2015年 12月 09日 ( 3 )

沖縄から-2014年度、沖縄県自民支部へ企業献金が集中。

 2014年度に沖縄県自民支部へ企業献金が集中したことについて、琉球新報は2015年12月5日、「自民党の衆参両院議員が代表を務める政党支部への企業・団体献金が2014年は前年比で7億6千万円増の35億9千万円に上り、他党を含めた政党支部全体の85%超を占めたことが5日、共同通信の集計で分かった。先に総務省が公表した自民党の政治資金団体『国民政治協会』(国政協)の企業・団体献金収入(22億1千万円)の1・6倍に当たる。党中央レベルだけでなく、支部に対しても企業側が自民党に献金を集中させた実態が浮き彫りとなった。経団連による会員企業・団体への政治献金の呼び掛け再開が後押ししたとみられる。」、と報じた。
 続けて、琉球新報は2015年12月8日、「米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設関連工事を受注した県内の建設業者が、2014年の衆院選直前に候補者が代表を務める政党支部に寄付していた問題で、沖電工(那覇市)と鏡原組(同)も同様に選挙直前に寄付していたことが7日までに分かった。」、と伝えた。
 このことについて、「公職選挙法は国と契約した業者の国政選挙に関する寄付を禁じ、受け手側も規制している。今回の寄付は同法に抵触する可能性がある。」、と報じた。


 琉球新報の「党中央レベルだけでなく、支部に対しても企業側が自民党に献金を集中させた実態が浮き彫りとなった。」、「今回の寄付は同法に抵触する可能性がある。」、との指摘事項は、今後も追及する必要がある。

 以下、琉球新報の引用。






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by asyagi-df-2014 | 2015-12-09 17:11 | 沖縄から | Comments(0)

原発問題-伊方原発再稼働の賛否を問う住民投票条例の制定を求める署名、1万1175人分の署名簿を提出。

 標題について、愛媛新聞は2015年12月8日、「四国電力伊方原発3号機(伊方町)の再稼働をめぐり、八幡浜市の市民団体『住民投票を実現する八幡浜市民の会』は7日、再稼働の賛否を問う住民投票条例の制定を求める署名簿を市選挙管理委員会に提出した。同会は、直接請求に必要な有権者の50分の1(616人)を大きく超える、1万1175人分を集めたとしている。」、と報じた。
 また、「今後、市選管の審査と縦覧を経て、有効と認められれば、同会は条例制定を大城一郎市長に本請求する。市長は請求を受理した後、条例案に意見を付けて、市議会に提案。市議会が可決すれば、住民投票が実施される。」、と伝えた。

 以下、愛媛新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-12-09 09:53 | 書くことから-原発 | Comments(0)

本からのもの-「ヴァイマル憲法とヒトラ--戦後民主主義からファシズムへ-」

著書名;ヴァイマル憲法とヒトラ--戦後民主主義からファシズムへ-
著作者;池田 浩士
出版社;岩波書店


 池田浩士(以下、池田とする)さんは、、「遙かな国の遠い昔ではなく」の章で、「私にはむしろ、これまでに見てきたドイツ民衆民族、いや、私たち自身の姿を思い起こさせます。」と、フランツ・カフカが未発表のまま遺した一遍の小品を。私たちに提示する。


 「〈ああ〉とネズミは言いました。〈世界は日に日に狭くなっていく。最初のころはとても広かったので、私は不安だった、それでどんどん先へ走り続けて、とうとう遙か彼方の左右に壁が見えたときには、とても幸せな気持ちだった。でも、この長い壁が急速に両側から迫ってきて、私はもうこのどんづまりの部屋にいる。そしてほらそこに罠があって、私はその中へ駆け込んでいくのだ。〉-〈お前さん、走る方向を変えさえすればいいんだよ〉とネコが言って、ネズミをむしゃむしゃと食べてしまいました。」


