2015年 11月 07日 ( 2 )

沖縄から-何と。菅義偉官房長官、辺野古への直接振興費は、「反対運動の迷惑料」と発言。

 何とまあ。そのあきれた発言について、沖縄タイムスは2015年11月7日、「菅義偉官房長官は6日の会見で、政府が名護市辺野古の新基地建設現場に近い辺野古、豊原、久志の久辺3区へ直接振興費を支出する理由を問われ、『反対運動の違法駐車や交通量の増加で騒音が激しくなったことに対応するのは自然なことだ』と述べ、振興費の交付は、新基地建設に反対する市民らの運動が地元に迷惑を掛けているためとの考えを示した。」、と報じた。
このことについて、沖縄タイムスは「新基地に反対する市民運動を一方的に迷惑視し、3区への振興費は運動の『迷惑料』とも受け取れる発言で、県民の反発を招きそうだ。」、と解説した。
 これまでは、振興費の必要性について、「『普天間飛行場移設で大きな影響を受ける3区にできる限り配慮をする必要がある』と説明してきた。」、とのはずであったが、「迷惑料」が本音であったということらしい。

 こんな輩が、安倍晋三政権を支えているわけである。
 どう考えても、この「迷惑料」は、地方時自治そのものを強権的に壊す手段でしかない。

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-11-07 17:07 | 沖縄から | Comments(0)

本からのもの-「子どもの貧困Ⅱ-解決策を考える」


著書名;子どもの貧困Ⅱ-解決策を考える
著作者;阿部 彩
出版社;岩波新書


 阿部彩(以下、阿部とする)さんは、あとがきに、この書を著す意味をこう記している。
 
 「日本の貧困の現状」が、深刻な状況に陥っていることは、大多数とはいわないまでも多くが納得するようになっている。今の問題は、子どもの貧困が社会問題であると社会に説得することではなくなったのである。何をすれば、子どもの貧困が解消できるのか、その解決の道筋を示すことなのである。


 また、次のように、その思いを記している。


 日本の社会問題について、手法的な問題を扱った本はあまり見当たらない。多くが、「問題を描写」する本なのである(筆者の前著もそうである)。問題を描写するだけでなく、「何をすればよいのか」その糸口が見えるような本を書かなくては、という焦りが五年間の私の中で積もりに積もっていた。


 そして、この本の核心は、阿部の「私たちが、みんなつながれば子どもの貧困は必ず解消すると確信している。」という言葉に詰まっている。


 まずは、第一章「子どもの貧困の現状」からをみてみる。

 阿部は、「子どもの貧困」の問題点について、次のように位置づける。

 これは由々しき問題である。なぜなら、子ども期の貧困は、その後の人生に深い爪痕を残すからである。貧困状況に育った子どもは、学力や学歴が低いリスク、健康状態が悪いリスク、大人になっても貧困であるリスクが、そうでない子どもに比べて高い。統計的には、子ども期の貧困は、成人となってからの賃金や生産性も低くするので、社会経済全体にも大きな損失となる。高齢者の貧困ももちろん問題ではあるが、子どもの貧困はその社会的インパクトという点でより大きな問題なのである。

 また、その視点は、「いったい、どれほどの日本の子どもが貧困状況にあるのか。そして、貧困に育つことは、どのような影響を子どもに及ぼしているのであろうか。」、に置かれ、「そのうえで、貧困を放置することが、どれほどの社会的な損失になるかという点について、いくつかの知見を紹介する。これによって、貧困は、その子どもや家族にとっての困難であるだけでなく、社会全体の利益からみても損失である点を示す。」、とこの本の主旨を規定する。
 あわせて、子どもの貧困の解決のためには大きな弊害となってきた「景気回復という貧困対策」という主張に対して、「景気回復のみによって貧困が解決されるのであれば、貧困削減のための独自の政策は不要であり、本書の残りの章は必要でなくなる。この問いの答えが『NO』であること」の論拠を展開する。

