2015年 09月 13日 ( 2 )

沖縄から-辺野古新基地建設反対の波は全国展開に

 沖縄名護市の辺野古新基地建設反対のうねりについて、沖縄タイムスは2015年9月12日、「米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古の新基地建設に反対する『止めよう!辺野古埋め立て 9・12国会包囲』(主催・同実行委員会)が12日、東京・国会議事堂周辺で実施され、2万2千人(主催者発表)が参加した。市民らは国会を囲みながら、『辺野古が唯一の解決策』とする安倍晋三政権に対し、新基地建設断念と沖縄の民意に向き合うよう求めた。国会包囲は1月(7千人)と5月(1万5千人)に続く3回目で、回を追うごとに参加者が増えている。」と、報じた。
 また、この集会でのヘリ基地反対協議会安次富浩共同代表の「今朝、ボーリング作業に向けてフロートの準備作業が始まった。民の声を聞かないのは民主主義を否定するからだ。沖縄の未来は私たちが切り開く」との決意表明を伝えている。

 辺野古新基地建設を止めるためには、沖縄からの「沖縄の未来は私たちが切り開く」闘いに本土の人間がともにあることができるのかが重要である。

 以下、沖縄タイムスの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-09-13 10:31 | 沖縄から | Comments(0)

本からのもの-「『靖国参拝』の何が問題か」

著書名;「靖国参拝」の何が問題か
著作者;内田 雅俊
出版社;平凡社新書


 内田雅俊のこの本で、「靖国参拝」の何が問題かについて、改めて確認した。
 特に、付論1と2は、このことについて大きな整理をするものになった。

 この中で、韓国と中国の靖国に対する見解を説明する。
 韓国で、何故、靖国が問題になるのかについて、内田は、次のように説明する。


「韓国憲法前文に『悠久の歴史と伝統に輝くわが大韓国民は、三.一運動によって建立された大韓民国臨時政府の法統、及び不義に抗拒した四.一九民主理念を継承し、・・・』とあるように、韓国は一九一九年三月一日、ソウルで行われた、植民地からの解放を求める三.一独立運動、上海臨時政府による独立宣言を建国の礎としている。これは日本国憲法前文『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』という日本の戦後の出発と連動したものである。」


 一方、靖国神社の歴史認識は、「靖国の歴史観はこれと真逆なものである。」し、「韓国の建国の礎に対し真っ向から挑戦しようとしているのが靖国神社の歴史観」であるとと説明する。
 つまり、韓国にとっては、靖国の歴史観が、韓国の建国の礎を貶めるものなのだということに、日本人は気づく必要があるのだということである。
 内田は、このことを、「靖国神社は韓国憲法の基本理念や文明国家の普遍的価値に反する存在なのである。」と指摘し、「先の大戦をアジア解放の戦争であったとする靖国神社の歴史認識が、戦後の文明国家の普遍的価値に真っ向から挑戦するものであるからである。」と、説く。

 次に、中国で、何故、靖国が問題になるのかについて、内田は、一九七二年九月二九日の「日中共同声明」の重要性について、これまでも指摘してきているが、その第五項に関連して次のように説明する。


「日中共同声明第五項は、『前文』中の『日本側は、過去において、日本国が、戦争を通じて、中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する』を受けて、『中華人民共和国政府は、中日両国民の友好のために日本国に対する賠償責任の請求を放棄することを宣言する』としている。」


 この日中共同声明によって、中国政府が負ったものは、「中国政府がこの戦争賠償の放棄を中国民衆に納得させることはたいへん困難なことであった」であることは、容易に理解できるものである。
 内田も、その困難さを、「中国民衆を説得した(抑え込んだ。)」と表現している。
 だから、「先の戦争をアジア解放の『聖戦』だと主張する靖国神社に東条英機らA級戦犯が、『靖国の英霊』として合祀され、そこに日本首相らが参拝することは、中国とすれば、話が違うのではないかということになるのは当然であろう。」と、内田は説くのである。

 韓国及び中国にとって靖国参拝が何故問題になるのかを、日本人が理解しなければならないことの根本を、内田は、このように説明している。


 さて、もう一つ、「国立追悼施設」について触れる。
 これまた、すとんと落ちる内田の理論展開になっている。
 まず、「戦後の護憲運動は、『平和憲法』の下、戦没者と真摯に向き合うことを十分にはせず、靖国史観との対峙を回避してきた。沖縄の米軍基地についても同様であった。」と、内田は指摘する。
 次に、内田は、「死者を追悼する」ことについて、一方で、加藤典洋の「悪い戦争を戦ってなくなった自国民をどう追悼するのかという困難な課題」という発言を引きながら、その難しさを認識した上で、次のように提起する。


「ただひたすらに追悼し、決して死者を称えない。称え、感謝した瞬間から死者の政治利用が始まり、死者を生み出した者の責任があいまいにされる。非業の死、無念の死を強いられた死者たちの声に真摯に耳を傾ける。」


 内田は、死者を追悼することは、「ただひたすらに追悼し、決して死者を称えない。」ことにあると、する。
 そして、内田は、「戦後の反戦護憲運動にはこのことが十分ではなかったのではなかろうか。」とするともに、「国は、遺族らのこの思いに答えるべきである。」と、結論づける。 だから、「戦没者の追悼を一宗教法人にすぎない靖国神社にゆだねるのではなく、国自らが、だれでもいつでも参拝できる、無宗教の国立追悼施設を設け、不断に死者たちの声に耳を傾けるべきである。そこでは天皇の兵士の死者だけでなく、すべての戦没者が祀られる。靖国問題解決の第一歩はここにある。」と、まとめる。
 このことのために、一九五二年五月一日に発足した「全日本無名戦没者合葬墓建設会」の設立趣意書を紹介する。

「・・・同社は主として戦死軍人軍属の御霊を祀る所で、一般戦没者には及ばず、しかも御遺骨を埋葬する場所ではありません。その上、神道以外の宗教とは相いれない者があって、友邦の外交使節の参拝を受けることもどうかと存じますから、御遺骨の実体、各宗派の立場、外交上の儀礼の点から考えても、靖国神社とは別に霊場を造営する必要があります。・・・」

 内田は、こうした「国立追悼施設」が過去目指されていたこが戦後あったことを、あわせて指摘するのである。

 結局、「靖国参拝」が何故問題であるのか、それは、靖国神社の歴史認識(聖戦史観)にあることを、再確認した。


by asyagi-df-2014 | 2015-09-13 05:45 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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