための「安全装置」がさまざまセットされている。
④緊急事態条項の危うさや悩ましい経験を踏まえ、緊急事態条項を限定したり、制限したり、さらには廃止しようと試みる国すらあるのに、「どこの国にもあるから日本でも…」という形で憲法に導入しようとする態度は、いかに安易で乱暴なものかが分かるだろう。
⑤日本の場合、憲法に緊急事態条項はないが、法律レヴェルには「緊急事態」という文言が随所に存在することである。例えば、「警察緊急事態」(警察法71条)、「災害緊急事態」(災害対策基本法105条)、「重大緊急事態」(安全保障会議設置法2条9号)である。
⑥「改正草案」は右の各種の「緊急事態」との関係がすこぶる曖昧であり、具体的な中身を法律に丸投げしていることは後に見る通りである。「改正草案」が全体として、憲法を、権力担当者が違反してはならない権力制限規範としてよりも、国民が守るべき行為規範のように設計している節ふしがあり、それは緊急事態条項の規定振りにも色濃く投影されている。


 以下、水島朝穂のブログ「直言」及び「奥平康弘・愛敬浩二・青井未帆編『改憲の何が問題なのか』岩波書店、2013年、Ⅱ5[185-198頁]所収」の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2016-01-30 05:59 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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