 阿部は、最初に、子どもの貧困の状況を最初に次のように確認する。

(1)就学援助費の受給率は少なくとも日本の子どもの貧困の規模を示す手っ取り早い目安である。近年、この割合が激増している。一九九七年度には、公立小学校に通う子どもたちの6.6%であった受給児童数が、二〇一一年度には15.8%まで増加している。公立小学校に通う子どもたちの六人に一人の家庭が所得制限以下と認知されていることは、子どもの貧困がごく一般的な世帯においても進行していることを表している。 
(2)相対的貧困率は、貧困の「量」と「動向」を的確に捉える指標の一つである。厚生労働省が発表した二〇一一年七月の「平成二二年国民生活基礎調査」から、重要な点を三点あげる。
 その第一は、一九八五年の時点においてさえ、日本の子どもの貧困率はすでに10.9%であったことである。この時でさえ、一〇人に一人の子どもは相対的貧困状況にあったのである。すなわち、「子どもの貧困」は決して、リ-マン・ショック以降の「新しい」社会問題ではない。
 第二は、一九八五年から二〇〇九年にかけて、多少の増減はあるものの、子どもの貧困率が右肩上がりに上昇し続けていることである。より大きなトレンドとして、子どもの貧困率も国民全体の貧困率も上昇している。これは、貧困率の上昇が、単なる景気動向に影響されているものではないことを表している。
 第三は、子どもの貧困率の上昇のペースが、社会全体の貧困率の上昇のペ-スに比べて早いことである。人生の中で、最も貧困リスクが高い時期が子ども期である、という現象が起こってきているのである。
(3)子どもの貧困率の国際比較をみると、日本は二〇カ国中四番目に子どもの貧困率が高い国となる。とくに、日本のひとり親世帯に育つ子どもの貧困率は五八.七%と突出しており、OECD諸国の中で最悪である。これは、ひとり親世帯の大半を占める母子世帯の貧困率が特に高いためである。
(4)日本の貧困率の特徴は、「ワ-キング・プア」(働いているのに所得が貧困基準を超えない人びと) が多いことであり、その背景には巨大な低賃金の非正規労働者層が存在する。また、世帯構造以外の特徴としては、子どもが多い世帯(三人以上) において貧困のリスクが高い。さらに、親の学歴(世帯内で最も高い学歴)別に貧困率をみると、学歴による格差は明らかである。

 上記のこうした状況を貧困の「広がり」と捉えた上で、阿部は、貧困の「深さ」に着目し、次のように指摘する。
 それは、「相対的貧困率や就学援助費の受給率は、『他の子どもたちに比べて』相対として経済的に恵まれていない子どもの数を表しているだけであり、社会問題とはいえないという声もある。多少、家にモノが少なくとも、義務教育によって学校いに行くこともできるし、勉強をがんばって成功することだって可能である、という意見である。」、への反論でもある。
(1)現代社会においては、家庭の経済状況と子どもの様々な指標には密接な相関があることがわかっている。
(2)教育学においては、親の所得と子どもの学力がきれいな比例の関係にあることが実証されており、さらには、特に、経済的困難を抱えている生活保護受給世帯に育つ子どもたちや、児童養護施設に育つ子どもたちの、極端な学力不足が報告されている。
(3)子どもの健康状態についても、貧困層の子どもとそうでない層の子どもには、統計的に有意な差がある。
(4)懸念されるのは、貧困が子どもから自己肯定感や将来の希望を奪ううことである。筆者らが行ったA市の小中学生の調査からは、「将来の夢がない」と答えた小学五年生の割合は、親の所得が低いほど高かった。
(5)最新の海外の研究によると、相対的貧困が子どもに及ぼすいちばん大きな悪影響は、親や家庭内のストレスがもたらす身体的・心理的影響だという。現代社会におけるストレスの最大要因は、他社に比べられることによる劣等感や絶望感、継続的な金銭的困窮など、貧困に深く関係している。
 また、「貧困の連鎖」について、「社会学の分野では、親の階層と子の階層の間に深い関係があることはかねてからよく知られており、親の学歴と子の学歴、親の職業と子の職業には相関関係がみられることがわかっている。驚くべきなのは、このような学歴や職業階層の世代間の継承の『度合い』が、年を追って強まっていることである。」、と押さえる。
 さらに、「機会の平等」について、「現代の日本において、『機会の平等』は存在しない。『機会の平等』どころか、とっくの昔に国民すべてが克服したと考えていた医療サ-ビスや基礎的な義務教育の学力さえもできていない子どもが存在している。」、と指摘する。