 この小品を、どのように受け取ることができるか。
 振りかえると、この小品が、この本の旅の始まりだった。
 池田は、続けて、こう綴る。


 ファシズムという概念が含む二つの意味、-束縛と魅了-に立ちもどって考えるなら、ナチズムがファシズムの一つのあり方であることは、疑いありません。
 ナチズムの政治は、人びとを魅了するところから始まりました。すでに見たとおり、若い世代にとっては、ナチズム運動は、古い因習を打破する文化革命の魅力を持っていました。ヒトラ-は、信念と実行力のある政治家として国民たちの一部を魅了しました。彼が率いるナチスは、諸悪の根源はユダヤ人であることを簡明な言葉で語り、彼らによって不当に奪われている労働の場をドイツ人に取り戻すと熱狂的に宣伝しました。これに心を奪われたドイツ民族民衆は、自分で周りの現実を見ることも考えることもやめたのでした。大失業時代にあるドイツのユダヤ人住民が約五六万四〇〇〇人であり、それは約六三〇〇万人というドイツの総人口の0.9%にも届かないという現実を、見ようとしなかったのです。大量失業とユダヤ人は、現実には何の関係もありませんでした。
 大失業状況から利得を得て権力を掌握したヒトラ-は、ますます人びとの心を奪い、魅了し呪縛する政策を矢継ぎ早に実行します。よく知られている劇場型のスペクタル(壮大な見せ場)、あのティングシュピ-ルの外形を駆使した大規模な野外行進と照明と「ハイル、ハイル」の大合唱だけではありません。「労働戦線」が主催する労働技能コンテスト、「歓喜力行団」の大がかりで豪勢なレジャ-・イヴェント、「労働の美」運動への職場ぐるみの動員、「ヒトラ-青年団」や「ドイツ女子青年同盟」の絶え間ない行事、等々が、日常生活をくまなく埋め尽くします。ラジオや新聞などのマスメディアが、完全にナチス政府の御用機関に成り下がっていとことは、あらためて言うまでもありません。それ以外の日常など考えられない日々を、人びとは走り続けました。農村でも、農民たちを呪縛してそれ以外の選択肢に目を向けさせない状態が作られます。「帝国世襲農場法」に基づく農場は、一九三八年の時点で約六八万五〇〇〇に達し、そのうち約二万は入植によって開拓されたものでした。そして、「農民」という称号を授与された農業経営者が、これと同じ数だけ生まれました。彼らは、帝国農民指導者リヒャルト・ヴァルタ-・ダレ-の一九三〇年の著作の題名にならって、「血と土から生まれる新貴族」と称揚されました。

 現実には、ヒトラ-は社会的差別をなくしませんでした。まったく逆に、法律を制定して復活させられた「称号」や「勲章」によっても、団体内での位階によっても、もちろん軍隊の階級によっても、国民を等級づけし差別化しました。何よりも、「生きる価値のない存在」、「反社会分子」、家畜より以前に労働動物とされて当然の「劣等人種」、等々の根底的な差別を国家社会の全体に制度化したのです。ドイツ民族民衆は、何故その現実を見なかったのでしょうか。
 いまから考えると、ナチズムによる支配は、国民を立ち止まらせなかったことがわかります。日常を埋め尽くした魅惑は、立ち止まって考えることをさせず、ひたすら人びとを前方に向かって走らさせたのでした。いま走るのをやめれば、せっかくここまで来たことが無意味になってしまう。いやそれどころか、もっと悪い状況になるかもしれない。-とにかく先へ先へとひたすら走り続けること。これが、カフカのネズミが走る方向を変えられなかった理由の一つでした。もう一つの理由は、ネズミが一人で走っていたことでした。
 一人で走り続けたネズミには、自分以外のことは見えません。自分も見えないのです。ネズミを魅惑して走らせる壁と、それに魅了されたネズミ自身のほかに、世界には誰もいないからです。


 カフカのこのネズミの話は、日本という国、日本という国に住む一人一人に、「自分で周りの現実を見ることも考えることもやめたのか」、「ドイツ民族民衆は、何故その現実を見なかったのか」、ということを、今こそじっくり考えるときであることえを、投げかけます。


 さて、池田は、ファシズムについてこう書き記きしるします。


 「ファシズム」という語は、これものちに詳しく述べるように、もともと語源的に、「結束、束縛」という意味の語に由来しており、しかもそれに加えて、「魅惑、魅了」を意味する語とも関連しているからです。つまり、ファシズムが私たちを拘束し縛るとき、それらがとらえ緊縛するのは、私たちの肉体であるとと同時に感性であり情緒であり、その呪縛と魅惑によって奪い去られ抹殺されるのは、私たちの身体的自由だけでなく思考力と批判精神と目覚めた感覚なのです。
 ファシズムについて知り、ファシズムについて考えるということは、そのような呪縛と魅惑に対する抵抗力と対抗力を私たち自身がともに育てること、しかも思考の中にだけでなくとりわけ感性の基底にそれを育てることにほかならないでしょう。


