2015年 11月 11日 ( 3 )

沖縄問題-翁長沖縄県知事は、「承認取り消しは適法で、かつ正当だ」と、処分撤回を拒否。

 標題について、沖縄タイムスは2015年11月11日、「沖縄県の翁長雄志知事は11日の記者会見で、米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消した処分の撤回を求める国の指示に従わないと正式に表明した。『承認取り消しは適法で、かつ正当だ』と述べた。」、と報じた。

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-11-11 19:31 | 沖縄から | Comments(0)

労働問題-厚生労働省が初めて行った「ブラックバイト」の実態調査で学生バイト48%が「トラブル」。

 厚生労働省が初めて行った「ブタックバイト」の実態調査の結果について、朝日新聞は2015年11月10日、「学生が学業に支障をきたすほどの労働を強いられる『ブラックバイト』問題を受けて、厚生労働省が初めて行った実態調査の結果が9日、公表された。学生アルバイトの半数近くで、勤務シフトや賃金をめぐるトラブルが起きていたことが分かった。」、と報じた。
 その内容について、「大学生、大学院生、短大生、専門学校生の計1千人が経験したアルバイトのべ1961件について調べた。すると1961件のうち48・2%、学生数の60・5%で労働条件に関する何らかのトラブルがあった。トラブルの件数で多かったのは『採用時に合意した以上の勤務シフトを入れられた』(14・8%)、『一方的に急なシフト変更を命じられた』(14・6%)など、勤務シフトに関するトラブルだ。」、と伝えた。

 以下、朝日新聞の引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-11-11 10:37 | 書くことから-労働 | Comments(0)

本からのもの-「ヘイトスピ-チ」を考える

著書名;「ヘイトスピ-チ」を考える
著作者;中村 一成
出版社;在日総合誌 抗路


 「暴力悪いんは分かってる。でもうちのムラで奈良みたいなんが起きたら、懲役行く覚悟だけはしといてくれ」 
中村一成(以下、中村とする)さんの文は、このように始まる。
 この「覚悟」という言葉の持つ意味は、ヘイトスピーチ(以下、HSとする)をどのように理解するのかということを頭の中だけに終わらせ、居心地のいい場所に安住するのではなく,HSを自分の存在と対峙させる必要がある、ということを説くものである。
 このことについて、中村は、次のように指摘する。


 「在特会レベルの政治家が主流の立法府では、人種的差別撤廃のための基本法すら成立の目途は断たず(二〇一五年七月七日現在)、レイシストたちは今も警察に守られながら差別を楽しむ。その状況で『暴力はいけない』と語るなど、日々尊厳を踏みにじられる当事者にとっては無意味などころか更なる暴力に等しい。マジョリティだから言える常識『暴力はいけない』で、マイノリティから『最低の手段』を奪おうというのか?そもそも人間を人間以下に貶めるHSこそ看過できない暴力だ。それが『犯罪』とされず、尊厳を踏みにじられ者の抵抗手段が場合によっては『犯罪』となってしまう。その現状こそが問われるべきではないか。」


この上で、中村は、「必要なのは、『暴力はいけない』ではない。『被害者が暴力を振るわなくて済む』社会のありようへの展望である。」、とHSを考えるための方向を示す。

上記のナラとは、「二〇一一年一月、『在日特権を許さない市民の会』の副会長(当時)が、水平社博物館(奈良市)で開催中だった特別展『コリアと日本-『韓国併合から100年』へ抗議に押し掛け、『従軍慰安婦』問題を否定し、『出てこい、ドエッタ』『非人』などと一時間に亘って凱旋した事件」、のことを指す。


 中村は、HSの害悪について、次のように指摘する。


(1)「即自的暴力性」の問題。
 属性に切り付ける罵詈雑言は、個人を特定していなくとも(しないがゆえに)同じ属性を持つ者たちの内面を言葉のナイフで切り裂く。人間性を否定し、劣った存在とする罵詈雑言は、攻撃対象となった者の「自尊」を根こそぎにしようとする。言い換えればHSは、「私は私でいい」「この世界は生きるに値する有意義な場である」「むやみに傷つけられない」といった、人間が社会で健やかに生きていくうえで不可欠の前提-それは「円満な国民様≒マジョリティ」の多くが自問することもない前提だ-を破壊してしまう。
(2)「社会的不平等」の固定、強化の問題。
 サイバ-スペ-スから飛び出したヘイトデモで日々、まき散らされている罵詈雑言の共通項は、攻撃対象を同じ人間と見なさない、人間以下の存在に貶める、ということだ。
 数他の虐殺への道を開いた「表現」は、「朝鮮人を保健所で殺処分しろ」「新大久保を更地にしてガス室をつくり、朝鮮人を皆殺しにしろ」などと叫ぶ日本のレイシストたちにも受け継がれている。在日朝鮮人を「殺してもいい存在」として貶めるこれらHSは、彼らの生を取り巻く「国民様」とのさまざまな権利格差-国籍を理由にした差別-たとえば「四、五世になっても地方参政権すらない」「今もすくなからぬ在日高齢者、障害者は無年金のまま」「在日外国人への生活保護は権利ではない『恩恵』である」など、人権上はもちろん、何よりも歴史的責任を踏まえて解決されるべき「悪」を「当然視」する空気を蔓延させる。
(3)「より激しい暴力の誘発」の問題。
 在特会発足から少なくとも八年が経過した。この間、路上のヘイトでもが黙認された結果、二〇一四年一月以降、実際に「在日朝鮮人」を対象にしたヘイトクライム事件が頻発している。
 米国社会学の蓄積が示すように、特定の属性を持つ集団への差別や憎悪は、噂や冗談など、「先入観による行為」から誹謗中傷や意図的な差別表現など「偏見による行為」へと進み、就職や入居差別といった「差別行為」に到る。それはやがて現行刑法にも抵触する「暴力」へと至り、最悪の場合、「ジェノサイド」に突き進む。これが「ヘイト暴力のピラミッド」である。