 次に、阿部は、「『機会の不平等』を是正するために、どれぐらいの費用を社会が負担するべきか」ということ 、つまり「貧困の社会的コスト」の問題に触れる。
(1)諸外国においては、「貧困の社会的コスト」という観点から、貧困対策の費用を捻出する根拠を導いている。
(2)長い目で見れば、子ども期の貧困対策は、「ペイ」する可能性が高い。逆にいえば、貧困を放置することは、お「高く」つく。これが「貧困の社会的コスト」である。
(3)一見、「お高い」ように見える貧困対策も、格好の「未来への投資」として光だしてくる。
 そして、阿部は、「景気回復は貧困対策となり得るか」ということに、次のように結論を出す。
(1)この主張を掲げるものは、「トリクルダウン理論」をもちいる。この「トリクルダウン理論」ついて、阿部は、下記のように説明する。
 「貧困者に対する職業訓練のように、貧困そのものに対処する試みをしなくとも、社会全体の経済需要さえ改善すれば貧困はおのずと解消していくという議論がある。いちばん必要なは『景気対策』『経済成長』であるという考えである。経済成長の足をひっぱる(かもしれない)手厚い福祉政策にお金をつぎ込むのではなく、何よりも、経済成長を優先するべきではないか。そうせれば、経済成長の恩恵は、最初は富裕層にもたらされるかもしれないが、徐々に、貧困層にまで浸透していくであろう。景気さえ回復すれば、人びとの賃金も上がり、大人、すなわち親の所得が上昇し、子どもの貧困も解消する、という考えである。」
(2)社会学者のレ-ン・ケンワ-シ-の分析(一九七九年から二〇〇七年の約三〇年間の主要先進一七カ国のデータ)で、最貧層の勤労所得は、どの国も上昇していないことがわかった。
(3)先進諸国においては、経済成長の便益が、市場経済を通して、自然に、貧困層に「トリクルダウン」するわけではない。経済成長が、最貧層の所得の増加と結びつくためには、政府からの現金給付というメカニズムが必要だったのである。
 この上で、阿部は、「日本は、すでに、『成長』によってすべての人、とりわけ貧困層に恩恵が『したたり落ちる』状況ではないことは確かである。だとすれば、貧困削減そのものを目的とした具体的な政策を立てなければいけない」、と 日本国内の政策を提起する。


 第二章「要因は何か」で、阿部は、「なぜ、貧困であることが子どもに悪影響を与えるのか、なぜ「貧困の連鎖」が起こるのかを考えてみたい。これは、いわば「連鎖の経路」を探ることである。子ども期の貧困と、大人となってからの貧困を繋ぐ因果関係。これが「連鎖の経路」である。」、と定義し、「連鎖の経路」を次の区分により解明を行う。
(1)金銭的経路として、①投資経路、②家計の逼迫、③資産
(2)家庭環境を介した経路として、①親のストレス、②親の病気、③親との時間、④文化資本説、⑤育児スキル・しつけスタイル、⑥親の孤立
(3)遺伝子を介した経路として、①認知能力は遺伝するのか、②そのほかの遺伝的要素(身体的特徴・性格・発達障害)
(4)職業を介した経路として、①職業の伝承
(5)健康を介した経路として、①健康という経路、②発達障害・知的障害
(6)意識を介した経路として、①意欲・自尊心・自己肯定感、②福祉文化説
(7)その他の経路として、①地域・近隣・学校環境、②ロ-ルモデルの欠如、③早い離家・帰る家の欠如
 この分析のうえで、「社会科学的に『どの経路がいちばん重要か』という答えに対して解答を出すのは事実上不可能である。」、としながらも、二つの研究を紹介する。その中で、「『貧困の連鎖』の一つのパタ-ンが確認できる。すなわち、子ども期に貧困であることが、低学歴となることを誘因し、低学歴が非正規労働者となるリスクを高め、非正規労働者であることが現在の所得が低いことを誘発し、低所得であるので生活に困窮している、というパタ-ン」を紹介する。
 そして、阿部は、「このような貧困研究の状況のなかで、貧困に対する政策としてはどのようなものを打っていけばよいのだろう。たしかなことは、私たちには、貧困の要因の完全解明を待つ余裕はないということである。完全解明が永久にない可能性だってある(むしろ、その可能性が高い。)だとすれば、要因の完全解明がないなかでも、できることをやっていく必要がある。」、とその姿勢を明確に位置づける。