 池田のこの言葉が、この本の意味を語っている。


 日本の今を考える時、その道はやはり、池田の次の言葉で始まる。
 それは、この「ヴァイマル憲法とヒトラ-」を「日本国憲法と安倍晋三政権」に置き換える行程でもある。


 もしも、人間に一等品も二等品もない、というヴァイマル憲法の根底的な理念が、ヴァイマル共和国の国民たちによって本当に共有され内面化されていたとしたら、ヒトラ-が掘り起こしたドイツ国民の誇りと劣等感は、そもそも根づくことはなかったでしょう。そして、もしもヴァイマル憲法が定めていたとおりに民衆自身が主権者であろうとし、その主権者が憲法の保障する人権を尊重していたとすれば、そして、性別によっても生まれによっても、社会的な位置や職業によっても人間の価値と権利に差別はないということを、もしもその主権者が自分たちの生きる尺度にしていたとすれば、-もしもそうだったとすれば、その主権者が、自分たちの感情を深いところで刺し貫くヒトラ-の演説に魅了されることもなかったでしょう。ヒトラ-とナチスが憲法を踏みにじっただけでなく、ドイツ国民がヴァイマル憲法を蹂躙していたのです。
 いまあらためて、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」という日本国憲法の第一二条を噛み締めたいと私が思うのは、憲法と私との関係を、ヴァイマル憲法とヴァイマル共和国の国民との関係と同じものにしてはならないと思うからです。もしも仮に、ヒンデンブルグヤヒトラ-がこの上ない政治家だったとしても、私自身にとって大切な事柄を、政治家たちの議論に任せて、私自身は静かに鳴りをひそめていることはできないでしょう。「今この政策をやめれば、これまでにしたことが無駄になってしまう、もっと悪くなる」と言って私を立ち止まらせまいとするヒトラ-に抗して、私はまず立ち止まり、考えなければならないでしょう。立ち止まる前に、ここは立ち止まるときだと私の胸が私に語りかけてくれるような、そいうい繋がるのか。感性を、日常生活の中で意識的に育てておかなければならないでしょう。それは、私には、一人ではできません。せめて、もう一人の人と出逢って、その人と語り合い、その人をしっかりと離さないように大切にしなければならないでしょう。


 何故、今、ヒトラ-を考えることが重要なのか。
 このことが、現在の日本を生きることにどのように繋がるのか。
 例えば、池田は、「ナチスは合法的に国家権力を掌握した」ことを、「ヒトラ-は独裁者ではなかったのです。ナチスは、全部が全部ただの無法者や暴力団ではなかったのです。-これが、今の時点でナチズムと、さらにはファシズムと向き合うときの出発点です。」、ということを自分自身の出発点にすべきだと、説きます。
また、池田は、「ト-マス・ヘルツは、『土台となる物語』と題する論考で、一つの注目すべき社会現象を指摘しました。それは、戦後復興を遂げたドイツに、ナチズムの過去についての共通の歴史認識が一貫して生きており、その歴史認識の具体的な細部や意味づけが、時代の推移につれて変わっていく、という現象です。」、と紹介し、ドイツ人の「敗戦後ずっと否定的に語られ、それが常識とされてきたナチズムの時代がじつは人々の中で、悪い記憶としてではなく、むしろ肯定的な思い出として生きていること」や「多くの体験者は、ナチス時代になってようやく生活が安定し、治安も落ち着き、ドイツ人としての誇りを持って生きられるようになった、と回想しました。ヒトラ-は、失業を解消し、社会的な身分差別もなくし、やる気と能力のあるものには道が開けるようにしてくれた。なかなか物事が決まらなかった政治が終わって、重要なことがきちんと決めるようになった。しかも、戦勝国のいいなりになっていたヴァイマル政府と違って、ヒトラ-はドイツの主権を取り戻し、国際社会でのドイツのの地位を高めてくれたので、ドイツ人としての誇りがまた持てるようになった。」、というもう一方の土台(事実)を浮き彫りにします。