 中村は、日本という国は、適切なHSの対応を間違ったために、HSは現在では、「より激しい暴力の誘発」の段階に達しており、この状況は、最悪の場合、「ジェノサイド」に突き進む、と警告するのである。

 また、中村は、HS問題の対処を巡って、慎重、反対意見を述べる人たちには、「『私たちの市民的自由のためにあなたたちは侮辱され、人間性を否定されるのを我慢してください』と言っているに等しいということをどれだけ認識しているのか。」、と逆に、投げかける。

 「得てしてマジョリティにとっては「不快」「醜悪」に留まるHSだが、属性を切り付けられるマイノリティ当事者にとってそれは、存在自体を根こそぎにする暴力である。HS問題への対処を巡り、「表現の自由」が脅かされるなどとして法規制に慎重、反対意見を述べる憲法学者や弁護士らの発言が得てして軽薄に聞こえるのは、これらHSの被害を巡る、当事者と非当事者の非対称性への想像力を欠いているからである。『私たちの市民的自由のためにあなたたちは侮辱され、人間性を否定されるのを我慢してください』と言っているに等しいということをどれだけ認識しているのか。」

 この「構造的差別の問題」は、今沖縄から投げかけられている言葉と、何と、似通っているか。

 さらに、中村は、民族教育権への社会的感度の低さという課題を次のように指摘する。

 「HS問題を感がえるうえで外してはならないもう一つの課題は、民族教育権への社会的感度の低さだった。京都事件がマスコミの耳目を集めたのは、事件発生でも民事訴訟提訴でもなかった。あくまで二〇一三年二月以降のHSの社会問題化-すなわちマス・メディアのネタ化-に伴い、『その原点』として注目されたのだ。民事訴訟に踏み切った時、原告たちが掲げたのは『ヘイト・クライムのない社会を』『民族教育を保障しよう』だった。原告側の肝は後者だったが、メディアの熱、社会的関心度は、後者をスルーした形で高まって行った。
 この経過は、もっと批判的に検証されていい。裁判所と同様、マス・メディアとは『多数派の常識』を反映する。『当事者の思い』を置き去りにした『注目の高まり』は、レイシズムの一表出である。『HS現象』への感心が、朝鮮人への差別それ自体を根源的に問うことに繋がっていかない事実を示している。
 在日朝鮮人の人権問題を巡り、残念ながら今も言われる枕詞『同化か排除』が示すように、レイシズムの代表的な形態は『排外』と『同化』である。朝鮮学校とはまさに後者の『同化主義』に抗う場として設立され、暴力から兵糧攻めと続く弾圧の中でもその命脈を繋いできた。だからこそ露骨で暴力的な『排外デモ』の標的にされたのである。裁判と同時進行で進んだ、政府による高校無償化からの補助金ストップや廃止は、まさに公による同化の強要(レイシズム)そのものである。だが報道の切り口は、一部の例外を除き、『HSに司法が『否』ばかりだった。
 新大久保や鶴橋の『過激』で『下品』で『大音量』のデモを採り上げる一方、『同化主義』というレイシズムはどこまでと問われてきたか。路序の差別主義者を『レイシスト』と非難することは必要だが、それはあくまでレイシズムの一表出形態なのだ。マス・メディアがHSを『憎悪表現』と訳すことの問題はそこにある。」


 中村は、HSを考える時、「歴史的・構造的差別から切り離し、問題を街頭での下品下劣な怒号のみに矮小化して、レイシズムそれ自体を社会的蔓延に対応できるのか?」、と日本社会に問うのである。
 中村は、最後に、「今後、レイシストグル-プの中から、『選良』を目指す動きは加速するだろう。路上での罵詈雑言はHSの一形態であり、レイシズムの一形態である。HS現象にあらゆる資源を動員して闘うことと同時に、植民地主義、侵略、不公正・不平等な社会システムを温存する資源であるレイシズムを問う。それがまさに、極右カルト政権がやりたい放題を重ねるこの社会で必要なことである。」。とまとめる。
 この文章については、この間出会った沖縄関連の本の主張を何と重なるのであろうと、あらためて感じている。
 なお、「日本でのHS問題を考えるうえでの出発点である」旧京都朝鮮第一初級学校襲撃事件については、別の場で触れたい。


by asyagi-df-2014 | 2015-11-11 05:35 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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