 第三章「政策を選択する」で、「日本への示唆」として、「子どもの貧困に対する政策は、短期的には社会への見返りはないかもしれない。しかし、長期的にみれば、これらの政策は、その恩恵を受けた子どもの所得が上がり、税金や社会保険料を支払い、GDPに貢献するようになるので、ペイするのである。すなわち、子どもの貧困対策は『投資』なのである。」、「とくに厳しい状況に置かれている子どもを優先するような政策を選択していくことである。」、と示唆する。 


 第四章「対象者を選定する」で、どのような人を対象とするかという問題は、プログラムを制度設計していくうえで最も重要な問題である。」、という位置づけから、普遍主義と選別主義について触れる。
 阿部は、このことに関して次の定義づけを行う。
 「どのような子どもも対象とする制度を『普遍的制度』(またはユニバ-サル制度)、貧困の子どもに対象を絞っている制度を『選別的制度』(またはタ-ゲテッド制度)と呼ぶ。「タ-ゲット」とは英語で『的』の意味であり、タ-ゲテッド制度とは、『的を絞った制度』という意味である。」
①貧困に対する対策には、「川上政策」と「川下政策」がある。「川上政策」とは、貧困が発生する前に手を打つ策である。すなわち貧困をつくりださない社会の仕組みや制度を構築する政策を指す。ととえば、義務教育の徹底や、最低賃金などの労働規制や誰でも受診できる医療サ-ビスなどがこれに当たる。一方で、「川下政策」とは、貧困に陥ってしまった人びとが最低限の生活を保てるようにする策である。生活保護制度や就学援助費のような現金給付や、低所得者のための無料低額医療サ-ビスのていきょうなどがわかりやすい例である。現物給付であっても、現金給付であっても川上と川下の政策がある。この二つの決定的な違いは、「貧困者」や「弱者」を選別するかどうかである。
②「救済」なのか「権利」なのか。この二つには、給付をする側にも、給付を受け取る側にも、決定的な意識の差がある。
③選別主義の批判として、第一に、政治的なものであること、第二に、川下政策で受給することは、しばしば偏見の対象となり、受給者を社会から孤立させること、第三に、選別にかかる費用がばかにならないこと、第四に、所得制限があることによるロウドウインセンティブの低下があること、第五に、「漏給」の問題があること。
④普遍主義の最大の欠点は、選別制度の最大利点でもある、財政負担が大きいことである。⑤選別精度は、ニ-ズに基づく給付であるのに対し、普遍的制度は、政治的な票集めにしか過ぎないという批判もある。 
 この上で、阿部は、「どちらが費用削減に効果があるか」ということについて、「結論からいうと、『普遍主義に軍配があがる』というのが、社会学者の定説であった。」、とまとめ、「多数の先進諸国のデータを分析した結果、普遍的な制度を持つ国ほど、所得格差を縮小することに成功していたのである。普遍的制度を持つ国の代表はスウェーデン、選別的制度の代表はアメリカである。選別制度のほうがダイレクトに格差縮小に役立つはずであるのに、その反対の結果となった。これをコーピとパルムは「選別主義のパラドックス」と名づけた。」、と説明した。
 結局、阿部は、「貧困削減に有効であるのかどうかにいちばん効いてくるのは、再分配のパイの大きさであって、普遍主義か選別主義かという違いではなさそうである。普遍主義であっても、小さいパイであるのであれば、貧困削減は進まない。選別主義であっても、小さいパイでは貧困は解消できない。」、と結論づけた。
 次に、「的の絞り方」について、阿部は、子どもの貧困対策として普遍的な制度が選択される可能性が小さいことから、「選別的制度の欠点を最小にしつつ、効果的に対象者を選別する制度設計を考えていかなければならない。」、とする。


