2015年 08月 12日 ( 2 )

沖縄から-米陸軍UH60ヘリ墜落

 沖縄タイムスは2015年8月12日、電子号外で、米陸軍UH60ヘリの墜落について、次のように報じた。

「第11管区海上保安本部によると、12日午後3時ごろ、米軍キャンプ・フォスターの憲兵隊から「名護市からうるま市の沖合にヘリコプターが落ちた。救助を要請する」と通報があった。防衛省によると、米陸軍所属のUH60ヘリという。海保がヘリ1機、巡視船6隻を現場付近に派遣し、捜索している。
 複数のけが人が出ているという情報もある。警察や海保が詳しい状況を調べている。発生は午後1時50分ごろ。北谷町には午後3時45分ごろ、沖縄防衛局から嘉手納基地の東沖に米軍機が墜落した、と情報が入っているという。情報が錯綜(さくそう)している。北谷町が正確な情報を収集している。
 防衛省に入った連絡によると、墜落した米軍ヘリの乗員のうち数人が行方不明となっており、米軍や海上保安庁が捜索している。」

 以下、沖縄タイムスの引用。




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by asyagi-df-2014 | 2015-08-12 18:24 | 沖縄から | Comments(0)

原爆被害の生き証人からの語りかけをきちっと受け取るために

 2015年8月9日、被爆者代表の谷口稜曄さんの「平和への誓い」という語りかけを、私たちはきちっと受けとめなければならない。

 谷口さんは、米国の原爆投下を、「この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。」と、描き出します。
それは、谷口さんにとっては、「3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵(ふち)をさまよいました。」というものでした。
原爆投下は、谷口さんに、「そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。」というまさしく地獄を刻みつけたのです。 谷口さんは、このように続けます。
 「かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。」と。
 そして、「アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。」と。
 2015年8月9日、長崎の地で、谷口さんは、世界に向けてこのように語りかけます。

 「戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した『憲法』が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。」

 谷口さんは、平和への誓いを、被爆者としてとして、一人の人間として、その決意とともに訴えます。

 「核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。
 私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。」

 繰り返して思う。
 被爆者代表の谷口稜曄さんの「平和への誓い」という語りかけを、私たちはきちっと受けとめなければならない。

 以下、平和への誓いの引用。





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by asyagi-df-2014 | 2015-08-12 05:34 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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