 池田は、「死と政治」の章で、ファシズムと戦争、そしてその死について、次のように描写します。


 徴兵制復活から四年半ののち、第二次四カ年計画の開始から3年ののち、一九三九年九月一日に、ヒトラ-・ドイツは第二次世界大戦に突入しました。そとときすでに、陸軍の兵力は当初の三六個師団から五二個師団に増強されていました。一九四五年五月にナチス・ドイツの崩壊で終わるその戦争によって、、ドイツ人だけで七二〇万人以上が生命を奪われました。これは、大失業状況の頂点における失業者の総数に匹敵する人数です。そのうちの三二〇万人は非戦闘員でした。ドイツ人以外でドイツによって殺された人々の数は、遙かにそれを上回っています。・・・恐ろしい数ですが、死者たちの人数によって悲惨の大きさを量ることには、私は疑問を覚えます。・・・それでもなお、ヒトラ-政府発足当時のドイツの人口のほぼ半分に当たる三〇〇〇万人の外国人が、ナチス・ドイツによって殺されたという歴史的事実は、その死者の数によって私を圧倒します。近現代史の歴史で、この数字と比肩しうるのは、対米英開戦から四日後の閣議決定で「大東亜戦争」と名づけられた日本の戦争が、アジアで奪った二〇〇〇万人の生命だけだからです。


 そして、戦争の本質を次のように指摘します。


 戦争は人間の生命を奪うから戦争を許してはならない-というのは、戦争に反対する理由として、もっとも基本的な理由の一つでしょう。この理由の大切さを否定するつもりは、私にもまったくありません。けれども、次第にますますヒトラ-支持の思いを深めていったドイツの国民たちから目をそらすことができないまま、私は、もう一つの大切な理由を忘れることはできません。それは、戦争が、そして戦争のため以外には存在理由を持たない軍隊が、「自発的に生きるという生き方」を人間から奪う、ということです。

 池田は、「何故、今、ヒトラ-を考えることが重要なのか。このことが、現在の日本を生きることにどのように繋がるのか。」について、ここで一つの結論を提起をしてくれます。


 戦争を職業としない国民を戦争に奉仕させることによってこしたナチス国家は、各個人が持つ自己の人生のあり方をみずからが決定できるという自己決定権を、国民から剥奪したのでした。戦後、ナチス時代を回想する多くの体験者たちが、「ヒトラ-は良いことをたくさんした。ただ、戦争したことだけは良くなかった。」と語りました。けれども、ヒトラ-政府が国旗と国歌に敬意を表することを強制し、「ハイル・ヒトラ-」のナチス式敬礼を強要し、人びとが唯々諾々とそれに応じたとき、死に至るまでの生き方は自ら決定できるという基本的な権利は、すでに失われていたのでした。
 ヒトラ-が政権を握るとただちに「聖書研究会」を弾圧したのは、彼らが武器を持つことと国家儀礼とを拒否することだけが、その理由ではなかったのです。自分の生き方は自分で決めるという生き方を、ナチズムは認めなかったのです。


 だから、池田は、「死に至るまでの生き方は自ら決定できるという基本的な権利」を自ら手放した結果が行き着いた場所について、この章をこの言葉で終わります。


 ヒトラ-が、失業をなくしたとき、そしてそれによって戦争をする国が実現したとき、自由意志に基づくボランティア労働が切り開いた失業解消への道は、強制労働とホロコ-ストへと通じていたのでした。


 最後に、安倍晋三の「取り戻したがり」病を、池田のヒトラ-についての「没落以前のドイツは、『今日ではもはやほとんど想像もできぬような高さ』に位置していました。それは、『一般的な限界を超えて抜きん出ることを常としていた』ドイツであればこその高さでした。客観的な論証抜きでドイツの優越性をこのように語る文章の中に、すでにドイツ以外の国と民衆とに対するヒトラ-の侮蔑が表れています。」、という説明に感じ取ることができます。
 それは、 ヒトラ-のユダヤ人差別に関する次のくだりにも、同様に、見て取れます。

 ある特定の他者に対する差別の感情や差別の実践は、差別そのものとして単独に存在するものではなく、私が絶対的に信服する高い価値や崇高なものとの対比において、その高いものを冒涜しあるいは破壊すると私が見なすものへの憎悪を込めて、その憎悪を養分としてとして生きるのです。その高いものの高さが私にとって高ければ高いほど、そして私がその高いものを拠りどころとしてしか生きていけないと感じていればいるほど、冒涜と破壊による落下の深さは深く、私の憎悪も深くなります。一方に、高いものへのプラス方向での差別感があり、他方に低いものへのマイナス方向での差別感があるとき、まさに差別の深さはそれだけ深くなるわけです。ヒトラ-にとっての「ドイツ」と「ユダヤ人」は、そのような存在でした。


 池田のこの本が鋭く突いてくるものは、日本という国の「今」なのである。


by asyagi-df-2014 | 2015-12-09 05:48 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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