 第五章「現金給付を考える」と第六章「現物(サービス)給付を考える」は、省略。


 第七章「教育と就労」で、阿部は、「子どもの貧困対策の大きな柱の一つが教育である」、と位置づけ、「教育は、子どもの可能性を広げる未来への投資であり、貧困の連鎖を断つ希望である。」、定義づける。
また、子どもの貧困政策の解消を目指す教育政策を、第一に、教育費の格差を縮小する政策、第二に、学力格差を縮小する政策、第三に、学校生活を保障する政策、と三つに区分する。
 具体的課題として、①教育費の問題、②学力格差の縮小、③学校生活への包摂、④教育のセーフティーネットの強化、⑤教育から就労への移行支援、を挙げている。
 特に、子どもの貧困を考えるうえで、「学校生活への包摂」が実は一番大事であるとして、次のように記述する。
「『包摂』という言葉は、『社会的包摂』という文脈で用いられ、EUなどにおいて、社会政策の基本概念となってきた理念である。社会的包摂とは、一人一人社会のメンバーとして認められ、さまざまな活動に参加し、小さくてもかけがえのない『役割』をもち、自己実現ができる状態を指す。一方、社会包摂とは逆の『社会的排除』は、誰からも認められず、社会の私的・公的なさまざまな交流や活動から排除され、居場所を失っていくさまをいう。」
「子どもにとって、社会の大きな部分は学校であり、そこで包摂されることが、子どもの貧困対策の大前提となる条件であるからである、学校は、ただ単に勉強を学ぶ場所であるわけではない。学校において、子どもは社会性を育み、友だちを得、事故を確立していく、学力向上や学歴の達成云々という前に、まず、子どもが学校を楽しい場所と感じ、友だちや先生から、認められており、自分の居場所が学校にあると思えるということが先決なのではなかろうか。」


 終章「政策目標としての子どもの貧困対策」で、阿部は、二〇一三年六月九日に成立した「子どもの貧困対策の推進に関する法律」について、「つい数年前までは、『【子ども】と【貧困】を同じ文章のなかで使うな。国民に誤解を与える』などと上司から論考に赤ペンを入れられていた筆者にとって、『子ども』と『貧困』が『の』で繋がり、しかも、それに対抗する必要性が明記された法律が日本で成立するとは、『夢のまた夢』の進展であった。 」、と記している。
 私自身の個人史からも、このことについて、質の違いはあれ、同じ感慨を持つ。
 ただし、阿部は、「『これで日本の子どもの貧困対策は万全だ。』と諸手をあげて喜ぶことはできない。子どもの貧困に関わる関係者の心情を表せば、期待が高まっているだけに、むしろ、それを裏切られた時の失望が怖いといったところであろうか。これまでも、いわゆる『理念法』といわれるものは成立したものの、実効性のある政策を伴わなかった例は数多くあるからである。日本の財政事情が非常に厳しいなか、子どもの貧困対策法がその一つになる可能性は、十分に高い。」、と冷静に分析する。
 このことは、安倍晋三政権の成長戦略のあり方をみる時に、阿部の心配がそのまま当てはまってしまう危険性は大きい言える。


 阿部のこの本は、「私たちが、みんなつながれば子どもの貧困は必ず解消すると確信している。」という思いが、確かに伝わってくるものであった。
 また、その分析は、どこかで、私自身が有効的に使わさせてもらうことになると感じている。


by asyagi-df-2014 | 2015-11-07 13:39 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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