2015年 12月 10日 ( 3 )

原発問題-1万1175人分の再稼働の賛否を問う住民投票条例の制定を求める署名簿を、市選挙管理委員会に提出。

 伊方原発再稼働を巡る住民側の動きについて、愛媛新聞は2015年12月8日、「四国電力伊方原発3号機(伊方町)の再稼働をめぐり、八幡浜市の市民団体『住民投票を実現する八幡浜市民の会』は7日、再稼働の賛否を問う住民投票条例の制定を求める署名簿を市選挙管理委員会に提出した。同会は、直接請求に必要な有権者の50分の1(616人)を大きく超える、1万1175人分を集めたとしている。今後、市選管の審査と縦覧を経て、有効と認められれば、同会は条例制定を大城一郎市長に本請求する。市長は請求を受理した後、条例案に意見を付けて、市議会に提案。市議会が可決すれば、住民投票が実施される。」、と伝えた。
 一方、伊方原発再稼働を巡る状況について、「伊方3号機の再稼働については大城市長が9月、中村時広知事に、条件付きで了承するとの意見を伝えた。県と伊方町も10月下旬、再稼働に同意している。原子力規制委員会の残る審査などを経て、3号機は来年以降に再稼働する見通しだ。市議会(定数16)は9月定例会で、3号機の早期再稼働を求める決議案を賛成多数で可決している。」、と伝えた。

 以下、愛媛新聞の引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-12-10 17:17 | 書くことから-原発 | Comments(0)

沖縄から-沖縄県知事、県議会で、「高江ヘリパッド、現時点で容認できず」と見解。

 標題について、沖縄タイムスは2015年12月8日、「米軍北部訓練場の過半を返還する条件となっている東村高江へのヘリパッド移設について、沖縄県の翁長雄志知事は7日の県議会一般質問で、『今の状況では【分かりました】とは言えない』と述べ、現時点で容認できないとの姿勢を示した。知事就任後、賛否への明言を避けていたが初めて否定的な見解を述べた。」、と報じた。
 このことについて、「翁長知事は、オスプレイが使用予定のヘリパッド移設への賛否を問われ、『二者択一で考えるのは簡単ではない。オスプレイが来なければヘリパッド(移設)はどうかということまで含めての判断になる』と説明。県民が強く反対する中、オスプレイが県内配備されてきた経緯に触れ、ヘリパッドの移設だけで議論できる問題ではないとの認識を示し、『総合的に考えなければ、沖縄県の人権や根本的なものまで関わってくる』とも述べた。」、と伝えた。

 以下、沖縄タイムスの引用。






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by asyagi-df-2014 | 2015-12-10 09:20 | 沖縄から | Comments(0)

本からのもの-十字架のある風景

著書名;十字架のある風景
著作者:崔 善愛
出版社;いのちのことば社


 この本は、本の中で紹介されている方から頂いたものです。
 こうして、実際にその名前を見ると、あらためて、その方の歴史を見る思いがします。


 崔善愛(以下、崔とする)さんが掲示した小倉の十字架のある町と記された地図に、自分が小倉に住んでいた4年間と、それ以後のこれまでの時間のあり方に、懐かしさというよりは、自分の不甲斐なさを感じてしまいます。
 地図にあって知らなかったもの、それは、小倉の入国管理局です。
 実は、学生時代に父親の崔昌華さんには、指紋押捺拒否についての講演を一度だけ受けたことがあったのですが、本当の意味で、その歴史と苦悩を理解していなかったことを気づかされました。  
私が見ていたものは、ひとりよがりが気ままな気分で作った小さな地図でした。


 詩人・塔和子さんの墓標に本名が刻まれたことを、この本で知りました。
 崔は、塔和子の詩「名前」とともに、こう記しています。

 
 彼女、彼らは、ハンセン病にかかったことよりも、その病気によって差別され、隔離され、閉じ込められ、忘れ去られ、理解されないことを泣いたのだろう。そのような時間をくり返した彼女の言葉は、泣きやんだあとの脱力感のようなものを感じさせる。
 泣いても、訴えても、なにも変わらない-それこそが悲しみなのだ。

 この言葉を通して、崔の闘いに、崔の悲しみがあることを感じます。
 

 崔は、今の日本姿をこのように描きます。


 数年前、次女が中学生だったとき、朝、「すごく怖い夢を見た」というので、「どんな夢だったの?」と尋ねると-
 「学校でね、」『この中に朝鮮人がいる。探し出せ』と言う先生がいたの。そんな放送が流れて、友だちも先生も血眼になって私を探すんだよ。ずっと逃げまわって・・・・・・大変だった」と言う。
 私は驚いた。彼女の心の中に、在日であることの恐怖があると初めて気づいたのだ。ひとつ、思い当たる出来事があった。
 最寄りの駅の階段下に、一週間ほど毛筆で書かれた看板があった。「在日韓国朝鮮人の参政権を許さない集会」。会場は自宅から歩いて行けるほど近所だった。「同じ町内でこんな集会を開いているなんて・・・・・。どんな人が集まるんだろう?」と思いながら、だまってその看板の横を通り過ぎた。
 娘は毎日、学校に行くときその看板を見ていた。あの看板が彼女の潜在意識に入り、その夢を見たのではないか。
 もし在日だということがわかれば、どんな目にあうか・・・・・。そんな恐怖を、全国で行われているヘイトスピーチを耳にした子どもたちは潜在的に覚えているに違いない。
 息を殺し、周りの目におびえながら自分を隠す。それは百年前の日本を思わせる。 
 テレビの画面や新聞で聞く差別的な(他民族を攻撃する)発言は、遠い世界のことではなく、もう自分の家の近くまで来ている。


 そして、もはや、ここまできているのではないかと。


 ジャーナリストで日本人の友人までも、「崔さん、オーストラリアあたるに亡命の準備をした方がいい。この国は、思ったよりも早くに戦争状態になるだろうから。排外主義は激化すると思う」と心配する。
 カナダへの移住を決意した友人は、大学時代からの付き合いで、合えば在日であることの悲哀を心おきなく語り合えた最初の人だった。つい先日も、お茶を飲みながら、「いよいよ(命の)危険を感じたら、カナダに一時避難しておいで」と言ってくれたが、切なくて何も言えず、なぜか中野重治の「雨の降る品川駅」の詩が浮かんでは消えた。


 崔は、自らの心根を次のように示す。


 私は演奏する音に、その人たちの声を刻もう。
 朝露のように輝く良心のしずくを、すくい取れるような人間でありたい。


 私は、崔がポ-ランドで聞いた、「人間として」という言葉を、崔の文章から、受け取っている。


by asyagi-df-2014 | 2015-12-10 05:56 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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